Kanon another1”snowdrop”第40話
第40話 君、去りし後
「・・・・・・久しぶりだな、この町に来るのも」
駅前。
多くの人が往来するそこで、一人の青年がそう呟いて、空を見上げた。
空に舞う雪が、青年の肩を白く染め上げていく。
その側には一人の女性が立っていた。
「そうね。・・・やっぱり、考え直さない?もう、いいじゃない・・・」
「いや、そういうわけにはいかない・・・男の面子がかかっている・・・
それに、奴は報いを受けるべきだ・・・」
その男の言葉に、女性の表情は暗く澱んだ。
男はそれに気付きながらもこう言った。
「・・・行くぞ、真紀。紫雲の所へ」
「・・・ええ、剣」
丘。
ものみの丘と呼ばれるそこは、昔より、妖狐がすまうと言われてきた。
多くの人は知らない。
その伝承は決して嘘やまやかしではないという事を。
その伝承の存在が、気まぐれに自分たちの前に姿をあらわしていることを。
「・・・・・・・・・・・」
そんな丘の上で、一匹の狐が広がる町並みを見下ろしていた。
その首には、ボロボロになった一枚の羽が、これまた切れる寸前までボロボロになった紐に結び付けられ、首飾りのように・・・いや、そのものなのかもしれない・・・ぶら下がっていた。
・・・その狐はしばらく町を眺めていたかと思うと、踵を返し、どこかへと消えていった・・・
夢。
夢をみていた。
それは、繰り返される現実。
・・・・・絶望の中、膝を抱え、涙を流して、何もできないでいる少女。
・・・・・逃れ得ぬ死を直視し、大切な人の傍らで雪の上に横たわる少女。
・・・・・自らの力に怯え、大切な人を傷つけた報いのために自らに剣を突き立てた少女。
・・・・・手の中から零れ落ちていく砂を必死に残そうと、鈴を鳴らし続けようとする少女。
・・・・・そして、約束を果たすために悲しみを抱えて、再びこの地に舞い戻る少女。
誰かが幸せになれば、他の全てが犠牲になる世界。
・・・・・・・誰かが、願った。
・・・・・・・誰かが、祈った。
こんな世界は、嫌だ。
・・・・・・・世界が今一度巡り始める。
回る世界を、終わらせるために。
「・・・・・・・・・・・・・・変な夢」
紫雲はそう呟いて、顔を上げた。
教室はまだ、授業中の少し張り詰めた空気が漂っている。
教師は黙々と黒板に文字を連ねていく。
その背中を見て、紫雲は欠伸した。
そして、思う。
(・・・・・・あの夢は、何だ?)
紫雲はここのところ、ずっと同じ夢を見ていた。
世界がどうこうの、妙な夢を。
見た内容は目を覚ますと、欠片程度にしか残さず、忘れてしまうのだが・・・
同じ夢を見たという事だけははっきりしていた。
(・・・羽、カチューシャ・・・・それから、ホウジュツ・・・?・・・同じ名前の男・・・)
断片だけは浮かび上がるが、それは全て揃わねば意味がないもののように紫雲には思えた。
ふう・・・
意味もなくため息をついてみる。
(・・・・・・・・・なんか、足りないような気がするんだよな・・・・・)
この夢は、それを埋めるために見ているのかもしれない。
なんとなくそんな気がした。
そして、放課後。
「じゃあね、名雪さん、相沢君、北川君、香里さん」
紫雲は一息にそう言うと席を立った。
名雪がくすっと笑う。
「そんなに言わなくても、さよならだけ言えばいいのに〜」
「それだと誰に行ってるか分からないじゃないか」
「顔をこっちに向けて言えば十分だと思うけど」
とは香里さん。
「う〜そうかもしれないけど、そうしたいんだよ」
「なら別にそれでいいな。本人がめんどくさいって言ってるわけじゃなし」
「そういう問題か?」
「・・・んじゃま、明日ね」
紫雲がそう言って、皆に背を向ける。
と、名雪がその背に問い掛けようとした。
「紫雲君、あゆちゃんはあれから・・・・」
しかし、その声が届くか否かのところで、紫雲の背は教室から消えていた・・・・・
「速いな〜」
「何か、用事でもあるのかしら・・・?」
北川たちがそんなことを言っている横で、名雪と祐一はは何故だか分からないままに、不安のようなものを感じていた・・・・
紫雲は廊下を駆けていた。
何か、急ぎの用があるわけでもなかったのだが・・・あのままあそこにいるのはまずいような気がして、思わずそうしていた。
(・・・・・変なんだよな・・・・)
首を傾げつつ、紫雲はスピードを緩め、歩きモードに移行していった。
足りない。
何かが、いない。
誰かが、いない?
「・・・・・あーくそ・・・・なんなんだ・・・・?」
「どうかしましたか?」
「っとうっ!?って・・・栞ちゃんか」
後ろからかけられた声に振り向くと、そこには栞が立っていた。
その横には、美汐もいた。
(・・・・・いつの間に仲良くなったんだ・・・?同じ一年だから不思議じゃないとは思うが・・・)
「・・・あの?紫雲さん?」
「へ・・?いや、その・・・ちょっと今朝から調子が悪くてね」
「そうなのですか?」
「まあ、昨日あれだけ騒げばそうかもしれませんね」
その栞の言葉に紫雲は眉をひそめた。
(・・・昨日?)
(昨日は・・・何があった?)
(・・・・・・・・・・・・思い・・・・・・・出せない・・・・・・・・?!)
「・・・・・・昨日・・・」
「はい?」
「昨日、何があった?」
「え?その?」
「頼む、教えてくれないか・・・?」
紫雲はここを去るべきだという頭の中で響く警告に逆らって、そう言った。
そんな紫雲に、困惑する栞とは対照的に冷静な美汐が答えた。
「昨日は、貴方が月宮あゆさんをこの学校に連れて来られました。屋上前の踊り場で皆さん一緒に昼食を食べました。
・・・・・私はここまでしか知りません」
「・・・・・・・ツキミヤアユ・・・・・・?」
その名前。
知ってる。
知ってる。
知らないはずはない。
なのに・・・・・
「誰だい、それは?」
紫雲は、そう言っていた。
栞の表情が、変わる。
美汐は、顔を背けた。
「紫雲さん・・・・嘘ですよね?質の悪い冗談ですよね?・・・あゆさんを忘れるなんてこと、無いですよね・・・?」
栞はこれ以上は無いというほどに、顔を蒼白にさせて、聞いた。
(そんなことあっちゃいけない・・・!いけないのに・・・!)
紫雲は困ったような顔をして、首を傾げるばかりだった・・・
「ふう・・・・・」
命は、カルテをめくりながら廊下を歩いていた。
(一昨日休んだ分が響いているな・・・・まあ、仕方が無いことなのだが・・・・)
ふと、一昨日のことを思い出す。
『・・・・・分かりました。それが、一番なんですよね・・・』
あゆはそう言って、紫雲の前から姿を消すことを承諾した。
その代わりにあゆが提示した条件は、紫雲が自分のことを忘れるようにして欲しいという事。
それは、そう言われずとも、命がしようと思っていたことだった。
(これでよかった・・・そうだろう、あゆ君)
命は念入りに紫雲に術をかけていた。
そうそうのことではそれは解けることは無い。
紫雲があゆのことを思い出すことは二度とない。
そう、確信していた。
しかし、命は完全に読み誤っていた。
月宮あゆという少女が残した絆。
紫雲との。
皆との。
それは、命やあゆ自身が思っているよりも遥かに強かったのだ・・・
そして、もう一つ、大きな勘違いをしていることがあった。
それは。
『怖い・・・怖いよ・・・・』
その声が響いたのは何処だったのだろう?
その声の主は、ただ一人で、その恐怖と戦っていた。
もう、自分を守るものに頼るわけにはいかない事を知っていたから・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・くそ」
紫雲は商店街を歩きながら、一人呟いた。
苛立たしさから、地面に残る雪を蹴る。
しかし、それはそんなもので晴れるようなものではなかった。
栞は最後には涙ぐんで、胸を叩いていた。
美汐はそんな栞をなだめ、どこかへと去っていったが、その表情は・・・・・
「くそっ」
どういうことなのか、さっぱり分からなかった。
何故、自分が昨日の記憶・・・いや、昨日以前の所々の記憶を失っているのか。
なにより、ツキミヤアユとは誰なのか。
・・・・・まるで、暗闇の中に一人取り残されたような感覚だった。
(どうすればいい・・・・・?どうやればいい・・・?)
あまりにも、紫雲の手に余る事象だった。
解決方法の見当すらつかないのだから。
しかし、思い出さねばならないだろう。
栞や美汐にあんな表情をさせてしまったのは紛れも無く自分自身なのだから・・・・・
ドンッ!!
「あ、すみません」
考え事に埋没していた所為で、前方不注意になってしまっていたようだ。
紫雲は相手の顔を見て、もう一度、謝ろうと俯いていた顔を上げた。
「・・・・・・・!?お前・・・?!」
そこにあったのは、紫雲の知った顔だった。
・・・・・・・できれば、二度と出会いたくなかった顔だった。
紫雲がそれを認識した瞬間、紫雲の腹部に衝撃が走った。
「くはっ・・・?!」
直前にその気配をを予感めいたもののように察知した紫雲はバックステップして、その威力を最小に抑えた。
その、半端じゃない威力のボディーブローを。
「くっ・・・!!」
キッと紫雲は、そいつを睨み付けた。
それに対し、その男は何処か嘲るように笑って言った。
「久しぶりだな・・・・・随分となまっているようだがな」
「剣・・・・・!!」
そう。
かつて、紫雲が傷つけ、遠くに去っていった友だと呼べる人物だった男。
群瀬剣がそこには立っていた・・・
・・・・・・・続く。
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