Kanon another1”snowdrop”第5話
〜非日常たる日常〜
今日も授業は退屈すぎて、僕はただ、窓の外で降り続ける雪をぼんやりと眺めていた。
昨日までと違うのは、考え事の内容だった。
昨日までのは、やりかけのゲームや、はまっているTV、思春期の男子にありがちな妄想、それから・・・昔の事、だったりした。
だけど、今、思い描いていることは・・・
昨日の、出来事。
何かの出来事に思いを募らせることなど久しぶりだった。
それほど、現実は僕にとって空虚なものだったのである。
(ま、あれだけ愉快なことを忘れろってのは無理な相談だな)
あの女の子のことを思うと笑いがこみ上げてくる。
「月宮あゆ・・・か」
こうやって、誰にも聞こえないように呟いてみると、恋愛ドラマのワンシーンのようだと、柄にもないことを考えていた。
しかし、僕は現実を知っている。
彼女と出会うことなどもうないし、あったとしても、向こうが覚えてはいないだろう。
・・・この思考の間中、体だけは真面目に授業を受けているように演じている僕がいた。
「ここはテストに出るからな、ちゃんとチェックしとけよ」
その言葉に反応し、まるで機械のようにただただ無感動に赤ペンでラインをひく。
そんな自分が不愉快に思えて、僕は自分とは違う綺麗なものが見たくなって、再び窓の外を眺めた。
「・・・・・?」
深々と雪が降り続ける中庭に一人の女の子が立っていた。
背格好はなんとなく月宮あゆに似ていて・・・それを抜きにしても、どこかで会ったような・・・
・・・ぽこ。
何かが後頭部に当たった。
消しゴムのカスのようだな、と推察しつつ後ろを振り向くと、そこには僕の数少ない友人の一人である、北川君がいて、なにやら前を指さしていた。
言われるままに前を向くと、僕のすぐ近くに先生が立っていた。
(あちゃ・・・まずったか)
と頭を抱えるがもはや後の祭だった。
その授業が終わってしまえば、今日は土曜日ということで下校時間となる。
さて帰ろうか、としていた丁度その時。
「運が無かったな草薙」
北川君が話しかけてきた。
その後ろには相沢君や名雪さんたちがいた。
「まあね。・・・わざわざ知らせてくれたのに、悪いね」
「ま、逆効果だったような気がするがな」
はは、と少し気まずそうに北川君が笑ったので、僕はそれは違うと、首を横に振った。
「かろうじて分かる問題だったから、よかったけど」
「わ。草薙くんって頭いいんだ。わたしだったらすぐには解けなかったよー」
「お前の場合、授業中に寝汚いから、分からないんだろ」
「わ。祐一ひどいよ〜」
「・・・・・・いいコンビだね」
「まったくね」
僕の率直な意見に美坂さんが同意した。
美坂さんはこのクラスの学級委員で、ウェーブのかかった髪が印象的な、水瀬さんとはまた違ったタイプの美人さんだ。
「・・・ねえ、草薙君。なにか外におもしろいものでもあったの?」
言外に、あなたにしては珍しい事もあるものね・・・と言っているように僕には思えた。
それに対し僕は、曖昧に笑って「ちょっとね」とだけ答えて席を立った。
「うー・・・・・やっぱ外はさみぃ」
僕は、野暮用を済ませてから、さっき女の子がいた辺りに来ていた。
別に女の子に声をかけようとは思っていない。
単なる野次馬根性からだ。
ヒュ・・・・オオオオオオ・・・・・と、なにかの鳴き声のような風が行き、過ぎた。
その風の行く先に目を向けると、そこには一人の少女が立っていた。
小柄で、肩にストールを羽織った、雪のような肌を持った・・・そんな女の子だ。
「あ、草薙さん、こんにちは」
その子はこっちを向くと僕に笑いかけてきた・・・って、おい。
「なんで、僕の名前知ってるの?」
女の子に歩み寄りながら、僕は尋ねた。
女の子はむーっ、と少しだけ怒ったような顔をした。
それがまた、何とも可愛かった。
「もーそんなこと言う人は嫌いですっ」
「いや、そんなこと言われても・・・」
「ほら、一ヶ月位前ですよ。道端で苦しんでいた私をわざわざ病院まで連れてってくれたじゃありませんか」
そう言えば、確かにそんなことがあった。
すっかり忘れ去っていた。
・・・いや、違う。
単に思い出したくなかったのだろう。
「・・・それで、病気は治ったのかい?」
それを取り繕うように、僕は話題を変えた。
美坂栞という名前と記憶しているその少女はにっこりと笑って言った。
「ちょっとまだ風邪気味なんです」
「ならなんで外に出てるんだ?しかも私服で学校になんて・・・喧嘩を売ってるとしか思えないよ。
言っとくけど、ここの番長は強いよ。熊なみだ」
「そんなこと言う人はもっと嫌いです。・・・ちょっと来てみただけですよ」
「・・・ちゃんと養生した方がいいよ」
「ご心配、ありがとうございます。ところで、草薙さんって二年生ですよね?」
風で乱れたストールを羽織り直しながら栞ちゃんは言った。
「そうだけど?」
「じゃ、相沢祐一さんって知ってますか?」
「・・・一応クラスメートだけど・・・知ってるの?」
「はい。さっきまでここにいましたよ。意地悪だけど、おもしろい人ですよね。
昨日、あゆさんって人と一緒に知りあったんですよ」
「・・・・・あゆって、赤いカチューシャして、ダッフルコート着て、羽生えてて、たい焼き持った女の子?」
「はいそうです。祐一さんと一緒においしそうにたい焼きを食べてましたよ・・・ってどうしたんですか?」
「へ?何?」
「変な顔をしてます」
「・・・そう?」
「はい。とても。
ひょっとして草薙さん、あゆさんのこと・・・?」
にこにことからかうように言われて僕は少し顔が熱くなった。
と同時に”ああ、そういう考え方もあったな”と、今更ながらに気付かされた。
そんな僕の思考など気がつくはずもなく、栞ちゃんは話を続けた。
「まるでドラマみたいですね。私そういうの好きなんですよ」
「うーん、何か馬鹿にされてる気が・・・」
「・・・そんなこと言う人嫌いです」
「あ、いや、別にその、なんだ・・・怒ってるわけじゃなくて・・・えと」
と、僕があたふたしていると、彼女はくすりと笑って、
「草薙さんっていい人ですね。祐一さんは意地悪すぎます」
「・・・それは違うよ、栞ちゃん。きっと相沢君の方が・・・」
そう言いかけた時、下校時間を告げるチャイムが鳴った。
「あ、僕、そろそろいくね。・・・早く治して学校においでよ」
・・・この時の僕は知らなかった。
この言葉があまりに残酷だということを。
栞ちゃんは、その言葉にほんの少しだけ困ったような顔を返して、
「はい、頑張ります」
とだけ答えた。
・・・栞ちゃんと別れた僕は、校舎の中に戻ると、そこからずっと僕らの様子を伺っていた人物に話しかけた。
それは本来僕の役目ではないのだろうし、キャラでもなかったが、そうせずにはいられなかった。
「・・・美坂委員長。君も一緒に話せばよかったのに。・・・栞ちゃんも喜んだよ、きっと」
僕は、彼女と栞ちゃんが姉妹であることを”あの時”すでに知っていた。
・・・まあ、今の今まではそれを忘れていたのだが。
彼女は僕の言葉に対し、いつものクールな表情で答えた。
・・・それが虚勢だとはなんとなく分かっていたが、指摘するまでもなく彼女自身が一番分かっているだろう。
「喜ばないわよ、こんな姉じゃ」
そう呟いて、彼女は自嘲の笑みを浮かべた。
「そんなに悪いのか?」
この時点で、栞ちゃんの病気がただの風邪ではないことは、とっくに気付いていたが、僕は治療に時間がかかるだろうぐらいにしか思っていなかった。
「さあ?あたしは知らないわ」
「・・・そうか」
今の僕に聞けるのはこれで限界だろう。
もとより聞く権利なんかないし、責任なんか取れないのに彼女たちの領域に踏み込むわけにはいかない。
「いい人ね、草薙君は」
彼女は唐突に妹と同じ事を言った。
「・・・違う」
それに、僕は反射的に反論していた。
”あの時”僕は。
「違わないわ。経緯はどうあれ、貴方は、栞を病院まで運んでくれたし、それがなくとも、今あたしを気遣おうとしてくれている・・その事実に変わりはないでしょ?」
僕は何も答えることができなかった。
それは彼女の言う事が正しいとかではなく、ただそれに答える事すら辛かっただけだった。
「さ、もう帰りましょう」
そう言うと、彼女は踵を返し、何処かへと歩き始めた。
その後ろ姿は、ただ、重く、辛そうだった。
それをどうすることもできず、僕はぼうっとしながらその後に続いて、いつのまにか彼女と別れて家路についていた。
”本当に優しい奴なら・・・みんなの重荷なんか簡単にどうにかしてしまえるはずだ”
その呟きを、ただ胸に抱えたままで。
・・・・・・・・・・続く。
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