Kanon another1”snowdrop”第25話



第25話 ローリングストーン


・・・それは紫雲と舞が夜の校舎で戦う少し前。


月宮あゆは、商店街を歩いていた。
街は赤から黒へと移り変わりつつあった。
その中をただ歩いていく。
なぜ歩くのか?
なぜそこにいるのか?
・・・彼女自身ですらそれがわからなかった。

「なにか・・・大切な用事だったような・・・」

そんな気はするのだが一向に思い出す気配がなかった。

「祐一君ならこう言うだろうな。
”忘れるんなら大したことないだろ”って」

そう呟いて一人笑ってみる。
そして、もう一つ考えてみる。

「・・・紫雲君なら、どう言うのかな?」

それを思うと、胸に温かいモノが湧いてくるのをあゆは感じていた。

『君のことが・・・』

そう言ってくれた時のことを思い出すと温かいどころか熱くなってくる。

・・・あゆは祐一への想いを忘れているわけではない。
だが、彼女は少し不安だった。
相沢祐一は優しい。
それに間違いはない。
でも、少しひねくれた彼の言動に戸惑うことも確かだった。
草薙紫雲という純粋な人物に出会った時から、
水瀬名雪という祐一の傍らに立つ少女に出会った時から、
その歪み・・・僅かな疑念は大きくなっていった。

そして、思う。

ボクはここにいてのいいのかな?、と。


・・・そんな時だった。


「あゆちゃん?」

そう自分を呼ぶ声に気付き、あゆはその方向へと顔を向けた。
そこにいた自分の見知った顔に、あゆは破顔した。

「秋子さん!どうもこんにちは、です」
「ふふ、もうこんばんは、かもしれないわね」

そう言ってたおやかに微笑む。
そんな、女性でも惚れてしまいそうな微笑みの後ろに隠れる人物に気付き、あゆは声をかけた。

「こんに・・じゃなかった、こんばんは。真琴ちゃん・・・だったよね?」
「・・・こんばんはっ」

後ろに隠れたまま、なぜかヤケクソ気味に真琴は言った。

「・・・ところで・・あゆちゃんはここで何をしてるのかしら?」
「え?そ、その・・・タイ焼を食べに・・・かな」

自分でもそれが分からないのに・・・とは思いつつ、あゆは、反射的に考えていた事とは違う事を口にしていた。
・・・自分でも、何故そんな事をするのか理解できないままに。

「もう食べたの?」
「え〜とまだ・・・」
「それなら家に来ない?たくさん食べさせてあげるから」
「え!?秋子さん作れるのっ!?」

思わず、あゆは大声を上げていた。
そんなあゆを包み込むような笑みで迎えて秋子はうなずいた。

「・・・真琴は、肉まんがいいなあ・・・・」
「う〜ん、肉まんもおいしいかも知れないけど、タイ焼もおいしいよ」
「・・・嘘じゃないでしょうね〜」
「うぐぅ、そう言われると・・・」

そのあゆの姿を見て、悪かったかなと思ったのか、真琴は

「で、でも秋子さんが作るんだから、おいしいわよね。うん」

と慌てて付け加えた。
秋子はその様子を一頻り眺めてから言った。

「それじゃ、いきましょう」

その表情は終始笑顔であり、
母親の顔でもあった。


「すっごくおいしかったよ」
「当たり前だろ、秋子さんが作ったんだからな」

それから数時間後の水瀬家のリビング。
夕飯とデザート(?)のタイ焼を食べ終えて、水瀬家は一家団らんモードに移行していた。

「まあ、悪くないわね・・・って痛っ!!なにするのよ、祐一〜!!」
「そんな偉そうなことを言うのはこの口か、こら」
「ひはいひはい、はへははひほうっ!」
「祐一〜それはやりすぎだよ〜」
「そうだよ、祐一君」
「・・・祐一さん」

女性陣の抗議を受けて祐一はバツが悪そうに、手を離した。

「ちっ皆して俺を悪者にしやがって・・・」
「悪者じゃない」
「だからそういうことを言うのはこの口かっ!」
「はふ〜っ!」

そんな感じで楽しい時間は過ぎていった・・・


それから、また少し時が流れて。
あゆは秋子さんの部屋にいた。
折角だから泊まっていったらという名雪・秋子の言葉に押されて、そうなってしまったのだ。
・・・ひねくれ曲がった祐一が冗談で嫌そうな顔をして、何故か真琴がそれに怒るという一幕もあった。

「真琴は、あゆちゃんのことが好きになったみたいね」

というのは秋子さんの言である。
・・・あゆはそれを素直に嬉しいと思えた。
そう思いながらあゆが名雪に借りたパジャマに着替えようと持ってきたコートを棚の上に置いた時。

コト。

コートに引っかかって何かが床に落ちた。

「・・・?」

それは袋だった。
綺麗にラッピングされている。
ただ・・・所々に赤い何かが付いているのが、気になった。
あゆは何気なしにその袋を開いた。


・・・それは。

・・・パンドラの箱を開けるに等しい所行だった。

・・・すなわち。

希望を・・・・・失うということ。



「もしもし、草薙さんのお宅ですか?」

秋子は周りに誰もいないことを確認した上で、そこに電話していた。
その電話の受取人は、淡々と答えた。

「ああ、そうだ。・・・秋子だな?」
「ええ。命・・・紫雲さんは帰っていないかしら?」
「愚弟か?ああ。あいつはなにをやってんだか・・・」
「きっと、いいことですよ」
「・・・・・愚弟をあまり甘やかさないでくれよ」
「事実を言っただけですよ」
「ふむ・・・まあいい。用件は何だ?」
「あゆちゃんがいま家にいるからと。そう伝えてください」
「・・・それだけでいいのか?」
「ええ。それでどう動くのかは、彼次第ですから」
「わかった。・・・今度一杯やろう」
「ええ、いずれ」

そんな他愛ない会話の中にいったいいかほどの重みが隠されているのか・・・
それを知るのは当人たちだけだった。



運命は動く。

動き始めたそれは止まらない。

止まることなどありえない。

さながら・・・転がり始めた石のように。

それが止まる時は・・・全てが終わるトキ。



月宮あゆはそれをしっかりと手に取った。
それは・・・カチューシャだった。
赤いカチューシャ。

「・・・あれ・・・・?」

それは何処にでもあるもの。
同じものが二つあってもおかしくはない。

でも、これは・・・・・


ふたつあってはならないもの。


「え?え?え?」

頭に手をやってみる。
そこにいつものカチューシャの感触はなかった。


じゃあ、これはなに?

祐一君にもらったカチューシャ?

もらったのは、いつ?

いつ?


ソレハユメノナカ。


赤いカチューシャ。

赤い・・・・・雪?

泣いているのは誰?

約束・・・・・?


ソレハ、ハタサレルコトノナイヤクソク。

ナゼナラ・・・・・



「うわあああああああああああああああああああああっ!?」

何かが、音を立てて崩れていくのをあゆは感じた。



「どうした?!」
「あゆちゃん?!」

その尋常ならざる声を聞いて祐一と名雪が同時に部屋に入ってくる。
あゆはそれを見た。
その目に光はなかった。

「おい、あゆ?!」

祐一がその肩を揺すった。
それでようやく、あゆの目の焦点が合った。

「・・・大丈夫かよ?」
「うん・・・へいき・・それより、ボク用事思い出したから、帰るよ」

幽かに笑ってさえ見せる。
それが虚勢であることは誰が見ても明らかだった。

「じゃ、帰るね。

          ・・・バイバイ祐一君」

「あゆ?!」
「あゆちゃん!」
あゆが見せたその姿は、何よりはかなくて、触れれば壊れてしまいそうで、誰もその後を追うことができなかった。

「なに・・?どうしたの?」

寝ぼけ眼の真琴のその問に誰も答えることはできなかった。

そして・・・

「あゆ・・ちゃん・・・」

もはや自分の手ではあゆを救うことができないことを悟って、うなだれる秋子の姿があるのみだった。



「・・・ただいま」
「遅かったな愚弟よ。何処で何をしていた?」
「答える義理はねー」
不機嫌そうに・・・いや実際不機嫌だったらしく、紫雲は言った。
「ふむ・・・まあ、そうだな。ところで、秋子から連絡があったぞ。あゆ君が今家にきてるってな」
ピクン、と紫雲の眉があがる。
「・・・連絡ありがとさん」

そう言って家に上がった紫雲は二階の自分の部屋に行こうとする。
それを命が呼び止める。

「おい。それでいいのか?少しぐらい話をしてきたらどうだ?」

この姉は事情を知っている・・・その上でなんでこんなことをいってくるのだろうか?
舞のことで気が立っていた紫雲は舌打ち交じりに答えた。

「・・・行ってどうなる?あゆが求めているのは相沢君であって、僕じゃない」
「・・・くっはははははははは」

いきなり。
命が笑い始めた。
その意図が掴めず、紫雲は困惑した。

「・・・なんだよ」
「はははは・・・いや滑稽でな。・・・お前、秋子に後は任せろみたいなことをいったらしいが・・・無理だな」
「・・・?」

眉をひそめる紫雲に、命は怒ったような哀れむようなそんな表情で、それを告げた。

「お前は・・・何を見てるんだ?

あゆ自身の口からはっきりとそう聞いたか?

自分の気持ちすら偽るものがどうして他人を救える?

自分一人で全てができると思っているのか?

答えろ」

その支離滅裂な問い掛け。
だがそれは紫雲を大いに揺り動かした。

「・・・・・」
「だから、お前は愚弟なのだ」
「・・・・・」
「一つ、言っておこう。心の依るべき場所は一つではない。いや、一つでなくともいいのだ。
 これを憶えておけ」
「・・・・・」
「お前がお前なりに皆を救おうとしているのはわかる。
だがな。
そのためにお前が苦しむことを誰も望んではいない」
「・・・・・」
「心の依るべき場所が一つではないように、苦しみの場所もまた一つではない
・・・・・以上だ。おやすみ、紫雲」

命がそこから去っても、紫雲はそこに立ち尽くすだけだった。

立ち尽くし・・・ただ・・・・

提示された、その”正論”に。

涙を流すことしかできなかった。


・・・続く。


第26話 〜交わる想い、交わらない想い〜へ

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