Kanon another1”snowdrop”第10話



〜彼らの休日、彼女らの見解・常闇編・後編〜



「・・・・・・・」
「・・・・・・・」

僕とあゆは、ただ無言で夜の校舎をさまよっていた。
とりあえず、音のした方向へと進んではいるが・・・

(しかし・・・)

夜の校舎は、昼間とはまるで別の顔をしているように僕には思えた。
校内を走る、刃物を突き付けられたような空気、ここにいることを拒絶するような冷気。
まったくもって、”異質”だった。
ここでは何が起こっても不思議ではない・・・そんな気にさせた。
その雰囲気に飲まれているのか、あゆは僕の手をぎゅっと握って離れようとはしなかった。
手袋越しのその手はとても小さく、僕の気を引き締めさせた。

正直、あゆは帰らせようと思っていたのだが・・・

「暗いのはいやなんだろ?無理はしない方がいいよ」

すると、あゆは少し恥ずかしそうに言った。

「紫雲君もいくんだよね?だったら、我慢できるよ」

五分前の会話である。
・・・ああ言われると何も言えなくなる自分が悲しかった。

・・・・タ・・・・タタタ、タンッ!

「・・・!」
「紫雲君!」

あゆにも聞こえたようだ。
何かが、走り、地面を蹴る音・・・!

「・・・上か・・・・いくよ」
「う、うん」

ここまで来た以上、ここで何が起こっているのか、僕も知りたくなっていた。
恐さからなのか、天然なのか、転びそうになるあゆをサポートしつつ、僕らは上の階へと進んでいった。
それにしても・・・と思う。
他者を排除するような空気に期待と不安が交ざっているような感覚。
これはまるで。

「RPGのダンジョン進んでるみたいだな」
「あーるぴーじーってなに?」
「・・・気にしなくていいよ」

時々思うのだが、あゆは高校生にしてはあまりに無知なところがあるような気がしてならない。
というより、あまり学校のこととか日頃のことの話を聞いたことがない。

(今度聞いてみるか)

などと僕が思ったその時だった。

「・・・・・っ!?」

何かの濃密な気配が突然、そこに現れた。
いや、そこで獲物が来るのを待っていたのか・・・・・!?

(やばいっ!)

”何か”を感じ取った僕は反射的にあゆを押し倒し、床の上に転がった。

あゆがいつもの口癖を言う暇もなく。
僕がこの床の冷たさを感じる間もなく。

ガッシャアアアアアアンッ!!

僕らの真横にあったガラスが砕け散った。
とっさに、その破片からあゆを守る。
・・・あゆも僕も大きい破片が刺さることもなく、何とか無事だ。

「大丈夫か!?」
「う、うん」

僕は即座に立ち上がり、あゆの手を引いて立ち上がらせ、そのまま走りはじめた。

「ひゃっ!?」

あゆが悲鳴を上げるが、そんなことを気にしている場合ではない。
案の定、走る僕たちの後ろに”何か”がピッタリとついてくる。
姿が見えずとも、その程度気配で分かる。

「ねえっ何が起こってるのっ!?」

あゆが悲鳴にも似た声を上げた。
その息は、もう上がりはじめているが・・・!

「何も考えなくていいっ!とにかく走って!」

僕にもさっぱり分からないことを説明できるはずもない。
今はただ、逃げの一手だ。


(・・・ほんとにそうか?)


何かが囁いているような感覚。
そして、気づく。
握り締められた、拳の形の手に。
走っている内にこうなったわけではない。
その握りは、人を殴る形だったから。

「っ?!」

慌ててそれを解く。
コレは二度と使わない・・・そう決めたはず・・・

「紫雲くんっ!!」

あゆの声ではっとなった。
一瞬僕は惚けて、スピードを落としてしまった。
無論手は握ったままなので疲れ切ったあゆのスピードも・・・

「しまっ・・・!あゆっ!」
「へっ!?」

背後から何かの衝撃が空を走って迫る!
その狙いはあゆだ・・・!

(くそっ!!)

何とかあゆを庇おうとするが・・・間に合わない・・・・・!!

その刹那。

光が、抜けた。
あゆと、その何かの間を。
僕とあゆは動かすべき足を止めて、その後ろ姿を見ていた。
僕らを庇うようにして立つ、その姿に僕は見覚えがあった。

「・・・・・・・・・・・舞、さん?」

そう、そこには。
食い逃げしたあゆを捕まえるのを手伝ってくれた、女性の一人が剣を構えて立っていた。

・・・その時、僕は、なんとなく理解していた。
さっきの何かが走る音は舞さんのもので、彼女はここに巣くうモノと戦っている者なのだ、と。

その彼女・・・舞さんはこっちを見ようともしないままで静かに告げた。

「・・・あぶない。逃げた方がいい」  
「こっちもできれば、そうしたいんですけどね」

そう言って、僕はさっきまで僕らが進もうとしていた方を見た。
不覚にも、”その事”に気がつかなかった。

「いき・・・どまり・・・」

あゆが乾いた声で、ただ呟いた。
逃げ場は、どこにもない。
目の前の何かをどうにかしない限り。

・・・舞さんの手助けをするべきだ。

それがこの場を切り抜ける策としては可能性が一番高い。
その事は頭で解っていたし、多分、不可能ではない。

だが、そのために、再び握ってもいいのだろうか、拳を。
あの、全てを傷つけてきた、拳を。 ・・・どうすればいいのか、解らなかった。

手が、揺れる。
(震えているのか、僕は?・・・いや違う。この震えは・・・・・)

それは、僕の手を握り締めたままのあゆの震えだった。

それが、この全てを語っていた。
この異常な状況のことも。
今、ここにいる皆が危ないということ。
あゆが、恐がっていること。
そして、あゆが僕を頼っているということ。

ここに相沢君がいれば、あゆは彼にそうしただろう。
だが、ここには、あゆにとっては見ず知らずの女性と・・・僕しかいない。
いないのだ。

僕は空いていた右手を、自分の手を見た。
どうしようもない罪に塗れた手。
かつて正義が宿っていた手。
いまはなにもない手。

・・・だけど。
この手は、あゆと一緒にたいやきを食べ、相沢君の手伝いをした。
そう思うと、悪くはないような気がした。

この手を使いこなせるのは、僕だけだ。
使い方を選ぶのも。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・僕は。


「・・・・・・・・・・・・・あゆ。これを預かっていて。頼むよ」

僕は眼鏡を外して、あゆの手に握り締めさせた。

「・・・紫雲君?」

戸惑う、あゆ。

「大丈夫、すぐに終わるから」

そう言って不似合いな笑みを浮かべた。
あゆの震えを少しでも抑えるために。

あゆは元気な子だ。
そのあゆを・・・こいつは怖がらせた。

「許すわけには、いかない・・・・・!」

あゆを壁際まで下がらせて、僕は前に出た。
そして、拳を、握り締めた。
今を、守るために。

舞さんの横に、僕は進み出た。
舞さんは剣を、僕は拳をそれぞれ構えた。

「あなた、何者?」

振り向きもせず、舞さんが問う。

「只の正義の味方モドキ・・・ですよっ!」

そう答えると同時に、気配のした辺りに拳を叩き込む。
迷いやブランクを多分に含んだ一撃だが、手応えはあった。
しかし、あまり効かなかったらしく、反撃だと言わんばかりに僕を衝撃が襲った。
弾き飛ばされ、壁に叩きつけられるものの、反射的に身を引いていたので殆どダメージはない。
むしろその攻撃を食らったお蔭で感覚が戻ってくるのを感じていた。
昔の、感覚を。

僕が体勢を立て直している間、舞さんがフォローしてくれていた(当人にそのつもりがあるのかわからないが)。
その身のこなしは速く、洗練されている。
彼女が歴戦の勇士であることを雄弁に語っていた。
銀光が閃く。
だが、これはあくまで牽制だ。その証拠に、その瞬間彼女は身を引き、体勢を整えている。
これを、不可視の敵で実行できるのだから、流石と言うより他ない。

「・・・さぼるな」
「すみません」

それに見とれていた僕は即座に立ち上がり、戦線復帰する。

「今日の魔物は天使さんを狙っている」
「なんでですか・・・?!」
「わからない」
「何にせよ、あゆの前に立たせしない・・・!」

その言葉が合図だった。

ヒュッ!!
銀光が再び煌く。
魔物とやらに当たった様子はない。だが、その一撃は僕に魔物の位置をはっきりと示してくれた。
僕の中の”オレ”が目を覚ます。

「るあああああっ!」

獣の雄叫びとともに、僕はそれに襲いかかった。
パンチというには、あまりに原始的な打撃。
だが、今度は効いたようだ。
衝撃の気配。

「ふぅっ!!」

ダッキングと言うには、あまりにも獣じみた動きでそれを避ける。
耳元を恐ろしいスピードで何かが通り抜けた。
あれに当たろうものなら、全治1ヶ月で済むかどうか・・・
まあ、当たらなければ、無意味だが。
そこへ、舞さんが袈裟掛けに斬りつける。
今度はそこの空間を確実に斬り裂いた。
そこへ、僕が突っ込んでいく。

「があっ!」

拳を、

「らあっ!」

何度も、

「るあッ!」

何度も、

「ガアアアアアアッ!!!」

叩き込み、止めの掌底を見えない敵に解き放った。
全力のそれは、容易に人を再起不能にできるし、そうしてきたものだ。
空間が震える。
これで決まったか・・・そう思った瞬間。
気配がおそるべき迅さで移動した。
二人の間を抜けて・・・あゆを・・・

「させるかああああああああああっ!!」

気づいた時には理性が飛んでいた。
全力で魔物を追い抜き、あゆに駆け寄る。
脅えた表情のあゆがそこにいた。
それに構わず必死にあゆを庇う。

「ざ・・・・・・・・・・・・・・せいっ!」

僕があゆを床に押し倒すと同時に、舞さんがそれを斬り裂いていた。
文句のつけようない、見事な一斬だった。
だが・・・

「・・・逃げられた・・・・」

無表情に呟く舞さんのその言葉が全てを語っていた・・・


そうして。
魔物をどうにかこうにか撃退した僕たちはこれ以上ここにいても仕方がないという舞さんの言葉に従って、校舎を出た。

「それじゃ、宜しくお願いします」

僕の言葉に舞さんは首を縦に振った。
余裕のある舞さんが、あゆを駅の方まで送ってくれることになったのである。
本来なら、それは僕の役目だった。
だが・・・

「・・・あ、そうだ。眼鏡、返してくれないかな?」
「え、・・・・・・・・あ、うん」
あゆはのろのろと眼鏡を取り出し僕に手渡そうとした。

「・・・?あゆ?」

その、あゆの手は、震えていた。

「どうしたの?」

あゆがただ心配で、僕は一歩踏み出した。
すると、あゆはびくっとその一歩分後ろに下がった。

「・・・・・・・ご、ごめん」

それだけ言ってあゆは僕の手の中に眼鏡を押し込んだ。
そして、再び距離を取った。

(・・・・ああ)

僕は遅まきながらその事に気付いた。
・・・仕方ない事だ。
心から、そう思った。

「・・・じゃ、ばいばい」

告げたそれは別れの言葉だ。
またねとは、言えなかった。
そして僕は背を向け、ただ走ってその場から逃げた。そうするしかなかった。

そこから少し離れた路地裏で、僕は壁にもたれかかった。
もう、限界だった。

「やれやれ・・・本当仕方ないよ」

その声は、その嘘は誰かにはおろか、空気を震わせることすらできなかった。
力が入らなかった。
どうやら、最初の一撃が・・・・効いていたらしい・・・いや、そうじゃない・・・のかもしれない・・・

「・・・しかし・・・・あ・・・れはなんだったんだろう」

ずりずりと背中から、滑り落ちていき・・・気がつけば雪の上に転がっていた。
雪の冷たさがどうしようもなく心地よかった。

「あの・・・お・・・んなのこ・・・なんで、あんな、ところ、に」

そう言いながら、頭に浮かぶのは・・・あゆだった。

無事で良かったじゃないか・・・そう思いたかった。
そう思わなければ、僕は・・・・・・あまりにも・・・・


「・・・?だ・・・・れ」

最後にぼんやりと人がそこに立っているのが認識できた。
混濁した意識の中、それがあゆだったらなと考えているうちに・・・

いしきは、とだえた。

   続く。


第11話〜むげん〜へ

戻ります