第十話 日常というもののカタチの本質……〜CROSS ROAD Chapter two〜







霧里薫と平良陸。
二人が付き合いだした特別な日々も積み重なれば日常となる。

今日は、月曜日。
そんな二人のとっての日常の始まりだった。

……少なくとも、二人はそう思っていた……










平良陸は自分の部屋で眼を覚ました。
起き上がって、丸い壁掛け時計を睨む。

「……いつもどおりだな」

呟いて、制服に袖を通した陸は台所に向かった。
手馴れた様子でフライパンを取り出し、目玉焼きを焼き始める。

陸は別段料理が得意なわけではないし、それほど料理を知っているわけでもない。
ただ目玉焼きや卵焼きくらい、そしてそこから一歩進んだくらいのものは作れるので、朝早く仕事に出掛ける両親に代わって、簡単な朝食を準備をしているだけだ。

「兄さん、おはよ……」
「ああ、おは……ってお前!前はだけてるって!」

寝ぼけ眼の妹……平良芽衣。
朝は低血圧の彼女は、ピシッとしている最近の姿が欠片も無く、限りなく昔の、自然体のままの彼女の姿となってしまうのである。

「……ああ……兄さんだからいいじゃないですか……それにすぐ着替えてきますから……」

コシコシ、と目を擦りながら、芽衣は洗面所の方へと向かっていく。

その姿を見て、陸は深い溜息をついた。
数分後にはさっきのやり取りの一部を忘れ、「兄さんの助平(冷淡)」と言ってくるのが分かっていたからだ。





霧里薫は自分の部屋で目を覚ました。
起き上がって、備え付けの無駄に高価そうな時計を睨み付ける。

「ヤバイ。少し遅れ気味だわ」

慌てて薫は制服と着替えを持って、風呂場にダッシュ。
慌て気味にシャワーを浴びて、慌て気味に髪を整える。

薫の髪型は、単純なテールとは少し違う。
いや元々はそうだったのだが、今は違うといった方が正しいだろう。

部分によって長さを微妙に変えているその髪……自分で切ったらそうなっただけ……を利用し、長い部分を結んで、短い部分はおざなりにするという独特のもの。

そうして準備をしていると、時間はあまりなくなっていた。
ただでさえ女の朝は時間が掛かるのに、薫は少し寝坊気味なので始末に悪かった。

駆け込み気味に、リビング……というには少し広めで豪華だが……に入る。

「薫さん、おはよう」
「継母さん、おはよっ!」

微笑みかける母親に、しゅたっと手を上げて、薫は席についた。
そこには、トーストに目玉焼き、サラダやスープ、エトセトラ……西洋の朝食、と題されそうなものが並んでいた。
とは言え……

「今日少し時間ないから、パンと目玉焼きだけもらうね」

時間が無ければ、食事はただの飾りになってしまう事もあるのである。
せっかく用意したものを半端にしか食べない……普通ならば不機嫌さを顔に浮かべても不思議は無い。

「はいはい」

だが、彼女はそれを笑顔で受け入れた。
そんな継母に薫は心底申し訳ない、と両手を合わせて謝った。

「ごめんね、次はもう少し早く起きるから」
「ええ。その時は味わってくださいね」
「うんっ」

そんな会話を交わしつつ。
食事を済ませた薫は、既に用意されていた弁当を引っ掴み、家を飛び出した。

人を、待たせないために。





「それじゃあ、兄さん」

バス停に立ち止まった芽衣はそう言って、軽く手を上げた。
陸はそれにただ頷いた。

「ああ」
「それと……薫義姉さんによろしく」
「……あ、あのな……まあ、とにかく気をつけてな」
「はい」

これが家なら徹底抗戦するのだが、それなりに人がいるし、時間の余裕もあまりない。
諦めて、陸は歩き出した。

暫く歩いた陸は、学校近くの信号前で足を止め、電信柱に背中を預けた。

そこが待ち合わせの場所だからだ。
いつもどおり、待ち人はまだ来ていない。

(いつもどおりって言うと語弊はあるけどな)

ただ、三回に二回は待たされてしまうので、ついそう思ってしまうのだ。
まあ、待たされる事が辛いと思ったことは無いのだが。

そう思った矢先。

「陸君、おっはよー!」

元気すぎる声で言いながら手を振って、薫が現れる。

幸運な事に、周囲に誰もいないなかった。
とはいえ、照れはあるのでいつもの癖で頬を掻きつつ、陸は軽く手を振った。

「待った?」
「いや、そんなには待ってないよ」
「なら少しは待ったわけね。よし、明日はもう少し早く来るから」

その言葉に、陸は思わず苦笑した。

薫がそう言った次の日、確かに薫は早く来る。
だが、更にその翌日にはそれを忘れて少し遅れ気味になるのである。

そんな事の繰り返し……それが、近頃の二人の朝だった。

「……お前らなぁ、朝っぱらからデートみたいなやりとりするなよ」
「う……って、幾田か」
「あ、幾田君おはよー」

のんびりとした歩きで二人のクラスメートである幾田道雄が姿を現す、が。

「よう。……はぁ」

挨拶を交わした彼はどうにも覇気が無かった。

「なに?元気ないね」
「どうかしたのか?」
「こないだから声掛けてる女の子に冷たくされてな……
 お前ら見てると、そんな自分が哀れに思えるんだよ……」
「え?まだ声掛けてたの、その子に」

少し前からその話を聞いていた薫は、軽い驚きを覚えながら言った。
普通そうも冷たくされると、諦めもつくもの……というか。

「……というか、終いには通報されないか?」
「お前って、時々冷淡だよなー……」

友人のあまりの発言に、道雄は顔を引きつらせた。

「あのな、いくらなんでも、本当に嫌がられてるかどうかの区別くらいつくっての。
 それに俺はただ気さくに話し掛けてるだけだし……」
「気さくでも嫌がられる事なんていくらでもあるんじゃない?」
「ぐっ!?」
「それに、嫌がってるのが表情に出ない子だったらどうするの?」
「ぐはっ!!?……霧里……その二つは的確な指摘だが、それは言わないでくれ……」

薫の相変わらずな悪意無しストレート攻撃の前に敵はいない。
友人の苦しむ様子を見て、陸はシミジミと思うのだった。

「……しかし、そんなに可愛いのか、その子?」

その思考は悪いと思い、フォローのような言葉を陸は呟く。

「そうじゃなかったら、こんなに続けたりしないっての」

深い息を吐きながら道雄は答えた。
そんな道雄の言葉に、薫は、うんうん、と頷いた。

「まあ、そだよね。
 それにしても、どんなコなんだろ」





「はぁ……」

芽衣は軽い溜息を吐いた。
朝も早くから知らない男子に声を掛けられ、それをかわすのに気力を結構消耗してしまったりもすれば、溜息も出るというものだ。

(……兄さんと同じ学校か……)

同じ学校ならいざという時に対処してもらいやすいので、陸に相談しようかとも思うのだが、こんな事で兄の手を煩わせるのは正直御免だとも思うのだ。

(それに、悪い人じゃ、ないみたいだし……)

ふと思う。
まさかとは思うが、兄の知り合いだったりするのだろうか。

(まさかね)

万が一……いや、この場合は百が一くらいだろうか……知り合いという事はありえても、友達だったりする可能性は低いだろう。
世の中そんなには狭くはない筈だ……そう芽衣は思っていた。

(……でも、私に声掛けて何が楽しいんだか……)

声を掛けられる度に冷たくあしらっている以上、楽しくはないはずだろうに、凝りもせずにココ最近毎日現れる。

何の魅力もない自分にそんなにも熱心に声を掛ける……少なくとも芽衣自身はそう思っている……その努力については正直感心していたし、それだけに申し訳ないと思っていた。

(……後、何回くらい続くのかな……)

もしも、もう少しだけ続くようであれば……

(名前くらいは教えないといけないかな……)

そう思いながら、芽衣はようやっとやってきたバスに乗り込んで、自身の学校に向かった。










少しばかり時間は流れて。

その時間、陸達は音楽室にいた。

高校によっては授業そのものが無い事もある音楽という教科。
この学校では、精神教養の一環として、週二時間程度だがしっかりと盛り込まれていた。

ドミソ。ドファラ。シレソ。そして再びドミソ。
鳴り響いた四回のピアノの音に合わせ、起立。気をつけ、礼、着席。

ピアノに慣れ親しむ為に、音楽の時間はその音を当番で弾く事で授業が始まる。
当番の生徒が席に着くのを確認して、音楽担当の教師は言った。

「じゃあ、今日は先週に引き続いて、これについて勉強しますね」

そう言って掲げたのはギター。
数分後、人数分のギターが行き渡ると、簡単な音階、コードの弾き方の復習が行われた。

「じゃあ、基礎は教えたから、今日は各自練習。
 不真面目だと再来週の実地テストの時、後悔しますよ。
 分からない所は私か、上手い人に聞いてみてください。
 席立ってもいいですから。
 じゃ、はじめてください」

そうなると、教室は俄かに騒がしくなった。

一人真面目に黙々と弾く者。
席を立つのが面倒なのか、近くにいる者同士で教えあう者。
教室の隅で一人己に酔いながら弾く(でも下手)者。
背中に背負って、さすらいのギターマンを気取る者、実に多彩だった。

「ふふふ、諸君聞くがいい……!!」

そんな中、そう宣誓して教室の真ん中で弾き出したのは久能明悟。
自信満々なだけに、彼は課題曲を余裕で弾きこなし、果ては全然関係ない最新の曲のメロディーラインを再現さえして見せた。

流石にこれには、クラス中から「おおー」と感心の声が上がる。

(見たかい、霧里さん!)

内心で呟いて、明悟は薫の姿を探した。
だが。

「うーん、陸君下手ねぇ。
 よし、この薫さんが教えてあげよう」
「……薫さんも大差なかったような……」
「何か言った?」
「いえ何も」

薫は自分と陸のギター修行に夢中で、明悟の事は眼中に入っていなかった。

「……お前ほどやる事なす事裏目な奴も珍しいよな」
「ぐぬぅっ!!?」

ポンポン、と肩を叩く道雄に答えてというわけでもないのだろうが、明悟はオーバーリアクションでのたうちまわった。





「前から疑問には思ってたんだけど……」

昼食の賑わいを見せる教室の隅。
そこで箸を進めながら、陸は呟いた。

「いつの間に久能君も一緒に食べるようになったんだ?」

それは当たり前の疑問であった。

少し前までは陸、薫、道雄、由里奈のメンバーでの昼食風景だったのだが、いつのまにやらそれに明悟が加わっていたのである。

「別にいいじゃないか。席も近くなんだし。狭量な男だね」
「……」

別に文句が有るわけでもなく、ただ疑問に思ったから呟いた事に、やれやれ、とばかりに答えられ、思わず陸はムッとした表情を浮かべた。

近頃、事あるごとに突っかかってくる明悟に、陸は少しだけ苛立っていた。
その理由が分からないのも、それに拍車をかけていた。

「ま、まあまあ。別に陸君駄目だって言ってるわけじゃないんでしょ?」

その理由を半ば……当事者なのに半ばなのが彼女の恐ろしい所である……理解している薫が慌ててフォローする。

何度も言うが、自分が原因だという事を薫自身半ば理解している。
だからこそ、陸と明悟には仲良くしてもらいたいのである。

というか、薫は仲良くなれると信じていた。

ちなみに薫の頭の中では……

『ふん、お前やるじゃねーか』
『まあ、お前もな』

と、喧嘩した後に和解しあう、一昔前の青春友情モノのワンシーンがあった。
……まあ、そう言う状況で生まれる友情も確かにあるだろう。

とは言え。

「……ああ、うん。ただ、いつの間にそうなったんだっけ、って疑問が浮かんだだけだから……」
「ああ、そうか。
 悪かったね、足りないのは人間的な器じゃなくて、洞察力の方か」
「……なぁ、久能君……俺が君に何かしたかなぁ……(怒怒怒」
「人並みの洞察力を持ってたら気づくんじゃないかな(炎炎炎」

この二人の場合、基本的に拳ではなく言葉で語るタイプなので、そこには当て嵌まらない。
こうして険悪になっても拳を使うのは最後の最後の手段だと、お互いに手を出さない二人なのだ。

とまあ、このように現実は中々上手くはいかないものなのである、実際の所。

しかし、流石にこうも険悪だと限界もある。
そうして、二人の緊張感が少しずつ、しかし確実に限界値に近付きつつあった、その瞬間。

「みっともないし、迷惑だから、やめたら?」

箸を進めながらの由里奈の言葉が響いた。

「ちなみに。
 私がそう思うのなら、他の誰もがそう考えても不思議じゃないと思うけど。ねえ、幾田君?」
「そうだな。例えるなら、このクラスの女子とか。お前らの為にあえて誰とは特定しないが」

……その言葉の直後。

「HAHA。俺が悪かったよ、久能君」
「FUFU。いや僕の方こそ平良君」

妙に堅い笑いと共に、無駄に表情を輝かせながら、二人は、ガッシ、と握手を交わした。
……まあ、その額には、当然の事ながら血管が浮かんでいたりするのだが。

「お前ら……阿呆だなぁ」
『お前(君)に言われたくない』

やり場の無い怒りの矛先を、二人はとりあえず根拠の無い突っ込みで晴らした。
そんな二人に薫が嬉しそうに拍手を送った。

「うわーナイスよ、二人とも。ピッタリと息合ってるし。
 やっぱり本当は仲良いんじゃないかな」
『HAHAHAHAHAHAHAHA』

そんな薫の言葉に、二人の引きつった笑いが唱和した。
彼らには笑う事しか選択肢が残されていなかった……悲しい事に。

『……ハァァァ』

そして、そんな状況を見て、クラスにいた誰もが溜息をついた。










「じゃあ、今日はこれまで。月穂」
「起立、礼」

いつも通りの号令で、皆が頭を下げれば放課後となる。

「陸君、帰ろっか」

そんな薫の呼び掛けに、陸は申し訳なさそうな苦笑いを浮かべた。

「ごめん、校門の所で待っててくれない?
 今日日直だから日誌を持っていかないと」
「あ、そうだったね。じゃあ、待ってるから」
「話がついたところで行きましょうか?」

横合いからのその声の主は、日直の片割れである月穂由里奈。
彼女は本来の相方ではないのだが、本来の相方の女子が今日偶々休みだったのである。

「ああ、行こうか」
「じゃあ、薫。陸君借りるから」
「すぐ返してねー」

ニコヤカにそう答える薫にそれぞれの反応を返しながら、二人は教室を後にした。

「さて、校門で待ちますか……」

そんな二人を見送った薫が一歩踏み出した、その時。

「なら、そこまで一緒していい?」

そう言って、明悟が話し掛けてきた。





「ねえ、平良君」
「ん?」

職員室への道すがら、由里奈は口を開いた。

「今のやり取り、なんとも思わなかった?」
「何が?」
「……前々から思ってたし、今日の昼も思ったけど……平良君って鈍いのかもしれないわね……」
「???」
「今のやり取りで、薫がヤキモチ焼いてくれたりしないのかな、とか思わない?」
「……ああ!!」

ようやっと由里奈の言わんがしている事に気付いたらしく、陸はポンと手を打った。

「そう言われれば確かに……でも、それは仕方ないよ」
「どうして?」
「……だって薫さんだしなぁ……」

薫が天然なのは、ココまで来ると陸も承知の事実である。
天然ボケなのか、天然でズレてるのかは微妙な所ではあるが。

(でも、そこが薫さんの薫さんらしいところだしな……)

そもそもにして、そういう所を込みで……多少の誤差や誤算はあれど……陸は薫の事が好きになったのである。

「それに……惚気になるかもしれないけど、今は俺、薫さんと付き合ってるだけで十分だしね」

陸にしてみれば、好きな女の子と付き合う事ができて、それが日常になっている現状以上に望む事は無い。
後はただ、現状を続けられるように自分が努力していくだけ……そう思っていた。

「ふーん……平良君は、それでいいのかしら……?」
「え?」

だから、そんな由里奈の言葉に思わず問い返していた。





「いや、昼食の時は悪かったね。
 僕とした事が思わず熱くなってしまったよ」
「うーん、それは陸君に言ってあげてほしいんだけど……」

下駄箱を出た直後の明悟の謝罪に、薫は思わず苦笑した。

「……それは少し難しいな。
 もう少し待ってもらえると助かるよ」

その『もう少し』は、明悟にとって、薫と付き合うようになった時という意味に他ならない。

「うん、分かった。なら、もう少し待つね」

その『もう少し』は、薫にとって、明悟の気持ちの整理がついた時という意味に他ならない。

お互いの言う『もう少し』の違いに薫は気付いていなかった。

明悟は……勿論、気付いていた。

だが、あえて何も言わない。

今は、言うべき時ではない。
それを……その違いにある気持ちを、もう一度告げる時は。
霧里薫の中にある平良陸の株を出来る限り落とした時だという事を、明悟はちゃんと理解していた。

だからこそ、自分が道化だとしても、今はそれに甘んじているのである。
……まあ、その道化っぷりは彼自身のイメージを大きく越えちゃっているのだが。

「でも……君達は変わらないよね」

それをさておいて、明悟は呟いた。
ごく普通を……装って。

「え?何が?」

校門に着いたので、その足を止めながら薫は問い返した。

「いや、普通付き合ってると、もっと色々変わるものだとばかり思ってたから」
「そうかなー?
 私は……変わったと思うけど。
 陸君の事……色々分かってきたし」
「まあ、それは分かるけどね……」

確かに、薫は陸と急速に親しくなっている。
だからこそ、明悟は焦りを覚えて、動き出した。
先日のスポーツテストでも、陸への信頼を見せ付けられた。

だが。

「まあ、でも、これ以上は変わらなくてもいいかもね」
「どうして?」
「前も言ったよね。私は、今、楽しいから」

……ここに来て、明悟はもう一つの可能性を考え始めていた。

「そっか……ん」

ふと気配を感じて横を見る。
そこには自分のクラスメート達が話しながら歩いている姿が映った。
平良陸と、月穂由里奈が。

「それじゃあ、彼も来たみたいだし、僕は帰るよ。
 また喧嘩になると悪いしね」
「あはは。じゃ、また明日ね」

去っていく久能を見届けた薫は、陸達の方に視線を向けた。
二人は何かを話しているようだった。

「ありがとう、月穂さん。
 そうだな、確かにそうだ……」
「別に。私は思ったままを言っただけだから……って、薫が待ってるわよ」
「え?あ、薫さん」

由里奈の言葉で、校門で佇む薫の姿に気付いた陸は駆け寄った。

「ごめん、待たせた?……薫さん?」
「……あ、ううん。そんなに待ってないよ」

瞬間、自分の中に生まれた澱みのようなモノを振り払って、薫は答えた。

「私と話し込んでたせいで少し遅れちゃったみたいね。
 じゃあ、私は早々に退散するから。
 二人とも、また明日ね」
「あ、うん」
「明日ね、由里奈」
「ええ」

そうして由里奈を見送った二人は、足並みを揃えて家路を辿っていった。
それは、陸が薫の家まで送り、その後、陸自身の家に帰っていくという、定まりつつある形。

「今日は……何処にも寄らなくて良かった?」
「ちょっと金欠気味だから、暫くはお休み。
 オタクはお金が掛かるものだしね。
 バイト禁止の学校は辛いわー」

苦笑気味に薫は言った。

「まぁ、そうだね……」
「でも、そんな事関係なく、今日も楽しかったなー
 懐が寂しくてもそれで十分」

言いながら、薫は、うーん、と身体を伸ばした。

「そう?」

そんな薫を眩しそうに眺めながら、陸は呟く。

「そうそう。平和、日常、万々歳よ。明日も、明後日も、こんな日だといいなぁ」
「……ん」

そんな薫の言葉に、陸は微かに反発を覚えた。
厳密に言えば、反発というわけではない。

こんな日が続けばいいとは思う。
ただ、同じ日々では意味が無い。

そう。
意味がないのだ。

陸の頭には、由里奈の言葉が甦っていた。



『それって……どういう事なんだ?』
『まあ、薫はあのとおりの子だって事は私も分かってきたから、平良君が言う事も分かるけど……
 平良君がそれに付き合う必要はあるのかな、って思っただけよ』
『……』
『薫は薫らしく、平良君は平良君らしく。
 平良君は……もっと薫を引っ張ってあげた方がいいんじゃない?
 いつも、何事に対しても真っ直ぐ走っていくように。
 少なくとも、私が、薫だったら……そうして欲しいと思うわね……』 



確かにそうだ。
最近は現状に満足し過ぎていた。

それが悪いとは言わない。
陸自身、今が楽しいと思っている事は薫と変わらない。

でも、前に進みたい。

薫ともっと楽しくなりたい。

だから、もっと前へ進む。

もっともっと……

「陸君?」
「ん……まあ、そうだね」

でも、それは自分の考えだ。
薫は薫らしくあってほしい……そんな想いから陸はあえて何も言わなかった。

「陸君にしては、曖昧ねぇ。っと」

そう呟いた時、いつも別れるその場所に辿り着いていたので、薫は足を止めた。

「じゃあ、また明日ね」
「うん、また」
「……陸君」
「ん?」
「……いいや。なんでもない。じゃ、今度こそまた明日ね」
「また明日」



そうして、彼らの日常は終わる。
日常という言葉に誤魔化された、戻れない唯一の日が終わる。

彼らは気付いていない。
いや、忘れていた。

日常は確かにある。存在している。

だが、一日一日には明確な違いがある。
そして、その違いが人を大きく変えていくのだ。

自分たちの関係の始まりも、そんな『日常』から生まれていた事を、彼らは忘れていた。

この日に交わした会話が、大きな意味を持っていく事に、彼らは気付かない。

そして、かつては気付かずに越えたものに、自分たちが引っ掛かってしまっている事にも。



「……さ、帰って発声練習しないと」

薫の姿が見えなくなるのを何度も確認した後、陸はその道に背を向けた。

それを待っていたかのように、その場所に風が吹き始めた。

その風に追い立てられるように、陸は足早に帰っていった……







……続く。



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