双星乃歌
・・・作品の前に。
この作品は、KanonとAIRを複合させた作品です。
この両作品をクリアなさってない方はネタバレしますので読まないほうがよろしいでしょう。
では、どうぞ
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双星乃詩〜待ち人、旅人〜
雪が、降っていた。
朝から降り続けるそれは、はらってもはらっても俺を白く染め上げる。
俺はずっと人を待っていた。
俺が今一番大切だと思える人。
その人との約束を守るため、俺はここに座して待つ。
かつて、その人と約束したこの場所で。
かつて、俺が裏切ってしまったこの場所で。
そうすることが想いの証明だと思えたから。
(・・・大丈夫。きっとあいつは来てくれる。そして、俺があいつの支えになるんだ・・・)
そんな想いを固めた時間は、気付いたら過ぎ去っていき・・・
・・・もう、今日が終わろうとしていた。
(・・・来るさ。あいつは来てくれるさ)
嘘だ。
(・・・来るはずだ。あいつは、人の想いを受け止めきれない奴じゃない)
嘘だ。
(・・・絶対、来る)
嘘だ。
(・・・嘘じゃない)
嘘だ。
(・・・・・・・・・・・・)
俺は心の何処かでこう思っていた。
七年前のあいつは、今の俺と同じように、俺を待っていた。
なら。
なら・・・俺は・・・裏切られるのではないか・・・?
裏切られて、当然なんじゃないだろうか・・・?
そんなことは無いと思う自分がいて、
・・・それよりもかつての罪を恐れる自分がいて・・・
恐怖と寒さで惨めに体を震わせているうちに・・・
・・・時計の針が、今日の終わりを告げた・・・・
・・・・・待ち人は、水瀬名雪は、来なかった。
往生際悪く、朝になるまで待っても、名雪は姿を見せなかった。
想いは、届かなかったのだ。
あんなに必死に贈った想いは無駄に終わったのだ。
「ははは・・・虫がいい話だったんだよな」
朝焼けの街を、まだ人のぬくもりが伝わっていない街を歩きながら俺は言った。
力ない笑いが自分でも辛かった。
でも、それでも、笑うことぐらいしか俺には・・・できなかった・・・
「そうさ。7年前の名雪だって、今の俺と同じ気持ちだったんだ」
・・・・・知らず知らずのうちに。
涙が溢れ出ていた。
それは、自分の無力さを知った涙。
自分の思い上がりを知った涙。
絆なんか二人の間にはまだできていなかったことを思い知った涙。
涙で視界がぼやけた。
雪に足を取られ、雪の降り積もった地面に無様に転ぶ。
立ち上がる気力も無い俺はただそこに倒れ伏すだけだ。
雪の冷たさが全てを奪っていくような錯覚に陥る。
もう、何もかもかどうでもよく思えた。
なるようになればいい、そう思った。
・・・そう思えれば幸せだった。
「・・・思えるわけ、ねーだろっ」
俺は、がばっと顔を上げた。
寒さに震える足を奮い立たせた。
そして、再び歩き始めた。
我が家への帰路を。
(そうさ・・・今は、だめなだけさ。
名雪さえ側にいれば、今はいいじゃないか。
ずっと側にいればいいじゃないか。
そのうち秋子さんもきっと帰ってくる。
そしたらまた、名雪は笑えるようになる。
そうさ、それでいいはずだ)
家に帰って、直接来た名雪の部屋のドアの前で、俺はただただ自分に言い聞かせた。
そうしなければ、名雪と向き合えそうになかったから。
でも、どんなに辛くても、名雪の側からは離れはしない。
(そうさ。俺は、それでいいんだ)
名雪は俺を受け入れてはくれないかもしれない。
でも、俺がこの家にいることまで拒みはしないはずだ。
そうであるかぎり、まだ、きっと・・・・・!
俺は、そんな思いと共に、そのドアを開いた。
・・・・・そこには。
そこには、誰も。
誰も、いなかった。
朝の光に包まれた名雪の部屋。
光を反射させ、光沢を放つ目覚まし時計の群れ。
その針の音だけがその部屋に響いていた。
そして、そのベットの上には、脱ぎ捨てられた名雪のパジャマ・・・
そして、パジャマの上に無造作に置かれた一枚のメモ用紙。
そこに書いてあった、ただの一言。
それが、いまのすべてだった。
『さよなら。そしてごめん。・・・名雪』
「う、うそだろ、名雪。実はその辺にいて、俺をお、驚かせようって言うんだろ?
な、な?そうだよな?そうなんだよな、名雪?」
周囲を見渡すように呼びかける。
でも、なにもない。
だれも、いない。
いるのはただ、俺一人。
「なゆ・・・」
かちゃ・・・
なおも呼びかけようとする俺に、その音は響いた。
何かのスイッチ音。
それは聞きなれた音。
目覚まし時計の、目覚ましが作動する瞬間の音。
名雪が声を入れて、俺が新しく声を吹き込んだ、あの時計。
『祐一・・・
私、もう、笑えないよ。
・・・私が私じゃいられないよ・・・・
祐一の・・ぉ・・・好きな・・ヒック・・・み、水瀬名雪じゃいられないよぅ・・・
だから・・・さよなら・・・
さよならっ・・・』
その音は。
『祐一・・・』
ただ繰り返し繰り返し。
『だから・・・』
俺の心に響いて、消えていった・・・
『さよならっ・・・』
「う、うあああああああああああああああああっ!!!」
俺は叫んだ。
そして走った。
家の中を。
街の中を。
靴を履くことさえ忘れて。
「なゆきっ!!名雪!名雪!!!」
まるで狂ったおもちゃのように。
ただその名を叫んだ。
・・・その声に応えるものは、いなかった・・・
・・・それから数日が過ぎた。
街中を探した。
学校に行く余裕なんかなかった。
ただひたすらに探した。
名雪は見つからなかった。
北川が、香里が、クラスメートたちが探してくれたのに、見つからなかった。
手段を問う余裕もなかったので警察にも捜索願を出した。
それでも、名雪は見つからなかった。
そして、疲れ果てた俺が家に帰ったとき、その知らせは届いた。
・・・秋子さんが、死んだ。
・・・その時のことはあまり思い出せない。
気付いたら病院にいて、眠ったように・・・いや、永久の眠りについた秋子さんの顔を眺めていた。
振り向くと、いつも困ったように、楽しそうに、様々な想いを乗せて笑っていたその顔が表情を浮かべることはない。
それはただそこにある事実だった。
震える身体が、涙を流すしかできない瞳が、凍て付く様な寒さを感じる心が全てを肯定していた。
・・・あの家にぬくもりが帰る日はもうやってこない。
・・・そして・・・俺を拒絶した名雪があの家に戻る理由も、秋子さんがいなくなった今は・・・もう存在しなかった。
「・・・・・秋子さん・・・・・・・・名雪・・・・・」
俯いたはずみに、溢れる涙が零れ落ちた。。
その涙が、リノリウムの床を打つ音が、あまりにも静かなその部屋に響きわたった・・・そんな気がした・・・
・・・それから、一年の時が流れた。
俺はまだ、水瀬家にいた。
形ばかりの家に。
むろん名雪はまだ戻ってきてはいない。警察も発見していない。
・・・だから俺一人の家だ。
・・・両親は自分たちの元に戻ってくるように言った。
だが、俺はそれを拒否した。
理由はない。
・・・往生際が悪いだけだった。
俺は、学校にあまり行かなくなった。
出席日数を計算した上で、学校をやめさせられない程度にサボった。
学校に行くことはここに残る条件の一つだったから仕方がない。
サボった分は、名雪を待ち続けた。
あの駅前のベンチで。
ずっとずっと、待ち続けた。
そんな俺に北川は慰め代わりの苦笑いを浮かべて言った。
「もういいじゃないかよ。楽になっても」
そんな俺に香里は言った。
「もうやめなさいよ、見ている人が悲しくなるようなことは。
戻らないものは、もう二度と、戻らないんだから・・・・」
楽・・・?
違うよ、北川。
これをやめてしまったらもっと辛くなるんだ。
今の方が、楽なんだよ。
戻らないもの・・・
違うさ、香里。
名雪はいなくなっただけなんだ。
まだ、戻らないと決まったわけじゃない。
だから、俺は。
・・・・・今日は日曜日だから、朝からここに座ることができる。
たくさんの人が行き交い、たくさんの人で賑わうこの場所に。
・・・・・吐く息はとても白く、一年前、名雪がここに俺を迎えにきた日のことを、そして名雪がここに来なかった日の事を否が応でも思い出させた。
「はあ・・・」
吐く息の白さを確かめるように、俺はまた息を吐いた。
そして、雑踏に目を向ける。
(道行く人々は、何を思って歩いているのだろう?)
名雪を人ごみの中から見つけるために、そこを行き交う人々を眺めているうちに俺はいつからかそんなことを思うようになった。
みんな、俺のような悲しみを抱えて生きているのだろうか?
それでも、歩いているのだろうか?
もし、そうだとしたら・・・そう思うと、ここにいる自分が哀れなような気もしないでもなかった。
それでも、俺はこれをやめられそうになかった。
そう、何かが、起こるまでは。
それこそ、新しい出会いでもなければ。
「・・・くだらね」
そんなことを思う自分が名雪を裏切っているようで、俺は自嘲的な笑みを浮かべた。
そんなふうに笑う事しかできなかった。
・・・・・その時。
・・・近くで何かがざわめくような雰囲気がして、俺はふと、それに目をやった。
そこには黒い服の目つきの悪い男と、何処かポーっとした感じの女の子がいて、その周りに人が集まっていた。
「さあ、人形劇の始まりだ」
男が無愛想にそう言う。
「はじまりはじまり・・・」
少女が、パンパンと手を叩く。
・・・それはどこか無表情なのに、愛嬌があった。
男が、手にした人形を下に置いて、手には何もないとアピールするように両手を広げた。
すると、その人形は、むくりと起き上がり、ひょこひょこと歩き出した・・・かと思うと、妙にアグレッシブな動きでジャンプして、ムーンサルトを決めた。
それを眺めていた人々から微かな感嘆の声が上がる。
見事だが、どこか投げやりなその動きを、少女の解説らしきものがサポートして、その人形劇とやらは人を惹きつけていた。
かく言う俺も、それに見入ってしまっていた。
・・・こんなにも何かに夢中になるのは久しぶりのような気がした。
そうこうしているうちに、その人形はフィニッシュ技を決めていた。
一際大きくなる喚声。
「・・・終わりだ。チップをよこせ」
・・・あまりに無粋かつ無礼な言葉だったが、あんなものを見せられた後としては払わざるをえないようで、みんな各々の反応を返しながら、財布の紐をゆるめて、お金を二人に渡した。
「なあなあ兄ちゃん、それはどんな仕掛けなんだ?」
「・・・仕掛けはない」
「でも、いい質問なので、これを進呈・・・」
「するなって」
「ねえねえ、これって妖精さんかな?」
「・・・ああ、そうかもしれない」
「あなたが思うことがきっと、本当」
男は何処までも愛想がなかったが、少女の雰囲気がそれを救っていた。
・・・助け合っていた。
俺にはそれがとても眩しく思えた。
それは例えるなら、朝一番にカーテンを開けたときの光の奔流。
それは例えるなら、夏の海が光を反射させて煌く瞬間。
昔の俺にはあったかもしれなくて、
今の俺に絶対にないもの。
ああ、いいな、あれ。
まるで子供がおもちゃをねだるように。
俺は素直にそう思って、呆けていた。
そんな俺を、影が包んだ。
いつのまにか、目の前にさっきの二人が立っていた。
じっと、俺を見ている。
「・・・何か、用か?」
やむなくそれを口にする。
すると男は無愛想な表情のままで告げた。
「・・・お前も見てただろ。というわけで見物料をよこせ」
・・・そうくるか。
「金はない。諦めてくれ」
「嘘つけ。朝からずっとここに座ってデート待ちっぽい奴が文無しなわけないだろ」
黒っぽい奴の言葉に俺は妙に納得した。
(なるほど・・・そう見えるわけね)
「いや、まあ、そんなところなんだが・・・金はないぞ」
まさか初対面の人間に一から十まで事情を話すわけにも行かず、俺は適当に言ってみた。
すると隣に佇んでいた女の子が何か哀れむような表情で言った。
「・・・ひも・・・?」
「ちょっと待て!何故そうなる?!」
さすがにこの誤解については黙っているわけにも行かず、俺は声をあげた。
すると女の子は少し考え込むと改めて口を開いた。
「・・・逆玉・・・?」
「大して変わってないぞ、それは」
「・・・というかなんか違うだろ、それ」
男の突っ込みのあとに補足突っ込みを入れつつ、俺は思った。
(こんな感じ、久しぶりだよな)
俺の身近にいた少女。
彼女もどこか浮世離れしていて、俺はいつもその行動や言動に振り回されて・・・
(・・・それが、楽しかったりしたんだよな)
はあ・・・俺はなんとなく溜息を吐いていた。
「・・・・・いくら出せば、いいんだ?」
俺はいつのまにか財布を出して、その中身を確認していた・・・
それが、俺と、彼らの出会いだった。
その日から、俺は彼らのもとをたびたび訪れるようになっていた。
国崎往人と遠野美凪。
それが彼らの名前だった。
・・・彼らは旅人だと名乗った。
ある目的があって旅をしていて、今はそのための路銀稼ぎにこの駅前に陣取っているらしい。
男は不思議な力を持っていた。
手を触れずとも物を動かす力、法術・・・それを自在に使うことができるのだ。
その力で、彼はその日を暮らすお金を稼いでいた。
信じがたい話だったが、どうあっても種が見つからない以上、そう言うものだと信じることにした。
そんな国崎の側にいる女の子、遠野美凪。
彼女は彼が途中寄った町から彼についてきたらしい。
天然ボケっぽいが、決して頭が悪いわけではない。
むしろ、聡明だといってもいいくらいだと思う。
・・・何かにつけお米券を進呈しようとするのにはやや辟易だが。
この二人は、どういう関係なのか、と一時は詮索しようとしていたが結局止めた。
・・・ひとくくりでまとめられそうな関係ではないような気がしたからだ。
そして、それはそれとして、と俺は思っていた。
旅と一言に言っても、ここはファンタジーの世界ではない。日本だ。
そういう生き方をするには難儀な国である。
それなりに辛いことはあるはずなのに、何故彼女は彼についていくことにしたのだろうか?
そして、どう見ても一匹狼な彼は何故それを許したのだろうか?
疑問はあったが、それを聞くことはできないままに時は過ぎていった。
そんな、ある日。
その日はいつもより客が少なくて、二人とも暇を持て余しているようだった。
俺は、いつもの待ち合わせの暇を埋める理由もあって二人に話し掛けていたのだが・・・
「・・・遠野、悪い。ちょっと野暮用だ」
国崎はそう言うと彼のいつもの指定席から立ち上がって、駅の中へと消えていった。
(・・・たぶんトイレだな)
俺はそう思いながら彼の背中を見送ると、美凪の横に座った。
「どうだ、売上は?」
俺がそう問うと、彼女は微かに空を見上げて、応えた。
「・・・いいです。この分だと、あと数日で次の町に行けそうです」
「この町を、出てくのか?」
その問いに彼女は静かに首を縦に振った。
・・・それはいつか来ることだと分かっていた。
彼らは旅人なのだから。
「そっか。寂しくなるな・・・またいつか来てくれよ」
そこで、彼女は俺の顔をじっと見つめると、こう言った。
「・・・・・貴方も、どうですか?」
その言葉に俺は虚をつかれ、一瞬呆然となった。
貴方も、どうですか?・・・?
「えっと・・・それは、俺も一緒に旅しないかってことか?」
「はい。今ならもれなく・・・」
「いや、お米券はいいから」
懐をごそごそやり始めた彼女を俺は制止した。
彼女は残念そうにうなだれたが、今はそれについて言う場面ではなかった。
「・・・なんで、俺を誘うんだ?」
「・・・・・相沢さんが・・・私と同じような気がしたからです」
「・・・・・・なんで・・・?・・・」
「あなたが、ここでずっと誰かを持っている姿が、昔の私と同じだったから」
そう言うと、美凪はぽつりぽつりと語り始めた。
かつて、自分が夢を見続けていた頃の話を。
夢にすがって一歩も進めなかった自分を。
親友の力を借りても、国崎に背中を押されても、現実に立ち返ることができなかったことを。
「・・・今のあなたは、国崎さんが救ってくれなかった私です」
話を終えて、美凪は空を見上げた。
無くしてしまったものを、届かないものを追いかけるように。
「・・・違う。俺は・・・現実を見ている。・・・・・あいつは、帰ってくる」
そうでなければ、俺のこの一年はなんだったんだ?
まったくの無駄だったとでも言うのか?
そんな俺に美凪は首を横に振った。
「・・・・・信じることは、素晴らしいことです。
でも、それは時として残酷な結果しか生まないときもあります。
そして、信じ続けることは、時として本質を変えてしまうことでもあります。
・・・あなたが、今ここに待ち続けているのは、本当にその人のためですか?」
「・・・・・」
俺は何も言い返せなかった。
「・・・・・考えて、みてください。あなたがあなたを見失うその前に」
その言葉はただ俺の胸を貫いていった・・・
「ふう・・・」
野暮用(平たく言えばトイレだが)を終え、一息ついた俺・・・国崎往人は、水にぬれた手を適当に払って、駅のトイレから外へ出た。
「・・・ん」
遠目から、二人を眺める。
俺の旅の道連れと、最近よく話す学生その一。
何かを話している。
あいつの表情はよく分からないが、遠野の表情は分かる。
アレは、真剣な話をしているときの顔だ。
最近は、滅多に見かけない。
・・・それだけ遠野があの夏の日々のことを背負えるようになってきたということだろう。
それは逃げじゃないか、忘れようとしているだけじゃないかという考え方もあるかもしれないが、俺はそれはないと思っている。
遠野美凪が、あの日々を忘れることなど決してありえないのだから。
・・・ややあって。
あいつはとぼとぼと歩いて、いつもの指定席へと帰っていった。
朝から晩まで座り続けている、あのベンチへと。
あいつは、いつもそこにいる。
どんな理由があるかは知らないが、ただ一つだけ言えることがあった。
「過去を背負わない人間なんていないんだな、遠野」
・・・そう言いながら俺はさっきまであいつが座っていた場所に腰を下ろした。
遠野はこちらをちらりと見てから、頷いて、言った。
「・・・国崎さん」
「なんだ?」
「私は、彼を世界へと誘ってしまいました。・・・早計でしょうか?貴方に話もしていなかったのに・・・」
遠野の目は、ずっとあいつを見ていた。
あいつはその視線に気づく事無く、宙を見ていた。
その目がとらえているのは、なんなのだろうか?
夢か、現か、幻か・・・
それを知るのは当人だけだろうが、その当人は知っているのだろうか?
自身を気遣ってくれるものがいることを。
・・・あいつの家族環境や交友関係は知らないが、いまここにそういう存在が確かにいる。
かつて”アイツ”が遠野美凪にそうしたように。
かつて俺が遠野を連れ出したように。
そして、そんな遠野が、今誰かのために心を痛めている。
守られていた存在が、人を思う。
それがどれだけの意味を持つのか。
その意味を少しは理解できる以上、俺には。
「いいんじゃないか?・・・決めるのは、あいつだしな」
その日の夜、俺は名雪の部屋を訪れていた。
ケロピー・・・名雪のお気に入りだったかえるのぬいぐるみを抱えて、俺は自身に問い掛けた。
俺が、あそこにいるのはどうしてだ?
・・・名雪を待つためだ。
名雪は、あそこに戻ってくると思うか?
(名雪があそこに戻る理由は、俺との約束と名雪自身が交わした8年前の約束があるから。でも、名雪は今更それを思い出すだろうか・・・?悲しいことしか残っていない約束とその場所を)
・・・思い出さない・・・だから・・・戻って、こない。
俺はその事実を今更ながらに確認した。
今までやってきたことが無意味だということを。
自分だけの思い込みで重ねてきた、悲しい幻想だということを。
あそこで待ち続けていたのは、名雪を待ち続けることで自分を保とうとしていたからだという事を。
ただ、夢を見ていたかっただけだということを。
なら、名雪を取り戻すにはどうすればいい?
・・・ここで待ち続けること・・・?いや、違う。
万が一、名雪がここに戻ってきたら、それは名雪自身が向き合う決意をしたときだ。
・・・自分のことや秋子さんの死について。
その時はきっとここを離れることはないはずだ。
・・・例え、俺がいなくても。
そして、名雪がここに戻ってこない場合は・・・
「そうか、そうだよ。・・・・・俺自身が、迎えに行くしかない」
それは馬鹿げた結論だった。
理屈にすらなっていないのかもしれない。
でも、いつまでもここで燻っているよりはましだと俺には思えた。
だから、俺は。
・・・数日後。
「・・・遠野。本当に来るのか、あいつ」
荷物をまとめてそこに二人は立っていた。
・・・最後の公演はささやかなものだったが、二人は満足していた。
「はい、きます」
「・・・・・というか、何で連れてかなきゃいけないんだよ」
「・・・国崎さんも気にかけていました」
「・・・・・・・・・・・・・ふん」
夕暮れ時。
一日の終わり。
終わりは、始まり。
「悪い、待たせたな」
そうして。
旅は始まった。
進みます
戻ります