〜変わっていく者、変わっていった者〜
「ふあ……」
翌日の昼休み。
嬢業が終わった途端、いつもなら噛み殺せる欠伸を殺しきれず、それを形にしてしまう自分に思わず苦笑した。
(……やれやれ。疲れでもたまっているのか?)
この所の川澄絡みの真実追求の活動。
少なくとも、身体はそう大して疲れてないはずなのだが……と、遡る形で昨日の事を思い出す。
夜は……校舎に赴き、川澄と言葉を交わした。
放課後は……川澄の母親と話した。
それから……。
「昨日は……そうだったな」
昨日の昼食は、倉田さん、そして川澄と一緒に取った事を思い出す。
あの時、倉田さんは『よかったらまた来て下さいね』と言ってくれていたが……。
(何を、考えている?)
厚かましくも行ってみようか、と考える自分がいる事に気付き、否定する。
昨日の事は、あくまでも社交辞令のような(倉田さんの性格を考えると本気が濃厚だが)ものだ。
少なくとも昨日今日と続けて行くなど図々しい事は……。
(……って、どうして此処にいるんだ私はっ!)
考え込みながらフラフラ歩いているうちに辿り着いた場所。
それは昨日、彼女達のクラスメートから聞き出し、訪れた階段の踊り場だった。
「あ、久瀬さん、いらっしゃいませ」
「……今日も来た」
そうして、考え込んでいる内に倉田さんに声を掛けられてしまった。
……気のせいか、私の調子が狂ってきているような気が。
(いや、それも当然だろう)
よくよく考えれば、ここ数日の間、日常から離れた行動をしているのだ。
ソレを考慮すれば調子が狂って当然だ。
……当然の、筈だ。日常から離れた行動……それが理由なのだから。
「久瀬さん?」
「あ、いや」
何故か少しばかり呆けてしまっていた頭が、倉田さんの声で起きる。
ともかく、ここは断るべきだろう。
「その……昨日の今日でお邪魔する気は……」
だが、そのタイミングでまたしても忌々しい事に、空腹を主張する音が私の中から外へと大きく響いた。
「うぐ……っ」
「久瀬さんのお腹さんは正直じゃないですか。
さ、どうぞどうぞ」
「………………はい。すみませんが、お邪魔します」
クスクス、と。
からかいを含まない微笑みで招き寄せる倉田さんに負けて。
私は、昨日に引き続き再び彼女達と昼食を共にする事にした。
「どうですか?」
それから少し経って。
食事を進めていく私に、倉田さんが尋ねた。
私はそれに対し、思ったままに答える事にした。
「昨日は言いそびれてしまってましたが……実に美味しいです。
特にこの玉子焼きが…」
言いながら、箸を伸ばす。
と、そこには川澄の箸……って、そこも昨日と同じか。
(……やれやれ)
内心で呟きながら、昨日と同様に箸を引こうとする。
だが、その時。
昨日とは違う出来事が起こった。
「……」
川澄が、箸を引いた。
瞬間、私は彼女の意図が分からなかった。
だから思わず目を瞬かせ、状況を把握しようとし、自然箸の動きが停止した。
「あははーっ。久瀬さん舞に好かれてきましたね」
「え?」
箸を硬直させたままの私に、倉田さんが言う。
その意味を図りかねていると、彼女は再び私への言葉を向けた。
「舞は久瀬さんに玉子焼きを譲ってあげたんですよ。
ねぇ、舞?」
「……」
川澄は無言だった。
ただ、頷くように微かに顔を俯かせ……あるいは俯かせるように頷いたのか……他のおかずに箸を伸ばしていった。
「……川澄」
「……」
「ありがとう。そして、ありがたく頂戴する」
少しだけ迷いながらも、私は倉田さんへの建前半分、後半分は……純粋な感謝を込めて、その言葉を口にした。
そうして口にしたその玉子焼きは……昨日と変わらない味だったが、何故か昨日よりも美味しく感じられた。
「……」
そんな食事の最中。
唐突に、川澄が立ち上がった。
「? 川澄、どうかしたか?」
「……」
川澄は私の問いに答える事なく、歩を進め、階段を降り始める。
そこで私は一つの仮定に思い当たった。
「……ああ、トイレか? っと失礼」
食事中なのに申し訳ない、と言おうとすると。
「……っ……!」
「っととっ?! か、川澄……?!!」
戻ってくるやいなや、ポカポカと擬音が付きそうな動きで川澄が私を叩く。
その顔は少し赤らんでいた、というか恥ずかしがってる?
「ちょ、落ち着け、落ち着いてくれ……っ」
「あははーっ。今のはちょっと久瀬さんが悪かったですね」
少しだけ意地が悪そうな微笑を浮かべる倉田さん。
……倉田さんもそういう笑い方をするのか、と考えてみるが、身体を走る痛みにそんな場合じゃない事を思い出す。
「あ、ぐ。わ、悪かった川澄。以後気をつける」
「…………。分かればいい」
謝ると、川澄はそう言いながら手を止めてくれた。
そうして、少しだけ赤い顔のまま再び階段を下りていった。
「……川澄も、あんな反応をするんだな」
川澄の姿が消えるのを見届けて、ポツリ、となんとなくの独り言を呟く。
「舞も女の子ですから」
「……」
その言葉で……馬鹿みたいな事に今更ながら気付く。
彼女は……川澄舞は『女の子』なのだ。
「そう、ですね」
そして、彼女が『女の子』である事に気付いたがゆえに……納得が、行かなくなってしまった。
彼女が夜の校舎に一人で訪れる事。
彼女がたった一人で『魔物』に立ち向かっている事に。
そこに、彼女なりの事情や理由があると分かっていても。
正直、そういう風に考えるようになった自分が不思議だった。
『魔物』の存在さえ未だ半信半疑で、川澄の事さえ満足に知らず、彼女を嫌っていた筈の私が。
「……」
「久瀬さん?」
急に黙した私を不審に思ったのか、倉田さんは首を傾げつつ、少し心配そうに声を掛けてくれた。
だが、思考に没頭していた私はそれに答え切れずにいた。
(……調子狂いは、不慣れな日常離れのせいだけじゃなかった、か)
認めたくはなかった事を認めざるを得なくなった事を改めて実感する。
単純な調子の狂いだけでは説明できない、自分自身でさえ把握できない思考や感情が増えている。増えていく。
川澄舞。
その名の少女に、本当の意味で関わるようになって……私は、何かが変わっている。
ソレを……半ば、認めたくなかったからなのか。
あるいは、その事実を自分なりに受け止めようと考えたのか。
私は……倉田さんに向かって、浮かび上がったばかりの疑問を口にしていた。
「倉田さん」
「はい、なんでしょう?」
「倉田さんは、川澄と出会って……何かが、変わりましたか?」
その問い掛けは。
いつも穏やかに微笑んでいた倉田さんの顔を、ほんの少しだけだが、私の知らない方向へと変化させていった……。
……続く。
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