〜確信せざるを得ないもの〜
「舞と出会って、変わったこと、ですか?」
川澄不在の昼食の中。
投げ掛けた私の質問に、倉田さんの微笑みは微かな当惑へと変化していった。
彼女の表情の変化で、私は自分が如何に唐突な、この場においては見当外れな質問を口にしていたのか気付く。
「……。
すみません、今の質問は……」
無かった事にしてほしい……そう言おうとした瞬間。
そんな私の言葉を覆い隠すように……あるいは、私の言葉を護ろうとする様に、倉田さんが答えた。
「そうですね……たくさん、です」
「……たくさん、ですか?」
無かった事にしてほしいと言い掛けた手前だが、答えてもらった以上何も言わないわけにはいかず、私は尋ね返す。
倉田さんは、そんな間抜けな私に微笑みを薄く浮かべながら頷いて見せた。
「はい。
久瀬さんにはお話したでしょうか?
佐祐理が舞と『出会った』時の事を」
「……知っています」
校内に野犬が降りてきた時の事は、川澄にとっては悪い意味で、倉田さんにとっては良い意味で有名だった。
それ以降川澄と倉田さんが親しくなったのは誰の目にも明らかで、そういう意味でも私は良く知っていた。
「あの時、舞は何も持ってないからという理由で自分の手を噛ませていました。
何かを買ってくるという発想さえせず、迷いすらなくその場で自分の手を差し出した……その時は、目の前で見ていたのに、信じられませんでした」
倉田さんがそう言う気持ち・思考はよく理解できる。
そんな彼女だからこそ、多くの人間にとっては『異端』に見えたし、今も『異端』なのだ。
「佐祐理は……私は、そんな舞を見て、何かせずにはいられませんでした。
自分から誰かに関わる……それまで、そんな事はもう二度とない、そう思っていた、確信していた私をそうさせてくれたんです」
「……」
倉田さんの言葉の意味が、私には一瞬理解できなかった。
他人に関わる事が無い?
この、誰にでも受け入れられる笑顔……そんなものを信じられない私でさえ信じてしまいかねないような……を持つ倉田佐祐理が?
だが、その言葉は紛れも無く真実なのだろう。
倉田さんの、静かで穏やかな……それでいて力強さを感じさせる言葉と表情。
それは、私でさえ十二分に納得させるものだったのだから。
「舞は、過去に囚われていた佐祐理を……本当の意味でこの世界に戻してくれました。
そして、たくさんのものを佐祐理にくれました。
これで変わってないなんて言ってたら、罰が当たりますし……何より佐祐理自身――私自身私を許せません」
「……」
眼と言葉を刃にし、その矛先を自分にさえ向ける熱情。
そこまでの感情の存在を垣間見て、私は本当の意味で確信した。
倉田さんは、川澄の存在を掛け替えの無いものだと、親友だと思っているのだと。
今までは完全には飲み込めずにいた『親友』という言葉の意味を理解できる……そう思わせた。
「久瀬さんは、どうですか?」
今度は自分の番……そんな悪戯っぽさを感じさせつつも、優しい微笑みを向けて、倉田さんは尋ねた。
「何がですか?」
質問の意味を理解しながらも、私はなんとなく問い返す。
それに対し、倉田さんは微笑みを崩さないまま、言った。
「舞と『出会って』、話して、何かが変わったんじゃないですか?」
「……変わったのかもしれませんが、何がどう変わったのかは分かりません」
変わっている事実を言葉というカタチにして認めたくなかったのか、私は自分でも呆れる幼稚さと屁理屈を呟く。
それに気付いているのかいないのか……おそらくは気付いているのだろうが……倉田さんは質問を変えてみせた。
「じゃあ……舞をまだ、ただの不良少女だと、思っていますか?」
真っ直ぐな倉田さんの視線。
自分に注がれるソレは、私に逃げ場を与えない。
私は観念して、口を開いた。
「……少なくとも、ただの不良少女じゃないのは分かりました。
それだけです」
「それだけ、じゃないと思います。
それは十分な変化だと佐祐理は思いますよ」
「……」
にこやかにそう告げる倉田さん。
その笑顔を見ていると、何故か、してやれられたような、そんな気にさせられた。
かつて利用しようとし、個人的に惹かれた倉田佐祐理。
そんな彼女が今まで私には見せなかった一面を目の当たりにして、私は改めて思い知らされた。
川澄舞という少女が秘めている『何か』の強さ、もしくは大きさ……あるいは、認めたくはないが美しさを。
少なくともソレは、倉田さんを変えた。
そして、今、私でさえ……。
「そんな久瀬さんにお話と言うか、頼みたい事があるんですが……」
「? なんですか?」
なんとも言えない苦さとも甘さともとれない感情で私が押し黙っている中で、倉田さんが切り出した新たな話の方向性。
私は居心地の悪さと興味から、その話題に乗ろうとしたのだが……。
「それはまた近い内にしましょう」
それは他ならぬ倉田さん自身の口によって閉じられた。
その理由について私が何か口にする前に、浮かび上がった疑問はあっさりと解答される事となる。
「……」
「……っ!?
川澄、無言で後ろに立つのはやめてくれないか」
倉田さんが向けた笑顔の方向で、そこに川澄が立っている事に私は気付いた。
おそらく、倉田さんが口にしようとしたのは川澄絡みの事だと推察できる。
それゆえに、話を中断せざるを得なかったのだろう。
「……」
謝罪も抗弁もなく、川澄はただ無言で座っていた場所に再び腰を下ろした。
会話の事を何も言わず、問わず、黙々と食事を再開する姿は、マイペースというか、自己中心的というか……。
上手くは言えないが、なんというか……彼女らしい、そう思った。
「……。やれやれ」
「どうかされましたか?」
「いえ、なんでもありません。ただ……」
用意されたお茶を一口啜った後、私は呟いていた。
自分でも驚く、心の平静さで。
「確かに、私は変わったみたいですね」
川澄らしい。
ソレはらしさを、個性を認識してしまったという事。
そう思ってしまうまでに、私の中に川澄舞という存在は食い込んでいた。
「……久瀬さん……」
「……」
その時は、気付いていなかったのだが……その瞬間、私は笑っていたらしい。
そんな、私自身珍しいと思える笑みの意味に気づいた時。
私が笑っていた事を教えられた時。
私は、過去の自分を、その行いを悔いる事になるのだが……今は、その事を知る由もなく、倉田さんの作ったおかずを口に入れ、その美味さに舌鼓を打っていた。
その日の夜。
あの場所に行くまでの時間潰しに、私は自室でインターネットの動画を見ていた。
今日に限らず、勉強や生徒会の雑務を進める際の気分転換の為にたまに見ているのだが、時折こちらがメインになる事もあり、自分の意志力の弱さに苦笑する事もしばしばある。
……もう一度言っておくが、あくまでたまにだ。
「よし、そろそろ時間だし、あと一つ何か見たら行く事にするか」
私は、なんというか『習慣付け』が癖になっているようだ。
少し前から始めた『あの場所に行く事』も、行く時間、頃合を決めて動いている。
それがいつ終わるかもわからないというのに。
あるいは、終わる事を望んでない……この非日常がずっと続けばいいと思っているのか?
「……冗談じゃない」
私の中で起こっている変化は認めるが、それを認めるつもりはない。
彼女に関わるのは、あくまで解決までであり、その先は無い。
その方が双方の為になる……その筈だ。
「よし……これにするか」
そんな思考から逃げるように私が選んだ動画が、昔放映された『超能力番組』だったのだから我ながら苦笑する。
『魔物の正体』として少し前に考えた事が頭に引っ掛かっているがゆえの選択なのは自分が一番良く分かっていたからだ。
とはいえ。
「……参考にはならないだろうがね」
自分で選んでおいてなんだが。
広大かつ膨大なネットの情報の中、その一掴みに、世界から見れば認知度が低すぎる、ごく狭い範囲内での自分が求める答がある確率など、計算するだけ馬鹿らしい。
「フン。
まぁ、折角だし、昔を懐かしむつもりで………………っ?!」
見てみるとするか、と一人呟き掛けた瞬間。
私は自分の思考や予想を越えたものを画面の中に見て、息を呑み、目を見開いていた。
開かれたページに埋め込まれた、元の画像が古い事を感じさせる動画の中。
一人の少女が大人に囲まれ、所在なさげに立ち尽くしていた。
不安そうに周囲を見やり、視線を彷徨わせる少女の名は。
「……………川澄、舞………………?!」
その名前は、小さく見辛いながらも、確かに画面に記され、刻まれていた。
……続く。
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