第十五話 〜CROSS ROAD Last Chapter〜交差点を過ぎる時(後編)







交差点。

それは何かと何かが交わる場所。
何かとは、モノでもあり、ヒトでもあり、ココロでもある。

今、二人の人間、そのココロが其処に立っていた。

そうして交差した彼らの行先は、彼ら自身が決める事。

……例え、どんな結果に終わったとしても。







「……うぃっす」

陸はそう呟きながら、そこ……演劇部部室に入っていった。

本格活動日じゃない日なので、部員は少ない。
その中をコッソリした動きで進む。
と、そこに。

「あら。今日は木曜日じゃないのに出るの?」

演劇部部長・影浪西華が現れた。
引け目がある陸は、少し動揺しながら答える。

「あ、その。
 置いてた台本を取りに来ただけなんです。
 今日は用事があるんで。すみません」

そんな陸の返事に、西華は首を傾げた。

「んん? なんか変な事言ってない?
 参加しないのに台本って」
「あーえーと。深く追及しないでやってください」

陸が台本を取りに来た理由は一つ……考え事をしながら読む本が欲しかったからだ。
それは陸の癖であり、そうする事で思考がよりまとまるのだ。

陸は、そうして、考えたかった。

自分の事。
薫の事。
今日の事、これからの事。

……その為に。

「なんというか……とっかかりが欲しかっただけなんで」
「とっかかかり、ねぇ。なんかあったの? 薫ちゃん絡みで」
「な、なんで……?!」

語るに落ちたというべきか。
意図してはないものの、陸はその表情と言葉で西華の言葉を全力肯定してしまっていた。

「……ふむ」

狼狽する陸の顔を見つめて、西華は呟いた。

「野暮だけど、どうにも気にかかるわね。
 ……話してみる気ない?」
「あ、その」
「というか、聞かせなさい。
 もうすぐ大忙し状態になるっていうのに、一人呆けられてもいい迷惑だしね」

そう宣告した西華は、やや強引に陸を廊下に引っ張っていった。

そんな光景を演劇部員の何人かが目撃していたが、この時期、部内で似たような事はよくあるので、特に多くを語る事無く自分の仕事に戻っていった。







その頃、薫はというと。

「……というわけなんです」
「あー……」

場の流れから、出会った少女……風見日景と話し込んでいた。

「そっか、そりゃ、知ってるわよね……」

日景から話を聞いた薫は、廊下の窓の外に視線を向けつつ頬をポリポリ掻いて、恥ずかしさを誤魔化した。

陸と同じ演劇部である日景は、薫が幾度か陸達の練習を見に来た時に名前を呼び合うのを聞いて、覚えていたらしい。
特に印象的だったのは、初めて演劇部に訪れた時に陸を笑った部員に怒り、部長である影浪西華に啖呵を切った所だと語られて、薫としては恥ずかしい限りだった。

それと同時に、そんな事もあったなぁ、と思わずしみじみ感じる自分がいて薫は苦笑した。
あれから、そんなに時間は経っていないというのに。

そんな薫の顔を、日景は何処か眩しそうに見ていた。
日景のその視線に気づいて、薫が見つめ返すと、彼女は言った。

「あの、霧里さん……一つ聞いていいですか?」
「ん? いいよ。
 っていうか同い年なんだし、普通に話してくれていいよ」
「……ありがと。じゃあ、普通に話すね」
「うんうん。で聞きたい事って?」
「……平良君とは、どうかな」
「どう、って、言うと?」
「うまく、いってるのかなって思って」

その質問は先週までなら「まあ、それなりにかな」と照れながらも答えられるものだった。

だが、今この時においては一番返事に窮す質問で、薫は皮肉のようなものを感じた。

「……えと、ど、どーしてそんな事聞くのかな」

言いながら、演劇部で部外者である自分と陸がやり取りするのを見ていれば、興味を覚えて当然……という考えが頭を過ぎる。

しかし、動揺する薫を見て、少し考えた末に口を開いた日景の言葉は、薫の予想を簡単に裏切った。

「あのね。
 その……。
 今だから言うけど……あたし、平良君の事、好きだったの」
「え……?」

思わず驚きの言葉を上げる薫。
ソレを見て、日景は慌てて言葉を継ぎ足した。

「あ、今はその、違うって言うか、違うから安心して」
「う、うん」
「えとね。
 平良君の、時々空回っちゃうけど、一生懸命で、真っ直ぐな所……いいな、って思ってた」
「……」
「でも。
 あの日……平良君を笑ってた部員の皆に怒った薫さんを見て、勝てないな、って思った」
「あ、え……?」
「あの時、あたしも気持ちが抑えられずに立ち上がったの。
 でも、霧里さんの方が早く、強く叫んでた。
 それを見て、ああ、勝てないんだな……って、あたし、心から思った」

あの時。
そんな気持ちでいるヒトがいた事を、薫は知らなかった。気付かなかった。
何故なら、その時自分は……陸の事で一杯になっていたから。

「でも……少し時間が経って、落ち着いて考えられるようになったら……
 すごいな、って素直に思えるあたしがいた。
 あの時の二人って付き合って、そんなに間もなかったんだろうにって」
「……」
「だから、そんな二人が今はどうなってるのかな、ってちょっと気になってたの。
 でも……突然すぎたよね。
 気分、悪くさせちゃったかな」
「え、あ……そんな事ないよ。うん」

日景の言葉を、薫はパタパタ手を振って否定した。
……その事については嘘偽り無い気持ちだった。

ただ。
日景に答えられない、応えられない自分がいて、それがもどかしかった。

「もしかして、喧嘩、してるの?」

何処かバツが悪そうな薫の様子から察して、日景は言った。

「う、ううん、そうじゃない。喧嘩はしてないよ」

陸を想っていた人……そんなヒトの存在を知って、薫は何か言い様の無い気持ちに囚われていた。
その気持ちの中の申し訳なさが先に立って、薫は「喧嘩はしていない」という事実だけを告げるしかできなかった。

「それなら、いいんだけど」
「……その。
 これは、なんとなく思ったから聞くんだけど」
「なにかな」
「もしも、私達がうまくいかなくなったら、イヤな気持ちになる?」

ソレはただ、本当になんとなく聞きたくなったから口にした言葉。

その疑問に、日景は少し眉を寄せつつ、答えた。

「うーん。ちょっとは思うかもしれないけど……すごく嫌な気持ちにはならないと思う。
 今は、なんとか、そう思えるようになったと思うかな」
「……ごめん」
「謝らなくても、いいよ。
 あたしが……平良君を好きになってよかったって思えるようになったの、霧里さんのおかげだし」
「私の?」
「うん。
 あの時、霧里さんが叫んでくれなかったら……私は今も叶わない想いをひきずっていたから。
 だから……なんて言えばいいのかな……
 あたしの事は気にしないで、霧里さんは霧里さんらしいままでいてほしい。
 それなら、きっと……あたしは……もっと心から良かったって思えるような、そんな気がするから」
 
……例え、この先に何があったとしても。

今の薫には、日景がそう言っているように思えた。

「ごめんなさい、訳がわからないこと言っちゃって」
「ううん、そんな事ないよっ。
 なんてゆーか……いい話聞かせてもらったって言うか」
「ありがとう。
 ……でも、ちょっと長く話し過ぎちゃったかな」
「――あ」

そこで。
薫は自分が行くべき場所の事、待たせているかもしれない人間の事を思い出した。
 
「っと、ごめん風見さんっ!
 私、ちょっと用事を思い出したから……」
「そうなの? ……ごめんなさい、長く引き止めて」
「あ、いやいや、私が忘れてただけだしね」

申し訳なさそうにする日景に、薫はニッカリと笑顔を送る。
その自然な笑顔は、意識するまでもない彼女の気遣いであり、優しさなのだと日景は感じた。

そして、そういう部分に陸は惹かれているのではないかと、思った。

「っとと。それじゃ、私行くね。
 またいつか、機会があったらお話しようねっ」

そうして、薫はバタバタと去っていく。

「……うーん」

遠ざかる薫の背中を眺めて、ぼやくように日景は小さく唸った。

「あたし、ちょっとだけ嘘吐きかな……」

本当は、薫に語ったほどに整理し切れてはいない。
そう簡単に好きになった事を忘れられるほど、器用じゃない。

それでも、語った言葉に嘘は無い。
そう思える自分がいるのは確かだから。

「……頑張ってね」

最後に薫の姿を一瞥して、日景は向かっていく。

今、一番頑張れる場所である演劇部へ。

そして。
『その先』にある、他の誰でもない、自分の舞台へと。







「……薫ちゃんの気持ち、ねぇ」

演劇部室前。
簡単な状況を聞いて(というか聞き出して)西華は呟いた。

「そもそも、平良君の方が告白したんでしょ?」
「あー……はぁ、まあそうです」

思いっきり赤面しつつ、陸は頷いた。

本来こういう事は話すべきじゃない……そう思ってはいたのだが、西華に強引に押された事、自分だけの限界を感じ始めていた事もあって、陸は現状を零していた。

そんな陸を少しだけ呆れの篭った目で見ながら、西華は言った。

「だったら、気にしないといけないのは当然でも、もっとゆっくりじっくりじゃないの?
 人の気持ちは難しいんだから……特に恋愛絡みはね」
「……はい。
 でも、俺は……」

分かっていた。
でも、それでも先に進みたかった。

そう言おうとして。
そう言う事そのものが女々しく思えて。

そうして言葉を失った陸に、西華は言った。

「あのね。平良君。
 あなたは、薫ちゃんに本当は何を求めてるの?」
「え?」
「世間一般の恋人とか、彼氏彼女のイメージとか、そういうものに引きずられるんじゃなくて。
 ”あなた”は”薫ちゃん”にどうあってほしいの? どうしてほしいの?」
「……それは……」
「そりゃあ、世間一般じゃ、好きになって、関係発展したらキスだったり、その先だったり、いろいろあるでしょうよ。
 平良君がそれを望むのは自由だし、別にいいと思う。
 でも、そういうものに引きずられて一番大切なものを見失うと、痛い目をみるわよ」
「一番大切な、もの」
「うーん……そうね。実際にあった話をした方が、分かりやすいかしら」

西華はそう言うと、心もち顔を天井に向けながら、語りだした。

「ある所に、よく似た男の子と女の子がいたわ。
 性格や趣味、殆ど差異はないってくらいに似てた。
 違うのは目指す夢ぐらいで、進む方向は同じ……互いにそう信じてた。
 だから、ずっと近い夢を追って、ずっと一緒にいる事が出来る……そう思ってた。
 でも、その二人は気付かなかった。
 自分達が思い違いをしている事に」
「思い違い?」

鸚鵡返しのように問う陸に、西華は頷き返し、続けた。

「自分達は、互いに好き合ってると思ってた。
 まあ、それは間違いじゃなかったんだけど……互いの気持ちに落差があったの」
「それは……」

(今の自分達と、同じ……?)

言葉にならない言葉を浮かべた陸に、西華は『その通り』とでも言うように薄い笑みを送った。

「女の子は、気持ちを形にしたいと思ってた。
 男の子は、気持ちはずっと続くものだから、今形にしなくてもいいと思ってた。
 ……んで、そういう部分での擦れ違いが続いて、つかず離れずを繰り返してる内になんだかガタガタになっちゃって。
 自分達にとって、本当に大切なものが何だったのか見失って……二人は離れた。
 心情的にも、距離的にもね」
「……その後、二人は?」
「どうなったのかしらね。
 女の子は、まだ夢を……男の子と一緒に見た夢を追っているらしいけど。
 夢だけは変えたくなかったのか、またいつか男の子と繋がると思ってるのか、二人の関係を壊しても譲れない大切なものだったのか……どれなんだかね」

肩をすくめる西華。

何故か。
陸にはその姿が妙に寂しげに思えた。

「ともかく。
 これは、そういう失敗をした、経験者の話の伝聞。
 状況やら立場やら色々違うでしょうけど、参考にしてみたらどう?
 まあ、もう遅いかもしれないけどね」
「……」
「でも、もしもまだ間に合うのなら。
 今、本当に大事なものが分かってるのなら……真っ直ぐにぶつかって、頑張ってきなさい。
 私はね、あなたのそういう部分は高く評価してるんだから」
「部長……」
「話は終わり。
 ほら、用事あるんでしょ」

バンバン、と陸の背中を叩く。
ソレが陸には『前に進め』と背中を押されているような、そんな気がした。





「やれやれ」

遠ざかる陸の背中を眺めて、西華はぼやくように呟いた。

「人の事言えた立場じゃないのにねぇ」

それでも、言ったからには自分も自分なりに頑張るべきだろう。
それが……責任というものだ。

「……ホント、頑張りなさいよ」

最後にもう一度だけ陸の背中を見て。

『頑張ります』と確かに、力強く答えた後輩を思い出しながら。

西華は部室の中に入っていった。

……自分が選んだ『夢』を追い続けるために。










風が、吹いていた。

屋上のドアを開けた途端、流れ込んできたその風に、陸は一瞬目を瞑った。

再び目を開いたそこには、一人の女の子が立っていた。

霧里薫。

出会って少しの間に、いつのまにか好きになっていた女の子。
今、自分が付き合っている、女の子。

その彼女の姿が、夕焼けとフェンスを背に浮かび上がっていた。

風になびく髪。
煽られて、微かに揺れる服。
ドアが開いた気配を感じ、ゆっくりと自分の方を振り返るその姿。

「……っ」

そんな彼女に見惚れつつ、陸は言った。

「……ごめん、待たせちゃって」
「ううん。
 っていうか、呼びつけたの私だし」

薫は、穏やかな気持ちの中で、ニッカリ笑顔を陸に向けた。

(……風見さんのお陰かな)

日景に出会わないままで『ここ』に来ていたら、こんな気持ちで陸を迎える事は出来なかっただろう。

……もしかしたら、最後になってしまうかもしれないのに。

そう考えた薫は、心中で日景に感謝しつつ、言葉を繋げた。

「気にしない気にしない」
「いや、それでも待たせたからね。ごめん」

言いながら、薫の隣に歩み寄る陸。
……途中、陸は今日の昼の事を思い出していた。

今までの距離ではいられないのかもしれない、そんな事を。

(……でも)

それでも、陸はあえて『いつもの距離』で薫の側に立った。

「…っ…」

その事に気付いて、薫の体が微かに揺れる。
昼食の時と同じで、何故か少し熱くて……ソレを冷ましたくて離れたくなる。

(……でも)

薫は、踏み止まった。
そうしなければならないような、そんな気がしたから。




そうして。
二人は並んで、フェンスの先の赤い世界を眺めた。





「……覚えてる?
 ここで、何度も、話したよね」
「うん」

『用事』の事は、二人とも頭をよぎっていた。
切り出せばすぐに始められた。

それでも、ただなんとなく。
いや、だからこそなのか。

二人は『用事』には触れないままに、話を続けた。

「ここで結構、色々な事あったよね」
「そうだなぁ……うん、色々あった」
「でも、陸君がはじめてここに私を連れてきた時は、ちょっとだけビックリしたかな」
「あー……そうだったなぁ」

陸が好きな場所に連れて行ってほしい……そう言われて、此処に薫を連れて来た事。

それは随分前のようで、そんなに昔の事じゃなくて。

だから、鮮明に思い出せる、思い出だった。

「私、ここ、好きだよ。
 ここであった色んな事も」
「ああ、俺も好きだよ。でもさ」

言いながら。
陸は覚悟を決めていた。
西華と話し、此処に来るまでに決めていた、伝えたい言葉を伝える覚悟を。

「ん?」
「俺が、それが好きだと思えるのは、薫さんがそこにいたからなんだ」

フェンスの先の景色から目を離し、陸は薫に向き直った。

「……改めて、言うよ。
 俺は……薫さんが好きだ」
「……!!!」
「昨日とか、今日とか、色々あって、謝ったり、気まずかったりしたけど。
 そうなったのは……やっぱり、俺が薫さんの事、好きだからなんだ」

薫が此処に自分を呼び出した理由。
此処で告げられる言葉。
それは多分、自分達の関係についての事なのだと思う。

ソレを薫の口から告げられたらどうなるのか……正直、怖い。

でも、だからこそ、今、言える内に言っておきたかった。

嘘偽りのない気持ちを。

薫が、好きだという事を。
だから、一緒にいたいという事を。

それこそが。
気持ちの落差なんか関係ない、平良陸にとって一番大切な事だから。

それは『二人』の一番大切な事とは違うのかもしれない。
昨日のキスと同じ様に拒絶されるのかもしれない。

それでも、それが全ての始まりだから。

もう一度だけ、形にすべきだと陸は思っていた。

本当の、気持ちを。

「だから、俺は嫌だ」
「え?」
「今朝、薫さんが言った『いつもの俺達に戻る』ってこと。
 あの時は……薫さんに嫌われるのが怖くて頷いたけど……嫌なんだ。
 俺は、いい意味でなら、どんどん変わっていきたい。
 薫さんと、一緒に」
「……」
「あ、いや。その……勿論急に変われ、なんて言うつもりは無いし、俺自身変われないと思う。
 それに、昨日の事は……薫さん、許してくれたけど、やっぱり俺が急過ぎたのが悪いんだしね」

頬を掻きながら、照れ笑う陸。

「だからその、なんて、言えばいいのかな。
 俺は馬鹿だから、時々昨日みたいに色々な事を見失ったり、見落としたりするけど……
 それでも、まだまだ、薫さんと一緒にいたいんだ」








(……そうなんだよね……)

そう。
これが平良陸。

告白されたあの日から変わらない…いや、それ以上の好意を、ただ真っ直ぐに自分に向けてくれる存在。

だが。
それが……薫には、負担だった。

(だから、言わないと)

陸の気持ちに応えられない自分が、嫌だった。
届かない気持ちでも、懸命に向き合ってくれる陸に申し訳が立たなかった。

(だから……距離を……置いて……気持ちを見直さないと……)

何故なら、それは。

(…………………………………………………………あれ?)

そこで、薫は気付いた。

何かが、おかしい。

(あ、れ?)

陸の気持ちに応えられないのが嫌なのは、どうしてだろう。
陸に申し訳が立たないのは、どうしてだろう。

(……それは、陸君の事が、嫌いじゃないから……)

そう、由里奈には話した。
でも、その『嫌いじゃない』は陸が考える好意では……

『でも、霧里さんの方が早く、強く叫んでた』

不意に。
さっき出会った日景の言葉が頭をよぎった。

平良陸を好きだった女の子。
好きだという気持ちを自覚していた、女の子。

そんな女の子よりも、早く、強かった……自分の、霧里薫の叫び。

……それは彼女と自分の性格の違いなんじゃないのか。

そう冷静に把握する声も浮かぶ。

だから、早く『用事』を。
今こそ、言わなければならない時……頭はそう判断している。

なのに。

思い浮かぶのは……………………陸との、思い出ばかりで。

言葉に、ならない。

(……………………………ああ。そうなんだ……)

そうして……薫は、気付いた。







「だから、その……」
「……あのね、陸君」

そこから先の言葉が思いつかず、頭をフル回転させていた陸に向かって、薫は口を開いた。

「な、何?」
「私……陸君に言う事があった筈だった。
 それは、私なりに考えて、言わなくちゃいけない事だって思ってた。
 それが、今日私が陸君をここに呼んだ理由だったんだけど……」
「……」
「でも、なんでかな」

思わず顔が綻んでしまう。
……本当の事に気付いたから。

「その事じゃなくて、もっと、言いたい事が出来ちゃった」
「もっと、言いたい事?」

薫の言葉に、陸は目を瞬かせた。
そんな陸が少しおかしくて、ちょっとだけ心の隅で笑いながら、薫は言葉を紡いでいく。

「……今日ね。
 由里奈に相談に乗ってもらったの。
 陸君と、私の事で。
 その時に、気付いたんだ。
 多分、今の私の気持ちは、陸君が本当に望むものじゃないって」
「……」
「でもね。
 それでも、それでも、私は……こんな私で良ければ、もう少し陸君とちゃんと付き合いたい」
「薫、さん……」
「今は、私、そう思う。
 さっきまでは違ってたけど、陸君の言葉を聞いて、色んな事を考えて、思い出して、
 今この瞬間に、心からそう思えるようになった。
 だって……」

思い浮かぶのは、陸と共に過ごした時間。

「だって……」

陸の為に怒り。
陸と一緒に悩み。
陸と一緒に笑いあった、時間。

その時間が教える、一つの真実。



「陸君が望む気持ちには届かなくても。
 
 私は、陸君の事が……好きだから」




確証なんか何処にも無い。
陸の気持ちとは比べようも無い、吹けば飛ぶ様な気持ちなのかもしれない。
何故陸が自分を好きになったのか、ソレを思うと何処からか湧き上がる不安は未だ変わらない。

それでも、陸と過ごした時間に嘘は無い。

陸を好ましく思う、この気持ちに嘘は無い。

それはきっと、陸の望む強さの『好き』には足りないけど。

陸が望み、自分が『物語』の中で憧れてきた『好き』だから。

その事に、ようやく気付く事が出来たから。

「その、駄目、かな。
 キス、もできなかった私が『まだ付き合いたい』なんて言うのは、
 都合がいい事だって、分かってるんだけど……」
「……薫さん」
「あ、は、はいっ」

名前を呼ばれて、思わず薫はビクッと身を震わせた。
告げられるであろう宣告がそうさせていた。

そんな薫を、陸はしっかりと見据える。
陸の眼にも顔にも、何の迷いも曇りもない……薫には、そう感じられた。

その表情のままで、陸は告げた。

「さっき、俺が言った事が、答だよ」
「さっき、って、その……」

一緒にいたい、という言葉。
つまり、それは……肯定の意思。

「……で、でも、私……」
「薫さんは、俺が望むものじゃない、って言ってたけど。
 そんな事はないよ。
 薫さんが言ってくれた事が、俺の望む事だから」

陸は、嬉しかった。

今までの自分の考えが、杞憂だった事を知る事が出来たから。
薫の気持ちを、知る事が出来たから。

この上なく、幸せだった。

「って言うか……俺が勘違いしてただけだし」
「勘、違い?」

そう。
色々な事を勘違いしていた。
薫の気持ち、そして、一番大切なものが何なのかを。

陸は、薫の『好き』が自分の『好き』と違う事を恐れていた。
でも、今、本当に恐れるべきだったのは、本当に大切な事は『今は』それじゃなかった。

「……なんて言えばいいのかな。
 正直、俺は薫さんとキスだってしたいし……その、他にも色々したい事がある」

陸の言葉に、ボッ、と二人して顔が赤くなる。
厳密に言えば、途中から赤くなっていたものがより濃くなったというべきか。
ともあれ、赤くなったままで陸は続けた。

「でも、ソレが一番じゃない。
 もっともっと一緒に先に進みたいけど、ソレが一番じゃないんだ。
 今の俺の一番は……薫さんと一緒にいる事、そのものだから」
「陸君……」
「俺、馬鹿だから、凄く焦ってて……薫さんに嫌な思いをさせた事、ただゴメンとしか言えない。
 これからも、そういう事あるかもしれないけど……その時は嫌だって、ハッキリ言ってくれていい。
 だから、したい事は応相談って、事で……これからも、宜しくお願いしてほしいんだ」
「……」
「いい、かな。
 俺の方こそ都合がいい事言ってると思うけど……」
「……………ううん、そんな事ないよ」

薫は、嬉しかった。

勝手な事を言っている自分に、向き合ってくれる事が。
中途半端な気持ちしか形にできなかった自分を、受け入れてくれる事が。

この気持ちに偽りがない以上。
陸の願いを断る理由なんか、何処にもあるわけがない。

ましてや、自分の願いと重なるものならば。

「こちらこそ、改めて、宜しくお願いします」

そう言って、薫は右手を差し出した。
陸は迷う事無く、同じ様に差し出した右手で、薫の手を握り……握手を交わした。

それは、彼氏彼女としては相応しくないかもしれない。

それでも、二人はこの形を選んだ。

他ならない、自分達の意志で。

自分達なりの、彼氏彼女な関係を続ける事を。

「陸君の手、熱いね」
「薫さんの手も、熱い」

その証となる握手で、二人は互いの熱を感じ合っていた。

微かに汗ばんでいる事は、互いの緊張と気持ちをこれ以上ないほどに伝えていた。
決して夕日のせいじゃない顔の赤さも、ソレを支えていた。

「……ね。私達、前に進んだかな?」
「うん。きっと、進んだ」

それは、一歩分にも満たないかもしれない。
もしかしたら、三歩進んで二歩下がっただけなのかもしれない。

それでも、きっと進んだ。

そう確信したから、陸は深く頷いていた。

「じゃあ、進んだ分だけ、私……頑張ってみようかな」

(何を?)

少しの躊躇いを含ませた言葉に、陸がそう問い掛けようとした瞬間。

ちょい。

そんな感触が、少し持ち上げられた陸の手の甲に触れた。

かすめるような、一瞬。
少し熱くて、柔らかい……薫の唇の感触。

「なんか違うよ―な気はするし……今は、これで精一杯だけど、いい?」

そう言う薫の顔は、さっき以上に赤くなっていて。
そわそわと視線が揺らぎまくっていて。

そうやって薫が精一杯背伸びをしてくれた事が、陸は嬉しかった。

「いや、すっごく十分」

だから、陸は心からそう言って笑った。

「……なんか、日本語として変だよー、それって」

陸の笑みを受けて、薫も笑った。



そうして、赤い顔のままの二人は笑い合った。

そんな二人を少しだけ冷ますような風が吹いて、流れていった事にも気付かないままで。

握った互いの手を、堅く固く繋いだままで。










交差点。

それは何かと何かが交わる場所。
何かとは、モノでもあり、ヒトでもあり、ココロでもある。

ソレを行き過ぎる時。

擦れ違うモノもあるだろう。
立ち止まるモノもあるかもしれない。

そして……そこから一緒に歩いていくモノもあるかもしれない。

今、其処に立っていた二人の選択と結果は。

語るまでも、ないだろう。








「……正直、驚いたわね」

二人して笑顔で校舎を出て行く陸と薫。
その姿に、距離があるものの遭遇して、彼女……月穂由里奈は思わず呟いていた。

あの流れだと、二人は一時的にせよ離れる事になるのではないかと考えていたのだが。

「……そうそう、予測通りにはいかないのね」

ヒトの心は思うようにならない……フィクションでの定説ではあるが、それをこうも実感する事になるとは……そう思うと、由里奈としては感慨深いものがあった。

そして、同時に。
心の奥底で、揺り動いている感情があった。

今回の事で、見えてきたものがある。
久能明悟も今まで以上に動き出すだろう事も含めて、そろそろ決めなければならない時だ。

(……平良君、薫。
 私は、貴方達の事、気に入っているわ。
 貴方達二人で生み出す空気も、そこに幾田君や久能君が加わった雰囲気も嫌いじゃない)

だから、今まで邪魔しなかったし、協力を頼まれれば応じてきた。

多分、それ自体はこれからも変わらないだろう。

でも。

「……それよりも、心動かされる事があるから」

呟いてみて、言い訳じみているような気もしたが、もうしようがない。

『それ』は既に事実でしかなくなっているのだから。

瞑目して、一人頷くと由里奈は歩き出した。







……続く。



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