Kanon another1”snowdrop”第35話



第35話 夢のハザマ、現実のカケラ


日曜日。
それは休日。
多くの人が、体を、心を休め、明日から始まる”日常”に備えるとき。
そして、心親しい人との時間を過ごすとき・・・


「・・・俺は、名雪のこと好きだけどな」
「祐一?」

名雪は、自分のいとこ・・・祐一の言葉に驚きを隠せなかった。
・・・この場所に、7年前祐一と約束していたこの場所に連れてこられた時、そうなるのではないかと言う予感めいたものはあった。
だが、それでも、祐一の言葉は名雪を動揺させるのに十分なものだった。
「仲のいいいとことしてじゃなく、一人の女の子として俺は名雪が好きなんだと思う」

・・・それは自分が望んでいた言葉だった・・・
そう。
一人の友達に”そのこと”を教えてもらった・・・それなのに・・・・

「ひどいよ・・・いまさらそんなこと言うなんてずるいよ・・・」

その口から出た言葉は・・・

「私、わからないよ・・・突然そんなこと言われても分からないよ・・・」
拒絶の言葉だった・・・



「はい、どうぞ」

紫雲は作りたての目玉焼きとトーストをあゆの前に並べた。

「うわ〜おいしそう〜いただきまーす」
「遠慮なくどうぞ」

本当に嬉しそうに朝食に手をつけるあゆを見て、紫雲は苦笑した。
そして、昨日と変わること無い、穏やかな会話ができることをありがたいと思った。
・・・昨夜から、あゆは紫雲の家に住むことになった。
紫雲の想いを知ったあゆとしては紫雲の申し出を断りにくかったのもあったようだが、それ以上に居場所が無いことに不安を覚えていたようだった。
だが一晩たった今、あゆに不安の表情は無かった。
とりあえず、今は、だが。

「ねえ、命さんはなんて言ってた?」
「・・・しばらくならいいってさ・・・ったく、一生いてもいい位言えよな・・・」

紫雲は、その時のことを思い出した。
紫雲は命に、あゆがしばらくこの家に住むことを電話で伝えたのだが命は気が進まないようだった。

(・・・いつもの姉貴なら、そんなことなんかを細かく言うようなまねをしないよな・・・)

紫雲がそのことを疑問に思っていると、あゆが話し掛けてきた。

「ところで・・・紫雲君。今日何か用事があるかな?」
「へ?あ、いや特に・・・無いけど?」
「それなら・・・お昼ごろからちょっと手伝って欲しいことがあるんだけど・・・」
「・・・いいけど・・・なんなら今から・・・」
その紫雲の言葉にあゆはかぶりを振った。
「ううん。今からは・・・別の用事があるから・・・」
「・・・ああ、分かった。それなら12時に鯛焼き屋さんの前で待ち合わせよう。それでいいかな?」

あゆの言う”別の用事”が気にならないわけがなかった。
だが、真っ直ぐなあゆの顔を見ると、紫雲は何も言えなかった。

「うん、そうしようか」
「・・・ところで、あゆ。手伝って欲しいことって・・・?」

そのもっともな紫雲の疑問にあゆはこう答えた。

「探し物・・・一緒に探して欲しいんだ・・・」


「ふう・・・」

こうやって一人でゆっくりと商店街を歩くのは久しぶりだよな・・・
最近は慌しくていろいろできなかったしな。
(あゆとの約束の時間まで、ゆっくりぶらつくのも悪くないよな・・・)
と、僕が思っていたときだった。

「あれ・・・名雪さん・・・だよな」

様々な店が建ち並ぶそこをとぼとぼと歩いていたのは、紛れもなく僕のクラスメート、水瀬名雪さんだった。
・・・だが、彼女にはいつもの元気・・・というか彼女らしい空気が欠落しているように僕には思えた。

「・・・・・なにかあったのか・・・?」

彼女自身の問題なら口を出すべきではないかもしれない・・・
そうも思ったが、やはり気になってしまうので、僕は声をかけるべく、彼女の元に駈け寄った。


「こんにちは、秋子さん・・・祐一君いますか?」

水瀬家の玄関口にあゆはいた。
それをいつもの笑顔で秋子が出迎えている。

「はい、こんにちは。・・・祐一さんなら、ちょうど今帰ってきたばかりですよ」
「・・・あの、その・・・この間はごめんなさい。いきなりいなくなっちゃって・・・」
「いいのよ。気にしないで。・・・あゆちゃん・・・」
「なに?秋子さん」
「・・・・・頑張ってね」

秋子は何について頑張るのかを言わなかった。
あゆはそれが何についてなのか分からなかったが、その気持ちが嬉しくて、しっかりと頷いた。

「・・・・・うん!!ボク、頑張るよっ!」

そんなあゆを秋子は最高の笑顔で後押しした。
それが、紫雲との無言の盟約ではなかったとしても秋子はそうしていただろう。

「それじゃ、お邪魔しまーす」
「ゆっくりしていってね。祐一さんは自分の部屋にいると思うわ」
「うん、ありがとう」

二階に上がっていくあゆを秋子は眩しそうに見つめていた・・・



ところ変わって、百花屋では・・・

「お待たせいたしました。イチゴサンデーと、ジャンボミックスパフェデラックス・α外伝お持ちいたしました・・・それではごゆっくりどうぞ」

店員さんの営業スマイルを見送って、紫雲は名雪に向き直った。

「・・・まあ、とりあえず食べようか」
「うん・・・草薙君、それ食べられるの?」

バケツ山盛りのそれは、以前紫雲が栞と共に食べたときよりも増量していた。
(・・・この店の人は何を考えているのだろうか・・・?)

紫雲は疑問を脳裏に浮かび上がらせつつも、名雪の質問に答えるべく口を開いた。

「まあ、いけると思うよ。前は二個食べたしね。では、いただきます」
「いただきます」

それから二人は少し雑談をしながら好物をゆっくりと味わった。
それはさながら、雪が解けるのを待っている花の姿のようでもあった。
はっきりとしない”それ”が咲くのをただじっと二人は待っていたのかもしれない・・・

・・・名雪がイチゴサンデーの追加注文を食べ終えた時、それは訪れた。
「・・・私ね、祐一に好きだって言われたんだ・・・」

・・・ちょっと前の名雪の話からすると、それは照れながら話されるものであるべきだった。
しかし、今の名雪の表情には照れや、恥ずかしさなどはなくただただ真剣で一途だった。

「・・・そう。それは・・・よかった」

紫雲としては、それは素直に喜べるものではなかった。
あゆの気持ちを思うと・・・それは歓迎されざるべき事態だった。
だが、紫雲はそれを名雪に押しつけるつもりなどない。
紫雲にとって、もはや名雪はただのクラスメートではなく、大切な友人の一人だった。
友人の幸せを喜びこそすれ、恨んだりする道理はない。

「うん、そうだったんだけど・・・あの場所で、言われて、ちょっと混乱したのかも・・・・・私、祐一を・・・置いてきちゃった・・・」
「・・・あの場所?」
「・・・7年前、約束したんだよ。祐一が、この町から帰る前にもう一度会おうって。・・・でも祐一は来なかった・・・その場所で、祐一は言ったの・・・好きだって・・・そしたら、なんだか急に黒い気持ちで一杯になって・・・!
言いたくないことを言っちゃいけないことを・・・言っちゃったんだ・・・!
せっかく、せっかく草薙君が気づかせてくれた気持ちなのに・・・!!
あゆちゃんの気持ちを・・・ふみにじってるのに・・・!!」

名雪はそれだけ一気に話すと、顔を俯かせて、押し黙った。
紫雲は何も言わず、パフェの残りを一気に食べた。
・・・そこには暫し沈黙が横たわっていた。



「あ・・・あゆ・・・」
「にゃあ」

ボクが二階に上がると、そこに真琴ちゃんが立っていた。
そして、その頭には昨日の猫が乗っていた。
まるで完成されたパズルのピースのようにぴったりとはまっていたその姿にボクはにこやかに言った。

「うわ〜いいな〜かわいい〜なでてもいいかな」
「えっ・・うん、いいけど・・・ってわあ!」

ボクは右手で猫の頭を、左手で真琴ちゃんの頭を撫でた。
「ちょちょちょちょっとぉ!なにするのようぅ〜」
「え、だってかわいかったから・・・二人とも・・・」

なでなでなでなでなで・・・

「・・・あう〜・・・もう、いいでしょ〜」
「うーん、名残惜しいなあ・・・」

ちょっと残念だけど、真琴ちゃんが嫌がってるなら仕方ないので、ボクは素直に手を引っ込めることにした。

「あうーっリボンがずれた・・・」
「あ、ごめんね・・・」
「いいわよぅ、祐一みたいに悪気があってやってる訳じゃないんだから・・・」

その真琴ちゃんの言葉でボクは用件を思い出した。

「あ、真琴ちゃん、祐一君は部屋にいるのかな?」
「うん、そうみたいだけど・・・」
「ありがとう。じゃあ、ボクはこれで・・・今度遊ぼうね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・考えとく」

そんな真琴ちゃんへ最後に笑顔を向けて、ボクは祐一君の部屋に向かった。
コンコン、と軽くノックする。

「祐一君、いる?」

・・・少しの間の後に、やや小さめの声が返ってきた。

「・・・あゆ、か?」
「うん、そうだよ。お話したいことがあって・・・ちょっといいかな?」
「・・・空いてるから勝手に入ってくれ」
「それじゃ、失礼して・・・」

ボクはドアを開いて、中に入っていった。
その部屋はこの間、紫雲君や祐一君といっしょに片付けたときと大差なく、きれいなままだった。

「・・・こんにちは、祐一君」
「よう。この間は心配したぞ」
「うぐぅ・・・ごめんなさい」
「まあ、無事ならいいんだけどな・・・草薙には感謝しろよ」

・・・そう、紫雲君には感謝していた。
いつだって自分のために必死になってくれた。
こんなボクを好きだって言ってくれた。
だから、ボクも気持ちをはっきりさせないといけないんだ。
祐一君の気持ち、そして、ボクの気持ちを。
ボクは意を決して口を開こうとした・・・
けど、その直前に祐一君が言葉を紡いでいた。

「ところであゆ・・・ちょっと聞きたいことがあるんだが・・・いいか?」
「え?うん、別にいいけど・・ボクでいいの?」
「ああ、真琴じゃ駄目だと思うから・・・秋子さんには事が事なだけに聞きづらいし・・・あゆも一応女の子だからな」
「ひどいよ祐一君〜」
「悪い悪い。で、聞いてくれるか?」
「うん」
「あのな・・・」



「それで?名雪さんはどうしたいんだ?」

名雪ではなく、店の喧騒を眺めながら紫雲は呟くように言った。

「・・・え・・・?」
「僕が気づかせたとか、あゆの気持ちは関係ないだろ。
大事なのは名雪さんの気持ち。違うかな?」
「・・・・・・・」

押し黙る名雪。
そんな彼女に紫雲は笑って言った。

「僕さ、昨日あゆに告白・・・してみたんだ・・・」
「え・・・」

ふっと名雪は顔を上げた。
紫雲はただ困ったように笑っていた。

「・・・ものの見事にふられたよ。”紫雲君のことは好きだけど、祐一君は大好きなんだよ”って。
でも、僕は・・・あゆのことを嫌いにはなれなかった。
それでもずっとそばにいたいって思ったし、もしかしたらってこともあるかもしれないから、待ってみようと思えた。
やっぱり、僕はあゆのことが本当に好きになったみたいだから。
・・・もし、相沢君が僕があゆを思うのと同じくらい名雪さんを好きになったのなら、まだ相沢君は待ってるよ。
それは一日や二日で消えるような思いじゃないよ。
だから・・・名雪さん・・・自分の気持ちが分かっているのなら・・・それを、伝えてあげて欲しい。
せっかく通じる思いなんだから・・・伝えなきゃ、損だよ」

名雪と紫雲の眼が真っ直ぐに絡み、重なった。
二人とも、その眼には僅かな涙がにじんでいた。

「・・・・・・・ごめん・・・・・ごめんね、草薙君・・・私・・・馬鹿だったよ・・・」
「僕も、馬鹿だから、気にしないで」
「でも・・・」
「あゆのことが気になるのは、分かる。でも、あゆも向き合わなきゃいけないと思う。・・・辛い、けど・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・分かったよ・・・ふぁいと・・・だ、ね・・・」

自分の好きな人が、友達が、傷つくのを見過ごさなければならない・・・
それは自分が傷つくよりも辛いことだ。
紫雲も名雪も人よりも優しい故に人よりも多くの業を背負わねばならない。
それでも、そうしなければならないのは・・・それが人を好きになるということだから・・・それを二人が知ってしまっているからだった・・・

「・・・名雪さん。一つ・・手伝って欲しいことがあるんだ」
「・・・なにかな?なんだって頑張るよ〜」

そして、それでもみんな前へと進んでいく。
それが生きていくもののやらねばならないことだから。

「あゆに、想い出を贈りたいんだけど・・・」

・・・それは夢のハザマに生きるものに送る、現実のカケラ・・・


ボクはただ聞いていた。
名雪さんのことが好きだという祐一君の”例え話”を。
祐一君は嘘が上手くないからすぐに分かっちゃった。
それはボクの思いを打ち砕く話で・・・それと同時にボクが好きになった人が幸せになるための話だった・・・

「・・・・・分からないって・・・どういうことだと思う?」
「・・・・・・・」
「嫌いだって言われた方がよっぽどあきらめもつくのに・・・そいつはどうしたらいいと思う?」
「祐一君・・・」

声は震えていないだろうか?

「あのね・・・」

ちゃんと向き合えているだろうか?

「名雪さんが・・・」

泣いていないだろうか?

「名雪さんが、本当に祐一君のこと嫌いなら、きっと、一緒にはいないよ・・・朝からずっと一緒なんだよ・・・嫌いならそんなの辛いよね・・・ボクなら泣いちゃうよ・・・それでも一緒にいるんだよ・・・察してあげてよ・・・待ってあげてよ・・・きっと、名雪さんは自分の気持ちに答えを出すから・・・」
「あゆ・・・お前・・?」
「もう、大丈夫だよね」

すっくとボクは立ち上がって、祐一君に背を向けた。
・・・これ以上、ボクは祐一君の顔を見ていられそうになかったから・・・

「ボク、紫雲君と約束があるんだ・・・だから、行かないと」
「・・・・・あゆ・・ありがとうな」

祐一君の声が背中越しに響く。
そんな優しい言葉をかけて欲しくなかった・・・

「うん・・・名雪さんを、大切にしてね」

それでも、ボクはそう言わなきゃいけない。
紫雲君が、ボクにそう言ってくれたように。

「お前も紫雲を、大切にしろよ・・・あいつは・・・いいやつだから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・うん。じゃあ」

ボクは歩き出した。

「・・・ところで・・・何か用事があったんじゃないのか、お前」

そんなボクに祐一君はそんなことを言ってきた。
・・・言わなければならない。
・・・でも言ってしまえば、きっと祐一君は苦しむから。
・・・ボクはあえて臆病者になろう。

「何の用事か、忘れちゃったよ・・・バイバイ祐一君」

・・・ボクの気持ちはここにおいてゆこう。
祐一君のいるこの場所に、ボクの想い出が少しだけあるこの場所に。
きっと、そうすればきっと二人を見守っていける。
紫雲君にも、向き合える・・・

すでに終わっていた初恋を捨てて、ボクは歩き出した。



「やあ、あゆ」
紫雲は鯛焼き屋の親父に向けていた視線をあゆに向けて、笑いかけた。

「よう嬢ちゃん、今日の調子はどうだい?」

親父がそう尋ねるのに、あゆは笑顔で答えた。

「もう、絶好調だよ!鯛焼きも10個ぐらい食べれそうな気がするよ」
「やめといた方が・・・太るよ」
「うぐぅ、ひどいよ紫雲君」
「・・・まあ、太ってようが僕はかまわないけど」
「・・・・・どういう、意味?」
「う、まあ、その・・・察してくれ・・・・」

紫雲の顔は真っ赤になっていた。
それにつられて、あゆの顔も赤く染まる。

「お前ら、ムードがあるんだかないんだか・・・・」

鯛焼き屋の親父はぼそっと呟いた。

『・・・・・・・ぽっ』
「・・・お前ら・・・一人身の俺に喧嘩売ってるだろ・・・」
「まあ、冗談はさておき・・・そろそろ、いこうか」
「・・・・・うん。おじさん、鯛焼きはまた今度ね」
「ああ、今度来るときはゆっくりしていけ」
「それじゃ・・・・・」

二人は鯛焼き屋に背を向けて歩き始めた。

「・・・・・用事はすんだ?」

紫雲が静かに問い掛ける。

「・・・うん、ちゃんと終わったよ」
「そうか・・」

紫雲の手がゆっくりと伸びた・・・あゆの手に。
そして、紫雲の手はあゆの手を包み込んだ。
あゆは少し驚いた。
でも、それをしっかりと握り返した。

「・・・・・ご苦労様」
「・・・・・ありがとう」

二人はそのまま歩いていった。
その日、初めて、二人の影が一つになった・・・


・・・続く


第36話 青空の終焉へ

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