Kanon another1”snowdrop”第33話



・・・どんな夜でも必ず朝が訪れるように。
どんな一日にも夜は必ず訪れる。
・・・それは、仕方のないこと。
真の希望を知るものが絶望を知らねばならないように。
過去がなければ未来がありえないように・・・


第33話 遅すぎた出逢い


夕焼けの後の闇が、夜を、風を、冷たく凍えさせていく・・・
そんな歌詞の歌が在ったことを紫雲は思い出していた。
まさにそう言うに相応しい”今”だったからだ。
風が吹く。
その風に抗うようにして、紫雲たちは歩いていた。

(・・・冷たいな・・・・・)

いつもなら心地よく感じる風を、紫雲はそう思えないでいた。


『ボク・・・はいいよ。ここで待ってるから』

・・・なんで?

『いやその、なんだか行きづらくて・・祐一君たちによろしく言ってくれる?』

・・・・・分かった。


正直、紫雲は釈然としなかった。
だが、あゆの顔の僅かな翳りを見ると、強く言うことはできなかった。

(・・・舞さんが残るって言ってくれて助かったな・・・)

そうしなければ、自分はもっと不安な気持ちでいただろうし、”彼女ら”を家まで送る気にもなれなかったであろう。

「紫雲さん」
「・・・は?え・・となんですか、佐祐理さん」

横を歩く年上の女性に唐突に声をかけられ、紫雲は少し戸惑った。

「・・・舞がいますから、大丈夫ですよ」
「・・・ええ、わかっています。ありがとうございます」
「いいえ」

紫雲は改めてこの女性の観察力とその優しさに感服した。

(すごい人だ・・・僕なんか比較にならないな・・・)

それに敬意を表して、紫雲は表情をゆるめた。
これ以上、ここで心配をしても仕方がないと思ったからでもある。

「・・・真琴ちゃん、その子を大事にしてやってくれよ」
「わかってるわよぅ」
「真琴、そういう時は”はい”と言えばいいのよ」

美汐がその内に秘めた温かさをにじみだしながら、言った。

「あうーっ難しい・・・」
「んなことはないだろ・・・」
「あははーっ」

・・・何時の間にか。
風が心地よくなっているように紫雲には思えた。

(・・・やっぱり人って温かいな)

そんなことを紫雲が思っているときだった。

「それにしても、舞も紫雲さんも不思議な力を持っているんですねー。佐祐理はうらやましいですよー」

・・・真琴の居場所を感じたときのことだと紫雲は即座に気づいた。

「舞さんのはともかく・・・僕のはただの勘ですよ」

紫雲は素直に思っていたことを口にした。
だが、それは意外なところから否定された。

「いいえ、それは違います」
「天野・・じゃなかった美汐ちゃん?・・・なんで断言できるんだ?」
「・・・・・それは・・・なんとなく、ですが」

紫雲は知る由もない。
この目の前にいる少女がそういうモノを見抜く目を持っていることなど。

「・・・貴方は特別な力をその身に宿しています」
「・・・・・そうなの?」

知る由もなかったが・・・この、自分を真っ直ぐに見つめる少女の目には真実が見えているような気がしたので紫雲は納得することにした。
・・・それに心当たりはいくつかあった。
自分の腕力では生み出せないはずの力。
見えないもの・・・舞の力のかけらを校舎で垣間見ることができた。
そして、今日の”光”。

「もし、そんな力を持ってるなら・・・僕は何をすべきなんだろうね」
「何もしなくいいんじゃない?」

猫を頭に乗せた真琴があっさりとそう言った。

「・・・え・・と、なんで?」
「今のままで紫雲は十分だってこと」
「みゃあ」
「あははーっ真琴さんと猫さんの言うとおりですよー・・・どんな力を持っていようと紫雲さんは紫雲さんですから」
「・・・そうですね。私も、今のままのあなたでいいと思います」
「・・・・・皆、僕を買いかぶりすぎだよ」

紫雲は頭を掻いた。

「それだけの事を貴方はしてるんですよ。佐祐理が保障します。・・・もっと自信を持ってください」
「・・・その気持ちは本当に嬉しいですよ・・・ありがとう、皆さん」

それは紫雲の本音だった。
だが決して真実全てでもなかった。

(・・・でもね、佐祐理さん。僕は好きな女の子一人さえも救えていないんですよ・・・)

その言葉を飲み込んで紫雲はじっと自分の手を見つめた。
その手にもし不思議な力が宿っているのなら、と紫雲は思わずにはいられなかった。


「・・・天使さん、どうしたの?」

舞は静かに、だが良く通る声であゆに話し掛けた。
あゆは少し苦笑して言った。

「うぐぅ〜天使は辞めてくださいよーボクにはあゆって名前がありますから」
「・・・・・いや?」

視線的には見下ろしているのに、何処か見上げるような、哀願するような目で言われて、あゆは困惑した。

「いや、そのいやじゃないですけど・・・」
「・・・」
「あのぅ・・・」
「・・・」
「天使でいいです・・・」
「・・・ありがとう。・・・それで、どうかしたの?」
「へ?」
「さっきからずっと元気がないから・・・」

あゆはさっきと同じ、だが少し陰のある表情で困ったように笑って言った。

「・・・真琴ちゃんがうらやましいなって、思っちゃいました」

・・・それは帰る場所があるということ。
・・・そこに祐一がいるということ。
・・・そこに”母”がいるということ。
そして、それを導いたのが紫雲だということ。

あゆの心には、祐一の手の怪我をなめている名雪の姿が在った。
         紫雲が笑って真琴の頭を撫でている姿が在った。

「・・・ボクっていやな子だな」
「・・・私には良くわからない。けど、天使さんが今思ってることは、みんなが当たり前に思うことだと思う。
・・・それが、普通の女の子なんだと思う。
人はいつだって笑顔でいられるわけでもないし、人はいつだって人に優しくできるわけじゃないから。
・・・でも、そう思えるからこそ、天使さんは今を生きていると思う。
だから、生きているからこそ帰る居場所もある」
「・・・あるのかな、本当に」
「うん。・・・それが今来た」
「へ?」
あゆが舞の向いた方を向くと息を切らしてこっちにやって来る紫雲の姿があった。

「・・・・・舞さん、ボク・・・」
「大丈夫。紫雲は天使さんを受け入れてくれる。・・・例え・・・」

そこで紫雲が二人の下に辿り着いた。

「ふうー疲れたーやっぱ最近運動不足だ・・・って舞さんどこに?」

二人に背を向け、歩き始めた舞は振り返りもせずに言った。

「・・・帰る」
「送りますよ」
「・・・いらない・・・・・・・私は少し賢くなったと思うから。いまのわたしはここにはいらない。紫雲の手も今は必要ない。・・・それじゃ、また」

そう言った舞の背中はあっという間に闇に消えていった。

「・・・なんのことだろ・・・・」

舞が気をまわしていることに紫雲は気づかなかった。
・・・紫雲は基本的に鋭い。
だがそれがこと自分のことになると通常時よりも鈍くなる。
ある意味、それが紫雲の一番の弱点なのかもしれなかった。

「・・・まあ、いいか。それじゃ、いこうか」
「へ?どこに?」

頭に?マークがつくほどに首を傾げるあゆ。
そんなあゆに紫雲は苦笑するしかなかった。

「・・・・・・・僕の家、だよ。いやかな」

これが、男子高校生としては非常識な(ある意味では常識的といえるが)発言なのは分かっていた。
それでも、紫雲は言わねばならなかったのである。

「いやじゃない!全然いやじゃないよっ!!」

・・・女の子としては非常識な発言かもしれないが、それだけあゆは紫雲は信頼しているのである。

「・・・でも、どうしてそんなこといきなり言うの?」


・・・いまのきみにはかえるばしょがないから。

(そんなこと・・・!!言えるわけないだろ・・・!!!)


そして、もうひとつの理由があった。

「・・・好きな女の子を家に誘うのに、理由はないだろ?」

紫雲の顔は誰がどう見ても赤かった。
・・・それはあゆから見てもはっきりと分かった。

「・・・・・紫雲君・・・・・」

伝えなければならない想いがあったから。

一度はそれから逃げた。

だが、もう・・・それは許されなかった。

今、それをやってしまえば、きっと永久に消えない傷が残ってしまうから。

自分の思いを形にしなければならない。

・・・例え何があっても、あゆを守るために。


「あゆ。僕は、君が好きだ。
この前言った意味とは違う。・・・わかってくれるかな」

あゆは顔を上げた。
その表情は泣いているようで、笑っているようでもあって、何より真っ直ぐだった。
・・・紫雲の気持ちに応えるためだった。

「・・・うん。ボクも紫雲君のこと好き。好きだよ。
でも、でも・・・祐一君のことは・・・・大好きなんだよ・・・」


・・・あの冬の日。
絶望に包まれていた自分を救ってくれた、あの温かな手。
差し出してくれたタイヤキ。
想いを込めてくれた願いを叶える人形。
それを忘れることなど・・・あゆにはできなかった。

そうしてくれた人は紫雲ではないのだから。
世界でただ一人の相沢祐一だったから。

そして、その想いが理解できないほど、紫雲は愚かではなかった。
・・・悲しいことに。

紫雲は知ってしまっていた。
あゆの”祐一に会いたい”という想いがなければ、自分はあゆに逢うことさえできなかったことを。
感謝したくないのに、そうしなければならないことを。

「・・・”ぼく”達の出逢いは遅かったんだね・・・・・」

空を見上げて、紫雲は言った。
奇跡が起きそうなほど、綺麗な空だった。
・・・それが悲しかった。

「・・・そう・・だね。祐一君よりも先に、君に出逢いたかったよ、ボクも・・・」
「・・・・・そういってくれるだけでも・・・う・・れしい・・よ・」
「・・紫・・雲君・・・?」

割り切っていたはずだった。
どんな結末になろうとも、と。
でも、それはできなかった。
できるはずがなかった。
・・・紫雲の眼からはただ涙が溢れていた。

「・・・嬉し涙、だよ。気にしないで。・・・さあ、行こうか」
「・・・でも・・・・」
「・・・いいから。少しは、頼りにしてくれよ。少しでも、僕のことを好きだと思ってくれるのなら、その分だけでもいいから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うん」

・・・あゆもまた泣いていたことに、紫雲は気づかなかった。

優しい人間は、人を傷つけた時、その優しさの分だけ同じように傷つくという事を、紫雲は忘れていた。

そして、そんな二人は歩き始める。

あゆにとっての、とりあえずの家路へと。

・・・悲しい夜だった。
だが、この夜は確実に二人を近づけていた。
何故なら二人は自分たちの気持ちを知ったのだから。
”知っている”というのと、”知らない”というのは雲泥の差である。

この後、二人は動き始めることになる。
”知った”想いに応えるために。


「・・・・・・・ん」

紫雲の視界が揺れた。
世界が涙でにじむよりも激しくも、優しく。
その時、紫雲はふと思い出した。
別れ際、”彼女”が言っていたことを。

『じゃあ、真琴ちゃんお休み・・・』

水瀬家の玄関先で。
紫雲は背を向けて歩き出す。

『・・・紫雲』
『・・・なんだい』

振り向く紫雲。
そこにいたのは真琴であって真琴ではなかった。

『気をつけなさい・・・貴方の優しさと違って、貴方の力は無限ではないのだから』
『・・・・・?』

その言葉の意味を紫雲はまだ知らない。


夜も更けて。
水瀬家のリビングで寝息をたてる少女がいた。
その少女、真琴に毛布をかけて秋子はソファに腰をおろした。

その視線は真琴を見ながらも虚空を見ていた。
それもそのはずだった。見えないものを見ていたのだから。

「・・・紫雲さんにはお世話になってばかりね、今も昔も」

その眼が捕らえていたのは、過去だった・・・


・・・7年前。
一人の少女が事故にあった。
誰のせいでもない、悲しい事故。

「急げっ!!まだ間に合うはずだっ!!」

医者の声が響く、そこは病院。
移動式のベッドの上にいるのは悲しい少女。
・・・そして、その姿が手術室に消えた時。
その部屋の前には、一人の少年と、その叔母がいた。

「・・・・・・祐一君?」

秋子は自分の甥に呼びかけた。
いつも意地っ張りで可愛い甥。
その甥が今はもう命のない抜け殻のようだった。
秋子の呼び掛けにも答えない。

「・・・ココア買って来るから、待っていてね」

・・・それを告げることしかできない自分が、情けなかった。

自販機の前で、秋子は俯いた。

(私はあの子に何ができるのだろうか・・・)

そう思ったときだった。

「・・・どうかしたの、お姉さん」

秋子がその声の方を向くと、そこには祐一と同じ年くらいの男の子が立っていた。
その目は鋭さと優しさを同居させた、強い眼だった。


それが、草薙紫雲と水瀬秋子の本当の出会いだった・・・


・・・続く。


第34話 過去という名の”いま”へ

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