Kanon another1”snowdrop”第15話
醒めない夢〜倉田佐祐理〜
佐祐理・・・いや、私の心はずっと宙をさまよっている。
あの日、弟を失ってからずっと。
それを長いとは思わなかった。
それほどに私は空虚だった。
だから、それは夢だった。
醒めない夢。
絶望の夢。
でもいつしかそこに光が射した。
夢は変わる。
楽しい夢。
それは彼女に出会ったからだ。
川澄舞。
生きることに不器用な少女。
私と同じ、何かを無くした瞳。
最初は同情だったのかもしれない。
でも、今はそんなことどうでもいい位に彼女の側にいたくなった。
そして、彼に出会った。
相沢祐一。
舞と親しげに話す彼を見て、私は思った。
彼は舞の理解者になれる人。
そして・・・舞を夢から覚ますことのできる人。
いつかは舞を遠くに連れていってしまうかもしれない人。
いい人で大好きだけど、私とは交わることのない人。
それでも三人でいると楽しかった。
そんなある日、私は夢を見た。
弟の夢だ。
それは昔の思い出だった。
たった一度だけ遊んだ時に弟は話した。
困っていた自分を助けてくれたすごくかっこいい人がいたと。
名前は知らないと『言って』いたが、私には弟が伝えた容姿に心当たりがあった。
その名前を私はずっと覚えていた。
「草薙紫雲って言います。改めて宜しくお願いします」
「倉田佐祐理です。佐祐理でいいですよ、あはは〜」
彼、草薙さんの病室で私は何時ものように笑った。
そうしていれば、誰かが笑ってくれる。
そう信じて笑い続ける。
彼も笑っていた。
でも、その眼は絶望に陰っていた。
私と同じ、覚めない夢を見る眼だ。
かつて、弟の話してくれたヒーローの成れの果てだ。
草薙紫雲。
通称、紫の草薙。
この地域にある小・中学校で、生徒会などに所属するもの、あるいは裏の道を知っている人間で彼の名を知らないものはいない。
問題児、と言われていたが、それはあくまで教師たちの言葉に過ぎない。
ある者にとっては文字通りの正義の味方。
ある者にとっては破滅を呼ぶ悪魔。
いつしかその名前は朝に現れては消えていく霧のように意味を持たなくなっていった
彼が何を考えてそれを為していたのか、わからないままに。
「草薙をどう思うかって?」
舞と草薙さんを病室に残し、私と祐一さんはジュースを買いにいった。
自飯機が近くになかったので、地下の売店までいく羽目になった。
そんなおり、私はなんとなくそれを尋ねていた。
「そうだな・・・変な奴だよな。でも、いい奴で・・・
ある意味、佐祐理さんにそっくりかな。なんとなくだけど」
「佐祐理にですか?」
私は言いながらもなんとなく納得していた。
彼は迷い人なのだ。
私と、同じ。
”自分”を失い、人に何かをすることでようやく己の価値を見いだせる。
だから、彼は私と同じ”いい人”なのだ。
祐一さんはトイレに行くと言っていたので、私一人先に病室に戻ることとなった。
祐一さんの分までジュースを抱えた私が悪戦苦闘しつつドアノブに手をかけようとした時、話声が響いた。
それは舞と草薙さんが話し声だった。
心ならずも、その内容まではっきりと聞いてしまっていた。
その話が終わったのを見計らって、私は部屋へ入った。
「あ、お帰りなさい」
「佐祐理、遅いから心配した」
心底心配した・・・そんな感じの声音だった。
私とは違う、本当の優しさだった。
「ごめんね、舞。あ、祐一さんを探してきてくれるかな?」
それは、ただのこじつけだった。
彼と話すための。
舞には悪かったが、彼と話すためにそうする必要があった。
「・・・わかった」
舞は私の思惑に気付いた素振りもなく、この部屋を後にした。
私は心の内で舞に謝ってから、草薙さんに向き直り、話しかけた。
「舞のためにありがとうございます、草薙さん」
「・・・聞いてましたか・・・いや、別に気にしなくていいですよ」
手をブンブン振って大袈裟な反応をする彼がおかしくて私は思わず笑った。
<彼も、それにつられて苦笑していた・・・が、急に真顔になって言った。
「本当に」
「・・・」
「本当に、彼女のためになっているんでしょうか?」
「・・・・・」
「僕のやっていることはお節介なんじゃないか、単なる偽善なんじゃないか・・・そんな気がして・・・少し、怖いです」
・・・それは私も感じていることだ。
いつだって不安に脅えていた。
自分の気持ちなんかまったくの出鱈目で、ただ機械的に、ただそうしなければならないから、そう反応しているだけではないか、と。
でも・・・・・・・
コツ。
何か言おうと、微かに前に進み出た私の足に何かが当たった。
それはベットの下からほんの少しだけ出ている。
黒いブーツの先っぽ。
私はなんとなく”それ”に思いあたった。
”それ”は初めて彼と出会った時に彼が追いかけていた、あの女の子。
どういう経緯でここにいるのかは分からなかったが、何故、ここにいるのかは・・・よく、分かった。
私は再び笑った。
”そのこと”に気づいたから。
「あはは〜それなら私もお節介で偽善者ですね」
あえて私は”私”と言ってみた。
今、この時だけは私は現実にいたからだ。
そんな私の言葉を、草薙さんは慌てて否定する。
・・・本当に、真っ直ぐでいい人だ。
「いや、貴女は違いますよ」
「それなら、あなただってそうです。やっていることは同じなんですから」
「・・・・・・・・・・・そうなんでしょうか?」
「そうですよ」
「そうかも、しれませんね」
彼はそれ以上は何も言わなかった。
言えなかったのか、言わないでいてくれたのかまでは分からなかったが。
舞はさっき私のことを心配してくれた。
彼の下にいる”彼女”もきっとそうだ。
草薙さんのことが心配でたまらないのだ。
私も草薙さんも、それを嬉しいと思うことがまだできる。
だから、まだ、私たちは・・・・・
「ここにいて、いいんだよね、舞?」
病院からの帰り道、舞と二人だけで歩く道で私は言った。
「うん。いいに決まってる。私のいる居場所が佐祐理の居場所で、佐祐理の居
場所が私の居場所だ。
これからも、ずっと」
「うん!そうだよね」
私はそう言った。
・・・でも。
私は知っている。
こんな楽しい夢はいつまでも続かないことを。
でも、今この時の気持ちは決して変わらない。
だからずっと笑っていられる。
夢の終わりまで笑っていられる。
・・・最後にはどうか幸せな記憶を。
不意に誰かの声が聞こえた気がして、私は空を見上げた。
でも、すぐにやめた。
私のいる場所はここ、現実なのだ。
醒めない夢の続く現実を、私は生きていく。
傍らに立つ、少女と共に。
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