Kanon another1”snowdrop”第26話
第26話 交わる想い、交わらない想い
・・・どんな夜があったとしても。
朝は必ず巡ってくる。
それはこの世界の理。
朝。
「・・・んじゃ、行ってくる」
「うむ」
玄関口で靴を履きながら僕は言った。
姉貴はいつものように鷹揚にそれにうなづく。
・・・この無神経さというか、器がでかいとでもいうのか・・・こういうところは尊敬すべき所なのかも知れない。
・・・気を取り直して、僕は姉貴に言った。
「姉貴、とりあえず、さんきゅ。アドバイスは僕なりに活かしてみるよ」
「今度は間違ってても止めはせんぞ」
「ああ。了解」
ピラピラと手を振って、僕は家を出た。
自分に何ができるのか。
どうやったら人を救えるのか。
・・・そんなことばかりを考えていた。
だから気づきもしなかった。
そこに驕りがあることに。
そこに、自分しかいないことに。
「さあ、今日は忙しくなりそうだな・・・」
通学路を歩きながら見上げた空は果てしなく広く、蒼かった。
吹き抜ける冷たい風さえも、今の僕には心地よかった。
と、そこに・・・
「あははーっ、おはようございます」
僕が今一番力を借りたいと思っていた人が姿を現した。
「・・・じゃあ、いってきます、秋子さん」
水瀬家の朝。
いつもはそこにある、慌ただしくも愉しい風景が今日はなかった。
「ええ。あゆちゃんのことは心配しないでください。
・・・私が責任をもって探しますから」
「・・・分かりました。ですが、俺たちも探しますよ」
「そうだよ、お母さん。何でも抱え込まないで」
自分の娘がそう言ってくれることに嬉しさを感じながらも、秋子は他のことを考えていた。
それは誰よりも優しい、自分より人を優先する笑顔の少ない少年。
・・・彼が下した選択は正しいのか・・
自分を犠牲にすることを、果たしてあの少女は喜ぶだろうか・・・?
しかし、もう後には戻れなかった。
それが間違いというなら、彼はきっとそれをも正して進んでいく・・・
そう信じたからこそ、秋子は彼に全てを委ねたのである。
そう。
友人がいつも自慢げに話していた、全てを救うヒーローに憧れ続ける少年に。
「それから・・・紫雲さんには・・・・」
「わかってます。なるべく話さないようにします」
その祐一の言葉に秋子は静かに頷いた。
だからこそ、せめて彼のために舞台ぐらいは整えてあげたい・・・
それが秋子の想いだった。
それは紫雲のやろうとしていること・・・即ちあゆの想いの成就の邪魔になるかも知れない。
だが、このままあゆと紫雲を遠ざけることは悲しすぎる・・・そう感じたのだ。
「・・・いってきます」
「いってくるよ〜」
「いってらっしゃい」
秋子は、二人を笑顔で見送った。
どんなに辛くとも、それが自分のやるべき事だと信じているからだ。
・・・どんなことがあろうとも、己のやるべき事を果たしていく・・・、それこそ秋子が紫雲と交わした、暗黙の約束だった。
・・・誰も気づきはしなかった。
その様子を何処からか見ている存在に。
その存在は只こういって姿を消した。
・・・まるで始めからそこにいなかったように。
「・・・・・ごめんなさい・・・ボク、捜し物しなきゃ」
いつものように。
時は流れていく。
いろんな想いがあって。
いろんな言葉があって。
それらの積み重ねが、今をつくっていく。
そんな当たり前の日常。
放課後。
僕はこの時がくるのを待ちわびていた。
いつだってそうだが、今日は尚皿だった。
・・・あゆに会いにいこう。
そのことで頭がいっぱいだった。
何を話すかなんて考えていない。
何を伝えるかなんて問題じゃない。
とにかく、話がしたかった。
無論、想いの成就を忘れたわけではない。
でも、そのことを言い訳にして、気持ちを偽る必要はない。
それがわかった。
あゆにはあゆの想いがある。
でも、それは誰だって同じなのだから。
「遠慮は、いらないよな」
僕は鞄を肩に引っかけて教室を飛び出した。
「祐一・・・あゆちゃん、いないね・・・・」
「・・・ああ・・・・くそっ
祐一は、自分の無力さを否定するかのように、拳を近くに立つ木にありったけの力でで叩きつけた。
木が揺れて、その枝に積もっていたわずかな雪が、ぱらぱら・・・と空から降りてくる時にそのままに二人に降り注いだ。
二人は学校から終わってから、あゆを探して街をさ迷い歩いていた。
だが一向にあゆの姿は見えなかった。
まるで、霞を掴むような感覚が二人にはあった。
「・・・祐一・・・・」
「・・・心配ないよ。俺は・・・大丈夫だから」
「でも、手・・・」
祐一は言われて初めて自分の手に僅かながら血が滲んでいることに気づいた。
「こんなの、平気だって」
「駄目だよ、ちゃんと消毒しないと」
「心配症だよな、名雪は」
そう祐一が呟いた次の瞬間。
名雪は祐一の手を取って、傷口の当たりにかみつくように・・・いやどちらかといえばキスをするように口をつけた。
「な・・・」
名雪はそのまま傷口をなめて、その後、自分のポケットからハンカチを出してそこを綺麗に拭き取った。
「はいできあがり」
「・・・・・あ、あのなあお前・・・獣じゃないんだからな・・・」
文句を言うはずが、どこか気が抜けてしまっていた。
「だって・・・他に思いつかなかったんだもん・・・」
かくいう名雪も恥ずかしそうにうつむいてしまった。
しばし、気まずくはない沈黙が二人を支配した。
だがそれも一時のことだった。
「ごほん。まあ、ともかく、あゆを探そうぜ」
「・・・そうだね」
そうして二人は再び歩きはじめた。
・・・・・影からそれを見つめていた存在に気づくことなく。
「・・・そうだよな・・おみやげなしっていうのもちょっとな」
僕はそう思ったので、商店街に寄ることにした。
・・・まあ、大方の予想(?)通り、タイ焼を買うためである。
黒あんをたくさん持っていこう。
・・・今からでも、あゆの喜ぶ顔が目に浮かぶようだった。
「・・・?あれ?」
今、そこを通ったのは、相沢君たちじゃなかっただろうか?
(もし、帰る途中というなら一緒に行こうかな・・・)
僕がそう思って、その後ろ姿を追いかけようとした時だった。
「・・・なにやってるの、草薙君」
クールな声で呼び止められて、僕が振り向くとそこには予想通りの人物が立っていた。
「み・・・じゃなかった、香里さん」
「美坂だけじゃないぞ〜」
「えへへ〜」
そこには、香里さん、その妹の栞ちゃん、そして何故か北川君がいた。
「・・・揃いも揃ってなにやってるの?」
「先にそれを聞いたのはこっちだけど?」
「・・・いや、その、特になにも。で、そっちは?」
「百花屋に栞が行きたいっていうもんだから、北川君のおごりできた・・ただそれだけのことよ」
「おい、待て。いつ誰がおごるといった?」
あまりの発言に北川君がペシッと突っ込みを入れる。
それに対し、香里さんはクールにこう言った。
「・・・・・違うの?」
「いやすんませんそうです」
「北川君・・・・・プライドはないのか?」
「プライドなんか、この二人と一緒にデザートを一緒できることに比べれば、紙屑さ」
・・・なにもそこまで・・・・
その声はさすがに不敏すぎて、口にすることすらできなかった。
「まあ、それはそれとして草薙君もどう?」
「へ?いいのかな」
「いいですよ。賑やかなのが一番ですから」
栞ちゃんが笑っていった。
僕は腕時計で時間を確認した。
”約束”の時間までは十分間がある。
それに、あゆだって秋子さん家にいるのだから、逃げたりはしないだろう。
(・・・たまにはそういうのもいいかな)
そう思った僕は二つ返事で三人についていく旨を伝えた。
ズン。
そんな形容詞はそれにはよく似合っていた。
バケツのような容器に詰め込まれたパフェなんだかアイスなんだかわからない代物。
それが二つ並んでいるのだから、注目度は大だろう。
店中の客がこちらの様子をちらほらと眺めていた。
「・・・・・草薙君、栞」
『なに?』
二人同時に返事を返す。
「・・・・・いや、なんでもないわ・・・」
諦めとも呆れともつかぬ声で香里さんは呻いた。
「しかし・・・食べきれるのかよ、これ」
「う〜ん・・・ちょっと無理かもしれないですね」
「おおいっ!なら注文しないでくれよ、金を払うのは俺・・・いやなんでもないです」
香里さんの視線を感じて、自分の答を自分で自粛する北川君だった。・・・哀れ。
「・・・草薙は?」
「・・・正直、足りないぐらいだと思うよ」
『はい?』
今度は僕以外の三人の声が唱和した。
「・・・まじか?」
「いや、マジだけど・・・へんかな?」
「変ね」
「変だ」
「変ていうか・・・すごいです」
三人の賞賛(?)の声を浴びつつ、デザートタイムは始まった。
何処かにいる、少女の存在に誰も気づくことなく。
「・・・ボクがいなくても、皆幸せになれるんだね・・・」
・・・それから、時は流れて。
「ふむ・・・足りないか、やっぱり」
空になった二つの容器を見て、僕は呟いた。
一つ多いのは、栞ちゃんが食べ切れないというので代わりに食べたからだ。
そんな僕を、店中の人が、様々な表情で注目していた。
「・・・・・変かな、やっぱり」
『変だ』
店中からその突っ込みが入ったのは、皆にとっては言うまでもないことらしかった。
香里さんと北川君が勘定をしている間に(どうやらお金が足りなかったらしい)僕と栞ちゃんは外に出ていた。
店の中が暖房で暑い位だったので、寒いはずの外の冷気が気持ちよかった。
それは彼女も同じらしかった。
「・・・気持ちいいですね」
夕焼けに染まった赤い顔を向けて微笑んでくる。
僕もふっと笑ってみる。
「そうだね」
穏やかな空気がそこにあった。
僕はこの横にいる少女がもうすぐ消えてしまうなど信じられなかった。
「・・・お姉ちゃんに・・・言ってくれたそうですね。私のたった一人の姉じゃないかって」
唐突に、栞ちゃんはそんな事を口にした。。
でも僕は特に驚くことなく、ああと頷いた。
「ありがとうございます。いま、こういう時間を過ごせるのはあなたのお蔭です」
「僕はなにもしてない。君に向き合う力を持っていたのは、香里さんだよ」
それに比べて僕は情けない。
あゆのためと言いながら結局のところ、自分の気持ちをあゆにぶつけるのを恐がっていただけなのかもしれない・・・
でも、もう自分を卑下することはしない。
そんな暇なんか、ない。
やらなければいけないことがたくさんある。
「・・・紫雲さん?」
「ん?あ、ごめんごめん」
つい、ぼーっとしてしまっていた。
「・・・紫雲さん」
「ん?」
「あゆさんを・・・」
「・・・・・」
「あゆさんを助けてあげてください。おねえちゃんと私を助けてくれたように」
「・・・どうして、そんなことを言うんだい?」
「・・・言えるうちに言える事を言っておきたかったからですよ」
さっきと同じ笑顔を浮かべたままで彼女は言う。
それが何より悲しく思えた。
「・・・分かった。まかしといてくれよ」
だから。
彼女が何の不安も残さないように、僕は力強く頷いた。
「はい、任せました」
それは約束だった。
栞ちゃんとだけではなく。
命の姉貴と。
秋子さんと。
そして、かつて間違いを犯した自分自身との。
果たさなければならない。
破るわけにはいかない。
絶対の約束だった。
・・・そして。
今からやろうとしていることは、その約束の内にはいるものだと僕は思う。
前にあゆは言った。
この世界が大好きだと。
だからこそ、これもまたあゆを救うのに必要なことだと思う。
幸せは連鎖する。
”彼女”の幸せはきっとあゆにつないでいくことができる。
「・・・お待たせしました」
「いえ、今来たところですから」
「さあ、行きましょうか」
「ええ」
・・・そして、僕らは歩き出す。
「・・・・・・・・・」
薄暗い病院の廊下で命は”それ”を感じとっていた。
ふと立ち止まり、その方向を見やる。
それは、予感。
彼女は、なんとなくそれを口にしていた。
「・・・・・・・長い夜になりそうだな・・・」
その視線は、自分の弟が通う学校の方向へと向けられていた・・・
・・・続く。
第27話 少女の檻・前編〜閉じゆく想い〜へ
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