Kanon another1”snowdrop”第12話



世界の選択〜相沢祐一〜


「祐一。草薙君大丈夫かな」

昼休みの食堂の喧騒の中、俺の従兄弟にして同居人にしてクラスメートの水瀬名雪がそんなことを言ってきた。
この喧騒にあっても、その声はよく通っていた。
ただ、その声はそれと相反するように暗かった。
俺、相沢祐一は名雪お勧めのAランチを食べる手を止めて、答えた。

「・・・大丈夫だったら来てるだろ」
「それは・・・そうだけど」

名雪は表情を曇らせ、自分の好物のいちごのムースに視線を向けた。
ほんの少しでも気分が落ち着くものが見たかったのかも知れない。
現実はそれなりに過酷で、それなりの癒しは必要だろうから。

(・・・入院してから三日か・・・)

俺のクラスメート、草薙紫雲が学校に姿を見せなくなって、それだけの時間が流れていた。
なんでも、軽い怪我なのに、意識を失って目を覚まさないらしい。
命に別状がないらしいことが不幸中の幸いだ、と言いたいが当人が目を覚まさないのに幸いもクソもあったものじゃない。
彼が病院に運び込まれる数時間前まで、会話していたので、信じられないし、なんとなくやりきれなかった。

「今日あたり見舞いにいってみるか」

とは同じテーブルを囲む、友人の一人、北川潤の言だ。

「うん。わたしもそれがいいと思うよ」

名雪もそれに同意する。

「そうだな。俺もいくよ。香里はどうする?」

もう一人の友人、美坂香里はスパゲティをクルクルとフォークで絡めとる作業をピタリと止めた。
その顔には、彼女には珍しい迷いの表情が浮かんでいた。

「・・・香里?」

名雪が心配そうな声をあげる。
香里はしばし暝目した後、

「大丈夫よ。ちょっと考え事してただけ。・・・私も行くわ。クラス委員として、友人として看過できないから」
「そうだよな。さすが美坂、偉いぞ〜」
「はいはい」
「そんな軽く流さなくてもいいじゃないかよー」
「いまのは軽く流す以外のなにがあるっていうの?」
「・・・・・・・・じゃあ、放課後、校門で待ちあわせな」
「北川、情けないぞ〜。・・・まあ、それはいいとしても」
「いいのかっ!?」
「・・・なんで校門なんだ?寒いじゃないか」

いちいち反応していたらきりがないので、俺はそれを軽く流した。
北川は不満そうな顔をしていたが、それこそキリがないと思ったのか、それについては何も言わず、その理由だけ口にした。

「・・・俺と美坂日直だから、色々やることあんだよ。だからその方が都合がいいかなと思ってな」
「そうだったね〜」

名雪の間延びした言葉がその約束事の成立を決定させ、後は普通の昼食風景に戻った。
それでも、何か会話に多少の違和感を感じたが、それはみんなが草薙を案じていたからだと、俺は思った。
眼鏡かけたお人好し。
そんなあいつが、なぜこんな目にあうのだろうか。

(この世に神がいるとしたら、きっとサディストなんだろうな)

なんとなく、そう思った。



「寒いね、祐一」
「言うな、もっと寒くなるだろうが」

お間抜けそうに校門の前で立つ俺たち以外の生徒は皆足早にここを去っていく。
それだけで今日の寒さがうかがい知れるというものだ。
雪が降っていないのは不幸中の幸いだ。
だが、寒い事に変わりは無い。

「・・・寒いね、祐一」
「だから言うなっつーに」

俺は手袋を外してから名雪の両頬を引っ張った。
名雪の頬は柔らかく、冷たい。
でも徐々にそこから暖かさが生まれていくのが心地よかった。

「ひはいほ〜はひふふほ〜?」

・・・イメージ台無し。

「お前が寒い寒い言うからだ」

パッと手を話す。
名雪の感触がほんの少し名残惜しい。
そんなことを考えていることになど気づくはずもなく、名雪は赤くなった頬をさすりつつ言った。

「ひどいよ〜けろぴーのほっぺたみたいになったらどうするの〜」
「俺は困らないな」
「お嫁さんにいけないかも」
「んなことはないだろ。大体外見で人を見ようとする奴と結婚するのが間違ってる」
「そういう祐一は?」

上目使いに、俺の目をじっと見据える名雪。
こんな光景を昔どこかでみたような・・・

「どうなの?」
「・・・俺は可愛い方がいいさ」
「そういうと思った」

名雪は残念そうなそれでいて安堵した表情を浮かべた。
そんな時だった。

「・・・ん?」

おそるおそるこっちを、というより校舎の方を見つめている少女がいた。
それは見知った顔だったので、声をかけることにした。

「おーいあゆ!」
あゆはその声を聞いて周りを見回し、俺の姿を認めると、こっちにむかって駆け出し・・・

ベタ。

こけた。

「あゆ・・・お前に学習能力はないのか?」
「うぐぅ・・・相変わらずひどいよ祐一君」

半泣きであゆは言った。

「大丈夫?怪我はない?」

名雪がしゃがみこんであゆの足を看た。

「あ、大丈夫です・・・その、ありがとうございます」
「いいよ、気にしないで」
「ボク、月宮あゆっていいます」

そう言って、あゆはぺこり、と頭を下げた。

「わたしは水瀬名雪。よろしくね、あゆちゃん」
「よろしく、名雪さん」

この二人は相性がいいのか、すぐに打ち解けたような雰囲気を生み出した。
まあ、なんにしても仲がいいのは悪い事ではない。

「あゆちゃんはここでなにをしてたの?」

そんな名雪の何気無い質問にあゆは顔を暗くした。

「・・・どした?」
「うん・・・あの・・・紫雲君、もう帰っちゃったのかな?」
「・・・・・」

あゆの言葉に、俺と名雪は思わず顔を見合わせた。

「え・・・どうかしたの・・・?」
「あゆ。草薙は・・・いま入院してる」
「え?」
「三日前から学校には、来てない」
「・・・そ、そんな・・・・・」

あゆの顔が目に見えて分かるほど、蒼白になっていった。
こんなあゆを見るのは、初めてだった。
体を小さく震わせている。

「ボクのせいだ・・・ボクのせいなんだ・・・きっと、きっとそうなんだ・・・」

しきりにそう呟くばかりで俺たちすら視界に入っていなかった。

「おい、しっかりしろよ!」

俺はあゆの肩を掴んで軽く揺さぶった。

「大丈夫だ。意識はまだ戻ってないが、死ぬような怪我はしてない。これから見舞いにいくところなんだがお前も来るだろ?」
「で、でも」
「大丈夫、だよ」

そこで、名雪があゆの頭にぽんと手を置いた。
そして、微笑みながら、その小さな頭を優しく撫でた。
俺にはそれが秋子さんの姿とだぶって見えた。

「・・・名雪・・・・さん?」

あゆは戸惑いながら、名雪を見つめた。
名雪は表情を崩さないまま、言う。

「草薙君はあゆちゃんを怒ったりしないよ。そういう人だから。それは、私よりあゆちゃんの方がよく知ってるんじゃないかな」
「・・・」
「だから、いこ?草薙君もきっと待ってるよ」
「・・・うん。・・・・ボク、行くよ。あやまらなきゃいけないもん」

名雪は、俺とあゆ二人に向けて、うん、と頷いた。
・・・俺は心の中で名雪に感謝した。
俺ではきっとこうはいかなかっただろうから。

・・・こうして、あゆを加えた俺たちは草薙のいる病院に向かった。


草薙を訪ねた、俺たちは思わぬ人物に会う。
それは、草薙の姉にして担当医、草薙命(みこと)だった。
彼女は、俺たちに語った。
草薙紫雲の、昔話を。
なぜ初対面の俺たちにそんなことを話したのかを訪ねると彼女は言った。
「アレの見舞いに訪ねてきたのは、君達が初めてだった・・・それだけだ」


それは重い過去だった。

俺たちはその事について何も言えないまま帰路についた。
付き添いたいというあゆを残して。

それから、俺は何度かここを訪れた。

目を覚ました草薙と少し話したが、あいつはあいつだと、逆に安心した。

それから、また数日が過ぎ・・・草薙は無事、退院の運びとなった。

「結局なんだったんだよ、お前の怪我って?同じように魔物にやられた俺とちがうってのは?」

片付いた病室で、俺と草薙は話していた。
名雪も一緒に来ていたが、ちょっと、と言って席を外していた。
おそらく、トイレだろう。

「人にはそれぞれの役割があるってことじゃないかな?」
「・・・なんか悟ったようなこと言いやがって」
「かもね。いろんなこと、いろんな人に教えてもらったから」

以前の草薙と同じなのにまるで違うような錯覚に俺は襲われた。
いや、強いていうなら・・・安定した・・・とでもいうのか・・・
形容し難いが、そんな風に思った。
「ところで、相沢君、水瀬さんがいない間に一つ聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「・・・好きな女の子とか、いる?」

 いきなりといえばいきなりな質問に俺は言葉を失った。

「どうなの?」
「・・・お前、ホ(ぴー)か?」
「僕はノーマルだよ」

とは言え、草薙が意味なくそういう質問をするとも思えないので、俺は少し考えて、真面目に答えた。

「さあな。正直あんまり考えたことないな」
「そう?あゆとかは?」
「あんなの対象外だ。見た目小学生だし、それに・・・なんだよ、笑ったりして」
「べつに。・・・でも、できれば大切にしてほしい。あゆを救えるのは・・・」

なんのことだ?と俺が問いかけようとしたその時、名雪が戻ってきた。

「お待たせ〜。祐一、そろそろ帰ろう。邪魔になるから」
「・・・ああ」
「じゃあ草薙君、またね。それから・・・ありがとう」
「僕は、フェアでありたい・・・それだけだよ、名雪さん」
「うん、だから、ありがとう、だよ」
「・・・かなわないなあ」

そう言って草薙は笑った。
それは、何の迷いも気負いもない人間の顔だった。


病院からの帰り道、雪の降る中を俺は草薙の言葉を反すうしていた。

”できれば、大切にして欲しい”

それは、俺なりにやっているつもりだ。
それでは、足りないのだろうか?
あゆも、名雪も、舞も、栞も、真琴も、皆大切だ。
それでは、いけないのか?

「どうしたの、祐一。難しい顔して」

その声で横を向くと、名雪が心配そうにこっちを見ていた。

「いや、なんでもない。・・・ところで草薙となに話したんだ?」
「う〜ん。大事なこと、かな。それ以上は内緒」

そう言って笑う名雪は、どこか子供っぽくて、それでいて綺麗だった。

・・・雪の降る勢いが強くなってきた。

「わ。傘ささないと。祐一、傘は?」
「今日は午後から晴れるとかいってたから持ってきてない」
「だめだよ〜この町の天気は変わりやすいんだから」
「乙女心と同じにか?」
「それは秋の空だよ」

ふう、と白い息をはいた名雪は傘を持った手を目一杯伸ばした。

「・・・なにしてるんだ?」

分かってはいたが、聞いてみた。

「祐一を傘に入れようとしてるんだよ」

名雪の背では、それは少し困難な事だった。

・・・・・・・・・・・・・・・ったく。

俺はひょいっと傘をとって、俺と名雪の中央にそれをかざした。

「あ・・・」
「これでいいんだろ?」
「・・・うんっ」

名雪は嬉しそうに笑った。
それが俺には心地よかった。

・・・まずは、コイツのことからはじめるか。

「俺の自由だよな、草薙」
「?」
「なんでもないよ」

そんな感じで、俺と名雪は歩いていった。
それがいつまで続くかはわからない。
それでも、時間の許す限り、歩いていたい。
ただ、そう思った。


相沢祐一は知らない。
その自分の選択が、多くの人の運命を変えてしまう選択だったことを。

しかし、知っていても彼はこの道を選んだのではないだろうか?
それが、相沢祐一という男なのだから。
それこそがこの世界の選択なのだから。

      続く。

BGM あの頃のように  by Kaya


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