Kanon another1”snowdrop”第16話
無知ゆえに〜北川潤〜
「おい、美坂?何やってんだよ」
俺・・北川潤は、いきなり立ち止まった”彼女”に呼び掛けた。
彼女、美坂香里は俺のクラスメートである。
席が隣なこともあって、割とよく話す。
学年トップの頭脳を誇り、おまけに美人。
才色兼備とは彼女のことをさすのだろう。
俺たちは日直の仕事の締めとして、職員室に日誌を置きにいくところであった。
その途中で、彼女が唐突に立ち止まったのだ。
彼女はただぼーっとした顔でそこを眺めていた。
一年生の教室だった。
放課後の喧騒に包まれたそこは、いつもの、だが、彼らにとっては、今しかない風景なのだろう。
「・・・知り合いに用でもあるのか?だったら早めにしないと、相沢たちが凍え死んじまうぞ。
もう氷氷(こりごり)だ、、なんてな」
『なに馬鹿なこと言ってるの』
何時ものようにクールな突っ込みが入る・・・そう思っていた。
だが美坂は熱にうなされたようにそこを眺めるばかりだった。
「・・・美坂?」
「え・・・?あ、なんでもないわ。早くいきましょう。名雪たちが待ってるし」
「そう言ったぞ、さっき」
「え?そうなの?まあ、いいじゃない」
それだけ言うと、美坂は何事もなかったように、すたすたと歩いていった。
俺は特に掛ける言葉も見当たらず、その後に続いた。
その日、俺たち(転校してきたばかりの相沢、天然入った美少女水瀬さん、美坂、そして相沢の友達らしい、やや幼児体型気味だが、中々可愛い月宮さん)は、クラスメート・草薙紫雲が入院したという病院に見舞いにいった。
草薙は、このクラスになった当時からのダチだ。
これがまたいい奴なのだ。
基本的に一匹狼で表情少なめな奴なのだが、話しかければ誰とでも気さくに話し、困ってるやつが助けを求めれば手伝ってやる・・・
クラスの便利屋的な存在として扱われてはいるが、それを苦ともしていない。
当人は気づいていないが結構もててたりする。
だが草薙自身が女の子を苦手としていることもあって、浮いた噂は聞いたことはなかった。
噂といえば、草薙に関してあまり良くない噂を聞いたこともあったが・・・
まあ、それはどうでもいい。
とにかく、草薙はいい奴なのだ。
ただ、時々遠くを見たりしている時があって、
その時は「似合わないぞ〜」とからかってやるのだが・・・
そう言えば、それは、さっきの美坂の顔に似てたような気はするな・・・
くーと寝息を立てて眠る草薙の顔を見ながら俺はそう思った。
俺たちはしばらく色々話をしながら、草薙が起きるのを待ってみた。
だが、結局草薙はその日起きなかった。
そして、その代わりというべきなのか、草薙のお姉さん、草薙命さんに草薙の昔の話を聞かされた。
正直、驚いた。
かつて聞いた噂。それは曲解された事実だった。
それは今の草薙とはあまりに違うようで・・・
それでいて、草薙ならやるのかも知れないと思わせるものだった。
そして・・・
俺は草薙がそんなものをずっと抱えていることに気づきもしなかった。
それがなんとなく、悔しくて、嫌だった。
それから二日過ぎて。
俺は、教室の前に立っていた。
自分の、ではなく二日前に美坂が眺めていた教室だ。
俺は気になっていた。
美坂のあの顔。
そこにあるはずのないものを探す・・・
それが分かっているから、そんな自分が哀れになる・・・
そんな顔をしていた。
・・・草薙の時のように何も知らないのは嫌だ。
そんな思いから、俺はここに立っていた。
ちょうどそこへ、教室に入ろうと女の子が俺のすぐ横を通っていく。
その子を呼び止め、俺は尋ねた・・・
その日の放課後、俺と美坂は、再び草薙の見舞いにいった。
昨日行ったら起きた、と相沢に聞いたからだ。
「しかし、草薙君も起きるなら昨日起きてくれればよかったのに・・・二度手間だわ」
口ではそう言っているが、美坂が面倒臭がっているような雰囲気はなかった。
アイツが起きたことに安心しているのだろう。
優しい奴・・・もとい、女の子なのだ。
まあ、前から知ってたけど。
「・・・?どうしたの北川君。いつものあなたらしくないわね」
「ん?ああ・・・ところでさ、美坂・・・」
「なに?」
「・・・・・・・・・・いや、やっぱなんでもない」
「なによ、気になるじゃない」
「悪ぃ」
「・・・・・変な北川君」
美坂は首を傾げながらも、それ以上は尋ねるような事はしなかった。
それを申し分けなく思いながら、俺はさっきの事を思い返していた・・・
『美坂の妹』
『ええ、多分そうじゃないですか?美坂って名字の人は少ないですし』
『んで、その子はずっと休学中だってのか?』
『ええ・・・始業式の時に来たっきりで・・・私・・・友達になりたかったのに・・・』
結局・・・俺は何も知らなかった。
何も言えなかった。
何もできなかった。
俺の身近にいる、俺の気に入った奴らが、いつも何かを押し殺していたというのに。
俺は一体なんなんだろう?
そんな無能な馬鹿の癖に、俺はあいつらの友達を気取っていた。
俺は・・・大馬鹿だ。
心の奥底から、そう思った。
「ん?香里君と・・・北川君か」
病院の通路で俺たちは命さんと擦れ違った。
この人と会うのは二度目だが、それでもすぐに名前が浮かぶほど、命さんは魅力的な顔をしていた。
勿論、それは顔だけではない、と思うが。
「こんにちは」
「ああ、こんにちは。ところで君達は何をしにここに?」
「弟さんのお見舞いっすよ」
「そうか、すまないな。・・・それはそうと香里君、いいのか?」
「え?」
「君の行くべき場所はもう目を覚ました家の馬鹿弟のところなのか?」
「・・・・・・・」
その命さんの問い掛けに、美坂は何も答えなかった。
命さんは暫しそれを眺めていたが、やがて肩をすくめて言った。
「・・・まあ、いいさ、決めるのは君だ。失礼するよ」
それだけを言い残し、命さんは俺たちに背を向け、去っていった。
「美坂・・・」
「・・・気にしないで。なんでもないから、早く草薙君のところにいきましょう」
「・・・・・ああ」
それから、草薙の病室に赴いた俺たちは、適当な話をして笑っていた。
二人とも、笑っていた。
俺は、いらぬ気遣いをされないよう、愛想笑いを浮かべるのがやっとだった。
それが辛くて、俺は途中でジュースを買うとか口実を作って、席を立った。
「はあ・・・なにやってんだろーな、俺は」
ため息とジュースを抱えて病室に戻ると、二人がなにやら言い争っているのが聞こえた。
言い争っているというのは正確ではない。
声を荒くしているのは美坂だけで、草薙はただ淡々と言葉を紡いでいるようだった。
俺は、引く事も進む事もできず、只そこにいることしかできなかった。
「・・・貴方の言ってることなんて、ドラマかなにかの台詞の切れっぱしじゃない!」
そう叫んで美坂はバン!とドアを開けた。
そこに立っていた俺の目と視線が重なるが、それは一瞬の事だった。
美坂はついと目を逸らし、何も言わないまま、どこかへと走り去っていった。
それを追うことすらできなかった俺は、なんとなく、ベットに座る草薙の顔を見た。
その顔はいつもと変わらなかった。
それが俺には腹立たしかった。
コイツの表情が人と比べるとやや乏しいことなど知っていたのに。
”君はここより行くべき場所があるんじゃないのか”
さっきの会話の中で草薙はそう言っていた。
草薙は、知っていたのだ・・・美坂のことを。
知っていて、美坂を・・・悲しませた。
「草薙」
「ん?」
草薙が振り向いた瞬間、俺は草薙を殴った。
鈍い音がしたが草薙はぐらりともしなかった。
それが、また俺のカンに触った。
俺は草薙の胸倉をつかんで叫んだ。
「俺は・・・なんで何も知らなかったんだ?!何で誰も教えてくれなかったんだ?!何でお前も命さんも知っててアイツを悲しませるんだよ?!なんで・・・なんでなんだ・・・」
よく分からないうちに、俺は涙を流していた。
草薙は何も言わず、そんな俺のために、ただされるがままになってくれた・・・
「本当は分かってたんだよ。お前も命さんも美坂を心配してたから、そう言うしかなかったんだよな」
「・・・本当は悲しませないのが一番いいんだろうけどね」
幽かな笑みを浮かべて、草薙は言った。
言ったこいつが一番辛いことなどわかっていたはずなのに。
そういう・・・優しいやつなのに。
「でもさ、僕は思うんだけど・・・僕にも、姉貴にも、言えないことがあるんだよ。できないことがあるんだよ。いろんなことを知ってると、どうしても。それをしてくれる人が必要だと思うんだ」
「・・・・・できるのか?俺にそれが」
「美坂さんのために泣ける君ならできるよ」
「それって仕返しか?」
「まあね」
俺たちは笑った。
それは多分、本当の笑顔だった。
その後、俺は美坂を探し回った。
ひたすらに、探した。
そうやって見つけた美坂は泣いていた。
病室の前でたった一人で。
何があったかは分からない。
でも、俺にできるのは一つだけだ。
「よう、美坂!相変わらずいい女だな」
・・・・・無反応。
構わずガンガン行く。
「こんなところにいたらナンパされるぞ〜。俺ならするな」
・・・・・駄目っぽい。
でも挫けない。
これで笑ってくれればいい。
でも多分そうはならずに怒ったりするだろう。
それでいい。
何かを俺にぶつけてすっきりして欲しい。
草薙にはできないこと。
”何も知らない俺”だからできること。
”無責任”な正しいことを言い続けること。
”無責任”な励ましをすること。
俺だから、それはできる。
俺を憎んでもいい。
恨んでもいい。
でも心を失わさせはしない。
「・・・・・ばかね」
そんな決意の元、馬鹿なことをのたまい続ける俺に、美坂は言った。
そして、顔を上げた。
その顔には涙が残っていたが・・・笑っていた。
「あたしが悲しんでるように見えたの?」
それは、いつもの少し呆れた口調だった。
「いや、その、まあ」
「馬鹿ね」
もう一度美坂は言った。
「誰もそんなこと言ってないでしょ?あたしは今・・・嬉しくて泣いてたんだから」
「・・・そうなのか?」
「そうよ」
「はあああああ・・・・・・・」
俺は安堵と、自分の間抜けさ加減にため息をついた。
んじゃ俺の気苦労はいったい。
理不尽だ。
・・・でも、ま。
美坂が元気ならそれで。
「・・・心配してくれてありがとう」
「へ?」
美坂の言葉に顔を上げると、驚くほど近くに美坂がいた。
一瞬、何かが俺の頬を掠めた。
そこには、美坂の顔があったような気が・・・
って・・・これは・・・まさか・・・
「さあ、帰るわよ」
病院のロビーは差し込んだ夕日に照らされて赤くなっていた。
その差し込む光へと美坂は向かっていく。
ここには残したモノは何もない。
そう言わんばかりに。
それは俺も同じだった。
「ちょっと待てって!置いてくなよ!」
俺は慌ててその後を追った。
・・・たぶん、これからも。
俺はそうしていく。
そうしていきたい。
それが、何も知らない俺が。
美坂にできる、只一つのことなのだから。
BGM 夢であるように BY DEEN(テイルズ オブ ディスティニー)
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