〜考察と理解と〜
放課後、私は図書室に赴いていた。
彼女の言った事。
魔物の出現は十年前からだという事実。
それを元に調べてみたい事があったからだ。
「・・・ふむ・・・・」
時間がかかるかもしれないと思ったが、私は思いの外早くその事実に到達した。
それは魔物が現れる校舎、ひいてはこの学校の元となる土地の事。
こういう事は地域の歴史の本にも載っているかどうかと少し危惧していたが、何の事はない、この学校の成立ちが書かれた本からあっさりと分かった。
その本の書き出しに書いてあった事実。
十年前・・・校舎のあった場所は、何もない場所だったらしい。
もしも、そこに何かがあったとすれば、その何かの祟りかどうかとも思えたのだが。
「ふ。馬鹿だな私は」
そんな非現実的な自分の考えに私は苦笑を漏らした。
だが結局の所。
可能性として考えていたのは事実だった。
魔物の存在が非現実的なものなら、非現実的な事から探るのが一番だ。
そう思っていたからこその推察だったのだが。
「・・・そっちは振り出しに戻る、か」
魔物の正体を、幽霊か怨念の類ではないかと仮定してみたが、それは違っているようだ。
怨念の類が出そうなものはその場にはない。
かと言って、仮にこの学校で死んだ生徒の霊だとすれば、川澄の話が嘘という事になる。
が・・・それは、考えにくい。
どう考えても、彼女があそこで嘘を言う理由が思い当たらない。
それに、彼女の性格なら嘘よりも沈黙を取るだろう。
もしかしたら、この土地に昔から伝わる化け物の伝承のようなものがあるのかもしれないが・・・この街では割と有名な、ものみの丘の妖狐の事以外にそんな話を聞いた事はない。
仮に一般に伝わってないとなると、それは多分私に追える範囲の外にあるものだろうし、地道に聞き込むにしても時間がかかる。
漫画にありがちだが、誰かの引き起こした超常現象・・・いわゆる超能力という可能性も捨てきれないが・・・・・そちらも誰かを特定するのに時間も手間もかかりすぎる・・・というかそれ以前に特定する手段がないし、その誰かがそうする理由も思い当たらない。
少なくとも損得では計れない。
「・・・それにしても」
こんな非常識的なことばかり考えると思い出す。
子供の頃、超能力の存在を信じていた頃があった事を。
一時期よくあった超能力番組を見て、自分もそんな力を持っていればいいな、と思った事が幾度あっただろうか。
手を触れずに物を動かしたり。
宙に浮いたり。
人の傷を癒したり。
瞬間移動したり。
なくしものを探したり。
でも、そんな憧れはいつしか霧散していった。
歳を取るにつれて知った現実。
そのトリックを解明する番組の急増。
そんな事を考えていられなくなっていった時間の流れ。
・・・そんな私が、今そういう事態に遭遇するとは・・・つくづく世の中は不思議というか不条理というか。
「まあ、それはさておき」
脱線しかけた思考を元に戻す。
そっちが煮詰まるのなら、もう一つの方向から探ってみるより他はない。
もう一つの方向。
それは至極明快だ。
ただ一人魔物の存在を知る存在である、川澄舞。
彼女の事だ。
そもそもにしておかしいのは、魔物の存在を知っているのが彼女一人だという事。
十年前から魔物が存在するのなら、生徒の一人や二人遭遇していても不思議ではない。
そして、怪我人や死人が出てもおかしくはないはずだ。
生徒会の仕事をしていると、そういう昔の事件や問題を耳にする事もあるが、この学校ではそういう問題があったという話を聞いた事がない。
そして、可能性の一つとしてあげた何かの伝承の化け物や霊なら、何故この校舎は存在しているのだろうか。
校舎を建てる事に不満があるのなら、工事現場に『現れる』なりすればいい。
今、彼女の前に現れている通り。
それを考えると、現在この校舎が何の問題もなく建っているというのは・・・どうも腑に落ちない。
問題が起こった事を隠していた・・・という可能性もあるが。
「・・・ふむ・・・考えにくいのは確かだな」
となるとやはり、鍵を握っているのは川澄のような気がする。
私はその考えを抱きながら、その場所を後にした。
次に行くべき場所はすでに決まっていた。
「ここか」
プリントアウトした住所に従ってやって来た場所にその家は建っていた。
その表札にはこう書かれていた。
『川澄』
川澄自身に話を聞く事は困難だろう。
だが、彼女について知っているのは彼女自身だけじゃない。
むしろ、家族という『他人』の方が知っている事だってある。
とはいえ。
それで何かわかるという可能性は・・・正直かなり低い。
川澄の性格から言って、家族にも黙っている事は容易に想像できる。
おそらく問題の解決にはならないとは思う。
それでも、何かの参考にはなるかもしれない。
「・・・」
そんな事を考えながらインターホンのボタンに指を伸ばそうとして・・・その手は途中で止まった。
「・・・」
躊躇い。
「・・・」
その脳裏に浮かぶのは、今日の川澄の事。
それがどうした。
何を今更。
今からの事で川澄が私をどう思おうと関係ない。
私が川澄をどうとも思っていなかったように、彼女も私のことなどどうでもいいはずだから。
・・・そう思っても、指はなかなか動かなかった。
そうやって迷っていた、その時。
「あの・・・何か・・・・?」
そんな声がした。
川澄じゃない。だが、似ている声。
振り返ると、そこには女性が立っていた。
それが川澄の母親だと気付くのに、そう時間はかからなかった。
家の中に招き入れられた私は、和室の中で正座していた。
「たいしたものが出せませんが・・・」
「いえ、お構いなく」
目の前に置かれた茶を眺めながら言った。
彼女は私の前に羊羹を乗せた皿を置くと、私の前に座った。
「それで、今日はどういった用事で?
・・・・この間の退学の件で・・・何か・・・・?」
「あ、いえ、その・・・」
私はどう言おうかと迷ったが、結局、今までの経緯を簡単に語った。
ある程度、私にとって都合がいいように捻じ曲げて。
彼女がやったと思われている様々な事。
その弁護のために、彼女の背景を調べている事。
魔物云々のことは言わない。
というか、言っても信じられるはずはない。
「・・・これは、はっきり言って過剰です。彼女のプライバシーを侵害している」
事情を説明し終えた後、そう言った私に、彼女は穏やかな視線をこちらに向けた。
「ですが、彼女を信じるために、彼女の事を・・・川澄舞という人間について知るべきだ・・・そう思ったんです」
その言葉は嘘だ。
心にもない言葉。
何かしらの話を聞きだすための方便に過ぎない。
そのはずだった。
それなのに。
何故だろう。
妙に、息苦しかった。
それを堪えながら、隠しながら、私は嘘を続けた。
「ですから、もしよろしければで結構です。
・・・川澄さんの事を教えていただけませんか?
昔から、今に至るまでの彼女の事を」
川澄の母親は、ふ・・・と息を漏らした。
「・・・そうですか。ではあの子について少しお話しましょう。
参考になるかは分かりませんが」
「・・・お願いします」
彼女は頷くと、少し顔を俯かせながら語り始めた。
「あの子は・・・とても弱い子です。昔からずっと・・・変わることなく」
「・・・・・・・弱い?」
「ええ」
あの川澄舞が?
何が起こっても動じない、彼女が?
目に見えない『魔物』を相手に、物怖じせず、剣を突き立てる彼女が?
「・・・あの子は誰よりも『信じる事』に真摯でした。
そして、だからこそ、自分の殻に閉じ篭らなければ他人に接する事さえ満足にできないんです」
「・・・・・」
真っ直ぐ信じすぎるから、誰も信じられない・・・という事だろうか。
彼女にとって信じるという事は諸刃の剣・・・そういう事なのだろうか。
「誰だって生きている限り、他人に触れて、信じて、裏切られ・・・そんな事の繰り返しでしょう。
その中で、人は強くもなり弱くもなります。
あの子は・・・その中にいまだ入っていけない・・・・そんな子なんです」
その言葉が真実だと仮定するなら。
それは、純粋という名の脆さなのか。
それは、脆さという名の臆病さなのか。
「それは・・・そうなってしまったのは私のせいです。
でも、そんな、あの子だったから・・・・・・私は・・・・・・」
そこで言葉を切ると、彼女は何かに思いを馳せる様に目を伏せた。
そして、ゆっくりと目を開くと、その穏やかな眼差しで私を見つめた。
「・・・私は、今も、こうして生きていられるんです」
その言葉が何を意味しているのかは分からなかった。
でも、その言葉が真実なのは、多分確かな事だと・・・そう思った。
ただ、そう思わざるを得なかった。
「・・・それでは、お邪魔しました」
微笑む彼女に頭を下げる。
顔を上げた時には、目の前のドアは閉じられていた。
「・・・」
収穫は実質ないようなものだ。
それでも、どうしてだろう。
無駄足だとは、思わなかった。
そんな事を考えながら敷地を出ると。
そこに、川澄が立っていた。
「・・・何をしていた」
彼女は・・・怒っていた。
私にはそう見えた。
今まで、彼女は表情を変えていないと思っていた。
それは違っていた。
私がそれに気付かなかっただけだ。
昨日までの私にはわからなかった。
だが、今の私にはそれがわかる。
今日の川澄自身。
そして、川澄の母親から聞いた川澄自身の事。
それらが理解させていた。
そして、それが・・・辛く思えた。
彼女が険しい表情で、私を見据えている事が。
だから、なのか。
「・・・君のお母さんに君の話を聞いていた。君の事を、よく知るために」
私は、その事実をただ口にしていた。
偽る事は、いくらでもできたはずなのに。
「・・・誰も、そんな事は頼んでない・・・・・」
そんな彼女の言葉と共に、風を切る音が響く。
彼女の手刀。
それは、私の頬に触れるか触れないかの位置で止まった。
動けなかった。
動く事ができなかった。
なにより、動く事は許されなかった。
私にとっても、彼女にとっても。
彼女はその手をゆっくりと下ろして、告げた。
「・・・ここには二度と来るな」
「・・・わかった」
そう言ったのは、かつてのように怖かったからじゃない。
ただ、痛かったからだ。
今の私は素直にそう思えた。
だから。
「・・・川澄」
川澄から少し離れてから、私は彼女の方に向き直った。
「・・・」
「・・・今日は・・・すまなかった」
例え自己満足でもそう言わずにはいられなかった。
そう言って、頭を下げて。
私は、その場を去っていった。
他にできることなど、私にはなかった。
・・・・・・・続く。
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