Kanon another1”snowdrop”第6話



〜出逢った、貴女のために〜



どんなに希望に燃えていても、絶望の淵にいても、そんなことなどおかまいなく時間は過ぎる。
それがよかったと思える時もあるし、そうではない時もある。
今回の場合は、後者だった。

『草薙さんっていい人ですね』
『いい人ね、草薙君は』

あの姉妹の言葉がリフレインし続ける。
チガウ。ちがう。違う。
あの時、僕は。



冷たい風が吹き抜ける中を僕は一人歩いていた。
たまには、違う道から帰るのもいいかと思い、人通りの少ない遊歩道を歩いていた。
その時だった。
雪が残った道の真ん中に、苦しそうにうずくまる少女がそこには、いた。

”ああ、寒いんだろうな”
”だけど、別に僕が助けなくてもいいよな”
”関係ない”

僕はそのまま、その子の横を通り過ぎた。
只の一瞥もくれずに、である。
そのまましばらく歩き続けた。
・・・人とまったく出会わなかった。
僕は不安に駆られた。
あの子は、あのままなのだろうか?
あの子を、僕は見捨てていいのだろうか?
・・・あの時のように。
いや、だめだ。
僕は元来た道を戻り、その子を病院まで運んだ。
その子は、僕が見捨てかけたことについてこう言った。

「でも、戻ってきてくれたじゃないですか」

少し、苦しみを抱えたままのその笑顔は僕を抉った。
結局、僕のエゴではないかと僕の中の僕がせせら笑っていた。



・・・そんな人間が良い人間のはずはないんだ。

僕は今日も今日とて商店街をうろついていた。
いま、家に帰りたくはなかった。
いま帰れば、只一人の家族にこのモヤモヤ、憎しみとも言えない憎しみをぶつけてしまいそうだった。
僕はその辺にあるベンチに腰を下ろし、自販機で買ったばかりのあたたかいというより熱いコーヒーを手の中で転がし、ただぼうっと空を眺めていた。
赤い空。
それを見ていると昔のことを思い出す。
この拳が赤く濡れていた時のことを。
あの時の僕・・・いやオレは”悪いモノ”を叩き潰せばそれが正義だと信じていた。
ヒーローに憧れ、自分の正しいと思うことを貫いて、誰かにちやほやされて・・・それでいいと思っていた。
そのためには、どんなものにも立ち向かっていった。
大人、子供、男、そして女・・・

『貴方なんか大っ嫌い!・・・最低よぉ・・・』

あの時、あの子は泣いていた。
そして、オレの拳は赤かった。
あの血ーあかーはいったい、誰のものだったのだろう・・・
そして、いつの間にか、”オレ”は”僕”になり・・・
拳を振るわなく・・・いや、振るえなくなり・・・
何もできなくなった、一人の馬鹿がそこにいた。

再び、空を見る。

僕はこの景色が、この世界が嫌いではなかった。
だが、時に理由無く憎みたくなってくる時もあった。
正義とか愛を詠うくせに、それ一つでは決して成り立たない世界。
正義のための暴力を時に肯定し、時に否定する曖昧な世界。
純粋な愛を美徳と言うくせに、いざ自分が目にすると陳腐だと嘲笑する世界。
それなら、なぜ正義や愛などを信じさせようとする?
すべてが嘘だというのなら初めから期待なんかさせないでくれ。

でも、悲しいかな、僕は知っていた。
それらはちゃんとそこにあることを。
自分の手には届かなくとも、そこにあるぶどうは悲しくなるほどに甘いことを。

僕は自分の考えに空しくなって、缶の蓋を開け、一口飲んだ。
・・・少し苦かった。

と、その時。
なんとなく空を見ていた僕の視界を、誰かの顔が覆い隠した。

「こんにちはっ!紫雲君・・・だったよね?」
「月宮あゆさん・・・だよね」

・・・せっかく再会できて、しかも彼女は僕のことを覚えていてくれたというのに・・・
何もこんな時に再会しなくても・・・と、僕は信じてもいない神を呪った。

「ボクのコトはあゆでいいよ」

彼女は満面の笑みを浮かべて、言った。

「・・・あゆさん」
「うぐぅ、なんか固いなー」
「・・・あゆちゃん」
「・・・なんか、キミにそう言われると子供扱いされてるみたいだよ」
「それじゃあ・・・あゆ・・・?」
「うん、それがいちばんしっくりするよ」
「・・・僕は恥ずかしいよ」

女の子の名前を呼び捨てにするのは久しぶりで、僕はなんとなく気恥ずかしくて鼻の頭をかいた。

「まあ、祐一君みたいに図々しい人ばかりじゃないよね」
「・・・相沢君とは知り合い?」

僕の言葉にあゆは心底びっくりしたような表情を浮かべた。
そのストレートな感情表現は僕らの年齢(そうは見えないが)にはふさわしくないのかも知れない。

「君こそ知り合い?」
「一応クラスメートなんだ」
「ボクは、昔一緒に遊んだことのある・・・友達・・・かな・・?」

嬉しそうに、そして少し恥ずかしそうに言った。
僕は、少し、悲しくなった。
何故かは、わからなかった。

「どうしたの?なんか、悲しそう」

黙り込んだ僕を心配してか、あゆは僕の顔をのぞき込んだ。
外面ははこんなに寒いのに、中が急激に熱くなった。
だけど、その目を逸らすことはできなかった。

「なんでもないよ。ただちょっと考え込んでただけさ」

ニコリ、と似合わないのは承知で笑ってみる。

「少し無理してない?」

・・・ホント、鋭いな。

「そんなことはないよ。・・・ね、一つ聞いていいかな?唐突で悪いけど」
「うん、いいよ」

屈託のない笑顔。
だからこそ、聞きたかった。

「君は・・・この世界をどう思う?」
「うぐぅ。すごく難しい質問だね。・・・そうだなぁ・・・」

あゆはしばらく考え込んだ後に、うん、と大きく頷いて言った。

「ボクは・・・この世界が大好きだよ。そう思ってる。
・・・って、こんな答えでいいのかな?」
「うん。十分。・・・でもどうして好きなの?」
「だって鯛焼きが食べられるもん」

・・・おいおい。
まあ、しかし。
あゆらしいといえば、らしい。

「それに」

あゆはまだ何かを伝えたいようで、僕はただそれに耳を傾けた。

「ボクの大好きだったお母さん、意地悪だけど優しい祐一君、そして、紫雲君みたいないい人がいるから・・・ボクはこの世界がとっても大好きだよ」

僕はいい人なんかじゃない・・・そう言おうと思ってあゆの顔を見た。
その笑顔には嘘はなかった。
心の底から、そう、思った。

「そっか」
「そうだよ」

僕は、あゆが言う”紫雲君はいい人”を信じてみたくなった。
できる限りでいい、あゆの信じた僕になってみたい。
なんとなく、そう思った。
・・・だから。


この全てが赤く染まる世界で・・・


「ありがとう、変な質問に答えてくれて。
・・・質問のお礼に、鯛焼きおごるよ。どう?」


どうしようもなく自分が嫌いな”オレ”は”僕”になることを自ら選び。


「えっほんと?わーいっ!」


そのきっかけを作った女の子の側に居たいと、心から思った。

・・・それは、恋という奴かもしれず。

そして、僕にとっての、世界の選択だった。



    続く


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