Kanon another1”snowdrop”第42話



第42話 モラトリアム(前編)






・・・それは、終局の始まり。






「・・・では、私たちはこれで」

赤く染まった病院の廊下で、振り返りざまに美汐は言った。
栞もぺこりとお辞儀をする。
二人の目には、強い意志の力が宿っていた。
命は、目を細めた。
眩しかったのは差し込む夕陽か、それともそんな二人の輝きか・・・

「なあ、君らはいつの間にそんな顔をするようになったんだ?」

だから、なのか、思わずそんなことを尋ねていた。
問われた二人は顔を見合わせると、首を傾げた。

「・・・そんな顔と言われましても・・・・」
「どんな顔なんです?」

美汐と栞が交互に言った。
ふっと命は笑った。

「そうだな。真っ直ぐで、強い顔だよ」
「・・・・・そんなつもりはありませんが・・・」
「でも、もしそうだとするなら、それはやっぱりあゆさんと紫雲さんのおかげなんです」
「・・・愚弟たちの?」
「はい。何をするにしても一生懸命で・・・」
「いつだって自分よりも人のことを考えて・・・少なくとも、紫雲さんはそんな人です。・・・あまり話してはいませんが・・・あゆさんも同じモノを持っていると思います」
「・・・それは、”力”で見たモノか?」

そう問い掛ける命に、美汐は首を微かに横に振った。

「いいえ。そんな必要はありませんでした。あの二人に触れると・・・不思議と、伝わってくるのです。人を思う気持ちが。
それはともすれば、人に嫌われたくないという弱い気持ちになってしまうような・・・でも、そうはならないような、壊れそうな、潰れそうな、でも何より強いような・・・そんな気持ち・・・」
「あの二人は、何も考えずにそれができてるんですよ。・・・それって、本当の優しさだと思うんです。
だから、私は、そんなお二人が好きなんです」

にっこりと笑って語る栞。
本当は、今こうしている間にもその命を擦り減らしている。
それでも、この少女は弟たちのために自らの命を使おうとしているのだ。
「そうか・・・愚弟は・・・幸せなのだな。君らにこんなに慕ってもらえるのだから」

そう、搾り出した言葉は、嬉しさと、申し訳なさとを込めたものだった。



その頃、紫雲は。

「紫雲さん・・・結構重いね」
「・・・はちみつくまさん」

人通りが少ないその道を、情けなくも、女性二人の肩を借りるような感じで引きずられていた。

ぐらっ

「は、はえ・・・ふう」

佐祐理はその拍子に紫雲の横顔を見ることになった。
今さっきついた傷もあるが・・・よく目を凝らすと、細かい傷が顔のところどころについていた。
それは、おそらく紫雲がさっきのように戦っていた頃の名残なのだろう。
今、目をつぶっているその顔からは想像もつかないような人生を生きていたのだ・・・そう思うと、なんだか頭を撫でてあげたくなった。

(よく、頑張ってるよね)

弟にするように、そうしてあげたいと思った。

佐祐理にとって、紫雲は頼りになる友人であり・・・同じような痛みを持つ”仲間”でもあり、弟のような存在だった。

あの時、病院で紫雲と再会したとき、紫雲が見せた微かな弱さ。
それは、目覚めたばかりの紫雲が無意識に出してしまった気の緩み。
そうさせたのはまぎれもなく、佐祐理の持つ優しさであり、紫雲自身が佐祐理に自分と同じモノを感じ取り”この人なら”と心の何処かで思ったせいでもあった。

その瞬間、佐祐理は自分よりも強いのに、自分に頼った紫雲に一弥とは違った”弟”を見たのだ。
機会があって話した紫雲の姉である命が語った紫雲の過去・・・姉に構ってもらえなかった頃のこと・・・を知って、よりそう見る様になっていた。

「佐祐理・・・」

自分とは反対側で紫雲を支えていた舞が口を開いた。

「何?舞」
「佐祐理は、紫雲が好きなのか?・・・すごく優しそうな顔をしてる」

その問いに佐祐理は笑って頷いた。

「ええ。舞と同じに・・・それに」

紫雲は、自分にも似ているが、舞にも似ている。
佐祐理はそう思っていた。
異質な力を持ち、阻害され、それでも優しさは変わらない、変えない。
何処か寂しそうなのに、自分からは決して人に甘えない。

だからこそ、放っては置けなかった。


「紫雲さんは、可愛いですし」
「・・・うん」

舞は改めて紫雲の横顔を見つめた。

(初めて会ったのは・・・あの時か)


商店街。
いきなり角から飛び出してきた少女。
そして、それを追って飛び出してきた人。
その人は佐祐理にぶつかった。
佐祐理が痛そうにしていたので、私は許せなくてその人をたたいた。
その人は怒ったけど、佐祐理が間に入って仲裁してくれた。
すると、その人は素直に謝った。
だから、私も謝った。
するとその人は笑った。
その顔はとても優しそうだった。

夜の校舎でその人と再会した。
女の子・・・天使さんを連れていた。
天使さんを守るために、その人は見せたくない自分を見せた。
私にはそれがよくわかった。
戦っているときのその人は泣いているようだったから。

そうまでして守った天使さんにその人は拒絶された。
それでも、その人は天使さんにもう一度向き直った。
それでも、その人は天使さんを守り続けた。

そして、その気持ちのままで、他の人を守った。助けた。
私を、佐祐理を、真琴を。
多分もっと多くの人がこの人に助けられたんだと思う。

自分の傷や、いろんな矛盾と戦いながら。
そんなことは普通できない。

本当に強い、そして優しい人だと、私は思う。

だから、私は、紫雲を助けたい。
・・・ともだち、だから。

そして、それは・・・天使さんも同じ。

多分、今彼女は紫雲のそばにはいない。
でなければ、紫雲があんな風になるはずがない。
昔の傷なんかに負けるはずはない。

彼女は、今何処にいるのだろう・・・?

舞は、鯛焼きが好きで、人懐っこい笑顔を浮かべる少女の顔を思い浮かべた・・・



少女は、そこにいた。
それは今と昔、現実と幻が交差する世界。
震える手をそっと見つめる。
その手袋をした手は、一瞬、その色を無くし、風景に解け消えていこうとした。

「・・・・・!」

しかし、それは刹那だった。
・・・今は、まだ。
少女はそれが分かっていた。
だから怖くて震えた。
自分はもう、何者にも触れてはいけないことを、頼ってはいけないことを知っていたから。

「・・・くん・・・・」

そのとき、少女が言の葉に浮かべたのは。

今の自分を形作った少年か。
今の自分を守り続けた少年なのか。

それを知る者は、まだいない。



・・・商店街。

「ちっ・・・なんなんだ、あの女・・・」

剣は、舌打ちとともに、やり場のない苛々を手近な壁にぶつけた。
赤いナックルガードをはめてあったその手は、その壁にひびを入れた。

「・・・やめて。手が壊れる・・・」

側に佇み続けている真紀がそう言って剣を制止しようとする。
剣は、またも舌打ちをしつつも、真紀の言葉に従った。

二人は、歩き始めた。
今日泊まることになっている剣の実家に。

「・・・・・・」
「・・・・・・・・あんなのは奴じゃない」

剣は、思い出していた。
かつての紫雲。
”紫の草薙”を。

その時、剣はたまたまそこに通りかかった。
暗がりの中、誰かが喧嘩をしている。
興味を持った剣は物陰からそれを見つめた。

それは凄惨で美しい光景だった。

たった一人の人間が、数十人を圧倒する姿。
他人の血で、自分の血でその身を赤く変えながらも、一人、また一人と打ち倒していく。
ナイフで刺されようが、何をされようが怯まない下がらない。
紫色の拳を振るう、その目には狂気が浮かんでいる。

殴り、蹴り、潰し、絞め、折り、叩き付け、咆えた。

「ぐるおおおおおおっ!!」

空気をも震わせるその叫び、その姿に、ただ見ていただけの剣も圧倒された・・・

いつも共にいた少年は自分よりも遠くに行ってしまった。
そう思った。

そして、だからこそ自分も強くならなければならないと思った。

・・・少年の傍らに立っていた少女に、自分の存在を示すために。


「・・・次だ。次こそは、あいつを倒す。
余計な邪魔が入らない場所で・・・あいつに本気を出させた上で・・・・
さもなくば・・・あいつは死ぬ・・・!!俺が、あいつを殺す・・・!!」

狂気に対抗するための狂気は、まるで全てを飲み込まんと爛々と輝いていた・・・



・・・後編に続く・・・・・


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