snowdrop外伝・待雪草 第三章



長い吹雪が止むと、そこに広がるのは青空だった。

「ふーいい気分だな……そう思うだろ?」
「ええ……そうですね」

小屋から出てきた二人はそれぞれ伸びをしながら言った。
二人は雪が止む間、思い出話に花を咲かせていた。
……そうでもしなければ間が持たなかった(特に紫雲)というのが事実だが。

まぁ、それを抜きにしても思い出を語るというのは悪い事ではない。

「……ずっとこうならいいんですけどね……」

そう呟く彼女の顔は、思い出からは遠すぎて、紫雲は切なかった。

「……清流……」
「さあ、いきましょうか」
「……ああ」

切な過ぎて、紫雲は何も言う事ができなかった。



……あれからどれほどの時が流れてしまったのだろうか?

皆が笑っている事ができたあの時から。

あのままでいればいい。

誰だってそう思う。

だが誰も時間を止める事などできない。
そして、それができないからこそ、人は思い出を紡いでいくのだ。



「……大丈夫か? 少し休んだ方が……」
「結構です。今進まずしていつ進むのですか?」

頭に被った笠を被り直しつつ、清流は気丈に応える。
その際に日光で光った汗の粒の群れが、彼女の状態を如実に語っていた。

だが、紫雲は休もうなどとはもう言えなかった。
言える筈もない。
彼女が強情なのは昔から変わっていないのだから。

「……そうだな。なら、頑張れ」
「ええ」
「その代わり……」
「きゃっ??」

紫雲は、彼女の左手をひょいっと上げるとその下に自分の体を割り込ませた。
平たく言えば、肩を貸したのである。

「このぐらいはさせろ。目に余る」
「積極的ですね。いまさら後悔したのですか?」
「うるさい」

顔を真っ赤に染める紫雲。
清流はそんな彼がいとおしく思えた。
だから、何も言わず、されるがままにしばらく歩を進めていった。

しばらく、そんな時間が続き。
そして、唐突にそれは訪れた。

「……!」

進む道の脇に生える草むらの向こうから聞こえたその物音。
それに瞬間的に反応した紫雲は、腰に納めた脇差を、動かす事のできる左手で掴んだ。
微かに清流が息を飲む音を感じ、紫雲の緊張は高まる。

だが、それも一瞬の事だった。
その草むらの中から現れたものを見れば、誰だって気が削がれるというものだ。

「狐……ですね」
「みたいだな」

草むらからひょっこりと姿を現したその獣は、小さな子狐だった。
二人を警戒しない様から見て、本当に”子狐”だというのが良く分かる。
その子狐は何かを求めるように2人に近づいてきた。

「あら、可愛い……おいで」

清流が空いた右手で手招きすると、子狐は何の躊躇いもなく、それに寄って来た。

「こいつ……捨てられたのか?」

いくら子供とはいえ野生の獣にしてはあまりにも無警戒すぎる様が、紫雲にそう思わせた。

「そうみたいですよ」

そう言って、紫雲から離れた清流が狐を抱えると、その部分が晒された。
その子狐の左足には微かな、だがついたばかりの生々しい傷跡があった。

「これは……傷自体は深くないな」
「それでも、おそらく自然に任せるなら完全には治らない傷ですね、これは」
「……そうなのか?」
「ええ。貴方は怪我に対して頓着がなさすぎるんです」
「戦に立てば、そういう風にもなるさ」
「……」
「しかし、ちょうどいいな」
「なにが、ですか?」

真意を測りかねる、というように清流は言った。
そんな彼女に、紫雲は何を言ってるんだというように答えた。

「食糧に、だよ」
「……!  駄目です。まだこんな子供ではありませんか」
「口の中に入るのに子供も大人もない。違いがあるとすれば量だけだ」

紫雲はそう言って、脇差を抜いた。
それに対し清流は子狐を庇うように立ち塞がった。
だが、当の子狐は、そんなことなどお構いなしにその足の隙間から這い出て、二人の間にぺこんとしゃがみこんだ。

「……ったく。いいか?
 親から見捨てられたそいつはもう野生に戻ることはできない。
 いや、戻ろうとする前に別の何かの餌になるだけだ。
 だったら、今俺がこの手で苦しめずに殺し、俺たちの糧としてやるのが親切ってものだ」
「それは、私たちの勝手です」
「かもな。だが、おれたちの持つ食料が少ないのは事実なんだ。
 今お前が”親切”からこいつを逃がすのはお前の勝手だ。
 だが、そのために、お前が、ひいてはお前の中の子が死ぬことになったらどうする?
 そうなれば、俺が今まで人を斬り捨て、踏みつけてまでここまで来た意味がないし、それらを無意味にしてしまうんだぞ?
 それこそ勝手な話じゃないか?」
「……それでも、ここにいる幼いものを殺める理由にはなりません!」

凛とした声ではっきりとそう言った。
紫雲はこんな光景が昔にもあったことを思い出した。

「……お前は昔から変わらないな。
 親になるというのに、子供そのものだ。勝手だよ」


『……にいさま、良いではありませんか』
『だが、そうすると俺か、お前が咎められるぞ。俺は御免だからな』
『だったら……』


あの夕焼けの日。
三人で始めて仕事をやることになった日。
大人になることを認められるはずだった日。


「私が責任を取ります。その子を預からせてください」

そう言って。
頭を深々と下げた。
全てがあの時のままだった。

(いや、違うな……)

決定的に違う事が一つある。

「……残念だったな。  ここに、あいつはいないんだ」

そう言って紫雲は脇差を振り上げる。
身重の清流には庇うだけの時間はない。
だから、その子狐を殺す事など簡単だった。
そのはずだった。

……だが、彼にはできなかった。

振り上げた脇差を、紫雲は鞘にしまった。

「紫雲?」
「……ここに、あいつはいない。
 だが、あいつとお前があそこまでして守ろうとしたものを汚すつもりもない。
 ……好きにすればいい」
「……ありがとう……!!」

そう言った清流は、溢れかけた涙をぬぐって、その子狐を抱き上げる。
ソレを目の当たりにした紫雲は溜息をつく事しかできなかった。

(ったく。何が汚すつもりはないだ。……くそ)

はじめから殺す気などなかった。
できるはずもなかった。


(こいつが泣く姿を見るのはあの時だけで十分だからな)


紫雲は再び、昔に想いを馳せた。

それは遠いあの日から、今に至る為の道だった。


……つづく。


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