第九話 嵐、来たりて(後編)
何処から射すのかさえ分からない……そんな微かな明かりで辛うじて歩く事ができる薄暗闇の道。
入口を抜けて続くこの道は、ファンタジー世界の洞窟のようだと、美凪は思った。
そんな思考を遮って、紫雲の声が響く。
「ここから降りたらすぐだから」
気がつくと、目の前は行き止まり。
だが、そのすぐ下に隠れるように階段があった。
パッと見ただけでは気付く事はできないだろう。
「あの」
「ん?」
「こんな目立たない所にあっては不便では?」
「まあ不便と言えばそうだけど仕方がないよ。
ここにあるものを、あっさりと見つけてもらっては困るし」
そんな会話を交わしつつ階段を下りると、そこにはいままでの道程とは逆の、SF映画に出てきそうな扉があった。
扉の前に紫雲が立つ。
瞬間的な網膜パターン認識によるチェック、監視による人間の確認。
それにより、ようやっと目の前の扉は開く。
重厚そうな外見とは裏腹に、パシュッと軽い音を立ててそこは開いた。
そこに広がるのは、病院に似た白い空間と通路。
この場所からでは『これ』がどの程度の規模を持っているのか測りかねた。
その空間に、一歩足を踏み入れて紫雲は言った。
「……草薙紫雲。ただいま、戻りました」
「紫雲君、こんにちは」
「久しぶり。元気だった?」
扉の向こうには二人の女性が立っていた。
二人の女性の掛ける声に、紫雲は穏やかな声で答える。
「ええ。おかげさまで。では彼女の事をよろしくお願いします」
「わかったわ」
「……ここから先は、この深山さんについていって」
「草薙さんは?」
その問いに、顔を真っ赤にさせて紫雲は頬を掻く。
「ああ、その。女性の検査に僕が立ち会うのは何かと不都合もあるから」
「………ぽ」
「まあ、そういうことだから。
深山さん、姉貴に丁寧に扱わなかったらただじゃおかないと伝えてください」
「了解。確かにそう伝えておくから」
その女性……深山雪見は、美凪を伴って白い通路の奥へと去って行った。
二人の姿が角の向こうに消えるまで見届けて、紫雲は息を漏らした。
「ふう。さて、その間僕はどうするかな」
「とりあえずご飯にしたら?長旅疲れたんじゃないの?」
黒髪の女性……川名みさきの言葉に紫雲は頷いた。
「そうですね。まずコーヒーでも飲んで彼女を待つ事にしますよ。食事はその後で」
「じゃ、付き合うよ」
「ありがとうございます」
返事をしつつ、紫雲は施設の奥に入っていった。
「……間違い、ないのか?」
「ええ……」
先輩の問いに、敬介は力無く答えた。
敬介が語った事。
それはこの場で起きた全て。
その報告は場所が場所ならただ一笑に付されて終わっていただろう。
だが。
「嘘だ、と言うのは簡単だが……これを見せられちゃあな」
店内同様、死が撒き散らされた駐車場。
それは素人目で見ても、ただの事件ではない事は明白だった。
「ただ、化物はともかく……変身ヒーローはな」
「……」
敬介はその事には何も答えなかった。
自分とて、同じ立場ならそう思うだろうから。
そんな現場の中。
一際目立つのは、人間業ではありえない突き破られた壁。
その向こうには、何かを叩きつけた跡が残るだけで、他には何も残っていなかった。
(……パーゼストとか言ってたあの怪物はどうなったんだ……?あの青年は無事なのか……?)
敬介の心中の問い掛けに答えるものは、この場にはいなかった。
雨の中、青年が歩いていた。
そんな青年の身体に微かな揺れが生じる。
「おい。人にぶつかったのに、謝りもしないのかよ」
「……」
思考に埋没していた。
ゆえに気がつかなかった。
そんな理由らしいものはある。
だが、それ以上に。
その青年は、自分の道を遮る弱き命の事など、どうとも思っていなかった。
「おい、なんか言えよ……おいっ……!」
うるさく喚き散らす「それ」を男は無感情に眺めた。
「てめえっ!!」
それが癇に障ったのか、男は青年に殴り掛かった。
青年は、それなりの速度だった男の拳を掴むと、軽く握った。
それだけ。
それだけだったが、男の右腕はいとも簡単に捩れ、折れた。
「があああああああああっ!!痛え!!いてえっ!!」
「……気が、変わった」
様子を見る。
一時はそう判断したが、そんな事は無意味だ。
こんな生命体の群れを生き長らえさせるのは、無意味な事だ。
「……そうやって呻いているがいい。それがお前達にはお似合いだろう」
叫び続ける男を置いて、青年は再び歩き出した。
当初の目的である敵対種の戦闘力の確認。
それに戻るとしよう。
人間個人。団体。警察は終わった。
次は。
「軍隊……自衛隊とやらを呼び寄せるか」
そのためには、もっと人を殺さなければならない。
より人の目に付く場所で。
より多く人間の前で。
それを実行すべく、青年……その形をした別のモノは、夕闇の中を進んでいった……
「……そろそろ、かな」
自分の部屋で、夕食の献立を考えていた名雪は、呟いて部屋を出た。
その足が向かうのは、すぐ隣の祐一の部屋。
「……」
祐一は帰ってきているだろうか。
『それ』はいつも不安に思っている事だ。
戦う事を決めたのは祐一自身で、自分はそれを止められない……その事実は受け入れたが、受け入れきったわけじゃない。
ただ自分にできる事は、祐一が帰ってくる場所で待ち、笑顔で迎え入れる事だ。
それは、そう納得させなければ辛い事でもあり、そうしなければならないと思っている事であり、そうありたいと思っている事だった。
そんな事を考えながら、名雪は祐一の部屋のドアをノックした。
「……祐一?」
返事は無い。
なら、とりあえず上がらせてもらおうと、名雪は合鍵を取り出した。
「あれ?」
だが、合鍵を回すと、逆にロックが掛かった。
首を傾げながら、名雪は再び鍵を差し入れて、ドアノブを開いた。
開いた玄関には祐一の靴があったので、名雪はとりあえず安堵した。
「なんだ……帰ってきてるならきてるって言ってよ」
言いながら部屋の奥に入る。
夕方だというのに、電灯を点けもしていない。
祐一はベッドの上に寝転び、ボーッと天井を見ていた。
「お帰り。怪我、しなかった?」
「……」
返事をしない祐一の様子を訝しがりながらTVをつける。
夕方時だから、ニュース番組があっている時間帯だろう。
『本日午後4時過ぎ、都内の百貨店で大量の死者が出ました。その詳細は未だ不明で……』
「……!!」
「……ひどい……」
その緊急ニュースが伝える情報を目の当たりにして、名雪は呟かずにはいられなかった。
こんなにも理不尽に、こんなにも簡単に人は死ぬ。
それは二年前の冬にも痛感させられた事だが、慣れる筈はない。
「……でも、祐一、倒したんでしょ?」
「……」
「今は、これ以上死んだりする人いなくなったんだよね?」
そんな願いと確認を込めた言葉。
それに対し、祐一は。
「…………違う……っ!!」
否定の叫びを上げた。
「ゆう、いち?」
「違うんだよ……俺は……俺は……っ!!」
これだけの事をしていたパーゼスト。
絶対倒すべきだった。
それなのに。
それなのに。
なにもできず。
それどころか、為す術も無く。
「助け、られなかった……!!倒せもしなかった……!!」
悔しさと怒りと、敗北感。
そして、死の恐怖に、祐一は。
「どうしたの……?どうして、そんなに震えてるの?祐一……祐一っ!」
自分の身体を揺らす名雪に背を向けて、ベッドに横になったまま……ただ震え続けた。
医療室……メディカルルーム。
そう書かれた部屋の中に、二人の女性がいた。
検査用の服から着替えて、美凪は勧められた席についた。
その美凪を見て、彼女を診ていた医者……草薙命は言った。
「検査は終わりだ。結果はもう少し待ってくれ。
とは言っても、多分大丈夫だろうがね」
「はい」
「……」
「……」
「ふむ。君は……何も聞かないんだな」
「何が、でしょうか?」
「こんな変な所に連れてこられて検査だのなんだの……不審に思って質問攻めするのが、当たり前だと 思うが」
「……そうですか?」
「普通はそうだと思うがね」
言って、命は楽しげに笑みを浮かべた。
「では、君に訊いてみようか。ここはどういう場所だと思う?」
「……謎の怪しげ組織さんの基地、でしょうか」
「ぷ。はははは。違いない。まったくもってその通りだよ。
ここはな、遠野さん。
亡霊……あるいは『ファントム』と呼ばれている、存在しない組織の研究施設さ。
これでも一応、国が作った、人が理解しえない者に対抗するための組織なんだが、君の言う通り、怪しい以外の何者でもない」
冗談とも本気とも取れる口調で語る命。
美凪は、それを本気……真実だと判断した。
ゆえに、言わなければならない事がある。
「……それは、お話になっていい事なのですか?」
「気遣いありがとう。だがまあ、問題ない。
ありがちだが、君はもう十分巻き込まれているから知る権利がある。
秘密を聞き出す為に誰かが襲ってくるなんて事はないから安心していい。
今私が話した事は知っている者にとっては常識でしかないのだしな」
そこで机上に置かれた内線の電話のコール音が流れた。
「失礼。……なに?」
電話を取った命の表情は、微かな驚きに彩られていた。
どんな基地や施設であれ、そこに人間がいれば無くてはならないのが食料。
当然、ここにもそれはあった。
「いつ食べてもおいしいよ、ここのカレー」
「それはなによりです」
「……それで済ませていいのかしらね」
「あ、雪ちゃん」
いつの間にやらそこに佇んでいた雪見は溜息混じりにその惨状を眺めた。
ここは、この施設で働く職員の為の食堂である。
その隅のテーブルで、紫雲はコーヒーを啜り、みさきはカレーを食べていた。
とだけ記すと普通だが、みさきの食べる量は尋常ではなかった。
食べ終わり、山積みされた皿の群れは、少なくとも一般の成人女性が食べる量ではない。
しかも、これで腹八分だというから呆れる他ない。
「長い付き合いながら感心するわ」
「そうかな?」
「そうですかね?」
「……ああ、草薙君もそうだったわね」
今は食事をしていないが、目の前の青年も長年の友人に負けず劣らず食べることを思い出して、雪見は複雑な表情を浮かべた。
「……まあ、いいわ。お邪魔していい?」
「どうぞ」
勧められ、雪見は持っていた紙コップの紅茶をテーブルの上に置いてみさきの隣に座った。
「それにしても……」
雪見が座るタイミングに合わせて、みさきは呟いた。
彼女は目が見えない。
だが、気配や物音でそれを認識していた。
「早いよね。私と雪ちゃんが紫雲君に助けてもらって、もう二ヶ月……くらいになるのかな」
「そうね。もうそのぐらいよね」
その言葉は、この生活が始まって約二ヶ月と言う意味合いも含まれていた。
二ヶ月前。
この近くでパーゼストに襲われた所を、二人は紫雲に助けられた。
だが、その際に二人は怪我を負い、『病院に運ぶ余裕はあまりない』という紫雲の判断によりここに運び込まれた。
その後、怪我から回復し事情を少なからず知った二人はここで働きながら生活する事を希望した。
そして、それをここの最高責任者が了承して、現在に至る。
何故いとも簡単にそうなったのか……それには勿論理由がある。
ここには研究者や、それを守る警備の人間には事欠かない。
だが、それを支える生活面でのサポートが不足している。
とは言っても、まさか一般から求人するわけにもいかず人手が足りなかった。
ゆえに、事情を知り、協力を申し出てくれる人間は希少であり、願ってもない事だったのだ。
だが。
「あの」
「なに紫雲君?」
「……この生活に、不自由はないですか?今なら、まだ……」
「気にしなくてもいいよ。ね、雪ちゃん」
「そうね。実際ここの方が安全だしね」
安全。
確かにここは安全だ。
雪見が、自分はともかくみさきは普通に生活していてはパーゼストから逃げられないのではないかという判断から、ここで働く事を選択したのも納得できる程に。
だが、この場所の性質上、有事があれば逆に一番危険な場所にもなりかねない。
ここは、そんな両極端な場所だ。
そう思うと自分の判断は正しかったのか……常に考えてしまう。
(……弱い、のかな。僕は)
そんな事を考えた時、紫雲はズボンに入れたままの携帯が着メロを鳴らしながら振動している事に気付き、取り出した。
開くと、そこには新着メールの表示があった。
「……」
「どうしたの?」
「姉貴から。なんか用事らしいんで、失礼します」
館内放送を使えばいいのにと思いながら、紫雲は席を立った。
「なんだろ。気になるな」
「あのねみさき。一応言っておくけど……って、いないし」
友人は注意をする前に席を立ち、紫雲の後を追いかけていた。
「ったく、あの子は……」
雪見は飲み掛けの紅茶を飲み干してから、その後を追った。
そんな事とは露知らずな紫雲は、食堂からそう遠くない場所に足を向けていた。
「失礼します」
言いながら、その室内に入る。
その中のスタッフの好奇や興味の視線を受けるが、それを意に介さず紫雲はそこにいる自分を呼び出した人物に話し掛けた。
「姉貴。……遠野さんは?」
「今は医療室で待ってもらっている。
心配そうな顔をするな。彼女には何の後遺症もないよ。
ただ、今後は多少感覚が鋭敏になるかもしれんがな」
「そうか。……ところで、わざわざここに呼びつけたのは他に用があるんじゃないのか?」
紫雲たちがいるその場所は、セキュリティルーム。
この施設内、近辺の、ありとあらゆる場所の様子をチェックできる……そんな場所だった。
「ああ、お前にお客様だぞ」
「?」
「これだ」
居並ぶディスプレイの一つ。
姉が指す画面に映っている人間を見て、紫雲は目を見開いた。
「……?!月宮さん?それにもう一人は……確か大学にいた……」
「現在二人がいる場所はCエリアだ。どういうわけか結界をものともせず、こちらに近付いている」
「……!」
この施設の周辺には結界が敷かれている。
千年以上前からここに存在している『それ』は、ここに施設を作る理由の一つとなっていた。
普通の人間には近付く事すらできず、万が一……いや億が一近付いてきても何重にも敷かれた防衛機構、セキュリティであえなく発見される。
今、この時そうなっているように。
「一時的に防御機構を切ってはいるから二人にに危険はない。
だが、彼女達がどんな理由で近付いているにせよ、これ以上は放っておけん。
かといって相沢君の知り合いでもある以上危害を加えるわけにもいかんしな。
どうにもこうにも処置に困ってるんだが?」
その言葉の意味……お前が言って何とかして来い……を即座に理解して、紫雲は答えた。
「……分かった。僕が出向こう」
その言葉と共に背を向けて、紫雲はセキュリティルームを後にした。
……その様子を物陰から窺っていた人間に気付く事無く。
「うん、こっちだよ」
「……本当にこっちなんだろうな」
「うん、間違いないよ。……多分」
「おいおい……」
日も暮れかけた、道が殆ど無い山道を、二人……折原浩平と月宮あゆは進んでいた。
浩平が持ってきていた懐中電灯を遠くや足元に照らしながらのその足取りは、なんとなく心許無さそうではあったが。
「早く追いつかないと夜になっちゃうよ。だから急がないと」
「夜が怖いのはお子様の証だぞ」
「うぐぅ……君、そういう所祐一君にそっくりだよ……」
「その台詞は聞き飽きたぞ」
そんな言葉を前に進む少女に送りながら、様々な事を浩平は思考していた
(……まさかコイツの知り合いがターゲットとはな。だが、そのお陰で俺は迷わずにここまで来れた)
『ここ』の事は少なからず知っていた。
自分の所属している『組織もどき』の標的の一つ。
ここには組織が喉から手が出るほど欲しいデータが山のように存在している。
だが、今の今まであらゆる手段をもってしても侵入できず、気がつけば元来た場所に戻ってしまうという、そんな奇妙な場所だった。
だがどういうわけか、自分は迷う事無くかなりの深部に到達している。
(……このまま、施設内まで行けるか……?)
そうなれば、『組織もどき』としては文句無しだろう。
その功績でベルトの所有者として認められる可能性もある。
(そうなればいいんだがな……)
そう思っていた矢先。
そんな二人の前に、一人の男が立ち塞がった。
「誰?!」
「僕だよ……月宮さん。それに、折原君……だったかな」
「草薙君!」
懐中電灯に照らされて、眩しそうにしている草薙紫雲がそこにいた。
(……こうして改めて見ると、どうにもただのお人好しにしか見えないが……)
その実体は、最初のベルトを内包する実験体。
いままで『組織もどき』の活動をことごとく妨害している『仮面ライダー』。
そんな存在が自分を知っていた事に、浩平は少なからず驚いていた。
「……何で俺の名前を?」
「少し前、大学で会っただろ?長森さんや七瀬さんと一緒に」
「ああ、そういや、そうだったような……」
微かな記憶を手繰り、そんな男がいた事を浩平はなんとなく頭に浮かべた。
そんな浩平の思考など知る由もなく、紫雲は言葉を続けた。
「まあ、それはさておき。
悪いけど、ここから先は私有地というか国有地というか。関係者以外は立ち入り禁止なんだ。
引き取ってもらえるかな」
「ええ〜!せっかくここまで来たのに〜!何処に行くんだろうって心配だったんだよ?」
「いや、そんな事言われても困るんだけど……」
「ひどいよ〜」
「ぐ。あ、いや、ホントにごめん。今度お詫びするから」
「……」
(……さあて、どうするかな……)
暫く考え込んでいた浩平だったが、一つの結論を出した。
「……そうか。なら仕方ねーな。月宮、ここは引いとこうぜ」
「でもー……」
「しこたま高いものをたかってやればいいさ。なあ?」
「……しょうがないなぁ」
「ぐ。手加減してくれると助かるんだけどな……」
「それは諦めろ。代わりに俺はこいつを連れて帰ってやるから」
「そう?じゃあ……頼むよ」
「ああ……」
(……欲を言えば、もう少し奥に入りたかったんだが……)
ここで警戒されると後々行動がし辛くなる。
今の任務は目前の男の監視であって、施設への侵入ではない。
ここまで来ておいて、と難癖をつける奴もいるだろうが、そいつらを納得させるには十分な理由となるだろう。
(まあ、施設内に入れれば優先順位は変わるがな……)
どっちが得となり得るのかを思えば当然ではある。
そう思いながら背を向けた時。
「浩平君……?」
そんな聞き覚えのある声に、浩平は振り向かずにはいられなかった。
「……みさき、先輩?……雪見先輩も」
「その声……やっぱりそうなんだ」
そこには、高校時代の自分の先輩である二人の女性が立っていた。
そんな予想外の出来事に、浩平は思ったままの言葉を口にした。
「二人とも、なんでこんな所に……?」
「まあ、いろいろあるんだよ」
その会話を眺めてから、紫雲は事情をすぐに説明してくれそうな人物に話し掛けた。
ただその言葉にはごく軽い非難が込められていた。
「深山さん……どういうことですか?」
「ごめんなさい、止めたんだけど……」
その言葉で大体の事情は窺えた。
溜息を吐きつつ気を取り直した紫雲は、今度はみさきに声を掛けた。
「川名さんのお知り合いだったんですか?」
「うん。高校時代の後輩で友達。
ねえ、もうすぐ夜だし、友達もいるみたいだから中に入れて上げたら駄目かな」
「駄目ですよ。規則を忘れたわけじゃないでしょ?」
「大丈夫だよ。浩平君は普通の男の子だから」
「ですが……………………」
「意地悪」
「ぐ…………分かりました」
みさきの一言であっさり折れる辺り、草薙紫雲という人間の優しさ……この場合は甘さ……が窺い知れる。
……とは言え、紫雲もただ甘さだけでいっているわけではなく、自分なりの判断も含めての発言だったりするのだが。
「紫雲君、ありがと」
「ごめんね、草薙君」
「でも、規定通りボディチェックは……って……?」
そう言い掛けた瞬間、紫雲は一瞬動きを止め、ズボンから携帯を取り出した。
着メロを切って、何処からか掛かってきたらしい電話に出ると声を上げた。
「……水瀬さん?………なに?!……ああ、分かった」
極めて険しい表情で紫雲は携帯を閉じた。
「パーゼストなの?」
「ええ。……今から東京に戻ります。ですから、その二人の事、頼みます。
月宮さん、折原君。川名さんたちの言う事をちゃんと聞いてね」
「うぐぅ……子供扱いしないでよー。ねえ折原君」
「……ああ」
(予定変更、だな)
頷きながら、浩平は微かに笑っていた。
「……」
「……」
何も言わず祐一はただ震えていた。
それに対しどうしようもなかった名雪はただ時間を置くしか方策を持てなかった。
それから少し経って。
少しは落ち着いたのか、いつの間にか起き上がっていた祐一はベッドに腰掛けて、緊急ニュースを眺めていた。
名雪はそのすぐ近くに座り込んで、ニュースと祐一を交互に見ていた。
そのニュース番組が一段落ついて、CMを迎えた瞬間。
「……っ……」
「祐一……?!」
食い入るようにテレビを見据えていた祐一が立ち上がった。
(……まだ、痛むが……動けないほどじゃない……)
そのふらつく足取りで、祐一が怪我していた事に名雪は気付いた。
「怪我してるの……?!」
「大した、怪我じゃない……」
言いながら祐一は、テーブルに置いていたベルトに手を伸ばす。
(あいつを探す……そして、倒す……そうしなきゃ、被害が増える一方だ……!)
ニュースを見て、改めて事態を認識し、そうして自分を奮い上がらせたつもりだった。
だが。
「……!……」
ベルトに向かって伸ばしたその手は、止まった。
震えながら、伸ばしたまま、動かなかった。
その脳裏に浮かぶのは、数時間前の戦いだった。
自分の放った最高の力。
それをいとも容易く打ち破った存在。
それに再び相対する事は、何を意味するのか。
し。
シ。
死。
無意識に浮かぶイメージが、祐一の手をただ震えさせていた。
(くそ、くそっ……!!)
声にならない声を上げて、手を伸ばす。
だが、その腕は祐一の心の奥を映したように、動かなかった。
その時。
テーブルの上に置かれたベルトと鍵を、名雪が拾い上げた。
ベルトと鍵を追う視線の流れで、祐一は名雪を見つめた。
「名雪……?」
「無理しないでいいよ、祐一」
名雪は優しくいたわるような微笑みを浮かべて、言った。
「誰だって死ぬのは怖いよ。当たり前の事だよ。
祐一は……頑張ったよ。だから、後は任せて」
「……何を、言ってるんだ?」
「祐一が戦わないのなら、戦えないのなら、私が戦う」
「な……?!馬鹿言うな!」
「馬鹿じゃないよ。祐一、怪我してるんだしそんなんじゃ、多分……」
勝てないよ、とは言えず名雪は口を噤んだ。
祐一は、その後に続く言葉を自分のイメージで補完した。
そして、それゆえに、何も言えなくなった。
「だから……少なくとも元気になるまでの間は私が頑張るよ。
とりあえずベルトは預かるから。祐一は、ゆっくり休んでて……じゃ」
「……ぁ……」
背を向けた名雪に伸ばした手は。
届く事が、無かった。
そして、その後を追う事もできなかった。
伸ばした手は、硬く硬く握られ。
行き場のない感情とともに、テーブルに落ちた。
ガチャン……!と何かが揺れる音が響いた。
それが聞こえても、名雪は部屋に戻る事ができなかった。
「祐一……」
辛かった。
あんな祐一を見るのは初めてだったから。
見たくない。
あんな祐一でいて欲しくない。
それでも、祐一を辛い目に遭わせたくはなかった。
「……私、訳わからないよ」
祐一が戦えば傷つく。
それが分かっていても、早くいつもの祐一に戻ってほしい。
でも、祐一が傷つくのは嫌な事だ。
そんなジレンマ。
そんな二律背反。
そんなエゴ。
でも。
それでも。
自分の知っている、自分が好きになった相沢祐一であってほしい。
それが、自分が一番望んでいる事であり、祐一自身も望んでいる事のはずだ。
(大丈夫、だよね)
ベルトと鍵をぎゅっ……と握り締める。
水瀬名雪は『本当の』相沢祐一を信じて待つ。
そうする事を、名雪は決意し、覚悟した。
ただ、その前に連絡しておいた方がいいだろう。
……もう一人の『ライダー』に。
そう考えた名雪は携帯を開いた。
白く長い通路を二人は会話を交わしながら歩いていた。
「そういうわけだから後の事は頼む。事が終わり次第すぐに戻るから」
紫雲の言葉に命は頷いた。
「分かった。……多分、同じ事件だろうが……直接要請があったから、丁度いいだろう」
「直接要請……?!」
その言葉が意味する事。
それは事態の大きさを紫雲に伝えた。
「……だとすると、のんびりバスで戻る暇はないな……」
「そのことは心配ない。相沢君に届けるついでに乗って欲しいものがあるんでな。それを使うといい」
「?」
「まさか意味なく『こっち』に歩いていると思ったのか?馬鹿だな」
二人が歩いているのは第9区画。
この施設内で扱う全ての物資が行き交う、そんな場所。
ここだけは、その必要上唯一『外』と直接繋がっていて、結界でカバーできない通路。
ゆえに、最も複雑であり、最も厳重である区域。
幾つもの警備、複雑な道程を越えて二人はその奥に到達する。
「これは……?」
そこには、一台のバイクがあった。
光沢を放つ白銀色、そして流線型のボディ。
その所々に赤いラインが走っている。
メーター部分のさらに上部。
そこには、何かを映す為の小型ディスプレイが設置されていた。
「パーゼストを追うために作られた専用バイク『クリムゾンハウンド』だ。
相沢君のベルトと平行して開発されていたものだが、渡す機会がなくてな。
これがあれば、パーゼスト探索の時間ロスを減らせるだろう。
相沢君にちゃんと渡すんだぞ」
「……」
「不満そうな顔だな。お前にはちゃんと自分のバイクがあるだろ?」
「……そういう事じゃない」
渡すべき相手にやる気が無いのなら仕方がないんじゃないか……
紫雲はその言葉を噛み殺した。
ここで言っても詮無い事だと判断して。
その様子を命は不審には思ったが、同じ様に判断し、何も言わなかった。
「それと後一つ。ベルトの事で相沢君に伝言がある」
その言葉の後、命が話した事に紫雲は軽く頷いた。
「ああ、覚えていたら伝えるよ。じゃ、僕は行く」
「おい、先に変身しておけよ。せっかくのバイクを変異させられたらたまらん」
「……分かったよ」
跨りかけた脚を下ろし、紫雲は意識を集中した。
腹部に鍵が刺さったままのベルトが浮かび上がる。
「……変身」
言って、鍵を廻す。
黒と紫の閃光が辺りを包む。
それが収まると、エグザイルがそこに立っていた。
改めてバイクに跨ったエグザイルはエンジンを入れた。
サーチ機能を起動させるが、今の所パーゼストは感知していない。
マップを広域展開すると、赤い輝きが点灯している。
これが祐一のベルトだろう。
「……じゃ、今度こそ行く」
「ああ。ここからだと直通通路しかないからな。諦めてそこを行け」
「分かってるよ」
「気をつけてな」
その言葉に頷いて、エグザイルはバイクを発進させた。
「……大した速さだ……」
しばらく輸送用の通路を進んで、エグザイルはそんな言葉を漏らした。
因子変異影響を与えていないのに、その速度は自分の愛機であるシュバルツアイゼンに劣っていない。
短時間での加速を考えれば、総合性能は上かもしれない。
施設の構造上回り道を強いられ、行きよりも道程は長くなる。
だが、それを含めてもかなり速く東京に戻る事ができるだろう。
「……さて、持ち主候補は大丈夫かな……」
呟いたエグザイルはさらに速度を上げ、白い通路を抜けていった……
「……」
朝。
港沿いに位置する公園で、青年は海を眺めていた。
己を構成する遺伝子の故郷たる海を。
そして、その向こうに映る、敵対種が生きているビルの群れを。
「そろそろ、頃合か」
人間としての知識が青年に教えていた。
人が動くのは夜ではなく、朝。
そして、人がもっとも行き交うのは駅。
ここから最寄で人が集まる駅が何処なのかはすでに下見をしてある。
この港沿いの道を少し歩いて、そこから都市中心部に向かって行けば一時間で到達するだろう。
「……」
少し考えて、青年はその姿をシャークパーゼストに変異させた。
多くの人間に目撃され、いち早く軍……自衛隊を呼び出すように。
そう簡単に出動しないらしい事は分かっているが、それを繰り返せば問題なくやってくるだろう。
こんなにも脆い生命体が、自分を放っておくとは思えない。
自分が同じように脆い存在なら、早急に滅ぼそうとするだろう。
もしそうでないというのなら。
人間という種は生存本能が余程希薄な種であり、尚の事滅ぶべき存在であろう。
「ひ……ひぃぃっ!!」
唐突に、そんな声が上がる。
ふと見ると、人から怪物への変異を目撃したのかジャージを着た中年の男が転んでいた。
『……ふむ』
呟いて、シャークパーゼストは男に歩み寄った。
ただ歩く……それだけでコンクリート製の地面を粉砕する、圧倒的な破壊の力を見せ付けて、男に告げた。
『死にたくなければ、見たまま全てを警察に届け出ろ。
そして、その化物は駅に向かったとな』
「は、はいぃぃぃっ!?」
その悲鳴を肯定と判断したのか。
シャークパーゼストは、男に背を向けて、ゆっくりと港沿いの道を歩き出した。
「……!」
朝食の準備をしていた名雪は『それ』を感じ取った。
いつも祐一たちが感じていたその感覚を。
新聞の紙面が、視界に映る。
そこは丁度昨日の事件が書き立てられた面。
殺人。
死者。
死。
怖い。
それでも、誰かが傷つくより。
祐一が傷つくより。
ずっと、マシだ。
あの時の祐一の決意を、名雪は今、心から理解した。
「……ふぁいと、だよ」
その言葉で自分を奮い立たせ。
名雪は寮を飛び出した。
ベッドに横になったままの祐一は、ずっと考え込んでいた。
眠る事無く。
眠れるはずも無く。
自分が元気になるまでの間。
名雪はそう言った。
だから、今、パーゼストが出たら。
名雪は、戦うだろう。
自分に戦わせたくない一心で。
それが『あの』パーゼストでもそれは変わらないだろう。
そして、それはどういう結果を生むのか。
祐一はすぐに思い至った。
「冗談じゃ、ない……!」
相沢祐一は水瀬名雪を失う。
しかも、それは他でもない自分のせいだ。
戦う事を決意したのに、その決意を放棄した自分の。
「……っ!」
苦しさから。
痛みから。
祐一は頭を抱えた。
それならいっそ、強い決意を持った者にベルトを委ねるべきだったのではないか。
そんな人間に自分は何度も出会っていたというのに。
『いつか、お前以上にそれを使えて、その資質とかがある奴が現れたら…………ベルトは、そいつに譲れよ。
……今、俺がそうしたように』
……まだ、そんな奴に会ってすらいない。
『……水瀬さんに免じてベルトは預けておく。今はね。
でも、いつか必要になった時は渡してもらう。
その時、君が強硬に抵抗するのなら、その時こそ容赦はしない』
……まだ、そんな時は来てもいない。
なのに、自分は覚悟していた事で怯えて、ここに留まっている。
挙句の果てに、我が身可愛さに自分の大事な人を戦場に送り出すような、そんな愚かしい事を。
「……俺は、馬鹿か……!?」
問わなくても、そんな事は分かりきっていた。
そんな自分への怒りが、重い身体を起き上がらせた。
恐怖。
それはまだ、残っている。
だが祐一自身への憤りがそれを微かに上回り。
祐一は、自分でも信じられないほど重くなっていた足を、ようやっと床に下ろした。
丁度その瞬間。
チャイムの音が一度だけ鳴り、部屋に響いた。
(……名雪であってくれ……!)
そう思いながら玄関に走り、ドアを開けた先には。
「……草薙……?」
不機嫌そうな紫雲が立っていた。
「水瀬さんが言ってたよりは元気そうだね」
その表情と感情のまま、紫雲は言葉を続けた。
「君に一つ聞きたい」
「……」
「今、先に水瀬さんを訪ねたが……彼女はいなかった。
君は、水瀬さんをむざむざ行かせたのか?」
紫雲が、そこに込めた感情。
それは、紛れもなく怒り。
滅多に見せない、パーゼストにしか向けた事がなかったであろう、確かな怒り。
だからこそ、祐一は答えなければならなかった。
「……ああ」
次の瞬間。
紫雲の拳が、祐一の顔面に突き刺さった。
それをまともに受けた祐一は、玄関先に倒れた。
祐一は驚かなかった。
その結果がわかっていて言ったのだから。
「…………っ」
「見損なった。いや、買い被りすぎてたのか」
自分を見る紫雲の視線が、冷たい。
だがそれも当然の事だろう。
自分が今、紫雲と同じ状況に立てば、きっと自分を殴っている。
むしろそうして欲しかった。
自分の眼を、はっきりと醒ます為に。
「……ああ、見損なったよ。俺も俺自身の事を。
こんなにも馬鹿で、こんなにも臆病だとは思わなかった」
頬に走る痛みが。
悔しさが。
祐一を立ち上がらせた。
「……」
「でもな、見損なったままには、しないさ」
言い捨てて、祐一は紫雲の横を抜けて部屋を出た。
そんな祐一を紫雲は呼び止める。
「何処に行くんだ?」
「名雪の所さ。決まってるだろ」
「怖いんじゃないのか」
「それでも、行くんだよ」
はあ、と息を吐きながら、紫雲は右手だけで頭を抱える仕草を見せた。
「水瀬さんの居場所は分かるのか?」
「う」
「……はあ」
再び溜息をついた紫雲は、鍵を取り出し、祐一に向かって放り投げた。
放物線を描いたそれを、祐一は右手だけで受け取り、確認した。
「なんだ、これ?」
「あそこに止めてあるバイクの鍵だよ」
寮の入口に停めてあるバイクを指差す。
「あのバイクは、パーゼストや鍵の位置を感知できるようになってる。
その上で自動で最短ルートを割り出すようにもできてるから、それで探したほうがいい」
「……サンキュ」
「別に。姉貴に頼まれただけだから。……すぐに僕も行く」
「ああ」
去っていく背中を眺めて、紫雲は微かに肩を落とした。
「僕は、何考えてるんだろうね」
戦いが怖くなったのなら、ここで止めさせておけばよかったはずなのに。
それが彼にとっては幸せな事かどうかはともかく。
死ぬ事は、無くなるのだから。
そしてそれは、自分にとっても都合がいい。
でも、心の何処かでは。
「難儀な事だよ」
ふん、と紫雲は笑った。
そんな言葉を残して。
紫雲もまた祐一の部屋を飛び出した。
「通報です!恐らく、昨日の……怪物ではないかと」
その言葉に、昨日の事件の処理に追われていた刑事課全員の動きが止まった。
「……場所は?!」
思わず叫んでいた敬介の言葉に、電話を受けた女性警官はその場所を告げた。
「沿岸地区か……全員で行くべきです、ここは」
「待て。もし誤報だったらどうする。ただの悪戯とも限らんぞ。
……橘、とりあえず現場に向かってくれ」
「はい。ですが、そいつに拳銃は……」
「装備を整えている時間はあるのか?」
「それは……」
「今は、状況確認が先だろう。行ってくれ」
「…………はい」
警察は人間の犯罪に対応する為の組織。
異常な事態にはついていけない。
いや、適応する事ができない。
(……くそっ……)
そんな自分達がもどかしく。
敬介は、ただ歯噛みするしかなかった。
「……あれ……なの?!」
沿岸を繋ぐ橋の近く。
河沿いに歩くその姿を見つけて、走りながら名雪は声を上げた。
深い紺色の、人でありながら人よりも大きなフォルム。
おそらく、間違いないだろう。
「待って!」
ベルトを持った名雪は全力で駆け抜けて、パーゼストの前に立ち塞がる。
そして、即座にベルトを巻きつけた。
『……なんだ、汝は?……それは、反因子の……?』
「へ、変身!」
答える代わりに名雪は鍵を廻し、変身した。
赤と黒が身体に巻き付き、名雪の姿はカノンに変わる。
「わ……やっぱり変身できるんだ……」
自分の姿を見回して、名雪は声を上げた。
誰でも変身できるとは聞いていたが、不思議な感触である。
体中に力が立ち昇って来る感覚。
北川がこだわり、祐一が自信を持っていたのも……理解できる。
『……なるほど。因子を持っていれば誰でも使用できるシステムか。
だが、昨日の男はどうした?生きていたはずだが』
シャークパーゼストの言葉で名雪は気付いた。
「……あなたが祐一を……?!」
『昨日その姿で我と戦った者の事なら、そうだろう』
「なら……私はあなたを許さないよっ!!」
かつて陸上部の部長としてならした脚力で地面を蹴る。
その動きは、カノンの能力もプラスされ、一瞬にしてシャークパーゼストとの間合いを詰めていた。
『む?!』
「えいっ!」
殴る事に躊躇いはある。
だが、今の名雪はその躊躇いよりも祐一を傷つけた存在への怒りが上回っていた。
その一撃は無意識に、だが的確に鳩尾に入っていた。
だが。
『……』
「え?あれ?」
それは昨日同様、シャークパーゼストに何の痛痒も与える事はできなかった。
『……昨日よりも幾分速い事には驚かされたが……打撃力が落ちている。
それでは、我を倒せない』
「きゃっ!」
鳩尾に入った手を掴まれ、カノンは宙吊りの形でその身体を持ち上げられた。
そこから逃れようとカノンはその体勢から何度も蹴りを繰り出すが、シャークパーゼストは微動だにしない。
「……このっ!!このっ!!」
『昨日はまだしも、今日はそれなりに急いでいる。ゆえに……お前の相手をしている暇はない』
シャークパーゼストの右腕が『魔手』に変貌を遂げた……その時。
「その手を離せぇぇぇぇっ!!」
その声の方向に、カノンとパーゼストは同時に振り向いた。
こちらに向かって疾走してくる、見慣れない一台のバイク。
だが、メット越しからでも周囲に響く叫びで、それに乗っているのが誰なのか名雪には分かった。
それが誰の声なのか、他ならぬ名雪に分からないはずはなかった。
「祐一……っ!」
来てくれたという安堵の気持ちからか。
集中を取り戻したカノンの右拳が、赤く輝いた。
「……!……えいっ!!」
カノン……名雪は、それを自分を掴むシャークパーゼストの左腕に叩き付けた!
『……!……ちぃっ』
「っ……きゃああああっ?!」
放り投げられたカノンは、まるで狙い済ましたかのように『クリムゾンハウンド』の近くに叩きつけられた。
すぐさまバイクを停めた祐一は、飛び降りるような勢いでバイクから降り、衝撃でベルトが外れ変身が解けた名雪の側にしゃがみ込んだ。
「名雪っ!」
「痛いよ……祐一……」
「名雪!大丈夫か?!」
「変身してなかったら大怪我だったよ……」
名雪自身がそう言う様に、変身していたため名雪に大きな怪我はないようだった。
「名雪。心配かけたな。怖い目にも遭わせて、本当に悪かった。
……後から来てカッコ悪いけど……後は、俺に任せてくれ」
「祐一……でも、手が……」
恐怖はまだ拭い去れていない。
それを証明するように、祐一の手は、まだ震えていた。
「怖いんだよね。だったら……」
「当たり前だろ。
でもな、そんなの、覚悟の上で俺は戦う事を決めたんだ。
始めから、俺はそうだったんだからな」
始めてパーゼストに遭遇した時。
今と同じ様に恐怖を覚えた。
圧倒的な力の差。
そして、絶対の死を感じた。
それは、今感じているものと同じだったはずだ。
慣れはそんな事さえ忘れさせてしまっていた。
そう。
自分は強くないのだ。
死に怯えて震えるような、弱い人間。
でも、だからこそ、強くなると決めた。
"仮面"をつけて強くなる事を。
「だから、怖いのは……俺の役目だ!!」
ベルトを巻きつける手が。
鍵を持つ手が震える。
『……汝、昨日の男か。無様だぞ。そして無謀だ』
「承知の上だ……っ!!」
それでも。
震える手を、込める力で抑え付け。
祐一は、鍵をパーゼストに向けて突きつけた。
「変、身!!」
叫んで鍵を廻す。
次の瞬間、ベルトから溢れた光が祐一を覆い、変化させる。
そう、仮面ライダーカノンに。
「名雪。ここから逃げろ」
「でも」
「お前が呼んだ、草薙の馬鹿もこっちに向かってる。
なんとでもなる。だから、行け!!」
「祐一……」
もう、そこにいるのは、いつもの祐一だった。
だったら、自分が無理をする必要はない。
いつもの自分に戻った上で、やるべき事はたった一つだ。
「分かったよ……私、祐一の部屋で待ってるからね!」
「ああ。すぐに帰るさ。そしたら……イチゴサンデーでも、奢ってやるよ」
「うんっ……!約束だよっ!」
名雪は、精一杯に笑顔を浮かべ、その場から走り去った。
祐一はそれを目で追う事はしなかった。
ただ、名雪を護る為に、名雪の命を脅かす存在に向き合うだけだった。
「……案の定、逃がしてくれたか。余裕たっぷりで助かるよ」
『無駄な時間を使った。ただの人間を追っている余裕は我にはない』
ズン……と足を一歩踏み出す。
それだけで、地面が、全てが揺れるような錯覚が祐一を襲う。
『汝を滅ぼして、やるべき事を成す。覚悟するがいい……!!』
変化させたままの『魔手』を一振りする。
そこから大気を震わせる衝撃波が生まれる。
いとも簡単に吹き飛ばされ、カノンは地面を転がった。
「ち……」
すぐさま起き上がるが、シャークパーゼストが悠然とそこに佇んでいた。
心意気では力の差は埋まらない。
それが現実。
改めてそれを思い知らされる。
『消えろ……!!』
変化していない左腕が振り上げられ……落とされる。
そこにあるのは圧倒的な力。
「ち……!!」
避けられない……そう思考したカノンはダメージを覚悟した。
だが。
『く……?!』
瞬間的に、シャークパーゼストの動きが鈍る。
「……?!」
そこを見極めて、カノンは横に飛んで攻撃を避けた。
さっきまでカノンがいた場所が地面ごと深々と抉り取られる。
その破壊力に驚嘆するが、カノン……祐一は別の事が気に掛かった。
(今、どうして遅くなった?!)
手加減はありえない。
なら、何かしらの原因があるはずだ。
そう思い、カノンは距離を取り、シャークパーゼストを注意深く観察した。
そして"それ"を見つけた。
(あの傷は、いつの間に……?!)
左腕。
その肘の辺りに罅割れが入っていた。
それが先程の動作を阻害させた要因なのは明らかだった。
(そうか、さっきの名雪の……)
祐一に気を取られ、不意を突く形となった一撃。
その事実で、祐一は気付いた。
「そういう事か!」
吼えたカノンの右腕に赤い閃光が巻き付く。
『はああっ!!』
「うおおおおおおっ!!」
再び揮われた『魔手』を前周り受身の要領で潜り抜け、カノンは無防備なその背中に紅の拳を突き立てた。
すると……!
『ぐうっ!?』
「効いたっ!!!」
祐一の推測は当たっていた。
確かに通常の攻撃では、シャークパーゼストの頑健な皮膚を破る事はできない。
だが反因子と因子を複合させているという『エネルギー』を集中させた攻撃は別だ。
最大の威力を誇るキックを当てた手は『痺れた』と、攻撃を受けた当人が言い、事実、それを受けるためにわざわざ形状変化させた腕さえもボロボロになっていた。
とすれば。
(……ただひたすら、当てるまでだ!!)
『がああっ!!』
「当たるかっ!」
三度魔手から放たれる凄まじい一撃。
虚空を走った衝撃波は、カノンの遥か後方にあった、ビルのプレートを砕いた。
目に見えない攻撃だが、そのモーションを見切れば避ける事は不可能ではない。
力、皮膚では圧倒的にカノンが不利。
だが、瞬発力、スピードにおいては、カノンの方が一歩上だった。
紙一重で、放たれた払い手を避けたカノンは、懐に入り込み紅いボディブローを叩き込む……!
「……くらえっ!」
『があっ!!』
その一撃を腹部に受けたシャークパーゼストが苦悶の声を上げる。
攻撃を受けた箇所は、名雪が攻撃を当てた場所同様、罅割れを起こしていた。
(いける……!)
勝利への確信が、祐一を支配し、身体を突き動かす。
だが。
「うおおおっ!!」
『……調子に乗るな!』
心に生じた隙は、祐一が思う以上に大きいものだった。
単調になったその一撃を今度はシャークパーゼストが避ける。
そして、隙だらけになったカノンの身体を『魔手』で掴み、地面に叩き付けた。
「ぐぅっ!?」
仰向けに倒れたカノンの胸に、シャークパーゼストの脚が振り落とされた。
「があああっ!」
『ふん。慢心したな』
「ち……ちくしょ……う……!」
『少しずつ我のダメージを蓄積させるというのは策としてよかった。だが、無駄だ』
次の瞬間。
シャークパーゼストの身体についていた全身の傷が再生していった。
名雪がつけた傷も、祐一が二度つけた傷も、例外なく消滅した。
「く……」
『汝と我では根本的な性能が違う。諦めろ』
「ぐ、あああああっ!!」
踏まれた胸がミシッと一際高い音を立てる……!
……諦める。
それは、一番楽だ。
後の事を忘れて。
何もかも捨てて。
全てを状況に委ねればいいのだから。
だが。
それでも、男は。
そういう時こそ、男は。
「……めるか……」
『?』
「諦めて、たまるかあああああっ!!」
吠えたカノンの両拳が輝き、自らを踏みつけるシャークパーゼストの脚に突き刺さる!!
『ぐううっ!?貴様……?!』
「男には、諦めちゃいけない時が、戦うべき時が、あるんだよ!
例え、どんなに可能性が低くてもな!!」
シャークパーゼストが退いた隙を見逃さず、カノンは立ち上がった。
だが、その代償はそれなりに大きかった。
普段は片手にのみ集中するエネルギーを両手同時に解放した為か、その身体はふらついていた。
『……その気迫。見事だ。我らの仲間に引き入れたいと思うほどに。
だが、策は尽きた。
最早、汝に成す術はない』
確かに。
ダメージも深く。
満身創痍だ。
だからといって、逃げるわけにはいかない。
(どうする……?!)
その瞬間。
声が、響いた。
「……貴様は聞いてなかったのか?」
『?!』
「策なんか関係ない。
成す術があろうがなかろうが、知った事か。
戦うべき時が今だと、そこの彼は言った筈だ」
そこに立つのは、紫の戦士。
仮面ライダーエグザイル。
「草薙!」
『貴様も、反因子の戦士か』
その言葉に答える事無く、エグザイルはカノンに向かって叫んだ。
それは、紫雲が命から伝え聞いた、その言葉。
「相沢君!鍵をもう一度廻せ!!」
「馬鹿か?!変身解除してどうするんだよ!!」
その言葉の意味が分からず、カノンは叫んだ。
「違う!変身の時と同じ方向にもう一度だ!!」
「……?!」
それが何を意味するのかは分からない。
ただ、そうするべきだと、エグザイル……紫雲は言っている。
そして、こんな時に世迷言を言うような男じゃない事を、カノン……祐一は知っていた。
だからこそ、その言葉に従って、カノンは鍵を……廻した。
「っ??!!!」
その瞬間。
身体の中を流れる何かが、高熱を放ち、さらなる速度で全身を駆け巡る。
それが、カノンの、祐一の感覚を支配した。
それは内面だけではなく、カノンの外面にも変化を与えた。
身体を巡っていた一本のライン。
その流れが、まるで決壊する様に三本のラインに分かれ、その色もさらに深い紅へと変わる。
そして、それでも溢れるエネルギーは、カノンの身体を薄く発光させているようにさえ見えた。
それは、因子を持たない人間のためのセーフティ機能を解除した姿。
最大出力まで高めた、カノン本来の形態。
仮面ライダーカノン・リミテッドフォーム……!!
『む?!』
普段よりも遥かに高いエネルギーが体中に満ちている。
それだけに負担も大きいのか、祐一の身体は軋んでいた。
だが。
「……これなら……っ!!」
その確信と共に、祐一は跳躍した。
身体に纏っていた光が脚部に収束され、今までよりも力強く輝く。
そして、溢れるエネルギーがカノンを一筋の閃光と化し、シャークパーゼストへと解き放った!!
『何?!』
「くらえええええっ!!」
それに対しシャークパーゼストは『魔手』と化した両腕を組んで迎え撃つ!!
『がああああ……hhuuuuuuuuu!!』
「おおおおおっ!!」
衝突音が、響き渡る。
『双魔手』と紅い蹴撃の衝突。
それは決着がついた筈の攻防。
だが。
『……?!!』
閃光舞い散る拮抗の最中。
予想を遥かに上回るエネルギーが。
シャークパーゼストの腕に少しずつ皹を入れていく……!!
『……ちぃっ!ならば、再生するまで……なに?!』
そこで。
シャークパーゼストにとって予想外の事が起こった。
『力が……集まらないだと!?』
一度破壊されたものを再生する力が、集まらない。
そのためのエネルギーを枯渇させてしまっていた。
カノンと初めて遭遇した時点ならば、再生は可能だっただろう。
だが、名雪が、祐一が重ねた行為がそれを不可能にしていた。
腕は再生される事なく、さらなる罅割れを広げていく……!!
『く……反因子めぇぇっ!!』
「覚えとけ!俺らは反因子とかいう名前じゃない!!」
『?!!』
紅の奔流が。
圧倒的流れのままに。
魔手を打ち砕き……!!
「俺たちは!仮面ライダーだ!!!」
その蹴撃は、シャークパーゼストの胸部を捉え、突き刺さる……!!!
『ぐ、があああああああ……huujukjjjji?!!』
肉を砕き、骨を絶ち、全てを消し去る。
その衝撃を受けたシャークパーゼストは、凄まじい速度でその巨躯を吹き飛ばされ、水面に衝突し水柱を生み出した。
そんな水柱の中から、光の粒が立ち昇る。
それは、この戦いの終わりを告げていた……
「なんだ!?」
沿岸同士を繋ぐ、橋の上。
その上を車で走らせていた敬介は、眼を見開いた。
遠目から彼が見ることができたのは。
紅い閃光と。
それに次いで巻き起こった大きな水柱。
そして、その周囲に散らばっていく光の粒だった。
それが、自分が追っていた大量殺人事件のとりあえずの終わりである事。
それが、自分にとって、大きな変化の始まりである事を。
彼は、この時まだ知る由もなかった。
チャイムの音が鳴る。
「……っ……」
それに息を飲んで、名雪は玄関に走り、ドアを開けた。
そこには。
「……よ」
照れ臭そうに軽く手を上げる、祐一が立っていた。
「祐一っ……!」
「うわっっとぉ!?」
力を使いきり、身体に力が入らない祐一は、名雪に抱きつかれた勢いのまま後ろに倒れていく。
狭い通路なので、その背中は縁にもたれかかる状態となった。
「うわわっ!落ちる!落ちるって!」
「あ、ごめん……」
「ごめんじゃなくて早くどいてくれっ!マジで落ちるぅっ!!」
そんな二人の様子を、寮の下から見上げて紫雲は、軽く肩をすくめた。
「……やれやれ。
さて。こっちも大丈夫そうだし……向こうに遠野さんたちを迎えにいかないと……って」
着メロと振動が、自分への連絡を紫雲に伝える。
そろそろ充電しないと、などと考えながら電話に出た紫雲。
その表情が、一変した。
「……?!!」
その電話の向こうから響くもの。
それは、紫雲にとって信じがたい出来事を伝えるものだった……
……一日が終わり。
夜の黒が世界を覆う時間。
朝、人知れず行われた戦いの舞台。
海面から飛び出し、そこに降り立つ一つの影があった。
そこには、シャークパーゼストが立っていた。
両腕は砕かれ、腹部には大きな穴が空いている。
肉体の表層皮膚も反因子エネルギーの余波で削り取られていた。
だが、瞬時にそれは元の状態に戻る。
攻撃を受けながらの再生は無理だったが、ただ再生するだけの余力は残っていた。
だが、戦闘機能に深刻なダメージを受けた。
修復には暫くの時が必要だろう。
『…………』
物言わぬまま、シャークパーゼストは人間の姿に転じた。
そんな彼に、掛かる声があった。
「お前が敗走するとはな」
いつのまにか。
彼を囲む形で、新たに三人の人間がそこに現れた。
それらに向かって、青年は淡々とした声で答えた。
「面目ない」
「冗談だよ。気に病むな。ろくに力も出せない状態なら仕方あるまい」
……そう言ったのは、黒いスーツを着込んだ背の高い男。
「最初に調子こいて全力を出すからそういう事になるんだよ。
なんせ、この身体は脆いんだ。じっくりと俺ら向けに馴染ませねーとな」
……そう言ったのは、ラフなスタイルの服を着た、中肉中背の男。
「うん。それまでは様子を見ようじゃないか」
……そう言ったのは、何処にでもいそうな、そして何処にでもいなさそうな整った容貌の少年。
「……それも、やむなしか」
青年は微かに眉間に皺を寄せた。
その表情は、普通の人間にしか見えなかった。
「……仮面、ライダーか。その名、覚えておこう」
青年は呟いて、拳を握り締めた。
そうすると、何故か何かが湧き上がって来る様に思えたから、そうした。
その中に、感情らしきものを押し込めて。
彼らは何処かに歩き去った。
……続く。
次回予告。
折原浩平。
彼は護るべき者を護る為の力を欲した。
ゆえに、その身を影に委ねた。
そんな彼に一つの選択が訪れる……!
「……悪く、思うなよ」
乞うご期待はご自由に。
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