Kanon another1”snowdrop”第23話
〜めぐり逢う世界〜後編
光が、差し込んでいた。
「う・・・ん?・・・もう、夕方?」
ボクは赤い光に導かれるようにゆっくりと目を開いた。
・・・あのまま眠ってしまっていたようだ。
「そうだ、紫雲君・・・」
昨日のことを思い出して、ボクは紫雲君の方を見た。
「ZZZ。・・・すぴ〜」
「うわ〜すごく快眠って感じだね・・・」
ボクは思わず笑ってしまっていた。
・・・そこで、ボクは紫雲君の手を握り締めたままだったことに気づいた。
急に顔が熱くなったような感覚。
「わわ・・っ」
ボクはゆっくりと紫雲君の手をベットの上に置いた。
「うう・・ん・・・」
それが不服だったのか、紫雲君は少し呻いて、寝返りを打った。
ボクは紫雲君が起きるんじゃないかと、内心ドキドキしていた。
(って、それじゃまるで紫雲君が起きない方がいいみたいじゃないか、ボクのバカバカっ)
ボクはポカポカッと自分の頭をたたいた。
そして、呟いてみた。
「ボクは・・・どんな顔をして、君に会えばいいんだろうね?」
その時だった。
『舞は弱いな〜もう少しねばれよな』
『・・・祐一が細かいからだ』
『あはは〜舞はもうちょっとがんばらなきゃ』
そんな声が廊下から聞こえてきた。
祐一君の声・・ということはここにくる・・・
「あわ、ど、どうしよう・・・え〜いっ」
慌てまくったボクはその場の勢いでついベット下に潜り込んでしまった。
・・・そんなことをしなくてもいいことに気付いたのは随分後のことだった。
目を開けると、そこには相沢君、舞さん、佐祐理さん、そして何故かあの久瀬までいた。
またくだらないことをやっているようなので、とっとと退散させてやった。
相沢君は僕を”悪”と言った。(冗談で、だが)
昔の僕なら許容できないことだっただろう。
でも、できた。
嬉しかった。
・・・舞さんと話した。
彼女は今を見ていなかった。
それでも、僕のことを心配してくれていた。
優しい人だ。
だから”彼女”からの頼みがなくとも助けになりたい、そう思った。
・・・佐祐理さんと話した。
ほんの少しだけ弱気になったのを、助けてもらった。
彼女はいろんな重さを背負っているようだった。
なんとなく、僕に似ているような気がした。
だから、助けになりたいと思った。
・・・一人になった。
思い浮かぶのは、あの子の笑顔。
「・・・・あゆ・・・」
そして、また僕は眠った。
「うぐぅ・・・失敗したなあ・・・」
辺りはすっかり暗くなっていた。
吐く息の白さが、より一層目立つようになっていた。
ベット下に隠れているうちに、また眠ってしまっていたのだ。
紫雲君が寝ているうちにボクは病室から抜け出し、外に出た。
雪がまた降り始めていた。
それはまるで星のカケラのようだった。
「綺麗だけど・・・寒いなあ」
ボクは身を震えさせつつも歩き始めた。
昨日はうっかり一夜をここで過ごしてしまったから、家に心配をかけてしまっただろう。
「・・・家?」
ボクは自分の思ったことが妙に頭に引っかかって、病院の門の所で立ち止まった。
何かが、間違っているような・・・
「あゆちゃん?」
そんなボクに誰かが声をかけてきた。
振り向いたその先には・・・
「秋子さんっど、どうもこんばんは」
「はい、こんばんは」
頬に手を当てて、にっこりと秋子さんは言った。
それを見ると、さっきまでの考え事が飛んで、心が穏やかになったような気さえした。
「こんなところで、なにをしているの?」
「えと、紫雲君が入院してるので、そのお見舞いです。秋子さんこそどうしてここにいるの?」
一瞬。
その一瞬だけ、秋子さんが秋子さんでないような気がした。
まるで、目の前で大変なことが起こっているのに手を差し伸べることも、声を上げることも、近づくことさえもできないような・・・そんな空気が、雰囲気がそこにはあったとボクは思う。
でも思った通り、それは刹那だった。
ボクがそれに触れる間もなく、秋子さんはいつものように微笑んでいた。
「・・それは企業秘密よ、あゆちゃん」
「う〜ん、そう言われるとますます知りたくなっちゃうよ〜」
「ふふ。・・・ところで、あゆちゃんはさっき何を考えていたの?」
「え?」
「なんだか、難しい顔をしてたから」
「え、とその・・・紫雲君に悪い事しちゃって、どんな顔をして会えばいいのかなって考えてた」
ボクは何故か分からないけど違うことを口にしていた。
・・・それを口にすると、いけないような・・・二度と皆に会えなくなるような・・・
そんな訳のわからない予感があったからだ。
でも、紫雲君のことも気になっていたのは確かだったと思う。
「そうなの・・・そうねえ・・・あゆちゃんはもし草薙さんがあゆちゃんに悪いことをしたとしても許してあげる?」
「え?う〜んと・・紫雲君は・・・悪いことをするとは思えないから、もし悪いことをしたのならきっと理由があると、ボクは思う。だから・・・許せると、思う」
「ふふ、そうね。草薙さんもそう思うとは思わないかしら?」
「でも、ボクは理由なんかなかったのに・・・」
ただ、紫雲君を拒絶した。
いま思うとボクはなんて馬鹿だったんだろうと思う。
でも、もう取り返しはつかない。
ボクは俯いて、唇をぐっと噛みしめた。
・・・不意に、何かがボクを包み込むような錯覚が襲った。
・・・それは錯覚ではなかった。
秋子さんが、ボクを抱き締めていた。
秋子さんの匂いがボクの鼻をくすぐった。
・・・・・お母さんの匂いだ。
「あゆちゃん。もし、あゆちゃんの言う通りだとしてもあゆちゃんはこのままでいいの?草薙さんとお話しできないままでいいの?」
「・・・・・ボクは」
いつも、優しかった紫雲君。
辛い時は励ましてくれた。
一緒にタイ焼を食べた。
『あゆ』
そう呼んでくれた。
「・・・ボクは・・・!また、紫雲君とお話がしたいよ・・・!たい焼を一緒に食べたいよ・・・!秋子さん、秋子さん・・・・」
「・・・なら、頑張らなきゃ。大丈夫。きっと草薙さんも同じ気持ちだから」
「うう・・・ううううう」
ボクはただ泣き続けて・・・
秋子さんはずっとボクのされるがままになってくれた。
降り積もる雪の冷たさが、その暖かさを確かなものにしてくれて・・・
ボクはずっと降っていて欲しいなと場違いなことを考えていた。
その次の日。
今度は北川君と美坂委員長が訪ねてくれた。
四日間も眠っていたことを教えてもらい、今更ながら驚かされた。
・・・あゆが来てくれたらしいことを知った。
何よりも嬉しかった。
・・・美坂香里委員長と話した。
栞ちゃんを誰よりも愛するが故に誰よりも遠ざけるしかなかった、悲しくも優しい人。
ありきたりなことしか言えず、傷つけてしまった。
それでも、言わなければならなかった。
傷はいつか癒える。
でも、後悔は一生残る。
彼女にはそうあって欲しくない。
だから、また話してみようと思う。
・・・北川君と話した。
彼に殴られた。
痛かった。
何より、二人を傷つけてしまったことが。
彼は自分の無力さを悔やんでいた。
彼もまた、僕に似ていると思った。
だから、助けになりたいと思った。
・・・そして、また僕は眠る。
想いは変わらず。
「・・・あゆ」
「うぐぅ・・・またやっちゃった・・・」
ボクはまたしてもベットの下で目を覚ました。
今日も紫雲君のお見舞いにきた・・・そこまでは良かった。
この間、一緒にここにきた北川君と美坂さんの声がしたので、つい反射的にベットの下に・・・
「・・・ボクって馬鹿なのかなあ・・・」
なんとなく呟いて、ボクはため息をついた。
ここに祐一君がいればきっと間違いなくそう言うんだろうなあと思いつつ。
「・・・ん?」
北川君達がいなくなってぼーっとしているうちに、寝てしまっていたらしい。
ゆっくりと上体を起き上がらせてみる。
・・・異常なし・・・むしろ調子がいいぐらいだ。
まあ、なまってはいるようだが。
窓の外に視線をやると、そこには何かを見守るように月が浮かんでいた。
それを眺めていると、なんとはなしに喉が乾いてきた。
果物などが置かれた棚を見ても、ジュースはないようだった。
だがその代わりに、誰が置いたかは知らないが僕の財布がそこにはあった。
僕はその誰かに感謝しつつ、財布をとって、足を床に下ろした。
ボクはとりあえず回りの様子をうかがった。
部屋は・・・いや、もう外も暗いらしい。
回りはとても静かだった。
(う〜ん、北川君たちは帰っちゃったみたいだな・・・紫雲君は目が覚めたのかな・・・)
いずれにせよ、これ以上ここにいても仕方がない。
ボクはとりあえずここから出ることを決めた。
(う〜ん、どうやってでようかな・・・昨日みたいに転がって出るのは嫌だなあ・・・ん?)
そんなことを考えていたボクの視界にそれが目に入った。
(あれ、こんなところに柱なんかあったっけ?)
薄暗くてはっきりと確認できないが、そこには柱らしきものが二本あった。
柱じゃなきゃ椅子かテーブルかなにかの足だろう。
(まあ、いいか。頑丈そうだからこれを使って外に出よう)
ボクはボク自身を外に引っ張り出すために、その柱を掴んだ。
「うを!?」
スリッパを履いた僕の足首の辺りを何かが掴んできた。
いつもの僕ならそれに驚くだけですんだはずだが、今日はそうはいかなかった。
なんせ数日ぶりに地面に立つので、感覚が追い付いてなかったのだ。
「お・・・・っっとおおおお?!」
僕は見事にバランスを崩し・・・
ボクが掴んだモノの上の方から声が聞こえてきた。
よく知っている声だった。
そして、自分が掴んでいるものをもう一度見てみた。
「あ」
ボクが気づいた時にはすでに遅かった。
掴んだモノの主・・・紫雲君はものの見事にバランスを崩し・・・
ビッタアアアアアアンン!!
思いっきりすっ転んで、まともに床にキスする羽目になってしまった。
痛い。ひたすら痛い。
つうか鼻が折れたかと思った。
僕はそのままの体勢で首を動かして、僕の足を掴んだ何物かを涙目で睨みつけた。
過去の自分を越えても、気が短いのは変わらないらしい。
僕が睨みつけた先には・・・僕が今一番会いたくて、転んだ瞬間から会いたくなかった人物がそこにはいた。
「・・・あゆううううう〜」
今まで思っていたことや想っていたこと全てが吹っ飛んでしまい・・・
地獄からの呼び声のように僕は言った。
「う、うぐぅ、わざとじゃないよ、いや、本当に。話せばわかるよね。ね?・・・だめ?」
ベットの下からあゆは言った。
そんなお間抜けな体勢で僕らはしばらく見つめあった。
「・・・・・ぷ」
「・・・・・く」
そして。
どちらからともなく、笑い始めた。
何がそんなに可笑しいのか、自分たちにもよく分からないままに。
『は、ははっははははははっ!!』
ひたすらに笑い続けた。
「しっかし、あれだね」
「ん?何?」
僕らは屋上に出ていた。
手すりに寄り掛かって二人並んで立っていた。
ちなみにいえば、雪こそ降っていないもののめちゃくちゃ寒い。
あゆの『月が綺麗だから』という只それだけの理由で僕らはここにいた。
「久しぶりにあったのがあれだからなあ・・・言うことたくさんあったのに色々と気がそがれちゃったよ」
「うぐぅ・・・それはボクも同じだよ」
『トホホ』
僕らの声がぴったりと重なる。
それがまた可笑しかったが、これ以上このペースだと言うべきことを言えないかも知れないので、僕は表情を少し堅くした。
僕はコホンと咳払いをして、場を整えた。
「・・・その・・なんだ。僕、あゆにあやまらなきゃってずっと思ってたんだ。その・・・恐がらせて、ごめん」
「そんな・・・ボクの方こそ、ごめん。君はボクを守ろうとしてくれたのに・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
気まずくはない沈黙。何故ならそこにあるのは温かな想いだから。
それを破ったのは、あゆだった。
「・・・ボク、恐かった。ついさっきまで、それは紫雲君が恐いんだと思ってた。でも違った。そうじゃないんだと思う。・・・ボクが恐かったのは・・・」
風が、吹いた。
「君が遠くに行ってしまうんじゃないかって思ったから。戦う時の君の姿はなんだか違う世界に住んでる人みたいでそれがこわかったんだと思う」
多分、そうじゃないかとは思っていた。でも確信はできなかった。
あゆがそれほどまでに思ってくれているとは思えなかったから。僕なんかのことを。
戦う僕・・・”紫の草薙”は皆のために戦いながらも、他者を排除する、矛盾した存在だった。
そんな存在が・・・自分勝手で、傲慢な暴君が怖がられないはずは、ない。
「・・・」
「それでもボクが脅えたのはホントだから、君は許してくれないかも知れない。
それでも、これだけは知っていて欲しい。
・・・ボクは・・・ボクを・・・嫌いになって欲しくないよ・・・」
・・・僕はなんと言っていいのか分からなかった。
そして、同時に自分のたった一つの間違いでこの子をここまで苦しめていたことが悔しかった。
でも、ここで言うべきことは謝罪の言葉じゃない。
伝えるべきことはたった一つだけだ。
「・・・大丈夫だよ。嫌いになったりしない。だって僕は・・・」
それは出会った時から抱いていた想い。
伝えることはないと思っていた言葉。
「・・・君のことが、好きだから」
その言葉は本当に嬉しかった。
でも、今のボクにはそれは受け止められないような気がした。
『あゆ』
祐一君の顔が頭に浮かんだ。
それはまだ断ち切ることはできない想い。
だから、ボクは・・・
「ボクも、好きだよ。だって友達だから」
自分の気持ちを偽った。
「・・・そうか。よかった」
本当言うと胸が痛かった。
でも、いまはこれでいい。
これ以上は望んではいけない。
ここから、はじめればいいのだから。
「・・・ほんとによかった。嫌われてなくて、一安心ってところ」
お気楽な口調で言った。
「ボクもそうだよ。・・・これで、仲直りだね」
「うん。これからもよろしく、あゆ」
「こっちこそ」
僕たちは握手を交わした。
それは嬉しかったけど・・・どこか滑稽だった。
「・・・ん?あゆ?」
ふと、僕はそれに気づいた。
「・・・なに?」
「カチューシャはどうしたんだ?ないみたいだけど・・・さっきまで、あったのに・・・」
「え?そんなことないよ。ほら」
もう一度見てみると確かにそこにはカチューシャがあった。
「・・・気のせいか・・・」
「うん。大事なものだから、大事にしてるからなくさないよ」
「なら結構。・・・さて、そろそろ帰ろうか?」
「うん。・・・あのね、その前に、一つだけお願いがあるんだ」
神妙な顔をしてあゆは口を開いた。
「なに?」
「紫雲君が退院したら、また、たい焼を食べようね、一緒に」
「・・・ああ。僕もそう言おうと思ってたんだ」
「それじゃ、指切り」
「ああ、約束だね」
そうやって、僕らは別れた。
次に出会う時のことを何も知らないままに。
あゆと別れた僕は、真っ直ぐ病室に向かっていた。
早く眠りたい・・・そう思いながらぼーっと歩いていたせいか、変なところに迷い込んだ。
「あれ・・・」
来た道を引き返すのも面倒で、僕はそのまま進むことにした。
同じ階なのだから、いつかは着くだろう。
そう思い、僕はなにげなしに病室のプレートを読みながら歩いていった。
そこで・・・見てはならないものを僕は見た。
「・・・え?・・・嘘・・だよな・・・」
体中の震えが止まらなかった。
これは夢だと言いたかった。
でも、これは・・・・・
『第4179号室 月宮あゆ』
「誰でもいい・・いいから・・嘘だっていってくれよおおおっ!」
紛れもない、現実。
そこに死んだように横たわる少女は紛れもなく、あゆ、だった・・・・
「・・・嘘では、ありませんよ」
「・・・?!」
「紛れもない現実です・・・悲しいことに・・・」
暗闇の中から現れ、月明かりの中にその姿を晒している、その人は・・・
「・・・秋子・・さん・・・?」
そう、そこに現れたのは、水瀬名雪さんの母にして、相沢祐一君の保護者の、水瀬秋子さん、その人だった。
「どう・・いう・・ことなんですか・・・?なぜ、貴女がここに・・・?」
草薙さんは可哀相な位、動揺していた。
・・・それほど、あゆちゃんへの想いが強いのだろう。
でも、私はそれ故に伝えなければならない。
「・・・全てを、お話しましょう。
おそらく、貴方は知らなければならない」
その、私の言葉に草薙さんは何も言わず、迷いを抱えたまま、只呆然とそこに立っていた。
それは、少年と少女の出会いから始まる物語。
少年は、親戚の家に遊びにやってきた。
少女は母を失い途方に暮れていた。
少年は少女に出会い、少女は少年に出会った。
それは何処にでもありそうな、boy meets girlの瞬間だった。
心優しい少年は少女とともに在った。
そうすることが少女の救いになると信じて。
心弱き少女は少年とともにあるうちに、笑うようになっていった。
思い出が、紡がれていった。
・・・始まりがあれば、終わりがある。
別れの時がやって来た。
少年はこの町を去らねばならなかった。
少女はその別れを惜しんだが、大人の都合には抗えなかった。
そして、別れの時。
だが、それは二人が予想だにしない形で訪れた。
・・・それは悪夢だった。
二人に何が起こったのか・・・それは誰も知らない。
ただ、残酷な結果が提示されるのみだった。
少女は二度と起きない体になり、
少年は弱き心を守るためにこの街を離れると同時に全ての思い出を封じた。
後に残ったのは、少年を想うが故に傷ついた少女と、
何も知らず、何もできずにいた無力な大人たちだった。
こうして、この悲劇の物語は幕を閉じた。
だが・・・
「この、冬・・・物語は再び始まったのです。誰の気まぐれか、あゆちゃんの願いがよほど強かったのか・・・
それは分かりませんが・・」
全てを話し終えたあと、そこにあったのは只の静寂だった。
だれもいない、病院のロビーで語られたその物語は、今を縛り付けていた。
「・・・あゆは・・・今どういう状態なんですか?」
私に背を向けたままで、草薙さんは言った。
「・・・完全な植物人間状態です。私とあゆちゃんのお父さんがお金を出し合って、この七年間生命維持を続けてきました・・・ですが・・・」
「・・・・・」
「・・・ですが、もうあゆちゃんの体力がもたないそうです・・・今年が・・・最後の冬になるだろうと・・・」
・・・私はそれ以上言葉を紡ぐことができなかった。
それは私にとっても彼にとってもあまりに辛い現実だったから。
ばきっ!!
その音は見なくてもどんなものかをうかがい知れた。
それでも、私はそれを見届けた。
それがせめてもの責任なのだから。
・・・草薙さんの拳がやるせない思いを壁に叩きつけ、どうしようもない現実の代わりにそれを砕いている、その姿を。
「なんでですか・・・?あゆが・・わるいことをしましたか?あの子は、どうしたらいいんですか?
・・・そして・・僕はどうしたらいいんですか?!」
「・・・私にそれを聞いていいのですか?」
「・・・え・・・・?」
その言葉に、草薙さんはゆっくりとこちらを振り返った。
その眼には悲しいほどに美しく煌く涙の跡があった。
・・・それは優しさの証だった。
・・・私はそんな彼に、託さねばならない。
「・・・いいのですか?」
「・・・お願いします」
一人の少女の運命を。
「・・・考えさせてください」
そう言い残し、彼はたった一人闇の中に消えていった。
私にはそれを見送ることしかできなかった。
「・・・悪いな、家の愚弟が愚か故に」
何処からともなく声が聞こえてきたが、私は驚かなかった。
・・・ずっとそこにいたは知っていたからだ。
角の陰からその人は姿を現した。
「命・・・いいえ、そんなことはない。愚かなのはむしろ私」
「何故だ?」
「あの子がどういう答を出すのか分かりきった上で、道を選択させたのですから」
「それなら気にすることはない。あの愚弟は示されなくともその道を選ぶ。間違いなくな」
「・・・そうかもしれませんね。あの子・・優しい子ですから」
「それだけが、取り柄だからな」
自分の病室に帰った僕は自分の体温がすでに消え果てたベットに再び横になった。
天井を眺める。
そして、先程のことをゆっくりとはんすうした。
秋子さんの言葉を。
『・・・知らないふりをして、あゆちゃんに接し続けるか・・・
・・・・すべてを話した上で、あゆちゃんとともに道を切り開いていくか・・・
・・・・そして・・・』
・・・どう考えても、道は一つだった。
しかし、それはどう転んでも・・・・・
「・・・・・構いはしないさ。それで、あゆが幸せになれるのなら」
その日は千客万来と言ってもいいような人の入りだった。
・・・少なくとも、僕にはそう思えた。
僕の退院が決まったせいなのだろう。
皆がそれを何処から嗅ぎつけてきたのかは容易に想像がついた。
・・・ったく、あの姉貴は昔から妙なところで気を回しやがる。
まあ、悪い気はしないけど。
・・・水瀬名雪さんと話した。
彼女の想いはなんとなく気づいていた。
正直、僕は迷った。
でも、自分の都合のためだけに人を傷つけてまであゆは幸せになろうとは思わないだろう。
僕だって、そんなのは御免だった。
だから、フェアに行こうと決めた。
それがどんな結末を生むのか、今の僕には分からない。
でも、僕は信じたい。
彼女が純粋な想いを抱いている限り、幸せの道は閉ざされはしないと。
・・・相沢祐一君と話した。
彼は誰を想っているのだろうか?
彼に問うても、その答は曖昧だった。
僕は不安を覚えずにはいられなかった。
でも、僕は彼になら”彼女”を託すことができると思う。
悲しみのあまり、記憶を閉じ込めるほど思ってくれたのだから。
・・・天野美汐ちゃんと話した。
冷めた瞳をしていた。
悲しいまでに純粋故に、
悲しいまでに優しい故に、
彼女は心を閉じた振りをしていた。
だから気づかせてあげた。
そうしていることが心を失っていない何よりの証であることを。
これからの彼女の道が暖かなものであることをただ願った。
・・・そして。
『あゆが・・・わるいことをしましたか?』
草薙さんは私にそう言った。
わるいこと・・・
あの時、誰かが過ちを犯してしまったのだろうか?
お互いが出会ったことを誰にも言わなかった二人が悪かったのだろうか?・・・・・ちがう。
深く傷ついた少年を助けようとした、私の娘が悪かったのだろうか?・・・・・ちがう。
ただ起こった事実を受け止めることしかできなかった、私たち大人が悪かったのだろうか?・・・・・ちがう。
それは、避け得ない悲劇だった。
それでも、もし誰かが悪いのだとすれば、それはきっと私なのだろう。
この七年間、私は何もできなかった。
病院のベットでただ夢を見続ける少女にも・・・
好きだった女の子を失った事実から目を背けることしかできなかった、可愛い甥にも・・・
好きだった少年に拒絶されて途方にくれた自分の娘にも・・・
私は何もできず、ただ横にいて全てを見続けることしかできなかた。
『秋子さん』
そういって慕ってくれる、可愛い甥っ子。
『お母さん』
そういって笑いかけてくる、愛しい娘。
・・・私は笑顔であり続けることしかできない。
せめて、彼らが穏やかな日々を送れるように。
・・・私の罪は消えることはないだろう。
ましてや・・・
「秋子さん・・・僕、昨日からずっと考えてみたんです」
今、ここに至るまで何も知らなかった、誰よりも優しい少年にこの七年間を託そうとしているのだから。
・・・私はただ黙って、彼の言葉に耳を傾けた。
まるで、審判を下されるのを待つ罪人のように。
「どうすれば、一番いいのか。この足りない頭で精一杯考えてみました。
そして、何度考えても同じ答を選ぶことしかできませんでした」
あの時、私は言った。
『貴方が選ぶ道はこの三つしかないと思います。
・・・何も知らない振りをして、あゆちゃんに接し続けるか、
・・・全てを話した上で、あゆちゃんとともに道を切り開いていくか、
・・・そして・・・』
それは彼にとって一番残酷で・・・おそらく彼が選ぶ道。
『どの道を選ぶのか・・・それは貴方次第です。私には何もできません』
選択の余地など、ないのに。
「僕は・・・七年越しのあゆの願いを、想いを成就させてあげたい。
そう、決めました。
いま、僕と出会っているあゆがなんなのかそれはわかりません。
でも、あゆがどうなってしまうにしろあゆに幸せになってほしいんです。
最後には笑っていてほしいんです。
それが、僕の選ぶ道です」
「それがどういうことか・・・わかっているんですね、貴方は」
それは自分の想いを封じるということ。殺すということ。
「はい」
それなのに、この子は笑ってそれを受け入れたのだ。
「・・・ごめんなさい」
そう言って頭を下げることしか、私にはできなかった。
そんな私に彼はこう言った。
「いいんですよ・・・それに一番辛いのは僕じゃない。一番辛かったのは・・・秋子さんでしょうから」
その言葉に、私は顔を上げた。
そこには、一番辛い選択を選んでもまだ他人のことを思うことのできる、強い一人の男性の姿があった。
「僕は、事態が動き始めた今にいます。
でも秋子さんは自分ではどうしようもなかったことに直面して、それを7年間も直視し続けてきた。
見ていることしかできなかった。
もしできることがあれば、秋子さんはそれをきっとやっていたはずです。
でも、できることなんてなかった。
それが一体どれだけ痛いのか・・・
それでも、秋子さんはこの地で全てを見続けている。
僕には、とてもできませんよ」
「・・・・草薙さん・・・」
「だから、後は僕に任せてください。
僕は未熟だし、何もできないけど、皆に幸せになって欲しいから。
背一杯、頑張りますから」
顔を真っ赤にして、力一杯草薙さんはそう言った。
そう言ってくれた・・・
「・・・ありがとう、ございます・・・」
私は、震えてしまう声をできる限り抑えながら、そう告げた。
・・・彼が、その道を選んだように。
私は、見守り続けよう。
笑顔で見守り続けよう。
娘を、甥を、少し年の離れた友人たちを。
それしかできないというのなら。
それが運命というのなら私はそれに従おう。
その代わり、私は願う。
もしも、神がいるのなら、彼らが最後まで笑っていられることを。
全ての終わりには、幸せな記憶が残ることを。
・・・いろんな人に出会った。
・・・いろんな人と話した。
・・・多くの心に触れた。
その心の全てが温かった。
その全ての想いの灯を持って、僕は生きよう。
その全てを守るヒーローにはなれないだろう。
でも、その灯が弱い時ぐらいは守ってあげたい。
いつか、輝きを取り戻すその日まで。
・・・できるかどうかはわからない。
でも、できるかどうかは問題じゃない。
かつての罪への迷いではなく、今の僕自身がそれを望んだのだから。
全てを賭して、やり抜こう。
大袈裟かも知れないが・・・
・・・・・そう。例え、この命が尽きても。
・・・誰かが誰かに出会うことができる、このめぐり逢う世界で最後まで笑っていられるように。
・・・第2章、終演。
・・・最終章へと続く。
BGM
紫雲’S BGM(snowdrop main song) 街 SONG BY ソフィア
あゆ’S BGM プラチナ SONG BY 坂本真綾
秋子’S BGM 残酷な天使のテーゼ SONG BY 高橋洋子
第24話 新たなる、日常
戻ります