Kanon another1”snowdrop”第37話



第37話 全ては黄昏のなかへ(前編)



夢。

・・・それは人の望み。

夢。

・・・それは現実からの逃避。

夢。

・・・それは、終わるもの。



コツコツコツ・・・・・

命は闇の中をそんなペースで歩いていた。
割と速いペースだと自身でも気づいていた。

(・・・嫌な予感がする・・・・)

そんな気がして、命はいつもよりも少し早めに仕事を上がらせてもらったのだが・・・

(・・・・・私らしくもないな・・・・)

家に近づけば近づくほどに、不安感が増している自分を感じていた。

(そこを曲がれば、いつもの我が家だ)

そう思って、角を曲がる。
しかし、その先の光景は、命の案じていた風景そのものだった・・・


・・・・・雪の上に、倒れ伏す紫雲。

・・・・・それを泣きながら揺り動かすあゆ。


「紫雲君っ!ねえっ!!どうしたのっ!紫雲くん・・・・・!」

一瞬呆けた命だったが、はっと気を取り直すと二人の下に駆け寄った。

「・・・どうした?何があった?」

いきなり話しかけられ戸惑うあゆだったが、それが命だと分かると、必死に今あった事実を伝えようとした。
命はそれを制し、言った。

「・・・すまん、やはり紫雲を家に入れてから聞くことにしよう。手伝ってもらえるか?」
「は、はいっ」

そうして、二人は紫雲を二人がかりで担ぎ上げると家の中へと運んでいった。

紫雲を紫雲自身の部屋に寝かしつけて、命は軽く自分の弟を診察した。
その間あゆは、じっと紫雲の顔を見つめ続けていた。
そんなあゆを、その頭に飾られた紫色のカチューシャを、命は何処か冷たいような悲しいような、そんな瞳で眺めつつも診察を続けた・・・


布団で眠る紫雲を挟む様に二人は向かい合って座っていた。
あゆは、紫雲の命にとりあえず別状がないことを知って安心したのか、割と落ち着いているように見えた。
・・・しかし、よく見るとその手は微かに震えていた。
それをチラッとだけ見て、命は口を開いた。

「ふむ、すると、何もないのにいきなり倒れたと」
「はい・・・ボクに笑いかけた次の瞬間には・・・」

きゅっと手が握り締められる。
その様子で、あゆがどれほど紫雲のことを心配していたかが見て取れた。
それに相対するように、命は無表情に言った。

「・・・・・そうだろうな」

その命の言葉にあゆは顔をあげた。

「え・・・?それって・・・・・?」
「・・・弟が、倒れた原因について、もう予測はついている」
「うわぁ・・・さすがお医者様ですね・・・それで・・・どういうことなんですか・・・?病気、とかですか?」

・・・無邪気に、そして少し躊躇いがちに、あゆは問うた。
・・・命は、それから目を逸らす様に瞑目した。

僅かな沈黙のときが流れる。

それは永遠のような刹那だった・・・命にとって。

すっ・・・と目を開く命。

そして、その口から、それは語られた。


          「原因は君だ。月宮あゆ」


その、あまりに唐突な言葉にあゆはきょとんとした表情を浮かべた。
・・・何を言われたのか、理解できない・・・・そんな風にも見えた。

「・・・み、ことさん?それは・・・・どういう・・・ことなの・・?」

その言葉を紡ぐのにも、十数秒の時を要した。
そんなあゆに対して、命は鋭い視線を向けて、再度口を開いた。
事実を、語るために。

「君は、今の自分がどういう存在であるか考えたことがあるか?
・・・あまりないだろう?」

命の問いにあゆは答えない。
・・・ただ、それを聞いていた。

「君は・・・欠片なのさ。
・・・・・知っての通り、君は7年前の事故で意識不明の重体に陥った。
それを、私が法術で助けた」
「ほう・・・じゅつ?」
「・・・私たちの一族が持つ、特別な力だ。
それは、動かないものを動かしたり、イメージを再現したり、人を精神的に、かつ物理的に攻撃したり・・・人を癒したり出来る。

それは、ある二つの目的のために受け継がれてきた力だ。

一つはある一族を守護するため。
もう一つは、空にいる少女を救うため。

・・・まあ、今となってはそんなことはどうでもいいが・・・・

とにかく、私はその力で君の命を救った。
しかし、それは私が望んだとおりの結果にはならなかった。
君は一命を取り留めたものの、意識が戻らない状態になってしまった。
・・・それは君に、法術が効きにくいという体質があったからだ。

そしてそれは、君もまた特別な力を持っていた・・・という背景があったからでもある」
「ボクに・・・?」

信じられない、というようにあゆは自分の手をまじまじと見つめた。

「そうだ。そして、その力の作用が・・・今の君の姿なんだ」
「・・・・・・・!」
「君の力は、そう強いものではない。
だが、君の想いは強かった。
相沢祐一君に会いたい。
ただそれだけの一途な想いが”君”を、君という欠片を形作った。
・・・ただ、それは極めて不安定だった。
アンバランスな”現在”の情報と、形作ってしまった理想の”過去”の情報・・・そして、相沢祐一の君に対する心・・・
それらが成立っている時にだけ君は存在しえた。

だが、それは一度崩れ去った。

・・・相沢君の気持ちは君ではなく名雪君に傾いた。
・・・ふとしたことから、君は過去を思い出してしまった。
・・・そして、君に対し常に新しい気持ちを与えていた、紫雲という現在。

そのままでは半日ともたず、”君”は崩壊していただろう・・・

それを救ったのが、あの川澄舞という少女。
彼女の捨てた力と一時的にでも同調し、共振・増幅することによって、君は崩壊を免れた・・・」

・・・様々な人間に事情を聞くことにより、この冬に起こった大体のことを把握している命にも知らないことがあった。
その同調は”相沢祐一”を求めていたという共通点によってなされていたということを。

「そこで一時的に力を供給こそできた君だったが・・・もはや、存在しえる理由を失ってしまい、消えるのは、時間の問題だった・・・
・・・それを・・・・それを救ったのが紫雲だった」
「・・・え・・・・?」

苦々しげに、命は語り続けた。
あゆはそんな命の表情を見るのは初めてで・・・辛かった。

「一族の力・・・それはアイツにも確かに受け継がれている。
アイツはその使い方を知らない。
ゆえに、一時的にとはいえ君を救えたのも偶然なのだろう。
・・・相沢君に会いたいと願った君と同じように、愚弟は強く想ったのだろう。

君を救いたい、と。

それに、アイツの力は応えた。
君もまた、アイツを求め始めていた。

それが、もう一度君を構成しなおした。

しかし、それもまた不安定なものだった。
君の想いが相沢君と愚弟の間で揺れていたからだ」

「・・・ボクの、せい・・・?」

そのあゆの問いには答えないままで、なおも命は語る。

「それを安定させるために、あいつの力は君が不安定になったときに供給されるようになった。
おそらく、軽い目眩なんかをアイツは感じていたはずだ。
・・・そして、アイツはその事実に薄々感づいていた・・・これに関しては私の推測だがね。
だから、アイツは君のそばにいようとしたんだろう。
君に力が注ぎやすいように。
・・・そして、今、そのツケが回ってきた・・・そういうわけさ」
「・・・紫雲君は・・・紫雲君はこれからどうなるんですかっ?!」

身を乗り出して、あゆは叫ぶように問い掛けた。

「・・・・・このままの状況のままでいれば、アイツは徐々に生命力を削られて、春頃には、力尽きるだろう・・・・」
「・・・・そんな・・・・・」

あゆはそう呟いて、涙ぐんだ。
・・・そんなあゆに、命は言わねばならなかった。

悪魔のような、言葉を。

「・・・だから、君には・・・紫雲の前からいなくなって欲しい」

「・・・・・・・・・・・・・・!!」

「・・・こんな弟でも、私にとっては唯一の家族なんだ。
それを・・・君とは、引き換えにはできない。
奇跡でも起こらない限り、この冬を越えられない君とは」

・・・これは、人間として、そして医者として、一番やってはならないことだった。

人の命を天秤にかけ、それを肉親だからという理由で優先させる・・・

そんなことはあってはならなかった。

しかし、命はあえてそうしなければならなかった。

・・・このままでは、二人とも死んでしまうのだから。

意識が剥がれた人間にはどんな手術を施しても未来がないから。
夢にすがり続ける人間にも未来はないから。

二人とも生かす可能性を捨てないためにも、そう言わざるを得なかったのだ。

(それを理解してもらおうとは思わない・・・
 私の本心は紫雲を助けたいだけかもしれん・・・
 それでも、0%を1%に変えるために・・・私は悪魔になろう)


そんな命に・・・あゆは・・・



朝は来る。

どんな夜の果てにも。

太陽が空に昇る限り。



「ふあ・・・・・よく寝た・・・」

僕はゆっくりと上体を起こした。

窓からは朝日が差し込んでいる。
新しい、一週間の始まりだった。
ふと、時計を見る。
時計の針は、いつも家を出る時刻の2時間前を指していた。

「・・・・・あゆには、心配かけたかな・・・」
「ほんと、心配したんだよっ!」

その声と共に、僕の背に加重がかかった。
・・・あゆが飛び掛ってきた・・・というより抱きついてきたのである。
あまりにいきなりだったので、僕はそれをつい振り払ってしまった。

「うわっひどいよ、紫雲君〜」
「ご、ごめん・・・」

内心では(何でこんな千載一遇な出来事を自分から手放したんだっ!ばかバカッ!)とか思っていたりする僕だった。

「それじゃ、お詫びとしてボクのお願い、聞いてくれる?」

それはあまりに明るくて、いつもどおりの、本来のあゆだったから。

「ああ、いいよ」

不覚にも、僕は気づかなかった。

「あのね、ボクをね・・・」

あゆの、決意のことを。・・・そして。

「一日だけ、皆の学校に通わせてほしいんだっ!」

僕らには時間が残されていなかったことを。




・・・・・中編に続く。


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