Kanon another1”snowdrop”第27話
第27話 少女の檻・前編〜閉じゆく心〜
・・・その日は。
その日の夜は風が強い夜だった。
それに相応しく、とても冷え込んだ夜だった。
それはこの町の何処だって同じだった。
すでにその色を失った商店街も。
人が通らなくなった遊歩道も。
あの空の果ても。
そして・・・人の訪れるはずのない夜の校舎も。
「・・・・・」
川澄舞はいつものようにそこにいた。
十年前から変わらず、ここを守護する偽りの存在として。
自分が狩っているものが何か、自分が守っているものが何かそれすらもわからないままに。
彼女は思っていた。
ずっとこのままであることは恐いと。
それでも、ここを離れることはもっと恐いと。
だから彼女はここにいなければならなかった。
・・・誰も、そんなことは望んでいないのに。
「・・・・・どういうつもり?」
床に座り込んでいた舞がゆっくりと立ち上がって、その問を闇の中にぶつけた。
その問に答えるように、答えるために。
闇の中から、二人が姿を現した。
一人はこの闇の訪問者。
おそらくは彼女よりはここに近い存在。
・・・草薙紫雲。
そして、もう一人は彼女の親友。
闇を照らすあかりにして、影を知る光。
・・・倉田佐祐理。
「・・・どういうつもりかって?」
ゆっくりと紫雲は口を開いた。
それはこの夜の始まりと終わりを告げる言葉。
「君を、ここから連れ出すつもりさ」
「・・・・・なぜ佐祐理を連れてきた?」
その声には僅かながら怒気がこもっていた。
それはそうだろうと僕は思った。
彼女は、彼女の親友で。
ここにいることは危険だと、彼女は思っているから。
でも、僕は知っていた。
ここは、そんな場所ではなかったことを。
本当は思い出が詰まった場所だということを。
何より、いまはその心配がないことを。
僕の中の”彼女”の力を借りて、ここはいま静かだったから。
でも、僕はあえてそのことは言わずにこういった。
「僕一人じゃ、何もできないから」
その言葉に舞さんは”?”という顔をした。
佐祐理さんは黙ってこの場の空気に身を委ねていた。
「どんなに声を大きくしても、僕の声はあなたに届かないんだ。
あなたに声を届けることができるのは、いまは佐祐理さんしかいないんだと思ったから。
だから、ここに連れてきたんだ」
「・・・必要ない。佐祐理はここにいらない。ここは私一人がいればいい」
「・・・舞」
佐祐理さんは進み出る。
心の距離も同じように簡単ならいいのに、と思った。
「ここは・・・”寒く”ない?」
「・・・上着が欲しいくらい寒い」
「あははーっ、違うよ、舞。・・・そういうことじゃなくて・・・心がってこと」
「・・・・・」
「一人でいるってつらくない?」
「・・・・・佐祐理がいるから、大丈夫」
「・・・佐祐理もそう。舞がいるから、こうやって笑えるようになった・・・
でも、舞は・・・笑ってくれない」
「・・・・・笑ってなくても、私は楽しい」
「それは、わかるけど、佐祐理はとても悲しくなるの。
人って、笑うことができるから。
だから笑うことができないって、悲しいと思うの」
「・・・」
「舞が笑えば、佐祐理は、私はもっと楽しくなるよ。
祐一さんだって、草薙さんだってそう。
でも、ここにいると舞は・・・笑顔になれないでしょ?」
「・・・そんなことはない」
「かもしれない。けど、心からってわけじゃない。
それは、いつもの舞よりも悲しいよ」
「・・・・・」
「嬉しいことは嬉しいと言えるかも知れない。
楽しいことは楽しいと言えるかも知れない。
・・・舞がいつも本気でそう言ってるのは知ってる。
・・・舞がいつもそう感じてるのはわかる。
笑顔じゃなくたって、いいとも思う。
けど、ここだとたくさんのものが手に入らないよ」
「・・・・・たくさんのもの?」
「うん。舞が知らないこと、たくさんあるよ。
知らないことの中には楽しいことがたくさんあって、
知らないから知ることが楽しくて。
・・・佐祐理もそうだったから。
”舞”を知って、佐祐理がたくさんのものを知ったように、思い出したように、
舞も知ろうよ。思い出そうよ。
ここには何時だって来ることができるじゃない。
その時は佐祐理が一緒に来てあげるから」
「駄目。ここは危ないから・・・」
「なら、舞もここにいなくてもいいじゃない。
・・・誰もいなければ、誰も傷つかないよ。
・・・それがいやだっていうなら、佐祐理も戦う。
・・・祐一さんだって、草薙さんだってそうだよ。
そうですよね?」
「・・・ああ、もちろん。誰かが戦わなければならないっていうんなら、
何もあなただけが戦わなくてもいいはずだ。
僕たちはあなたが大好きだから、一緒に戦うよ。
例えそれが魔物でも、あなたを縛り付けるのなら、僕らは何とだって戦うよ」
「・・・・・」
「だから、今は行こう。温かい場所に皆待ってるよ」
「舞」
僕たちは手を差し出した。
舞さんは迷子のような顔で僕たちの顔を見た。
・・・僕たちが舞さんに言ったことは所詮過去からの逃避なのかもしれない。
でも、僕はそれでいいと思う。
・・・立ち向かう事だけが正しいとは思わない。
時には逃げて、その中で答を見つけたり、
逃げた先の過ちで自分を知ったり、
そうやって人は自分と戦っていくんだ。
過去に立ち向かうんだ。
僕があゆと出会って、答を見つけたように。
・・・舞さんは差し出された僕らの手を眺め続けていた。
・・・やがて。
温かいのか、熱いのか、計りかねているような手つきで、
ゆっくりと手を延ばして・・・
・・・・・そんな時だった。
「!!」
「!?」
舞さんの手がぴたりと止まる。
僕の顔に緊張が走る。
・・・そんな馬鹿な?!
魔物の、気配だって?
ありえないはずだった。
でも、たしかに空気がざわついていた。
「紫雲・・」
「はい」
僕と舞さんは佐祐理さんを庇うように構えた。
不足の事態であることに混乱はしていたが、なにをすべきかわからないほどじゃなかった。
・・・悔やむのは後でできる。
とりあえず今は・・・・
僕がそう思った時だった。
もう一つの事態がそこにあった。
「・・・・・・・!!??」
「こんばんは、紫雲君」
「・・・あゆ!?なんで!?」
気配はまるで感じなかった。
なによりなんでこんなところに・・・?!
「ここに、呼ばれたんだ。ここはとても、悲しい場所で・・・
ここの場所がボクを求めてたんだ。
ボクも、ここが居心地がよさそうだったから・・・」
「なにを・・・言ってるんだ・・・・?」
さっぱり僕には分からなかった。
ただ一つわかるのは、あゆにこれまでの中で一番の悲しみが、苦しみが訪れているということだった。
「・・・・・いいからはやくこっちへ・・・」
僕がそう言った時。
全ての空気が、流れた。
あゆに向かって。
「あゆっ!!逃げろ!!逃げてくれ!!」
「草薙さんっ!!」
「紫雲・・・!」
僕はすでに走り出していた。
もうこの距離では・・・間に合わない・・・!!
その時のあゆは笑っていた。
悲しい、笑顔だった。
そして、言った。
「大丈夫・・・ボクたちは同じだから。
ここにいちゃ、いけない存在だから
・・・なかよく、できる」
そして。
それは起こった。
この校舎に存在していた魔物。
その全てが・・・あゆに、飲み込まれた。
「・・・・・・・!!!!」
あゆの姿が変わった。
カチューシャからはウサギの耳がチョコンと出ていた。
髪が長くなっていた。
背負っているバッグから生えている羽が、大きく、黒くなっていた。
まるであゆ自身から生えているかのようだった。
ゆっくりとあゆの目が開く。
そこにあるのはどうしようもないほどの、負の、感情だった・・・・
そこにあるのは、冗談と笑い飛ばしたくてもできない、
悪夢のような現実だった。
深い絶望の瞳で、あゆは言う。
「・・・ボクたちはここで、終わるよ・・・・」
・・・次回に続く。
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