第十八話 ユメガタリ(前編)










七月末。
学生においては、期末試験が無事終わり、とりあえず補習が無い人間は一安堵する頃。
成績表が悪くても、とりあえず休みに影響が無いなら問題は無い。
まあ、良くも悪くも親に説教を食らうのも通例行事と言える。

というわけで。

陸達の通う学校は、夏休みを迎えていた。










「うんっ、OK!」

それは既に夏休みに入って数日後のとある日。
演劇部部室の中、演劇部部長・影浪西華の声が通り抜けた。

「正直、私の主観で言えば、まだまだ煮詰め足りないわ。
 でも……それはあくまで私の主観。
 客観的な眼で見たなら、皆が皆やれるだけの事はやった事、今出来る最高である事は間違いない。
 皆、私の我が侭にココまで応えてくれてありがとう」

夕日の色に包まれた部室……西華の視界には、彼女にとって愛すべき後輩・仲間達の姿があった。

この数ヶ月……いや、西華が部長の任についてから、彼女はそれなりに厳しくやって来たつもりだった。
だが、誰一人欠ける事無く『明日』を迎える事が出来た。

明日……この地区の高校演劇大会の日を。

「後は明日ね。
 ベストを尽くせとは言わないわ。
 ただ、後悔がないようにしなさい。
 そうすれば、自然に全てが最高になるはずだから。
 今の最高である今日の出来さえ、簡単に越えられる。
 いえ、むしろ越えていくわよ。
 ……分かった?」
『はいっ!!!』

西華の言葉に答える、陸を含む部員全員。
その声は決して大きくはないが強く、部室を揺らすような錯覚を皆に与えた。

彼らは、今日の朝から昼にかけて会場でリハーサルを行い、
その後さらに部室に戻ってから各自自主参加で最終確認を(衣装などは既に会場に運んでいたが)行ったばかり。

会場でのリハーサルは昨日も行われており、連日となったハードスケジュールに皆クタクタだった。
……だが。にもかかわらず、演劇部員は誰一人欠ける事無く此処に立っていた。

もっとも。
ここには彼ら部員以外にもプラスアルファの人物達もいたが。

「そうそう。
 薫ちゃん、由里ちゃん、色々ありがとね」

西華が視線を向けた先には、部外者である所の薫と由里奈が立っていた。

「いえいえ。私は陸君が気になったり個人的に興味があっただけですから。
 んで、見学の御礼に働かせてもらっただけですよ〜」
「私も同じ感じね。姉様が気にする事はないわ」

部外者の一人、薫はパタパタと手を横に振って、答えた。
同じく由里奈が眼鏡を、クィッ、と整えながら言う。

この二人は、ここ暫くの間皆にお茶を注いでまわったり、衣装や道具類の補修をしたりと、
足りない人手を補いつつ、それぞれの理由で演劇部の活動を見学していたのである。

そんな二人に笑みを向けて、裏方……衣装担当である所の風見日景は言った。

「でも、やってくれた事に変わりはないから。
 二人とも、今まで本当にありがとう」

その日景の言葉に、うんうん、と西華が頷く。

「ええ。私も皆も、日景とおんなじ意見よ。
 ほんと、ありがとう。
 御礼は出来ないけど、代わりにいい舞台見せるから、もし良かったら明日見に来てね」
「良かったら、じゃなくても私は行きますってば。
 皆さんの舞台……凄く楽しみなんですから」

薫の言葉に偽りは無かった。
ここに来るようになった切っ掛け……理由が陸であるのは事実。
だが今は、ずっと彼らの練習を見ている内に彼らの真剣さ・演技そのものに魅せられる様になっていたから、というのも大きな理由となっていた。

ゆえに、薫は明日の大会も見に行く気満々なのである。

「でも薫が一番楽しみなのは平良君なんでしょ」
「はうっ?!」
「……ぉぅっ!?」

由里奈の突っ込みに薫が赤くなり、次いで時間差でソレを見た陸が赤くなる。

「あの、えと、その……」
「そんなに動揺する事ないよ。いいんじゃないかなぁ、それで」
「そうそう。私らの事はついででいいのよ〜?」
「そ、そんな事はないですよっ!!」

日景と西華の言葉に、薫はバタバタと大降りに腕を振って否定する。
そこに楽しげで涼しげな由里奈の声が響いた。

「あら? じゃあ平良君はどうでもいいの?」
「ゆ、由里奈っ!?」
「……」
「あらあら、平良君が真っ白に」
「にゃっ!?」

由里奈にからかわれ大騒ぎの薫、真っ赤になったり真っ白になったりの陸。
部員達はそんな二人を楽しげに笑い、あるいは悪意無しで二人を冷やかした。

「薫ちゃん、すっかり馴染んでますね」

大騒ぎ一歩手前の部員と薫と陸を眺めて、日景は呟いた。

「そうね。
 ……あの『個性』。個人的には部員に引き入れたい所ねぇ」
 
笑みを零しながらの西華の言葉。
それが冗談なのか、本気なのか……日景には分からなかった。











それから、少しの時が流れ。
演劇部解散後、二人は校門を抜け、ノンビリと帰路についていた。

「ともあれ、明日は絶対見に行くからね陸君」
「うん、ありがとう」

二人の影が並んでいる……当たり前と言えば当たり前の事に気を良くしながら、陸は答えた。

「でも薫さんも知っての通り、俺がやるのは……」
「いいんだってば」

クスクス、と笑みを零す薫。
陸にはワケも無く、その笑みがとても眩しく思えた。

「……いいわねぇ、若いって」
「だから姉様一つ上なだけでしょうに」
「部長?」
「と、由里奈」

唐突な声に振り向くと、ニコニコ上機嫌に笑いながら陸達に歩み寄る西華と、肩を竦める由里奈の姿があった。

「えと……何か用事ですか?」
「うんにゃ。二人の姿が見えて、声を掛けたくなったからパタパタ走って追いついて声掛けただけ。
 それにバス来るまで暇だから。
 お邪魔だった?」

西華の言葉に、二人は殆ど同時にほぼ同じ仕草で首をふるふる横に振った。
その様子を見て、西華はさらに笑みの質をレベルアップさせた。

「本当にいいわね、貴方達。
 私としては羨ましい限りだわ」
「そ、そうですか? その……ありがとうございます。
 でも、西華さん美人さんだし、彼氏とかいそうですけど」

顔を赤らめながらも、いつもどおりの薫スキル『思ったままを口にする』が発動する。
その質問に西華は表情をそのままに答えた。

「こんな演劇バカに付き合ってくれる奴なんか、そうそういないわよ。
 まあ、ちょっと前まではいたんだけどね。その辺は意見の相違と言うか。
 あ、別に気にしないでいいから」
「……」

西華の表情も感情も変わらないままだったので、薫は掛けるべき言葉を見つけ切れなかった。
そんな薫に、というより二人に西華は言葉を続けた。

「それに彼氏ができたって、そうそう貴方達みたいにはなれないわよ」
『……わたし(俺)たちみたいに?』

意図せずハモる陸と薫の言葉。
二人の怪訝というか不思議そうな表情を見て、西華は言葉を続けた。

「あ、別にそんな深い意味は無いわ。
 ただ……貴方達見てるとね、何処にでもいそうな彼氏彼女なのに、スゴク珍しい二人みたいな……
 なんかそんな気がするのよ」
「……確かにね。私もソレは常日頃思ってるわ」
『……』

西華と由里奈の言葉に、二人は顔を見合わせて首を捻って言った。

「……そうですか?」
「……そうかなー?」
「ハハッ。そういう所見てると特にね。
 んで、やっぱり羨ましくなるわね。なんか昔を思い出すわ」
「昔?」

西華の言葉に引っ張られ、誰に問うでもない薫の言葉が響く。
勿論問いかけとしては西華に対するものだが、薫自身はさして意識していない鸚鵡返しの発言だった。

そんな薫に向けて、西華が口を開きかけた時だった。

「……っと、バス来ちゃったか」

車の音にチラリと西華が視線を送る。
つられて他の三人もその方向を見ると、多少離れた所からこちらに向かってくるバスが一台見えた。

陸達の学校校門近くにはバス停がある。
通常は殆ど陸達の学校専用と言っていいバス停で、
いつもなら下校時間であるこの時間帯は生徒がたくさんで大騒ぎ状態なのだが、
夏休みのこの時刻は通常時と反転したかのように誰もいなかった。

「んじゃ、平良君。明日はしっかりね」
「はいっ」
「まあ、言われるまでもなく君は頑張るんだろうけど。
 薫ちゃん、来てくれるんなら応援よろしく。
 由里ちゃん、良かったら続き話してくれてもいいから。じゃあねっ」

西華はそう言うと、小さく手を振りつつバス停にダッシュ、バスに乗り込んだ。
そして、西華を乗せたバスは薫達の横を通り過ぎ、小さくなって,やがて消えた。

「姉様ったら、面倒臭い事を押し付けて……」

それから暫し経ち。
バスが完全に視界から消えるのを確認したようなタイミングで由里奈は呟いた。
その言葉に薫が首を傾げつつ、言った。

「それって西華さんが言ってた『昔』の事?」
「そうよ。ご丁寧に続き話していい、とまで言い残してくれちゃって。
 ……二人とも、聞く?」
「うーん、ちょっと聞きたいかも。陸君は?」
「……正直、興味が無いと言ったら嘘になるなぁ」
「了解。じゃ、簡単に話すわ」
「ちょ……月穂さん、それっていいのか?」
「いいのよ。姉様はイイって言ったんだし。
 むしろアレは話せって事なんでしょうしね」

やれやれ、と肩を竦めて、由里奈は語り出した。










……ソレは時間にすれば数分程度の言葉の羅列。
……だが、それが持つ意味は、凄まじく重いものでは無いが、決して軽いものではなかった。










「じゃあ、ここで」
「うん」

いつもの薫自宅少し手前で立ち止まり、二人は言葉を交わした。
……ちなみに、既に由里奈とは別れている。

「ね、陸君」
「ん?」
「結局、由里奈と西華さん何が言いたかったのかな」
「……そうだね。
 ただなんとなく……なのかもしれないけど、言いたい事はあったんじゃないかって気は俺もするよ。
 ……それが何かまでは分からないけど」
「あはは。それは私もおんなじ」

そうして笑った薫は、次の瞬間何割か真剣さを含ませて……全体的には笑顔だが……言った。

「でも……話を聞けてよかったと思うよ。
 なんというか、なんとなくだけど他人事じゃなかった気がするし」
「ん。だな」

ただ。
ソレを理解できるようになるのは、少なくとも今じゃないのだろう。
明日明後日かもしれないし、あるいは一生掛けるものかもしれない。
それについては、二人とも納得の共通見解だった。

「まあ、とりあえず陸君は明日の事が優先だね。
 自信の程は?」
「重ねてきた練習分はある。
 だから、後はそれを練習分以上にして舞台で見せるだけだ」
「……おおー」
「えーと。なんでしょうか、そのあからさまに意外な顔は」
「あ、ごめんごめん。
 自信無いとか漏らすんじゃないかな、ってちょっと思っちゃった」

そうして苦笑を浮かべる薫に、陸は苦笑を返す。
だが、その苦笑には、確かな意志が込められていた……ように、薫には思えた。

「いやいや。流石にココまで来れば俺も腹を決めてるよ。
 薫さんも見に来てくれるんだしね」
「……うんうん。そうこなくちゃ。
 状況的に大声は出せそうにないけど、ちゃんと応援してるからねっ」

ニッコリと最上級の笑顔を浮かべる薫。
それに答えるような笑みを浮かべながら、陸は深く強く頷き、答えた。

「……うん。その応援で二倍頑張ってみせるから」



 



去っていく陸に手を振り終え、薫はゆっくりと手を下ろした。

その脳裏に浮かぶのは、今日の事。

最後の練習に励む部員達。
由里奈が語った西華の事。

そして。

『重ねてきた練習分はあるよ。
 だから、後はそれを練習分以上にして舞台で見せるだけだ』

そう力強く言った、陸の顔。

「……ふふっ」

思い出して、薫は笑った。

陸が可笑しかった訳じゃない。
その笑みの意味は……ただ一つ。

「うん。かっこよかった」

だから、今日は早く寝る事にしよう。
明日はちゃんと起きてしっかり会場入りしておかないと。
ちゃんと、見届けるために。

そんな事を考えながら。
先刻の陸を脳裏でニ三度リピートした後、薫は家の方に足を向けた。

その頭上には、紛れも無い夏の星が瞬き始めていた。







……続く。 



第十九話はもう少しお待ちください