〜その名の少女〜
「やはり寒い」
刺す様な冷気に言葉を漏らす。
この時間帯の学校に訪れるのは二度目だが、それで寒さに慣れるわけではない。
そんな寒さに震えながら、私は昨日彼女に遭遇した場所に歩いていった。
同じ場所にいるとは思わないが、何の根拠もなく歩くよりはましだろう。
・・・と思っていたのだが。
「いたな」
彼女は昨日と同じ場所に佇んでいた。
床に剣を突き立てるようにして、いずれ来る何かに備えているように見えた。
どう呼びかけようかと少し考えたが、特に思いつかなかったので普通に呼びかける事にした。
「・・・川澄」
その声に、川澄は顔を上げてこちらを見やった。
・・・かと思うと、さっきまで見ていた方向に顔を戻した。
興味がないというか、眼中にないのだろう。
(それも当然、か)
今まで私が彼女にしてきた事を思えば、その反応は至極当たり前のものだろう。
それぐらいの反応は覚悟していなければ、むっとする・・・ぐらいはしていたかもしれない。
ふう、と息を吐きながら、私は川澄から少し離れた壁に寄りかかった。
「なぜ私がここに来たのか、知りたくはないか?」
「別に」
きっかけとしての言葉を、川澄はあっさりと切り捨てた。
だが、そう言われるんじゃないかと予測していた私にすれば、むしろ笑いがこみ上げる反応だった。
無論、それを表情に出す事はせず、私は言葉を続けた。
「まあ、そうだろうな。だが、せっかくだ。
そのままで聞いてくれると助かる」
「・・・」
川澄は怪訝な表情を浮かべていたが、その場を離れる気配を見せなかった。
正味の所、少しは興味を持っているのかもしれない。
その判断がつかないままに、私は話し始めた。
「怒らないでほしいというのは身勝手だと思うが、正直、私は君のことをただの不良生徒だと思っていた。だから昨日、私は君が窓ガラスを割っている現場なりを抑えて退学させようと考えて、それを実行に移した」
「・・・」
「だが、できなかった。「あれ」を見て、遭遇してしまったからだ。
・・・私には昨日の「あれ」が何なのかという事はわからない。
わからない以上、君についての処分を保留せざるを得ない」
「・・・」
「逆に言えば、事情を話しさえしてくれれば、君の力にもなる事もできるはずだ。
君に含む所がないというのなら教えてくれ。あれはなんなんだ?」
こう言えば、彼女も少しは協力してくれるだろう・・・そう思いながらの言葉だった。
だが、川澄はにべもない。
「・・・魔物」
とだけ言って、後は何かを語ろうともしない。
しばらく待ってはみたが、それ以上語る気配はなかった。
業を煮やして、私は再び口を開いた。
「だから、その魔物というのはなんだと聞いてるんだ」
「・・・魔物は魔物。それ以外の何者でもない」
駄目だ。
埒があかない。
彼女の対応を見て、私はそう思わざるを得なかった
そもそもにして話す気がないのか、彼女自身もその「正体」を知らないのか。
真実を知るまで何日でも粘るつもりでいたが・・・・・
(いずれにせよ、これは少々骨が折れそうだな・・・)
「ならせめて、その魔物がいつから現れ始めたのかぐらい、教えてくれないか?」
「・・・」
それ以上、彼女が口を開く事はなく。
結局、その夜は彼女の言う「魔物」も現れる事もなく。
私たちは無言でそれぞれの帰路についた。
「・・・眠いな」
翌日の昼休み。
私は欠伸を噛み殺しながら、川澄のいる教室へと向かった。
試験前に睡眠を惜しみながら起きて筆を進めていた時とは違う疲れがあった。
それがなんとなく新鮮で、それを新鮮と感じている自分がどうにも不思議だった。
(まあ、そんなことはどうでもいい)
私は、真実が知りたいだけだ。
それ以上でも以下でもない。
早くそれを解き明かして、私は日常に帰る。
そうしなければおちおち生徒会の活動もできなければ勉学に勤しむ事もできない。
真実を知りたいと言う欲求に嘘はつかないが、この”面倒事”から早く開放されたいと言うのも嘘ではない。
だからこそ、無駄な時間を過ごすつもりはない。
「・・・すまない。川澄はいるかな?」
その決意を内に秘め、私は川澄の教室から出てきた、彼女のクラスメートに尋ねた。
「昼食にお邪魔だったかな?」
その階段の踊り場で、目的の人物を見つけた私はそう声を掛けた。
もっとも、それ以外の人物もいたから幾分丁寧に、だったが。
私の姿を認めると、川澄は無表情にこちらを眺め、もう一人・・・倉田さんは不思議そうにこちらを眺めた後で微笑を浮かべた。
「いいえ、そんなことはありませんよ。・・・私たちに何か用事ですか?」
「あ、いえ」
一瞬、本当の事・・・川澄に昨日の話の続きを持ち掛ける事が脳裏を走った。
だが、おそらく倉田さんは本当の所を知らない。
知っているのなら、何か行動を起こすはずだ。
そして、あの夜の校舎へと赴こうとするだろう。
「魔物」がいる、あの場所へ。
・・・だから、正直それは気が進まなかった。
「・・・貴女方が昼休みに何をしているのか、興味があって」
苦しい言い訳だったが止むを得ない。
他に言いようがなかった。
すると倉田さんはポンと両手を叩いて言った。
「ああ、そうなのですか。でしたら昼食をご一緒にいかがですか?」
「・・・え?あ、その」
あの川澄と昼食を一緒にするなど、という思考から、さすがにそれは遠慮した方がいいだろうと口を開きかける。
だが、そのタイミングで忌々しい事に腹の音が私の中から響いた。
「う」
顔に血が集まるのを感じる。
それに微かに笑みを浮かべて、倉田さんはなおも言った。
「せっかくじゃないですか。ねえ、舞?」
「・・・」
川澄は何も答えない。
だが倉田さんはそれを拒絶とは見なかったらしく、どうぞ、とこちらに招き寄せた。
・・・どうも断りきれそうにない。
諦めて、私は彼女たちと昼食を共にする事にした。
「・・・では。いただきます」
余分の箸を受け取って、私は手を合わせてから、その赤い箸を弁当箱と言うには豪華すぎる箱に伸ばしていった。
・・・倉田さんの思惑は理解していた。
彼女の厚意だと言うのも一つの事実だが、もう一つあるのだろう。
それは私に川澄を理解してほしいというものだ。
少しは時間を共にすれば、理解、もしくは同情の念が生まれるだろう・・・そういう考え。
だが、いかに私が川澄の事情を知ろうと、少しぐらい似ているところがあろうと、彼女と私は本来水と油のような存在だ。
お互い明らかに違う存在と仲良くできるはずはない。
ふう、と息を吐きつつ私は箸を卵焼きに伸ばした。
さっきも一個もらったが、程よい甘さと辛さが同居していて実に美味しく、もう一個もらいたくなったのだ。
その視界に、私のものとは別の、もう一つの箸が写る。
顔を上げると、その箸の主は川澄だった。
「・・・」
「・・・」
顔を見合わせ、お互いに思考を走らせる。
(・・・ふむ・・・もう一個食べたいが私はすでに一個食べたし、倉田さんの前で意地汚いところを見せるのも何だしな)
そう考えた私は箸を引っ込めた。
その次の瞬間には、川澄の箸が卵焼きを掴み、自分の口に運んでいった。
「舞、よかったね。久瀬さんが譲ってくれて」
「・・・・・」
その倉田さんの言葉に、川澄はこちらに少し視線を向けて、呟くように言った。
「ありがとう」
「・・・あ、いや。別に」
私は不覚にも一瞬呆けてしまった。
川澄がそんな事を言うとは、予想だにしていなかったから。
そんな不思議な昼食風景は、弁当箱の中身がなくなるまで続いていった。
昼食を食べ終わった以上、あの場所に用はない。
早々に片付けて、私たちは教室に戻るべく、席を立った。
「今日はご馳走様でした」
「いいえ、よかったらまた来て下さいね」
私の言葉にそう答えて先を歩く倉田さんの後ろをゆっくりと歩いていく。
・・・収穫はまったくなかった。
だが不思議な事に。
正直、悪い気はしていなかった。
そんな事を思っていた時だった。
「・・・十年前」
「え?」
その声に振り返ると。
私の後ろを歩いていた川澄はなおも言葉を紡いだ。
「昨日の質問の答え。・・・今日の借りだから」
その川澄の言葉が昨日の私の問いの答えだと理解できた時。
彼女は倉田さんに並んでさっさと去っていった後だった。
「・・・・・・・川澄、舞・・・か」
遠くに去っていく彼女たちの背中を見ながら、私は一人呟いていた。
その名前の「意味」を改めて噛み締める様に。
・・・続く。
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