Kanon another1”snowdrop”第9話



〜彼らの休日、彼女らの見解・常闇編・前編〜



赤が黒にとって変わろうとする町の中をあゆと二人で歩いていく。
こういうのは悪くない。
というか、むしろ大歓迎である。
だから、自然に笑うこともできる。
愛想笑いなんか必要なかった。
今、この時、この子の前では。

「元気な子だったね」

ポツリ、とあゆが呟く。
僕は割と上機嫌でそれに答えた。

「そうだね。相沢君は苦労しそうだけど」

マイペースな水瀬親子にあの少女では、彼の前途は多難かもしれない。

「・・・うん、だよね」

急にあゆが声のトーンを落とした。
いや、急にではない。
さっきから、そんな感じだった。

「・・・どうしたの?」

その姿は少し哀しげで、僕はそう言わずにはいられなかった。

「うん。その・・ね。・・・祐一君は昔から変わってなくて・・・誰にでも優しいなあって思っただけ」
「・・・そう」
「うん、そうなんだ。あの子・・・真琴ちゃんも祐一君がいるからあそこにいるんだろうし」

ふう、とあゆは溜息をついた。
そんなあゆを、僕は始めて目の当たりにした。

「あはは・・・変だね、ボク。ヤキモチやいてるみたい」

あゆは、笑っていた。
ただ、その笑顔はいつものとは違う、傷の入った・・・・・

やめてくれ。
そんな顔はしないでくれ。
君は・・・


「笑ってなくちゃ」

思わず呟いた言葉に、あゆは立ち止まりこっちを振り向いた。

「そんな顔は・・・駄目だよ・・・君は、笑ってた方がいい・・・よ」

これは僕のエゴだ。
誰だって泣きたい時、悲しい時はある。
それを邪魔する事なんか許されない。

・・・だけど。
・・・それでも。

「そのほうが・・・あゆらしくて・・・その・・・・・・・・・・・・・・・・・・・かわいい・・・」
「え?え?」

あゆが戸惑うのを見て、僕は自分の言ったことの内容にようやっと気づいた。
・・・かなり恥ずかしかった。
だけど、それが僕が伝えたかったことであることに嘘はない。
顔を赤くさせつつも、僕は言葉を続けた。

「そ、それに、相沢君とあの子、あんまり仲良くなさそうだし・・・心配ないと思うよ・・・」

これがいろんな意味で自分の首を絞める発言なのはわかっていた。
それでも、あゆには元気に笑っていて欲しかった。
例え、それで、あゆが僕のことを見向きもしなくなっても。

それが、今の僕の全てだから。

あゆは、しばらく、僕の顔を不思議そうに眺めていた。
そして、不意に口を開いた。

「・・・紫雲君、ありがとう」

そう言って、彼女は笑った。
本当は辛いのかもしれない。
悲しいのかもしれない。
だけど、どうしようもない僕のために、あゆは笑ってくれたのだ。

今、この時だけは。
そう、思いたかった。

「そうだよね、笑ってた方が、楽しいよね」

そんなあゆに僕ができることは。

「うん」

と言って、慣れない笑顔を再び浮かべること・・・それだけだった。
多分、僕らはそれでいいのだ。

「でも、仲良くないから心配いらないって言うのは不謹慎だよ」
「う。いや、その、ごめん。さっきのはその、言葉のあやと言うか・・・・気をつけます」
「うん、それでよし、だよ」
「・・・反省の代わりに、たいやきを奢らせていただきます」
「え?・・・うんっ!ありがたくそうさせてもらうよっ」
「って、カステラ食べたばかりだった。いいの?」
「ほら、別腹ってやつだよ」
「太るよ」
「うぐぅ。自分から誘ったくせにー」

こうやって、その一日は過ぎていこうとしていた。
二人で何処かに行くことはできなかったけど、一緒にいられたことにはかわりない。
これで、終われば、今日は本当にいい一日だっただろう。

だが、そうはいかなかった。

どんなに楽しい日でも、黄昏は訪れ、宵闇は必ず世界を包むのだから。


「暗くなってきたね」

赤は消え、黒が世界を支配しつつあった。

「ボク、暗いのは、ちょっと・・・」

あゆは浮かない顔をしていた。

「そうなの?僕は暗いのは割と好きなんだけどな」
「そうなんだ・・・」

すべてを覆い隠すこの時は決して嫌いではなく、僕にとっては好ましいものだった。

・・・僕らは、あの後、たいやきを買ってじっくりと味わっていたのだが、そうしている間にいつのまにか、日が沈んでしまっていた。
あゆが言うには、駅の方まで送ってくれれば一人で帰れるということらしいので、僕は紳士のたしなみとしてそこまで送ることにしたのである。

「しかし・・・結構遠いな・・・きつくない?」
「うん、大丈夫だよっ」

元気に手を上げるその姿を見る限り、こっちの心配は無用らしい。
元気で何よりだが、頼りがいを見せたい僕としては少し悲しい。
はあ、とため息をつく。
それは、白くて、眼鏡越しの僕の視界を少しの間遮った。
そして、その白さは、夜の深まりを僕に実感させた。

「あ、学校だ」

最短距離としての駅への通り道なので通る事は承知していたが、ふと視線をやった先に、僕の通う学校が静かに存在しているのを見て、自然に声が出てしまった。

「ここが、キミや祐一君の通う学校?」

あゆは僕と同じ方向に視線を向けて言った。 その興味津々に聞くさまが可愛くて僕は思わず苦笑した。

「ああ、そうだよ」
と僕が答えかけた、その時だった。

・・・・・・・・ガシャ・・・・・・・ン・・・・・!

静かに。
だが、はっきりとその音は僕の耳に入ってきた。
あゆも聞こえたらしく、不安げに僕の側に身を寄せてきた。
普段なら、あゆが近くにいることを喜ぶべきことなのだろうが・・・

・・・ガシャァァァ・・・・ン・・・・!

より近くでその音が響いた。
喜んでいる場合ではないらしかった。
「何かが起きてるのか・・・?・・・ってあゆ、どこにいくんだよ!」

僕が思案している間に、あゆは校門の格子の隙間から中に入ろうとしていた。

「もしも誰かが怪我してたら大変だよ!だからいかなきゃ・・・」
「泥棒とかの可能性もあるよ。危ない」

僕のカンが危険だと告げていた。
自慢じゃないが、僕の勘はあまり外れた事がない。
だが、あゆは首をブンブン横に振って答えていた。
必死だった。

・・・・・仕方ないか。

かくて、僕らは夜の学校に侵入することになったのである。

そこが、僕らの一度目の別れの場所になるとも知らず・・・

    続く。


第10話〜彼らの休日、彼女らの見解・常闇編・後編〜へ

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