Kanon another1”snowdrop”第29話
第29話 少女の檻・後編〜おもいでになるように〜
「きゃっ!?」
佐祐理さんが声を上げて、その場に膝をついた。
その一歩手前には、少しひび割れてへこんだ地面があった。
”あゆ”が放った衝撃波がそこに叩き込まれたからだった。
だが・・・妙だった。
「・・・な・・んで外し・・た?」
声も絶え絶えに僕はその疑問を口にしていた。
この外しようもない距離で、”あゆ”はその攻撃を当てることをしなかったのだ。
・・・”あゆ”はその質問には答えようとはせずこう言った。
「・・・佐祐理・・・・」
その声はあゆのはずだったが、舞さんの声とだぶったように僕には聞こえた。
「舞・・・!」
それはどうやら佐祐理さんも同様だったようで、”あゆ”に向けて笑顔を浮かべた。
しかし、それに対して向けられた”あゆ”いや”まい”の言葉は・・・
「・・・あなたはなぜ私に近づいたの?」
という、余りにも淡泊な問いだった。
それに当惑する佐祐理さん・・・それを知っていながら、いや知っているからこそ”まい”は再び口を開いた。
「・・・・・身代わりに私を選んだの?」
「・・・・・!!」
希望に満ちていた佐祐理さんの顔が闇に染まる。
”身代わり”の意味は分からない。
だが、それは佐祐理さんを揺り動かすのには十分な言葉だったようだ。
「どうなの?」
・・・僕は口を挟むわけにはいかなかった。
これは彼女の、佐祐理さんの問題だと思うから。
舞さんの問題でもなければ、あゆの問題でもない。
だから、である。
佐祐理さんはゆっくりと立ち上がった。
そして”まい”をしっかりと見据えた。
「・・・・・最初は・・・そうだったかもしれない。
でも、今は違う。
絶対に。
こんなことをいっても言い訳にしかならないかも知れない。
でも、言うね。
佐祐理は、舞のことが好きだから。
佐祐理のことを好きだっていってくれる舞が好きで好きでたまらないから。
身代わりなんかじゃないよ。
今の佐祐理は、今の私は、一弥よりも舞をとれるんだよ。
・・・一弥もきっとそれを望むから。
佐祐理の幸せを思ってくれるから。
辛いけど、悲しいけど・・・佐祐理はむかしじゃなくて、いまを生きているから。
だから・・・だからね・・・・」
佐祐理さんは泣いていた。
たぶん、自分が泣いていることすら気づいていないだろう。
涙を流しながら、ただひたすら、言葉を紡いでいる。
「・・・これで、十分だろ?」
これ以上の傍観はできなかったし、必要なかった。
佐祐理さんの気持ちはわかったはずだ。
そして、もうこれ以上、我慢できなかった。
「・・・・・僕は、俺は、いま、むかむかしてる。
何でかはわからない。
でも、ただ一つだけ言わせてもらう。
もう、これ以上、誰かを泣かせるのは・・・・・!!」
佐祐理さんを、舞さんを、そしてあゆを。
なかせるのはゆるせない。
・・・その、しゅんかん。
ぼくのむねをなにかがとおりすぎた。
「・・・・・ごふっ・・・」
赤い物が口から溢れ出た。
それが血であることを。
僕の胸を貫いたのが”まい”の放った収束された”力”であることを知ったのは。
僕が床に倒れたその時だった。
私は走っていた。
いつも、駆けていた夜の校舎を走り続けた。
本当は、あそこにいたかった。
いつだって陽だまりのような空気を感じられるあの場所にいたかった。
佐祐理はいつだって笑っていた。
たまにくる祐一も笑っていた。
最近よく来る紫雲は難しい顔をしたりしながら、何かを考えたりしていたけど、結局は笑っていた。
でも、いまあそこに居続けることは、あそこを失うことになる。
そんな気がして、私は走っていた。
自分自身と向き合うために。
そして、わたしはそこにたどりついた。
そこには、私が見たくない光景が広がっていた。
赤く染まった床。
倒れ伏す、人々。
そして、その前に立つ、私のかけら。
から・・・・・・ん・・・・・
手に持っていた剣が、床に落ちた。
「さ、ゆり・・・?」
いつだって笑っていた親友。
「しうん・・・?」
難しいことばかり言っていた気がする、新しい友達。
二人とも、動かなかった。
いまは、まだ生きているのかもしれない。
でも、それが尽きるのは時間の問題かもしれない。
ふたりのいのちがつきるのは。
これが、代償なのだろうか?
10年前、嘘をついてまでこの場所に留まったことの。
それはこんな結末を迎えるためのものだったのだろうか?
あの時以上の悲しみを、迎えるためのものだったのだろうか?
ちがうはずだ。
ちがうはずなのに。
なぜ、こうなってしまったのだろう?
私はぼんやりと”わたし”と天使さんが混じった”ヒト”を見ていた。
それ、も同じようにぼんやりとこっちを見ていた。
いや、同じように、じゃない。
同じなんだろう、たぶん。
人に裏切られた結果。
そこにある共通点。
でも、私は人に憎しみを抱いたことはなかったと思う。
ただ、悲しいだけで。
悲しすぎるだけで。
だから。
「・・・・・わたしが憎い?」
「・・・・・・ボクが憎いですか?」
その声が同時に耳に入った時も、私は即座に答えていた。
「ぽんぽこたぬきさん」
違う。
憎いとは思わない。
ただ。
「どうして、こんなことをするの?」
それが不思議だった。
「・・・・・・・」
その問に彼女らは答えなかった。
そして、ゆっくりと、手をかざした。
・・・・・そして、そこから力が放たれた。
私にはそれを防ぐ手段もなかったし、そんな気も起こらなかった。
もう、ここにいる理由がなかった。
佐祐理も紫雲も、ここにはもういないから。
私は、待った。
”わたし”が私に”剣”を突き立てる瞬間を。
でも、それは訪れなかった。
私の目の前に立つもう一人の”人”がその力を受け止めたからだ。
それは倒れた紫雲の中から現れた。
「誰?」
「まいだよ。紫雲の中にいた”まい”。彼の想いを、人の想いを伝えるためにここにいたの」
そう言って、彼女は私の手を握り締めた。
そこから、全てが伝わってきた。
草薙紫雲という人のすべて。
そして、彼から見た世界のすべてを。
その世界は温かかった。
彼が絶望を知ってもそれは変わらなかった。
あの日失ってしまったもののすべてがそこにあった。
・・・希望があった。
・・・・・だから。
だから、私は生きていく。
そして、私は再び、今を見た。
動かなくなってしまった佐祐理、紫雲。
絶望に捕らわれてしまった、月宮あゆという名前の天使。
私は想い、願った。
紫雲と同じように。
”みんなが、しあわせでありますように”
「純粋な願い。私たちはそこから生まれた。だから、そこに戻るの」
その言葉に私は頷いた。
すると”まい”が光に包まれて、その姿を変えた。
木の枝から、木刀に、そして光り輝く剣に。
私は中空に浮かんだそれをしっかりと掴んだ。
『舞さん!』
『舞!』
二人の想いとともに、私はゆっくりと”わたし”に近い天使さんに近づいていった。
天使さんは何も言わなかった。
何もしなかった。
私は彼女の前に立った。
そして、最後の剣を振るった。
黒い翼が斬り裂かれ、光となって、剣に吸収された。
後に残ったのは、リュックから生えた、作り物の翼。
そして、疲れきった天使さん。
私は、剣を床に置いて、彼女に向き合った。
その瞳からは涙が流れ続けている。
彼女はその頭についたウサギの耳がついたカチューシャを外し、スッ・・と私に差し出してくれた。
彼女はずっとそれを、ひとかけらの私を守っていてくれたのだ。
紫雲を信じて、紫雲が信じる全てを信じて、意識のギリギリで絶望と戦っていたのだろう。
私は、それをしっかりと受け取った。
そして、それを頭につけた。
・・・十年の時を経て、今、帰るから。
そして。
全てが光に包まれていった。
「う・・・・・・・ん」
「はえ・・・・・」
紫雲と佐祐理はゆっくりと起き上がった。
空には光が差し始めていた。
「・・・・・あれ・・・?僕、死にかけたような気がしたんだけど・・・」
「佐祐理も・・・そのはずなんですけど・・・?」
「・・・・・大丈夫。怪我は、治したから」
その声に、二人はゆっくりと振り返った。
そこには。
そこには、眠ったあゆを膝に寝かせて座る、舞がいた。
「・・・・・え・・・と・・・」
「舞・・・終わった・・・の?」
二人の顔にはまだ疑念があった。
しかし、それは次の瞬間、一瞬にして払われた。
「・・・・・・うん。紫雲の、佐祐理の・・・そして天使さんのおかげ。
・・・・・・・ありがとう。
・・・・・・・本当にありがとう」
笑った。
川澄舞が。
それは、幽かな笑みだった。
太陽に隠れる月のような。
でも、それは、今はどんなものよりも輝く、そんな笑顔。
それを見て、二人もまた笑った。
・・・それが何より尊いものだということを。
・・・それがこの夜を越えた証であるということを。
・・・それこそ、川澄舞の時が動き始めたということを示す、何よりの証だということを。
この場にいる皆が知っていたからである。
辛い夜があった。
悲しい夜があった。
でも、それは思い出。
いつか笑顔で話せる、そんな夜を越えた日。
少女が、檻から解き放たれた日。
・・・・・続く。
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