第十二話 ベルトの行方(前編)
「秋子さん……?!!」
そこにいた女性の姿を見て、祐一は思わず呟いていた。
そこにいるのは自分の叔母であり、名雪の母親でもある女性。
北の街にいた頃、祐一にとっても大切な家族だった人。
だが、何故、彼女が今ここにいるのか。
そして、さっきの言葉はどういう意味なのか。
祐一にはサッパリ分からなかった。
「……貴女は、一体……?」
サッパリ分からないという事に関しては敬介も同じだったらしい。
彼もまた半ば呆然とした様子だった。
秋子は、そんな敬介に対し穏やかな表情で告げた。
「貴方は、橘敬介さん、ですね?」
「何故僕の名前を……?」
「その事についてもお話しします。
……お二人とも、お時間はありますか?」
そんな秋子の問い掛けに対し、二人は逡巡の後、殆ど同時に首を縦に振った。
「ふむ。それで折原君は?」
『診察室』……聖がそう呼んでいる、レクイエムが管理している施設の一室。
その部屋の中で、聖は作業の合い間に呟いた。
聖の後ろに立つシュンは肩をすくめつつ、言った。
「実に不機嫌そうに東京に帰りましたよ。
『彼女』の顔見て気分直さないとやってられるか……だそうです」
実際にはそんなにはっきりとは言っていないが、シュンにはそう言っているようにしか感じられなかった。
その辺りは聖にも分かっているので、彼女は苦笑した。
「あ、それとデータまとめておきましたからどうぞ」
「うむ。ご苦労さん」
シュンの役目は、浩平の監視及び戦闘データの取得にある。
彼は今回手に入れたタイガーパーゼスト、及びエグザイルとの戦闘をすでにデータ化していた。
「……やはり向こうのベルトは侮れないようだな」
画面上に数値化されたエグザイルの能力。
それは、予想された数値を上回っていた。
「いくらか予想はしていたが……初期データから算出された予測値とまるで違う。
所持者である草薙紫雲によるものなのか、それともベルトによるものなのか……
いずれにせよ、見直しが必要になるかもしれないな。
『むこう』についても、『こちら』についても」
「……ですが、大差があるわけではありませんよ。それに、どうやら欠点もあるようですし」
あの状況で浩平を追って来なかった事。
それは、追って来れなかった、のではないのか……シュンはそう推察していた。
もしそこに何らかの不測事態があるとするなら、付け込む隙は十分にある。
「ふむ……その点については、調査をしないと分からないな。
……ところで」
「なんですか?」
「折原君の行動について……本当に何の問題にもならなかったのか?」
「それについては尋問が行われましたけど……大丈夫でしたよ。
彼は自分の契約内容について、常にはっきりと明言してましたからね。
報告書にもそう書きましたから」
「……そうか……」
「心配ですか?」
「彼に言わせれば、似たもの同士、らしいからな」
「それを言うならレクイエムに所属する人間は皆そうですよ。
だからこそ、僕たちは協力し合うことができる」
「まあ、そうだな」
レクイエムに所属する人間達。
その大半は自分の求めるものを手に入れるために組織に付き従っている人間だった。
自分の目的に走る彼らだが、仲間内の繋がりは決して悪くない。
彼らは知っている。
自分達に仲違いをしている暇などなく、手を組んででも一つ一つ確実に任務をこなした方が目的に近付けるという事を。
この組織に妙な結束力があるのは、その辺りに理由があった。
「……そういえば」
そんな事を考えたからか、聖に脳裏にある事が思い浮かんだ。
その『ある事』を、聖はなんとなく口にした。
「君が何故レクイエムにいるのか、聞いた事はなかったな……あ、いや単なる興味だから聞き流してくれていいんだが」
「……それについては、いずれお話しますよ」
そう告げたシュンは微かな笑みを浮かべ、聖に背を向けた。
それ以上の感情を、悟られないように。
病院のロビーの片隅に三人は座っていた。
面会時間が終るにはまだ時間がある。
だが面会の人間自体が少なくなってくる、そんな時間帯。
心配をさせる事のないように、一時病室に戻った後、祐一は名雪に、敬介は観鈴に断わってから、ここにいた。
祐一は秋子の事を名雪には伝えなかった。
なんとなく伝える事ができなかった。
「……まず何処から話すべきなのかしら」
頬に手を当てるその姿は、祐一のよく知る水瀬秋子だ。
それゆえに、祐一は逆に混乱を感じていた。
……その混乱も、名雪に話せなかった理由なのかもしれない。
そんな思考を続ける中、秋子が声を掛けた。
「祐一さん、何か質問はないかしら?」
祐一の混乱を見透かした様に。
そして、それを解消しようとするかの様に。
……その問い掛けで、祐一はようやっと確信を得た。
目の前の水瀬秋子は、紛れもなく水瀬秋子。
鋭い洞察力を優しさの方向に使う事ができる……そんな女性。
そうやって納得できた祐一は、躊躇いながらも質問を生み出した。
「……じゃあ、その。さっき『私からもお願いします』って言いましたよね。
あれは、どういう意味なんですか?
秋子さんは一体……」
「そうね。そこから話す事にしましょうか」
そう言うと、秋子は居住まいを正した後、二人に交互に視線を向けてから口を開いた。
「単刀直入に言うわ。
祐一さん。貴方の持つベルトを、私たちに返してくれないかしら。
……私は、ソレを貴方に告げるためにここに来たの」
「……?!」
「返す……それは、そのベルトの持ち主が、貴方という解釈をしていいのかな」
敬介の質問に、ごく当たり前であるように秋子は答えた。
「正確には私の所属する組織の所有物です。
何故なら、その組織がベルトを開発したのですから」
「!」
その言葉は、祐一の心にそれなりの動揺を生んだ。
祐一の知る水瀬秋子は、母親だった。
名雪の母親であり、ここにはいない元妖狐の少女の母親だ。
それ以外の事は知らなかった。
知ろうとは思わなかった。
それは、その必要が無かったから。
どんな仕事や一面を持っていても、祐一にとって水瀬秋子は家族だったから。
しかし、その知らなかった事、知ろうと思わなかった事が、今の自分に大きく関わろうとしている。
それで感じる所が何もない、というのはありえないだろう。
知る必要や意味が無くても、疑問に思わなかったわけではないのだから。
だが、決して予測するのが不可能な事ではなかった。
何故なら、そもそもベルトを送ってきたのは、祐一自身の両親……さらに言えば、秋子と実の姉妹である自分の母……なのだ。
何かしらの事情を知り、何かしらの繋がりがある可能性は決して低くない。
そこで、祐一は気付いた。
そして生まれた疑問をそのまま口にした。
「親父達も……その組織……に所属してるんですか……?」
「……その事については、いずれ姉さん達自身が話してくれるでしょう。
そういう人達だという事は、祐一さんが一番知っているんじゃないかしら」
穏やかな表情で言われて、祐一は成る程、と納得した。
そして、その納得は多少なりとも心の平静を取り戻すのに十分なものだった。
自分の両親は、家族の問題を他の誰かには委ねたりしない。
そういう親だという事は、秋子の言う通り、他ならぬ自分がよく知っている。
「……ですね。話の腰を折ってすみません。続けてください」
この場にいるのが自分だけならともかく、ここには敬介もいる。
自分同様、彼にも知りたい事があるのだろう。
彼の必死の懇願を見ている以上、それを無視できない……祐一はそう考えていた。
その祐一の考えを汲んで、秋子は話を再開した。
「私が所属している、その組織の名前は……ファントム。
亡霊とも呼ばれているこの組織の目的は、人が理解できない、人に仇為す存在に対抗する事です」
「……そんな組織の一員が、何故僕の名前を知っているんだ?」
さっきから考えていた疑問をようやく口にできた事に微かに安堵しながら、敬介は言った。
「知っている、というか……その辺りは、明日にでも渡される事になっている辞令と書類を読んでいただければ分かる事なのですが…………警察と亡霊は今後、協力し合う事になっていて、その一環として貴方は私と行動を共にしていただく事になっているからです」
「な……?!」
それはあまりにも唐突かつ突拍子もない言葉で、敬介は言葉を失った。
秋子はそんな彼に静かな、その中に何処か鋭さを含ませた視線を向けた。
「……信じ難い事だというのは、理解できるつもりです。
ですが、亡霊と警察は、国の機関であり、人を護る為の機関という面で見れば同じモノです。
違いは、存在が明らかにされているかいないか、ぐらいでしかありません。
ですから、この場においては信頼できなくても、今後の為にも信用していただけると助かります」
「……」
正直、会ったばかりの人間を信頼できる方がおかしい。
だが辞令が渡されるかどうかは、明日分かる。
それまでは信じた振りをすれば十分だと、敬介は判断した。
「……努力するよ」
「それで……ベルトを返して欲しいというのはどういう事なんですか?」
頷いた敬介を一瞥した後に、祐一が問い掛けた。
突拍子もない、という事に関しては祐一も同じだが、ここ最近そういう事ばかりだったので祐一は非現実的な事に慣れつつあった。
「祐一さんは、ベルトを返して欲しい理由を紫雲さんから聞いていないのかしら」
「あいつの事、知ってるんですか?」
「彼は……ファントムに協力してもらっているから、よく知っているわ」
「そうですか……
……あいつからは、反因子がどうとか、ベルトの研究は必要だとかしか聞いてないですけど……」
美凪がパーゼストになりかけた時の事を思い返して、祐一は言った。
「そうね。返却要請の理由としてはアンチプログラム研究の必要性の部分もあるわ。
それは確かに必要な研究だけど……それだけじゃないの。今となってはね」
「じゃあ、他に何が……?」
「祐一さん。
貴方はそのベルトで、今まで幾度となくパーゼストと戦って、何か感じた事はない?」
パーゼスト。
人間に憑依し、人間を殺す化物。
最初に遭遇した時からずっと考えていた事。
忘れる事ができなかった事。
それは。
「生身の人間じゃ、どうやってもあいつらには勝てない……俺は、そう感じ続けてます」
祐一の答に、秋子は深く頷いた。
それは自分の意図したとおりの答だったから。
「……そういう事です。
その上、潜在的な彼らの個体数、能力は未知数。
今はどうにか対応できていますが、彼らが圧倒的に増え始めたら……」
「だからこそ、より相応しいベルトの場所、持ち主を考えなければならない、という訳か」
「……!」
押し黙りかけた秋子の代わりを務めるような敬介の言葉に、祐一は息を飲んだ。
それに気付きながらも構う事無く、敬介は言葉を続ける。
「そういう事なんだろう?」
「ええ。
……祐一さんが不足ということではないのよ。
祐一さんは今まで本当によく戦ってくれている……少なくとも私はそう思っているわ。
でも、周囲はそれで納得してはくれないの」
「……だろうね。
僕は今までの話からでしか推測できないから、間違っていたら済まないが……君がベルトを手に入れたのは偶然のようなものなんだろう?」
「それがなんだって言うんだよ……」
「偶然手に入れた『強力な武器』を、素人が振り回す……それは、ひどく危険な事だ」
一人の警官として、敬介にはそれがよく理解できた。
銃や刃物を持つと、人は変わる。
それらは簡単に人を傷つける事ができるからだ。
ましてや、それが人間を遥かに越える様な力なら……尚更だ。
「例え、君自身に問題が無くても周囲は納得しないだろうね。
君がそのベルトの開発に何かしらの形で関わっていたのならともかく、正式に決められた訳でもなく、全くの無関係で所有しているのなら……その判断は実に納得がいくよ」
それは、子供に与えられていた危険な玩具を取り上げるという事。
……祐一にはそう言っているように感じ取れたし、事実その通りなのだろう。
「……それが一つです。
そして、ベルトの簡易量産を行う研究のためというのも理由の一つです」
その答は祐一の予想した内の一つだった。
パーゼストの個体数が未知数であるならば、その事を考えないわけにはいかないだろう。
だから、あまり驚きはなかったのだが……
「そして、最後の理由。
それは、先程橘さんが言った様に相応しい持ち主に委ねる為。
ベルトの力を十分に発揮できる、決意と資格と能力を持ったヒトに。
…………私達ファントムも、私達が選んだ候補の人も、それを望んでいるわ」
その言葉で、祐一はもう一度息を呑んだ。
『いつか、お前以上にそれを使えて、その資質とかがある奴が現れたら……ベルトはそいつに譲れよ。
……今、俺がそうしたように』
そんな北川の言葉を、思い出したからだ。
……そう、今、その時が来ているのだ。
「…………なら、草薙の奴はどうなんですか……?」
何故自分ばかりが、そんな気持ちが僅かにあったのかも知れない。
それでも、祐一は聞かずにはいられなかった。
「アイツだって元々普通の奴だったんでしょう?なのに……」
紫雲を知らない敬介は怪訝な表情を浮かべたが、それを半ば無視して秋子は答えた。
「……体内にベルトを取り込んでいる紫雲さんは、ベルトを除去する事ができないの……
そうでなければ、私は彼に戦いを強いるつもりはなかった……
祐一さんにしても、姉さんがベルトを送り付けたりさえしなければ戦う事も無かった……!」
「秋子、さん……?」
そこに生まれ出た秋子の表情は、今まで祐一が見たことのない、苦渋のものだった。
「私は、貴方達を戦いに巻き込みたくなんてなかった……
こんな血生臭い事は、私たち大人が片付けるべき事なのに…………」
「……」
祐一は『自分達から首を突っ込んだ』と否定したかった。
でも、できなかった。
秋子の顔が、それをさせなかった。躊躇わせていた。
それは、それほどまでに重い……大人の顔だった。
「……勿論、祐一さんが強い決意で今まで戦ってくれた事は知っている……
でも。だからこそ、その事を踏まえた上でお願いするわ。
ベルトを一時的にでも返却してくれないかしら」
その言葉に、祐一は。
「……考えさせてもらえませんか?」
その言葉を呟くのが、精一杯だった。
「橘さん。そういった事からベルトを私達に返却する事は警察側も同意しています。
今の所、ベルトの研究にせよ、適性を見出すにせよ、私達以外には難しい事だからです。
ですから……」
「ああ、分かっているよ。……現状ではそれが最良のようだし」
秋子の言葉に敬介は頷いた。
去っていく祐一の後ろ姿を眺めながら、二人は会話を交わしていた。
その心中には、様々なモノが渦巻いていた。
「……彼は、どうすると思う?」
「分かりません。
ただ、できれば納得してベルトを渡してもらいたい……私としてはそれだけです」
「難しいと思うよ、それは」
祐一が決意を持って戦ってきたのなら、それは尚更だろう……敬介はそう考えていた。
そして、秋子もまた同じ事を考えていた。
……だが、それを簡単に認めるわけにはいかない。
(……直接話し合ってもらった方がいいかもしれないわね……)
内心でそう呟いて、秋子は携帯電話を取り出した。
ファントムが選定した、ベルト所持候補者に連絡を取る為に。
祐一は、自室のベッドに横になり、天井を眺めていた。
昨日今日と大学を自主休講気味にしながら、考え込んでいる。
『……三日間。それだけ待ちます』
そんな秋子の言葉を聞いて、既に二日。
だが、祐一は答を出せないでいた。
「……ふぅ……」
戦う決意を忘れたわけではない。
ハイ・パーゼストとの戦いを経て、祐一は恐怖を知りながらも、それと隣り合わせに戦う事を知った。
だが、あの時とは状況が違う。
ベルトの本当の所在が明らかになり。
本当に使うべき者を、ベルトを作った人間達が見出そうとしている。
それを理解しているから、ただ戦う事を主張するのは単なる我侭ではないのか……祐一はそう考えていた。
だが、だからと言ってあっさりとベルトを渡す気になるかというと。
「……北川や草薙に何て言えばいいんだっての……」
今までベルトを他の誰かに委ねる事を強行に否定し戦ってきた以上、あっさりと手放す事は彼らへの裏切りのような、そんな気もしていた。
だが、それこそ単なる我侭なのかもしれないのだ。
……そうやって、祐一は思考の堂々巡りを繰り返していた。
そんな祐一の思考を遮るように、電話の音が鳴った。
携帯ではなく自宅備え付けの方が鳴るのは久しぶり……そんな事を考えながら祐一は受話器を取った。
「はい、相沢です」
『……』
「あの、どちらさまですか?」
『……』
その問い掛けにも、受話器の向こうはただ無言だった。
「あのな。悪戯電話なら他でやって……」
『祐一』
自分の名前を知っている……という軽い驚きもあった。
だが、それよりも祐一は聞き覚えのあるその声の主に驚いた。
「舞か?」
『……はちみつくまさん』
その言葉……祐一自身が『はい』の意思表示の時に使うようにと無理矢理教え込んだ、その言葉で確信する。
受話器の向こうに立つのは、川澄舞という名の女性。
自分が通っていた高校で知り合い、僅かながら同じ季節を過ごした一つ年上の友人。
卒業後、彼女の親友である倉田佐祐理と一緒の大学に進学した後は連絡があまりなかったのだが……
「元気か?佐祐理さんはどうしてる?っていうか、なんで俺の電話番号知ってるんだよ」
久しぶりだったためか、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ自分に気付きながら祐一は電話の向こうに呼び掛けた。
『……祐一、今、時間はある?』
「お前。人の話を聞く気あるか?」
『ある?ない?』
「……まあ、ないわけじゃないけど……」
『なら話がしたい。場所は喫茶店”Lastregrets”。祐一の大学に近いからすぐ分かる』
「おい、舞」
『待ってるから』
「って、おい。まだ返事……」
そこで向こうの電話は切られた。
後は、ツー、ツーと音が鳴るばかり。
「……相変わらず脈略がないというか我が道を行くというか……まあ、舞らしいっちゃらしいか……」
受話器を置きながら、祐一は溜息をついた。
さて、どうしたものか。
考えてはみたが、祐一の中では既に答は決まっていた。
(……気分転換になるかもしれないからな……)
手早く準備を済ませて、祐一は寮の外に出た。
「……ん?」
ふと視線を向けたその先。
寮の入口に一台のサイドカーが停まっていた。
「へえ、サイドカーなんて……」
「珍しいか?」
掛かった声に振り向くと、一人の青年が立っていた。
祐一はその顔に見覚えがあった。
向こうもそうだったらしく、眉間に皺を寄せながら言った。
「お前は……確か七瀬の講義仲間の……相沢、だったか?」
「ああ。相沢祐一だ。そういうアンタは……確か長森と付き合ってる男その一」
認識そのままの祐一の言葉に、浩平は顔を引きつらせた。
「折原浩平だっての。って、まだ名乗ってなかったか」
「そうだろ。俺のせいにしないでくれ」
「だからってその一はないだろその一は」
「まあ、それは置いといて……いいな、これ」
半ば誤魔化すようにサイドカーを指差して、祐一は言った。
愛車を褒められあっさりと誤魔化された浩平は、自慢げにうんうんと頷いた。
「そうだろ。サイドカーなんて中々取り扱ってないからな、探すのに苦労したぜ」
「だろうな。でも、どうしてサイドカーなんだよ」
「俺は車よりバイクが好きだ。でもバイクだと二人乗りは面倒だったり危なかったりするからな」
「……ほぉ」
言外に惚気られているのでは……祐一はそんな視線を浩平に向けた。
その視線に気付いた浩平は、苦笑を浮かべた。
「あーまあ……サイドカーなんて、サイドシートに乗せる奴がいてこそだろ?」
言って、浩平はポンポンとサイドカーを軽く叩くように触れた。
少し照れながらのその言葉には、迷いや躊躇いは感じられない。
ただ真っ直ぐに彼女の事を思っているような、そんな気がした。
「浩平、お待たせー」
その声と一緒に寮の中から現れたのは、長森瑞佳だった。
彼女は祐一の存在に気付くと、穏やかに笑いかける。
「あ、こんにちわ」
「よう。今からデートなんだって?」
祐一の問いに、瑞佳はわたわたと落ち着かない様子を見せつつ、頷いた。
その様子は素直に可愛いと思えたし、祐一の脳裏に名雪の姿を思い起こさせた。
だから、浩平が探すのに苦労してまでサイドカー購入に踏み切った事に心から納得した。
「……んじゃ、な」
「じゃあな」
簡単に別れの言葉を交わし、サイドカーに乗った二人は去っていった。
それを見届けた祐一は思わず呟く。
「……俺もサイドカー買おうかな……って、そんな場合じゃなかったな」
自分の予定を思い出した祐一は自分のバイクを取りに行くべく駐輪場に足を向けた。
「んで、まず何処に行く?」
運転しながらの浩平の言葉。
それは誰が聞いても上機嫌のものだった。
……まあ、彼にしてみれば念願がようやっと叶ったのだから当然だろう。
そんな浩平に、瑞佳は少し声を張り上げて答える。
……そうしないと走行中の風で声が聞こえなかったりするからだ。
「あ、うんー!実はねー!」
瑞佳は、考えていた場所を浩平に告げた。
「たいやきたいやき〜」
そう歌うように口ずさみながら歩く制服姿のあゆ。
その後ろには、苦笑を浮かべる紫雲がいた。
紫雲は数日前の『心配させたお詫び』を返すべく、この日、この時であゆと約束を交わしていた。
その『お詫び』内容は……
「んじゃあ、鯛焼きを奢って。それで一緒に食べよ」
というものだった。
季節がら探すのは難しい、だがそれゆえに詫びを返すには丁度いい……と考えていた紫雲だったが、提案者であるあゆがこの時期も続けている鯛焼き屋を知っていたので、拍子抜けしてしまった。
この先にある、土手の上の公園。
そこにその鯛焼き屋の屋台はあるという。
「……でも、鯛焼きでよかったの?
もっと高いものでも別にいいのに……」
内心では安く済みそうでホッとしているが、遠慮しているのではないかとか、やはり詫びとしては足りないのではないかとかが気になってしまう辺りが紫雲だった。
そんな紫雲に、あゆは無邪気な笑顔を向けた。
それは紫雲の頑なな部分をあっさりと溶かしてしまうぐらいに、本当に無邪気な笑顔だった。
「いいんだよ。ボク鯛焼き大好きなんだから」
「…………そっか」
「それに、たくさん食べるからね」
「……どれくらい?」
「十個二十個は買いたいよね」
「……ふむ。鯛焼き屋さんが困らないかな……」
そんな会話を交わしながら歩いていると、二人は土手に到着した。
そこには公園の名前が書かれた看板が建てられている。
と、そこに一台のサイドカーが停車した。
ここから公園に入るには、ここに駐車せざるを得ないのだろう。
「へーサイドカーか……」
そのサイドカーを見て、紫雲はぼんやりと呟く。
だが、そのぼんやりさはあゆの言葉で霧散する事となる。
「あれ?あのサイドカー……折原君のじゃなかったかな?」
「なに……?!」
「うーんと……あ、やっぱりそうみたい」
あゆと同じ様に遠目というには微妙に近い距離で眺める。
サイドカーから降りた二人の人間の姿……それは紛れもなく、紫雲の見知った長森瑞佳と折原浩平だった。
……こんな所で出会う事になろうとは……まったくもって予想していなかった。
どうしたものか……紫雲が思考しかけたその瞬間。
「折原くーん」
「あ、ちょ……」
制止の声は間に合わず、あゆは浩平たちに駆け寄り、何やら話し始めた。
……知り合いである説明と自己紹介でもやっているのかもしれない。
(……いっそ、知らん振りして帰ろうか……)
そう考えたりもしたのだが。
「草薙くーん!何してるのー!こっちにおいでよー!」
ブンブン手を振るあゆを無視する事はできそうになく。
諦めて、紫雲は三人の方に向かって歩いていった。
途中で上機嫌だった浩平の顔が嫌そうに歪むのは見えていたが、どうしようもなかった。
「長森さん、こんにちは」
「こんにちは」
「……やぁ」
「……よぉ」
無論というか当然というか。
浩平と紫雲の間に流れる空気は重苦しいものだった。
「……」
「……」
「どうしたの浩平」
「草薙君?」
「……なんでもない」
「ああ、そうだよ」
とりあえずはそう答えるしかない二人だった。
「ところで二人とも何処に行く所だったの?」
「あのね。この先にこの季節でも鯛焼きを売ってる屋台があるからそこに行こうと思ってたんだ。
浩平、甘党だし」
「わー奇遇だね。ボクたちもそこに行くつもりだったんだ。……って、どうしたの二人とも?」
行く先を聞いた二人の表情は、ほぼ同時に硬化した。
できれば係わり合いになりたくなかったのだが、行く先が同じだというのに別々に行くのは、自分の連れの性格を考慮すると難しい所だったからだ。
「浩平どうかしたの?さっきまで乗り気だったのに」
「……う、いや」
瑞佳の、浩平に向ける心配そうな視線に気付いて、紫雲は、ふむ、と考え込んだ。
(このままって訳には行かないか……)
「……あーところで」
場を整えるように、頭を掻きながら紫雲は言った。
「皆喉乾いてない?。
鯛焼きを食べる前にジュースを買って来ようと思うんだけど……」
「そうだね。甘いもの食べると喉乾いちゃいそうだし」
瑞佳が同意した事をこれ幸いとばかりに、紫雲は言葉を並べ立てる。
「じゃあ、さっき自販機を見かけたからそこで買って来る。折原君、手伝ってくれ」
「……ああ」
紫雲の考えをある程度読んでか、浩平は素直に頷いた。
「二人は先に行って鯛焼きを買っておいてくれる?」
「え?ここで待ってるよ」
「……その方が時間無駄にならないからさ。頼むよ」
「それもそうかな」
苦し紛れの言い訳だったが、納得してもらえたらしい。
あゆと瑞佳の二人は、何かを話し、談笑しながら土手を上がっていった。
それを見届けた二人は、少し離れた自販機に向かった。
理由としてのジュースを適当に買った後、二人は静かに対峙した。
「この間はよくもやってくれたな」
ジュースを入れたバッグを片手にぶら下げて、浩平は言った。
……そのバッグの中にはベルトも入っている。
戦闘の準備は万端だった。
「お互い様だろ」
体内にベルトを持つ紫雲もそれは同じだった。
殺気に近い空気が辺りに張り詰める。
だが。
「……でも、今は休戦だ」
その気配を、紫雲は霧散させた。
浩平も戸惑いながら、警戒を解く。
「……」
「彼女達に余計な心配を掛けたくない。……それは君も同じじゃないか?」
「……いちいち理屈臭い奴だな、お前」
だが、紫雲の意見は同意できる。
いずれ戦わなければならないのかもしれないが、それは今でなくてもいい。
瑞佳がいる、今のこの場所でなくても。
「……分かったよ。だが借りは確実に返す……」
浩平が言い掛けた瞬間。
二人の頭に『あの感覚』が流れ込んできた。
「……パーゼストか……!」
舞と約束した喫茶店に向かっていた祐一は、バイクを道路の端に寄せて停車した。
小型ディスプレイには緑色の光点が点滅を繰り返している。
光点が示す場所を確認する。
その場所は、舞と約束した場所と方向は同じだが、距離的には少し離れていた。
「……悪いな、舞。少し待たせることになりそうだ」
祐一はそう呟いて、取り出したベルトを巻き付けた。
近くに紫雲がいるかどうかは分からない。
……紫雲はその体内に鍵を取り込んでいるので、変身しない限り自分の持っている鍵のようにサーチできないのである。
確かに迷ってはいる。
だが『いま』ベルトを持っているのが自分である以上、紫雲が間に合うか分からない以上、戦う事そのものに迷いはなかった。
「……変身!」
閃光と共にカノンに変身した祐一は、パーゼストを示す光点の方向へ向かった。
……そこで起こる事を知る由もなく。
土手の階段を上がりきり、目的の場所……鯛焼き屋に向かう途中。
あゆと瑞佳は、その存在に遭遇した。
異形の存在……スラッグパーゼストに。
「な、何、あれ……?!」
パーゼストに始めて遭遇した瑞佳は、その顔に困惑を浮かべていた。
何度か見ているあゆも、動揺こそ少ないものの、微かに恐怖していたが……
「だ、大丈夫だよ。すぐに、来てくれるから……」
その基となったナメクジの様に、その体表面をぬめらせたスラッグパーゼストから目を離さないようにじりじりと後ずさりつつあゆは言った。
何が来るというのか。
来てくれるというのか。
そんな混乱の中で、あゆと同じ様に動きながら瑞佳は呟く。
「何が……?」
「……仮面ライダー、だよ」
その言葉に瑞佳が眉を寄せた……その時。
「くらえっ!!」
空を切って、飛んできた何かがスラッグパーゼストの頭に当たる。
地面に転がったそれは、ジュースの缶だった。
そのジュースと声が飛んできた方向に振り向くと、こっちに向かって走る紫雲と浩平の姿があった。
二人は、パーゼストが自分達に意識を向ける僅かな隙を縫って、あゆと瑞佳を護る様にパーゼストの前に立ち塞がる。
「瑞佳!!大丈夫か!」
「う、うん……」
「そうか……」
瑞佳に怪我がない事を確認した浩平は安堵の表情を浮かべる。
「月宮は?」
「うぐぅ……ついでみたいに言わないでよ」
「元気そうでなによりだ。なら……」
浩平の表情が、怒りに変わる。
それは瑞佳を恐怖させた事への怒り。
怒りからベルトを取り出しかけて……浩平の動きが止まった。
その視線は、一瞬だけ瑞佳に向けられる。
浮かび上がった思考……それは、瑞佳に変身を見られる事の躊躇いだった。
変身。
ベルト。
そして、それに連なるレクイエム。
説明を求められた時、自分は嘘をつけるだろうか……いや、できない。
それが分かっているが故の停止だった。
勿論、瑞佳を護るのなら戦わねばならない。
そこに迷いなどはない。
だが、そうする事で瑞佳の心に疑念が生まれるだろう。
そうなったら、自分達の関係は。
(……っ……)
瑞佳が一番大切だからこそ、生まれる躊躇い。
その事に浩平が逡巡していた、その瞬間。
「……変身!!」
その声と共に、紫雲の姿が変わる。
紫の閃光の中から、仮面ライダーエグザイルの姿が浮かび上がった。
その姿を始めて見た瑞佳は息を飲む。
エグザイルは一歩踏み出した後、振り返って叫んだ。
「……折原君、月宮さんと長森さんを頼む!!」
「!!」
紫雲には浩平の気持ちを完全に理解する事はできない。
それでも、浩平が感じた躊躇いには気付いた。
紫雲にとってレクイエムは敵で、そこに所属する浩平も敵だ。
だが折原浩平個人を紫雲は憎んでいるわけではない。
そして、何も知らない瑞佳を巻き込む事は紫雲にとっても本意ではない。
そう考えた末の紫雲の言葉が、浩平の硬直を解いた。
浩平は表情を歪めながら……頷いた。
「…………分かった。瑞佳、月宮、行くぞ」
「う、うん……」
「草薙君、負けないでね!」
事態についていけない瑞佳と、声援を送るあゆを連れて浩平は走り出す。
そこを目掛けて、スラッグパーゼストはかろうじて顔部分と認識できる部位から液体を吐き出した。
だが、それはエグザイルの閃光を纏った拳によって迎撃され、浩平たちに届く事はなかった。
「勘違いするな……お前の相手は、僕だ」
エグザイルは戦意を高めるべく掌に拳を叩き付けて、一分の隙もない構えを見せた。
「……」
三人は土手を降りきった後も、暫く走った。
パーゼストから逃げる為に。
紫雲が戦っている間だけでも安全であるように。
そんな中。
浩平は足を止めて、その場に立ち尽くした。
心の中に渦巻く感情が、その足を止めさせていた。
「浩平……?」
「折原君?」
それに気付いた二人は足を止めて、浩平の顔を見詰め……微かに息を飲んだ。
浩平の顔に浮かぶ憤怒……その険しさがそうさせた。
「……気に、くわねえ……」
事実を認めるように、浩平は呟いた。
元々借りがある相手に対し、再び借りを作った自分。
一番大切なものを護る為に得た力を使う事を躊躇った自分。
それは、彼にとってひどく気に食わない事だった。
「…………く、そっ……」
葛藤の末に、浩平が見つけ出した結論。
それは。
「…………瑞佳。寮に戻っててくれ。月宮、瑞佳を頼む」
「何言ってるの……?一緒に逃げようよ……っ……!」
そう言って瑞佳は浩平の腕を掴んだ。
あゆは、そこにある空気に阻まれて、ただそれを見ているしかできなかった。
浩平は自分の腕を掴む瑞佳の感触を感じた。
……いつもなら、その手を離したりはしない。
だが、今の浩平は、その手を取るわけにはいかなかった。
弱い自分を認めるわけにはいかない。
自分が弱ければ、誰が瑞佳を護るというのか。
自分は、常に強くなければならないはずだ……!!
その思考が、意志が、浩平を突き動かした。
「……悪い、瑞佳」
浩平は瑞佳の腕を優しく解いた。
彼女を護る為に、護る自分である為に。
「浩平……!?」
「放っておけないんだよ」
それは紫雲の事ではない。
弱い自分自身の事だ。
「すぐ、戻る」
そう言い残し、瑞佳に背を向けて、浩平は駆け出した。
走りながら、ベルトを巻きつけ、宣言する……!!
「……変身……!!」
「はあっ!!」
エグザイルの拳に吹き飛ばされ、パーゼストは地面を転がる。
……戦いが始まって数分。既に勝負は決していた。
「……はっ!」
跳躍し、紫の光を湛えた右足を解き放つエグザイル!!
「juhyuji!!」
パーゼストは自身の持つぬめりと弾力のある身体でそれを防ごうとするが、それを見越して一点に凝縮された力の前には無意味だった。
組んだ両腕を貫かれ、その胸にエネルギーの流れを叩き込まれたパーゼストは、悲鳴を上げる間も無く消滅した。
「……ふぅ……」
戦いの終わりに、エグザイルは息を吐く。
そこに。
「……倒したんだな……」
「ああ……」
掛けられた声に、エグザイルは振り向く。
そこには、数日前戦い合ったアームズの姿があった。
アームズは、エグザイルに近付くと、戦闘体勢を取った。
それは明らかに自分に対するもので、エグザイルは困惑した。
「……何……?」
「じゃあ……次は俺の相手をしてもらおうかな」
「……何を、言ってるんだ?」
浩平の言葉を理解できず、エグザイル……紫雲は戸惑いの声を上げた。
それに対し、アームズ……浩平は自嘲的な声で告げた。
「分かってるよ。
俺だって、本当はそんな気分じゃないさ。
だが、だからこそなんだよ。ここで借りを返しておかないと……俺はお前に感謝もできないんでな」
分かっている。
今戦いを挑む意味などない事は。
さっきだって、そう思ったからこそ紫雲の休戦を受けた。
それでも、今、戦わないわけにはいかなかった。
紫雲の心遣いに素直に感謝がしたい。
でも、借りを作ったままでは、心からそれはできない。
そして何より弱い自分ではいられない。
護る為に、強くあらねばならないから。
だから。
戦わなければ、ならない。
借りを返す、ただそれだけのために。
「悪いが、馬鹿の相手をすると思って諦めてくれ」
浩平の言葉。
それは、男として理解できる心情。
ゆえに、紫雲にはこう答えるしかできなかった。
「…………分かった」
呟いて紫雲……エグザイルが構える。
自分の馬鹿さ加減に、二人とも内心で笑っていた。
そうして、二人が対峙した……その時。
「ぐ……っ!!」
紫雲の身体を、痛みが疾走した。
拒絶反応。
それはいつもよりも深く、紫雲は意識を保つ事はできなかった。
「……ぅ」
変身が解除されながら、紫雲は倒れた。
「おい、どうした……?!!」
紫雲にとっては当然の痛みだが、浩平に取っては始めて見るものでしかない。
言いながら駆け寄りかけた……そこに。
排気音と共に、カノンを乗せたクリムゾンハウンドが到着した。
「な……?」
カノン……祐一の口から、動揺から生まれた言葉にならない言葉が零れる。
草薙紫雲が倒れている。
そして、そこには以前一度だけ見かけた『ライダー』。
……並みのパーゼストで紫雲は倒せない事を、祐一は知っている。
自分を圧倒したその強さを、知っている。
だから「それ」ができるとすれば。
「……っ!!お前!!」
祐一……カノンは、バイクから降りると同時に、アームズに飛び掛った。
アームズとカノンは掴み合い、地面を転がる。
「ち!!なんだお前!!」
力任せにカノンを引き剥がし、アームズは起き上がり、距離を取った。
浩平は、紫雲の情報は知っていたが、もう一つのベルトの情報を詳しく知らなかった。
だから一度見ただけの『ライダー』が敵か否か……判断するものを持ち合わせてはいない。
ならどうするか。
決まっている。
襲い掛かってくるというのなら……応戦するだけだ。
「うおおおっ!!」
揮われるカノンの右拳。
それをアームズは左掌で受け止めた。
「く?!」
「ふっ!!」
動揺するカノンの顔面に、アームズの拳が唸りを上げた。
それをまともに喰らったカノンは、ダメージと衝撃から後退を余儀なくされる。
そこへ、アームズの攻撃が続く。
「ち……!」
カノンはそれらを防ぎきっている……かのように見える。
だが、実際は違う。
確かに手足で防御しダメージを最小限に抑えてはいるが、そもそもの力でアームズはカノンを上回っている。
防いでいるように見えても、そのダメージは確実に蓄積しつつあった。
(こうなったら……!)
この状況を打開する方法は一つ。
その方法……リミテッドフォームになるべく、祐一がベルトに手を伸ばしかけた。
その隙を見逃すほど、浩平は未熟ではなかった。
「そこだっ!!」
白光を纏った拳が、カノンの胸に直撃する!!
「ぐ、ぁっ!?」
土手の向こうに弾き飛ばされ。
カノンは、土手を転がりながら、アームズの視界の外に消えた。
「く、そ……」
土手の一番下まで転がり落ちた祐一は、ベルトが外れ、変身が解除されている事に気付いた。
「何処だ……痛ぅ……」
ベルトはすぐに見つかったのだが、アームズの拳が直撃した胸の痛み……それは半端ではなく、祐一は起き上がる事ができないでいた。
だが。
「ち、くしょ……」
紫雲が倒れたままなのだ。
それを放っておく事などできない。
必死に這いずりながら、祐一は転がっていたベルトに近付いていく。
そんな時だった。
遠くから排気音が近付いてくる。
それは、何処か聞き覚えのある音だった。
その音は……祐一の側で停まる。
「なんだ……?」
倒れたまま、祐一はそのバイクを見た。
バイクは、祐一の乗ってきたクリムゾンハウンドによく似ていた。
ただ違うのはそのカラーリング。
祐一のものが白銀色主体であるのに対し、そのバイクは紺色で染め上げられていた。
そのバイクから、誰かが降り立つ。
ライダースーツを着込んだその人物は、バイクから降り立つとメットを取り去った。
すると。
その下から、小さめのリボンでまとめられた黒髪の束が零れ落ちた。
その顔を、祐一は知っていた。
「舞……?!」
そう、そこには。
先程少し話したばかりの。
喫茶店で待ち合わせをしていたはずの、川澄舞がいた。
「……」
「……」
視線を交わすそこに、再会の喜びはない。
二人とも、他の『何か』に気を取られていた。
舞は呆然としていた祐一を一瞥した後、ベルトを拾い上げて腰に巻きつけた。
そして、バイクに括りつけていた何かをベルトのサイドのアタッチメントに装着し、そして当たり前であるかのように、鍵を、廻した。
「……変身」
紅い閃光が辺りを覆うのを、祐一はただ呆然と眺めていた……
「……来ないな……」
アームズはカノンが再び現れないかを警戒していた。
相手がパーゼストなら、さっさと決着をつけるべく動いていただろう。
だが、正体が分からない以上深追いは危険かもしれない。
それに倒れたままの紫雲を放っておくわけにもいかない。
紫雲が敵なのは事実だが、借りを返さないままに死なれるわけにはいかないのだから。
そうやって暫し待ったが、カノンは現れない。
「…………どうやら逃げたらしいな」
そう判断して背を向けた……その瞬間。
アームズの背を、ソレが通り抜けた。
ソレ……圧倒的なまでの、殺気を。
慌てて振り向いた、その先には。
凄まじい気迫を撒き散らす、カノンが立っていた……
……続く。
次回予告。
舞が変身したカノン対浩平のアームズ。
その戦いを見た祐一は、決断を下す……
「……俺は」
乞うご期待はご自由に。
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