Kanon another1”snowdrop”第47話



第47話 Kanon







・・・・・Kanon。

もし、この冬の街の、ささやかな物語にタイトルをつけるとするのなら・・・おそらく、そう呼ばれることだろう。

それは・・・・・








・・・午後10時48分。


「んと・・・”というわけですので、2・3日はお話できないと思います。ですが、あくまで2・3日なので心配には及びません。では、また。P・クラウドより。カプリコンさんへ”・・・これでよし」

紫雲は自室でパソコンに向かっていた。
”時間”まではどうしようもなく暇なのだから仕方がない。
そう思って、彼はチャットで知り合った友達にしばらくネット上には来れない旨を伝えるべくメールを書いていたのである。

(・・・これから起こることがどう転んでも、しばらくは書く気にも繋ぐ気にもならないだろうからなぁ)

そう思いつつ、紫雲はメール送信を実行した。
・・・それは極めて軽やかに、送信の成功を伝えた。

・・・こんなふうに簡単に全てが済めばいいのに。

紫雲は、パソコンの終了作業を手早く済ませながら、そう思った。


「・・・愚弟よ」

部屋の外からの、自らを呼ぶ声に紫雲は答えた。

「なんだよ、姉貴」
「皆が、来た。それだけだ」
「わかった」

紫雲はそう答えると、あまり座りごこちの良くない椅子から立ち上がり、皆の元へと向かった。



「よう、草薙」
北川が手をあげて、言った。
「お邪魔させてもらっているわ」
「・・・こんばんは」
「お世話になっています」
北川の言葉を皮切りにそれぞれが挨拶を簡単に済ませた。

その部屋・・・草薙家の居間には、北川、香里、佐祐理、舞、美汐、真琴、命、そして紫雲の総勢8人が集まっていた。
さすがにこの人数では、割と広いこの部屋も狭く感じられた。

「それじゃ、もう一度確認しておこうか」

皆を見回して、命は口を開いた。
その表情は穏やかだが・・・その眼だけは真剣そのものだった。

「・・・これからやることは、正直あまりおすすめできないことだ。・・・それでも・・・」

「・・・二度手間はやめましょう」

部屋の隅で、布団に横になったままの真琴のそばに座っている美汐が命の言葉を遮った。

「皆さんは、覚悟を済ませてここにいらっしゃっているのでしょう。もう、問う必要はないと思います」
「天野さんの言うとおりです、命さん」
「だよな」

舞、佐祐理も、それに同意して頷いた。

紫雲はそれを眺めつつ、数時間前のことを思い出していた・・・






・・・午後4時38分。


「・・・命を、救う?・・・そりゃ、姉貴は医者だから・・・・当然かもしれないけど・・・」

紫雲は言葉に詰まった。
”できることとできないことがある”とは言いたくなかったからだった。
そんな紫雲を見て、命は笑った。

「まあ、お前の言わんがすることは分かる。
・・・・・だがな、私はただの医者ではない」

そう言うと命は、真琴に歩み寄ると、右手をその頭にかざした。
その次の瞬間。
右手が光に包まれた。

「・・・・・!」

その場にいた全員が息を飲んだ。

その光が一際強く輝いた後、辛そうにしていた真琴の表情が少し和らいだ。

「・・・私は、法術という力を行使できる存在だ。・・・今まで黙っていて悪かった」

命はそう言うと真琴の頭を撫でて、微かに微笑んだ。

「すまないな。愚弟を助けてくれた君なのに、私はこの程度しかしてやれない」
「あう・・・」

真琴はそう言って首を横に振った。

「・・・そうか、許してくれるのか。ありがとう。
・・・・・さて。話がそれてしまったな。
私には、この力がある。この力は今のように人を癒す力もある。これを駆使すれば皆の力になれるだろう。・・・多少でしかないかも知れんがな」
「・・・待てよ。それは姉貴をかなり消耗させるんじゃないのか?」
「・・・ふ・・・・珍しく鋭いな。だが、それがどうした。
消耗と、喪失。
どちらを選ぶべきかは分かりきっているだろう」
「・・・・・っ・・・・・」

その命の言葉に、紫雲は何かを言いかけた口を閉じた。

・・・紫雲にしてみれば、それで姉が苦しむのは見たくなかった。
が、そのために皆を見殺しにするのか、といえば否でしかなかったから、何も言う事ができなくなったのだ。

「・・・・・待って」

それに口を挟んだ者がいた。
・・・川澄舞、その人だった。

「そういうことなら、私も手伝う。・・・私も、同じような力を持っているから」
「・・・・・そうだったな。そう、聞いているよ。だが・・・」
「・・・命さん。舞に手伝わせてあげてください」
「佐祐理・・・?」
「佐祐理君・・・・・」

皆に注目された佐祐理はいつものように笑って言った。

「一人よりも、二人。何をするにしても一番の方法だと思いませんか?」

「・・・・・・・ふふ。Simple is bestとはよく言ったものだな。分かった。ならば頼むことにしよう。
だが、これ以上話を進める前に尋ねたい事がある。・・・香里君」

「え・・?あ、はい」

いきなり話を振られ、彼女にしては珍しく戸惑いながらの返答となった。

「・・・以上の話を踏まえて、だ。
君は、栞君を、彼女の命を救いたいか?」

「・・・・・え・・・・・・?」

その表情が、困惑と驚きと期待と不安に満ちていく・・・
そんな香里に、命はなおも問い掛けた。

「どうだ?」

香里は、ついと顔を伏せていたが、やがて意を決したのか、ゆっくりと顔を上げた。

「・・・あたしは、正直あなたの法術も川澄先輩の”力”も今信じろと言っても信じることはできません」

「・・・・・・・」

「でも、あなたという人間を信じることはできます」

「・・・・・どんなことでも、できるか?」

「・・・栞を救うことができるのなら。あたしには、何もいりません」

静かに、二人の視線が交錯する。

「・・・・・分かった。その代わり頼みたいことが二三ある。今は一つだが」
「はい」
「そのような自分の命を軽視するような言葉を、これから先の人生で口にすることを禁じる。
・・・それすら守れないなら、私は何もしないぞ。いいな」
「・・・・・よく、分かりました」
「それで、いい。
・・・では、舞君は、秋子・・・水瀬名雪君の母上にして相沢祐一君の叔母にあたる方だが・・・その人のことを頼めるか?」
「・・・・・分かった」
「それで・・・真琴君の事だが・・・・」

命はそう言って、美汐と真琴の二人に向き直った。
すると、美汐は首を横に振った。

「真琴のことは心配ありません。お二人は栞さんと、その方のことだけを考えてください。」
「・・・美汐ちゃん・・・・どうして」

美汐の言葉に戸惑う紫雲に、彼女は微笑んだ。

「・・・・・真琴は・・・・・ただの風邪ですから。私が付いていれば治ります。
そういうものです」

今までの真琴の様子からただの風邪だと言うのは明らかに嘘だという事はこの場の全員が悟っていた。
そして、そのことは美汐自身も知っていた。
それでもそう言ったのは、皆を困らせたくないという想い・・・そして、何より、これは自分と真琴で乗り越えたいことだと、美汐自身が心の底から思い、それに”真琴”も同意したからだった。

「いいのか、み・・・」
「・・・姉貴」

何かを口にしようとした命を紫雲の言葉が覆い隠した。

「・・・・・ただの、風邪なんだ。心配はいらない」
「草薙・・・」

紫雲は真っ直ぐに、美汐を見詰めた。
美汐はそれに応えて、その視線を受け止めた。

「・・・・・まかせて、いいんだよね」
「はい、もちろんです。・・・ただの風邪、ですから」

・・・その後。
皆それぞれの家へと一時帰ることになった。

真琴はその体調・体力のことを考えて、草薙家に寝かしておくことになった。それを見守る、美汐と共に。

そして、必然的に、二人は向かい合っていた。


「・・・・・姉貴、なんで・・・そんな力があると、教えてくれなかったんだ?」

真琴を三人で運んだ後、紫雲は話があると、命を玄関先に連れて行った。
命は何も言わず、黙ってそれに従った。
・・・そして、紫雲は開口一番そう言った。

紫雲は、悔しかった。

その力があれば、使いこなせれば、今だって皆の力になれるのに、と。
姉貴ばかりに苦労をかける必要が、今も昔もなかったかもしれないと。

命は紫雲から顔を逸らし、夕陽の方向を見詰めたまま、答えた。

「・・・・・すまないな。私の、わがままだ」

「それって・・・どういう・・・・?」

「・・・それ以上も、以下もないさ・・・・」

長くも短くもない、命の髪が一陣の強風に揺れた。
・・・それでも、命は微動だにせず、ただ夕陽を眺めていた。


・・・・ややあって。

命は振り返り、逆にこう尋ねた。

「お前は、私を恨まないのか?」

「・・・・・・・・・・・・・」

「気付いているのだろう?お前の記憶に封印をかけたのが、私だと」

「・・・姉貴が・・・・・僕を思ってやったことだ。それを責めるなんて、僕にはできない。
その資格も、権利も・・・ない」

「・・・・・そうか」

そう言うと命は、紫雲に歩み寄り・・・その身体を抱きしめた。

「済まない・・・こんな、姉で」

その声は震えているような気がした。

「・・・親らしいことも、姉らしいことも、してやれないな、私は」

温かなそれに包まれたまま、紫雲は言った。

「・・・親らしいってなんだよ。姉らしいってなんだよ。んなの関係ないさ。
草薙命が、草薙紫雲の家族であることに、間違いはないんだからな。
それこそ、それ以上も、それ以下もありはしないさ」

「・・・・・・・ありがとう」

「・・・・・姉貴らしくねーよ。姉貴はいつでも偉そうに、俺を叱ってくれなくちゃ、困る」
「・・・ふふ、そうだな」

二人の体が、離れる。
だが、紫雲には離れたような気はしなかった。

・・・それが照れくさくはあったが。

「だがな」

命は背を向けて、家の中に入ろうとする紫雲にこう言った。

「・・・もう、私がお前を叱る必要はない。・・・そんな気がするよ」





・・・午後11時38分。

・・・今からのことを確認した一同は、大仕事の前の夜食をほうばった。
佐祐理作のお弁当・・・そのゴージャス版に、皆舌鼓を打った。
その後の食休みは皆で雑談を交わし、しりとりなどをして、適当に時間を潰した。

その時間のなんと楽しいことか。

その場にいた全員がそう思わずにはいられなかった。

それは束の間ゆえの夢なのか。

夢でしか、ないのか。


(違うさ)


紫雲は、思う。


(これがずっと続くための、そのための力に変えるための、思い出なんだ)


これをもっともっとにぎやかにするために。


紫雲は、皆は立ち上がる。




「じゃあ、私たちは行く。美汐君も真琴君も気をつけるように。愚弟もな」

雪が降り始めた中、草薙家の玄関先で命がいつもの偉そうな・・・でも何処となく優しげな口調で言った。
その後ろには、北川、香里、舞、佐祐理を連れている。

その向こう側には、眠った真琴をおぶさった美汐が立っていた。
真琴の背には寒くないように紫雲のコートがかぶせられている。

その両者からつかず離れずの距離に立つのは・・・言わずもがなの草薙紫雲。

「そういう姉貴たちもな。気をつけてくれよ、本当に」

「ふ・・・任せておけ」

「こっちは心配いらないぞ」

「あなたも、頑張ってね」

「紫雲、負けるな」

「佐祐理たちも、頑張りますから」

「・・・ああ。栞ちゃんと秋子さんによろしく。美汐ちゃん、真琴ちゃんをよろしくね」

「はい。任せておいてください」

紫雲はそれに頷くと、真琴の頭を撫でた。
・・・それは、見ようによっては、別れの挨拶にも、ただ名残惜しく思っているようにも見えた。
真琴は眠ったままだったが、どこか心地よさそうだった。



「・・・それじゃ、また明日」




その紫雲の言葉を合図に、皆それぞれの進むべき道へと、歩み始めた。

その足の向くべき先は違っても、皆求めるものは、同じだった。









紫雲は、ゆっくりと歩いていった。

・・・急ぐ必要など、ないから。

雪の降る夜空を、その冷たさを感じながら、紫雲はポケットに入れた”それ”を取り出した。

あの日、あゆにもらった・・・相沢祐一の力が及ぶ限り、どんな願いも叶える天使の人形。

その姿はボロボロのままだった・・・ゆえに、それはどうしても紫雲にあゆを思い起こさせた。

・・・それゆえに、記憶を失っていた自分が憎かった・・・

(・・・いや、もうよそう。もう後悔は済ませたんだ・・・後は・・・・・)

そう。

たった一つだけ交わしていた彼女との約束・・・それを果たすだけだ。

・・・彼女はそれを忘れているのかもしれない。

だが、もうそれに賭けるしか紫雲にはなかった。


・・・今まで紫雲があゆに会えたのは、可能性が高い偶然に過ぎなかったから。
あゆが紫雲に会いに来たのであって、紫雲が望んであゆに出会えたことはなかったから。

・・・多分、いくら歩き回っても、あゆが紫雲に会う気がなければ・・・永遠に会うことはできないだろう。

人形を持ってきたのだって、少しでも不安をなくしたかったから。
今からいく、彼女がいつでも現れた場所にさえ、彼女は現れないかもしれないと言う不安を消したかった。


”待つこと”。
そうすることが、紫雲の戦いだった。


今となっては、皆が後のことは任せてと言ってくれたことが何よりありがたかった。
結果的に同じ事をすることになっていたとして、何もできないで、秋子や栞のことを思いがなら待つのはきっと耐えがたく辛かったから。

・・・だから、紫雲の心残りは・・・水瀬名雪のことだけだった。

だが、彼女のことは・・・正直に言えば大丈夫だと思っていた。
ほんの少し、心配だが・・・
・・・彼女のそばには、”彼”がいるのだから。






・・・午後10時13分。


水瀬家・・・その二階の名雪の部屋。
部屋の前には、やや不恰好な料理が盛られた皿がおいてあった。
それは、半分ほど手をつけられていた。

そして、その部屋の中で二人は言葉を交わしていた。

「・・・そりゃ、秋子さんの手料理に比べれば・・・・」
「祐一・・・出て行って・・・!」

秋子の名を口にしたとたん、名雪は強硬にそう言い放った。
一時は心を確かに重ね合わせたはずなのに・・・それが今は遠い昔のような気がしていた。

それでも、と。
祐一は自分を奮い立たせた。
今、名雪の側にいてやれるのは、名雪を助けてやれるのは自分しかいない・・・その思いが彼をこの現実に立たせていた。

秋子が倒れ、一番大切に思う少女が心を閉ざしつつあるという現実に。

「名雪・・・秋子さんがこんなことでいなくなるとホントに思ってるのか・・・?!」

「じゃあ!・・・祐一がお母さんを助けてくれるって言うの・・・?!」

「名雪!」

「私・・・ずっとお母さんと一緒だったんだよ・・・!何年もこの街で・・・!この家で・・・!
ずっと二人だけだったんだよ・・・!
私・・・お父さんの顔知らないから・・・ずっとおかあさんと二人だけだったから。
でもお母さんがいてくれたから寂しくなかったんだよ。
今まで頑張って来れたんだよ・・・それなのに・・・」

「・・っ・・・」

「・・・・これで私は一人ぼっちだね・・・」

「一人ぼっちなんかじゃないだろ名雪は・・・!
学校に言ったら友達がたくさんいるだろ・・・?
香里だっているだろ・・・?
北川だっているだろ・・・?
草薙だって、いる・・・
今はいないけど・・・家に帰れば、真琴だっている・・・・・!
それに・・・俺だって・・・・ずっと・・・一緒にいるだろ・・・
それに・・・秋子さんだって絶対に帰ってくる・・・!」

「祐一・・・奇跡って起こせる・・・?」

「え・・・」

「駄目なんだよ、祐一・・・私、もう笑えないんだよ・・・笑えなくなっちゃったよ・・・私強くなんてなれないよ・・・ずっと、お母さんと一緒だったんだから・・・ずっと・・・二人で頑張ってきたん・・・うう・・・・・ううう・・・・・」

それだけ言うと、名雪はただ泣き崩れた。
祐一は何かを言うことさえできず、そこに佇むしかできなかった・・・





・・・午後11時43分。

”その場所”への道のり・・・それは決して遠いものではなかった。
・・・あゆとの想い出は、全て、この街で紡がれたものだから。

雪が舞う中で、僕はただ進んでいく。
その手には、人形が握られていた。

その吐く息も、肌に刺さるような冷気も、僕にとっては、馴染みのあるものだ。
でも、今年のそれは・・・・・少し、あたたかいような気がしていた。
そんな、はずはないのに。

僕は、思わず笑っていた。
そんな場合じゃないはずなのに。

それはきっと・・・信じられる人がいるから。

(この人形を持っていると・・・そう思えてきたよ、あゆ)

最後まで笑っていられる強さを知ったから。

だから、もう。



「・・・・・お前にもきっと、負けないよ」

「・・・気付いて、いたのか・・・・」

紫雲の言葉に応えるように。
二人の人影が紫雲の前に立ち塞がった。

群瀬剣、黒野真紀。

「・・・・・ここで、終わりにしよう。もう、これ以上は・・・悲しくなるだけだから」

「・・・フン、はじめて意見があったな」

「・・・剣・・・・・紫雲・・・・」

「真紀、もう引けないんだよ・・・僕も、剣も。
・・・さあ、はじめようか」





・・・あけて、午前2時19分。

「・・・・・ん?」

今日は夜勤で、病院で過ごす事になっていたその男性医師は、廊下を通る足音に気付いて席を立った。
廊下に出ると、そこには見慣れた顔がいた。

「・・・草薙さんじゃないですか。どうしたんです?」

この病院で三本の指に入る医療技術を持ち、その容姿・人格で患者、病院関係者問わず好かれている女医、草薙命がそこにいた。

その草薙はばつが悪そうな顔で頬を掻いた。

「・・・うむ、まあ、なんだ」

その年若い医師が、その命の仕草に何気に見惚れていたとき。

「・・・すまないな」
「へ?」

その医師が間抜けな声を上げた次の瞬間。

どご。

鈍い音がその辺りにのみ、微かに響いた。

「よし、ナイスだ二人とも。とりあえず猿轡かましてロッカーに叩き込んでおこう」
「・・・鬼だな」
「・・・自分も手を下しといてそういうこと言わないの」

北川と香里は、てきぱきとその医師を縛り上げ、ロッカーに閉じ込めた。
とどめに命が鍵をかける。

三人はロッカーに向かって手を合わせて、謝罪の意を示した後、廊下に戻った。

そこには、移動式のベットがあり、その上には一人の少女が横になっていた。

「・・・・・お姉ちゃん・・・大丈夫?」
「・・・大丈夫よ、栞」
「むしろ、あの医者を心配した方がいいと思うぞ」
「北川さんの言うとおりかもしれないですね」

そう言って栞は笑ったが・・・その笑い顔には幽かに苦痛が混じっていた。
それに気付いて・・・でも”知らない”ことを決め込んだ北川は笑って言った。

「そうだぞ。君の姉さんが情け容赦もない一撃を浴びせてたんだからな」
「き・た・が・わ・く・ん・・・・・あなたも同じ目にあいたいのかしら・・・?」
「滅相もない」

そんなやり取りを見て、また栞は笑った。
苦痛はあった。
でも、笑うという行為が、その”痛み”を打ち消していた。

そんな三人を見て、命もまた笑った。
そして、思う。
自分の決断は間違っていなかったと。

「・・・さあ、行こう。あまり時間はないぞ・・・」

その命の言葉で、表情を引き締めた北川と香里はなるべく音を立てないように、ベットを押して進み始めた。

その行く先は・・・・・手術室だった・・・・・




・・・同時刻。
北川たちからかなり離れたその場所・・・水瀬秋子と書かれたプレートの部屋の中に、彼女はいた。

彼女・・・舞は静かに、その人物・・・秋子を見下ろしていた。

秋子は体中に包帯を巻き、その肌が露出していたのは顔くらいでしかなかった。

そんな顔を見て、舞が秋子に抱いた第一印象は”似ている”だった。

今も昔も、それと気付かずに自分と友達になってくれた相沢祐一に。
まだ一度しか顔をあわせたことのない、水瀬名雪に。
そして、自身の母親・・・これは顔ではなく”匂い”、もしくは雰囲気が・・・・に。

水瀬秋子という人はとてもよく似ていると、彼女は感じたのだ。

そして、だからこそ、救いたい・・・・そう強く思った。

その思いをこめて、舞は自分の手を、秋子にかざし、意識を集中し始めた。

その部屋の締め切ったドアの辺りからそれを眺めている少女がいた。

その少女・・・佐祐理は、それを眺め、その成功を祈りながら、周囲の気配や物音にも気を配っていた。
・・・彼女らは家族ですら面会謝絶の重傷者の病室に入っているのだ。
もし見つかってしまえば・・・その後は想像に難くない。

舞は集中していて、周りには気を配れないだろう。
だからこそ、佐祐理がそうすることが必要だった。

(舞の邪魔は、絶対にさせません・・・)

その固い決意と共に、佐祐理はいつ何が起きても対応できるように、舞とは違う意味で意識を集中していた・・・




「・・・う・・・・ふう・・・・・ふう・・・・・」

荒い息。白い息。
それを兼ね合わせた息が、ただ美汐の口から溢れ、宙に散っていく。
背中に背負った真琴が揺れるたびに、彼女の身体は悲鳴を上げた。

真琴は決して重くはない。
だが、どちらかと言えば非力な美汐にとっては、自分と同じくらいの体重の女の子を背負うこと自体が無茶なことだと言えた。

さらに言えば、彼女たちが目指す場所への道は決して穏やかとは言えなかった。

・・・進む道を遮る枝で頬を微かに切った。
・・・登り道に積もった雪は、転ばないように歩を進める美汐の足に負担をかけた。

それでも進もうとするのは何故だろう?

美汐は自問自答してみた・・・が馬鹿らしくなってやめた。

そんなことは分かりきっていたからだ。

あの過去を繰り返したくはないから。

自分と同じ思いを祐一を始めとする彼女の家族たちにして欲しくなかったから。

そして、なにより。

背中に背負う、この少女の明日のために。


こんなに優しい、いい子が明日という日を迎えられないかもしれない・・・そんな理不尽を許せなかった。

だから。

「頑張りましょうね、真琴。二人で」

美汐はそう呟いて、さらに脚を前へ前へと踏み出していく。
その足取りは頼りなく・・・そして、力強かった。

・・・しかし、美汐は気づいていなかった。
自分たちを追う、小さな影の存在に・・・





・・・・・時は戻って、午後11時45分。

ガッ!!

「くうう・・・・!」
「はああ・・・・!」

紫雲と剣の二の腕がぶつかり合う。
・・・がそれも一瞬。
剣が強引に押し切り、紫雲を弾き飛ばす。
紫雲はたたらを踏んで、体勢を立て直そうとする・・・が、それよりも速く、剣の追撃が入る。
それをまともに受けて、紫雲は雪の上を転がった。

「・・・そんなものか?!お前の全力はそんなものなのか?!」

・・・二人の戦いは前回と大差ない展開だった。

剣の攻撃の前に紫雲は防戦一方だった。
いや、それは正確ではない。
防戦しきれていなかったからだ。

「何が、”お前にも負けない”だ・・・!昔のお前はこんなものじゃなかったはずだっ!!」

「・・・・・」

紫雲は何も答えないまま、ただ倒れ伏していた。

その姿に、剣はただただ失望し、怒りを覚えた。

ふと、真紀に目をやると、彼女はその戦いから目を逸らしていた。

その事は剣の苛立ちをさらに募らせた。


・・・昔。
あの時は。
俺が倒れた、あの時は。
全てを見届けていたのに。

・・・それが決まりきっていたことだったからだというのか。
・・・それでも、俺が傷つくことに変わりはなかったはずなのに。


そう、思うと、剣は自身の中から吹き上がる黒い感情を抑え切れなかった・・・

「もう、いい・・・・もういい・・・・・・完全に終わりにしてやるよ・・・!お前の望みどおりにな!」

そう声を上げると、剣は倒れたままの紫雲にゆっくりと歩み寄っていった・・・





・・・・・??時??分。

一人の少女が、森の中で膝を抱えて座っていた。
その目は虚ろだった。
その表情も、それと同じく虚ろだった。

もう、誰にも会えないから。
会う事は許されていないから。

そんな少女の体が・・・風景に解け消えていく・・・・・

少女は、虚ろだった。
でも、恐怖した。

もう、消えてしまう・・・

何も残せないままに。

誰の心にも残らないままに。

「いやだ・・・・いやだよ・・・・・ボクは・・・ボクはぁっ・・・・!!」





Kanon。
その意味は、聖典。
だが、それはこの物語に相応しい意味ではない。


Kanon。
その意味は・・・追複曲。


同一の旋律が繰り返され・・・


・・・それはループするこの世界・・・


その旋律に対し、一つ・・・また一つと新たな旋律が生まれ、先を行く旋律を追いかける・・・


・・・それは、数々の、少女の数だけ存在する物語・・・


そんな、形式の、楽曲。


・・・幸せで埋まらない限り続く、そんな物語・・・





だから、まだ。





・・・追複曲は終わらない・・・・








・・・続く。


第48話 snowdrop〜待雪草〜へ

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