〜見落としてしまったもの〜







 自分を包む冷気を切り裂くような心情で、私こと久瀬光昭は夜道を進んでいた。

「……」

 心なし足早に学校へと向かう私の脳裏にあったのは、家を出る前に見た『動画』の内容。
 すなわち、川澄舞の過去……その一端。

 彼女が抱えていた、あるいは今も抱えているかもしれないもの。

 それは今の状況と何かしら関係性があるのか。
 関係性の有無に関わらず、今の彼女は『過去』をどう思っているのか。
 何より、今私は彼女に会ってどんな顔で、何を話せばいいのか。
 
 様々な事が、疑問が、思考が頭を過ぎる。

「馬鹿か、私は」

 白い息を零し、呟く。
 
 そんなもの、余計な思考だ。
 今の状況の解決に関係のある事だけ拾い上げればいい。
 彼女にどう思われようと、この状況を片付ければそれでいい。
 それが双方の為だというのは紛れもない事実のはずだ。

「……チッ」

 自分らしくないと思いながらも、舌打ちを、苛立ちを抑え切れなかった。

 分かっている。
 川澄の事が気になっている自分に気付いている。
 気になっている理由が、状況の解決から微妙に変化しつつある事は、理解している。

 だが、それを認めるわけにはいかない。
 それを認めてしまえば、今まで通してきた客観的な立ち位置を崩してしまう。
 そうなってしまえば……全てが本末転倒だ。

 私はこの状況を公平な眼で見て、解決する為に彼女の近くにいたのだから。

「……馬鹿だ、私は」

 そんな事を考えながらも、律儀に川澄と自分用に自販機で缶コーヒー(当然ホット)を買ってしまっている事に我ながら呆れる。
 
「はぁ……まぁ、いい」

 自分への馬鹿馬鹿しい呆れのせいか、少し冷静な思考力が戻ってくる。
 今日はとりあえずあの動画の事は忘れよう。
 今後状況によって口にすべきかそうでないか決めればいい。

「やれやれ」

 自嘲と自戒を込めて、自分への呆れを口にする。
 そんな事を思考・行動しているうちに、私は学校に到着していた。   
 幾度も此処に来ている為か、この時刻に此処に入る事、存在している事に随分慣れてきた感があるのが我ながら悲しい。
  
(……全て解決したら忘れればいいさ)

 そう内心で呟きつつ、いつもの、もとい、ここ数日川澄がいた場所へと歩を進め……私は息を呑んだ。

「……?!」

 彼女はそこにいなかった。
 彼女がいない代わりに、そこには異変があった。
 砕かれた窓ガラスが辺りに散乱し、生まれた隙間から夜風……寒風が流れ込んでいる。 
 そして、何処か遠くで、何かが動き回る音が響いていた。
 ソレ以外は静かさで満ちている校内においてその音は異質で異常。
 それゆえに其処で何が起こっているのか即座に理解できた。

「上の階か……!」

 事実をそう認識した瞬間。
 気付いたら、私は駆け出していた。








 結論から言えば、私の認識は半分正解という所だった。
 ”それら”は、上の階ではなく私のいた場所と上の階の中間点にいたのだから。 

「っ!!」
 
 其処……踊り場で彼女は剣を振るっていた。
 少し上方にある窓から差し込む月光を浴びながら。

「…」

 瞬間、何故か呆けていた自分に気付いた私は頭を振って気を取り直し、現状把握すべく、彼女の周辺を油断無く見据えた。
 相も変わらず相手は見えない。
 それゆえに存在を疑いたくもなるのだが……。
 
「く……っ!」

 彼女の口から微かに漏れる苦痛とも疲労とも取れる息がそれを否定する。
 敵を見据える彼女の視線が、それを否定する。
 
 微かに、それを否定できない自分を否定したくなる。
 だが実際の自分の身体は、その思考とは真逆の行動をとっていた。
 自分自身よく分からないままに。
 恐怖や動揺さえ感じる間も無く。

 ガラスが割れる音が響いた。
 私が投げた缶コーヒーが、目標を逸れた結果だ。
 彼女との位置関係から目測したが、どうやら甘かったらしい。

『……?!』

 瞬間、動揺というには弱く、反応というには強い、そんな視線が私に注がれた。
 その瞬間だけ、校舎に本来の静寂が戻る。

 微かに疑問が湧く。
 それは川澄のみならず、魔物とやらもこちらを見たという事なのか……?

(なら、その間だけでも動きは止まっていたはず……!)

 そんな判断と思考を織り交ぜて、改めて測った位置に自分の分の缶コーヒーを投げつける。 
 今度の計算は正しかったらしく、私の投げた缶は何も無い筈の空中で撥ねた。

「っ!!」

 思わず息を呑む。
 撥ねた缶が地面に落ちた直後に自分に向けられた視線と、何かの圧力が迫っているのを肌で感じ取ったからだ。
 見えない何かが自分に近付いているのを私は確かに感じていた。
 
 だがそれは彼女に背を向けている事に他ならない。
 ソレに背があるかは知らないが、意識をこちらに向けた事が隙でしかなく、『背中を見せている』のは事実。

「は……ぁっ!!」

 小さくも鋭い声と共に、彼女が舞い降りる。
 それと共に振り下ろされた剣は、瞬間空中で静止し……やがて、通り過ぎた。

 見えない何かが霧散する。
 それに気付けたのは、彼女の剣が何かを切り裂いた次の瞬間に割れた窓からの寒風が私に叩きつけられたからだ。
 遮っていたものが無くなったとしか言いようが無い、窓を開けた瞬間に入り込むのと同じ風の形だった。
 
「……倒した、のか?」

 色々な意味で半信半疑な言葉を零す。
 そんな私に顔を向け、川澄は小さく頷いた。

「これで2体目」
「……2体?」

 その発言は、私にとって寝耳に水だった。

「まさか、魔物とやらは複数存在しているのか……?!」

 私の言葉に、川澄は先程と同様に頷いて見せた。
 私は慌てて周囲を見やる。

「……今日はもう出ない」

 そんな私に向けてなのか、彼女が呟く。

「どうしてそんな事が言える?」
「なんとなく分かるから」
「……」

 非論理的かついい加減過ぎる言葉に声が出ない。
 しかし、それは此処に長く存在している彼女の言葉。
 それなりの確信はあるのだろう。
 
「……まぁいい。
 今日はもう出ないというのなら、これ以上此処にいても仕方ないんじゃないか?」

 コクリ、と首を縦に振る川澄。
  
「じゃあ、帰るか」

 色々話すべき事がある気はしたが、正直気疲れしていた。
 此処に来る前の感情・思考を多少引きずっている事もあり、私はそう言った。

「……」

 そんな私に対し、川澄は無言で何か言いたげな視線を送ってきた。
 少し前の私では気付かなかったであろう『言葉』を含んだ視線に、私はなんとなく耐え切れず、思わず口を開いた。

「何だ?」
「……ガラス」
「…………………っ!?」

 指摘されて気付く。
 此処のガラスを、他ならない私が割ってしまったという事実に。

 なんという失態。
 散々川澄を責めた『事実』を他ならない自分自身で作ってしまうとは。 
 しかもその瞬間、私の頭には……その『事実』を作った事に、そうした事に疑念さえ浮かばなかった。 

 弁明の余地も無い現実に、私は頭を抱えるしかできなかった……。








「仕方ない……。
 後は明日報告して何とかしよう……」

 ハァ、と溜息を吐く。
 それは、事実を指摘されて暫し懊悩していたが、このままというわけにはいかず、いつも川澄がいた場所も含めて掃除し終えた後の結びの溜息だった。

「……」
「ああ、それは脇に置いておいてくれ」

 とりあえずガラスを纏めて入れたバケツを持っていた川澄に言う。

 彼女は私が掃除を始めると、何処からか道具を持ってきて手伝ってくれた。
 正直少し驚いたが、そもそも彼女が原因なので当然と言えば当然の事だ。

 なのに、何処かで礼を言いそうになっている自分に呆れてしまう。
 どうにもずっと調子が狂っている。

「……」

 そんな自分を振り払うべく小さく頭を振ってから、私は言った。
 
「明日は私が事情を適当に考えて先生達に説明しておく。
 だから君は普通に登校していい」
「……何故?」
「何故って、その方が面倒が無い……」
「そうじゃない。何故、私を庇うの?」
「……今、君に退学されたら真実が分からなくなる。だからだ。
 勿論半分は自分で割った分の責任を果たす為だがね」

 その言葉に嘘は無い。
 紛れも無い真実に他ならない。
 だというのに……私は何処かで何かが引っかかっているのを感じていた。
 
「だから、君は別に何も気にしなくていいし、何もしなくていい。
 君がいると話がこじれる気がするしな」

 そんな何かを誤魔化すように、さらに自分らしからぬ言葉を続ける自分に驚く。

 いや、正直な所、とうの昔に驚いていたのかもしれない。
 あの時、迷う事無く缶を投げつけていた自分に。
 その時から、あるいは動画を見た時から続く動揺が、らしくない自分を続けている理由なのかもしれない。

 そんな私の思考など知る由も無い川澄は、静かに私を見据え、暫し間を空けた後頷いてみせた。

「……じゃあ、今度こそ帰るか」

 川澄がそれ以上追究しない事に安堵しつつ、歩き出した。
 静かさを取り戻した校舎に二種類の足音が響く。
      
「……ん?」

 ふと違和感を覚え、足を停める。
 もう一つの足音が微妙にずれているような、遠ざかっているような……そんな気がして振り向くと、いつのまにか川澄との距離が随分離れていた。
 この場を早く離れたいと思っていた自分が足早になっていたのかと思ったが、そうではない。

 理由は他でもない。
 川澄の歩行速度が妙に遅かったからだ。
 よく注意してみると、彼女は片足を引きずるように歩いていた。

「……怪我してたのか?」
「……」

 その問いに彼女は答えなかった。
 だが彼女の足に異常があるのは、その動きから紛れも無い事実。
 
「病院に行ったほうがいいんじゃないか?」
「……必要ない」
「大丈夫なのか?」
「……必要ない」

 違う質問に対し、あえて同じ答を繰り返したのは心配は不要という主張か、頑固さか、あるいはなんとなくか。
 いずれにせよ、どうやら病院に行くつもりは毛頭無いらしかった。
 
「はぁ……分かった」

 諦めて再び歩き出す私。

 微かに肩を貸すべきではないかという思考が浮かぶが、それもまたらしくない。
 私にとっても、彼女にとっても。

 これ以上調子を狂わせるのは、正直避けたかった。
 だから、本人が大丈夫だと言ってるんだからと納得しようとする。
 
 そんな思考の中で、ふと疑問が浮かび上がった。

「……川澄」
「?」

 振り向いた先の川澄は小さく首を傾げていた。
 大人びた彼女の容姿とは逆の、何処か子供のような首の傾げ方だと私は思った。
  
「………………………いや、なんでもない」

 それを見て、何故か私は浮かんだ疑問を霧散させてしまった。
 何故その怪我を自分で治さないのか、という現実離れした疑問を。

 かつて彼女がテレビ番組で見せた『奇跡』。
 それが頭にちらつきながらも、不思議そうに私を見る川澄の顔を見て、私は何も言えなくなっていた。






 
 この時点で気付くべきだったのだ。

 私の中の川澄への客観性は最早失われつつあった事を。
 
 その事に気付こうともせず。
 いや、気付きつつあったのに見て見ぬふりをして、私は疑問を形にする事を避けてしまった。

 それが何を招く事になるかも気付かないまま、私は歩いていった。
 川澄の歩く早さに合わせながら、ゆっくりと。
  






……続く。 





第九話はもうしばらくお待ちください

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