月姫外典・虚空憐奏 第一話 白き覚醒
古来より、月は魔力の象徴とされていた。
現在、科学的な見地からも月によるバイオリズムの変化なども確認されている。
月が生物に及ぼす影響は大きい。
そして、生物という規格から大きく外れた生物にとっても。
月。
ツキ。
つき。
THE MOON。
ああ、神秘なる、故郷に最も近い星よ。
ヒトは知らないだろう。
本当の意味でそれは知るまい。
ああ知るはずはない。知ってはならない。
こんなにも、あなたが、うつくしいことを。
こんなにも、あなたをひとりじめしたいことを!
さて。
これよりはじまるのは”僕”の親戚・・・従兄弟の物語だ。
僕が誰か、なんてのは聞くだけ無駄だし、野暮だろう。
僕はこの場限りの案内人に過ぎない。
ここからさき、これを読み解いていくのは、他ならぬ、これを手にしたあなたなのだから。
しかし、その前に。
幾つか言っておくべき事がある。
この物語は、死を視る事のできる青年とそれに恋した美しき吸血姫、その物語の可能性の一つだ。
この物語は、幸か不幸かそれに関わってしまった親愛なる従兄弟の物語だ。
この物語は、たったひとつのクルッタモノの物語だ。
そして、この物語は、月の物語だ。
あなたがこれをどう感じるかは、僕には窺い知れない。
正直、興味はある。
でも、それは聞くべきではない事なのだろう。
あなたがこの書を手にした事。
これは奇跡だ。
これはアカシックレコードが綴った、地球という星の記憶の断片であり、涙だ。
僕は、それの管理人。
ゆえに、この物語をここに綴り、記録する。
あなたが如何なる理由でこの書物を取ったのかは分からないが・・・できれば、この物語は記録せず、記憶して欲しい。
・・・どうやら、おしゃべりがすぎたようだ。
妻が相手をしてくれないと嘆いているので、僕は行かねばならない。
では最後に、この書物のタイトルを記しておこう。
それが僕に出来る全てだ。
後は、あなたの選択で進んで欲しい。
では、何処かで出逢ったのかもしれない、もう逢う事もないだろう、トモダチよ。
この物語が、あなたの糧になることを、此処から永遠に祈っている。
『月姫外典・虚空憐奏』・・・・・・・・・・・・・代行執筆人。管理人が七、P・Cloud。
白耶凪。
それが、彼の名前だ。
彼はごく普通の青年・・・というわけではない。
普通より少し変な、でも、普通の枠には収まるであろう、そんな青年だ。
何が少し変なのか。
それは、彼を知る誰かにとっては周知の事実。
「だああっ!もう、持たせろって言ってんだろ!」
そう言って、凪はクラスメートの手から抱えた荷物を奪った。
その女子生徒は目をぱちくりさせた。
でもさして驚いた様子はない。
・・・いつものことだからだ。
「見てらんないんだよ、重そうで。あとは俺が持ってくからな。苦情は無しだ」
「・・・うん、ありがと」
凪はふん、と息を洩らしてからさっさと歩き出した。
白耶凪。
ほんの少し他人に優しい、でも、それを自分で認めようとは思わない青年。
そして、そんな自分も悪くないと何処かで思っている青年。
・・・・・彼は、知らない。
そんな自分が変わっていく事を。
「ぜーはーぜーはー・・・」
凪は両手に抱えたその荷物を教室の隅に置くと、今までの分を取り戻すように、大いに肩で息をした。
「ご苦労さん。お前も大概お人好しだな」
それを眺めていた一人の青年が、凪に声をかけた。
凪は振り返って、その顔を見ると微妙に表情を硬化させた。
それこそ、彼以外の誰も分からないほどの変化。
「・・・お前にそれを言われるのは心外だ、遠野」
遠野志貴。
彼の事を、凪はよく知っていた。
親しいというわけではないが、二年連続で同じクラスだったからこそ、自然に分かる部分が多かった。
誰もが彼を遠くに置く。
彼の持つ何かを恐れ、遠くに。
にもかかわらず、彼を頼るものは多い。
何者も近づけない雰囲気を持ちながら、常に誰かが近くに在る。
そんな不思議な青年だった。
凪にとっては、遠野志貴はただのクラスメートであり・・・・・
「それこそ心外だけどな」
「言っとけ」
鼻息も荒く、凪は自分の机のフックにかけていたバッグをひょいっと取って、志貴に背を向けた。
「帰るのか?」
「ああ。遠野は帰らねーのか?」
「その前に寄る所があるんだ」
「茶道室の外人先輩の所か」
「・・・なんで分かる?」
「わからない方がおかしいだろ。乾も良く騒いでるしな」
「う・・・」
乾、というのは、乾有彦という名の彼らのクラスメートである。
遠野志貴とは幼馴染だという事らしい程度の事ぐらいしか凪は知らないが。
「・・・ほどほどにしとけよ。・・・・・あの女が悲しむ」
その凪の声は、彼にしては小さなものだった。
案の定というか、志貴には届かない。
「なんか言ったか?」
「いや・・・じゃあな」
凪は振り返る事無く、教室を後にした・・・
凪は夕闇の道を一人で歩く。
友達がいないわけじゃないが、最近は一人で歩くことが多い。
それには、理由があった。
「・・・・・」
それは、そこに”彼女”がいたから。
ガードレールに腰掛け、退屈そうに学校の方を眺めている女性。
その髪は金、その眼は赤。
白いタートルネックのセーターに紫色のロングスカート。
その全てが非の打ち所なく、調和し、一つの答しか凪に導かせなかった。
『美しい』
そんな言葉など生まれてこの方口にした事すらない凪だったが、この女性の前に立つとその言葉を口にしそうになる自分を抑えるので手一杯になってしまう。
凪がこの女性について知っているのは二つ。
”あるくぇいど”という名前である事。
そして、遠野志貴の恋人であるという事。
たったそれだけの事しか知らないのに、たったそれだけの事でこんなにも胸が痛い。
でも、それでも、彼はここに来る。
ただ顔が見たくてここに来る。
それだけのために。
(・・・ふう)
痛さを顔に出す事はせず、凪はその女性の横を通り過ぎようとした。
その時だった。
「ねえ、そこのあなた」
その声が、通り抜けた。
凪の動きが止まる。
恐る恐る振り返る。
その声が自分を呼び止めているはずがないと思いながらも、期待せずにはいられなかった。
そこに座る、女性は笑って言った。
「そうそう、あなたよ」
「え・・・と・・・・・・な、なんだ?」
(ちっがーう!そこは”なんですか”だろっ!?)
内心で頭を抱えるが吐いた言葉は取り戻せない。
だが、女性は気にした風もなく、言葉を続けた。
「君、志貴のクラスメートでしょ?志貴と話してるとこ何度か見覚えあるし。窓際の席だからよく見えるんだよね」
「う、あ、ま、まあ、そうだが」
窓際?
一体いつ何処から見てる?
それより何より、俺を知ってる・・・・・?!
いろんな情報の奔流で混乱状態の凪。
彼は自分が見ていた人が自分を知っていたという事実にくらくらしていた。
そして、そんな中でも、彼は目の前の相手に集中していた。
・・・今この時を逃したくなかったから。
彼女は足をプラプラさせながら、問い掛けた。
それが何処かバランスを崩しそうで凪はハラハラした。
「やっぱりそうだよね。志貴は学校にまだ残ってた?」
凪はそれを聞いて納得した。
それが聞きたくて自分を呼び止めたという事実をゆっくりと理解する。
凪の頭の中で、先程の志貴とのやり取りが浮かぶ。
その事実を伝えたら彼女は志貴の事を軽蔑するだろうか、怒るのだろうか。
(うがあああっ!姑息な事を考えるなっ!!)
自分の頭をよぎる暗い感覚を振り払って、凪は懸命に口を開いた。
「あ、あいつは・・・その、まだ、残ってた。・・・その、もう少ししたら帰るって」
「ふーん、そっか。じゃ、もう少し待とうかな・・・っとと?」
退屈そうに脚をプラプラさせていた、彼女のバランスが崩れた。
彼女はあらら、などと暢気な声を上げながら後ろに倒れていく。
・・・そこに。
「なっ!!」
突っ込んでくる自動車。
急なカーブを曲がりきったばかりのそれはまるで狙い済ましたように女性の方に・・・
女性はまだ体勢を立て直していない。
このままでは・・・!
「くっ!!!」
凪は、全力で動いた。
女性の服を掴むとそれを渾身の力で引っ張った。
「わっ」
凪のおかげで女性は道路に倒れるような事無く無事体勢を元に戻した。
だが。
「うっ・・・・・・?!」
女性を引っ張った反動でバランスを崩した凪が逆に道路の方へと・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ!!」
・・・・・・・・・衝撃。
それは凪が今まで体験した事の無いほどに大きく。
それは凪が今まで体験した事の無いほどに激しく。
凪は、悟った。
・・・・・ああ、やばいな、これは。
視界は、無い。
暗いのか、白いのか、赤いのかさえ分からない。
全身から力が抜けてでく感じだ。
『おーい、生きてるー?・・・うーん、まずいわね、これは』
(あの人の声がする)
それが自分に向けられている事がこの期に及んでなお嬉しかった。
そして、そんな自分がおかしかった。
『医者を呼びに行ったみたいだから私には関係ないかな』
(・・・そうか。医者来るのか。ああーでもそれまでもたねーよ、これは)
『・・・うーん。でも、一応私を助けてこうなったんだろうし。死んだら志貴がうるさいかな』
そこで女性が屈む気配。
『・・・うるさくはないかもね。ただ、悲しむか、この子死んだら』
(志貴。遠野。・・・こんな時もその名前が出てくるのか・・・)
それが、痛い。
コンクリートの地面をなんとなくかきむしる。
自分が痛いだけだった。
こんな時も律儀に感じる痛みが少し恨めしかった。
『そうね。志貴が悲しむのは嫌だし・・・まあ、少しだけ手助けするかな』
その言葉が何を意味するのか、凪には分からなかった。
『・・・意識ある?口、開けられない?』
その声の頼みになら、従わなくちゃ。
凪は朦朧としながらも、愚直に口を開いた。
その口の中に、入ってくる、何か。
それは、細く、その先に固いもの。
(・・・指だ。あの人の指だ)
それを認識した瞬間に、声が響いた。
『飲み込みなさい。私の血を。そうしたら、助かるから』
血。
そう言われて、凪は認識したばかりの”指”から温かい液が流れ出ている事を感じた。
血液。
・・・それを飲んだから、何が変わるというのだろうか?
疑念が湧く。
それを打ち砕くのは、彼女の声。
『今はそれをなしなさい。死にたくないのなら』
それは圧倒的な圧力を持った言葉。
彼にとっては別の意味での圧力も掛かる。
・・・だから、彼は、素直にそれに従った。
精一杯の力をかき集めて、温かい、鉄の味のするそれを一滴・・・それに満たない量を飲み込む。
(何故だ?)
純粋に彼は思った。
この血の味が。
何故にこんなにも甘美なのかを。
『飲んだわね?なら、いくわよ』
彼の疑問など知る由もなく、彼女の言葉と息が洩れる。
『はぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・』
彼女の唸るような、いや、そういうにはあまりにも綺麗な声が響く。
うっすらと、それでいて必死に、視界を広げる。
そこには彼女がいる。
その周りには何か、陽炎のようなものが立ち昇っているように見える。
・・・凪はそれを死ぬ直前の幻だと思った。
しかし。
その凪の思考とは裏腹に身体の中に生命力が満ち溢れてくる。
(・・・・・・・これは・・・・・・・・・・・・・・・?)
『これで、よし。これでしばらくはもつでしょ』
そんな彼女の声の遠くから救急車のサイレンの音が近付いてくる。
『あちゃ。行かないと面倒事になりそうね。事情とか聞かれるだろうし・・・。
・・・それじゃ、私、行くから。運が良かったら、また会いましょ』
彼女の存在が遠ざかる。
それを感じ取ったからか。
凪の意識は黒の中に落ちて行った・・・
・・・彼は知らない。
ここが運命の分岐点だった事を。
「・・・ふー長かったな」
一週間。
それが凪の入院期間だった。
長いと凪は口にしたが、それは間違いだった。
『普通なら、最低二三ヶ月かそこらは掛かるはずなんだがね』
ふと、医者の言葉が頭をよぎる。
しかし、凪はその言葉を信じてはいなかった。
治らないものが治るはずは無い、どちらかといえばリアリストな彼はそう思っていた。
(やぶ医者の勘違いなんだろ、多分)
しかし、なんにしても一週間で済んでのは良かった、と凪は思う。
この一週間の入院の間、心配性な家族・・・特に妹・・・や暇な親戚が見舞いに来たりで大変だった。
もし入院期間が長ければそれが何度もあったのだろうと思うと胃が痛む。
(特に偽善ぶったあのヤローの顔は見たくなかったしな)
一人心の内で呟いて、凪は歩を進めていく。
すでに遅刻ではあるが、学校へとその脚は向かっていた。
・・・その思考の中で、凪はあの事を考えていた。
考えていないようで、考えていた。
あの出来事。
もう、夢なのかどうかさえ分からない、あの出来事。
でも。
あれが夢なら。
(まだ残ってる、あの血の味はなんなんだろう・・・)
勿論、残っているといっても、もうそれは口の中には無い。
記憶として鮮明に残っているということだ。
記憶として残っているのなら・・・それは、現実だ。
現実として考えるのならその出来事は異常だ。
そして、彼女の言葉を考えると、あのおかげで自分は助かったという事になる。
馬鹿な。ありえない。
そう思いたい凪だったが、それは彼女の行為を否定する事だ。
どんな理由があったにせよ、自分を助けようとした行為を。
「ぐうう・・・」
そんな風に頭を抱えながら、凪は学校へと辿り着いた。
「はよーす」
間違った日本語挨拶をかましながら、凪は教室に入っていった。
丁度休み時間だったので、凪の姿を認めたクラスメート達はそれぞれに声を送ってきた。
「久しぶりー!」
「おお意外に早かったじゃねーか」
「フン、俺を甘く見るなよ」
そんな風に返して、自分の席につく。
ふと、その横の席の空白が目に付いた。
一週間空けたらもしかしたらとも思ったが、やはりその空白は埋まっていなかった。
弓塚さつき。
数ヶ月前は確かにそこにいたクラスメート。
明るいクラスの人気者で、凪も決して嫌いではなく、むしろ好ましく思っていた。
彼女はある日突然、その姿を消した。
理由は分からない。
ただ、失踪した。
何の痕跡も残す事無く。
当時起こっていた連続吸血殺人事件に巻き込まれたのではないかというのがもっぱらの噂であり、推測だった。
「・・・ち」
胸糞が悪い。
凪なりに表現すれば、そうなる。
そして、まだ見つかっていないのであれば無事であるという可能性を思い、彼女が無事であればいい、となんとなく願った。
「・・・・・・寒いな」
一月も末の風が寒くないはずは無い。
呟いても、その事実を確認するだけだという事に気付いて、凪は苦く笑う。
無事学校も終わった帰り道、人通りが少ないそこを凪は今日も一人下校していた。
その脳裏には、また”彼女”に会えるかもしれない、という期待があった。
会ってどうなる。
会ってどうする。
そんな事を考えてもいたが、それは凪の足を止めるには至らなかった。
だが、結局のところ、その思考は無意味なものとなる。
凪にとって、全く予測し得ない事態が起こってしまうからだ。
・・・・・何かの、気配。
それをなんとなく感じ取って、凪は振り向いた。
「・・・・・・・・・・・・なに?」
そこにいた人物を、凪は知っていた。
何故なら、自分のクラスメートで。
今日、その事を考えていたのだから。
「・・・弓塚。お前・・・弓塚・・・だよな」
少し離れたところに立つ少女はそれを聞いて、元々浮かべていた笑いを深めた。
「うん。そうだよ、白耶君」
「なんだ・・・無事だったのか。・・・よかった。
今まで何処にいたんだ?・・・親御さんや皆心配してたぞ。
ともかく早く家に帰れ。帰りづらいなら俺がついていってやろうか?いや、もう帰ったあとなのか?」
矢継ぎ早に凪がそう言うと、弓塚さつきは首を横に振った。
その顔は笑っている。でも、その笑顔は何処か悲しかった。
「・・・駄目だよ、白耶君。私は帰れないんだ」
「なんでだよ・・・」
そこで、凪は気付いた。
さつきは制服姿だったが、その端々は汚れたり、ほつれたり、破れたりしていたのを。
家出していた・・・にしては、おかしい。
なによりその眼。
カラーコンタクトでもしているのか、”彼女”のように赤い。
何かが、変だ。
何かの違和感を、凪は敏感に感じ取った。
「弓塚、お前、何があった・・・?なんか、まずい事にでも巻き込まれてるのか・・・?!」
「・・・やめて。それ以上、何もいわないで」
「・・・?」
懇願するように言われて、凪は黙らざるを得なかった。
そのまま、さつきは言葉を続けた。
「それ以上優しい言葉をかけられたら・・・」
「・・・」
「私、あなたを殺せなくなる」
(・・・!!)
・・・・・・・・それは一瞬だった。
さつきが地面を蹴って、凪との距離を詰める。
そのままさつきは凪の首を掴み、放り投げた。
「・・・・・・なっ?」
凪は信じられなかった。
あんな細腕の少女が片腕、しかも力任せに自分を放り投げた事。
こんなにも簡単に人が空を舞うこと。
衝撃。
凄まじい速度で壁に打ち付けられて、凪はずりずり・・・とうずくまった。
さつきは静かに言う。
「ごめん。顔見知りだからもっと優しくするつもりだったんだけど・・・せめて、血を吸う時は優しくしてあげるから」
そう言って、もう動けないであろう凪に歩み寄る。
だが。
「・・・・・・・・痛・・・」
「えっ・・・?」
凪はゆっくりと立ち上がり、さつきのほうを見た。
その視線を向けられたさつきは目を瞬かせた。
「嘘・・・なんで動けるの?動けるはずなんか、ないのに・・・」
「・・・知るかよ・・・痛くないものは痛くないんだ・・・」
言いながら、自分の異常さに内心驚いていたが、そんなことよりも気にかかる事があった。
「なんだよ、血を吸うって。何のことなんだよ」
「・・・・・」
血を吸う。
浮かぶイメージはほんの数ヶ月前起こっていた連続殺人事件のこと。
そして、御伽話のような伝説の事。
・・・ヴァンパイア。
・・・吸血鬼。
「私は・・・そんな身体なの」
間を空けて、ポツリとさつきが洩らした。
その表情には戸惑いと怒りと、なにより悲しみがあった。
「化物に血を吸われて、私自身も血を吸わないと生きていけないようなそんな体になったの!
だから、そうして来たのに!そうしようとしてるのに!何で邪魔するの?!何で生きてるの?!」
「・・・く」
・・・その言葉に、凪は気圧された。
それの真偽は正直凪には分からなかった。
何故そうなったのかも分からない。
ただ、それが彼女にとっての真実である事はよく理解できた。
そして、今日、彼女がその相手に自分を選んだ事も。
「だから・・・っ」
「ち・・・!」
さつきは恐るべき速度で凪に掴みかかった。
(・・・な、なんつー力だ・・・・!!)
その腕力は男である凪をものともしていなかった。
圧倒的な力で両手を封じられる。
「・・・ごめんね・・・・」
そう呟くさつきの口が開かれる。
信じられないほどに、研ぎ澄まされた歯・・・いや、それは人を食らう牙。
その瞬間。
凪の本能が全力で訴えかけてきた。
自らの危機を。
死の、瞬間を。
(し、ぬ?)
認識した瞬間、沸きあがっていく感情があった。
(死ねない!死にたくない!俺は・・・!)
「・・・・・え?」
喉元まで口を近づけていたさつきは思わず声を上げた。
先程まで容易く押さえつけていたはずの凪の両腕に少しずつ押され返されていく。
当然、それに押されてさつきの身体も押され返される・・・
「え?え?」
「・・・弓塚。悪い。俺は・・・死にたくないんだ・・・!」
凪はそのままの体勢、勢いから、先程自分がされたようにさつきを放り投げた。
「きゃ・・・っ?!」
さつきは放り投げられながらも空中でその身を翻し、綺麗に着地した。
一方、凪はただ少したたらをふませる程度でやったことが、そんな結果になるとは思いもよらず、それを為した自分の手を、ただ呆然と眺めた。
・・・それを見て、凪は愕然とした。
(これは、一体・・・?!)
凪の両腕は見慣れたそれとは全く違うものに変化していた。
白い手甲・・・そう称すればいいのだろうか?
否。それは少し違う。
肘から下の部位は”白い異形の腕”と称するのが相応しいものだった。
「白耶君・・・あなたも、私と同じなの・・・?!血を、吸われて・・・化物になったの・・・?!」
「な?!そんなわけ・・・!」
(血を、吸う?
・・・俺は血を吸われてなんかいない。
でも、俺は”あの人”の血を吸った・・・俺は・・・なんなんだ・・・?!)
凪自身よく分からない。
その混乱に二人ともが支配されていた時だった。
「・・・!弓塚危ない!さがれっ!」
「えっ!?」
言いながら、凪自身もバックステップ。
さつきもまた弾かれるように後退した。
今まで二人がいたその場所に剣が数本突き刺さる・・・!
「・・・避けられてしまいましたか」
その声のした方に二人が顔を向けると、そこにも非現実的な光景があった。
電信柱の最頂部。
そこに、剣を持った法衣姿・・・シスターのような姿の女性が立っていた。
彼女は、信じられないことだが、その高度から当たり前に跳躍し地面に降り立つと、凪とさつき両方を眺めるように、それでいて睨みつけるような視線で射抜いた。
凪はその顔に見覚えがあった。
それを思い出そうとする凪の思考を遮るように、女性は言った。
「あなたたちは何者ですか?
そちらのあなたからからは忌まわしい蛇の匂いが、そちらの方にはさらに忌々しいあーぱー吸血鬼の匂いがします」
「・・・蛇?」
「あーぱー?」
凪とさつきはそれぞれに向けられた言葉の意味を理解できなかった。
その様子を見て女性は、ふう、と息を吐いた。
この二人は何も知らない。
だが、それでも見過ごしておくわけにはいかない。
「・・・まあ、いいです。
とりあえず、あなたたちは捕縛させていただきます。その後じっくりと話を・・・」
「・・・先輩!」
またも響く、また別の人物の声。
(またか・・・)
次から次に現れる乱入者に、凪は息を吐いて、視線をそちらに向け・・・
「え?」
絶句した。
そこには二人の乱入者の姿があった。
そして、その二人とも、凪の知る人間だった。
遠野志貴。
そして”彼女”。
二人もまた、凪たちの方を見て驚きの声を上げた。
「あなたは・・・!」
「白耶!それに弓塚さん!?」
「遠野君・・・」
志貴の事を視認すると、さつきは苦しげな表情を浮かべた。
そして、法衣姿の女性、”彼女”、凪の様子を見て、その場から駆け出した。
・・・それは状況を判断した上の撤退だった。
そのスピードは人外のもので、あっという間に凪たちの視界の外へと消えていく・・・。
『弓塚!』
図らずも、志貴と凪の声が重なり、二人は殆ど同時に走り出す。
だが・・・
「遠野君!そこのあなたも待ちなさい!」
その声の鋭さに二人は動きを止めた。
「シエル先輩!弓塚が・・・!」
「あんたが何者か知らないが、彼女はクラスメートなんだ・・・!放っておけるかよ!」
「落ち着いてください。闇雲に彼女を追っても精神的に追い詰めるだけです。今は、待つべきです」
「今はって・・・!それじゃ・・・」
「最近のこの街の”荒れ方”といい、イレギュラーな出来事が多すぎます。彼女もいずれまた姿を現すでしょう。それまでに現状整理をしておくのが得策です」
そう言われて志貴はしぶしぶと反論を止めた。
凪は納得などできなかったが、志貴の様子を見て、それ以上の反論は無理なのだろうと悟った。
「・・・ではまず片付けるべき問題から片付けましょうか」
そう言って、法衣姿の女性・・・シエルは凪に視線を向けた。
凪はそこでその女性が自分や志貴と同じ学校に通う外人の先輩だと気付いた。
「あなたは何者なのですか?」
「え?いや、俺は・・・そこにいる遠野のクラスメートだよ。それ以上でも、それ以下でもない」
「・・・質問を変えます。その腕は、なんなんです?」
その問い掛けに、凪は改めて自分の腕を見た。
異形となった、腕を。
・・・その次の瞬間だった。
凪の異形の腕は一瞬霞の様にゆらめいたかと思うと、元の腕の形へと戻った。
その事に、凪は安堵の息を洩らした。
一生このままではないかと危惧していただけに、その安堵は深いものだった。
・・・とは言え、問題が解決したわけではないが。
自分を見つめる視線の群れ・・・特に”彼女”のもの・・・に緊張しながらも、凪は言った。
「知るかよ。・・・俺だって気付いたらこうなってたんだ。こっちの方が説明して欲しいくらいだ」
「そうですか。それでは、説明してもらいましょうか、アルクェイド・ブリュンスタッド」
「・・・アルクェイド?お前、また何かやったのか?」
「何よ、その言い方。私は彼を助けてあげただけよ。そうでしょう?」
突然に話を振られて、それでも凪は必死に首を縦に振った。
訝しげな眼差しを投げかけるシエルと志貴に、凪は自分が知る限りの事を話した。
・・・話を聞いて、シエルは唖然とした。
そして、その一瞬後には”彼女”・・・アルクェイドに食って掛かっていた。
「な、な、な・・・なんてことをするんですか、あなた!!
下手をしたら、あなたの遺伝情報が彼の遺伝情報を侵食していたんですよ!」
「なによー。それしかなかったんだから仕方ないじゃない。
私の血を僅かに与えて、私の方から生命力を活性化させれば、血に従って彼の生命力もまた活性化される。あの時取れる方法はこれがベストだったのよ。
それに、これは私のせいじゃなくて、彼の素質の問題でしょ?」
「・・・白耶の素質?」
「そうよ。おそらく、彼の中にはヒトでないもの、あるいは特殊な能力を持った人間の血が混ざってるんでしょう。それが私の血の活性化で呼び覚まされた・・・ただそれだけの事よ」
「俺の中に・・・・・?」
言われて凪は絶句した。
確かに自分の親戚には人間離れした奴もいるが、それが本当にそうだとは。
「しかし、驚いたわ。魔術の心得も無しに固有結界を展開させて、自分の体を変質・強化する能力か」
「驚いている場合ではないでしょう!あなたがしたのは人を傷つける事を知ろうともしなかったヒトに無理やり戦闘術を教え込むような事なんですよ!あなたは人である彼を殺した、とも言えます!それが一体・・・」
「・・・ちょっと待った」
なおも言い募ろうとしたシエルの言葉を凪は遮った。
それは静かながら、重みのある言葉だった。
「・・・アルクェイドさん。でしたよね」
アルクェイドに向き直った凪の言葉には緊張からの乱れがなかった。
いつものどちらかといえば乱暴な口調も消えていた。
ただ真っ直ぐ見ていた。
そして、頭を深々と下げて、言った。
「・・・命を助けていただき、本当にありがとうございました。
このご恩、忘れません。必ずお返しします」
そう言ってから、今度はシエルの方に顔を向けた。
「・・・というわけだから。あんたがこの人を責める必要はない。あんたには悪いけど理解してくれ」
「な・・・」
「へえ・・・」
凪の言葉にアルクェイドとシエルがそれぞれの表情を浮かべた。
と、その時。
その様子を見ながらも、何かを考え込んでいた様子の遠野志貴が口を開いた。
「おい、アルクェイド。それからシエル先輩。それと白耶」
「なに?志貴」
「なんですか遠野君」
「なんだよ、遠野」
「アルクと先輩は白耶に能力の使い方を教えてやってくれ。白耶はそれに従ってくれ」
『ハア!?』
アルクェイドとシエルの声がこれ以上ないほどに唱和した。
凪は静かに視線を志貴に向けた。
「どういうことだ、遠野」
「・・・能力の使い方を知らないのはまずいと思う。
実はな、俺もちょっとした特別な眼を持ってるんだけど・・・」
「・・・・・!」
志貴の言葉に凪は息を飲んだ。
「昔、それに気付いた時、俺はその意味もその価値も知らなかった。
でも、それを教えてくれた人が、俺にはいた。
その人が教えてくれた事がなかったら、多分、今の俺はなかった」
「・・・・・」
「白耶の持っている力にどんな意味や価値があるのかは俺には分からない。
でも、これだけは言える。
その意味を、価値を決めるのは白耶自身で、それを決めるためにはその能力と向き合う必要がある。
そして、そのためにも能力の事を知るべきだってな」
「・・・・・」
「強制はしない。でも、できることなら・・・」
「・・・ちっ。わかった。わかったよ。遠野の言っている事は正しい」
そっぽを向け気味に凪はぶっきらぼうに言った。
「そこの二人が良ければそうさせてもらうよ。ったく・・・やっぱ、お人好しなのはお前じゃねーかよ」
「ははは」
凪の言葉に志貴は苦笑した。
その志貴の顔を見て、アルクェイドとシエルは顔を見合わせた。
「・・・仕方ありませんね。出来得るかぎりの事はしましょう」
「いいわよ。まあ、普通なら断るけど・・・その子、少し気に入ったから」
「え?」
思わず凪の声が裏返った。
(落ち着け。さっき決めたじゃないか)
それは、密やかなる決意。
それがあったからこそ、さっき凪はアルクェイドと向き合うことができたのだ。
(彼女に救われた事。それは大きな、大き過ぎる恩だ。
俺はそれを彼女に返さなくちゃならない。
彼女に付き従い、彼女の思うこと、願う事を成す。
例えそれがどんな事であっても
例え彼女が何者であっても)
・・・それは姫に対する騎士の決意。
それが何処まで続くのか、続けられるのかは分からない。
彼の中にある想いと、ある意味相反する誓いだから。
でも。
それが彼女と共にある唯一の手段なら。
それが彼女の僅かな助けになるのなら。
それは白耶凪の本望だから。
「・・・よろしくお願いします。シエル・・・先輩。そして、アルクェイドさん」
「はい、こちらこそ」
「任せなさい。・・・人間ーあなたーを殺した責任。取ってあげるから」
後に。
白き追放者、吸血姫の騎士と呼ばれる可能性を秘めた。
白耶凪の物語が、幕を、開けた。
・・・続く。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
閑話休題。
志貴「はじまってしまったな」
凪「はじまったな。・・・ところで聞きたいんだが、これは一応どういう位置付けになるんだ?」
志貴「え?ああ。一応月姫本編の数ヵ月後ということになるらしい」
アルクェイド「私のグッドエンドにして、月姫の総合トゥルーエンドの後ってことらしいわね」
シエル「つまり、歌月十夜やメルティーブラッドに繋がるモノですよね。でも、それなら彼女・・・弓塚さつきさんは死んでいるのではありませんか?」
さつき「はいはいはい!私生きてますー!」
凪「・・・吸血鬼としてだがな。というか死んでるんだが」
さつき「うううーここでもこんな扱いなのー(号泣)」
志貴「まあまあ。ともかく、弓塚さんが”生きて”いた場合で話を進めてるみたいだから何かいいこともあると思うよ」
さつき「遠野君・・・(ぽーっ)」
アルク・シエル「じーっ(殺意ありありで志貴を凝視)」
凪「・・・ごほん。(場を整える)とりあえず、この作品の設定は作者によるこの作品のためのご都合によるものらしいぞ。なるべく本編設定に沿うものにしているらしいが『そういった都合上余程の大間違いでない限り突っ込まないでやってください』とのことだからよろしく頼む」
志貴「後、ちゃんと秋葉や翡翠、琥珀さんもちゃんと出るらしいから、ファンの人はもう少し待っていてください、とも言ってた」
アルクェイド「ふーん。ま、わたしはどうでもいいけど。それじゃ、まったねー」
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