Kanon another1”snowdrop”第36話



第36話 青空の終焉


鯛焼き屋から離れた後、僕たちは商店街を歩いていた。
・・・繋がっていたその手はすでに離れていた。
それでも、僕はよかった。
繋がった瞬間があったということ・・・
それが何よりも大事だと、そう思えるから・・・

「・・・探しものって言ってたけど、何を探すんだい?」

そんな気持ちはとりあえず、内に隠して、僕はなんとなく尋ねていた。

「う〜んとね、人形、かな。天使のお人形」
「・・・で?それはどこに?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・え、っとね」

そう言うあゆの額には一筋の汗が浮かんでいた。

「・・・今日は長くなりそうだな」
「うぐぅ、そんなことないよ。すぐに見つかるよ。ちょっと掘らなきゃいけないけど」

・・・・・・・・・・・・

「掘る?」
「うん。掘るの。どこかに埋めたものだから」
「・・・・・・あのさ、あゆ。道具とかは?」

”聞いてないぞ、そんなこと”という言葉をぐっとこらえて僕は言った。
「・・・そういえば・・・持ってきてないかな・・・・あはは」
「・・・あははじゃないよ・・・・」

僕は、思わずため息をついた。


僕らは商店街の一角にある雑貨屋で小さなスコップを一つ買って、あゆの心当たりのある場所をひとつひとつ当たっていくことにした。

「でも、商店街はないよな・・・」

ここの何処にも埋めようはなさそうだった。

「そうだね。・・・・・・・祐一君と初めて会ったの、ここなんだ」

あゆは唐突にそんなことを言った。
・・・僕は、曖昧に返事を返すのが精一杯だった。

「・・・・・・・・・・そうなんだ」
「そうなんだよ〜。あれから、もう7年になるんだね・・・」

・・・それから、あゆは語った。
7年前の冬のことを。


母を失って泣いた日のこと。
たまたまぶつかった男の子・・・祐一に慰められたこと。
一緒に鯛焼きを食べたこと。


「だから、鯛焼きが好きなんだね、あゆは」

そう言われてしまうと、食い逃げまでして食べようとするのも理解できそうな気がするから不思議だ。

「うん!思い出の味、なんだよ」
「そっか・・・」
「・・・祐一君だけじゃなくて、紫雲君との思い出もあるから、今はもっとおいしいんだよっ!」
「・・・・・僕との、思い出?」

そんなものがあゆにはあったのだろうか?
僕は、十二分にそれをもらっているけど・・・
そんな僕に、あゆは笑いかけた。

「そうだよ。・・・そうだね、そういえば、ボクたちもここで出会ったんだよね」
「・・・そうだったね。そうか、ここからはじまったんだ」


あの鯛焼き屋の鯛焼きがおいしいと思った。
そんな馬鹿みたいな共通点が全ての始まりだった。
黒あんが一番というのも一緒だった。
お金がなくて逃げたあゆ。
成り行き上、それを追いかけた僕。


そんな僕らが今こうしてここにいる。
それは不思議で、でも今は当たり前のようで。
・・・当たり前では、なかった。


「あ、学校だね」

商店街を出て、次の心当たりへと歩いていくと、僕が通う学校に通りかかった。

「・・・この道からもいけるとは知らなかったな・・・しかも、近道・・・・」
「今度名雪さんたちに教えたら?」
「ああ、そうするよ。・・・・・ここでもいろいろあったな」


日常。
栞との再会。
舞との二度目の出会い。
魔物との遭遇。
過去の開放。
あゆと紫雲の最初の別れ。
再び、日常。
舞を”取り戻す”ための戦い。
・・・黒あゆ。


「ボク、すごく勝手なこと言ってたね」
「・・・そうだったっけ?」
「とぼけなくてもいいよ。ちゃんと、覚えてるから。
・・・祐一君のことが好きなくせに、紫雲君にもすがろうとしてた。紫雲君の気持ちを縛ろうとしてた。
それでも、紫雲君はボクや舞さんを助けるために頑張ってくれた・・・
それが、ほんとに嬉しかった・・・
・・・・・ごめんね、本当に勝手だね」
「そんなことないって。・・・むしろ、僕を頼りにしてくれてたのは嬉しいし」

ははは、と僕は笑った。
照れ隠しのつもりなのに、全然上手くいかなかった。
そんな僕にあゆは言った。

「やっぱり、紫雲君は優しいね」

優しい・・・
それは目の前の女の子のためにそうなろうとしたものだった。
・・・僕は、そうなれたのだろうか?
それは、きっと僕には永遠に分からないことなのだろう。
・・・ただ、そうなるようにこれからも頑張っていくだけだと思う。
その幼い頃からの想いを・・・気づかせてくれた、そして、もう一度頑張ろうと思わせてくれた、目の前にいる少女のために。


「・・・ここにあるの?」

木が道の果てまで並ぶ遊歩道。
この木の根元に、それは埋まっているらしい。
ただ、その捜索範囲は限りなく広かった。

「木が・・・何本あるんだ?」
「うぐぅ・・・言わないでよ〜」

肩をがっくりと落とす僕とあゆ。
・・・それでも、探すことには変わりないので、僕は人形についての話をあゆに聞くことにした。

「・・・瓶の中に入っている、羽の生えた人形、でいいんだよね」
「うん」
「・・・そんなに大事なものなの?」
「うん、なんたって、願いが叶う人形なんだから!」


それは少年が少女に贈ったプレゼント。
少年の力の及ぶ限り、どんな願いも叶える人形。
二つ、少女の願いをかなえた人形は、少女の希望で封印された。
これを必要とする人が現れるまで・・・


「へえ・・・それで?あゆは見つけたらなんて願うつもりなの?」

興味本位で僕は尋ねていた。
すると、意外な答えが返ってきた。

「ボクは、願うつもりはないんだ・・・これはある人に譲るって決めてるんだよ」
「もったいないなあ〜折角だから使えばいいのに・・・」

そう。
もしも、何でも叶うとすれば、それはあゆの持つべきもののはずだ。

(でも、かなえるのは、相沢君らしいからな・・・・)

・・・苦労する相沢君の姿が目に浮かんだ。

その時だった。

「・・・・?・・・・・・」
「どうしたの?紫雲君」
「・・・・・・・何かが呼んでる気がするんだ」

そうとしか形容の仕様のない感覚が僕を襲っていた。
それに導かれるように僕は遊歩道を進んでいく。
あゆもそんな僕の後ろを追った。
・・・その感覚が収まった先にあったのは、やはり一本の木。
それは、そこに居並ぶものと何の変わりもない、何の変哲もない木だった。
「・・・ここに、あるの?」

あゆの言葉で、僕はその可能性にようやく気づいた。

「そうか、そうなのかもしれない」

僕はスコップを取り出し、木の根元に穴を掘った。
・・・少しの時間がかかった。
だが、僕が予想していたよりも遥かに早く、それは出てきた。

「あ・・・」

あゆが思わず声を上げた。
・・・それは確かにあゆの捜そうとしたそれに間違いはないのだろう。
だが、それは見るも無残な姿だった。
保管していた瓶は割れて、中の人形は羽が片方取れてしまい、ボロボロになっていた。
僕はいまさら無駄かもしれないと思いながらも、丁寧にそれを取り出し、そっとあゆに渡した。
・・・この人形があゆに見えて仕方なかったからだった。

守るものもなく、
すでに生きていくための翼をもがれ、
どんなに辛くても、いまだそこに存在している、
そして、今にも消えてしまいそうな、
そんな、少女に。

あゆはそれを受け取ると、壊れてしまわないように、そっと、きゅっと胸に抱いた。
そんなあゆが綺麗で、悲しくて、辛くて・・・それでも、僕は目をそらさなかった。

「・・・・・見つかって・・・良かったね」
「うん、よかった・・・」

そんなやりとりでさえ、嬉しかった。

あゆがまだそこにいることを感じられるから。

「・・・ありがとっ!」

いろんなものを振り払って、笑顔であゆは言う。

「良かったよ、お役に立てて」

僕も、それに笑顔で応える。
・・・それが、僕たちらしいと思った。
・・・何故、そう思ったのかは、分からないけど。
きっと、それは僕たちらしいのだ。


「じゃあ、帰ろうか」
「・・・・・待って。あと、一つだけ行きたい場所があるんだ・・・いいかな?」

それを断る理由など、僕にはなかった。

そう言って、あゆが僕を導いたのは、町から少し離れた、森の中。
遊歩道からも結構な距離があった。
もう、日も傾きかけている。
・・・その場所には、木があった。
正確に言えば、違う。
大きな木の・・・切り株がそこにはあった。
そして、僕はこれに心当たりがあった。

『一人の女の子が木から落ちて』

秋子さんがそう、言っていた。

「・・・・・あゆ、ここは、君が・・・」

そう言いかけて、あゆの方を向いた。

あゆは、あらぬ方向を向いていた。
その顔は僕の位置からでは見えない。
ただ、その肩は震えていた。

「ここはね、祐一君との一番の思い出の場所だったんだ・・・・・」
「・・・・・・・・」
「その木を登るとき、いつも祐一君がそばにいたんだ・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「でも、もうここに祐一君が来ることは、ないんだね・・・・・約束の指きり、切れなかったから・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・ここからじゃ、夕焼け、見れないや・・・・・」

相沢祐一は、忘れてしまった。
木も、切り倒されてしまった。
そして、あゆも、ここにいないはずの人間・・・・・

時間は、現実はあまりにも残酷だった。

夢を見ていただけの少女にも、それを突きつけるのだから。

僕はそんなのは大嫌いだった。
だから、僕は。

「・・・あゆ!ほらっ!」

走り寄った僕はあゆの前にしゃがみこんだ。
あゆの顔は見えない。同じ夕焼けの方向を見ているのだから。

「・・・紫雲、君?」
「僕の肩に乗って」
「え?で、でも・・・」
「いいからっ」

少し強く言う。こうでも言わないと恥ずかしいからだ。
僕も、あゆも。
やがて・・・あゆの動く気配がした・・・・

「あゆ?」

僕の肩にあゆは座っていた。
・・・いわゆる肩車という奴だ。
あゆの体は思っていたより遥かに軽くて・・・でも、確かにそこにいて・・・・

「・・・うぐぅ、恥ずかしいよ〜子供みたい〜」
「お互い様だよ・・・」

なんだか、変だけど大笑いしたくても出来なくて。
・・・・・・・・・・・・・・・・・泣くことさえも出来なくて。

「・・・・・夕焼け、見えた?」
「・・・・・・・うん、見えるよ。・・・・・ボクが、今まで見た中でも、最高の景色だよっ!」

そんなことはないはずだった。
僕の背とあゆの背を足しても、きっとその木の高さには届かない。
夕焼けは見えても、あゆが見ていたはずの光景には、足りない。
それでも・・・・・
それでも、あゆの言葉は本当だと、信じられた。

いま、あゆと僕が”見て”いる風景はきっと同じモノ・・・そんな気がしたから・・・

いま、この時。

たしかに、僕とあゆは場所を、時を、心を、思い出を、共に過ごした。

初めて、そう確信できた。


空が闇に染まり始める頃、・・・僕たちは、帰路に着いた。

「いやー長い一日だったね」

僕がそう言ったのは、我が家の玄関先に辿り着いたときだった。
空は、もう黒く染め上げられていた。
そして、それに抗うように星々が輝いていた。

「そうかなあ、あっという間だったよ」

あゆはそう言って笑った。
・・・やはり、あゆには笑顔が一番だと思えた。

「う〜ん、楽しかったけど、本当はデートらしいデートしたかったな」

ふざけているのが分かる口調で僕は言ってみた。
すると、あゆは顔を真っ赤に染めた。

「で、でーと?・・・ボクとしても、たのしくないんじゃないかなあ」
「そんなことないない。きっと、絶対楽しいよ。
その、あれだ、あゆさえ良かったら、来週こそ、デートらしいデートしない?」
「え、あ、その、うん。ボクも、行ってみたいな。・・・・・じゃあ、約束」

・・・・・まさか、オーケーしてくれるとは思わなかったので、僕は一瞬呆けてしまったが、慌てて返事を返した。

「うんうんうん!やくそくっ!」

僕らは、小指を絡ませて、幼い子供がやるように、約束を交わした。

「・・・指切った・・・!」
「・・・・・・・・・やっと、指が切れたよ・・・・」

あゆのその言葉の意味は、僕には分からない。
でも、そうすることがあゆの救いになれたのなら、それでよかった。

「・・・・・紫雲君、今日は本当にありがとう。・・・これは、何もないボクからのお礼だよ」

そう言ってあゆが僕に手渡したものは、あの願いを叶える人形だった。
・・・僕は、それを、あゆの気持ちをしっかりと受け取った。

「・・・ありがとう。それじゃ、僕からはこれを」

僕は今日ずっと隠し持っていたものをあゆに手渡した。
あゆも、僕と同じように、迷いなくそれを受け取ってくれた。

「・・・ありがとうっ!・・・早速、つけるね」

あゆは、僕からのプレゼントを、名雪さんが協力してくれたそれを、頭につけた。
紫色の、カチューシャ。

「・・・・・やっぱり、色は赤い方が良かったかな?」
「・・・ううん、ボクはこれがいいよ。紫雲君の色だもん!」

今日、あゆは僕にずっと笑顔を見せてくれた。
でも、今、このときの笑顔が一番だったと、僕は思ったし、
そう、自惚れていたかった。ずっと。

でも、それは叶わない夢だった。

・・・ど、くん。

「それは・・・よかった・・・よ」

何の前触れもなく、それは起こった。
・・・いや、本当は気づいていた。
もう、限界らしいことは。
・・・それでも、そばにいなければならなかった。
・・・・・・・・・・あゆのために。

・・・そして、僕の意識は。

闇に、消えた。

・・・・・続く。


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