第二十話 四人目
「……あー……」
長距離バスから降りたその男は、一人駅前に降り立って、頭を掻いた。
「噂には聞いてたが、本当に人多いな。東京は」
男は、旅人。
自らの芸を頼りに、世界を歩く……そんな男。
「まあ、それだけ儲ける可能性があるって事だよな」
彼の道連れは二つ。
手を触れずとも歩き出す、古い人形。
その為の力を課せられた者に繋げられてきた遠い約束。
「この街に、いるのかね……」
呟いてみるが、そんな気はしない。
「とりあえずは、飯と寝床の確保だな」
そうして。
一人の男……国崎往人は歩き出した。
これから自分が辿る、数奇な運命を知る由も無く。
二週間。
一口に言えば、それだけ。
だが、その間に変化するものはたくさんある。
「……であるからして……」
七瀬留美は、大学の大教室で、ぼんやりとその講義を聞いていた。
周囲の光景は相変わらず。
居眠りする者、真面目に授業を聞く者、携帯を眺めている者……そんな感じ。
昼食前である事から、生徒達の集中力は散漫である。
そんな中、いつもなら居るべき人間が一人居ない。
「……ったく……」
なんとなく零す。
こんな講義を聞いている場合では無いんじゃないかとは思う。
だが、今の自分にできる事が思いつかず、頼まれ事もあるので、ここに居るしかない。
それが少し腹立たしく、そんな言葉を零すしかできなかった。
草薙紫雲が、パーゼストになった事件から二週間が過ぎていた。
あれからも、パーゼスト絡みで多少事件が起こったが、無事に解決している。
ただ、その解決の幾つかは、今まで留美が知っていた解決方法とは違っていた。
今まで知っていた解決の形。
それは『仮面ライダー』と自分達を名乗る青年達の戦いによるもの。
だが、重ねて言うが、この二週間の間に起こったものの幾つかは、それとは違っていた。
その解決方法とは、国の人間……警察による対処。
紫雲の事件の後、そういう事になっていくだろう、と事前に草薙命から聞いていたのだが……実際にニュースでそれを見ると驚かされる。
きっかけは、紫雲がパーゼストになった事件一連だったらしい。
そもそもパーゼスト事件の目撃者も増えてきていて、報道管制も限界に近付いていたらしい。
そこで、今までの中で最も目撃者が多数となった事件が起こった。
そこで、これを機に……と、少しずつ報道管制が解かれ……今ではパーゼストの名称、それに対応する部署である憑依体特別対策班の存在も明らかにされていた。
……まあ、その対策班の活動が予想以上に大きくなって、カバーが難しかった事も、情報公開に踏み切った理由の一つらしいのだが。
下手な公表ではパニックを生むのではないかと、留美は危惧していたのだが、パーゼスト絡みの事件に対する報道や活動のタイミングが巧妙で、それは避けられていた。
警察が対応した事件の詳細の公表。
その後、それに対する裏付けをマスコミが各々の視点から公表。
パーゼストを目撃した時の一般人の対応の徹底。
起こった事件へ対策班の対応法、システムの公開。
そうして。
憑依体対策班は、パーゼストへの対応が万全である事を主張した。
そして、起こった事件を目にした一般人のコメントには不安は無く、むしろ安心して任せられる事が強調されていた。
余りにも上手く行き過ぎである事から、裏が有るのではないか、情報操作の類があるのではないか、と勘繰っている人間も多少はいるらしい。
今現在のメディアで、最速かつ最多の情報の流れがあるネット上においても、それらの事は指摘されているが……今の所、そういった事を裏付けるものはなく。
とりあえず、世界は安定していた。
それでも、公開するには早すぎるんじゃないか、と留美は思っていたし、命にもそう零した。
そんな留美に対し、命はこう答えた。
「そうでもない。
むしろ、私としてはもっと早くに……それこそ始まりの前に公開したかった位だよ」
「へ? どうしてよ……じゃなくて、どうしてですか?」
「はは。どうしてよ、で頼むよ。
立場上敬語は聞き慣れてるからね」
「じゃあ、そうさせてもらうけど……どうしてよ?」
「ふむ。
パーゼストが今現在位の規模なら、まだ警察、厄介な奴でも自衛隊でなんとかカバーできる。
だが、私達が想定する最悪の事態になった時は……そうもいかない。
おそらく、人類規模での連携が必要になってくる。
そうなった時、情報をまともに交わす事が出来るとも限らない。
その時、皆が事態を理解していなければ……ほぼ間違いなく人類は滅ぶ」
「ちょ……大袈裟じゃない、それ?」
「でもなかったりするのが、頭が痛い所なんだよ、七瀬君」
「……」
「その時まで情報を伏せておくというのも、一つの手であるし、その方が幸せなのかもしれない。
だが……ヒトが生き残りたいのなら、これが最適の方法なんだ。
全ての終わりが始まった時に、情報をいっぺんに公開したって、パニックが深まるだけだ。
だから、例外的状況が起こらない限りは、こうして小出ししていくのが一番いい」
そう、小出し。
現状にしても、伏せられている事はたくさんある。
パーゼストの『元』が何なのかも。
人間を襲う理由についても。
そして、仮面ライダー達の存在も。
「……はぁ……」
溜息を吐く。
そうする事で、思考をまとめる。
とりあえず、今の自分にできる事は……授業の内容をとりあえずノートに取っておく事。
そして、これが終わった後のバイトに精を出す事。
自分の友人である……仮面ライダー達の為に。
「……ったく……」
そうして。
うんざりしながらも、留美はノートを取り続けた。
そこは、平日なのか人気が無い、それなりに広い公園の一角。
よく晴れた空の下、それは行われていた。
「は……くっ……!!」
防御の隙を突いて、腹部に放たれた打撃。
息を吐いて、歯を食い縛る。
そうして、祐一は倒れそうになる身体をなんとか圧し留めた。
だが。
「遅い」
「くぁっ!?」
即座に間合いを詰められ、簡単に足を払われ……祐一は地面を転がった。
すぐさま起き上がろうとする、その眼前に、ビッ、と人差し指が突きつけられる。
「終わりだ」
そう告げるのは、川澄舞。
彼女の宣告に、祐一は、ぐぅ、と悔しげに呻いた。
その呻きを、敗北の宣言と認識したのか、舞は、ス……、とその身体を引かせた。
と、それとほぼ同時に祐一は上半身を起き上がらせる。
「くそ……こんなもんじゃ、駄目だ……! 舞、もう一度……」
「ぽんぽこたぬきさん」
意気込む祐一に対し、舞は彼女にとっての否定の言葉を口にした。
「今の祐一は、オーバーワーク。
適度に身体を休ませるのも、鍛える内」
「そうだよ、祐一。少しは休まないと……」
その様子を少し離れた所から見守っていた水瀬名雪もまた、歩み寄って舞の言葉に同意する。
「今日はこの後で用事もある。
余計に疲れて、用事の方で居眠りすれば、向こうが迷惑する」
「……」
「それに、心配はいらない。北川が来たら再開するつもりだから」
「……分かった。でも、少しだけだ。
十分経っても北川が来なかったら、関係なく再開だからな」
そう言い放った祐一は立ち上がり、二人に背を向けた。
「ゆ、祐一? 何処に行くの?」
その背中に、名雪は慌てて声を掛けた。
「ん。影の所で休むんだよ。日差しが強くなってきたからな」
「それなら、タオルと飲み物。今の内に……」
「ああ、ありがとな。名雪」
そう言って振り向く祐一は、いつもと変わらない笑みを名雪に向けた。
……ただ、その表面に現れている、疲労の色がなければ。
名雪からタオルと飲み物を受け取った祐一は、日陰になっている芝生の上に座り、休みを取る。
その姿を遠目から眺めて、名雪は言った。
「……祐一、疲れてますよね」
「はちみつくまさん」
名雪の言葉を受けた舞は、彼女にとっての肯定の言葉を呟く。
「祐一が、辛そうなのは……見てられません……」
いつだって、そうだったように。
やはり、それは名雪にとっては馴れないものだった。
「私も、それは同じ。
でも……今の祐一にとっては、自身を鍛えない事こそ苦痛だ」
「……分かっています。
草薙君が、ああなってしまったのを、自分のせいだって思ってるから」
紫雲自身は否定するだろうソレを、祐一は自分に責任の一端があると思っていた。
だからこそ、この二週間、異常とも言えるトレーニングを重ねてきていた。
……大学を、休んでまで。
「仮にそうでなくても、二度とあんな事が起こらないように、必死になってるんだと思います」
「はちみつくまさん。
なんだかんだ言って真面目なのは祐一のいい所。
だが……こういう時は逆効果だ。自分を追い詰めかねない。紫雲のように」
「……」
祐一は、初めて舞に課せられたメニューを三倍の量で行うようになっていた。
さらには、舞に頼み込んで、ほぼ毎日実戦に近い組み手を行っている。
確かにその成果は上がっている。
舞は、その証とも言うべき、額から零れる汗を拭いながら言った。
「だから。しっかりと祐一を見ておいた方がいい。
紫雲の轍を踏まないように」
それはパーゼストになる、という事ではない。
一人で抱え込みすぎて、取り返しのつかない状況になる、という事に他ならない。
「……はい。
じゃあ、そうならない為にも、少し話してきますね」
「……」
律儀にも、舞が無言で頷くのを確認してから、名雪は祐一に駆け寄った。
舞は、そうして話し始めた二人の姿を静かに眺めた。
疲れていた祐一も、名雪と話す時はその色を僅かながらも薄くしている。
「…………」
ふと、思う。
自分と佐祐理も他人から見れば、ああ親しげに見えていたのだろうか。
勿論舞は、自分達の関係は『親友』で、祐一達は『恋人』だという事を理解している。
ただ、親しさの質こそ違えど、同じ位の想いがそこにあると、感じていた。
だからこそ、そんな二人が。
「……嫌いじゃない」
そして、だからこそ、自分が為すべき事を為さねばならないだろう。
ファントムの一員として。
相沢祐一達の友人として。
今は…………
「うぃっすー。遅くなってすんません」
公園の北側出入り口の方向から、声が響く。
その声と共に歩み寄ってくるのは、祐一と共に特訓中の、北川潤その人だった。
そんな北川に視線を向けて、舞は呟いた。
「……力一杯、鍛えるしかない、か」
「え、と。何のお話で?」
「おー、北川、やっと来たな。これで訓練再開だろ?」
「はちみつくまさん」
「いや、だから……」
「まずは、北川と祐一が組み手。よーいスタート」
「って、なんスか、そのあまりに唐突な始まりはっ!?
こっちはまだ準備さえしてないんですけどぉっ?!!」
「勝負の世界は厳しいからな、とりあえず行くぜ!!」
「汚いぞ、相沢ぁ!! ぎゃあああっ!!」
そうして。
太陽がほぼ真上になった青空の下、悲鳴が響き渡った。
「……フッ……!!」
窓から指す光のみが光源の、廃工場の中。
その息遣いと共に、紫雲は拳を繰り出した。
相手は無い。
ただ、虚空に撃ち出すのみ。
それは所謂シャドーボクシングではあるが、その虚空に紫雲は自分の影……ウルフパーゼストを投影していた。
「シッ……!!」
拳打から、回し蹴りへのコンビネーション。
人間ならば、必当の流れ。
だが、相対するモノがパーゼストであるならば……その攻撃は当たらない、筈だった。
「……!!」
だが、そのイメージに噛み合わず、紫雲の攻撃は投影したウルフパーゼストにヒットした。
その違和感から、紫雲は手を休める。
「やっぱり……身体能力が上がってる……」
今までの自分の力と、今の自分の身体、意識が噛み合っていない。
「試してみるか……ハァッ……!!」
そう呟いた次の瞬間。
紫雲の姿が、ウルフパーゼストに変化する。
「……!!」
その状態で、さっきと同じ事を、同じコンビネーションを繰り返す。
今度は、自分のイメージ通りに身体が動く。
自分と同じ姿の狼に、確実に自分のイメージ通りに攻撃が当たる。
「……」
その事で、改めて思い知らされる。
今の自分の身体は、人間よりもパーゼストに近い、いやパーゼストそのものなのだ、という事を。
人間時の身体能力がそれに引き摺られる形で上昇しているが、人間時の意識との噛み合わせが上手くできていない事からも、それは明らかだった。
いずれ人間時もイメージ通りに動くようになるだろうが、それは単純に馴れでしかない。
人間としての身体は、本当に遠ざかっている……ソレは確かだ。
パーゼストへの変化を控えれば、少しは沈静化するのかとも思っていたが、そうでもないらしかった。
ピークを越えてしまった以上、最早変化する回数は関係ないらしい。
提出した肉体の一部から、身体組成をファントムで検査してもらい、自分でも納得していた事だ。
その筈なのだが、こうもはっきりと自覚すると……正直少し辛い。
後悔は無い。
選択が間違っていたとは思わない。
それでも、少しだけ……悲しかった。
その時だった。
「ぱちぱちぱち」
拍手と、その擬音を口にする声。
「……遠野さん。また……来てくれたのか」
振り向くと、予想通り、遠野美凪が其処にいた。
この二週間、美凪はちょくちょく紫雲の元を訪れていた。
美凪曰く、紫雲が急に身体の調子を崩した時の為、らしい。
当初、紫雲は自分の身体への不安から、美凪を遠ざけようとしていた。
下手をしたら命に関わる為、彼らしからぬ事に……ある意味では彼らしいとも言えるが……キツイ言葉を投げ掛けもした。
だが、美凪はめげなかった。
めげる事無く、何度も紫雲の元に足を運んだ。
そうしている内に、身体の安定の確信が深まり、命経由でファントムに依頼していた身体データの経過結果が確かな形になっていった。
すなわち。
これからも定期的に調べていかなければ、なんとも言えない部分もあるが。
草薙紫雲の肉体組成は、ほぼパーゼストである事。
ではあるが、少なくとも現状では安定している事。
それらの結果を、美凪も命経由で知ってしまったので、強くは言えないのが今の紫雲の現状だった。
(まあ、それでも……もう暫くはバイトできそうにないかな……)
一方的に留美にシフトを押し付けてしまった事が悔やまれるが……今暫しは我慢してもらわねばならないだろう。
今は安定していても、いきなり化物に転じて、人を襲わないとは限らないからだ。
ゆえに、もう少しだけ、様子見が必要だろう。
人が『あまり』いない場所で。
「はぁ……」
息を吐いて思考を切り替えた紫雲は、姿を人間のものに戻して、美凪に向き合う。
すると美凪は、ポツリ、と言った。
「尻尾」
「へ?」
「尻尾がフサフサでした。少し触りたかったです」
「……」
言われた紫雲は、少し顔を引きつらせながらも、その姿をもう一度パーゼストに変化させる。
すると、美凪は当然のように後ろに回り込み、その尻尾を撫でた。
「思ったとおりのいい感触」
「ぬう……僕としては、くすぐったいだけなんだけど……」
うっとりと眼を輝かせる美凪の表情を見てしまっては文句も言えない。
……ので、紫雲はそのままで尋ねる事にした。
「遠野さん」
「美凪で構いませんよ」
「まあ、それは……それとして。
どうして遠野さんは……こうも親切にしてくれるんだ?」
自分が苦しむ事で悲しむ人がいる。
その確信を得たからこそ、まだ『人間』として生きて、戦い続けなければならない……そう決めた紫雲ではあるが、それでも美凪がこうも優しくしてくれる事に、戸惑いを覚えていた。
そんな思いからの質問に、美凪は少し寂しげな表情を浮かべた。
……紫雲には、その表情が見えないからこその、表情だった。
「紫雲さんと同じですよ」
「僕と?」
「貴方が、損得抜きにパーゼストと戦い、人を護りたいと思っているように。
私は、損得抜きで、貴方に親切にしたいんです。
あえて理由を語るなら、そんな所ではないかと思います」
「……そっか」
それならば……と、納得してしまう自分が其処にいる事に、紫雲は苦笑を漏らした。
ソレと同時に、人の姿に戻る。
「あ」
「ごめん。今から用事があるから」
「……残念です」
「またの機会にね。……美凪さん」
そう呼んで、紫雲はバイクに跨る。
その言葉に、そして自分の名を呼ばれた事に、美凪は深く頷いた。
「……はい」
「ところで、どうする? 寮に帰るんなら通り道だし、送るけど」
本来ならば、まだ街中にいくつもりは無い。
だが、今日だけは用事があるので特別なのである。
そして、それならば美凪を寮まで送るという、男としての責務を果たさない理由は無い。
しかし、その申し出を美凪は首を横に振って否定した。
「いえ、残念ですが……今日は買い物をしてから帰りますから」
「そっか。じゃあ、気をつけてね」
「はい」
美凪の返事を確認して、紫雲はバイクを発進させた。
それを見送った美凪も、それに遅れて廃工場を後にする。
……そんな美凪だが、紫雲には言わなかった事があった。
実を言えば、美凪の買い物先は、紫雲の行先としても、寮への帰り道としても通り道になる。
だから、バイクに乗せてもらっても、問題は無かったし、美凪としても折角の申し出を断わる理由は無かった。
だが。
(……何かの、予感)
ファントムの施設で、パーゼスト襲撃を予期したように。
ライダー二人とホークパーゼストが初めてまみえた時、その襲来を予感したように。
美凪には、何かの予感が芽生えていた。
その時のような、嫌な感じでは無い。
だからこそ、それに従うべきのような……そんな感覚。
そうして。
美凪は、自分でも半信半疑の予感に導かれ、微かに西に傾き始めた空の下に踏み出していった。
「何故だ……」
商売に相応しい場所を探していた往人は、街中をフラフラと歩き回った末に、とある公園の北側入口近くに陣取っていた。
彼が座っている場所のすぐ近くには、彼の商売道具である人形が力無く転がっている。
本当は人通りのある駅前近くに陣取るつもりでいたのだが、駅員の目が厳しく、ままならなかったのである。
”これだから都会は嫌なんだ”などと愚痴ながらも移動していった結果がこの公園だった。
そんな状況から此処に来たとはいえ、多少なりとも勝算ありと思ったからこそ陣取ったというのに。
「ここなら子供も親も確実にいる筈……そう思ったのに……」
辺りを見回す。
だが、全くもって、子供はいなかった。
当然、親もいなかった。
それもそのはず。
今日は平日で、昼を廻ったばかり。
人通りが多くなるのは、昼食時が過ぎる頃か学校が終わってからなので、往人が望む時間帯としては、もう少し過ぎてからになる。
さらに言えば、パーゼストの事が明らかになり、無闇に出歩くのは危険ではないかと思う人々もそれなりにいたので、通常時よりも人通りは少なくなっているのである。
……まあ、それでも人は働かなければならないし、日常を続けなければならないのだが。
ともかく。
旅人であるが故に、平日なのかどうかがやや無頓着で、近頃のニュースを知らない事から、往人はそれらの事に全く気付かず、全く気が廻らなかったのである。
「うーむ……そろそろ場所を変えるか……?」
時間はそんなに経っていないのだが、予想から大きく外れた状況に耐え切れず、往人がそんな事を考え始めた、そこに。
「……北川君、大丈夫?」
「まあ、なんとかな……」
「北川はひ弱」
「センスないよな」
「ボロクソ言ってくれるよな、アンタら……」
そんな事を歩きながら、公園の外れの方から歩いてくる若者四人。
どうやら、公園から出る為に、こっちの出入り口を通るようだ。
……本来のターゲットでは無いが、この際止むを得ないだろう。
「おい」
若者達が、自分の近くを通り掛った瞬間、声を出す。
「……ん?」
すると、とりあえずは足を止めたので、往人は内心でガッツポーズを決めた。
「なんだ? 偉く怪しい奴だな」
同じく内心で、妙な触覚状の髪を生やした眼前の青年をボコっておく。
気分的には実際にボコりたかったが、今はそんな場合ではない。
今現在、往人の財布の中身はほぼゼロ。
ここを逃せば、宿はおろか、食事さえ確保できない。
崖っぷちの状況の中、往人は安い憤りよりも、芸を選んだ。
「偉く怪しくてもいいから、とにかく見ろ。しっかり見ろ。ちゃんと見ろ」
「あ、ああ」
「よし。じゃあ……さあ、人形劇の始まりだ」
そう言って、手を翳した。
すると、地面に倒れていた人形が、ピョコリ、と起き上がる。
「わ」
驚いて声を上げる名雪に反応するように、人形は尚も動き続けた。
滑らかに、時にトリッキーに。
糸の類はついていない。
種も仕掛けも無い。
それが往人の力。
『法術』と呼ばれるその力こそ、彼が母親から受け継いだ、彼がこれまで旅人として生きてこられた要だった。
「……フィニッシュ」
往人がそう呟くと、空中三回転半捻りの後、ムーンサルトという人間には絶対出来ない技を繰り出し、人形は着地し、お辞儀した。
そうして芸が終わると、ぱちぱち……と拍手が鳴り響く。
拍手の主は、女性二人……水瀬名雪と川澄舞のものだった。
「わぁー……すごかったね、祐一」
「まあな」
「……私もできない事はないと思う」
「うーん。舞の力だと人形を四散しかねないと思うが」
「……」
「川澄先輩……気持ちは分かります。
分かりますが、パーゼストもいないのに剣を抜くとしょっぴかれるっス。
相沢は後で俺が殴っときますから、とりあえず抑えて……」
「お前ら……漫才はいいからおひねり出せ」
呆れ気味に呟く往人。
しかし、その手はきっちり丸を……ギヴ ミー マネーを主張していた。
そんな往人に、祐一は言った。
「…………聞いたとおりに態度がでかいな、アンタ」
「なに?」
「アンタ、国崎往人……って言うんだろ」
「……なんで俺の名前を?」
予想もしない展開に、往人は眉を寄せた。
その表情に苦笑を零しながら、祐一は告げた。
「神尾観鈴。その名前に覚えはあるか?」
「……ああ、覚えてる」
「その観鈴と俺達は知り合いでな。
彼女から、アンタの事は聞いてたよ。
不思議な力を持った旅人だって」
神尾観鈴。
それは、かつて立ち寄った町にいた少女の名前。
自分にやたら構ってきた、おせっかいな少女。
結局、何の礼もしないまま、背中合わせに別れた少女。
その姿は、今も往人の記憶の中にあった。
「彼女な、今、この街の病院に入院してるんだよ。
なんでも抱えた病気の治療の為にこっちに来たらしい。
「…………………悪いのか?」
「気になるのなら、見舞いに行ってやったらどうだ。きっと喜ぶ」
そんな祐一の言葉に、往人は暫し考え込んだ末、
「……そうか。気が向いたら、見舞いに行く」
そう答えて、立ち上がった。
その際、人形を拾う事を忘れない。
「お、おい……」
呼び止めるような北川の呼び掛けを無視し、往人は歩き出す。
その途中、思い出したように振り返る。
「本来なら金を取る所だが……面倒臭くなった。
今回は、アイツの知り合いって事でチャラにしとく」
一方的にそう告げて。
往人は、公園の奥へと去っていった……
「観鈴ちゃんの話だと優しい奴って聞いてたけど……でもないな」
往人の背中を見て、北川は呟いた。
「……だな。観鈴の入院してる病院の場所さえ聞きもしなかったし」
少し不機嫌そうに呟く祐一。
その横で、舞もまた呟いた。
「それは、分からない」
「どうして、そんな事が言えるんだよ」
そんな疑問の声に、舞ではなく名雪が答える。
「……優しさが見え難いって事はあると思うよ。
不器用な人なのかもしれないし。
祐一もそうだよね」
「……なぁ、ゆぅ、きぃ……!!」
「ひふぁいよ〜ほっへはひっはははひへ〜」
名雪の頬を両側から引っ張る祐一。
その様子を、楽しげに見守りつつ、北川は言った。
「ま、それはともかくとして、そろそろ時間なんだろ」
「ああ。というわけでお前らは帰れ」
そもそも祐一と舞は、ここで会う約束をしている人間がいるので、この公園から出るつもりは無い。
今回の部外者である北川と名雪を見送りにここまで来たに過ぎなかった。
「ねぇ、私もいちゃ駄目かな」
そんな部外者である所の名雪が、開放された頬を擦りながら、呟く。
その言葉に、祐一は微かに表情を歪めて、答える。
「……退屈な話に付き合う必要は無いさ。
だから、遠慮しとけ、な?」
「でも……」
「それより、晩飯を作っといてくれよ。
最近、腕を上げたから、お前の料理楽しみなんだ、俺は」
「……本当?」
「本当だよ」
少なくとも、嘘ではない。
名雪の料理の腕が上がっている事も、祐一がそれを楽しみにしている事も。
……ただ、それだけではないというだけで。
「うーん……それじゃ、そうしようかな」
その嘘ではない部分の方を感じ取ったのか、名雪は納得した表情で頷いた。
「そうそう。頼むぜ」
「……それじゃ、水瀬は俺が寮まで送るな」
「ああ。……ちなみに、この機にとか言って、名雪に手を出したらぶっ殺す」
「それが親友の恋人に大事がないよう配慮してる人間への言葉か?
………まあ、過保護な相沢の気持ちは分かるが、心配すんなよ。俺も死にたくないからな」
ニッ、と笑う北川は、名雪に目配せしてから、鼻歌交じりに去っていく。
「じゃあ、祐一気をつけて帰ってきてね」
「……俺は小学生か?」
「舞さんも、気をつけて」
「はちみつくまさん」
二人の答に笑顔で頷いて、名雪は北川の後を追って公園の外に出て行った。
何事かを話しながら去っていく二人の姿がある程度小さくなっていく……のを見計らって、祐一は言った。
「これで、いいんだよな」
「はちみつくまさん。
……秋子さんが、自分から話す時を待つべきだと思うから」
「お心遣い、ありがとうございます」
余りにも唐突な第三者の声に、二人が身を震わせて振り向くと……水瀬秋子が立っていた。
その隣には、草薙命もいる。
「あらあら。驚かせてごめんなさい」
「いや……いいんですけどね……一体いつの間に……?」
「企業秘密です。
まあ、それはそれとして、後は……紫雲さんと橘さんですね」
「ふむ……その二人だが、来たようだぞ」
その命の呟きに応える様に。
公園の入口近くの道路に、一台のバイクと、一台の車が殆ど同時に停車した。
それぞれから降り立つ人物が、自分達の待ち人だという事を、四人は知っていた。
「……久しぶりだな、氷上君」
そこは、レクイエムの『診察室』。
相変わらず山のような仕事に頭を抱えていた所に、最近仕事が急増し、殆どここから離れられないでいる霧島聖は、知人の来訪を少なからず歓迎した。
……少なくとも、知人の来訪間は仕事を忘れる事が出来そうだからである。
「ええ。久しぶりです。自由時間なので世間話をしに来ました」
来訪者、氷上シュンは、いつも浮かべている笑顔を崩す事無く、聖に言った。
「とりあえず、お仕事お休みしてお話しませんか? そろそろ休憩したい所でしょう?」
「ふ。君には敵わないな。……そうさせてもらう。
お茶はどうだ? 支給されているのは、中々の高級茶葉だぞ」
「折角なので、いただきます」
揃って緑茶を啜る二人。
そうして、暫し気分を落ち着けた後、聖は呟いた。
「……最近は、どうだ?」
「皆同じですよ。
高位パーゼストとの取り引き後は、忙しいです」
高位パーゼストの施設来襲、それに連なる『取り引き』。
そこから、レクイエムは久方ぶりに大忙し状態となっていた。
「パーゼストとしての完成度高い彼らの協力で、パーゼストの研究をより深く進める。
それと引き換えに、私達は彼らの兵隊としてのパーゼストを量産する、か。
正直、私には上の考えている事は理解できないよ」
それが高位パーゼストとレクイエムが交わした取り引き、少なくともその一部なのだが……聖には腑に落ちなかった。
人間を研究するレクイエムが、人間の可能性を引き出したパーゼストを研究するのは当然だ。
だが、その為に人間を滅ぼそうとするパーゼストに協力するのでは本末転倒ではないのだろうか。
……パーゼストを研究し始めたのは、人間を滅ぼす彼らを打倒する為でもあったというのに。
いや、そもそもにして、レクイエムが最終的に目指しているモノがなんなのか、分からない。
人間を研究し尽くした先で、レクイエムは何をしようとしているのか。
ただ研究……真理、真実を求めているのか。
それとも、他の何かがあるのか……?
そんな、レクイエムに所属した時からの疑問が、ここに来て膨らんでいるのを聖は感じていた。
「そんな事を言っていいんですか?
”上”はいつ何処で聞き耳を立てているのか、分からないんですよ?」
「私はただ、理解できないと言っただけだ。
レクイエムに逆らおうとは思っていない」
そう答えながら、聖は”上”……レクイエムの頂点について考えていた。
”彼”は頂点でありながら、レクイエムに所属する全ての人間と一度は会話を交わしている。
そして”彼”は、その会話を交わした相手の事を、熟知している。
聖も例外に漏れず、幾度か会話を交わしているが、その度に自分しか知りえない事を指摘されたり、言い当てられたりして、恐れに近い、苦手意識を植え付けられている。
そんな所からなのか。
レクイエムの頂点は、自分達の身近な所にいるのではないかと、レクイエム内では囁かれていた。
根も葉もない噂で、根拠のない話。
しかし、それはあながち間違っていないような……聖はそんな気がしていた。
だが、そんな思考はシュンの言葉で掻き消される事となった。
「その受け答え方、彼に似ていますね」
彼。
すなわち、それは……
「折原君、か。
彼は……どうしてる?」
「分かりません。アレから会えずじまいなので」
アレ……二週間前の、草薙紫雲がパーゼストに変化した事件。
その中で、浩平がやってしまった任務妨害は、彼に一つの処分を下す結果となった。
「期限は一ヶ月。
その間に、相沢祐一のベルト、もしくは草薙紫雲の身柄を入手せよ。
できなければ、ベルト適格者としての資格を剥奪、交わしていた特殊契約は白紙、か」
「……処分としては軽い方です」
「まあ、そうだが……ある意味で厄介払い以外の何者でもないな」
試験体としての価値が無くなりつつある存在。
それ以外で役に立てなければ、用は無い。
下されたその処分は……そう宣告しているに他ならないのだから。
「残り約二週間……彼はどうするつもりなんだろうか」
「多分……今、彼は決断しようとしているんですよ。
そして、そろそろ決断を下し、動き出す頃です」
決めようとしている事。
それは、ライダー達と戦うか、戦わないか。
そして、戦うならどちらにするか、あるいは両方とも戦うつもりなのか。
あるいは…………まったく違う道を選択するか。
ただ、いずれにせよ。
「いずれにせよ……似たもの同士の私達としては、彼の行く先に希望があってほしい所だ」
「そうですね」
呟いて、二人は同時に最後の一口を飲み干した。
「……久しぶり」
二週間ぶりに祐一の顔を見た紫雲は、そう言って、軽く手を上げた。
祐一は、何処かやりにくそうな表情で、同じく軽く手を上げた。
「……よお、久しぶり。それで、身体の調子は?」
「悪くないよ」
「そうかよ」
険悪ではないが、少し息苦しい雰囲気。
お互いに借りがあると思い込んでいるので、自然とそういう空気になっていた。
「こうして、一堂に会したのは、はじめてですね」
その空気を少しでも晴らすべく、努めて明るい声で秋子は言った。
同じく、空気の重さをなんとかしようと敬介も声を上げる。
「そうなるかな。まあ、一堂に会すると言っても、そんなたくさん集まってないけどね。
じゃあ、一応自己紹介から始めようか」
「そうですね。では私から。
憑依体対策班顧問で、ファントムの総責任者である水瀬秋子です」
「警視庁所属、憑依体特別対策班・橘敬介。以後よろしく」
「ファントムの科学・医療担当、それから副責任者の、草薙命だ」
「ファントム、ベルト適格候補者、川澄舞」
四人が流れるように名乗る中、紫雲と祐一は顔を見合わせた。
秋子の配慮のお陰か、気まずいながらも、お互いに目配せして順番を決める。
「あー……相沢祐一です。所属は無し。それで……仮面ライダー、カノンです」
「草薙紫雲です。
ファントム所属の仮面ライダー、仮面ライダーエグザイルです。そして……半パーゼストです」
言いながら、紫雲は右腕だけをパーゼストに変化させた。
それを見て、敬介は微かに息を飲み、秋子は少しだけ目を伏せた。
この場にいる全員、その事実は知っていたようだが、目にすると思う所があるのだろう……二人の様子を見て、祐一はそんな事を思った。
まあ、それはともかくとして。
「それで、こうして呼ばれたのは、どういう事なんですか?」
目下の疑問点を、祐一が口にする。
舞に「集まりがあるから来い」と言われただけで、詳しい説明を聞いていない祐一としては、当然の疑問だった。
それを受けて、驚きを引き摺っていた敬介は表情を引き締め、咳払いをして場を整えた。
「……ゴホン。
まず、一緒に戦う間柄として、一度は顔を合わせておくべきだって思ったからね」
「……それは、そうだな」
「まあ、それだけでもないよ。
君達……ライダーの二人に来てもらったのには、ちゃんとした理由がある」
そう言って、敬介は二つの封筒を取り出し、祐一と紫雲に手渡した。
「書類……?」
その中身を早速確認して、祐一は疑問符が付きそうな声を上げた。
「それには、パーゼスト事件が起こった際の対策班の対応が書かれている。
通常の事件から、大規模な破壊に至った際まで、細々とね」
「お二人には、これを熟知してもらいたいの。
紫雲さんはある程度知ってると思うけど、幾つか変わった所もあるから改めてお渡しします」
敬介と秋子の言葉に、なるほど、と祐一は納得する。
パーゼスト事件を世間に公表し、警察……いや、対策班が機能し始めた今、自分達が無秩序に動き回ると状況が悪化する可能性がある。
そうならない方法としては、自分達を対策班に組み込むか、そうしなくても連携をきっちり取って行くか、だろう。
「君達の年齢や、立場、状況から、対策班に組み込むのは難しいからね。
その代わり、ちゃんと協力してくれよ。
とりあえず、読んでみてくれ」
「了解しました。必要な事ですからね……」
「面倒臭いが、しょうがないか。舞は書類、いいのか?」
「少し前に読ませてもらって、もう覚えた」
(そういや舞って、頭良かったんだっけ……)
そんな事を考えながら祐一は、書類に目を通していく。
重要そうな部分にはしっかりと目を通すが、多少大雑把な祐一。
それに対し、生真面目な紫雲は、祐一とは異なり端々にまで目を光らせていた。
「何か、質問は?」
二人がある程度読み終わったと判断し、声を掛ける敬介。
「……今の所、疑問点はありません」
「同じく。
後は……『本番』にならないと、なんとも言えないな」
自分の言い方が、事件が起こる事を待っているように思えて、祐一はどうにも気分が悪かった。
それを察してか、敬介も何処か決まりが悪そうな表情を形作る。
「まあ……そうだね。
じゃあ、僕からは以上かな」
「って、事は……もう、話終わり?」
呆気なかったなぁ、などと思ったのも束の間。
敬介の横に立つ秋子が苦笑した。
「いえ。まだお話しておかなければならない事があります」
「……あ、すみません。話の腰を折って」
「では、その代わりにちゃんと話を聞いていてくださいね」
そう言った直後、秋子の表情が真剣なものに変わる。
「こうして、国家機関がパーゼスト事件に本腰を入れ始め、
ベルトを持つお二人が協力してくれるようになった今……
だからこそ、なるべく早くに私達が解決しなければならない問題が一つあります」
「……パーゼストをどうやったら全滅できるかって事ですか?」
「相沢君の言う事には、一理ある。まあ、それに連なる事だよ」
「連なる事?」
命の言葉に首を傾げる祐一。
その隣に立つ紫雲の表情は……やや、険しいものだった。
そんな表情のままで、紫雲は言った。
「もう一つの、ベルトの事ですね」
「……!!」
紫雲の発言に、祐一の目が微かな驚きに彩られた。
(そうか、それがあったのか……)
以前、紫雲や秋子は語っていた。
アンチプログラムの研究の為に、ベルトは……ベルト一式は必要なものなのだ、と。
「そうです。
今後、最悪の事態が起こる事さえも想定に入れた場合、
今はレクイエムにあるとされる、もう一つのベルトも必要になってきます。
そのベルトの持ち主に……二人とも、何度か遭遇しているそうね」
「はい」
「まあ……」
とは言っても、誰があのベルトで変身しているのか、という事を知らない祐一としては、ベルトの持ち主に、と言うよりもライダーに遭遇した、という認識でしかない。
そして、敵なのか、味方なのか、未だにハッキリ分からないのも、祐一の歯切れを悪くさせていた。
「もし、お二人のどちらかが、次に遭遇した時は……できればベルトを取り返してください」
「……それは、相手を倒しても、って事ですか?」
祐一の問いに、秋子は首を小さく横に振った。
「できれば、そうしたくはないわ。
命の報告から察するに、所持者は本来敵対するような人間ではないから」
「だが、あまり余裕がなくなってきたのは事実だ。
向こうが完成させつつある擬似反因子結晶体や、協力関係にあるとおぼしき高位パーゼストの事もある。
そんな状況の中で、これからの状況打破の鍵となるベルト一式を、いつまでもレクイエムの手元に置いとくわけにもいくまい」
「……ああ、そうだな姉貴」
紫雲が呟く。
その灰色の眼は、鋭く鈍く輝いている。
「彼には悪いが……もうこれ以上放置は出来ない。
決着を、つけるしかない」
「……祐一は?」
「……ベルトを取り返す事に、異論は無い。
元々こっちのものだっていうんなら、仕方ないだろ」
ただ、同じ人間である以上は……なんとか争いは避けたい所である。
(……まあ、あのライダーに襲い掛かった事がある俺が、そんな事を思うのもなんだが……)
それでも、避けられるのならそれに越した事は無いだろう……そう祐一は考えた。
「まあ、ベルトの事はそれでいいとして。
前から聞こうと思ってたんですけど、そのレクイエムってなんです?」
「え? 宗教団体のレクイエムじゃないのかい?」
「宗教団体?」
「ああ。新興宗教って言うには古くからある宗教団体でね。
僕も噂でしか聞いた事がないけど、色々な意味で結構手広くやってるって話らしい……違ううのかな?」
チラリと、敬介から視線を渡された秋子は、頬に手を当て……幾分困った表情で呟いた。
「間違いではないですよ。……それは、レクイエムの表の顔だから」
「表の顔?」
「宗教団体にして、研究団体にして、医療団体にして、武力団体にして……
そんな、幾つもの顔を持つ『場所』あるいは『存在』。
ただ一つ確かな事は、人間という存在を探求している事のみ。
それが、レクイエムなのよ」
「…………………レクイ、エム」
漠然と感じた、得体の知れなさを確認するように、祐一は、静かに一度呟いた……
祐一達がそんな会話を交わしている頃。
同じ公園の反対方向を、国崎往人はのんびりと歩いていた。
「……観鈴が、東京に……」
気になるのか、と内なる声が問い掛ける。
「……いや、そんな事は無い」
確かに、多少の縁と恩があるが……ただそれだけ。
それ以上は、何もない。気にならない。
自分は旅人で、彼女はその道筋で佇んでいただけの存在なのだから。
「しかし、腹減ったな……」
気にならない事の証明か、あるいは食欲が感傷を凌駕しているのか。
……そんな事を考えていた矢先だった。
「……む。なんだ、このうまそうな匂いは」
匂いの方向に顔を向ける。
すると、そこには屋台が一つ。
そのすぐ側には、鯛焼き、と大きく書かれた旗が微かな風に揺れていた。
そして、人の良さそうな親父……鯛焼き屋の親父なのだろう……がいて、客らしき制服姿の少女と何かを話している。
「今の時期、鯛焼きがあるものなのか……いや、そんな事はどうでもいい」
今は、この空腹を埋めるのが先だ。
「……この際、なんでもいい」
そう呟いた往人は、金も満足に持たないままで、フラフラと屋台に歩み寄った。
「親父、鯛焼きをよこせ」
「うぐぅっ!」
背後から急にそんな声がしたからか、親父と話し込んでいた少女はビクッと飛び上がった。
「び、びっくりしたなぁ……」
少女……月宮あゆは、突然現れた青年に驚きを隠せずにいた。
だが当の往人は、そんなあゆには目もくれず、言った。
「なんでもいいから、一つ頼む」
「……お代は?」
往人の醸し出す、何かしらの不穏さを感じ取ったのか、そもそも単純に怪しいからなのか、親父は牽制するように告げた。
「……」
ほぼ無一文の往人の動きが、ピタリと止まる。
「お金がないなら、駄目だ」
「……」
その言葉に、往人の思考回路が犯罪寄りの方向へと傾いていく……その時だった。
ポン、と自分の肩に手が乗せられる。
その手は、その場に居合わせたあゆのものだった。
そこで初めて、往人はその場にいたあゆの事を意識した。
「……なんだ?」
「ここは、ボクに任せて。
おじさん、注文を変更お願いします。黒あん二つで」
「……いいのかい?」
「いいんだよ。困った時はお互い様だし」
そう笑顔で告げる少女を、往人はマジマジと見つめた。
そして、確信する。
(……コイツ、観鈴と同じ……少なくとも似てる奴だ)
そう思うと、こう呟かずにはいられなかった。
「いいのか? 別に俺はお前の知り合いとかじゃないんだぞ?」
「いいんだってば」
そうして、何の裏もなく、微笑む。
その笑顔は……やはり観鈴に似ている、と往人に思わせた。
「……そうか。なら遠慮なくもらっておこう」
(まあ、礼代わりに芸を見せればいいか……)
そんな事を思いながら、鯛焼きが紙袋に入れられていくのを眺める。
「はい、お待ち」
「ありがと」
親父から紙袋を受け取ったあゆは、その袋から鯛焼きを一つ取り出し、往人に手渡した。
「はい、どうぞ」
「……ああ」
「じゃあ、いただきまーす……」
「っと、待った。嬢ちゃんお代」
「むぐぅ……?……むぐむぐ……ああ、そうだった。ごめんねおじさん」
そう言って、一口目を飲み込んだあゆは、財布を取り出し……その中身を見て、硬直した。
「……どうした?」
往人の問い掛けに、あゆは静かに答える。
「……お代、一個分しか無かったよ」
その言葉に、ピュウ……と、妙に冷たい一陣の風が、通り抜けていく。
そうして、三人は互いの顔と、状況を見合わせた。
一口食べてしまった鯛焼き。
一個分のみのお金。
そして、そもそもの元凶。
自ずと、二人の視線が往人に向く。
正確には、その往人が持つ鯛焼き。
「あー……ごほん」
物言わぬ、その鯛焼きを返した方がいいんじゃコールに、往人は溜息を吐いた。
「はぁ……そうか。なら仕方がないな」
どうするのか。
そう二人が問おうとした、次の瞬間。
「ダッシュっ!」
往人は、鯛焼きを持ったまま背を向けて、駆け出し……もとい、逃げ出した。
あまりの事に瞬間呆ける二人だったが、まずあゆがそこから脱出して、叫んだ。
「ああ〜!! 食い逃げ〜!!
ボクの眼が黒いうちは、そんな事はさせないよっ!」
そうして、往人を追い掛けるべく、あゆもまた駆け出した。
……だが、彼女は忘れていた。
かつては自分も食い逃げ娘だった事を。
そして、代金を払わずにこの場から走り去った以上、彼女もまた食い逃げ犯だという事を。
「……って、嬢ちゃんお代っ!!」
そして、鯛焼き屋の親父も、周囲に人がいない事を確認して駆け出した。
「……少し荷物多いかも」
そんな事を呟きながら、公園近くの通りを美凪は歩いていた。
彼女の手には、結構な量の食材その他が入ったスーパーのビニール袋、そしてお米を入れた持参バッグがあった。
(カレー作って、紫雲さんにお裾分け)
そんな事を考えた結果の大荷物であった。
「そういえば……」
ふと思い出す。
以前……東京に来る前の事。
同様に、という訳では無いが、近い意図で弁当を作った事があった事を。
……お裾分けしようとした旅人が、いた事を。
思い出しながら、公園の南側入口に差し掛かった、その時だった。
「ぬおおおおっ!」
「うぐぅっ!!!」
その声に、美凪は思わず足を止めていた。
二つ声……その両方に聞き覚えがあったからである。
振り向くと、自分に……というより公園の出入り口に向かって来る人影が二つ……いや、三つ。
「……」
なんとなく、美凪は動かなかった。
その結果。
「どけぇっ!! ……ってどかないのかよっ!!」
「うぐぅっ!!??」
美凪を回避しようとして、方向転換しようとした男は、足をもつれさせ転倒。
ソレを追っていた少女も同様の理由で、男に覆い被さるように転倒した。
「……ドミノ倒し?」
思いついたままに、呟いてみる。
「違う…………って、お前……?!」
その言葉に突っ込みを入れた男……国崎往人は、そこに立つ女性の姿を視界に入れて、驚きに目を見開かせた。
そこに立つのが、顔見知りだったからである。
「…………遠野、か?」
「お久しぶりです、国崎さん。
月宮さんも……えーと……おはこんばんちわ」
「あ、あははは」
そんな状況に辿り着いた鯛焼き屋の親父は、そこに繰り広げられている妙な光景を目の当たりにし、代金取立てのことも忘れて、首を捻ったのだった。
「うう……遠野さん、ごめんなさい」
そんなこんながあって。
公園を出てからの道筋の中、あゆは美凪に頭を下げた。
あれからどうなったのかというと……実に簡単な話。
事情を聞いた美凪が、鯛焼きの代金を支払う事で事無きを得た。
鯛焼きの親父としても、こんな事で警察を呼ぶのは面倒だったらしく、また、あゆの心意気自体には悪意は無いという事から、警察沙汰は避ける事になったのである。
「いえ。お気になさらずに」
「…………お前は、相変わらずだな」
そんな美凪を……いや、再会した瞬間からの事を思い浮かべながら、往人は呟いた。
遠野美凪もまた、かつて国崎往人と出会っていた。
神尾観鈴と、同じ町で。
それは一年近く前の事に関わらず、何故か記憶に新しいように往人に思わせていた。
「そういう国崎さんも相変わらずです。……ビンボーさん?」
「……言うな」
「それでも、食い逃げなんて駄目だよっ」
元食い逃げ犯である事は忘れているらしく、あゆは言った。
……ここに祐一がいれば、突っ込みの一発も入っているだろうが、生憎彼はいなかった。
「でもな、面子よりも命が大事だと思わんか?」
「……時と場合によります」
「ぐ。前言撤回だ、言うようになったな遠野」
「色々ありましたから」
「……ふん。
それはそれとして、だ。お前、何でこんな所にいるんだ?」
「買い物帰りですが」
「そうじゃなくて、なんで東京にいるのか、って聞いてるんだよ俺は」
「……それは……」
何処からどう説明しようか……美凪が口を開き掛けた、瞬間だった。
「……!!」
もっと詳しくレクイエムの事を聞こうとした祐一と、紫雲の二人の表情が強張る。
その意味を、周囲の人間は即座に悟った。
「どうやら、出たらしいね」
「ああ。しかも近い。急げば被害者は出ない……急ぐぞ、草薙!」
「ああ!!」
頷き合って、二人は駆け出す。
いかに気まずくても、優先すべき事が何なのかわかっている時には迷いは無かった。
そんな二人を見送る事もせず、敬介は携帯を取り出し、コールする。
その先は……憑依体対策班・本部。
「僕だ。そっちでも確認してるだろう?……B装備で急行。
現場にはライダーが既に向かっているから、逃げ場を塞ぐように包囲する形で動いてくれ。
僕と水瀬顧問もすぐ合流する」
そう言って携帯を切ると、敬介は秋子と命、舞に向き直った。
「皆さんは僕と一緒に……どうしたんですか?」
そこで、三人の怪訝な表情に気付き、敬介は尋ねた。
「何かしら、この感じは……」
「……」
「二人とも感じたか。これは……なんだ?」
三人は、パーゼストとは違う、未知の感覚に首を捻っていた。
が、そうしている場合でない事を思い出す。
「……いえ、今は現場にいきましょう」
「はちみつくまさん」
「そうだな。……悪かったな橘君、急ごう」
「ええ!」
そうして、彼らもまた動き出した。
「hujujnyyuuutyu……」
美凪達の前に、それは突然現れた。
それ、すなわち……スネークパーゼスト。
「なんだよ、最近は、こんなのが流行なのか……?」
軽口を叩いてはいるが、何故か往人には分かっていた。
目の前の化物が本物で、自分達を殺そうとしている事が。
「そんなことを言ってる場合じゃないよ……!
祐一君たちが来る間は、なんとか自分達で逃げないと……」
「……はい、行きましょう……! 国崎さんも……!!」
パーゼストの出現や存在に慣れつつある二人は、割合冷静に逃げ出そうとする。
だが、初めて遭遇した化物に動揺した往人は、そうもいかなかった。
「ち……ちょっと待て……!!」
一歩遅れて駆け出した往人……その足に、何かが絡みつく……!
「くっ!?」
たまらず転倒する往人。
ポケットに入れていた人形が、その弾みで地面に転がる。
「くっそ……」
転がった商売道具を、そんな場合ではないと思いながらも、倒れたままで手を伸ばし、握り締める。
そうしたからか、少し冷静さを取り戻した往人は立ち上がろうとする……が、まだ足に何かが絡み付いていて、それができない。
「なんだってんだ……な……?!」
自分の足に絡みついたモノを確認した往人は、そんな声を上げた。
それは、蛇。
化物……スネークパーゼストの指が伸び、その先端が一匹の蛇に変化し、絡みついていたのである。
「くっそ……!! 離しやがれ……!!」
必死にもがく、往人。
その声で、往人の状態に気付いた二人は、足を止め、慌てて引き返した。
「国崎さん!」
「大丈夫?!」
「馬鹿か……!! とっとと逃げろ!!」
戻ってくる二人の姿を見て、半ば反射的に往人は叫んだ。
だが、二人の足は止まらない。
「畜生……!! 何をやって……!!」
ギリ……ッと、思わず人形を握り締めた手に力が篭る。
「痛っ!?」
それは、予想外の事だった。
人形を握り締めていた手に、痛みが走る。
往人が思わず手を開くと、その手には血が流れていた。
「……!?」
人形の中から、何かが飛び出している。
その事に気付いた往人は、目を凝らした。
そんな往人の視界に入ったのは。
(針……いや……刀……?!)
針のように細いが、刀の形状をした何か。
それが人形を強く握り締めた事で、厚い布を破って飛び出し、往人の掌に刺さった……往人にはそうとしか思えなかった。
そして、その『刃』の先には……往人の血が付着している。
往人が、そう認識した次の瞬間。
人形が……いや、人形の中の何かが、蒼い輝きを放った……!!
「え?!」
「う!?」
「huihbuuuyyunn??!!」
溢れ出た光の前に、美凪やあゆはおろか、往人に近付いたパーゼストさえも足を止めた。
そんな蒼い光の源が、人形から飛び出す。
宙に浮かぶ『それ』は、往人が認識したように、刀だった。
針のように小さな、刀の模造品。
その柄部分に、刀の大きさとは不釣合いな大きさの蒼い石が嵌っていて、光はその石から生まれているようだった。
その刀は、ゆっくりと回転を始める。
光が収まっていくのに比例して、少しずつその速度を上げた『刀』は……その回転が最高点にまで到達した時、動き出した……!!
「……っ!?」
回転したまま、高速移動していく『刀』は、往人の足を捉えていた蛇をいとも簡単に切り裂く。
「ghyuuiyhh!!」
そうして、パーゼストを牽制するように飛び回った後、往人の左胸……心臓に突き刺さった…………!
「な、に!?」
その瞬間。
時間が止まったような感覚が、往人を襲う。
そんな中で、厳かな、それでいて穏やかな、中性的な声が響いた。
『選べ』
なに……?
『このまま死ぬか?
それとも我と共に外道たる憑依体を滅ぼすか?』
なんなんだ、その無茶苦茶な選択肢は!!
死にたくなければ、化物と戦えってのか……?
『そうだ。
それに、無茶苦茶ではない。
戦う事は、汝が宿命にもいずれ繋がる』
冗談じゃない……そんな事で……
『なら、死ぬか?』
それこそ、冗談じゃない…………こんな、馬鹿げた事で…………
「死んで、たまるか……!!」
往人の、その叫びと共に。
胸に刺さった刃が移動する。
肉体を切り裂く事無く移動した『刀』は腹部で停止し、そこで更に奥深くに突き刺さっていく。
刀部分が完全に肉体の中に埋まり、まだ薄く輝く蒼い石が体内に埋まる事無く、止まる。
そこで、蒼い石がもう一度強く輝いた。
そうして生まれた蒼い光道が、往人の身体を駆け巡り、覆っていく……!!
「おおおおおおおおおおおっ!!」
その叫びと共に、光が晴れる。
そこに立っていたのは………………!!
「蒼い、鎧武者の…………?!」
呆然と、美凪は呟いた。
戦国時代、武士が装備していたような、鎧。
赤が主色となる筈の色が蒼に代わり。
その鎧そのものが、人体に変化したような姿。
「……の、仮面ライダー……?」
美凪の後をあゆの言葉が繋げ、完成させる。
そう。
その姿は、頭部の突起物、顔を覆う仮面、複眼の形状の眼、そして腹部に装着されたベルトに似た形状のモノ、と……極めて、仮面ライダーに酷似していた。
『ソレ』は、二人の言葉に反応し、応えた。
「仮面ライダー……?
それが、この時代の、外法をもって外法を絶つモノの名称か。
ふむ。響きとしては悪くないな。
だが……残念だが我にも名がある」
「…………………あなたは、誰?」
国崎往人ではない……漠然と悟りながらの美凪の問い掛けに、ソレは言った。
「我が名は、虚空。
虚ろなる空。
翼持つ者の遺志を継ぎ、使命を果たせずに散った者達の意志をも継ぎし、翼を持たぬ翼」
「yuiuhhhuuu……!!」
そんな口上など関係ないと、スネークパーゼストの五指が、蛇となって襲い掛かる。
「危な……!!」
そんな、あゆの声が上がる寸前、その五指は一瞬にして千切れ飛んだ。
……『ソレ』の隣に唐突に現れた、『ソレ』とまったく同じ姿の存在の、手刀によって。
「へ……? 増えた……??」
「しかし。
この現世にこうして具現したからには、その理に従うも道理。
ゆえに、改めて名乗らせてもらおうか」
そう呟きながら、パーゼストに向き合う『ソレ』の数が増えていく。
二人だったものが四人、四人だったものが八人に。
そうして『ソレ』は名乗った。
「我が名は……仮面ライダー虚空」
「……hujnngtyun……??!!」
同じ姿の存在八人に包囲され、戸惑いを見せるパーゼストに『ソレ』、いや『仮面ライダー虚空』は宣言した。
「さあ……人形劇の始まりだ」
…………続く。
次回予告。
圧倒的な力を持って、パーゼストを凌駕する仮面ライダー虚空。
新たな戦士の登場は、変身した往人本人さえ混乱させ、ライダー達の戦いに波紋を生む。
そんな中、仮面ライダーアームズ・折原浩平は、苦悩の末に決断を下す……!!
「……これが、俺の選択だ……!!」
乞うご期待、はご自由に。
第二十一話はもうしばらくお待ちください