1・黒炎

 

 いつのまにか、あたりは燃えさかる炎に包まれていた。

呼吸するたびに焼けた空気がチリチリと肺を焦がす。

暗闇の中、炎の光だけがユラユラと鮮やかに揺らめいていた。

 炎の中にいるのは、あの相沢祐一であった。

祐一は動けない。

彼は横転した自動車に身体を押さえつけられていた。近づいてくる炎から逃れようと必死にもがくが車体はびくともしなかった。やがて炎がなめるように車体を包み込む。

祐一の身体にも火が燃え移った。

不思議と熱は感じなかった。

それどころか、逆に寒気を感じ始めていた。

 火は手足に燃え移り、胴へと這い登ってくる。

手の甲がジリジリと焦げ始め、火脹れがブチブチと音を立てて破裂し、その下から鮮やかな桃色をした肉が現れた。

むき出しの手の甲から、脂肪分が青白い火を出して燃えていた。

 黒焦げになった皮膚が盛り上がり、立ち昇る炎を飲み込んだ。

盛り上がった部分から四本の短い足が伸び、炎は赤い二つの目玉になった。

それは祐一の腕からはがれると、ゆっくりと身体を登ってきた。

気がつけば炎はすっかり収まり、かわりにあたり一面は数百・数千もの黒いトカゲ達に埋め尽くされていた。

身動きの取れない祐一の身体に、次々と這い登ってくる。

 いよいよ祐一が真っ黒い固まりへと変貌しかけたとき、いきなり首根っこを大きな手でもって強烈な力でつかまれた。

その手は祐一の身体を車体から一気に引き抜くと、軽々と宙に持ち上げた。

祐一は宙ぶらりんのまま自分を掴み上げたものを見た。

 目の前にあったのは、真っ赤な目、巨大な顎とそこからのぞく鋭い牙。全身を堅いウロコに包まれた巨人。

ハ虫人類の姿だった。

 ハ虫人類がもう片方の腕を振り上げた。その太い腕の手中には、一匹の野良犬が首を掴まれぶら下がっていた。

ハ虫人類がその手に力をこめ、野良犬の首を握りつぶした。

犬の顔面から両眼が飛び出し、大きく開かれた口から鮮血と絶叫が噴き出した。

鮮血はまるで噴水のように、闇が広がる空高くに顔面の穴という穴から吹き上がり、絶叫はそのあまりにも物悲しい悲鳴を長く長く響かせた。

それは周囲に反響し、木霊となって四方からいくつもの悲鳴が帰ってくる。

やがてその悲鳴の中から、犬の悲鳴にまぎれて人間の悲鳴まで聞こえてきた。

苦痛にもだえる人の呻き声。

幾度も繰り返し聞こえてくる野良犬の断末魔の絶叫。

 次の瞬間、野良犬の身体が激しく破裂した。

それを掴んでいたハ虫人類の腕も共に粉々の肉片と成り果てて、周囲に血飛沫を上げながら弾けとんだ。

―ガアァアアアアアアアアああああ!!!!

 ハ虫人類の咆哮が上がる。

それは人の呻き声と犬の絶叫と重なり合い、聞くも無残で、あまりにも悲惨な三重奏を奏で始めた。

 ハ虫人類の目が祐一に向けられた。

真っ赤な両眼はギラギラと怒りと殺意に燃やされている。

祐一の身体がハ虫人類の凄まじい力によって、天高く放り投げられた。

 高く、高く、高く、さらに高く、グングンと祐一は空を上っていく。

上りながら祐一はクルリ、クルリと宙を舞った。

すぐわきに、同じように宙を舞っているスーツの男がいた。

 二人は並んで宙を舞った。

なぜかいつまでたっても落下する事は無かった。

 真下では全身に黒いトカゲを身にまとった数人のゾンビ達が、宙を舞う二人が落下してくるのを今か今かと待ち構えていた。

 スーツの男の身体が落下を始めた。

ゾンビ達の真ん中へと落ちていく。

下でグシャリという音が響いた。

その音を聞いたとき、祐一もまた落下を始めた。

 目の前にグングンと堅い地面が近づいてくる。

再び炎が上がり、ゾンビ達が火だるまになりながら待ち構えていた。

祐一の顔面が大地にめり込もうとしたその時。

彼は夢から覚めた。

 

 

果てのない宇宙の片隅に浮かぶ青い星。

 

そこで生まれた生命たちは、泡のように儚く、しかし激しく輝く。

 

生命とは、何処から来て、何処へ行くのだろうか。

 

四十五億年の歳月の果てに、その時は訪れた。

 

世界終末の日、これはその、始まりの日の記録である。

 

GetterRobo Kanon

 

 

 

 

 

2.科学要塞

 

 目の前に真っ白な天井と蛍光灯が光っていた。

祐一の身体はベッドに横たえられ、その両手は白いシーツを強く握り締めていた。

 彼は身を起した。

全身がじっとりと汗ばんでいる。周りを見渡してみると、そこは病室のようだった。祐一のいるベッドの隣に一台、向かいに二台のベッドがあり、それぞれにカーテンの仕切りがついている。

壁に時計が掛かっており、その針はもうすぐ午後の三時を示そうとしていた。この病室にいるのは祐一だけのようだった。

 祐一は水色のパジャマに着替えており、身体のあちこちに包帯が巻かれていた。

すぐそばに窓があった。祐一はベッドから降り、外を眺める。

目の前には山の連なりが広がり、山の中腹には、工場だろうか、いくつもの四角い、三階から四階建てぐらいの大きな建物が立ち並んでいるのが見えた。

山の頂にも、いくつもの鉄塔や、建物、はては大きなパラボラアンテナらしきものも並んでいる。

下方に目を向けるとそこには、小さな町並みが見えた。

その町並みと、建物群を結ぶ何本もの道路と、まだ建設途中なのだろうか、途中で途切れた広い幅の高速道路が、平地を走っていた。

祐一の今いる場所もどうやら山の斜面らしく、眼下に見える町並みは山と山に囲まれた、谷間か、もしくは盆地のようだった。

(ここはどこだ? どうやら病院らしいが、俺の知らない町みたいだな………)

祐一がそうやって窓の外を眺めていると、背後で病室の扉が開く音がした。

その音に振り返ってみてみると、入り口に一人の女性が立っていた。

「…よかった、気がついたんだね」女性はそう言って、安堵の笑みを浮かべた。「本当に、心配したんだからね」

 濃紺色のスーツに身を包んだ、長い髪の女性。

年の頃はほぼ祐一と同じくらいだろう。

全体的に温和な雰囲気を纏ったような、その女性に、祐一は見覚えがあった。

 いや、見覚えがあるどころか、それは彼のよく知る人物だった。

彼女の名は、

「……名雪、…名雪、なのか?」

「うん、そうだよ。祐一……久しぶり」

 女性はそう言って、懐かしそうに大きめの瞳を細めた。

彼女の名は、名雪。

相沢祐一の従姉妹に当たる女性だった。

名字は、水瀬。

水瀬名雪。

 そう、あの水瀬秋子の一人娘だった。

 祐一が尋ねた。

「なんで、お前がここに居る」

 祐一の口調は、自分でも気付かないうちに険しい音を伴っていた。

名雪の表情からは先ほどの笑みが消え、彼女は悲しそうに、祐一から目を逸らした。

「祐一が、怪我をしたって聞いたから……」

「聞いた? 誰から?」

「………」名雪は黙って、俯いてしまった。「……ごめんね、祐一」

 ぽつりとつぶやいた名雪の言葉に、祐一の心が幽かに苛立った。

「ごめん、て……何に対して謝っているんだ」謝るくらいなら、きちんと事情を説明してほしい。「お前が何故、ここに居る? そして、俺は何故、ここに居る。ここはどこの病院だ?」

「ごめんね、祐一。あとでちゃんと説明するから、今は、ちょっとだけ待ってて」名雪のその声は、まるで泣き出しそうなくらいに、か細くなって「今、お医者さんを読んでくるから」

名雪はそう言って、病室から出て行った。

 病室に一人残された祐一は、

「…くそ」

 苛立たしげに、宙空に向かって悪態を吐き捨てた。

 水瀬名雪。

相沢祐一の従姉妹。

そして、水瀬秋子の娘であり、数年前、秋子とともに祐一の前から姿を消した女性だった。

「くそ」

 祐一はもう一度悪態をつくと、自らの頭を両手でかきむしった。

名雪は、秋子の娘であったが、母親の研究とは別段関わりあってはいなかった。

ハ虫人類の研究に打ち込んでいた時、祐一のそばには秋子が居たが、名雪は、居なかった。

だが、かつての祐一の私生活において、彼のそばに居たのは秋子では無く名雪だった。

名雪は祐一の従姉妹であり、家族であり、また恋人でもあった。

その恋人が、突然、また現れたことに祐一は酷く戸惑っていた。

 しばらくすると、白衣をまとった中年の男性が病室に入ってきた。どうやらその男性が医者のようだ。

病室の入り口には名雪の姿もあった。彼女は病室に入ろうとせず、少し不安そうな面持ちで祐一の様子を伺っていた。

祐一もまた、複雑な面持ちで病室内に佇んでいた。

名雪に対して何か言いたかったが、何を言えばいいか判らず、何も言いだせないうちに、気がつけば医者が祐一の傍に来て、ベッドに腰掛けるようにと指示した。祐一は仕方なく、その指示に従う。

医者は祐一の身体のあちこちを検診した後に言った。

「ふうむ…。脈拍、体温、共に問題は無さそうだ。君の身体の傷も、軽い打ち身とスリキズ程度だけだから、これもさして問題無いだろう。念のために、脳もレントゲンをとって調べてみたが異常は見られなかったよ」

 その言葉を聞いて、名雪がようやく口を開いた。

「それじゃあ、すぐにでも退院する事が出来るんですね」

 それは、感情を伴わない事務的な口調のようだった。

「ああ、かまわんよ。しかし、とりあえず薬を処方しておこう。それから包帯の取替えの為に、また後日に病院に来てくれれば結構だ。それではお大事に」

 医者はそう言うと、病室を立ち去ろうとした。

「ちょ、ちょっと待ってくれ」と祐一は呼びとめた。「俺は何故この病院に運ばれたんだ」

 祐一の問いに、医者は振り返って答えた。

「君は二日前にこの病院に搬送されてきたのだ。全身血まみれでね。しかし、ほとんど返り血で、君自身の傷はたいしたこと無かったよ」

 そう答えたが、祐一が訊きたかったのは、何故自分が見も知らぬ病院に運び込まれたか、という事だった。

「いや、そうじゃなくて…………」

「いやはやまったく。君はまったく運がいいよ。まさかアレとやりあって、その程度ですむなんてな。それじゃあ、お大事に」

 言い終えると、医者はさっさと立ち去ってしまった。

 後に残された祐一は、唖然としていた。

医者はアレと言った。

医者はアレを知っているのか。

 見ると、入口のそばにはまだ名雪の姿があった。

「名雪、お前は知っているのか。俺を襲ってきたアレの事を………」

 その問いかけに、

「え、ええと……」名雪は少し返答につまった。「それも、後でちゃんと説明するから……今は、着替えて。そこのロッカーに入ってるから」

名雪はそう言って、最後に「通路で待ってる」と言い残し、病室の扉を閉めた。

 仕方ないので、祐一は着替えようとロッカーを開けた。

中には男モノの服がハンガーに吊るされていた。祐一が最後に着ていた服と似ているが、違うものだ。だが、サイズは合っていた。

 祐一は、服を着替え終わると病室を出た。

名雪が待っていた。

「待たせた」

 そう言うと、名雪は首を横に振った。

「いいよ、そんなの………。それより、前の服、血だらけで、どうしても汚れが落ちなかったから、その…新しく……」

「サイズは合ってる。…選んだのは、名雪か?」

「うん。サイズ、変わって無かったんだね。良かった」

「…変わったさ。昔より、少し痩せた」

「あ…、そうなんだ」

 名雪は、また俯いた。

「ダイエットしたんだ」

「え?」

「ダイエットに成功したんだ。だから、痩せた」

「あ、そうなんだ。…良かったね、祐一」

 名雪は、少しだけ微笑んだ。

祐一はその表情を見て、自分は彼女を恨んでいる訳では無いと気づいた。

ただ、この突然の再会のために、まだ名雪に対してどう接していいか判らずに戸惑っているだけだ。そしてそれは多分、名雪にしても同じことなのだろうと思った。

 だから祐一は、ここは名雪の出方を待とうと、そう決めた。

「祐一、退院の手続きするから、着いてきて」

「ああ、判った」

 そして二人は廊下を歩き出した。

この病室は三階にあったらしく、階段を下りるとロビーに向かった。

 祐一は歩きながら、気が付いた。

この病院には白衣をまとった一目でそれと分かる医療スタッフと、他に名雪と同じような濃紺のスーツをまとった人々が大勢いた。

「名雪。お前は、この病院のスタッフか何かか?」

 これくらいなら、今、答えてくれるだろう。祐一はそう思った。

「ええと、そう…だね。この病院の、と言う意味では違うけど、それ以上の意味で言うなら、私はここのスタッフの一員、と言っていいと思うよ」

「………そうか」

 さっぱり要領を得ない答えだったが、それ以上の詮索は止した。

下手に問い詰めると、自分はまた名雪を追い詰めてしまうだろう、そう思った。

「ごめん祐一、少し判り難い説明だったね。けど、それはこの病院の外に出れば判ることだよ」名雪はそう言って「退院の手続きは私がやっておくから、祐一はそこで待ってて」

 名雪が受付のほうへ行ってしまうと祐一はロビーにまた一人取り残された。

周りを見てみると、入院患者らしき人達の他に、白衣の人間、スーツの人間が忙しそうに歩き回っている。

ここで彼はもう一つの事に気がついた。

よく見てみれば、ここにいる人々は様々な人種の人間が入り乱れていた。白人、黒人、アジア系からアラブ系と、まさしく世界中のありとあらゆる人間がそこにあつまり働いているようだった。耳を澄ましてみれば、祐一が聞き分けられるだけでも日本語や英語。中国語にフランス語といったふうに様々な言語も聞こえてきた。

 祐一がそうやって、あたりを見渡していると、

「ねぇ、ねぇ」と、どこかで声がした。「ちょっと、そこのアンタ」

そこのアンタ? どこのアンタだ? 祐一はさして気にも留めずベンチに腰掛ける。

「アンタよ、そこのベンチに座ってるアンタ!」

 アンタ? 暗太? ああ、暗太さんか。少女の甲高い声が、暗太さんを呼んでいる。

「アンタよっ! あたしの声が聞こえないの!? こっち向きなさいよっ!」

 暗太さんは構ってくれないらしい。少女の声が大きくなる。

「無視するなぁ!」

「どわぁっ!?」

 いきなり祐一の耳元で大声が響いた。

声がした方へ目をやると、そこには十代半ばぐらいだろうか、一人の少女いた。

「………俺のことか?」

「何よ、白々しい」

 鈴の音のような声で、少女が口を開いた。

「………俺は暗太さんなんて名前じゃ無いぞ」

「誰よ、暗太さんて?」

「本名、暗闇太郎さん。暗太はあだ名だ。本人はあまり気に入って無いから、連呼すると怒るぞ。気を付けろ」

そう言うと、少女は少し感心したような表情をして、

「へぇ、判った。気をつける」

「うむ、気をつけた方がいい。じゃあな」

「うん、ありがと。ばいばい」少女は手を振って立ち去って行こうと「って、何がばいばいよ!!」

 立ち去らなかった。

「五月蠅い奴だ。いったい何なんだお前は?」

「それはこっちの台詞よ。潤の代わりに新しい男が来るって聞いてたから、どんな奴かと思えば、とんだ変人が来たものね」

「新人? 誰が、誰の代わりだ。人違いだろう」

 祐一がそう言うと、少女はきょとんとした。

「え、違うの? だって、名雪と一緒に居たじゃない」

「なんだ、あいつを知ってるのか」

「当り前じゃ無い。アンタ、相沢祐一でしょう?」

「っ!?」

祐一は驚いた。

今会ったばかりの少女が彼の名前を口にしたのだ。

「あれっ、もしかして、違った?」

「い、いや、俺は確かに相沢祐一だが……何で知ってる?」

「だって、名雪から聞いたんだもん。従姉妹なんでしょ」

 成程、と祐一は何となく納得。

「で、お前は何なんだ?」

「あたし? あたしはねぇ――」

「当ててやろう。殺村凶子」

「誰よ、それっ!? むちゃくちゃ不吉な漢字ふるんじゃ無いわよっ!!」

「なんで漢字まで判るんだ?」

「アンタの顔にそう書いてあるのよっ!」

 そんな馬鹿な。と祐一は思いつつも自分の顔を手でさすってみた。

そこへ名雪が戻ってきた。

「ダメだよ、真琴。祐一を困らせちゃ」。

「あっ、名雪ぃ。ねぇねぇ、やっぱりコイツが新しい人なの?」

「あ、う、うん」名雪はちらりと祐一を見て、曖昧に頷いた。「ま、真琴、真琴もさ、いつまでもこんな所にいていいの。もうすぐ検査の時間でしょ。きっと、天野先生が待ちくたびれてるよ」

「あっ、そうだった。それじゃあ、あたしはもう行くね。バイバーイ名雪、ついでに暗太、またねー」

 そう言うと、真琴と呼ばれた少女はパタパタと病院の奥にかけていった。

それを見送りながら、名雪が首をかしげた。

「暗太…?」

「なんでお前まで漢字が判るんだ?」

「え〜と、祐一の顔にそう書いてあったから」

「言ったのは俺じゃなくて、あの真琴とかいう奴だろう………あの子は、一体何なんだ」

「沢渡真琴っていうの」

「知り合いか」

「うん、今はお母さんが面倒を見てる」

「秋子さんが?」

 祐一がそう聞き返すと、名雪はハッとしたように口元に手をあてた。

「あ…その…」

「いい、後でちゃんと説明してくれるんだろう?」

「う、うん。…ごめん」

「謝るな」

 祐一がそう言うと、名雪はまた俯いてしまった。

悲しげな表情。

だから、祐一は、

「ごめん、じゃなくて、そこはありがとうって、言って欲しかっただけだ」

「えっ…あ…」

「ほれ、名雪。やり直しだ」

「う、うん。…ありがと」

「それでいい」

 祐一の言葉に、名雪は顔をあげてほんの少しだけ、微笑んだ。

「ありがとう、祐一。ちゃんと説明するね。だから、私についてきて」

 名雪に促され、二人は病院の外に出た。

祐一は振り返って病院の入り口に掲げられた文字を見た。

≪中部国際総合学術研究都市 第一外科病棟≫

(国際総合学術研究都市…………)

 祐一はその名に聞き覚えがあった。

数年前、中部地方の山里に世界中の企業・大学から、最先端の研究施設を誘致して、一大サイエンスパークを建設しようという計画が発表された。

もっとも報道機関は、さほどこの事を取り上げず、彼も新聞の片隅にのった小さな記事を読んだだけだったが。

「ここがあの学術都市か…………」

 祐一がそう言いながら病院を見上げていると

「祐一。病院だけではなく、周りも見て」

と、名雪が言った。

 その言葉に祐一は周囲を見渡してみる。

山々に囲まれた山間部の町並み、平野部から山の急斜面にかけて幾つかの住宅地の他、あちこちに巨大な建物が建ち並んでいる。その形状も様々で、四角形のものからピラミッド型、さらにドーム型をした建物もまであった。

その合間を縫うように道路がいくつも走り、病室の窓から見えた高速道路も見えた。

病院のすぐ傍にモノレールの線路が走っており、すぐ近くに駅があった。これは、あまりにも病院のすぐ傍にあったので、外に出て初めて分かったものだ。

彼が眺めているその風景は病室から見た以上の広さだった。

「まさか、この地域一帯全部がそうだっていうのか」

 祐一が思わず漏らしたその言葉に、名雪は頷いた。

「その通りだよ。元々ここは、中部地方の鉱山街があった場所なんだけど、今から十年ほど前に、その鉱山が廃坑になってから急激に過疎化が進んじゃって、最終的にはダム建設にともないダム湖のそこに沈む予定だったの。けど、公共事業の見直しとかで、ダム建設の話しが中止になっちゃたみたいでさ。それで残ったこの地域を研究都市として再利用したんだって」

「確かに新聞で名前ぐらいは知っていたけどな…………まさかそれにしてもここまで大規模なものとは思わなかった」

 祐一はタメ息混じりに言った。

よく見てみれば、道路もモノレールも山間のさらに奥に伸びており、山の頂の向こうにも幾つかの建物の影が見えた。

名雪は説明を続けた。

「だいたい、この病院の場所から半径5kmにわたって研究施設が点在しているんだよ。どんなものが在るかって言えば、工業・天文・エネルギー・地質・薬学・医療といった各種様々な分野の実験施設がここに揃っているの。私達の間ではね、ここの施設の事を『科学要塞都市』なんて呼んでいるんだよ」

「科学要塞…ねぇ。なるほど。現代科学の最前線にして、最後の砦と言うワケか。……それで、何故俺はここにいるんだ」

 祐一の問いに、名雪の顔が引き締まった。

さっきまでの困り顔では無い。

覚悟を決めた様な、既然とした表情だった。

 ああ、こいつはこんな表情も出来るんだな、と祐一は意外に思った。

記憶に残る名雪の面影に、こんな既然とした表情は存在しなかった。

「………ここで、祐一の事を待っている人物がいるの」

「俺を、待っている人物…………?」

「うん。それにこの事は、祐一が襲われた事とも関係あるんだよ」

「…………………。どうやらお前は、いや、ここの人間は俺を襲ったヤツのことを知っているらしい。俺を助けてくれた男といい、さっきの真琴って奴といい、一体何者なんだ。そして、ここは本当にただの研究施設なのか?」

「その問いは、今は答えられないけど、とにかく、今は私の後について来て欲しいの。そこのモノレールで移動するから」

 そう言うと、名雪は歩き出した。

祐一もその後を追った。

駅の改札はフリーパスのようで、駅員らしき人が一人いたが、二人が勝手に通っても何も言わなかった。構内には既に二両編成のモノレールが停車していた。二人が乗り込むと同時にモノレールが発進する。

乗客は二人の他に誰もいないようで、彼らは窓際の席に向かい合って腰を下ろした。

 窓の外を景色が流れていく。

 祐一が口を開いた。

「名雪、もう一つ質問しても良いか」

「いいよ。私の答えられる範囲ならだけど………」

「俺が気を失ったとき、そばにもう一人、灰色のスーツを着た男がいた筈だ。その男がどうなったか、知っていたなら教えてくれ」

「ええと、ごめん、それは判らないの。答えられないんじゃ無くて、本当に知らないから……、この病院に運ばれてきたのは祐一だけだったよ。それに祐一を迎えに行った人たちって、多分この施設のスタッフじゃ無いと思うの。私は祐一が襲われたとしか聞かされなかったし、詳しい事は本当に判らないよ。きっと、他の病院に運ばれたんじゃないかな」

 名雪のその答えを聞いて、祐一は

「そうか……」

とだけつぶやいて、窓の外へと目を向けた。

 できることなら、生きていて欲しい。

祐一はそう思った。

あの時、彼の目の前で、少なくとも四人の人間が殺されている。その原因が自身にあったとすれば、あまりにもやるせない。

 そんな祐一を、名雪が黙って見つめていた。

「………名雪? どうかしたか」

「な、なんでもないよ」

 名雪は慌てたように、目を逸らす。

 ちょうどそのとき、モノレールが駅に到着した。

「さあ、着いたよ、祐一。行こう」

 名雪はそう言うと、さっさと立ち上がり歩き始めてしまった。

心なしか、その顔が少し赤い。

 駅から出ると、目の前に巨大な建造物があった。

山の急斜面に、添うようにして建っているそれは、十四〜五階建てほどの四角いビルと、その背後には、それをはるかに上回る巨大なドーム型の建物が一体化した建物だった。

前面の四角いビルの壁面は全て薄い緑色をしたガラス張りで出来ており、外から僅かだが各階の内部の様子を窺い知る事が出来る。

その建物の隣には、山の斜面から、水平に真っ直ぐ伸びる広い張り出しが、むき出しの鉄骨の足場の上に造られていた。

その張り出しからは、これまた広い幅の道路が三本伸びている。

祐一のいる場所からは見えないが、張り出しの上の斜面には三つのトンネルが口を開けており、そこから道路が伸びていた。

この道路の先をたどって見てみると、この科学要塞都市の真ん中を貫いていた、あの建設途中の高速道路へと繋がっている。

 モノレールの駅は、こうした建物のある山の斜面の中腹にあり、建物の入り口までゆるい坂道が設けられている。

だいたい歩いて五分といったところだ。

二人は入り口付近までやってきた。そこは車のロータリーとなっており、玄関の正面に円形の緑地帯が設けられ、そこにプレートが備え付けられていた。

 そこにはこう書いてあった。

≪中部国際総合学術研究都市 センタービル PANTHEON

(…………パンテオン、神々の宿る家か。ずいぶんとご大層な名前だな)

と、祐一は皮肉交じりにそう思う。

 玄関の自動ドアが開き、二人は中に入った。

入り口のロビーはかなり広く、ピカピカに磨きあがられた床と、所々に配置された洒落た観葉植物と、三階にまで吹き抜けとなった天井から下がる、洗練されたデザインのシャンデリアと、そして、全面ガラス張りの壁面から柔らかな昼下がりの光が射し込んで、全体的に調和し合い、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

 ロビーには人気がなかった。だが、そこから上を見上げれば、二・三階の様子をある程度見る事が出来る。祐一はそこに幾人かが歩き回っているのを認めた。

 そうやって祐一がロビーを眺めていると、その奥の通路から一人の女性が歩いてきた。

名雪と似たような制服を着ている。

よく見れば同じ制服なのだが、こちらの女性の方が、名雪よりもやや大人びて見えるのは、よりもファッショナブルに着こなしているせいだろうか。

 その女性が二人に気づき、名雪に向かって声をかけてきた。

「あ、名雪さん。今お帰りですかー」

「ただいま、佐祐理さん。ちょうど今戻ってきたばかりなんだよ」

 名雪が答えた。

 佐祐理と呼ばれた女性が祐一に目を向ける。

「もしかして、こちらが例の従兄弟さんですか………。あははー、名雪さんの言っていた通り、なかなかカッコイイ人ですね―」

そう言いながら、彼女は祐一の顔をのぞき込むように眺めはじめた。

女性の整った顔立ちが目の前に迫る。

はっきり言って、美人だった。

だが、その容姿とは裏腹に、その子供っぽさを感じさせる物言いと、好奇心に輝くその瞳に、祐一は気圧され思わず身を引いた。

「え、えへへ、佐祐理さん。そんなに褒められると、照れちゃうじゃないですか」

「なんでお前が照れるんだよ、名雪」

「けれど名雪さん、この三日間、ずいぶんとマメに病院へお見舞いに通ってましたよねー。それだけ、大事に思われているってことですよ」

 佐祐理はそう言って、祐一に向ってウィンクして見せた。

(大事に思われている、か)

祐一は、佐祐理がそう言ったとき、名雪の顔がまた一瞬曇ったのを見逃さなかった。

見舞いに来ていたのは罪悪感では無かったのか。

そう思ってしまう自分が少し哀しい。

「祐一さん」と、佐祐理が声をかけてくる。「私は、倉田佐祐理と申します。よろしくお願いしますね」

と言って、右手を差し出した。

「あ、ああ……。相沢 祐一です」

 少し戸惑いながら自己紹介をして、差し出された右手に握手した。

「お二人とも、これからどうされるんですか。やっぱり所長のところへ?」

 と、佐祐理。

「うん、そうだよ」

「でも、所長といえば、今来客中らしいですよー。さっき、舞がお客さんを所長室まで送って行ったところですし」

「え、そうなの。…困ったなぁ」

「急なお客さんだったみたいですし、やっぱり名雪さん知らなかったんですね。今行っても会えないと思いますよ」

 その会話を聞いて祐一が口を挟んだ。

「さっきから聞いていると、俺に会わせたい人物というのは、ここの所長のようだな」

その問いに名雪が頷く。

「うん、……そうだよ」

「じゃあ、その所長というのは誰なんだ」

「祐一、それはね――」

 名雪が答えかけたとき、佐祐理が突然声を上げた.

「あ、いけない。忘れるところでしたー」

「わ、なに、佐祐理さん?」

「名雪さん。さっき、草薙さんがあなたのこと探してましたよ。名雪さんを見かけたら、自分のところにまで来てくれと伝えるように頼まれていたんです」

 それを聞いて名雪は「あぅ、すっかり忘れてたよ!」と言って、頭を抱えた。

「命さんに報告書を渡すようにと言われてたの、すっかり忘れていたよぉ!」

 名雪は祐一に、

「ごめん祐一。私、すぐに戻ってくるから、少しの間だけここで待ってて。ホントにすぐ戻ってくるから」

 そう言って、建物の奥へと駆けていった。

「あははー。名雪さん、急いでくださいねー。…命さんを怒らすと、結構怖いですからねぇ」他人事だからか、のんきに名雪を見送る佐祐理。「祐一さん。名雪さんはああ言いましたけど、多分、しばらく戻ってこれないと思いますよ。この奥へ入った所に食堂があるから、そこで待つのがいいと思います」

と言って、それじゃ私は仕事があるからこれで、とニッコリと微笑み立ち去っていった。

 なんだかんだと、またもや一人ポツンと取り残された祐一は、これからどうしようかと頭を掻いた。

そして思った。

(名雪…相変わらずだな。少し抜けているところは昔と変わらない。……あと、足だけはやたら早いところとか)

 奇妙な懐かしさに、祐一は思わず笑みを浮かべていた。

思えば、ここ最近、笑ったことが無かった気がする。久しぶりだった。

とりあえずその場で十分ほど、名雪を待っていたが、佐祐理の言う通りなかなか戻ってこないので、食堂へ行ってみる事にした。

 ロビーの奥へ行くと、すぐ脇に一段下がったスペースがあり、そこが食堂になっていた。

ここもロビーと同じくらいに広い長方形をしたスペースで、片面の壁は建物の総ガラス張りの部分であり、山間の景色を思う存分に望む事が出来た。

ここはセルフサービスの食堂らしく、彼の近くに、トレイに、箸に、フォークに、スプーン、等を乗せた移動式の台がある。

横長のテーブルが燦然と並べられているが、食堂の一角は丸テーブルも立ち並んでおり、近くにはカウンターもあり、カフェラウンジのような雰囲気となっていた。

 今は食事どきでは無いのであろう。カフェラウンジの丸テーブルに一人の女性がいるだけで、他に人影は無かった。

祐一が窓際の席に腰を下ろそうとした時、カフェラウンジの女性がぽつりと言葉を漏らした。

「あら、砂糖が切れてるわね」

 祐一がその声のほうに目を向けて見れば、カフェラウンジに座る女性がテーブルの上の砂糖壺を覗き込んでいた。

しかし、中身はすでに空の様で、女性は仕方ないといった風に席を立つと、カウンターへと向かう。

女性がカウンターの奥へ向かって声をかけた。

「ねぇ、砂糖補充してくれないかしら。ねぇっ。……なによ、誰も居ないわけ?」

 女性は仕方なさそうに、元の席へと戻る。

祐一は、自分の座った席の砂糖壺を確認してみた。中身は充分にある。祐一は砂糖壺を手に取って腰を上げた。そしてカフェラウンジまで歩いていくと、

「どうぞ」

と、それを女性のテーブルの上に置いた。

 彼女がそれに気づき、

「あら……、どこの誰だか知ら無いけど、親切ね。ありがとう」

と、言って祐一のほうを向いた。

 栗色の、軽くウェーブのかかった髪と、尖ったアゴに、形の良い小さな唇。切れ長の瞳を持った顔立ちをしていた。

服装は、名雪と同じ濃紺のスーツである。

(ふむ……割と美人だな)

祐一はそう思ったが、別にそれ以上の下心がある訳でも無かった。

単に、ちょっとしたお節介。そのつもりだった。

「気にするな。それじゃ、俺はこれで」

 そう言って祐一が立ち去ろうとしたとき、

「ちょっと、待ってよ」と、呼びとめられた。「せっかくだから、付き合わない? 礼に一杯くらい奢るわよ」

「そうかい、だったら言葉に甘えてコーヒーでもいただくよ」

 奢ってやると言われて、断るほど意固地でも無い。

それに幸い、喉も渇いていた所だった。

 それにしても今日は、よくよく女性に縁のある日だ、と祐一は思う。

それも出会う女性は皆、意外と美人揃いである。今日は好日かもしれない。いまだ、自分の置かれた状況が把握しきれない事を除けば、の話だが。

「コーヒーなら、そこのカウンターのコーヒーメーカーから好きなだけ取っていけばいいわ。セルフサービスでお代わり自由よ。……これ、使って」

 そう言って女性は、胸ポケットから一枚のカードを取り出すと、それを祐一に手渡した。

どうやら、身分証明書のようだ。顔写真と名前がある。

“美坂香里”とあった。

裏を返すと、バーコードがうってある。

祐一はカウンターに目を向けて見た。コーヒーメーカーのそばに、信号読取用端末が設置してある。どうやら、この身分証明書のバーコードを読み取るためのものらしい。コーヒー料金は身分証明書を通じて請求されると言う訳か。

 祐一は、女性――美坂香里の身分証明書を端末に読み取らせると、カップにコーヒーを注ぎ、彼女の向かいに座った。

「ごちそうさん」

そう言って身分書を返す

「お互い様よ。それに、ここのコーヒー、あまり大したものでもないしね」

香里の言葉に、祐一はコーヒーを一口、飲んでみた。

安物のインスタントコーヒーの分量を間違えたような味だった。

「いや、こんなものを食堂においておく辺り、大した度胸だと俺は思うね」

「この食堂を利用する人間にとっては、その味が普通なのよ。ここの研究所には研究バカが多過ぎるからね。コーヒーに眠気覚まし以上の価値を置いてないのよ」

「まるで、カフェインの塊だな。徹夜作業にはもってこいだ」

「コーヒーだけじゃ無いわ。他の料理に関しても栄養摂取以上に考えてない連中ばかり。ここの食堂にしたって、優雅だとか御洒落といった、食事を楽しむ雰囲気にまるで欠けていると思わない? まるで機械的でそっけない内装。こんなところに来る客と言ったら、いつも皆、変な資料やノートパソコンを持ちこんできて、料理そっちのけで仕事している連中ばかり。ビタミン剤と栄養ドリンクと同列なのよ。これじゃ調理員もやる気無くして当然ね。おかげで最近、余計に料理の味が落ちてきてるのよ。ねえ、あなた。そう思わない?」

 そう問われて祐一は、黙ってコーヒーを飲んだ。

どうやら彼女は、誰でも良いから愚痴をこぼす相手が欲しかったらしい。

祐一はこの席に座った事を少し後悔したが、もう遅い。

「そういえば、あなた。この辺では見かけない顔ね。どこか他の部署からきたのかしら?」

「まあ………、そんなものだ」

「そうなの。まぁいいわ。どうせあなたも他の部署の料理が不味くて、ここに来たんでしょうけど。けれど、残念ながらこっちも似たようなものよ。まったく、北川君も良くこんな所でご飯を十杯も食べられたわね。本当、アレには呆れたわ。大体その前に、小腹が空いたと言ってラーメン三杯も食べてたのよ。その挙句に、腹を下すんだから、馬鹿としか言いようが無かったわね」

「………」

 祐一がここに来た理由を勝手に決め付け、ついには知らない人の話題まで出てきた。

それでも彼女の口は止まらない。

「それにしても、ここはまともな感覚をした人にはついて行けない職場ね。まともな常識人が少なすぎるわ。あなたみたいに親切な人、珍しいのよ」

「そいつは、どうも」

「皆、自分の仕事以外に頭に無いのよ。そうじゃなきゃ、このあたしの美貌を前にして、無関心を装ってなんかいられないでしょうしね」

 コーヒーを飲みかけていた祐一は、思わずゴホッゴホッと咳き込んだ。

初対面の男の前で堂々と自分の容姿を賞賛するとは、この女はただ者では無い。

「…………ちょっと。今のどういう意味かしら」

 香里は、祐一をジロリとにらみつける。

「あんた、良い性格しているな」

「もちろん褒め言葉よね、それ」

「まったく、その通りだ。あんたには敵わん」

「あなたも中々良い性格してるわよ。………まぁ、とにかく。そんな連中ばかりが集まってくるのも、元はと言えば所長の性格によるものかしらね」

「所長の性格?」

「そ。あの人って、いつも微笑んでいて、一見すると凄く穏やかな印象があるけど、仕事になると人間味といったものがあまり感じられないのよね。どこか他人と一線を引いて、必要とみればどんな指示でも顔色一つ変えずに下す。この間の実験のときがそうよ。北川君が重傷を負ったというのに、彼女は眉一つ動かさなかった。あの事故後、所長が私たちに対して言ったセリフが何か知ってるかしら? 一番の問題はスケジュールが遅れることね、よ。さすがのあたしも、あの時はキレそうになったわね。所長はあたし達のことを、ただの部品か実験動物ぐらいにしか思ってないのかもしれない。ほんと、水瀬秋子って人間が判らないわ………………」

 そこまで香里が言った時、祐一の目がハッと見開かれ、突然、香里の肩を両手でガシッとつかんで叫んだ。

「今、なんて言った!」

 そのあまりの迫力に、香里は手にしたカップを取り落とした。

すでに冷め切った紅茶がテーブルの上にこぼれた。

「な、何って、判らないって………」

「ちがう。その前に言った名だ!」

「えっ、あ、秋子よ。水瀬秋子……所長の名前じゃない。何がおかしいの?」

 香里のその言葉も、祐一は聞いて無い様子で、彼は視線を宙に泳がせていた。

「秋子………やはり水瀬秋子か。やはりあなたが絡んでいたか」

そうつぶやいた。

「ちょっと、聞いてるの! いい加減に手を離してくれない、痛いのよ!」

 ついに香里が怒り出した。

 その声に祐一は我に返った。慌てて両手を肩から離す。

「あ、悪かった…」

 祐一が謝ると、香里は、「フン」と言いながら、肩口を手で払った。

「まったく、いきなり掴みかかってくるなんて。確かに所長について、あたしも言いすぎたかもしれないけど、別にあなたが怒ることもないでしょう?」

「本当に悪かった。それで、所長の部屋というのは、どこにあるんだ? 教えてくれ」

「所長室なら十七階の隅よ。でも今は来客中で、行っても無駄…………って、人の話を聞いているの?」

 香里がそう言った時には、祐一はすでに食堂から駆け出していった後だった。一人取り残された香里はつぶやいた。

「まったく。一体何だっていうの……?」

 祐一は食堂を出て、再びロビーに戻ってきていた。

すぐ近くにエレベーターが見えた。

そこに行き、呼び出しボタンを押す。しかし、エレベーターのランプは最上階で点灯している。一階まで下りてくるのには、だいぶ時間がかかりそうだ。

 祐一は待っていられなかった。

あたりを見渡してみると、通路の奥に階段を見つけた。彼はそちらに走り出した。

階段を、勢い良く二段飛ばしで駆け上がって行く。

途中で休憩することなく、全力疾走で、二階、三階、四階と駆け上り、あっという間に十七階にまで達した。

 その勢いのまま、祐一が階段の踊り場から通路に飛び出したとき、一人の女性の姿が、彼の目の前に現れた。

「うわっ!」

 走っていた勢いで祐一は急には止まれなかった。

あわや、ぶつかると思った瞬間、その女性は、スッと、軽い身のこなしでツルバミを避けた。

 無理やり止まろうとした祐一はバランスを崩してしまい、無様にも一人通路の床にドテンと転んだ。

「アタタ…………」

「………大丈夫?」

 祐一は顔を上げて女性を見た。

黒く艶やかな長髪を赤いリボンで束ねて、堀の深い顔立ちには、唇が強い意思を示すかのように締まり、涼しげな瞳は深い色をたたえていた。

やはり濃紺の制服を着ている。

「わ、悪い。急いでいた…………」

 祐一は立ち上がってみて思った。

その女性は、だいぶ背が高いことがわかった。祐一と同じくらいか、もしくは少し上だろう。

「……………?」

 なにかが、気にかかった。

祐一は思わず女性を見つめた。

「…何?」

 彼女は、無表情の中に僅かに怒りを湛えた瞳で。

「…廊下を走ったら、危ない」

 と、いきなりピシャリと言われてしまった。

「ああ、悪かったよ。ところで、所長室はあそこか?」

 祐一は適当に謝りながらも、廊下の突き当たりにある、立派な木彫のついた扉を、指差して聞いた。

「そう。けれど所長は今、来客中」

 女性は祐一の態度に気尾悪くしたか、ぶっきらぼうにそう答えた。

が、それを聞いた祐一は、委細構わず所長室に向かってズカズカと歩いていった。

彼女はその様子を見て、祐一を止めようとその肩を掴んだ。

「だから、来客中。…行ったら、駄目」

「別に構わない」

 祐一はそう言って、その手を振り払った。

「構わないって………? あなた、所属はどこ? 答えろ!」

 女性は厳しい声でそう言うと、祐一の前に立ちふさがった。

「……………」

 祐一はその問いかけをも無視し、女性の横を通り過ぎようとした。

「もしかして、部外者? だったら、ここは立ち入り禁止のはず!」

 彼女は再び祐一の腕を掴もうとしたが、それよりも早く彼は扉のドアノブに手をかけた。

 バタンという音をたてて扉が開いた。

 この建物は、どの場所も広々としているが、この部屋も随分と広かった。

部屋の中には、向かって右側の壁に高級そうな飾り棚があり、正面にはテラスへ通じるガラス戸があり、その手前に大きくて頑丈そうな木製のデスクが置いてある。

それのさらに手前には、二台のソファーが向かい合わせに並べてあった。

 だが、祐一には部屋の様子など目に入らなかった。

中には二人の人間がソファーにそれぞれ向かい合って座っている。

彼の目は、その二人にそそがれていた。

 一人は三十歳ぐらい。スーツ姿の男だ。

そして、それと向かい合って座る女性の姿。同じく三十代半ばだろうか。

二人の視線は、突然に現れた無礼な来訪者に向けられていた。

 祐一は、そこに座る二人のうち、女性の方に見覚えがあった。

その人物は、彼にとって決して忘れ得ぬ人物だった。

 部屋に沈黙が流れた。

祐一の視線と、女性の視線がぶつかり合う。

祐一を止めようとしていた女性までも、思わずその奇妙な雰囲気に沈黙した。

 祐一が、先に口を開いた。

「…………お久しぶりです、秋子さん。いや、水瀬博士」

 それを聞いて、女性が答えた。

「お久しぶりですね、祐一さん。相変わらずな、突飛な行動。変わりませんね」

 そう、この女性こそ、水瀬秋子。その人であった。

 

 

 

 

 

3.テストパイロット

 

 舞が所長室に入ったとき、彼女はその室内の異様な雰囲気に思わず立ち止まった。

 先程、通路で出会った奇妙な男が、舞の制止を振り切って強引に部屋に入って行ったとき、彼女もまた、男をつまみ出そうと部屋に入った。

 部屋の中にいるのは二人。

所長と、客人。

客人に関しては、政府関係者ということしか彼女は知らない。

所長は現在、重要な会談中であるはずである。誰も立ち入ることは許されない。当然、男の不作法に対する冷ややかな視線が、部屋の主から発せられていた。

だがその視線を受けた男は平然として、むしろその身体から冷たい雰囲気を漂わせていた。

廊下で出会った時とはまるで別人のようだ、と舞は感じた。

 すぐに退出させようと、その腕をつかんだが、

「舞さん、その必要はありません。彼が例の人物です」

と、所長の言葉に、その手を放した。

内心で、まさか? という思いが走った。

 所長の表情に柔らかい笑みが浮かぶ。

だが、舞は気づいていた。所長の両眼は相変わらず冷たい光を男に向かって放っている。

「フフ、祐一さん、こうしてお会いするのも何年ぶりになるでしょうか。全く変わっていませんね」

 男はただ黙って所長を見ていた。舞は彼の周囲だけ空気が一層冷たくなるのを感じた。

 所長の顔がこちらを向いた。

「川澄二尉。退出しても結構です」

 その言葉に舞は「しかし……」と言いよどんだ。

が、所長の言葉は穏やかだが、これは紛れも無く命令だった。

逆らうわけにはいかない。すぐに「失礼いたします」と答え、敬礼。

 所長が一瞬とがめるような視線を舞によこした。

それで自分の失態に気づいた。

「………すみません。まだ、癖が抜けませんでした」

 横目で、男が訝しげにこちらを見ているのが分かった。彼女はもう一度「失礼します」と言い直し、部屋を後にした。

 廊下を歩きながら、舞は先ほどの失態を思った。

自分はもう軍人では無いのだし、ここは軍隊ではなく表向きは民間施設なのだ。したがって敬礼などする必要もなく、また、してはいけないのだ。そのことは重々承知していたはずなのだが………

なぜか、さっきは考えるより先に身体が動いてしまった。

 その原因はすぐに思い至った。

あの男だ。

あの男の冷たい雰囲気が、自分の過去を、軍人時代を思い出したのだ。

 では、あの男は何者だろう?

所長はさっき「例の男」といった。

例の男とは、この施設で研究されている新型マシンのテストパイロット。その補充要員のことだと、舞は聞いていた。つまるところは自分の新しい同僚なのだ。

そう彼女もまたテストパイロットだ。

 だが、その補充要員は二日前、何者かの襲撃に遭い、ここの病院に収容されたらしい。容態が落ち着き次第、紹介されるはずだったが………

 エレベーターの前までやってきたとき、ちょうど扉が開いた。

中から現れたのは所長の娘でもある水瀬名雪だった。

「あっ………、舞さん」

 名雪もまた、舞と同じテストパイロットだ。

線の細そうな外見とは裏腹に、幼い頃から陸上で鍛えている身体は過酷な機体テストをこなせるだけのしなやかさを持っている。

彼女は二ヶ月ほど前に航空自衛軍の飛行士養成課程を終えた新人パイロットで、舞の後輩にあたる。

 名雪は舞の姿を見ると、ばつが悪そうな顔をした。

舞はその様子を見て思い出した。補充要員をここまで案内する役目は、名雪が受け持っていたはずだ。

 そのはずなのに、あの男は一人で現れた上、突然に所長室に乱入した。

何故こうなったのか。

「あ、あの……祐一、いえ、相沢さんを見ませんでしたか」

 名雪が、おずおずとしながら訊ねてきた。

「………今、所長と面会中」

 そう答えると、それを聞いた名雪の表情が見る見るうちに曇っていった。どうやら自分の失敗の大きさを自覚したようだ。

「す、すいませんでした、舞さん」

 名雪は慌てて頭を下げた。

「さっき、香里にも迷惑かけちゃったみたいだし……ああ、どうしよう。お母さん、じゃなくて所長は来客中だったはずなのに、私が祐一を一人にしちゃったせいだ。ああ本当にどうしよう…」

 しどろもどろになりながら頭を下げ続ける名雪に、

「名雪、私に謝ってもしょうがない。とりあえず、話を聞かせて」

と言って、お互いエレベーターに乗り込んだ。

 エレベーターで一階に下りて行く間に、舞は名雪から事情を聞いた。

名雪が私用のため少しの間、あの男のそばを離れたのが原因のようだ。

「名雪。仕事を途中で放ってまで、やらなければいけない用事だったの」

 舞がそう訊くと、名雪は半分泣きそうな表情になりながら、

「あ、あうう………命さんに報告書を出すのを忘れてて、それで……」

 命という人物は、彼女たちテストパイロット達にとって、所長に次いで権力を持っている女性である。彼女に関する用事は大抵の場合において優先される。

命が相手では仕方がない。舞は少しだけ、名雪に同情した。が、しかし。

「………自業自得」

「あうう……反省だよぉ」

 そういっている間にエレベータ−は一階に到着した。

二人が一階のロビーに出ると、すぐに香里がやってきた。

 美坂香里。やはりテストパイロットだ。

名雪と同年齢だが、テストパイロットとしての経験は彼女の方が先輩だ。

全員で五名いるパイロットの中でも、香里は舞に次いでの古参である。

「ちょっと、あの男は今どこに居るの? まさか、本当に所長のとこへ行ったんじゃないでしょうね」

 香里はどうも、機嫌を損ねているようだ。

「あぁ香里、ごめんだよぉ。祐一、やっぱりもう所長室に…………」

「それって、最悪ね。名雪、あんたの従兄弟、どうかしてるわよ?」

「あ、あうぅぅ…」

 名雪は少し、涙目だ。

「多分、あとで所長から話があるはず。それまで、おとなしく待つしかない」

 舞の取りなしもあって、香里も「それならば仕方ないわね」と、ひとまず引き下がった。

三人はとりあえず食堂に向かい、そこで待機することにした。

 カフェラウンジの一角に、舞は蜂蜜入りの紅茶。香里はコーヒー、名雪はストロベリーミルクをそれぞれ手にして、腰を下ろした。

 真っ先に口を開いたのは、香里だった。

「それにしても北川君の代わりが、まさか名雪の従兄弟だったとわね。って言うか、名雪に従兄弟がいたなんて、この話を聞かされるまで知らなかったわよ」

「うん、香里、黙っててごめんね。お母さんから、祐一のことは話しちゃいけないって、言われてたから……」

「何それ。いったい何者よ?」

「祐一は……とっても、いい人だよ。ちょっと、行動が突飛だけど」

「突飛すぎるわよ。所長の名前を言ったとたんに掴みかかってくるなんて、あり得ないわ」

「それは、無理ないかな………

「名雪、なんか言った?」

「う、ううん。何でもないよ」

 余計なことを言いそうになり、名雪は慌てて「そういえば……」と、話の矛先を変えた。

「真琴とさっき病院で会ったんだよ。ちょうど検査が始まる前みたいだったから、もうすぐこっちに帰ってくるんじゃ無いかな」

「なに? あたしがどうかした?」

 噂をすれば、影。

 食堂にやってきたのは、十代半ばの少女。

 香里が、その姿を見つけて声をかけた。

「………あら、真琴。お帰りなさい。何それ、肉まん?」

「うん、モノレールの駅の売店で買ってきたの。あっ、そうそう、さっき病院で聞いたんだけどね」

 真琴はそう言いながら、カウンターでリンゴジュースをカップに注いだ。右にジュース、左に肉まんの包みを抱えて、三人のいるテーブルへやってくる。

「潤がさ、もうすぐ退院できそうなんだってさ」

 真琴のその言葉を聞いて、三人の顔がパッと明るくなった。

 北川潤、テストパイロットの一人だ。

一月前、実験飛行中の事故で重傷を負い、今は現場を離れている。

「それは、何より」と、舞。

「良かったねえ、香里」と、名雪。

「なんでそこで、あたしに話をふるのよ。………とりあえず、おめでとう、と言っておくべきかしらね。まあ、あの無駄に頑丈な北川君のことよ。そうそう、くたばるはずもないしね」

と、さも気の無さそうに答える香里。

「あーっ、香里ったら、またそんなこと言ってる。本当は一番喜んでいるくせに……」

「そうだよぉ。香里ってば、素直じゃないんだから」

「………ほっといてよ」

 香里はそう言って、手にしていたコーヒーを一口飲んだ。

 彼女のそんな様子を見て、舞もティーカップに口を付けた。

香里も、内心ではとても喜んでいるのだ。

ぶっきらぼうなもの言いは、その裏返しだと言うことを、舞は知っていた。

 舞は、カップをテーブルにおいた。

カップの中で、わずかに残った紅茶が波紋をたてる。波紋は消え去りもせず、少しずつ波が大きくなっていった。

「………あっ、地震だ」

 最初に気づいたのは真琴だった。

 揺れはすぐに、身体でも感じられるほど強くなった。

食堂のテーブルや椅子などが、カタカタと小刻みに音を立て始める。テーブルにおいたカップが倒れそうになり、それを手に取る。

四人は椅子から腰を浮かし、とっさの事態にすぐ対応出来るよう身構えた。

 地震はさほど大きくならず、数秒程度で収まった。

 四人は再び腰を下ろした。

「………震度2ぐらいかなぁ」と、名雪が口を開いた。

「最近、多いわね」と、香里も口を開く。

「………あっ、雨だよ」

 真琴が窓の外を眺めて言った。

 先ほどまで晴れ渡っていた空は、いつの間にかどんよりと曇り、窓ガラスにいくつもの水滴が流れている。

窓の外に見えていた山々は、霞のような白い薄煙に消えていった。

まるで、今の地震がきっかけだったように、雨足は強くなっていく。

「………晴れ間、短かった」

 舞も窓の外を眺めて呟いた。

「長雨に地震。本当、うっとしいわね」

 と、香里もため息まじりに呟く。

 外の景色は白濁とした色にすっかり覆われてしまった。

雨音が大きくなり、食堂にも響いてくる。

憂鬱な雨音に押されるように、四人はしばらく何も言わずに、手元のカップを口に運んだ。

 しばらくして真琴が不安そうに呟いた。

「………もうすぐ、戦争が起こるんだよね」

 戦争。

真琴が口にした言葉に、三人は顔を曇らせた。

「………戦争は………嫌い」

真琴の言葉に、名雪が答える。

「真琴、戦争が好きな人なんて、誰もいないよ」

「でも、戦争は起きちゃうんでしょ。だから、みんながここにいるんでしょ」

「………そうだね。私たちは戦うことになるかもしれない。でも、それはみんなを守る為なんだよ」

「みんなが乗っている、あの機械で戦うんだよね。でもあれで何と戦うの?」

そこに、香里が口を挟んだ。

「確かに、あたしたちの敵が何者なのか。はっきりと聴かされたことはなかったわね」

「………うん、そうだね。実は私も、時々不安になるんだよ。あのマシンが必要になるような敵って何なのかなって」

「あの機械、時々すごく怖い感じがする………」

真琴の言葉に、香里が頷いた。

「あたしも、そんな気がするわ………」

 その後、誰も再び口を開こうとはしなかった。

 それぞれがカップの中身を飲み干した頃、ロビーのほうからまた一人、食堂の方へやってくる人影があった。

「あっ、舞さんに、名雪さんに、真琴ちゃんに、それにお姉ちゃん。ちょうど良かった。四人ともこっちに居たんですね」

 そう言いながらやってきたのは、小柄な少女だった。

黒髪を短めにまとめた、瞳のはっきりした少女で、やはり皆と同じ、紺色のスーツを着ている。

「栞、職場でお姉ちゃんはやめなさいって言っているでしょ」

 そうたしなめたのは、香里だった。

 彼女は、美坂栞。

香里の妹だった。

「えへへ、ごめんね。そうそう、先程、所長から伝達を頼まれまして。ここにいる四人とも、すぐに地下の格納庫まで来て欲しいそうですよ」

「四人って、真琴も呼ばれてるの?」

「ええ、そう言っていましたよ。………ところで、所長と一緒に見かけない人が居ましたけど、誰なんでしょうね」

「たぶん、補充要員」と、舞

「ああ、あの人がそうだったんですか」と、栞。

「ようやく紹介される訳ね。それじゃ、早いとこ行きましょうか」

 香里が促し、四人は立ち上がった。

「………それじゃ、私はこれで失礼しますね。お姉ちゃん、またね」

 栞はそう言って、香里がまたたしなめようとするよりも早く、去っていってしまった。

 

 

 

 

 

4・地下施設

 

 四人は建物の奥へ向かった。

廊下をしばらく進むと、駅のホームのような場所に出た。その先に数人の警備員が立っているガラス張りの扉がある。

 ガラス扉は前後に二重になっており、扉の前には自動改札機のような機械が四列、置かれている。

四人は、それぞれ懐からカード状の身分証明書を取り出した。

それをまず警備員に見せ、チェックを受ける。それからカードを機械に通した。信号音がなり、手前のガラス扉のロックが解除される。扉をくぐると、背後で再び扉がロックされる音がして、次に二番目の扉が開いた。

 ここから先が彼女たちの仕事場だ。

目の前には白い壁の廊下が続いている。窓はない。山の斜面に建てられたこの建物は、外から見えている部分だけではなく、山の内部まで広く深く施設が造られている。

先程までいた食堂などは表面の建物に位置し、ガラス扉から向こう側は広大な地下施設だ。

 さらに進むと、やがて工場内部のような広大な空間に出た。

高い天井から、いくつもの照明が光を強く放っている。空間は簡単な仕切で区切られ、各ブロックでは何十人という作業服姿や白衣の人間が、大小それぞれ様々な機械に取り組んでいた。

機械の発する音や、人の話し声があちこちにこだまする。

 奥の方にあるエレベーターにむかう。

このエレベーターは、ロビーにあったような人用のものではない。一辺が10mもあるような正方形の足場だけの大型エレベーターだ。

 四人はそれに乗り込み、下降スイッチを押す。ガクンという振動と共に床が下がり始めた。

とたんに目の前に、地下施設の広大なパノラマが広がった。

200m・横500m・高さ60mにわたる巨大空間。

縦横に巨大なクレーン用のレールが走り、周りの壁には、最初に彼女たちが通ってきた工場のような空間が何層も見える。そこにも大型エレベーターがいくつも稼働していた。

 眼下には赤・白・黄色にそれぞれ塗り分けられた、三機の飛行機が何人もの整備員に囲まれながら、並んでいるのが見えた。

 やがてエレベーターが最下層に到着した。

四人が機体の方へ近づいていくと、整備員の一人がそれに気付き声を掛けた。

「あれぇ、パイロットのみんなが揃って来てくれるなんて、珍しいね」

 ツナギに身を包んだ、若く小柄な少女だった。

作業帽を脱ぎ、こちらに振っている。

「やっほー、あゆあゆー!」

真琴が大声で返事を返す。周囲は機械音やら何やらで非常にやかましい。

 少女の名は、月宮あゆ。

年若い身で、ここの整備班の班長を務めていた。

「でさぁ、みんな本当にどうしたの? マシンの様子でも見に来たのなら、あの通りなんだけど」

 あゆはそう言うと、背後にある三機の機体を指し示した。

 三機の飛行機はどれも、あちこちの装甲板を剥がされ、内部の機械が露出している。周囲から大小何本ものケーブルがのびて、それにつながれていた。

「イーグル号のエンジンシステムの復旧に手間取っちゃってるんだよね。まだ色々調整とかが残ってるし。それが終わるまで飛行実験の再開は無理だよ」

「延期、延期、ね」と、香里。「このままでは腕が鈍りそうだわ」

「うぐぅ、ごめんね。整備班総出で、休日返上で頑張っているんだけど」

「ああ、ごめん。あゆ。あたしの言葉が悪かったわ。別に攻めてるわけじゃないしね。今度、タイ焼き差し入れるわ」

 タイ焼き、と聞いてあゆの顔がぱぁっと輝いた。

「タイ焼き? やったぁ。それだったら、お盆も正月も返上して働いちゃうよ」

「盆や正月までは、さすがに待てない」と、舞「私たちは、所長に呼ばれてここに来た。あゆ、所長を見なかった?」

「ううん、見てないけど………。あ、あれじゃないかな」

 と、あゆが上を指さした。

 見ると、もう一台のエレベーターが二人の人間を乗せて下りてきた。

一人は白衣を纏った軍服の女性で、遠目にも水瀬所長と判る。

もう一人は私服で、白衣と作業服に囲まれたこの空間では浮いて見える。

相沢祐一だ。

「知らない人が所長と一緒にいるよね。あれ、誰?」

と、あゆが訊いた。

「見ての通りの新顔さんらしいわ」

香里が少し不機嫌そうに答える。

 エレベーターが到着し、二人がこちらにやってきた。

「わわ、所長の目の前じゃ怠けられないよぉ」

 あゆはそう言うと機体の方へ戻っていった。

 やがて、先に秋子が一人、目の前にまでやって来て言った。

「全員、集まっているようですね」

 名雪が慌てて秋子の元に駆け寄った。

「所長。先程は申し訳ございませんでした」

「別に、気にする必要はないわ」

 秋子が後を振り返る。

 少し遅れて祐一が周囲を見回しながらやってきた。そして、三機の飛行機を見つけた。

その目が、驚きに少し大きく見開かれた。

「ゲットマシンだと?! こんな所に残されていたのか」

祐一は驚愕の声を上げた。そして、そばにいる四人に気が付いた。

「名雪? それにあんたたちは確か………」

「祐一さんに紹介しますね。彼女たちが、ゲットマシンのパイロットです」

 秋子のその言葉に、祐一の目はさらに大きくなった。

「彼女たちがパイロットだって?」

祐一と秋子の前に、四人が並んだ。

「あ、あの、祐一。よろしくね」

「あんた、ユーイチだっけ。あたしは――「知ってる。殺村凶子だろ?」――真琴よっ、沢渡真琴ぉっ!!」

「………美坂香里よ。先程はどうも。…ん? 別に怒って無いわ。言葉通りの意味よ」

「川澄舞。よろしく」

 彼女らを前にして祐一は、ただ呆気に取られていた。

 秋子は、祐一に対する彼女たちの様子に気がついた。

「あらあら、皆さんもう祐一さんに会っていたんですね。彼は相沢祐一。このゲットマシンの元テストパイロットです」

 その言葉を聞いて、今度は彼女たちが目を丸くした。

「あたしたちより前に、テストパイロットが存在していたって言うの!?」

「あなた達が知らないのも無理はありません。ゲットマシンに関する記録は最高機密扱いでしたから」

「それで、名雪も話そうとしなかった訳ね…」

 香里のその言葉に、祐一がぽつり呟いた。

「………ずっと、昔の話だ」

もう一度、彼はゲットマシンと呼んだ機体に目を向けた。

それは、どこか哀しげな視線だった。彼は言った。

「再びこいつに乗れと。そのために俺をここに呼んだのか?」

「そうです」

「何故?」

「その理由を、これからお見せします。舞さん、香里さん、それに真琴に名雪。あなた達もついて来てください」

 秋子はそう言って促した。

途中、機体の傍まで近づいた時、

「整備班の皆さん。連日の作業、大変お疲れ様です。ですが、この実験の成功は皆さんの肩に掛かっているのです。今後も引き続き苦労を掛けるでしょうが、よろしくお願いします」

 この言葉に、喧騒の中で作業を続けていた整備員から歓声の声が挙がった。

続いて秋子は、機体の近くにいたあゆを近くに呼び寄せた。

「あゆさん。いえ、月宮班長。イーグル号・ジャガー号・ベアー号をすぐにでも飛行可能な状態に整備しておいてください」

「ええっ、今すぐですか? ジャガー号とベアー号はともかく、イーグルはまだシステム周りが滅茶苦茶ですよ」

「飛べさえすれば良いんです」

「う、うぐぅ。やってみます」

 秋子はあゆにそう伝えると、祐一と四人に向き直り、

「さあ、行きましょう」と言って歩き出した。

 

 

 

 

 

5・闘争の始まり

 

 格納庫の一角に、来たときとは別のエレベーターがあった。

こちらは人間用だった、が、それでも二十人は乗り込めるスペースがある。

皆が乗り込みエレベーターは上昇を始めた。

 秋子が口を開いた。

「………先程、内閣総理大臣より通達がありました。本日一八○○時をもって日本列島に駐屯する全自衛軍は非常警戒態勢に移行するそうです」

 それを聞いて、全員の顔に驚きが広がる。

香里が訊いた。

「原因は何ですか」

「この列島に対する武力行使の可能性が高まっている、ということです」

 それに対し、今度は祐一が訊いた。

「その事が、こことどういう関係があるんだ?」

「大いに関係しています。祐一さんも既にお聞きになっているでしょう、ここの施設の二つ名を。中部国際総合学術研究都市、通称、科学要塞都市。この名は伊達ではありません。その名の通りの要塞であり、国防戦略の要でもあります。そしてあの機体こそが………」

 秋子がエレベーターから下を示した。そこには三機の飛行機が見えた。

「………あの機体こそが我々の切り札、ゲッターです」

 その言葉に祐一が叫んだ。

「バカげている。ゲッターは戦闘用なんかじゃない!」

「予想されうる最も有効な対抗手段です」

「………有効な対抗手段? あのゲッターが? 一体、何に対して有効だっていうんだ?」

「祐一さんが最も良く知る存在です。そして、あなたを殺そうとした存在です」

「まさか!? ありえない!?」

祐一は絶句した。

「しばらく会わない間に、だいぶ頭が固くなったと見えますね。それとも先日のことを、まだ夢だったと思っているのですか?」エレベーターが止まる。「………着きました」

 扉が開く。

まっすぐ延びる通路の端に頑丈そうな扉があった。

「こんなエリア、私も初めて来たよぉ」名雪が呟いた。

「この科学要塞都市の内部でも最重要機密が保管されている場所です。私を含め、一部の者しか立ち入れない」

「また、機密事項ってわけ?」香里がぼやく。「あたしたちにまで秘密だなんて。この分だと、いったい、いくつ機密があるのやら知れないわね」

「………この場所、なんだか怖い。イヤな感じがする」

真琴が不安そうに言った。近くにいた舞の手を握りしめる。

「大丈夫、真琴?………それで所長。私たちの敵は、どこ?」

舞の問いに秋子が答える。

「………いま、お見せします。これが、我々の相手です」

秋子は壁にあるナンバーキーに、素早く暗号コードを打ち込んだ。

そして、その手が、扉に触れた。

扉の表面に内蔵されている機械が、秋子の指紋を判別し、同時に目線に位置する内蔵カメラが、秋子の眼球内部の光彩を判別する。こうして瞬時に身元確認が行われ、扉のロックが開いた。

 扉がゆっくりと左右に開いて行く。

冷たい空気が中から流れ出てきた。

「い、イヤだ………」

真琴が、扉の向こうにあるものを見て、怯えた声を上げた。慌てて舞の背後に隠れる。

 薄暗い部屋の両脇に、何体もの死骸がそれぞれガラスのシリンダーに納められ立ち並んでいた。

大きさはヒトより一回りほど大きく、皮膚は硬いウロコに被われている。

口は裂け、凶暴な牙をむいていた。

「……………ハ虫人類」

と、祐一が唸るように、その名を口にした。

「そうです。人類が誕生する遙か以前、太古の時代に恐竜から進化した知的生命体、それが我々の敵です」

秋子はそう言って、周囲のハ虫人類の死骸を指し示した。

「この化け物が………あたしたちの敵」

 香里が呟いた。

そしてシリンダーを目の前にして、その言葉の意味をかみしめた。

舞も真琴も、そして名雪も、香里の言葉の意味を実感した。

「話には聞いてたけど、けれど………夢じゃないんだよね」

「………事の起こりは十数年前に見つかった白骨死体でした」

 そう言ってシリンダーの一つの前に立った。

内部にはヒトによく似た骨格が納められていた。

あちこち欠損しているものの、鋭い爪とギザギザの牙が見て取れる。

「これは、東南アジアのとある紛争地帯の戦場で発見されたものです。これ以後、周辺各国の戦争地帯もしくは軍事施設において度々、ハ虫人類と思しき謎の生命体が目撃されるようになりました。むろん我が国においても、そう言った事例が確認されています」

 秋子は部屋のさらに奥に向かって歩きながら話し続けた。

「こうしたことにより、ハ虫人類の生存は確認されていました。だがなぜ、戦場や軍事施設に出現するのか、その目的が一体何であるのか。その目的を知ったのは、ほんの数年前になってからでした。これを知るものは一握りしかいません。我々は遂にハ虫人類と接触する機会を得たのです。ですが、その最初の接触の目的は………………闘争でした」

 歩きながら別のシリンダーを見上げる。

そこには爆風で引きちぎられたような死骸があった。

全身に銃弾が撃ち込まれた跡がある。

「自衛軍の新兵器開発に関わっていた軍事施設でした。奴らはそこに複数で現れた………完全武装して。今まで戦場や軍事施設ばかりに現れていたのは、我々の戦力を探る為だったのでしょう。そして奴らは遂に行動に出たというわけです。襲ってきた時の状況や、ハ虫人類の正確な数などは今も不明です。なぜなら、その施設は破壊され、現場にいた人間は全員惨殺されましたから。事態を重く見た防衛省は新型爆弾で施設ごと破壊し、ようやく奴らを撃退することに成功しました。現場から回収された唯一の遺体、それがこれです。………その後も、奴らはこの国の陰で暗躍し続けました。大規模災害や事故、そしてテロ、すべてにハ虫人類の痕跡が認められました…」

 部屋の奥にもう一つ扉があった。

その扉が開く。

その向こうには、一体のハ虫人類が大きな解剖台の上に横たわっていた。

顔面は顎が砕け、右腕が肘の付け根から引きちぎられたように無くなっている。腰から下は原型を留めぬほどひしゃげ潰れていた。

「……………」

 真琴はもう周りを見ようともせず、顔を伏せ目をギュッと強く閉じ、舞の背後に身を隠していた。

「所長、このハ虫人類は?………まだ、新しいようですが」

舞が訊ねた。それに答えたのは、祐一だった。

「………俺を襲ってきたやつだ」

 祐一が二日前、車でひき殺したハ虫人類の死骸だった。

あの時、殺意を放っていた炎のような赤い目も、今は何の光もない。

「奴らはそこいら中に潜んでいます。そして、常に我々に関する情報を収集している」と、秋子は続けた。「奴らが、現代まで奇跡的に生き延びた、ただの爬虫類ならば我々にとって問題ではありませんでした、ですが、ハ虫人類は只の化け物ではないのです。奴らは我々と同程度の知能を持っている、そして、奴らは我々以上の身体能力を持っている、そして一番やっかいなことに、奴らは我々以上の科学力を持っています」

 秋子がここまで話したとき、ハ虫人類の腕がわずかに動いた。

だが、それに気づいたものはいなかった。

「我々は秘密裏にハ虫人類に対抗する手段の開発に取りかかりました、そのために、この科学要塞が設立されたのです。無論、奴らに気づかれぬために、表向きは民間研究施設となっていますけどね」

 そして、その秘密を守るためハ虫人類の存在さえも秘匿された。

祐一は、そのためにスケープゴートとして利用されたのだ。

「…………これが真実か」

祐一が小声で呟いた。

「ヒトを越える存在…………それが、私たちの敵…………」名雪が言った。

「それじゃ、ハ虫人類の目的って……………」と、香里が効いた。

「それは………」

と、秋子が口を開き掛けたとき、地獄の底から響いてきたような、しゃがれた声がそれに答えた。

―ゼツメツ!

 絶滅、その声はたしかにそう聞こえた。

全員が声のした方に振り返った。

その先にあったのは、あのハ虫人類だった。

骸であったはずのその目が、ギロリとこちらを向いた。

「そんな! 完全に死んでいた筈なのに」

秋子が驚愕の声を上げた。

 目の前でハ虫人類が上体を起こす。

「ヒィッ!」

誰かが声を上げた。

―ヒャァアアァァァアア!!

 砕けた顎から呼吸の度に空気が漏れ出る。

だが、その喉の奥からハッキリと言葉が発せられた。

―キサマ!

―オマエ!

―ゲッター!

―スベテゼツメツ!!

 それはまぎれもなく日本語だった。

異様な怪物の、崩れた身体の奥底から響くその言葉は、「絶滅」の二文字。

「絶滅だと! それがハ虫人類の目的か!?」

祐一がハ虫人類に向かって問いかけた。

―ツイニミツケタゾ!

―ゲッタァァァァー!

 ハ虫人類はそう言うと、苦しげに吠え声を上げた。

―ゲェエッタァ!!

―ショウメツ!

―センメツ!!

―ゼェエツメェツ!!!

 そう叫んだと同時に、ハ虫人類の身体が膨れ上がった。

目や口や全身の傷口から真っ赤な炎が吹き出し、部屋中に広がる。

「危ない、みんな下がって!!」

舞が叫ぶ。

 全員が急いで部屋の外まで走り出した。

真っ先に反応したのは叫んだ舞自身だった。彼女はとっさに傍らにいた真琴の身体を、炎からかばうように抱えて走り出す。

それとほぼ同時に、名雪が横にいた秋子の腕を取って走った。

香織と祐一は、全く同時に走り出したので、どちらかが相手をかばうといったことは無かった。

 部屋中が強い熱気に包まれる。

祐一が振り返った時、まばゆい光が目の前に放たれた。

―ゴォオオァァアアァアァ

 巨大な炎が渦を巻き、こちらに殺到してくる。

あわや炎が全員を呑み込もうとしたとき、目の前で扉が猛烈な勢いで閉じられた。

炎は分厚い防火扉に遮られるも、すさまじい熱波は扉を通して、まだ感じられた。

―ジリリリリリリ!

 非常ベルが鳴り出し、天井のスプリンクラーから大量の水が吹き出す。

全て一瞬の出来事だった。

秋子がびしょ濡れになりながらも安否を問う。

「全員、無事ですか!」

「なんとも無いわ」

香里が答える。

舞が周りを見渡し、言った。

「全員、無事です」

 だがその時、名雪が舞の腕に抱かれている真琴の様子に気づいた。

「……真琴? しっかりして真琴!」

 真琴は堅く目を閉じ、手足が力無くだらりと垂れていた。

舞は咄嗟に真琴の首筋に手を当て、脈を診る。

「………よかった、息がある。大丈夫。気絶しているだけ」

 警報が止み、スプリンクラーが止まった。

どうやら炎は鎮まったようだ。秋子が防火扉の脇についているパネルを操作した。

防火扉がゆっくりと開いていく。

 部屋の内部は全て炭化し、黒一色に覆われていた。

高熱のために形が変形してしまった解剖台の上に、黒い固まりのようなモノがへばりついている。

祐一がそれの傍に近寄った。

それはハ虫人類なれの果てだった。

その固まりに手を伸ばすと、それはあっさりと崩れ、中から親指程の大きさの円形の機械らしきモノが現れた。

 そのとき、秋子の携帯電話が鳴った。懐からそれを取り出す。

「………そう、判りました。すぐそちらへ向かいます」そう答えて、携帯を切った。「地上の観測施設から報告がありました。つい先程、この場所から強力な電波が発せられたそうです」

 それを聞いて、祐一は円形の機械を取り上げた。

「………発信源はこれかもしらんな」

 次の瞬間、足下がわずかに揺れ始めた。

「また、地震だよ!」

名雪が言った。

舞が真琴をかばうように抱きしめる。

「奴らはこの場所を知ったでしょう。いよいよ、来ます」秋子が振り返り、パイロット達に告げる。「川澄二尉、美坂二尉、水瀬二尉。あなた達はすぐにでも飛べる状態にして待機。真琴は、私が医務室に連れていきます」

 彼女たちの顔が緊張にこわばった。

「ついに、始まるのね………」

「了解。所長、真琴をお願いします」

「俺が持とう」

祐一はそう言うと、舞から真琴を受け取った。

 舞は、香織と名雪を促し、エレベ−ターへ向かった。

それを見届け、秋子が言った。

「私たちはこちらへ」

 揺れはおさまった。

祐一は真琴の身体を抱き抱える。

少女の身体は驚くほど軽かった。

「彼女たちが戦うのか?」

 秋子の後に続きながら、祐一は問いかける。

秋子が答える。

「………ゲッターは限られた人間でなければ扱えません。でしたら、彼女たちにやってもらうしかないでしょう?」

「その限られた人間であった俺を斬り捨てておいて、良く言えたもんだ」

「当て擦りのつもりですか。あなたには似合いませんよ。確かに、祐一さんだけが扱えるゲッターという意味においてなら、それはすでに完成されていました。ですが、私たちが望んだのはゲッター線の研究としてのゲッターでは無く、戦力としてのゲッターなのです。この数年間の開発のおかげで、ようやく祐一さん以外の人間でも扱えるようになるまでになりました。と言っても、まだまだ乗り手は選ぶのですけれども」

「俺は、あんたにとって用済みだった訳だ」

「あくまで、あなたは保険です。最悪、祐一さんさえいればゲッターは動く」

「勝手な話だ!」

「そうです。すべては私たちの勝手。これに関して私はあなたに言い訳する気も、謝罪する気もありません。もちろん、あの娘にたいしても……」秋子は語る。決意を込めて。「これは、戦争なのです。そえも、いままでの戦争とは全く違う。人類対異生物の、種の存続をかけた戦い。負けた方が、滅ぶ」

 エレベーターの近くに別の扉があった。

秋子がパネルを操作する。

祐一は後から続きながら訊いた。

「この真琴って娘もパイロットか? こんな子供まで戦わせるのか?」

「………だとすれば、祐一さんはどうします? この娘達にまかせて尻尾を巻いて逃げ出しますか」

「人をここまで連れてきて置いて、今さら何を言うか。………さっきのゲットマシン、あれは見たところ未完成のようだな。そんなモノで戦う気か」

「いいえ、完成しました。祐一さん、あなたがここに居ます」

 扉が開くと、外には何人かの職員が不安げに待っていた。

救急班の人間だろう、担架を持って待機している人間もいた。

「悪いが、この娘を頼む」

祐一はそう言って、真琴を担架に乗せた。

「火は消えましたが、内部はひどい有様です。後を頼みます」

 その場を職員達に任し、二人は先を急ぐ。

「今度はどこに行くんだ」

「作戦司令室です」

 秋子の声は、どこか覚悟を感じさせた。

 それは、ここは既に戦場なのだと、そう言っているようにも聞こえた。

 

 

 

 

ゲッター華音その2

登場人物紹介

1/相沢祐一

 考古学だけじゃなくゲットマシンのテストパイロットでもあった! という、無茶苦茶な設定。ハ虫人類とゲッターロボ、この二つに無理やり関わらせようとして、無理やりな設定を付与してしまいました。

 しかし、あまりにも説明不足だよなぁ…。

 

2/水瀬名雪

 Kanonメインヒロインがようやく登場。しかも祐一の元カノ設定。現在はゲットマシン・テストパイロットの一人。他のテストパイロットと同じく飛行士養成課程を出ていますけど、この課程に入ったのは祐一と別れた後という設定なので、祐一はこのことを知らなかった訳です。二十代半ばの設定で書いているので、多少大人っぽくイメージしてみましたけど…あんまり変わらなかった気もします。

やむを得ない事情で祐一の前から姿を消したものの、まだまだ祐一のことが忘れられません。

 

3/沢渡真琴

 祐一の天敵。いや、祐一が天敵なのか? 彼女だけは年齢は本編とほぼ変わってません。祐一との絡みは書きやすかったなぁ…。

 一応、真琴もテストパイロットの候補生ということで。ただし、自衛軍には入隊せず、この研究所で直接訓練を受けている、という設定で。

 

4/倉田佐祐理

 研究所職員。実は前話で登場したオペレータの一人は、彼女という設定でした。次回で、また出ます。

 

5/美坂栞

 御存じ香里の妹。この物語では姉妹仲は良好です。実は彼女も前話で登場したオペレータの一人。もちろん、次回でまた出ます。

 

6/月宮あゆ

 Kanon真のヒロインが何と……整備員。似合わんかなぁ、似合わんなぁ……。でも、ツナギ姿のあゆも、可愛いと思うのですよ私は。




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