Kanon another1”snowdrop”第18話



今という時〜美坂栞〜


1月16日土曜日。

とてもいいことがあった。
お姉ちゃんと仲直りすることができた。
お姉ちゃん一人ではそうならなかったと思う。
誰かが助けてくれたのだろう。
もし、その人に(あるいは人たち)に出会うことがあれば、絶対お礼を言おうと思う。

その日の夜もおもしろいことがあって、とても楽しかった。
そして、とても、悲しかった。
それは・・・


その日、私はストックしていた本を読み終えて、退屈していた。
他に特にすることもないし、売店はとうに閉まっていた。
私の病室は特別で、私の他には誰も居らず、したがって話し相手もいなかった。

「ふう・・・」

ベッドに横になって、息を吐く。
退屈だった私はこの病院で最近話題になっている噂のことを思い出した。
何でも、深夜にここを徘徊しているというのだ。
・・・幽霊が。
真冬の幽霊という珍しいもの・・・これを見逃す手はない。

「・・よーしっ」

私は意を決して、ストールを羽織って立ち上がった。

そんなわけで、私は忍び足で病院の廊下を歩いていた。
幽霊の存在を頭から信じているわけではないけど、妙な期待感があって、とてもドキドキしていた。
なんとなく背中を壁に張り付けて歩いたりなんかして、気分はスパイものだった。
看護婦さんとかに見つかるという可能性もあるにはあったけど、多分許してくれると思う。
・・・病院関係者で私のことを知らない人はここには少ない。
そして、知っている人はかなりの便宜を図ってくれる。
利用しているようで気が引けない事はなかったけど、使えるものは今のうちに使っておきたかった。
・・・悔いが、残らないように。


スゥ・・・・・ッ・・・

「・・・・・え?」

私がそんな物思いに耽っていると、それは現れた。
”それ”はお間抜けな声を上げてしまった私など気にもかけず、音もなく通り過ぎていった。

「えええ?」

(ま、まさか本当にいる?それはちょっと、、でもでも、それ目当てで起きてきたんだからいいのかな?ああ、えと)

予想外の事態に、私の頭は混乱でスパークした。
と、その時。

ポン。

私の肩に、何かが・・・

「きゃああああ!?」
「うぐううううううう!?」

ペタン。

私と私の後ろにいた”何か”は同時にその場に座り込んだ。

(・・・座り込んだ?)

ということは・・・幽霊じゃない?
そう思って、私はまじまじと”何か”、いや”その人”を観察した。
ダッフルコートに大きな手袋、かろうじて分かる赤いカチューシャ・・・その特徴を備えた人を、私は知っていた。

「・・・あゆさん?」
「うぐぅ、そうだよお・・・」

半泣きの状態で月宮あゆさんは答えた・・・


「・・・ごめんなさい。幽霊と勘違いしちゃって、、、」
「うぐぅ、それはひどいよ〜」

私達はとりあえず、近くのベンチに腰掛けていた。
先程の幽霊らしきものも今はいないようだった。

「それにしても・・・こんな時間になにをしてたんですか?」
「え?その・・・紫雲君のお見舞いに・・・って栞ちゃんは知らないよね」
「・・・草薙さんのことでしたら知ってますよ。私の命の恩人なんです」
「へ〜そうなんだ〜奇遇だね。ボクにとっても命の恩人なんだよ、紫雲君は」
「はあ、そうなんですか」

あゆさんの話によると、草薙さんはここ数日間入院しているそうだ。
そして、その怪我の原因があゆさんだったらしい。

「それでね、今、仲直りしてきたところなんだ」

とても嬉しそうにあゆさんは言った。
そんなあゆさんが綺麗に見えた。
人を好きになるということはそういうことなのだろうか?
などと考えた、その刹那。

(??)

一瞬、あゆさんのカチューシャが消えた・・・そんな気がした。

「ん?どうしたの?」

そう問うあゆさんの頭には・・・カチューシャがちゃんとあった。
気のせい・・・なのだろうか?

「いえ、なんでもないですよ。あゆさんが綺麗だなって思っただけです」
「え?そ、そうかなあ・・・照れるなあ」

あゆさんはうつむいて、指をモジモジした。
本当に、純粋な人なんだ・・・改めてそう思った。

それは、まるで、子供のように。

「ところで栞ちゃん、なんで幽霊なんか探してたの?」
「え?ちょっと退屈してて・・・」
「う〜ん。でも、危ないんじゃないかな」
「でも、おもしろそうじゃないですか」

その言葉を聞いたあゆさんはう〜んと考え込んだ。
その様子を眺めていると、あゆさんはいきなり声をあげた。

「よ〜しっ、ボクも一緒に探してあげるよっ」
「へ?」

私はそのいきなりな提案に目を丸くした。


病院の廊下を二人して歩いていく。
あゆさんの勢いに流される形とは言え、それだけでさっきまでよりも楽しかった。
何より、頼もしい。

ベタンッ!
「うぐぅ、痛いよ〜ここ滑りやすい〜」

・・・前言は撤回。

「こらっ!なにをしているんですか、あなたたちは?!」

振り向くと、この病院で一番恐いと言われている、婦長さんがそこにいた。
私は慌てて弁解を試みた。

「え〜と、トイレですよ。でも一人じゃ恐くて・・・ね、あゆさん?」

と、横を見る。
そこには誰もいなかった。
視線を遥か遠くにやってみると・・・いましたよ。
逃げ足速っ。
何故か手まで振っている。

「あゆさん〜見捨てるなんてひどいですよ〜」

慌てて追いかけようとするが、その肩をがっしと婦長さんに掴まれる。

「え、え〜と・・・」

逃れられない状況で私はなおも弁解を試みる。
だが婦長さんは私が全く予期していなかった事を聞いてきた。

「こ、答えなさい。あの子の名前は、なんていうんです?!」

その鬼気迫る勢いに私は反射的に答えてしまっていた。

「月宮・・・あゆさん・・・」

私がそういうと、婦長さんは首を何度も横に振りながら、何も言わず、その場から去った。
というより、逃げた・・・ように私には見えたのだが・・・
私は訳が分からず、首を傾げるしかなかった。

その後、私たちは幽霊を探すという名目の下でいろんなことをした。
いろんなところに行った。
いろんなことを話した。
夜の病院が、二人だけの遊び場のようにも思えた。
とても、とても楽しかった。

「結局、幽霊なんかどこにもいなかったね」

私たちは最初に出会った場所に戻ってきていた。

「でも、いいじゃないですか、楽しかったんですから」
「そうだね。今度は外で一緒に遊びたいね」

あゆさんはニコリと笑った。
私はそれに曖昧に微笑んで答えた。

「栞ちゃん?」
「・・・あゆさん、今私は笑ってますか?」

私は唐突な質問をした。

「うん。いい顔してるよ」
「そうですか・・・あゆさん・・・あゆさんは今を生きてますか?」
「え?ど、どういうこと?」
「行きたいところ・・・行ってますか?やりたいこと・・・やってますか?・・・好きな人に想いを伝えましたか?」
「え?え?え?」

まくしたてる私に困り果てるあゆさん。
それでも、私は言っておきたかった。

「今だからできること・・・がんばってくださいね」

この言葉でどれだけ伝わるかなんか分からない。
でも、私は言えるだけのことを言ったと思う。
お姉ちゃんと同じように。
あゆさんは戸惑っていた。
でも、次の瞬間には笑って、

「うん、ボク、頑張るよ!だから、栞ちゃんも頑張ろ!ね?」

と言ってくれた。
だから、私もありったけの笑顔で応えた。

「 はい!頑張りましょう」

最後まで、笑っていられるように。


『栞、何書いてるの?また下手な絵?』
『そんなこというお姉ちゃんは嫌いですっ』
『ごめんごめん。で、なんなの?』
『秘密。どうしても、読みたいなら私がいない時に読んでね。いろんな事書いてるから。お姉ちゃんへの悪口とか』
『なんですってぇ・・・そういうこという口はこれかしら?』
『ひはい、ひはいほ〜』

ささやかな会話。
でも、今という時でしかありえない会話。
それはまた、記されていく。
少女の大切な思い出を綴った日記に。
今という時を再び、思い起こし・・・最後まで、笑っているために。
そして、残された人に伝えるために。

幸せだった、と。



風が吹いた。
幸せのカケラがパラパラとめくられていく。
やがて、あるページでそれは止まった。

1月16日土曜日。

そこには幸せのカケラと・・・たった一つの秘密があった。

私とあゆさんは”そこ”を通りかかった。
あゆさんは先へと歩いていく。
私の足はそこで止まってしまった。

ある、病室の前。

そこのプレートに書かれた名前。

ガラスの向こうに横たわる人物。

「うそ・・・・?!どうして・・・・!?」

その名は。

そのひとは。




BGM 太陽の花 SONG BY 奥井雅美



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