第十四話 〜CROSS ROAD Last Chapter〜交差点を過ぎる時(中編)
「霧里さんは、本当に君の事が好きなのか?」
明悟の放った一本の矢に、陸は言葉を失った。
何故なら、その指摘は陸が抱いていた危惧そのものだったからだ。
意識を向ければ平良陸の背後にあった……そう表現しても過言ではないほど近くにあった危惧。
その根源は、唯一つ。
全ての始まりとも言える告白が、陸からだったからという一点にあった。
不安だった。
いつも、心の何処かで恐れていた。
何かの拍子に、全てが無かった事になるような、そんな怯えがあった。
薫の事を信じているとかいないとか、そういう問題じゃない。
そういう事がいつだって起こり得る……そんな現実があるだけ。
(……そう、か)
だから、少し焦っていたのかもしれない。
一歩前に進めば。
もっと強い関係があれば。
その怯えを取り払えるんじゃないか。
きっかけは由里奈の言葉とは言え、陸はそう思うようになり……行動に移した。
先へ進もうとした事は間違いではない。
今だって、そう思う事に変わりはない。
………薫の意志を半ば無視し、ただ自分一人で先走った事を除けば。
だが、その結果は……拒絶だった。
薫自身は「嫌いになったわけじゃない」と言っている。
だが、今にして思えば。
その「嫌いになったわけじゃない」は自分が求めている『好き』の対極に『嫌い』ではなく。
人間として、あるいは友達としての「嫌いになったわけじゃない」ではないだろうか。
そんな不安めいた、信じたくない確信が陸の中に芽生えつつあった……………
「本当の所……薫は平良君の事、どう思ってるの? 本当に好きなの?」
由里奈の放った一発の銃弾に薫は言葉を失った。
その不安は……いつも薫の中にあった。
自分は告白されて、ただ流されているだけなんじゃないか、と。
オタクの自分を好きになってくれた稀有な存在が惜しくて、何も言えずにいるだけなんじゃないかと。
平良陸が何故自分を好きになったのか……それを考える為に、今の自分は陸と付き合っている。
その時間の中で、霧里薫は平良陸を知っていった。
真面目で、一生懸命で、そのせいで空回りもするけど真っ直ぐな、平良陸の事を。
でも、未だに分からなかった。
そんな彼が何故、自分を好きになったのか。
些細な事なのかもしれない。
そんな事を気にする必要はないのかもしれない。
誰かを好きになる事に、理由はいらないはずだから。
それでも、拭い去れない何かが、自分でも分からない何かがあって。
霧里薫は平良陸を……好意の一つの形を拒絶した。
勿論、薫自身陸が嫌いになったわけではない。
ただ、今にして思えば。
その「嫌いになったわけじゃない」は、薫が好きなフィクションの恋人達が語る『好き』の対極の『嫌い』ではなく。
人間として、あるいは友達としての「嫌いになったわけじゃない」ではないだろうか。
だから、稀有な存在を失いたくない気持ちよりも、自分の中の……オタクという人種の『フィクション』という理想を護る意志の方が上回ってしまったのではないか。
そんな不安めいた、信じたくない確信が薫の中に芽生えつつあった……………
「……どうやら、僕の推測は外れてはいなかったみたいだね」
黙り込む陸に対し、明悟は言った。
自慢げに言うつもりだったのだが……何故か、そうならなかった事に明悟は心の内だけで首を捻った。
そうしながらも、明悟は半ば確信した二人の関係について、改めて整理していた。
二人の間には、確かに好意がある。
あったからこそ、今まで関係が続いていた。
ただ、その好意にはズレがある。
陸は、恋人を望み、そこに向かおうとしていた。
薫は、何も望まず、今ある関係を手探りで感じていた。
そして、先を急いだ陸の行動で……明悟はその決定的な部分の事を知らないのだが……そのズレがハッキリと見えるようになったのだ。
もっとも、そのズレを二人に自覚させる道に誘導した人間がいた事を、明悟は気付いていなかったのだが。
ともかく。
二人の関係にズレが……割り込む余地があるならば、明悟の取るべき道はひとつだった。
「そういう事なら、今後は遠慮なくいかせてもらう。
正々堂々、なんて言うつもりはないけど……まあ、筋はそれなりに通すつもりだから」
「……」
「まあ、それはそれとして、絵は早く仕上げたほうがいいよ」
「………………………余計なお世話だよ」
かろうじて、一言だけそう返したものの。
陸の頭にはもう絵を描く事などなかったし、できるはずもなかった。
今の陸の頭に浮かぶのは……薫の事だけだった。
「……」
「分からないのかしら?」
自分の気持ちなのに、と言わんばかりに由里奈は言った。
その言葉を受けて、薫は呟くように告げた。
「……それが、由里奈に相談したい事だったから」
コツコツ、と鉛筆で画用紙を無意味に叩く薫。
その顔は恥ずかしげに紅く染まってはいたが、それでも表情はやはり精彩を欠いていた。
いつもの薫が快晴なら、今は曇り時々晴れ、といった感じだろうか。
「そ、そのね。
陸君の事は……嫌いじゃない。それは間違いないんだと思う。
でも…」
「それは、平良君の考えてる好き嫌いじゃないんじゃないか……そういうことね?」
「……やっぱり、由里奈は凄いね」
本心をずばり言い当てられて、薫は素直な言葉を口にした。
由里奈にしてみれば、ずっと観察してきた事なので当然とさえ言える程度の推察の言葉でしかなかったのだが。
なんにせよ、自分の本心を言い当てられた以上は隠してもしょうがないと思ったのか、薫は由里奈に零した。
「私……どうしたらいいのかな」
元通り。
今朝、自分が陸に言った言葉。
だが、由里奈に指摘された事で、元通りになんて戻れない事を、今更ながら薫は思い知っていた。
今の関係は、陸の望む関係ではないのかもしれない。
そして、薫としては今の関係はともかく、今の状況は望ましいものではなかった。
なら…………
「一度、距離を置いてみたらどうかしらね」
「!!」
再度、考えていた事をそのまま言い当てられて、薫は驚きと動揺で目を見開いた。
そんな薫を見る事も無く、何処か淡々と由里奈は言った。
「関係を無かった事にしろ、なんて乱暴な事は言わないけど……
一度見直してみる事も必要なんじゃない?
勿論、平良君とよく話した上でね」
薫自身も考え始めていた由里奈の提案は、他人の客観的な意見なだけに正しいように思えた。
確かに、そうなのかもしれない。
少なくとも、一度ちゃんと話す必要はある。
仮に、その結果として……良くないコトが起こったとしても。
「…………………ん」
だから、薫は曖昧に頷いて、下書きを再開した。
今はなんとなく、ハッキリとした返事をしたくなかった。
そうしてしまえば……今、全てが決まってしまいそうな気がしたから。
陸がいない今、全てを決めるような事をしたくなかったから。
「……」
そんな薫の意志を汲み取ってか、由里奈もまた黙々と下書きを再開した。
後はただ、風が微かに吹く中、画用紙の上を走る鉛筆の音が微かに響くのみだった。
「じゃあ、今日はこれで。月穂、お願い」
「はい。起立、礼」
由里奈の号令で、皆が頭を下げる。
そうしてHRが終わり、放課後。
「……」
そんな中で。
陸は、椅子に座ったまま、ぼんやりと考え込んでいた。
薫との微妙な、でも確実なズレ。
明悟の気持ちと『宣戦布告』。
この状況の中で、平良陸は何をなすべきなのか。
大仰過ぎるんじゃないか……陸が考えている事を誰かが知れば、そう言うかもしれない。
だが、霧里薫の事が好きな平良陸にとっては、これ以上ないほどの大問題、一大議題だった。
だから。
陸は思考に没頭する余り、自分を呼ぶ声に暫しの間気付かなかった。
「……く君。陸君ってば」
「…へ? あ、薫さんっ」
自分を呼ぶ声が、自分の議題の中心人物のものである事を認識して、陸は慌てて顔を上げた。
「あ、もう帰る時間だよね。今日は……」
時間が合うなら何処かに寄っていこうか……陸がそんな類の言葉を口にしようとした矢先に、薫が言った。
「……今日、時間ある?」
「うん、問題ないけど……」
陸が所属する演劇部が参加予定の演劇の大会も近付いてはいるが、それに向けての本格的本気活動にはまだ少し時間がある。
とは言え、それが始まったら否応無しに部活漬けになるので、時間が取れるのはその少ししかないとも言える。
「じゃあ、その……話したい事があるんだけど、いいかな」
瞬間、陸の内に何かがジワリと這い上がってくるような感覚が襲った。
昨日の出来事、今日の出来事……それらがあるからの過剰反応だ、と理性的に考えようとする。
だが、その反面で昨日今日があるからこその『話したい事』なのではないかという予感も膨れ上がっていた。
ただ、いずれにせよ言える事が一つ。
「……うん。分かった」
平良陸が霧里薫を想うのなら。
『今』から逃げる事は出来ないという事だった。
「……さて、と」
自分達の教室と同じ回のトイレから出て来た薫は、手を拭きながらゆっくりと歩いていく。
もう少し経ったら行くと語っていた陸に合わせる様に。
あるいは、自分の心の準備をする為に。
その行き先は……先刻陸と「大事な話がある」と約束し、その待ち合わせ場所とした、この学校の屋上である。
「……」
そこで話す事で何が起こるのか……薫には想像もつかなかった。
互いに納得できる『何か』を得られるのか。
それとも、互いにとっての『最悪』が起こるのか。
そんな事を考えて、半ば呆けていたからか。
「わっ」
「ひぅっ」
薫は屋上階段への曲がり角で、誰かとぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさいっ……」
ぶつかった時の体勢が悪かったのか、タイミングが悪かったのか……尻餅を付いた女生徒に、薫は謝りつつも手を伸ばす。
女生徒は戸惑いながらもその手を取って、緩やかに立ち上がった。
「大丈夫……? 痛む所とかない?」
自分の迂闊さを反省しながら、薫は言った。
女生徒は気にした様子もなく、むしろ申し訳なさそうな声音で答えた。
「あ、はい。あたしは……平気です。
こちらこそ、すみません。大丈夫で……」
大丈夫ですか……そう言い掛けたであろう口を停めて、女生徒は目を見開いた。
「霧里、さん?」
「へ?」
見知らぬ女生徒が自分の名前を呼んだ事に、薫は思わず声を上げた。
「えーと……何処かで会ったっけ?」
もう一度女生徒の顔を見るが……薫の記憶にその顔は無かった。
厳密に言えば、何処かで会った事があるような、程度の感覚はあったのだが……
「あ、いえ、その……」
そんな訝しげな視線に少し動揺しつつ。
スーハ―、と息を整えた女生徒は、真っ直ぐ薫と向き直ると告げた。
「その、初めまして。
風見日景って言います。
平良君と同じ、演劇部に所属してます」
そう名乗った少女……風見日景は、穏やかな笑顔を薫に投げ掛けた。
……続く。
第十五話へ