〜一つの決意〜



翌日。
校内はいつもよりも喧噪に包まれていた。
その中心にあったのは、窓ガラスが割れていた場所。
昨日は何の異変もなかった、その場所。

だが、そこには動揺はない。
それはいつの間にか日常に変わっていた非日常だったからだ。



「また、お前か、川澄!」

職員室に男性教諭の声が響いた。
その前には川澄舞と私、久瀬光昭が立っていた。

何事もなかったように教室に現れる川澄を私が職員室に連れて行く・・・
それは私の日常だった。
そして、それは今日で最後になる・・・

・・・そのはず、だったのに。

「少しは懲りたかと思えば、また事件を起こして・・・反省という言葉を知っているのか?!」
「・・・・・あの」
「なんだ、久瀬?」
「彼女に、事情を聞こうとは思わないのですか?」

私の言葉に教諭はきょとんとした表情を見せた。
それは、今更何を言っているんだと言わんばかりの顔だった。





「・・・」
「・・・」

それぞれの教室に戻る間、私達は無言だった。
普段なら、私が説教を・・・少し高圧的になっていると知りながらも・・・無言の川澄に聞かせるばかりなのだが・・・

だが、今日はそういうわけには行かなかった。
私は意を決した。
決意を込めた深い息を吐いて、口を開く。

「私はリアリストだ。だから昨日の事については何も言う事が出来ない」
「・・・」
「だが、何故、弁明しようとしないんだ?」

今まで私は川澄舞という少女をただの不良だと思っていた。
意味もなく壁に落書きをしたり、理由なく暴力をふるう人間と何の変わりもない、そんな存在だと思っていた。

だが。

昨日の出来事はその確信・・・いや思い込みを揺るがすものだった。
理解はできないが、何か理由があるのでは・・・そう私に思わせていた。

だからと言って、川澄舞のやっている事を認めようとは思っていない。
だが、真実を知らないままに彼女を一方的に糾弾する事も最早出来なかった。

そんな私の言葉に、川澄は静かに答えた。

「・・・真実がどうあれ、私がやっている事に変わりはない」
「だからただ黙っていると言うのか?」

馬鹿げている・・・私は心底そう思った。

そんな理由で、自分に向けられている悪意のこもった視線に耐えると言うのだろうか。
そんな、明らかに損な道を選ぶと言うのだろうか。

「それに」
「・・・それに、なんだ」
「私の言う事なんて、誰も信じないから」

その言葉を、川澄は無感情に告げた。
そこには悲しみもなければ、自嘲もない。
彼女にとっての、ただの事実でしかなかった。

そう呟いた川澄はそれ以上何も語ることなく、自分の教室に帰っていった。
私は何も言うことなく・・・否、何も言えず、その背中を見送った。

と、そこに。

足音が響き、近付いてくる人間がいた。

「久瀬さん・・・っ・・・舞は・・・舞はっ・・・・?」

振り向くと、そこには川澄舞の友人である・・・私には信じ難い事実だったが・・・倉田佐祐理嬢が立っていた。

「・・・」
「・・・久瀬さん?」
「・・・・・・・あ、申し訳ない」

私は、目の前に立つ女性が今の自分の中に渦巻く疑問の答を知っているのだろうかと考え、呆けていたが、すぐに気を取り直した。

例え知っていたとしても、今更聞けるはずがないのだから意味がない。
私は目の前に立つ人を私達の・・・いや、私の側に引き寄せるために川澄を利用したのだから。

それこそ、どんな真実や事実があろうとも、自分がやった事に変わりはない。

私は自分自身に言い聞かせるようにしてから、倉田さんの疑問に答えた。

「川澄は退学にはなりませんよ。
・・・確たる証拠はありませんでしたから、庇うのは簡単でした」

私は確かに川澄舞を嫌っていた。
だが、だからと言って無実かもしれない人間を、事実を捏造してまで陥れるほど、私は汚くはないつもりだし・・・悔しいが、汚くなれなかった。

そのための証拠を探すために昨夜学校に忍び込んだ事が逆効果になってしまい、結局、私は川澄を退学にはできなかったのだ。

「・・・ありがとうございます」

倉田さんは微かに頭を下げた。
それが心からのものではないことを私は気付いていた。
だが、私がしてきた事を思えばそれは当然だと思っていた。

私は自分のやってきた事を理解していた。
それが褒められた行為ではないことも。

それでも、そうせざるをえなかったからそれを行ってきただけだ。
親の立場、そして、親から見られる自分の立場を護り、磐石のものにしていく為に。

(そうだ、誰が好き好んでそんなことを・・・)

・・・そこで、私は気付いた。



『・・・真実がどうあれ、私がやっている事に変わりはない』

そう言っていた川澄舞と。
自分は似ているのではないかと。

私もまた、自分の都合があって、川澄舞を利用していたのだから。
それもまた、変えようのない事実。

・・・彼女だって好き好んで嫌われているとは思えない。
そうでないというのなら、いつも彼女のすぐ側にいる倉田佐祐理はなんだというのだろうか。

もし、彼女が自分と同様にそうせざるを得なかったから『それ』・・・私にとっては得体が知れないことだったが・・・を行っているのだとしたら。




「・・・」
「・・・どうかなされたのですか?」

気がつくと、倉田さんが怪訝な表情で私の顔を見詰めていた。

「いえ、何もありませんよ」

内心ではそのことに動揺していたが、表情には出さないようにして、私はそう言いきった。

・・・・・真実を知りたいという欲求が強くなっていた。

だが、それを目の前の人物に聞いたところで、そして、例え彼女がそれを知っていたとしても、おそらく自分はそれを心から信じることはできないだろう。
それは、倉田佐祐理という人間が信用できるかどうかの問題ではなく、私・・久瀬光昭自身の性格や性質の問題だった。

だから、自分自身でそれを知らなければならない。

だが、それでも、そのための最後の一歩を踏み出すには足らない。
今までの自分の行動を無意味にするには、自分を否定するには足りなかった。

・・・・・その思考の中で、ふと思いついて、私は倉田さんに尋ねた。

「倉田さん、一つお聞きしていいですか?そして、できれば真剣に答えてほしい」
「・・・・・はい、なんでしょう?」

私にいつもとは違う何かを感じ取ってくれたのか、倉田さんは微かに表情を引き締めてくれた。
私はそれに心中で感謝しつつ、言葉を紡いだ。

「・・・倉田さんは本当に川澄が何もやっていないと思っているのですか?」

川澄舞の行動の真実については、もう聞くことは出来ないし、許されないだろう。
だが、倉田佐祐理という人間がその事についてどう考えているのかは聞くことが出来る。
その問い掛けに、倉田さんはしばしの間を空けた後に答えた。

「・・・正直に言えば。
舞はこの件に無関係ではないとは思っています」
「・・・」
「でも。
佐祐理はずっと側で舞を見てきました。
その中で、どんなに冷たい目で客観的に見ても、舞が何の理由もなく、それを行うとは思えませんでした。
どう思っても疑えないのなら、後は信じるだけです。
だから、佐祐理にとっては、それが全てです」
「そうですか」

私はそう呟いて、微かに、ふ、と息を洩らした。

もしも、倉田さんがいつものように『舞が親友だから』という理由で、ある意味頭ごなしに何もやっていないと主張したなら、私はそれを受け入れられなかっただろう。
だが、その言葉なら心から信じるまでには至らなくても、動くには十分だった。

「・・・ありがとうございます」

僅かに笑みを含んだ私の言葉に、倉田さんは少し戸惑っていた。
そんな彼女が珍しく思えて、私は心の内で微かな苦笑を洩らした。







「さて」

その夜。
私は校門の前に立っていた。

ここから先、何が待っているのか、何が起こるのか予想さえ出来ない。
でも、それでも。

「私が、望んだ事なんだ」

真実を知ること。
それを為す為には、この場所で、川澄舞自身に尋ねなければならないだろう。

今日全てを聞き出せるとは思ってはいない。
だが、こうなった以上、全てを知るまでは退くわけには行かない。

私は決意して、校内へと入り込んだ・・・・・



・・・続く。






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