第十八話 Limited Over(前編)








「うおおおっ!!」

裂帛の叫びと共に祐一……カノンが疾駆する。

「……っ」

その突進を、紫雲……ウルフパーゼストは後退しながら受け流す。

「ち……ちょかまかと……!!」

吼えながらのカノンの連撃。

その都度、反因子と因子の力が複合されたエネルギーの流れが伝わってくる。

今の自分を滅ぼす事ができる、その力を。

「……」

紫雲は戦いの最中、逡巡していた。

どうすべきなのか、分からなかった。

声を出せば、話をすれば、戦いを止められる。

それは極めて簡単な事だ。

……でも。

「くらえっ!!」

腰を捻り、拳撃の構えを取り……解き放つ。
そのカノンの一撃には、紅い光が巻き付いていた。

避けられる。
避ける事は、できる。

でも。
それでどうなる?

いまや化物の自分。
今は戦いを避ける意味があっても、いずれはなくなる。
いずれパーゼストになれば、自分はヒトにとって害悪でしかなく、死ぬべき存在でしかなくなる。

(―――ああ。そうか)

納得して、紫雲は防御する為の腕を下ろした。

目の前の祐一は、あの時の自分。
あの時のあの子が、今の自分なのだ。

なら、このまま。
倒された方がいいのかもしれない。

(……相沢君になら……)

結果。

迫る赤い拳を。
ウルフパーゼストは避けなかった。

一撃は腹部に突き刺さり、ウルフパーゼストを大きく吹き飛ばした。

轟音が、辺りに響いた。





その音に、七瀬留美は顔を上げた。

「なに? 今の音……?!」

何かが叩き付けられる様な音。

それ自体はそんなに大きな音ではなかった。
ただ、それが大きくないのは多少の距離があるからで。
音が届いた以上、その距離は遠いと言い切れるほどではない。
いや、むしろ……かなり近い。

「……」

今、自分は祐一を待っている。
一刻でも早く紫雲の事を伝える為に。
だから、この場所を離れるべきではない。
行き違いになる可能性があったから、今の今まで動かなかったのだ。

そう頭では分かっている。

だが、留美は気になった。
そうして、ある一つの可能性に気付いた。

「……もしかして……?」

それは、祐一が、あるいは紫雲が何かと戦闘している音である可能性がある。
いや、最悪の場合……その二人が戦っている可能性も……

「……くっ……!!」

その考えに思い当たった留美は、今までの待ち時間の事を放り出して駆け出した。







同時刻。

「あゆちゃん、今の音……!」

紫雲を探し回っていた名雪とあゆにもその音は届いた。
そして、先刻戦闘に巻き込まれた二人は、即座にそれが戦闘音である可能性に辿り着いた。

「名雪さん、行こう!」
「うんっ」

そうして、二人もまた走り出した。

彼らが立つ場所に向かって。







パラパラ……とコンクリートの破片が零れ落ちていく。

「hyujhnがはっ!!ゴフッhy!!」

壁に叩き付けられたウルフパーゼストは、重く咳き込み、膝を付いた。
牙の隙間から、赤い血が零れる。

それを見て、いままで傍観していた舞は微かに目を見開いた。

(赤い、体液?)

パーゼストが流すのは、緑色の体液の筈。
それが赤い。
それはまるで……人間の血のようで、舞は困惑した。

「く……コイツ……!!」

だがカノン……祐一は、そんな舞の僅かな動揺や、赤い体液に気付いていなかった。
数時間前にクラブパーゼストに逃げられてしまった事、眼前のパーゼストが今の一撃で滅びなかった事……それらが祐一から冷静さを奪っていたのだ。

その感情のままに、祐一は『敵』を睨み付けた。

「……」

『敵』……ウルフパーゼストは何も言わない。

動揺も、逃走もない。
そんな気配を、微塵とて見せなかった。
本能だけの化物である筈なのに。

それが、祐一をさらに昂ぶらせた。

「……う、おおおおおおおっ!!」

そうして叫んだカノンは、腰低く構えた。

脚に、赤い光が収束していく。
最強の一撃を叩き付ける為に。

―――それが最高点まで高まった、その瞬間。

「馬鹿ぁッ!!やめなさい!!!」

突如響いた声が、祐一の敵意を一時的に奪った。

それは聞き覚えのある声で。
街灯で照らし出された姿も、祐一の知ったものだったから。

「……七瀬?」

祐一がその事に当惑していた矢先。

「祐一っ!!」
「駄目だよ!!!」

名雪、あゆもまた同様に現れ……三人はウルフパーゼストを庇うように、カノンの前に立ち塞がった。

「??!!
 お前ら……!!?
 なに、やってるんだよ!?」

祐一には、何がなんだかサッパリ理解できなかった。
パーゼストを庇う、三人の意図がまるで掴めなかった……







その三人の後ろに膝を付くウルフパーゼスト……紫雲もまた、信じられない思いで三人の背中を眺めていた。

何故こうも、自分は庇われているのか。
自分は化物になるから近付くな、そう言っているのに。

特に七瀬留美には頼み事……鍵を託し、鍵の受け渡しを頼んでいた筈なのに。



……huiiiiiiiiiihhiuihuihhuhbmbccrrjjj……



「…あ…う……?」

おかしい……紫雲はそう思った。

留美からは鍵の……反因子の気配がしない。
あれは『害意』は無くとも、パーゼストの存在には多少なりとも反応を返す筈なのに。



……fyyfyhjjhhiioohhioh<
<
hougfftyfuffifiyfyifyfyigguuguo……



「……ぅ……?」

いや待て。
確かに草薙紫雲は、鍵を相沢祐一か、自分の姉に委ねる事を頼んだ。
だが、その後、姉の居場所を知る遠野美凪にも後を頼むと言った。

なら。

美凪が鍵を預かっている方が自然の筈だ。
何故今の今までその可能性を考慮さえしなかったのか……



……huhhhkkkuuhhuiiuhuuihuhuhuiiuhuhiuhuihiuhuihuihjmgrsrssrsysudyiioguioiogggugyiytgiu……



(……だ、め……だ……)

それ以上の思考はできない。

思考する余裕が消えていく。
……それこそが、通常の思考さえできなくしていた事にさえ気付かずに。

侵食されていく。
……それは、ライダーとして戦い始めた瞬間から、ずっと続いていた事を実感しながら。



「……僕は……」



そうして、草薙紫雲の一欠片の意識は。







「おい……一体どうして……?!」

尚も続く祐一の問い掛けに、二人と一人は一瞬だけ視線を交わした。

彼女達は、さして親しくない。
水瀬名雪と七瀬留美は顔見知りから二三歩進んだぐらいの友人関係だし、月宮あゆにいたっては七瀬留美との面識すらない。

だが、彼女達は視線を交わした一瞬で気付いていた。
化物を……パーゼストを庇うという、ある種異常な行為で。

自分達の目的が同じである事を。
そして、それにはあまり猶予がない事を。

「えーと……アンタ、相沢よね?
 さっき水瀬さんが祐一とか呼んでたし。
 どうしても何も、アンタ……」

だから。
今回の事情を、この場では一番知っている留美が口火を切ろうとした……その時。



「ぐああああああああああhjggyguiguugiiiiiiiggmnbvjffyっ!!」



狼の咆哮に、その場の全員がハッとし……意識を狼へと向けた。

そのウルフパーゼストの腹部に……ベルトが浮かび上がる。

「!!……あれは草薙の?!!」
「……!!」

真実を知らない二人がそれを見て、名雪たちの行為を思い返して、気付く。
目の前のパーゼストが、何者なのかという事を。

「お前……草薙なのか……?!」

祐一が、震える声で問う。

それは動揺であり恐怖だった。

変わってしまったその姿への。
一歩間違えれば、自分の手で紫雲を滅ぼしていたかもしれないという事への。

そんな思いが、祐一に言葉を吐き出させていた。

「黙ってないで何とか……!!」

そんな祐一の問いに応える事無く。

「yuuuuhiuihiuuhuiuhuihnmbu!!!!」

パーゼストは吼えた。

人間の言葉を微塵とて交えずに。
その……明らかな敵意を、隠す事もなく。

そうしてウルフパーゼストは、頭と腹部を抱えるようにしながら、高く速く跳躍し。
高く速く遠ざかっていった。

それはあまりにも迅速な撤退で。
残された人間達は、呆然とそれを眺める事しかできなかった。

そして、それは。

「……一歩、遅かったか」

そのタイミングで、この場所に辿り着いた草薙命と遠野美凪も同じだった。

「命さん……?!」

その存在に気付いた祐一は、変身を解除する事さえも忘れて命に駆け寄った。

「これは、一体どういう事なんですか……!!?」
「……落ち着け、相沢君」
「これが落ち着いて……」
「落ち着けと言っている」

激昂するわけでもなく、大きな声を出すわけでもなく。
ただ静かな命の一言は、圧倒的な威圧を持って祐一を下がらせた。

「とりあえず、現状の把握と説明が先だ。
 ……こうなった以上、紫雲の足取りを掴むのは簡単だ。
 だからこそ、現状把握が優先される。
 理解できるか?」
「理解……」
「できるわけないでしょ!!」

そこに留美が乱入した。

「アナタ……遠野さんと一緒にいるって事は草薙のお姉さんなんでしょ?!
 それなのに……」
「お姉さんだからこそ、なんです」

言葉を続けようとする彼女を、遠野美凪は制した。

「だからこそ、冷静であろうとしているんです。察してあげてください……」
「……」

諭すような美凪の言葉に、昂ぶっていた場の空気が落ち着いていく。

それを証明するように、祐一は無言で変身を解除した。

「―――済まないな、美凪君。
 ともあれ立ち話もなんだし、相沢君、部屋を貸してくれないか?
 ここから近い、そこで話そう」
「……はい」
「では。愚弟の事が気になる人は、ついてきてくれ。
 そうでないヒトは、早めに帰宅する事をお勧めする。
 ここから先関わるのは……危険だからな」

そう告げて背を向けた命は、スッ……と静かに、でも早く歩き出した。

十数秒後、命はちらりと後ろを振り返る。
そこには、誰が帰ってたまるか、そう言わんばかりに、命の後ろを歩く祐一達全員の姿があった。







それから、数十分後。
大学寮内の祐一の部屋に、紫雲=仮面ライダーエグザイルである事を知る人間が揃っていた。

相沢祐一。
水瀬名雪。
遠野美凪。
月宮あゆ。
川澄舞。
七瀬留美。
草薙命。

そして。
北川潤と、長森瑞佳もそこにはいた。

北川は、慌しく去っていった舞の様子を不審に思い、何度も舞か祐一に連絡を取ろうとした結果、逆に呼びつけられ。

瑞佳は、寮内に入った矢先の祐一達と遭遇、そのただならぬ様子に気付き、何かしらの力になれないかとお節介を焼いた結果ここにいた。

二人とも全然今回の事に関与していないので「何でもない」と告げる事で済ませる事はできただろう。

だが事態が事態なだけに、人手がいると判断したのか、あるいは真実を一人でも多くの人間に知って欲しいと思ったのか、命は何も言わず、二人がここにいる事を認めていた。

そうして大挙して祐一の部屋に上がりこんだ……その際、管理人の晴子にも見つかり、怪訝な表情のみならず、文句らしきものも多少言われたりしたのだが……面々は、それぞれの場所に陣取り、事情に耳を傾けた。

「……と、そういうわけだ」

少しでも気分を落ち着けたら、と名雪と瑞佳が全員に出したコーヒーに手を付ける事を一度もせず、命は全てを告げた。

そもそものベルトの欠陥。
紫雲が戦い始めた時から、紫雲を蝕んでいたモノ。
そして、今それが形になってしまったという事実。

「それって……おかしくないスか?」

全ての話を終えて、疑問の声を上げたのは、コーヒーカップ片手に壁に寄りかかっていた北川だった。

「草薙には因子って奴があるんでしょ?
 俺にはそれが無いから長い事変身できないって聞いてるし……実際そうだった」
「ああ、私もその一件の事は聞いているよ。
 あの時は大変だったらしいな」

そう言われた北川は、瞬間憮然とした表情を見せたが、次の瞬間には話題を戻していた。

「……まあ、それはそれとして……
 その因子を持ってる草薙が、ベルトの欠陥とやらで、そうもあっさり……その、化物……パーゼストとかになるものなんスか?」
 
内容が内容なので、少し躊躇いながらも北川は言った。
そんな北川に対し、テーブルに備え付けられた椅子の一つを陣取る命は、淡々と答えた。
 
「そうだな。根本から説明するか。
 …………愚弟を元に戻す方法も含めてな」
「戻せるの?!」

北川の足元に座っていたあゆの、喜びとも驚きとも取れる声に、命は、ああ、と頷く。

「そもそも、因子がないと変身できないという考え方は正しくはあるが、ある意味認識としては間違っている。
 あくまで、その方が分かり易いからそう言っているに過ぎない。
 それだと因子を持たない人間の方が多いように聞こえる」
「?? どういう事なんですか?」

命の斜め前の席に座っていた祐一は、その疑問を口にした。

ふむ、と呟いてから命は、この部屋に来て始めてコーヒーを口に含む。
その苦さになのか、これから話す事になのか、僅かに顔をしかめた。

「まあ、平たく言うとだ。
 現在この地球上に生息している生物に、因子を持たない生命体は存在しないと言っていい。
 因子レベルの高低こそあれ、な。
 言い返れば、因子を持つからこそ、この星の生命体と言える」
「え? なに? 分かる?」

祐一の後ろに立つ留美は、首を傾げつつ、主に祐一へとその言葉を向けた。

「……俺に聞くな」
「うぐぅ……よく分からない……」
「悪いが、同じ事を何度も言うのは面倒臭い。
 分からなかった者は分かった者に後で詳しく聞いてくれ。
 ……説明を続けるぞ。
 そもそも因子とは何か……そこから説明するとさらに長くなるから、それはまたの機会として、今は、愚弟が内包し、相沢君が所持しているベルトについて話そう。
 あれは、変身のキーとなる鍵にはまっている反因子結晶体から発せられている、因子を否定する波形……反因子をあえて体内に流し、体内の因子を活性化、その方向性をベルトのプログラムでコントロールする事で、空中元素を取り込みながら外骨格を作り上げ『変身』する……そういうシステムだ。
 以前、北川君が変身した時に起こった変身の解除……変身する人間の因子のレベルによって、その活性化させた因子が人間にとって害悪なものになる前にブレーカーを落とす……という機構も、そのシステムの一環だ」
「害悪な、もの?」
「パーゼストだよ」

あっさりと告げられた事実に、部屋にいた全員が息を飲んだ。

「様々な違いはあるが、ライダーもパーゼストも方向性としては変わらない。
 パーゼストは、虫や動物を介してではあるが、因子を活性化させることで人間をパーゼストにする。
 さっき言った通り、因子を活性化させる点ではライダーも同じだ。
 高いレベルの因子を持ち、無自覚にそれをある程度コントロールする相沢君や愚弟などは長時間、因子レベルが低い北川君などは短時間ながらベルトのプログラムの補助で変身……身体の情報を一時的に変化させる。
 分かりやすい違いとしては、人間としての意識を残すか、そうでないか、ぐらいだろう」
「……」
「…………そう心配そうな顔をするな、名雪君」

唐突に出た名前に、皆の視線が名雪に集まる。
命の眼前の席に座る名雪は、不安げな表情で命を見つめていた。

「言っただろう?
 愚弟のベルトには、と。
 相沢君のベルトには、そんな欠陥は無い。
 だから、心配しなくても相沢君はパーゼストにはならない」
「ご、ごめんなさい……草薙君が大変な時なのに……」

名雪は恥じた。

今まで自分達を護る為に戦ってきたがゆえの紫雲の変貌を目の当たりにして、彼と同じ立場で戦っている……自分にとって一番大切な人間である相沢祐一の事を気に掛けてしまう事を。

それは間違いでは無い。
間違いでは無いが、あんな状況にある紫雲を差し置いてそれを考えてしまうのは、醜い事に名雪には思えた。

命は、そんな名雪に優しく微笑みかけた。

「気にしなくてもいい。
 そう考える君は、十分に愚弟の事を案じてくれている。
 感謝するよ」
「……」
「さて、やや話が長くなってしまったが、ここからが本題だ」

本題……つまり、紫雲を元に戻せるかどうか。
そう認識した皆は、それぞれ精神的な居住まいを正し、命に注目した。

その命は、彼女らしからぬ苦い表情を、その端正な顔に浮かべた。

「その前に、最後にもう一度だけ問おう。
 私は……君達を愚弟の力になってくれる人間……友人達だと思っていいのか?」
「……」
「私は、今から君達に危険な事をやらせようとしている。
 数日あれば、私や愚弟の仲間を集めて、同じ事が出来る。
 何より、素人を危険に遭わせない……それが筋というものだろう」
「……」
「ただ、その数日が愚弟には命取りになる。
 その可能性がある以上、私は動くしかないと思っている。
 あれは……私の弟だからな。
 だがそれは、私一人では出来ない事だ。
 だから、今ここにいる君達の力を借りようと思っている。
 それで……いいのか?」
「勿論ですよ」

命の問いに真っ先に、何の迷いも無く答えたのは祐一だった。

皆の視線が一点に……祐一の顔に集まる。
それを受けた祐一は、ごほん、と咳払いをして、色々なものを誤魔化した。

「あー……アイツには借りがあるんだよ」
「相沢のひねた発言はともかく……ここまで来て引く男はいないっス」
「女の子だって、引けないよ!」
「あゆちゃんの言う通りだよ。
 それに、草薙君には、祐一も私もたくさん助けてもらったし……ね、祐一?」
「やかましい」
「痛いよ祐一〜照れ隠しに抓らないで〜」
「まあ、そこの夫婦漫才は放っておいて……ここでやめるのは乙女として問題よね。
 アイツに借りがあるのはあたしも同じだし」
「それを言うなら私も浩平と一緒に助けてもらったんだよ。そのお礼をしないと」

うんうん、と頷く留美。
その横に立つ瑞佳もまた笑って頷く。

「……皆に同じく」 
「……異論は無い」

ベッドに腰掛けていた美凪、舞も頷いていた。

満場一致。
誰一人として逃げようとはしなかった。

それを目の当たりにした命は。

「済まない。本当に、ありがとう。
 愚弟に代わって、感謝する」

深々と。
ただただ深く、頭を下げた。

その姿を見て、皆気付いていた。
草薙命は、本当に草薙紫雲を大切に思っているのだ、という事を。

「……では、本題に入ろうか」

そうして顔を上げた命は、もう先程までの冷静な命だった。

「愚弟がああなった原因は、ベルトのプログラムの欠陥だ。
 因子と反因子のコントロール不備が、アイツの身体を徐々にパーゼスト寄りにしてしまったんだ。
 そして、アイツが感じていた痛みは、アイツの肉体的・精神的な人間の部分がそれを拒絶していたことによるもの……
 それらを治すには……そもそもの欠陥を正せばいい。
 正しいプログラムが作動すれば、愚弟は安定する。
 そして、時間こそ掛かるが、いずれは完全な人間に戻れる」
「でもアイツはもう……」

……パーゼストになってしまった。

そんな言葉を、祐一は内側で吐いた。

完全にパーゼストになってしまった者は、二度と人間には戻れない。
他ならない、草薙紫雲自身が口にしていた事実。

そんな祐一の疑念……不安を、命はあっさりと否定した。

「大丈夫だ。
 あのベルトが愚弟に装着されている限りは」
「え?」
「さっきも言ったが、ベルトには因子を制御・抑制する為のプログラムがある。
 先刻の愚弟の腹部にベルトが現れたのは、愚弟に憑いたパーゼストがそのプログラムをなんとか除去しようと、身体の内側から押し出した結果だ。
 逆説的に言えば、あのベルトが外れない限りは愚弟は完全なパーゼストには”なれない”」
「そっか…………」
「だが」

瞬間、安堵しかけた空気を断ち切るように、命の言葉が続く。

「今の愚弟は限りなくパーゼストに近い。
 あえて数値で言えば、95%はパーゼストだ。
 そうである限り人間を襲う可能性もあり、そうなれば、いまや動き始めた警察も黙ってはいないだろう。
 この状況を放っておかない連中が他にいるのは、美凪君や七瀬君からも聞いた通り。
 なにより、愚弟……いや愚弟に憑いているパーゼストがベルトを放置しておくとも思えない。
 もしこれらの要因から、愚弟のベルトが破壊されるような事になれば……その時、愚弟は完全にパーゼストと化すし、それ以前にただのパーゼストとして処理される可能性もある。
 その前に…………『これ』を愚弟のベルトに差し込む」
 
そう言って、命が取り出したのは……

「それは……鍵?」

『それ』を見慣れていない瑞佳が、呟く。

そう。
そこにあったのは鍵。
祐一達が変身に使うものと酷似した、極めて薄い紫色の宝玉が嵌め込まれた、一本の鍵だった。

そして、それこそが秋子から託された切り札だった。

「……これをどうしたらいいわけ?
 草薙が変身する時と同じ様にあのベルトに嵌めこむだけでいいの?」
「いや、アンタ。『だけ』って……」

留美の疑問に、北川が少し呆れ気味に顔を引きつらせた。

その意味に気付いていたのは、祐一、舞、美凪、命。
気付かない、瑞佳、あゆ、名雪は、まるで申し合わせたように揃って首を微かに傾げた。

気付いていない一人である留美は「何よ文句でもあるわけ」と言わんばかりに、北川を睨み付けた。

「まあ、待て。
 物事には順序がある。愚弟を元に戻す方法とその問題点については順を追って説明しよう」

このままでは北川に掴みかかるのでは……そう思ったのかはポーカーフェイスに近い表情からは読み取れないが、命はそう言って留美を宥めた。

「まず……美凪君が持っている、愚弟が通常時変身に使う鍵を使う。
 それを、愚弟のベルト……そのサイドのアタッチメント部分に差し込んで廻す」
「アタッチメント……何それ?」

その声を上げたのはあゆだったが、その疑問については殆どの人間が抱いたものだった。
そんな表情を眺めた後、命は、まあ仕方ないか、と祐一に視線を向けた。

「相沢君、ベルトを出してくれないか?
 実際に見せたほうが分かりやすいだろう」
「……はあ」

そう言われた祐一は、席を立ち、放り投げていたバッグからベルト一式を取り出し、命に差し出した。
受け取った命は、小さく礼を告げてから、ベルトの空いているサイド部分……外見としては四角いバックルと言うべきか……を指差した。

―――ちなみに、空いていない方にはカノンの武装である光の刃を生み出す柄……スカーレットエッジがぶら下がっている。

「このサイドは、相沢君がしているような装備装着の為にあるだけではない。
 そもそもこれは変身のサブ回路であり、『ある用途』の為の回路だ。
 こっちに付いているスカーレットエッジも、それを応用して生体エネルギーをチャージ、反因子結晶体を組み込む事でプログラムを起動させて身体の延長として生体エネルギーを放出、刃を作っている」
「つまり?」
「サブとはいえ回路であるがゆえに、ここからでも反因子の影響を愚弟の身体に流し、プログラムを再起動できるという事だ」
「プログラムの再起動?」
「つまり、変身だ。
 完全にパーゼストになる前なら、一時的にかつ、かなりの痛みを伴うが、それで通常の意識を取り戻す筈だ。
 そして、その後、愚弟自身にメイン回路にこっちを差し込んで廻させればいい」

そう言って先刻取り出した『鍵』をテーブルの上に置いた。

「これは、開発中の擬似反因子結晶体の試作版を使っている。
 彼女達の話から察するにレクイエムも開発していた様だが……まあ、その辺りは今はどうでもいいだろう」

レクイエムという言葉。
その言葉に、瑞佳は微かに表情を動かし、祐一は聞き覚えのないそれに疑問を抱いた。
だが、それぞれ、今は「浮かんだモノ」を形にするべきではないと判断したのか、二人は何も言わなかった。

その様子に気付いているのかいないのか、命は二口目のコーヒーを口に含み、少し渇いた口を回復させて、改めて口を開いた。

「これには愚弟のベルトの修正プログラムが入っている。
 それでなくても反因子結晶体に近い働きを持つ。
 ゆえに、これをメイン回路に差し込めば、愚弟は人間に戻る。
 その上、より安定した力を得て、復活する筈だ。
 ただ問題が二つ」
「?」
「一つは、これはあくまで愚弟が通常の状態であった時に最大限の効果を上げるらしい。
 半ばパーゼストになった今、何処まで通用するかは未知数だ。
 ……とは言え、これの開発者は、この事態をを見越しているだろうから大丈夫だと私は確信しているがね。
 後一つにして、最大の問題は……どうやってこれらを理性の無い愚弟に嵌め込むかだ」
『……あ』

そこで、留美達は先程の北川の表情の意味を悟った。

嵌め込むだけ。
だが、それは……紫雲、否、パーゼストとの対峙を意味し、危険を伴うのは明らかだった。

「……まあ、普通に考えるなら変身した相沢が抑え付けて、その隙に、って手順じゃないか?」

既に考えていたのだろう北川が、その方法を挙げる。
そのアイデアに、祐一は不満気な表情を浮かべた。

「あのな。俺が抑え付けたら誰が鍵を差し込むんだよ?
 そっちもかなり危ないぞ」
「とは言っても、愚弟を……パーゼストを腕力で抑えるなんて真似ができるのはライダーぐらいだ。
 私は死ぬ気になれば、パーゼストを封殺する事はできるが……力づくでパーゼストを抑え付けるのは無理だ。
 その上、愚弟は生身でも馬鹿力で、今はその愚弟がパーゼストになっているから質が悪い。
 そう考えると……やはり相沢君に愚弟を抑えてもらい、その後、手が空いている人間でさらに抑え込むのが最良だろうな。
 せっかくこれだけの人数が居てくれるんだ。使わない手は無い」
「その上で、サブ回路に鍵を差し込み、廻す……でいいんスか?」
「そうだ。
 ただそれは、抑え付けられる間は一番安全かもしれないが、反面それが解かれてしまえばパーゼストにとって真っ先に排除する対象になり、一番危険度が高くなる役割だ。
 だが、誰かがやらなければならない、外す事ができない役割でもある」
「…………なら、私が」
「私が、やります」

危険な事には馴れている……そう考えた舞が口を開くより先に。

サッと挙手した美凪が、そう宣言していた。

「遠野……?」
「美凪君。やめたほうがいい」

祐一と命の言葉を、美凪は首を振って否定した。

「……今と同じ状況で。
 紫雲さんは私を助けてくれました。次は私の番です」
「ここで君がその役割をしなくても、誰も責めないぞ」
「誰かが責めなくても、私が私自身を責めるでしょう」

『それ』は、彼女にとってずっと続いてきた事。
だからこそ、もうこれ以上は。
そんな思いが、美凪にはあった。

「……そうか。そういうものだな。
 分かった。
 本当は私がやるべき事だったんだが……特別に君に譲ろう。
 その代わり、命を粗末にするな。
 危ないと思ったら即座に逃げろ。いいな?」
「勿論です」
「これは、他の皆も同じだ。
 危険に晒しといてなんだが……無駄に死ぬような事はしないでくれ」

その言葉に頷く面々を見て、命は、ふむ、と呟いて顎に手を当てた。

「……よし。
 これで、話もまとまった事だし……皆、今の内に休んでおいてくれ」
「はぁ?! 何を悠長な……」
「そう責めないでくれ七瀬君。ちゃんと理由がある」

反論される事を予測していたのか、命はスラスラと答える。

「今日アイツが受けたダメージはかなり大きい。
 ゆえに行動するのは、ある程度回復し、動けるようになってからだろう。
 これまでのパーゼスト研究から考察するに……明日の朝ぐらいにな。
 そして、動けるようになったアイツは意識が殆どパーゼストであるがゆえに、その行動法則に則って動き……人間を襲う『害意』をいつか必ず生み出す」
「アイツが人間を襲うのを待つっていうのか……?!」

流石にそこは黙っている事ができず、いきり立った祐一は、ガタン、と椅子を半ば弾き飛ばすように立ち上がった。

ヒトを護る事にいつも必死だった紫雲。
その紫雲が人を襲うまで待つ。
それが、祐一には我慢ならなかった。

だが、それさえも平然と流し。

「襲わないさ」

キッパリと、命はそう言った。

「耐え切れず『害意』を零す事はあるだろう。
 だが、ベルトが外れない限り。アイツは誰も襲わない。
 根拠は無いし、甘いかもしれないが、私はそう考えている」
「……」
「それに、この広い街中を闇雲に探し回るのは体力を消耗させるだけだ。
 夜通し探し回ってヘトヘトになった後で、アイツを見つけても、捕まえる事ができるかどうか……だから、今は待つしかない。私はそう思うんだが」
「……祐一」

苦しそうな名雪。
だが、それは名雪だけではなかった。
この場にいる全員が、それぞれの苦しさを顔に出していた。

頭では分かっている。
命の言う通りだと。そうするしかないと。

でも、納得はできない。
そんな顔を、皆していた。

だからこそ、祐一はあえて口にしなければならなかった。
皆を納得させる為に。

「ああ、分かったよ。
 ……今は……休む事にします」

最後の言葉を命に向けて、祐一は再び椅子に腰を落とした。







「……そう。分かったわ。
 こちらも……出来得る限り粘ってみるから。
 そっちも気をつけて」

秋子はそう言って、命からの携帯を切った。

憑依体特別対策班に宛がわれた一室。
そこでは、先程の事件の事後処理や、逃がしたパーゼストの捜索・追跡の為に、慌しく動いていた。

「どうかしたのかい?」

敬介が話し掛けてくる。

「いえ……」

できるなら、ここの力を借りて紫雲を捜索し、彼を元に戻してあげたかった。
だが、それはできない。

ここは、ついさっきはっきりとした形になったばかりの、パーゼストに対抗する為の『場所』。
できたばかりのこの『場所』で、パーゼストと半ば化した紫雲を助けるような行為を取れば、混乱が生まれるのは明白だ。

紫雲を助けられる可能性はあるが、それでここにいる人間を必要以上の危険に晒す事は出来ない。

(そう……まだプログラム『KEY』は完成していないのだから……)

ゆえに。
そんな前例を……特別を作るわけにはいかない。

だから。
紫雲の事は、命達に託すしかない。

ただ一人さえ救わない非情だと言われたとしても。
それが、今の自分の立場であり、責任なのだから。

「なんでもありません。個人的な事です」
「……なら、いいが。
 何か手伝える事があったら、遠慮なく言ってくれ。
 個人的な事でも歓迎するよ」
「ふふ……ありがとうございます」

敬介のリップサービスではない気配りへの感謝、そして、今の自分の心情を悟られまいと、秋子は静かに微笑んだ。
 



 



「……まだ、起きてたんですか?」

それは夜中。

電気こそ消えているが、月明かりが差し込んで多少は明るくなっている、その部屋。
少し躊躇いがちに、祐一はそこにいる人物に声を掛けていた。

あの後、今日一日の疲れから早々に眠りに落ちていた祐一は、嫌な夢を見て目を覚ました。
昔から、そういう夢ばかりを見る自分を呪いながら身を起こすと、窓の側に立って、外を眺めていた命の姿が視界に入った。

ちなみに、今日ここに集まった人間達は、祐一、名雪、瑞佳、美凪の部屋にそれぞれ泊まっている。
皆、明日の朝から動くという命の言葉を信じ、祐一よりも遅くではあったが早目に睡眠をとっていた。

ただ一人、命を除いて。

「うむ。眠れなくてな」

命は、平然とそう答える。

それは当たり前だ。

(……この人は、やっぱり草薙の姉貴なんだから……)

そう思うと、数時間前に感情的になってしまった自分が悔やまれた。

「あの……」
「謝罪はいい。
 私は愚弟を心配してくれる人間がいる事が嬉しいんだ。
 むしろ……謝らなければならないのは、私だ」
「え?」
「今の内に、君に話しておかなければならない事がある。
 それを話すしかない事を、私は謝らなければならない」
「何を、ですか?」
「…………嫌な話さ」

窓の外に視線を向けたままで、吐き捨てるように命は続けた。

「もしもの話だ。
 愚弟が人間に戻れず、完全にパーゼストになった時の話」
「……!!」
「そうなった時は、誰かがアイツを殺さなければならない」
「そうならない為に、明日があるんでしょう……?!」
「ああ、勿論だ。
 だが、そうなる可能性も、確かにあるんだ……」

陰鬱な声。
それでも、まだ感情を隠している。

祐一には、はっきりとそれが伝わっていた。

握り締めた命の拳。
その中から、ポタリポタリと、血が零れ落ちていたから。

「その時の始末は……私がつけるつもりだ。
 ただ、万が一。
 万が一にも、私にそれができなくなった時は……覚悟していてくれ」

その言葉の意味を、はっきりと祐一は理解した。

もしも、紫雲が本当に化物になったら。
もしも、その時、命が始末をつけられなかったら。

その時は。

(……俺の、この手で……?)

冗談じゃない。
できる筈なんかない。

そう言うのは容易い。

だが、目の前に立つのは、紫雲の姉。
その彼女が率先して「始末をつける」と言っている。

……本当に、弟を大事に思っているこの人が、だ。

(できないなんて、言える筈無いじゃないか……!)

容易にそれを口にすれば、それは眼前の人間の決意を侮辱する事だ。

それを一番に否定したいのは、他ならない命自身だった筈だから。

例え、それが残酷で、非人間的な決断でも。
そこにある感情は、覚悟は、紛れもなく本物だから。

「……優しいな、君は」

命は振り向いて、笑った。
それがあまりにも穏やかで優しく……だからこそ、悲しかった。

「本当にすまない。
 もし、そうなったら、私を好きにしてくれていい。
 憎もうが、殺そうが、君の自由だ。
 ただ、どんな結果に終わったとしても、忘れないでほしい。
 あの時の愚弟は……君に『そう』される事を望んでいた。
 他ならぬ、ある意味ただ一人の仲間である……仮面ライダーである君に。
 だから、あれは君に何も語らず、君から逃げもしなかったんだ。
 その状況は舞君に聞いただけだが、私はそう思うよ」
「……!!」
「そして、もう一つ。
 散々言っておいて今更かもしれないが、あくまでも万が一だという事。
 君が……『それ』をできないと思っていてくれるのであれば……明日、存分に力を貸してくれ。
 今日ここに来てくれた誰にとっても最悪の事態を回避する為に」

静かな懇願。
それでいて、強い願い。

祐一はそれを確かに受け止めて、しっかりと頷き返した。

(……そうだ)

命に紫雲を始末なんかさせない。
自分もしない。
その為に、為すべき事を為せばいい。
それだけの事だ。

(……待ってろよ、馬鹿草薙……!)

心の内で吐き出して、祐一は気迫を高めた。





『万が一にも、私にそれができなくなった時は……覚悟していてくれ』





その先の思考を、あえて凍らせたままで。







……続く。







次回予告。

紫雲を救うべく動く祐一達。
だが、それを嘲笑うかのように、最凶の戦力がそれを阻む。

圧倒的なまでの絶望の中。
草薙紫雲は、仮面ライダーエグザイルは甦る事ができるのか……?

乞うご期待、はご自由に!!





第十九話はもうしばらくお待ちください