snowdrop外伝・待雪草 第一章
それは、昔々の物語。
遥か未来に続く物語。
連綿と続く、血の連なり。
それは宿命なのだろうか?
それを知るのは、神と、空に『在る』翼持つ一人の少女のみ。
……さあ、語ろうぞ。
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それは暗闇と呼ぶに相応しい日。
月がこの世より隠れし日。
そんな夜の、ある村から物語は始まる。
バタバタバタバタッガラッ!!
その騒々しい足音が、社の中に響き渡り……戸の一つがガラッと開かれる。
そうして開かれた部屋の中には、僅かな灯火と、それを頼りに本を開く一人の女性がいた。
灯火の揺らめきの向こうにある姿は、美しく。
その物腰は優雅にして繊細。
微かな光源に照らされる姿は、この世界ならざる雰囲気と空気を生み出していた。
そんな彼女の眼は僅かな間を空けた後、侵入者に向けられ……その眉はゆっくりと微かにひそめられていった。
「……騒々しいですね。何用ですか、紫雲」
女性の言葉に、入り口で跪く男は、僅かばかり事務的な、それでいて焦りが滲むような声で告げた。
「申し訳ありません、清流(せいる)様。火急の用につき、ご容赦くださいませ」
「いつものように、清流、でいいですよ」
ニコリ、と女性が微笑む。
先刻の不愉快な様子が演技だった事が簡単に伝わるような。
さっきまでの神秘性が霧散していく代わりに、日の光のようなあたたかい雰囲気が生まれていくような……そんな微笑みだった。
「貴方と私は幼き時からの……」
「……悪いが無駄は避けたい」
女性の言葉を遮り、男……草薙紫雲の口調が、事務的なモノから親しみを込めたモノに変わる。
彼女……清流は不満げな顔を浮かべたが、紫雲が自分の言うことを理解しているようなので、とりあえず納得し、話の先を促す事にした。
「……それで?」
「悪い知らせだ。神奈備命が、金剛にて封殺された」
「……!!」
清流の顔が明らかに動揺を見せた。
陽を思わせた微笑みが曇り、蒼白の表情へと移り変わっていく。
彼女のこんな顔は見たくはない……そう思う紫雲だったが言わねば何も始まらないので、やむを得なかった。
神奈備命。
その名の示す存在は、神乃清流の『同属』だった。
この世界に、数えるほどしか存在していない、源を同じくする種族。
翼持つヒト……翼人。
その血脈が、また一つ途絶えたという事実。
そんな現実を目の当たりにし、蒼白な顔のままに清流は言葉を紡いだ。
「……そうですか……あの時の胸騒ぎは……その為だったのですね……」
「胸中、察する事もできず、済まなく思う」
端的ではあるが、紫雲の言葉と表情には申し訳なさが滲み出ていた。
それを確かに感じ取って、清流は首を横に振った。
「いえ、貴方が気に病むことではないでしょう。
それに同じ翼人の私とて、彼女の気持ちを察する事はできません。
神奈様はまだ、少女であらせられたと聞きました……不憫な事です……
私は、子を宿す事ができたというのに」
そう言って、清流はまだ膨らみを見せない腹部を軽くさすった。
その中には……一つの命が新たな宿っている。
静かな表情で腹部に手を置く清流に、様々な感情が入り混じった顔で紫雲は言った。
「……………その子の父親がお前の父親と同じ、ただの人でもか?」
「そうです。
私は確かに、彼のものを愛しておりました。
私の母が、私の父を愛したように。
だから、私達の中から、純粋な血族が失われていく事に、悔いはありません」
「そうか。嫌な事を聞いたな」
「いいえ。貴方の気持ち嬉しく思いますよ」
「……ただの嫉妬だ」
「ふふ。しかし、旅支度が無駄になってしまいましたね」
そう言って、清流はこの部屋の隅に追いやられた荷物の山を眺めた。
神奈を助ける事ができれば、と準備した旅支度。
彼女と力を合わせ、何らかの手助けがしたかったが……それは叶わないまま。
物言わぬ荷物たちの悔しさ……自身が感じるソレは、紛れもなく自身の悔しさなのだと感じ、清流は顔を俯かせた。
だが、そんな清流の言葉を、男は首を横に振って否定した。
「いや、無駄にはならないだろう」
「何故……ですか」
「俺達は旅立たねばならないからだ。考えてもみてくれ」
「……そうですね。
神奈様が封じられた今、私、いや私達がここにいるのは危険ですね」
彼女は神乃清流、という名を持つ翼人。
……と言っても、正確には少し違う。
翼人と人の混血……彼女はそういう存在だった。
彼女の存在は、現在紫雲と彼女が住む村の住人の手によって厳重に隠されていた。
それは、超越者たる翼人の恩恵に預かる為、ではなく、彼らが彼女の母を一人の友人として迎え入れた為であった。
そうして、彼女達の存在・情報はここ十数年に渡って、完全に外界から閉ざされていた。
だが、それは強力な力を持った翼人……つまりは神奈の一族がいた為に、
昼間の星が太陽の光に隠れるように、見え難くなっていただけに過ぎない。
神奈の一族が滅んだ今、いかに彼女の一族が微弱な力しか持たずとも、その存在を感知されやすくなっている事は想像に難くなかった。
そんな状態、状況で村に留まる事は、この村に争いを招く事になる。
この村で生まれ育ち、故郷を愛する二人にしてみれば、ソレは望む事ではなかった。
ゆえに、彼女は旅立たねばならなかった。
彼女が内に宿す、新たな命、新たな血脈とともに。
「それはそうと…いま、俺達とおっしゃいましたか?」
「言ったが?」
「いいのですか? 貴方も追われる身になりますよ?」
「別に。惚れた女のためなら、問題ない」
「……道中、襲わないでくださいね」
「誰が、襲うかっ」
「はいはい。
それで、出立つは何時、そして行き先は?」
「出立は、明日。行き先は、蝦夷だ」
そうして、彼らの物語は始まる。
その末に待つ、一つの運命を知らないままに。
……続く。
注・蝦夷とは、北海道の古い地名です。