第十一話 動き出したセカイ





エグザイルとアームズは、ほぼ同時に地面を蹴った。
……だが。

「く!?」

自分の懐にあっさりと入り込まれ、アームズ……浩平は思わず声を上げた。
エグザイルのスピードが予測を越えていたため、反応が遅れる。

「はぁっ!!」

エグザイルの右ストレートが唸りを上げる。
完全に体勢が整っていないながらも、アームズはそれを左腕で防御する。
だが、大きくなった隙を突いて、エグザイルの左拳がアームズの脇腹に突き刺さった。

「ぐっ!?……って痛いじゃねーかっ!!」
「?!」

一撃を受けて、上体を曲げたまま放たれたアームズの苦し紛れの低い右拳を、エグザイルは下がり様、左足を持ち上げ脛の部分で防ぐ。

だが。

「……っ!!」

予想以上の力に、エグザイルの体がブレる。
そこに。

「だああっ!」

身体を引いて十分に力を蓄えた、アームズの蹴りが真正面から飛び込んでくる……!!

「…ち!」

エグザイルはその蹴りを重ねた両掌で受け止める。
そして、蹴りが最大限まで伸びたその瞬間に、両腕をバッと伸ばす。
そうする事により、蹴りを流れのままに受け止めながら、その威力を最小限に抑え込んだのである。

アームズの一撃は、それでもエグザイルの体を宙に浮かせていた。
だが宙空に飛ばされたエグザイルは、焦る事無く背後の木をクッション代わりにし、綺麗に着地した。

木々の中、再び二人のライダーの視線が交錯する。

(コイツ。俺よりも速いな……)
(……硬いか。それに、力もこちらより上だ)

アームズはエグザイルの速さに舌を巻き、エグザイルは痺れと痛みが消えない手を、パッと振って誤魔化しながら、その事実を認識した。






「……やはり、総じて五分か」

モニターを通した、その戦いを観察した命は誰にともなく言った。



エグザイルとアームズ、そしてこの場にはいないカノン。
三つのベルトで形成されるそれぞれの戦闘形態は、その開発経緯により質が異なっている。

カノンを平均値として、エグザイルはその能力値を全体的に上回っている。
アームズは、そのエグザイルに対し力と装甲で上回っている他、様々な特殊武装を施しているが、その犠牲として反射速度を始めとする様々な『速さ』がエグザイルやカノンよりも数段落ちる。
そして、カノンは条件付・短時間ではあるが、他の二体の全ての能力を上回る事ができる。

三体のライダーの性能の差異。
それは単体としての戦闘能力の成立と『いずれ現れる存在』に能力を合わせて立ち向かうために調整されたバランスを考慮してのもの。
……つまり、システム的に突出した性能を与えられていないという事でもある。



「どちらが勝つと思いますか……?」

同様に画面を見据えていた青年オペレーターは呟いた。
それに対し、命は、ふむ、と呟いた。

「システムとしては互角。なら後は変身する者の能力次第だろう」
「なら、紫雲君は勝ちますよね」

草薙紫雲の強さは、この『施設』にいる者ならよく知っている。
なによりベルトの最初の所持者として、パーゼストとの戦闘を最も多く経験している。

「……そうだな」

命は、その言葉に素直に頷いた。

確かにそうだ。
……不安要素さえ、考えなければ。





「……君は、折原君、なんだろ?」

対峙の中、エグザイル……紫雲は探るように言った。
アームズ……浩平は、ふん、と鼻で笑う様に息を零して、答えた。

「だとしたら?」
「君は、何とも思わないのか?川名さんたちの信用を裏切って。
 それだけじゃない。レクイエムがどんな組織か、知らないはずはないだろう?」
「……俺が裏切って苦痛を感じるのは、この世界でたった一人だけだ。
 そいつさえいれば……俺は他に何もいらない。
 そのために、俺はレクイエムにいるんだよ。
 だからレクイエムがどんな組織だろうと、関係ない」

ただ利用するだけだ……浩平は胸中でそう付け加えた。
勿論、状況が状況なので声にはそこまで出さないが。

「……たった一人……長森さんの事?」

半ば確信しながらも、紫雲は尋ねるようにその名を口にした。

紫雲は、大学で浩平と一緒にいて、自分を助けてくれた長森瑞佳の事を思い出す。
会って間もないし、大して言葉を交わしているわけではない。
だが、彼女が持つ優しさは紫雲も十分感じ取っていた。
……目の前の存在が拘るのも、納得できた。

「……なんで知ってるんだよ」

初めて紫雲に会った時の事がおぼろげな浩平は、不思議そうに呟く。

「ちょっとした事で助けてもらってね。
 …………君の大切な人が彼女なら尚更だ。君は、本当に何も思わないのか?」
「なに……?」

瑞佳の事を持ち出されたからなのか、浩平の声音が微かに変化する。

「彼女が、君がこんな事をしている事を喜ぶとは、僕には思えない。
 例えそれが……なにかしら彼女の為を思ってやっている事だとしても」
「……」
「そして、君自身本当に今の状況でいいと思ってるのか?
 もしそう思っていないとしたら、なんで……」 
「黙れ!」

吼えたアームズは、右腕を変貌させて光弾を解き放った。

「ちっ!!」

舌打ちしながらもエグザイルは、それを避ける。

「何も知らない奴が、悟った様な事を言うんじゃねぇっ!!」

光の弾丸の連射。
エグザイルは、それを駆け抜けながら回避していく。

「逆効果だったか……」

思わず呟く。
紫雲としては、無益かつ無駄な戦いを避けたかったがゆえ、そして浩平や瑞佳の事を放っておけなかったがゆえの言葉だったのだが……

……そんな事を考えていたエグザイルの進路上……眼前に、何かが飛来する。

それは、紫雲が見た事のない物体であり。
先刻、パーゼストを粉砕した生体爆弾……!!

「……っ?!」
「くたばれ」

アームズの意志によって、その生体爆弾は爆発した。
爆風と土煙、小石、樹木の欠片が吹き上がる。

そんな中、それらを破って一つの影が空に舞い上がった。
爆発を高く跳躍して避けた……それしかなかった……エグザイルの姿。

「……そうなるだろうな!」

上手くすれば仕留められる可能性はあった。
多少のダメージを与えるだけなら、さらに可能性は上がる。

そのどちらかでないのなら、跳躍して回避したとしか考えられない。
そして、あの状況ではその跳躍の方向性はかなり制限され予測は容易い。

その数少ない選択肢の中で、エグザイルは空中を選んだ。
……よりにもよって。

「馬鹿がっ!」

空中に、逃げ場はない。

右腕を掲げるアームズ。
その腕に光弾の輝きが灯る。
だが。

「……それはどっちだ?」

呟くエグザイル。

……紫雲は浩平の考えを予測していた。
その上で、一番リスクがあるが、反撃の手段としては最も攻撃力が高いものを選択した。

長期戦になればなるほどに動きが読まれやすくなり、遠距離への攻撃手段が少ないこちらが不利になっていく……そう判断したがゆえの一撃必殺に、紫雲は賭けたのだ。

「行かせてもらうっ!!」

空中で半回転した後、突き出されたエグザイルの脚部には、すでに紫の閃光が巻きついている!!

「ち……!くらいやがれ!!」

エグザイルを目掛けて解き放たれる弾丸。
だが、白の閃光を脚部の輝きで吹き散らし、絶対の紫は降下する!!

「こいつ……なめんなああああああっ!!」

変貌した手に新たに光が点る。
通常は光の弾丸として放つ力を、アームズは掌に収束して掲げた!!

「はあああああっ!!」
「があああああっ!!」

そうして、紫と白、二つの閃光が衝突した……!!








「どういうことですか……?!」

刑事課の一角。

橘敬介は、そんな声を上げた。
彼の表情には幾分怒りが篭っている。
だが、その剣幕に動じる事無く、年経た刑事は答えた。

「……どうもこうもない。あの事件についてこれ以上調べる必要はなくなった。
 それが上からのお達しだ」
「それでいいんですか?!あの事件で一体何人の人間が亡くなったと思ってるんですか?!
 それを……」
「違うぞ橘。そういう事じゃない。実はな……」
「もう、結構です……!」

弁明を続ける……敬介にはそう思えた……先輩にうんざりして、敬介はその場に背を向けた。

署内の通路を歩きながら敬介は思考を巡らせていた。

こんな理不尽な事を放置する事が許されるだろうか。
……否。許されない、いや、敬介自身許したくなかった。

こうなれば自分で独自に動くしかない。
一介の刑事に何ができるかなんてわからないが、何もせずにはいられなかった。
多くの人間が無差別に殺され、それを為した化物が存在する事を知った人間として。

まず、何をすべきか……考えてすぐに浮かんだのは、自身が遭遇した化物の事だった。
あの存在を調べて、詳細を公表できれば事態は動くだろう。

ただ、手掛かりはない……いや、一つだけある。

思い当たって、敬介はその足を止めた。

『変身』し、化物と戦っていた、あの青年。

戦っていたという事は、何かしらを知っているはずだ。
少なくとも自分よりは確実に。
捜索に時間が掛かるかもしれないが、彼を探し出す以外に今は方法がない。

そう思い立った敬介は腕時計に視線を落とした。

……が、今日は時間が足りない。
夕刻を射す、今の時間帯からではろくに調べられはしないだろう。

「仕方ないか……なら」

今日の捜索は諦めた敬介は、諦めの息を零しつつ、娘の見舞いに行く事にした。
その代わりに、明日からの捜査に全力を注ぐ事を決意して。







そんな事があった署内の、さらに上の階。
とある一室で、二人の人間が会話を交わしていた。

「……これで、いいのか?」

警察の制服に身を包んだ、がっしりとした体型の男が言う。
その言葉に対し、そこにいたもう一人の人物……女性は答えた。

「ええ。あれだけの被害者が出てしまった以上、情報を規制する事は無意味でしょう。
 これ以上の規制、隠蔽は逆効果になりかねません。
 一般への公開は時期を見てになりますが」
「……私はまだ信じられんよ。日本だけならまだしも、人類全体をも脅かす化物の存在など……」
「彼らは確かに存在しています。それが今、強い形で顕在化したに過ぎません」
「分かっている。他ならぬ君の言う事だからな。ただ納得したくないだけだ」

男の言葉に、女性は深く頷いた。
納得したくないのは、自分とて同じ。
だが、この現実を認めなければ被害が増える以上、そこから目を背ける訳にはいかない。

「今後は、君たち亡霊……ファントムとの連携で事に当たって行く事になるだろうな。
 状況によっては自衛隊とのパイプ役も頼む事になるが、構わないか?」
「はい。すでにそれらのための準備も進んでいます」
「そうか。そして、そうなる以上、考えておくべき重要事項がもう一つあるな」
「……それは、ベルトの事ですか?」
「そうだ。もうベルトを遊ばせて置く訳にはいくまい」
「……お言葉ですが」
「分かっているよ。ベルトの持ち主が遊んでいるわけではない事は。
 君たちからもらった報告書、下から上がってきた報告書、その両方を踏まえれば十分理解できる。
 だが、子供の手に収めて置くにはあの力は強力すぎる。
 その位置について考えるべき時が来たのだ」
「……そうですね。ですが、難儀する事になりそうですね」

微苦笑を漏らす女性の呟きに、男は息を吐いた。

「まったくだ。あの力は、公僕や組織で扱うにはあまりに異質で強力すぎる。
 単純な兵器とは違い、力を使える人間を選び、発揮される力は圧倒的。
 ……皆が『仮面ライダー』と呼ぶのも納得できるものだ」

群れではなく個としての戦闘システム。
都市での機動性を重視したバイクによる運用。
そして、その姿。

ゆえに偶然にでもその姿を目撃した者達は皆『仮面ライダー』を連想していた。
そして、それは各地で目撃される化物……パーゼストの事実と相まって、噂となって広がり。
結果、紫雲や祐一の戦いは、本人達の預かり知らない所で都市伝説になりつつあった。

幸か不幸か、それがあって今までパーゼストはあくまで都市伝説や怪談の類で済ませられていた。
だが、戦いが大きくなりつつある今、状況は変わろうとしていた。

そして、それに合わせて力の場所も定められなければならない。

「現所持者、ファントムの方で選出した候補者、我々の側で選出した者達も含め、早急に適任者を見つけなければならないな。
 そういう事だから、一刻も早い回収を頼む」
「分かりました」
「ついては、君の側に一人付かせようと思うんだが構わないか?
 今後の円滑な行動の為にも、ファントムを知るこちら側の人間も必要だろうからな」
「確かにそうですね。……それでその人物は?」 

その言葉に頷きながら、男は一枚の紙を女性に渡した。

「……この方ですか?」
「そうだ。
 報告書によると、パーゼスト、そしてベルトの所持者と遭遇した事もあるらしい。
 現状では一番適応が速いだろうから、選出した。
 詳しくは資料を読んでくれ」

そこには、その人物の顔写真、履歴、これまでの経歴がまとめられた書類が一纏めにされていた。
そして。
その書類の一番上には『橘敬介』という名前が記されていた。







「く、ぅぅぅっ!!」
「ちぃぃぃぃっ!!」

白と紫の閃光のせめぎ合いは続いていた。
力を振り絞り続ける衝突は、両者の力の放出と共に更なる閃光を生み、周囲をいつもと異なる光で照らしていた。

単純な衝突なら、エグザイル必殺のキックが上回る。
だが、そのエネルギーは白い弾丸を数発吹き散らす事で消耗していた。

ゆえに、拮抗。
ゆえに、互角。

だが。

「くぅっ…?!」

少しずつ。
アームズの拳が押し返されていく。

さっきも述べたとおり、単純なエネルギーでは互角だった。
だが、位置エネルギーもまたこの状況に影響を僅かながらに与えていた。

腕を振り上げた攻撃。
落下エネルギーが加算された攻撃。
どちらが力として大きくなるかは……言うまでもない。

「っ……終わりだっ……!」

拮抗が、崩れる。

「ぐ……あああっ!?」

エグザイルのキックの威力を封じ切れなかったアームズは、衝撃に耐え切れずコマの様に回転しながら弾き飛ばされ、木々の向こうに消えた。

それを見届けながら、深く着地したエグザイルはゆっくりと立ち上がる。
そうして、アームズが消えた方向へと歩き出そうとした時。

「……く……」

エグザイルの身体を、痛みが駆け巡った。
馴染みの……紫雲にとっては忌々しい事だが……拒絶反応からの激痛。

アームズと激突した右足にも大きな痛みがあった。
そして、それらは一瞬で引いてくれる様な痛みではない。

「……くそ……」

小声で漏らしながらエグザイル……紫雲は変身を解除し、その場に膝を付いた。
今まで以上に、ままならなくなり始めた身体に、歯噛みしながら。






「ぐううっ!!」

弾き飛ばされたアームズは一本の木に背中からぶつかって地面に倒れた。
その際にベルトが外れ、変身が解除される。

「……ち……」

近くに落ちたベルトを拾おうと身体を動かそうとする。
だが。

「痛ぅ……っ!!」

全身に走る痛みがそうさせてはくれなかった。
無論、先刻の激突のダメージだった。

「……く、あの野郎……っ……」

このままでいれば、すぐさま紫雲が追ってくる可能性が高い。
紫雲の身体に起こっている異変を知らない浩平は、そう考え、懸命にベルトに手を伸ばした。

と、そこに一つの人影が現れた。
警戒し必死に起き上がろうとする浩平に、その影の主は穏やかな声で告げた。

「流石にファントムお抱えのライダー……強かったね。大丈夫かい?」
「……っ……なんだ、氷上か。驚かすな」

痛みからの息を吐きながら浩平は言った。

そこには、自分をレクイエムに勧誘した氷上シュンがいた。
何かのブランドものらしい、上等な服を着ている。
周囲の風景との違和感を感じながら、浩平は言葉を紡いだ。

「お前が、俺の監視役だったのか」
「ああ、そうだよ。もし追撃があったら僕が対応するから、とりあえず倒れてて構わないよ」
「そりゃ助かる……」

起き上がろうとしていた体を、浩平は地面に再び預けた。
そんな浩平に、シュンはベルトを拾い上げながら言った。

「さっきも言った通り、僕は君の監視役だから立場上聞いておくけど、どうして彼らを破壊したんだい?」

彼ら、というのはタイガーパーゼストの事である。
彼らはレクイエムの実験体で、希少という程ではないが決して軽視していいわけでもない。
それに対し、浩平は考えていたままに答えた。

「……あの施設の中に俺の知り合いがいたんだよ。それは、契約条件に抵触するだろ?」
「そうかい。まあ、そんな事だとは思ったけど……」

シュンはそう言いながら、やれやれ、と言わんばかりに肩をすくめた。

「分かった。そう報告するよ。で、どうするんだい?」
「……このザマじゃあな」

このダメージで戦闘を続ければ自分は敗れる。
逃げる事すら難しいかもしれない。
忌々しく思ってはいたが、今の意地を優先させて未来を捨てるほど、浩平は考え無しではなかった。

「無理そうだね。それじゃ少し待って、回復したら帰ろうか」
「ああ……」

(草薙紫雲、か)

悟った様に、自分に忠告した男。
何様だと思ったが、そんな男に煮え湯を飲まされた。

……悔しくないはずは、なかった。

(……この借りは、いずれ返す……!)

溢れそうな怒りを胸中に収め、浩平は拳を硬く握り締めた。







「……発作か」

膝を付いた紫雲を見て、命は呟いた。

不安要素が出たが、今出た事は幸運だろう。
もし戦闘中に出れば、最悪の事態になりかねなかった。

「どうしましょう?」
「……どうやら、向こうも撤退したようだし、回収してやってくれ」
「分かりました。近くの誰かを……」
「いや。適任者が他にいる。そこに隠れている四人。私が怒らないうちに出て来るように」

ビシッと指をさされて、入口から隠れてモニターの様子を窺っていた四人……美凪、あゆ、みさき、雪見が姿を現した。
彼女達が紫雲と浩平の戦いが始まった辺りからそこにいた事を、命は気付いていた。

「……バレバレでしたとさ」
「うう、ボクはバレてないと思ってたんだけどなぁ〜」

呑気に呟く二人を尻目に、雪見は頭を下げた。

「その、申し訳ありません。指示に逆らうような事をして」
「構わないさ。
 君たちもそれなりの年齢なんだから自分の行動には責任は取れるだろうからな」

避難の指示があったにもかかわらず、こっちに来ていた理由。
それは、いなくなった浩平の身を案じて、その居場所を知ろうとしての行動なのだろう。
事情を説明できなかった自分や浩平にも非がある以上、責める事はできない。

……だが、それはそれとして。
命は利用できる物はとことん利用する質だった。

「まあ、指示を無視した分の償いはしてもらうがね。
 弟を迎えに行って来てくれないか?動けないようだから」
「……紫雲さん、また……?」
「ああ。だから、頼む」

美凪の言葉に、命は深く頷いた。

「……お任せください」

そうして外に出て行く四人を視線のみで見送った後、命は瞑目した。

「……発作、か」

さっきと同じ言の葉を口に乗せる。

因子を持つ紫雲には起こり得ないもの。
それが起こっている事実。
そして、それが示すモノは。

「……紫雲」

自分の考えを打ち消すように弟の名を呟く自分に気付いた命は、微かな苦笑を浮かべた。
自嘲の様な、ただの苦笑いの様な、そんな笑みを。





「……ねえ、雪ちゃん」

あゆと美凪の後ろを歩きながら、みさきは雪見に呼び掛けた。
……前を歩く二人に、聞こえないように。

「浩平君は……?」

みさきは、集音装置から零れていた微かな会話を聞き取り、状況を知った。
盲目であるがゆえの発達した聴覚によるものなので、その会話、状況は、みさきと同じ様に盗み聞きしていた他の人間は知らなかった。

紫雲と浩平。
その二人が本気で戦っていたという状況を。

その声こそ聞こえなかったものの、みさきの様子の変化、モニターの状況の両方を冷静に観察していた雪見も、その事に気付いていた。

そして、雪見も気付いている事をみさきは知っていた。
だからこその問い掛けに、雪見は小声で返した。

「……大丈夫よ。死んだりはしてないはずだから」
「なら、いいんだけど……」

怪我はしているかも、とは言わなかった。
余計に心配させるだけだから。
その心遣いを言葉にする必要はない。
ただ、言っておかなければならない事はあった。

「みさき、草薙君を恨んだりしちゃ……」
「分かってるよ。紫雲君は悪くないから」

答えながら、みさきは微かな、困ったような笑みを浮かべた。
そして、その顔のままでこう付け加えた。

「でも。浩平君も……きっと、悪くないのに……」

そう零すみさきに、雪見は答える術を持たなかった。










夕日の差し込むその病室。
ベッドに座る一人の少女が光指す窓の向こう、その風景を眺めていた。

彼女……美坂栞は考えていた。
自分がその世界に戻れるのは、まだなのだろうか、と。
今、その世界が危険らしい事はニュースや姉から聞いて理解している。
それでも、世界への憧れは消えなかった。

「はぁ……」
「何溜息ついてるんだよ」

唐突に掛かった声に栞は振り向く。

「よ、久しぶり」
「久しぶり栞ちゃん」
「祐一さん。名雪さん」

栞の言葉に、祐一はニカッと笑い、名雪は微笑んだ。
憂鬱そうな自分に気を使ってくれている事を察し、栞もまた笑顔を浮かべた。

「……お二人とも、もう来ないんじゃないかと思いましたよー」
「ああ……」

あれから……パーゼストとの戦いの後……大学に行く気には流石になれなかった祐一は、時間があるうちにと、暫く行っていなかった栞の見舞いの為に病院に足を運ぶ事にしたのである。

(……次は、いつ来れるか分からないからな……)

「……祐一さん?」
「あ、いや。悪い悪い。時間が中々取れなくてな」
「むー。時間を削ってでも来てくれたっていいじゃないですか。
 お姉ちゃんや北川さんは来てくれてるんですよ」
「その香里と……北川は?」

この部屋にいないと分かっていながらも、辺りをなんとなく見回しつつ祐一は尋ねた。
北川とは『あれ』以来会っていないので、次に会う時はどんな顔をすればいいのか、どう話せばいいのか、それなりに気にしていたのである。

「……お二人なら、さっき帰りましたよ」

祐一の問いに答えたのは栞ではなかった。

「そうなの?」
「はい」

栞の隣のベッドに座る少女……神尾観鈴は、うんうん、と頷いた。

「……観鈴ちゃんも元気そうだな」
「最近は調子がいいの。にはは」
「よかったね」

祐一と名雪は観鈴と既に顔馴染だった。
何回か顔を合わせている内に、親しくなっていたのである。
彼女の苗字から自分達の寮の管理人である晴子の娘だと知ったのも、その事に多少影響を与えていたのかもしれないが。

「しかし、なんで晴子さん、来ないんだろうな」
「祐一……」
「あ……その。悪い」

自分の失言に気付いて、祐一は素直に頭を下げた。

神尾晴子が病院にあまり来ない事を観鈴から聞いていた二人は、それとなく病院に行く様に言ってはいるのだが、今一つ効果はないらしく、晴子はこの病院に訪れていなかった。

「いいよいいよ。祐一さんが悪いわけじゃないから。それに忙しいんなら仕方ないよ」
「あ、でもお父さんはそろそろ来る頃じゃないかな」

気まずくなりかけた空気を補正しようと、栞は言った。
それに合わせる様に、名雪は首を傾げながら問うた。

「お父さん?」
「ええ、観鈴さんのお父さん、毎日この時間帯に来るんですよ」

栞がそう言った、まさにその時。

「観鈴、元気にしてたかな?」

そう言いながら、一人の男が病室に入ってきた。

「お父さん……」

そう呟く観鈴の表情には、複雑なものがあった。
男……橘敬介はそれに気付きながらも、あえて何も言わなかった。
それは自分に原因がある事であり、これから少しずつ解決していかなければならない事だったから。

だから。
今は、心の内にあるモノを隠し、敬介は笑みを浮かべた。

「……ほら、土産のケーキだ」

歩み寄った敬介が差し出したその箱を、観鈴はぎこちなく受け取った。

「その、ありがと。栞ちゃんたちに分けてあげてもいいかな」
「ああ、構わ……」

言いながら、観鈴の言う『栞ちゃんたち』に視線を向けた敬介の動きが固まった。
正確には、そこにいた一人の青年の顔を見て。

「君は……」
「ん?…………!……アンタは……」

祐一は自分の顔を食い入るように見るその人物に見覚えがある事に気付いた。
自分に一度苦渋を嘗めさせたパーゼストとの戦いの真っ只中にいた男である事に。

「祐一さん、観鈴さんのお父さんとお知り合いだったんですか?」
「あ、いや……って……」

なんと言おうかと、口篭る祐一……その肩を誰かが叩いた。
振り向いた先の、敬介の表情には、さっきまでの笑みは無くなっていた。

「少し話がしたいんだが、構わないか」

……どうにも逃げられそうにない。
祐一は溜息をついて、頷いた。





栞たちの病室のすぐ近くにあったベンチの一つ。
そこに二人は並んで座った。

「で、話ってなんだ?」

本来なら敬語で話すのだろうが、あの時の事を思い出した祐一は、丁寧な言葉遣いに改める事ができないでいた。

だが、それに気付く事も、そんな余裕も敬介にはなかった。

いつになるか分からない……そう思っていた突破口の一つと偶然にでも遭遇できたのだから、当然なのかもしれないが。

「単刀直入に言う。君とあの化物は何者だ?」
「……」
「あの時拳銃を持っていたから見当がついているかもしれないが、僕は警察だ」

律儀に警察手帳を見せながら、敬介は言葉を続ける。

「警察だからこそ、知っておきたい。
 市民の安全を脅かすものを放っておくわけにはいかないから」
「……あーいや……」
「だから頼む……!あの化け物について君の知っている事を教えてくれないか……?」

どうしたものか、と祐一が考え込もうとした……その瞬間。

「……っ!!」

鍵から意識のイメージが流れ込んできた。
パーゼストが人を襲う、そのイメージが。

「……悪い。あんたの相手をしてる場合じゃなくなった」

言いながら立ち上がった祐一は、その場所に向かうべく足を踏み出そうとする。
だが、その腕を敬介が掴んだ。

「待て……!」

事情を知らない敬介からすれば、祐一が話から逃げようとしているように見えたのだ。
状況が状況なので、祐一は半ば叫ぶようにして言った。

「離してくれ!あんたの言う、化物が出たんだよ!!」
「……なっ?!」

その言葉に一瞬呆けた敬介の手を振り払って、祐一は駆け出した。
走り去る祐一の後ろ姿を暫し眺めていた敬介だったが、なんとか気を取り直し、慌ててその後を追った。







「きゃあああああああああっ!!」

『それ』を見た看護士の女性は悲鳴を上げた。

病院の裏手。
数台の救急車が停められていたその場所に『それ』……センチピードパーゼストはいた。
悲鳴を上げた人間の存在に気付いたセンチピードパーゼストがゆっくりと女性に向き直った、その時。

「やめろっ!!」

その声と共に祐一がその場所に駆け込んできた。
祐一はパーゼストの注意をこちらに向けようと、ベルトを取り出して空になったバッグをパーゼストに投げ付ける。

バッグをぶつけられたパーゼストは女性への興味……否、標的を祐一に切り替えた。
それには構わず、祐一はパーゼストを挟んだ向こう側の女性に叫んだ。

「早く逃げるんだ!!」

その声を受けた女性は、ただ必死に首を振り、走り去っていった。
それを確認しながら、祐一は腰部にベルトを装着する。
……と、そこに祐一と同じ方向から敬介も駆け込んでくる。

「変身っ!」

鍵を廻し、生まれ出た閃光が祐一を包み、仮面ライダーの形を作った。

「…っ…」

以前一度見たそれらを改めて目の当たりにして、敬介は言葉を失う。
非現実的な、現実に。

そんな様子など知った事ではないと言わんばかりに、センチピードパーゼストは自身の身体から生えている鋭い棘のような体足を、両腕を振る様にして突き出す事で撃ち出した。

「危ないっ!!」
「うっ!!」

呆けていた敬介を付き押しながら、祐一……カノンもまたその攻撃を回避しつつ、距離を取った。
パーゼストは、離れた事で二つになった標的の内、どちらを先に攻撃するか逡巡していたようだったが、敬介の方に向かって歩き出した。

「おいっ!!」
「っ………!」

カノンは敬介に呼びかけるが、敬介はパーゼストを凝視するばかりで動こうとしない。

「くそっ……」

躊躇っている時間はない。
こうしている間にも、パーゼストは腕を振り上げて、先程の攻撃を繰り出そうとしている……!

「しょうがないか……!」

決断したカノンは、ベルトに刺さった鍵をもう一度、廻した。

カノンの手足を初めとする身体中に伸びている一本の紅いライン。
血管や神経を思わせるそれが三本に増え、より紅く染まっていく。
その姿……仮面ライダーカノン・リミテッドフォーム。

この姿になったカノンは圧倒的な力を解放できる。
だが。

『……言っておくけど。ほいほい気軽に使おうとしないようにね』

祐一の脳裏に浮かぶ”それ”は、この形態に関する紫雲の言葉。

『そのベルトは因子を持たない人間でも使える様にリミッターがついているわけだけど、それだけが理由じゃない。
 その本来の力にはベルト自体が耐えられないし、因子を持った人間も唐突な力の奔流にはついていけないからなんだ。
 まあ、装着者の身体の方はその奔流にいずれ順応できるかもしれないけど、ベルトが壊れたら元も子もないから、その形態になって一分経ったら自動的に変身を解除するプログラムが組まれてる。
 そして、その後はベルトを連続使用して負担を掛けないように一時間程度、通常動作もできなくなる。
 だから、あの形態になるのは、本当にギリギリの時だけにした方がいい』

前回この形態を使った時は、そう言った紫雲本人が近くにいた。
いざという時は紫雲自身がフォローするつもりだったからこそ、リミテッドフォームへの形態変化の事を教えたのだろう。

だが今、紫雲はいない。
もしもの時どうなるか分からなかった。

しかし、だからと言って躊躇いはしない。
躊躇えば、そこにいる『誰か』が死ぬのだから。

それだけは絶対にさせないために、自分は戦っている事を、祐一は知っていた。

「行くぜ……!!!」

湧き上がる力を感じ取りながら、祐一……カノンは構えた。

「juhuuujj!!!」

体足針が敬介に向かって撃ち出される。

パーゼスト、敬介、針。
そのいずれも多少距離がある。
敬介をさっきの様に付き押すにも、針を払うにも間に合わない。

だが、それは通常のカノンの話だ。

(……見える……!そして、遅ぇっ……!!)

リミテッドフォームとなり、その上で極限まで集中したカノンには、その攻撃は遅く感じられた。

コンクリートの大地を蹴る。
撃ち出された針の束の前に立つ。
そしてそれを全て払い落とす。

……それらは全て、刹那の間に行われた。

「なっ!?」
「juiuu??」

攻撃を放った方と放たれた方、両方共に驚愕する。
それに構う事無く。
カノンはパーゼストに向かって疾走しながら、拳にエネルギーを収束させた。

「はあああっ!!」

その速さの前に、避ける間は無い。
認識できたかどうかさえ定かでなく。
その一撃はセンチピードパーゼストに炸裂した……!!

「juum……???!」

何事かを漏らす様な声を上げて。
センチピードパーゼストは、一撃の衝撃で大きく吹き飛びながら、光となって消滅した……!!

「……………ふう……」

それを見届けた上で、祐一は自動解除の前に、変身を解除する。
疲労感はあったが、前回ほどではない。

「……」

敬介は再び言葉を失った。

どう見ても素人であるはずの青年。
であるにもかかわらず、これだけ圧倒的に化物を駆逐したという事実。
その戦闘能力に、敬介は愕然とした。

そして、それを為したのはあのベルトの力。
そう考えた敬介の視線は、自然と祐一が外し、肩に掛けたベルトに向けられた。

「……どうかしたか?」

自分に掛かった祐一の声で、敬介はハッとした。
そして、祐一の顔を見据えて、言った。

「……そのベルト……」
「これが、どうかしたのか?」
「……そのベルトを、渡してもらいたい」
「は?」

唐突な言葉に戸惑う祐一。
敬介は尚も言葉を続けた。

「そのベルトがあれば、誰にでもあの化物と戦えるんだろう……?」
「………………あのな……」

なんと言えばいいだろうか。
なんと説明すればいいだろうか。
どうすればいいのだろうか。

眉間に皺を寄せて、祐一が口を開きかけたその時。

「私からもお願いします、祐一さん」

突如響いた、その声。
その唐突さもさることながら、聞き覚えのある、だが今ここにいるとは思い難い人間の声である事に祐一は驚き、声のした方向に思わず振り向いていた。

そこには。

「秋子さん……?!!」

名雪の母であり、祐一の叔母である水瀬秋子の姿があった……







……続く。


次回予告。

敬介と秋子からの、ベルトの返却要請。
祐一は二人の言葉に葛藤する。
そして新たに選定された、ベルトの適格者。
それは、祐一の知る、意外な人物だった。

「……変身」

乞うご期待はご自由に。





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