Kanon another1”snowdrop”第30話
第30話 紫色の錆
「う・・・・ん・・・・」
ボクはゆっくりと目を開いていった。
光が溢れ出ている。
さっきまでは暗闇に覆われていたはずなのに・・・
ここはどこだろう。
・・・・・天国、なのかな。
ボクはその時そう思ったけど、それはあっさりと否定された。
「・・・紫雲、天使さんが起きたみたい」
「ほんと?・・・よかった・・・あゆ?どう、調子は?」
・・・どこだかよくわからない部屋。
そして、ボクの視界一杯に写る、紫雲君の顔。
その表情はとても明るく、嬉しそうだった。
・・・ボクを責める気なんか微塵もない顔だった。
「・・・大丈夫だよ・・なんともない・・・あの・・」
「なに?」
「ボク・・・ボクは皆に・・・」
謝らなきゃ・・・そう言おうとした時だった。
ぽかっ!!
「う、うぐぅ・・・紫雲君・・・・?」
・・・紫雲君が・・ボクを・・叩いた・・・?
今までそんなことは一度もなかったし、今だって予想すらできなかった。
なんというか、自分が何をされたのかいまいち理解できていないような感じだった。
紫雲君は無表情に言った。
「・・・あのねえ。どうして君が謝るかな」
「え?だってボクは・・・・!」
皆のことを殺しかけて・・・・
・・・・・そんなことを口にはできないボクはそこで口をつぐんだ。
そこで紫雲君はまたボクの頭をはたいた。
「・・・うぐぅ・・・・ひどいよ」
「・・・ったく。いい?昨日のは、悪いことが重なっただけなんだよ。
・・・・悪夢だったんだよ」
そう言う紫雲君の顔はさほど深刻ではなかった。
なんというか・・・例えるなら、一週間前のテストが悪かったことを思い出して苦笑いをしているような・・・そういう顔だった。
「あゆ一人だけならあんなことをしようとは思わないだろ?」
「そ、それはそうかもしれないけど・・・」
「・・・それでも、もしあゆが悪いって言うのなら、僕らだって悪いってことになるよ」
とそこで、襖の影から女の人が姿を現した。
「・・・そうですよ。夜の校舎で舞が苦しんでいるのをずっとどうにもできなかった佐祐理にも責任はあります」
なぜか制服の上にエプロン姿の佐祐理さん(だったと思う)がお皿をたくさん抱えた姿で部屋に入ってくるなりそう言った。
そして、そのお皿を部屋の中央に置かれたテーブルの上に並べていった。
そのお皿の上にはたくさんの料理があった。
それはとてもおいしそうで、ボクはついほんの少しだけ気をとられてしまった。
そんなボクに佐祐理さんはニコリと微笑んだ。
・・・佐祐理さんもボクに怒っている様子はなかった。
「・・・・・それに」
舞さんの一言が、再びボクを話に軌道修正させた。
ボクは少し息を飲んで、舞さんに向き直った。
舞さんもまた、ボクに怒っている様子はなかった。
「それに、魔物をずっとあそこに放っておいたのは私の責任だと思う」
「・・・そして、僕は君を、知らない内に傷つけてた。それも原因の一つなんだろ?」
「・・・・・」
「だから、僕にも責任がある」
「そんな!!違うよ!皆は悪くない!」
と、ボクが必死にそれを否定した時、紫雲君がふっと笑った。
「と、あゆが思ってくれているように、僕たちもあゆが悪いなんて思ってないよ」
「・・・・あ・・・」
「だからさ・・・」
「だから、もうやめましょう?誰かの所為にする必要なんてないじゃないですか」
「みんな、オアイコだと思う。みんな馬鹿だった」
笑っていた。
皆が笑顔だった。
とても自然で穏やかな笑顔。
紫雲君も、佐祐理さんも、そして笑顔から遠いと思っていた舞さんも。
昨日のことがあったから、みんな笑っている・・・?
「そうだよ」
紫雲君のその言葉は舞さんの言葉の肯定だった。
でも、その時のボクには、ボクの心を見通した上での肯定に思えてならなかった。
そして、紫雲君はボクの心を見通してもきっと同じことをいっていただろう。
都合のいい考えかも知れない。
でも・・・そう、信じられた。
紫雲君はポンとボクの頭に手を置いていった。
「・・・もう、いいだろ?朝ご飯にしよう」
もう、これ以上、何かを言う必要はなかった。
ただ、こう言えばいいと素直に思えた。
「・・・・・うん!!」
ボクも笑った。
なんだか、目が熱かった。
悲しい時みたいに、7年前祐一君にはじめて出会った時のように。
でも、笑っていた。
嬉しくて、嬉しくてどうしようもなくて・・・・
笑っていたんだ・・・・・
「・・・さっきは痛かったよ〜」
「うっ・・・・・それもちゃらに・・・・」
「できないよ」
「・・・・・悪かったよ〜」
「・・・では、すまないな、これは・・・」
命は手入れの行き通っている髪を掻きむしった。
自分の目の前に横たわる少女。
・・・7年間眠り続けている少女がそこにはいた。
その体にはまるで植物でも生えているかのように、ありとあらゆる場所に心電図やら点滴やらの管が張り付けられ、刺されていた。
「・・・・・まったく何が悪かったんだろうな・・・・・
・・・・・・・・まあ、私、なんだろうな」
命はそれだけ言ってあゆの額に手を置いた。
その手が、光に包まれた・・・がすぐに消えた。
「やめておこう・・・今更、だしな。
・・・・紫雲が行動しても何も変わっていない・・・・
・・・・無駄、だったのかもしれん・・・・
・・・・やはり、あの時に・・・・」
その言葉を心の底に打ち消して、命はその病室を後にした・・・
「・・・え?そうなの?・・・よかった〜うん。分かった。祐一にも伝えておくね。・・・・はーい。それじゃ」
がちゃ。
僅かな休み時間の喧騒の片隅で、静かに受話器が置かれた。
職員室前の公衆電話はいまのところ彼ら、祐一と名雪以外に使うものはいないようだった。
だから祐一は特に気にもせずにそのままの状態で名雪に話しかけた。
「で?なんだって?」
「うん。あゆちゃん、草薙君が見つけてくれたんだって」
「・・・そうか・・まあ、無事ならいいんだが・・・
・・・・だから、草薙、今日は来てないのか」
「うん。たぶん、ずっとあゆちゃんを探してくれてたんだよ」
名雪は笑ってそう言った。
だが、名雪も祐一も知らない。
それは正しくもあるが、間違ってもいることを。
昨夜、自分たちのいる場所でなにがあったのかを。
・・・物語の登場人物たちは己の役割以外のことを知ることはできないのだから。
「しかし、昨日は大変だったようですね」
秋子は頬に手を当ててそういった。
・・・病院の”あゆ”の病室の前に二人・・・秋子と命はいた。
「ああ。ったく愚弟も面倒を呼び込むのが好きというか・・・」
「でも、そのおかげで、あゆちゃんは救われ、舞さん・・・だったかしら・・・も救うことができた・・・・
やはり、紫雲さんは”さだめのひと”なんでしょうね、ある意味で」
「冗談は止してくれ。そんなのはただの言い伝えに過ぎない。カビの生えた、な」
「ええ、わかっています。それでも紫雲さんは一つ運命を乗り切った・・・・そう言っていいと思います。
私たちではできないことをやってくれた・・・そう、感じます」
「・・・・・・・かも、しれない」
それだけ言って、二人は思いを馳せた。
夢にまどろむ少女と、それを守る少年に。
・・・そのころ、草薙家では・・・・
バクグシャモグモグ・・・・ゴクン・・・・
「・・はえ〜」
「・・・・・うぐぅ・・・」
「・・・・・すごい」
三人は、紫雲の食べっぷりにすっかり目を奪われていた。
紫雲は食べていた。
目に写るすべて(生物除く)を。
その勢いたるや、フードファイターも真っ青だった。
・・・数分後、余分に作られた料理はすべて綺麗に平らげられていた。
「・・・・・はふ・・・うーん、もうないのか残念・・・」
「すごいですねーっ、きっともっと大きくなれますよ〜」
「もっと大きくなったら大変だと思いますけど・・・」
やや控えめにあゆが突っ込んだ。
「しかし、佐祐理ははじめてですよー学校をさぼってしまったのは」
「私も・・・・・」
「・・・二人とも家に連絡入れたんでしょ?それじゃ真のサボリとは言えませんよ」
ちっちっち・・・と指を振って紫雲は言った。
その様に舞と佐祐理は苦笑した。
あゆだけは微妙な表情を浮かべていた。
(・・・学校、か・・・)
話に興じる佐祐理と紫雲は、あゆの変化に気づかなかった。
あゆの様子に唯一気づいた舞が口を開いた。
「・・・どうしたの?」
「え?なんでもないです」
「そう・・・」
舞の心遣いは嬉しかったが、余計な心配はさせたくなかった。
「・・・天使さん、何かあったらいつでもいって」
「・・・うん」
昨日の体験・・・黒あゆになった時、心がつながったことにより・・・この二人は強く結び付けられたのかもしれない。
あゆは、紫雲の時とは違う、妙な安心感を感じていた。
「しかし、せっかくさぼったんだし、このままここにいるのはもったいないですね・・・」
唐突に、紫雲がそんなことを言い出した。
「あはは・・・すっかり不良さんですね」
「学校よりも大切なものが世の中にはありますよ」
「この場合は違う・・・」
「ボクもそう思うよー」
「でも、紫雲さんの意見もごもっとも。ならどうでしょう。
いまから皆で何処かに行きませんか?」
佐祐理の言葉に皆の目がキュピーン!と輝いた。
・・・実は皆遊びたくて仕方なかったりする。
まあ、昨日が昨日だから当然といえばそうなのだが・・・
・・・結局、午後から皆で出かけることになった。
行き先はフィーリングで決めようということで、準備ができたらここに集まろうということになって、とりあえず二人は帰っていった。
あゆはまだ疲れているからと眠った。
・・・その手の中には壊れてしまった赤いカチューシャがあった。
・・・眠るその顔は涙ぐんでいるようにも見えた。
そして、紫雲はというと・・・
準備を手早く済ませて、あゆのそばに座っていた。
”できうる限り、あゆの側にいたい”
その想いがそうさせていた。
これからどうなっていくのだろうか?
疑念が頭から離れなかった。
それはこの少女も同じ、いや自分以上に恐れている・・・
(・・・でもね、あゆ。僕は守るよ。たとえこの身がどうなろうと、君のことだけは絶対に)
その想いを届けるように、紫雲はあゆの頭を軽く撫でた・・・
その時。
「・・・・・?・・・・?!」
その手が光り輝いたかと思うと、いきなり、紫雲の身体に凄まじい虚脱感が襲いかかった。
「・・・・・く・・・?」
視界が暗転する。
必死にそれを堪えようとしたが、抗うこともできず、紫雲はあゆの上に覆いかぶさるようにして、眠りに落ちた・・・・
・・・続く。
第31話 いらないもの、そして、ただ求めるもの(前編)へ
戻ります