Kanon another1”snowdrop”第32話
第32話 いらないもの、そしてただ求めるもの(後編)
それは少し昔の物語。
傷を負った狐は少年に出会った。
少年は狐を大切にした。
・・・やがて、別れが訪れた。
少年が狐に与えたもの。
”それ”は人の温もりと一つの名前。
・・・もしも、”それ”を知らず知らずに追い求める少女がいるとしたら、それは奇跡をその身に纏った悲しき妖狐の童話なのかもしれない・・・・・
「・・・この子はどう?」
その腕に子猫を抱えた紫雲が真琴に言った。
その腕や顔に無数の引っかき傷ができていた。
「・・・よく似てるけど、違う。あの子はもっとふわーってしてた」
「・・・そうか」
「・・・・・早く放してあげて」
真琴の言葉で、自分が抱える子猫が窮屈そうにしていたことに紫雲は気付いた。
ガラスを扱うような丁寧さで紫雲は子猫を地面に下ろした。
にゃあ〜と一声鳴くと猫はさっさと何処かへと去っていった。
それを見て、紫雲はふっと笑った。
紫雲が笑った理由は二つあった。
一つは猫が可愛かったから。
もう一つは。
「優しいんだね、君は」
紫雲はなんとなく呟いていた。
そうしなければ、この子が遠くにいってしまうような予感があったからだ。
「・・・そうなのかな。よくわからない」
それは遠慮でも謙遜でもなかった。
人との繋がりが薄い彼女には、”優しさ”を理解するのは・・・
(・・・いや、違うな)
紫雲は気付いていた。
彼女は、理解している。
それゆえに誰よりも優しい相沢祐一のもとにいたのだろう、と。
「・・・・・ん?」
一瞬。
一瞬だけ、紫雲の視界が揺れる。
それはまるで世界が陽炎に包まれるように。
しかし、瞬きをするような刹那だったため、紫雲はそれは些細なことだと判断した。
「紫雲く〜んっ」
「・・・見つかった?」
紫雲の言葉を、あゆは首を横に振って否定した。
「そっか・・・」
そこに舞と佐祐理も後を追うように現れた。
「・・・・・こっちにはいなかった」
「猫さんはたくさん見かけるんですけど、真琴さんのおっしゃるような猫さんは・・・」
「そうですか・・・大丈夫だって、すぐに見つかるよ」
不安そうな顔っをする真琴の頭を紫雲は軽く撫でてやった。
いつもの彼女なら”子供じゃないっ”と振り払っていたのだろうが、よほど落ち込んでいるのか、されるがままになっていた。
そうしながらも紫雲の頭には疑問が浮かんでいた。
(・・・何故、僕はこんなにもこの子が気にかかるのだろう)
その時だった。
ふと視線を感じたのでそっちの方に目を向けると、あゆが何か言いたげな表情で自分をじっと見つめていた。
その、あゆの視線の意味は理解できないでいたが、紫雲は一つ理解した。
(ああ・・・そうか、似ているんだあゆと)
真琴と、あゆ。
この二人に紫雲が抱く、共通のイメージ・・・そのハカナサ。
(だから何とかしてあげたいか・・・ったく自分勝手な話だ)
紫雲は自分の考えにうんざりした。
だが、それでも自分が動くことにより誰かが幸せになれるなら、と自分を納得させることにした。
紫雲は思う。
もしこの世に神や天国や地獄というものがあるのなら自分は地獄行きだろう・・・偽善という罪で。
・・・罪を裁かれるのは一向に構わない。
(だが、今はまだそういうわけにもいかない)
あの時の誓い。
みんなを幸せにしたいという傲慢。
(それを果たすまでは、な)
その想いを力に代えて。
紫雲は、もう一度探そうと友人たちに呼びかけた。
「あうーっ」
真琴はキョロキョロと目を動かし、体を動かしながらぼやきとも呻きともつかない声を上げた。
その姿を笑う人もいたがそんなことにも気づかないほどに真琴は真剣だった。
「・・・どこにいったんだろ・・・・」
その服は所々汚れていた。
その事には気づいてはいたがそんなことに構ってはいられなかった。
その周りには紫雲達の姿はない。
捜索範囲を広げるために、一人一人で探そうということになっていたからである。
「・・・あうーっ」
もう一度呟いて、額に滲み始めた汗をぬぐおうと顔を上げた時だった。
「みゃあ」
「・・・いた」
さっきまで見つからなかったのが嘘であるように、その子猫は歩道の真ん中にチョコンと座っていた。
「・・・よかったあ」
真琴はとりあえず猫が無事であることに安心した。
「さっきはごめんね」
そう言いながら真琴が近づこうとすると、猫はみゃあと鳴いて、ヒョコヒョコ歩きはじめた。
「え、ちょっと・・・どこにいくの?」
「みゃあ」
振り向いて子猫はもう一度鳴いた。
そして再び歩きはじめた。
まるで彼女を見知らぬ世界へと導くように・・・
「・・・来ないね、真琴ちゃん」
あゆが白い息とともにそう言った。
その表情は”心配”という色で彩られていた。
その他の人々もそうだった。
・・・30分経っても見つからない時はもう一度ここ・・タイ焼き屋に集まる、そういうことになっていた。
真琴には、設定した時刻になるとアラームが鳴る紫雲の腕時計を持たせていたので時間が分からなくなったということはないはずだった。
しかし、彼女は姿を見せなかった。
「・・・なにかあったのでしょうか・・・?」
皆の視線が紫雲に集まる。
・・・その時。
紫雲と舞の表情が変わった。
『感じる・・・』
二人の言葉が重なる。
「はえ?」
「え?」
あゆと佐祐理の困惑した声が上がるが、二人には聞いていなかった。
二人が顔を見合わせて、視線を向けた先には・・・
そこは丘だった。
見渡す限り草ばかりで他には何もなかった。
いや、あるにはあった。
そこから見渡すことのできる町の風景。
それは美しいと言えないことはなかったが、そこにいるモノ達にとってはどうでもいいものだったので、存在しないのと同義だった。
その世界の中心で一人と一匹は寝転がっていた。
「寒いね・・・」
真琴がそう呟くと、子猫はピョンと彼女の懐に飛び込んだ。
「うわ・・・暖かい・・・ありがと」
「みゃあ」
会話らしきものはそこで途切れた。
そこにいるモノ達にできたのは後は空を眺めるばかりだった。
彼女の脳裏にあるのは怒った祐一の顔だった。
もう、どこにもかえれない。
もういくばしょもない。
空は赤く染まり、冷たい風が夜の到来を告げていた。
「・・・君も独りぼっち・・・」
真琴は一人言葉を紡ぎはじめた。
そうしなければ寒さに耐えられないような気がしたからだった。
・・・そうすることはさらなる”寒さ”を生むことになるとも知らずに。
「・・・私たち、同じ邪魔者・・・どこにもいけないんだね」
「・・・どうして?」
唐突に響いたその声に驚いて真琴は起き上がった。
そして振り向いた先には、少女が立っていた。
「美汐・・・・・」
つい最近知り合ったばかりの少女、天野美汐がそこにいた。
その手には小さな花束が握られていた。
「どうしてこんなところにいるの?」
その美汐の問いに真琴は今まであったことを全て話した。
決して分かりやすいとは言えないその話を美汐はうんうんとしっかり頷きながら最後まで聞いていた。
それが真琴には心地よく感じられた。
「ねえ、真琴」
全てを聞いた美汐が口を開いた。
その手は子猫の頭を撫でている。
「なに?」
「真琴はこの子を邪魔者だと思いますか?」
そう言って美汐は子猫を抱え上げた。
子猫はその細い目でじっと真琴を見つめた。
「ううん、違う・・・思わない・・」
「それならなんで邪魔者だなんて言ったの?」
怒るわけでも咎めるわけでもなく、ただ静かに問いかけた。
「だって、独りぼっちだったから・・・そう思った・・・」
「・・・そうですね。確かにこの子は独りぼっちだったかも知れません。でも、もう違うでしょう。だって、貴方に出会ったのですから」
「え・・・」
美汐は子猫をスッと真琴に差し出した。
真琴は、反射的にそれを受け取った。
子猫はみゃあと鳴いて真琴に甘えていた。
(・・・野に、帰してあげるべきよ・・・)
それは真琴自身自覚していない、真琴の本能の言葉だった。
そのはずだった。
・・・それなのに。
気がつくと真琴は、子猫の頭を撫でていた。
「・・・かわいい・・・かわいいよぉ・・・・」
愛しくてたまらなかった。
それは、この子を独りぼっちにしたくないという、独りぼっちになりたくないという・・・
本能を越えた想いだった。
「・・・そうだよな」
いつのまにか。
そこには紫雲達もいた。
「紫雲さん・・・」
「こんにちは、天野さん」
「・・・美汐、でいいです」
「ああ。・・・・・真琴ちゃん、猫見つかったんだね」
「あう・・・ごめんなさい・・・ちゃんと言わなくて・・・」
「君達が無事なら、いいんだ」
そう言って紫雲は笑いかけた。
それに対し、真琴は不器用ながらも笑みを返した。
「・・・真琴、これ」
そんな真琴に、舞が携帯電話を差し出した。
佐祐理が持っている物とセットで買ったものらしい。
携帯自体知らないあゆはそれを物珍しそうに眺めていた。
それは真琴も同じで、おそるおそるそれを受け取った。
と、同時にそこから声が聞こえてきた。
それは真琴にとって一番聞き慣れた声だった。
『真琴か?』
「・・・祐一?」
『話は聞いた。猫はちゃんと見つかったか?そいつにちゃんと謝ったか?』
「え・・・?うん・・・」
『許してもらえたか?』
「え、と、なんだかよくわからないけど甘えてる・・・」
『なら、ささっと帰ってこい』
「え・・・その・・・祐一は怒ってないの・・?」
『そいつが許したんなら、俺が怒る意味はないだろ』
「え・・・でも・・・」
受話器の向こうでハア、とため息が洩れた。
「な、なによぉ・・・」
『・・・いいか、一度しか言わないからよく聞けよ。お前は俺たちの家族だ。少なくとも記憶を無くしている間はな。・・・俺はすごく不本意なんだが、思いたくなくてもそう思っちまうんだから仕方がない』
「え・・・」
『例え家族じゃなくても、大切な奴だ。これまた不本意だがな・・・だから・・・っておい』
『真琴、早く帰っておいでよ〜祐一が寂しそうにしてるよ〜痛っ』
『・・・肉まん、たくさんふかして待っていますから』
『・・・というわけだ』
子猫が、真琴と出会って独りぼっちではなくなったように。
真琴は独りぼっちではなかった。
なぜなら。
彼女はすでに出会っていたから。
自分が求めてやまなかったものに巡り合っていたから。
「・・・うんっ!ちゃんと帰るねっ!!絶対絶対帰るからねっ!!首を洗って待ってなさいよぉ!」
涙を浮かべて答える少女は、これ以上はないほどに幸せそうだった。
その胸に抱かれし子猫も。
その後ろでは、あゆが、舞が泣いて、佐祐理が、美汐が、そして紫雲が微笑んでいた。
それを優しく包むように、世界が赤く染まっていた。
・・・それは、今、この時生まれた物語。
・・・それは人の温もりと、一つの”名前”を自分のものにした、奇跡を身に纏った少女の、温かな物語。
・・・続く。
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