Kanon another1”snowdrop”第28話



第28話 少女の檻・中編〜たった一つの、愚かなやり方〜


「・・・ボクたちは、ここで終わるよ・・・」

あゆ・・・いや、あゆの形をした少し違う存在はそう言った。
その言葉に紫雲は困惑した。

「どういう、ことだよ、あゆ・・・」
「言葉どおりの意味だよ。ボク月宮あゆも、彼女たち魔物もここにいちゃいけない存在なんだ。
・・・大好きな人たちが望んだから現れたのに、大好きな人たちはボクらをいらないって言うんだ。
・・・だから消える・・・たったそれだけのことだよ」
「・・・・・・・・違う!間違ってる!!誰もいらないなんて言ってない!!
君たちはここにいるべきなんだ!!」

紫雲は力の限り叫んだ。
そして、あゆに向かって歩み始めた。
しかし・・・・・

「近づかないでぇぇぇっ!!」

あゆがばっと腕を突き出した。
その先から、今までの比ではない力がこもった衝撃波が放たれた。

「ぐっ・・ああああ!」

避ける事もかなわず、紫雲は舞と佐祐理の間を抜けて、遥か後方まで弾き飛ばされた。
床を数度バウンドし、床に倒れ付した。

「・・・紫雲!」
「紫雲さん!?」

二人の声も紫雲には届かない。
紫雲はピクリとも動かなかった。

「・・・・・・ごめんね、紫雲君。
でも君が近づこうとするから悪いんだよ・・・
ボクに触れる勇気もないのに・・・」

その顔は何の感情も映し出してはいなかった。
紫雲、あるいは祐一がこの顔を見たら、気づいていただろう。
彼女は、月宮あゆではない、ということを。

月宮あゆが紫雲と接したことで知った、自身の中に眠る闇・・・そして、絶望。
川澄舞が残した”力”・・・希望のかけら・・・魔物が十年もの時の中で知った、あゆが感じたものと同じ、絶望という概念・・
それらが結びつき、生み出された、現実を否定する存在。
それがこの”黒あゆ”だった。

「ボクたちはここで終わる・・・
でも、ボクたちだけ終わるのは悲しいよね・・・
だから、あなたたちも、ここで・・・」

”黒あゆ”がそう言いかけた時だった。

「ぐ・・・・」

”黒あゆ”が苦しそうにうめいて、ペタンと地面に座り込んだ。
驚くべきことの連続で呆然としていた二人だったが、そこで我に返った。

「あゆ、さん・・・!?大丈夫、ですか?」
「天使さん・・・!!」
「・・・早く、早く逃げて!!・・・今、逃げないと、ボクはあなたたちを・・・紫雲君を傷つけちゃうよ・・・
そんなの・・・ぜったいに・・・やだよぉ・・・
だから・・・ボクが、ボクでいるうちに・・・はやく・・・」

それは、あゆの全てをかけた言葉だった。
そして、それが長く持たないことは誰の目にも明らかだった。

「舞!」
「・・・・・・」
「まいっ!紫雲さんを連れて、ここから逃げないと」
「・・・・・分かった」

二人は、紫雲の方まで走ると、紫雲に肩を貸すようにして、この場から去った。
その場に残ったのは、いまだ地面にしゃがみこんだ”あゆ”だけだった。


あの時。
あの衝撃波を受けたとき。
声が聞こえた。
それは・・・

『・・・さん・・・紫・・・さん・・・』

うるさいな。もう少しで思い出すのに。
でも、起きないといけない。
仕方、ない・・・

「・・・く・・・う・・・」

僕はゆっくりと身を起こした。
全身が痛む。
かつて受けたどんな打撃、斬撃、銃撃よりも身に、何より心に染みた。
・・・・・くそ・・・・!!

「紫雲さん・・・大丈夫ですか・・・?」

佐祐理さんと舞さんが心配そうにこっちを見ていた。
僕は笑ってあげたかった。
なんでもないと言いたかった。
でも、できなかった。そんな余裕がなかった。

「・・・・・ここは・・・いつもの、場所か・・・」

かろうじて、そういって感情をそらすのが精一杯だった。
・・・見回すと、僕らがいつも昼食を食べている、屋上階段の踊り場だということが良く分かった。
夜の空気に包まれてまるで別な空間なのに、この面子がそろっているとなぜだかいつもの場所と変わらないような気がした。
今、こんな状況だというのに・・・
そう思うと少し、気が落ち着いた。

「・・・あゆは・・・?」
「・・・佐祐理たちを逃がしてくれました。精一杯戦っていたと思います」
「そうですか・・・」

それだけで十分だった。
僕は全身の力を込め、立ち上がる。

「・・・・・!!」

痛みが僕の体を支配しようとする。

(負けてたまるか・・・)

歯を食いしばる。

(あゆが戦っているのに、苦しんでいるのに・・・負けてたまるか・・・!!)

僕は全ての痛みを飲み込んで、歩き始めた。

「紫雲さん!」
「大丈夫です。お二人は、ここにいてくださいね。
・・・佐祐理さん、今日は巻き込んでしまってごめんなさい。
舞さんのことはまた後日・・・ということで、お願いします。本当にすみません。
舞さん。佐祐理さんのことを守っていてくださいね。
・・・・・・あのとき、手を差し出そうとしてくれて・・・本当に嬉しかったですよ。これで、舞さんともっと仲良くできると思ったから・・・」
「紫雲・・・!」
「あのときの気持ち・・・覚えておいてくれると嬉しいです。
それじゃ、僕はいきます。・・・あゆを助けないと。それは、僕の役目ですから」

僕は微笑んだ。
今から僕がやろうとしていることは危険で、死ぬ・・・可能性が、高いから。
だからせめて、最後に接したということになるかもしれない人たちには笑っていたかった。
・・・佐祐理さん。
舞さんはきっと戻ってきますよ。貴方の元に。日の当たる場所に。
・・・舞さん。
貴方とはもっとお話したかったな。きっと、楽しかっただろうな。

「・・・・・行って来ます」

僕は最後にもう一度そう言って、走り出した。
あゆの元へと。


「・・・・・・・・・・・」

後には私と佐祐理が残された。
何故、こんなことになったのだろう?
魔物と戦うのは私のはずだ。
苦しむのは私一人でいいはずだ。
何故、天使さんが、紫雲が傷ついていかねばならないのだろうか?
そもそも、魔物とは一体何なのだろうか?
何故、彼らはここにいるのだろうか?
・・・思い出せ。
私はそれを知っているはずだ。
そうしなければ、とりかえしのつかないことになる。
だから私は精一杯思い出そうとした・・・

『・・・大好きな人たちはボクたちをいらないって言うんだ・・・』

いらない・・・?

遠い日、そう思った。

なんて?

こんな力、いらない。

なんで?

この力のせいで、皆いなくなった。
お母さんが悲しい思いをした。
あの子が、遠くへいった。

『魔物が私たちの場所を・・・』

・・・・・魔物?

・・・・・そんなものはいない。

・・・・・それは嘘。

嘘なんだよ・・・!


「ああああああああああああああああっ!!」
「舞っ!?どうしたのっ!?」

佐祐理がびっくりしていた。
でも、私はそれどころじゃなくなっていた。
怖かった。
全てを思い出した。
だから怖かった。
自分の罪が。
・・・だから・・・・
佐祐理にしがみつくことしかできなかった。

「舞?どうしたの?」
「・・・全部、思い出した・・・私が・・・私が・・・魔物を作ったんだ・・・」

私は、全てを佐祐理に話した。
お母さんが昔、病気だったこと。
私が願ったら、それが治ったこと。
でも、その力のせいで今まで住んでいた町を離れなければならなくなったこと。
男の子に出会ったこと。
男の子もいなくなったこと。
そして、それを引き止めるために、嘘をついたこと。
・・・魔物が来るなんていう、陳腐で、悲しい嘘を。
「・・・・・そうだったの・・・・・」

佐祐理はそれだけしか言わなかった。
怒りもしなかった。今危険な目にあっているのは自分のせいなのに。
優しい顔で、私の頭を撫でてくれるだけだった。

(温かい・・・・・)

ずっとそうしていたかった。
でも、そうはならなかった。
佐祐理は私からそっと離れると、言った。

「佐祐理、ちょっと出かけてきますね。舞はここにいてください」
「だめ・・・佐祐理・・・ここにいて・・・」
「あははーっ。つまり、魔物さんは舞なんでしょ?
だったら、絶対大丈夫ですよ。だって・・・・・
・・・・・・舞は、佐祐理の親友ですから。
じゃ、いってきますね〜」
「佐祐理・・・・・」

私は目一杯、手を伸ばした。
それでも、走り出した佐祐理の背中には届かなかった・・・・・
私は、がっくりとその場に膝をつくことしかできなかった・・・・・


「ぐあっ・・・あああっ!!」

僕はその一撃を受け止めた。
その時、声が聞こえた。

『寂しいよ・・・』
「・・・そうか・・・・」

僕は顔を上げて、あゆを見た。
あゆの顔には何の表情も浮かんではいない。
その代わり涙がただ流れていた。
それが、いまだあゆがあゆである何よりの証だと思った。

・・・僕の思ったとおりだった。
何故、魔物は攻撃を仕掛けてくるのか。
それは、自分の気持ちを伝えるための手段だったのだ。
耳の中に鉄パイプを通すような、強引な手段。
そうする事でしかできないのだ、彼女らは。
僕の中にいまだいる”まい”も肯定していた。
まったくもって、生み出した本人同様どうしようもなく不器用だった。

「ま、不器用なのは、僕も同じか・・・」

だから、僕は”あゆ”の攻撃を受け続けていた。
そうする事でしか気持ちが伝えられないというのなら、僕もそれに従うまでだ。
幸いにして、僕の中にいる”まい”のおかげで気持ちはダイレクトに伝わってくる。
全身が痛い。もうこれは入院どころではすまないかもしれなかった。
腕も変な方向に曲がっている。視界が赤く染まっている。意識をつないでいるのも限界だ。
それでも、僕は気持ちが聞きたかった。
あゆの気持ちを。

『寂しいよ』
『辛いよ』
『なんでボクはここにいるの?』
『祐一君はボクを見ていないのに』
『祐一君のそばには名雪さんがいる』
『約束はどうなったの?』
『ボクは一人になっちゃったの?』
『紫雲君』
『なんでもっと近くにいてくれないの?』
『・・・・意気地なし』
『もっとはっきり言ってよ』
『ボクは馬鹿だから分からないよ』
『それができないなら近くにこないで』
『期待させないでよ・・・』

・・・それは確かにあゆの気持ち。
そして、真実だった。

「・・・ごめんな、あゆ・・・僕が駄目なばっかりに君を苦しめたんだね・・・
ねえ、あゆ・・・・・
僕は姉貴に教えてもらったんだ・・・・・
心依るべき場所はひとつじゃないって・・・
心苦しむ場所はひとつじゃなくていいって・・・
相沢君だけを頼りにしなくっていいんだよ・・・
君一人が苦しまなくたっていいんだよ・・・
君のそばに、僕はいるよ。
いるから・・・・・」

・・・・・あゆの様子は変わらない。
ゆっくりと手がかざされる。
・・・・・今度はもう、耐えられないかな・・・・

力が解き放たれる。

その時。
僕の前に誰かが立ち塞がった。

「・・・・・さ、ゆりさん・・・・!?駄目だ・・・・!!」

佐祐理さんは笑っていた。
そして言った。

「大丈夫ですよ・・・・」


・・・・・・・・・夜はまだ明けそうになかった。


・・・次回に続く。


第29話 少女の檻・後編〜おもいでになるように〜へ

戻ります