「起立、礼」
学級委員である由里奈の号令で、今日一日が締めくくられる。
そこまでは日常だった。
だが。
「あー言い忘れたことがあった」
担任である白耶音穏の言葉に、教室内のざわつきがある程度だけ収まる。
音穏は、呼び掛ける人間のいる方向に視線を向けて、告げた。
「平良と霧里の二人はちっと残ってて。話あるから」
その言葉に、一緒に帰ろうと動き出していた陸と薫は思わず顔を見合わせた。
第七話 彼に対する、彼女達の見解
放課後。
自分達以外誰もいない教室に、二人はいた。
朝方とうって変わって雨が降りそうな曇天なので、教室はやや暗い。
電灯をつけて待っているのだが、用を済ませてからと立ち去った音穏は未だ戻ってきてはいない。
だから、とりあえず二人並んで座っていたのだが。
「……薫さん、何かした?」
沈黙を破って、ずっと考え込んでいた事を陸は呟いた。
その瞬間、薫の目が獲物を捉えた獣の様に輝いた。
……いや、せっかくの放課後を邪魔されたという、やり場のない気持ちの方向性を見つけた事を喜んでいるのかもしれないが。
ともかく薫は、膨れっ面な調子で陸に詰め寄った。
「陸君、私の事疑ってるのーっ?!」
「う、疑ってるわけじゃないって。ただ確認したかっただけ」
その視線にたじろぎながらも、陸は慌てて反論した。
実際、薫が何かやらかしたとは思い難い。
……まあ、彼女の趣味が絡んでさえいなければ、だが。
「むー。陸君こそ、心当たりないの?」
「いや、それが全然」
「そうよね……陸君に、大それた事ができるとは思えないし……」
「うん……って、なんでやねん」
「見たまんまだと思うけど?」
「……」
などと軽い漫才風味ではあったが、実際の所、心当たりは浮かんでこなかった。
そんな会話を交わしていると。
「遅くなったね。ごめんごめん」
音穏が言いながら教室に入ってきた。
彼女の手にはジュースやらコーヒーやらの缶が三つ。
音穏は、それらを陸の机の上に置いた。
「好きなの取って飲みなさい」
「……はあ、いいんですか?」
「待たせたし、個人的な事で呼び止めたからね。二つのお詫びを兼ねて」
「個人的?」
「まあ、どちらかというと、だけどね」
薫の問い掛けるような言葉に、音穏は苦笑した。
三人がそれぞれの飲み物を取ったのを見届けて、音穏は場を整えるべく咳払いをした。
「えーおほん。さて、単刀直入に聞くけど、君達二人……付き合ってるの?」
『ぶっ!』
その言葉に二人は同時に吹き出した。
含みかけのジュースともども。
それぞれあらぬ方向に吹いたので被害者は出なかった。
「あ、いや、その……そ、そうですけど……それが何か?」
「というか、何処からそれを……?」
陸と薫は、吹きこぼした部分をそれぞれ拭き取りながら尋ねた。
「HRの時間よく視線を交わすのが見えてたからね。
事情知ってそうな月穂と幾田からも担任命令で聞き出して言質を取ったし」
「……それって、脅しなんじゃ」
「さあ、何の事やら」
薫のツッコミにも音穏は何処吹く風。
それに顔を引きつらせながら、陸は言った。
「……ま、まあそれについては今はさておき……それがどうかしたんですか……?」
おそるおそる尋ねた陸に、音穏はパタパタと手を横に振った。
「そう心配そうな顔をしなくてもいいわよ。
うちのガッコは異性交遊厳禁ってわけじゃないから。
……ただ担任としては、一応、一度ぐらいは忠告しておこうと思ってね」
言って、彼女は缶コーヒーをズズズ……と啜り込んだ。
そうしてじっくりと味わった後、息を吐いて再び口を開いた。
「君らがどう思ってるかは知らないけど、恋愛とか男女の付き合いとかは結構めんどいのよ」
「……そうですか?」
「んー本人たちじゃなくて、その周囲がね」
「?」
顔を見合わせる二人に苦笑しつつ、音穏は言葉を続けた。
「恋人達は自分達だけの事を考えていたいかもしれないけど、周囲はそういうわけにはいかないし、放っておいてはくれない。
……君達の年頃、というか学生は特にね」
「そういうものなんですか?」
「そういうものなのよ。
今の二人の関係がどの程度かは知らないけど……年頃の子供を持った家族としては、家族の異性とのお付き合いについて健全な事だけを考えるってわけにはいかないでしょうし。
少し下世話かもしれないけど……例えば、いく所までいった時の事とかね」
その言葉に二人は一瞬で顔を赤くする。
それだけで、音穏には十分だった。
「……まあ今の君らの関係がどの程度なのかは、その反応で大体分かったからとりあえず安心しておくけど。
とにかく今日はね。君達の関係の確認がしたかったの。
それと、君等の関係は君達のモノだけど、ずっと続いていくのならそれだけじゃなくなる事をゆめゆめ忘れないように……って事を言っておこうかな、と。
ごめんね、説教臭い担任で」
「…………いえ。わざわざありがとうございます」
陸は深く頭を下げながら言った。
それに倣うように頭を下げた薫だったが、うんうん、と頷いて呟いた。
「それにしても……」
「ん?」
「独身のひがみじゃなかったんですね。安心しました」
ミシ。
恐ろしい事だが、悪意がまったく感じられないその一言に、場の空気が凍りついた。
「……あーそうですよぉ。どうせ私は独り身よぅ。
紫雲にいさんはさっさと結婚しちゃうし、他にいい男いないし……ブツブツ……」
「……薫さん」
「……ごめん。今のは失言でした」
珍しく咎めるような陸の言葉に、薫は素直に頭を下げた。
不貞腐れる音穏をどうにかなだめた後。
二人は学校を後にして、いつものように家路についていた。
その道々で、薫は横に並んで歩く陸に言った。
「白耶センセって、いい先生だよね」
薫の言葉に、陸は頷いた。
「だね。あれだけのためにわざわざ時間割いてくれたんだから」
あれは、単に教師としての責任問題を事前に避ける為の根回しなのかもしれない。
そう考えられない事もない。
だが、今日の音穏にそれを感じるのは難しい事だった。
表情の端々に見える真剣さを二人は感じ取っていたから。
「今時中々いないんじゃないかな、ああいうセンセイ……って」
「あ……」
会話の合い間を縫うようなタイミングで、雨が降り始めた。
その雨足はそんなに速くない……というか遅いが、のんびり歩いて帰るのであればそれなりに濡れてしまいそうだった。
「傘持ってくればよかったな……薫さん、どうする?近くのコンビニにでも寄る?」
陸がそう呼びかけると、薫は、ポン、と手鼓を打った。
……何かを思いついたらしかった。
「……ねえ。陸君の家ってこの近くだったよね」
薫を家の近くまで送る以外の時はこの辺りで別れる事を思い出しながら、薫は言った。
陸は薫の発言の意図が完全には理解できず、ぼんやりと答えた。
「そうだけど……」
「それなら、雨宿りついでに寄ってみていいかな。陸君の家」
「え?」
聞き返す陸に、薫は笑いかけた。
「私、会ってみたいんだ陸君の家族に。
今日、白耶センセに言われたからって事もあるけど……これからも陸君と一緒にいるのなら、いつかきっと必要になる事だから」
……音穏の言っていた事が気に掛かっていたのは、陸も同じだった。
その上で、他ならぬ薫にそう言われてしまえば、陸に抗う術は無い。
だから陸は、照れなのか刹那の間視線をずらし、頬を掻きながら言った。
「……家族、家にいない事多いから、誰もいないかもしれないけど……それでいいなら」
「うんっ」
そうして、薫は陸の家に招かれる事となった。
……都合上、幾分速足だったが。
「へーここが陸君の家かぁ」
一階建ての一戸建て。
いかにも和風な家の玄関先には『平良』と書かれた表札があった。
「古い家でしょ」
「まあね。でも、こういうの私好きだな」
お世辞かとも思った陸だが、薫はお世辞を言うような人間ではない。
それは今までの付き合いで十分理解していた。
だから、少し嬉しくて浮き足立ったりもした。
まあ、それはさておき。
「ただいま」
「お邪魔しまーす」
二人はそれぞれの言葉を口にしながら、玄関をくぐった。
「薫さん、タオルは?」
「ん。大丈夫、そんなに濡れてないから」
陸の家は薫が思っていたよりも近くにあり、二人の制服はあまり濡れていなかった。
……そこに。
「それでも一応拭いておいたほうがいいですよ」
涼やかな声とともに、陸の頭上にタオルが降ってきた。
タオルが投げられた方向に視線を向けた薫は、そこに少女が立っている事を認識した。
年の頃は、陸や薫と同じ位。
薫が着ているものとは違う、ブレザー型の制服を着ている。
黒い二つの三つ編みを少し揺らしながら、腕を組んだ彼女が口を開いた。
「……お帰りなさい、兄さん」
「いたのか、芽衣」
兄さん。
という事は、陸の妹。
そんな当たり前の事を理解するのに、薫は少し時間が掛かってしまった。
それというのも、目の前の少女が自分達より年下には見えなかったからだ。
むしろ、その落ち着き払った物腰は年上にさえ思える。
そんな少女は、その印象通りの落ち着いた物腰のまま、薫の方に視線を向けた。
「そちらの方は?ご紹介していただけないんですか?」
「あー……」
「あ、いいよ陸君」
少し顔を赤らめながら陸が告げようとするのを、薫は遮った。
家族に対して紹介『される』のは、気が進まない。
こういう時は自分から動く。
それが霧里薫という少女だった。
「私は霧里薫。平良陸君のクラスメートで、いわゆる『お付き合い』をさせてもらってるの。
もし名前を呼ぶ時は薫でいいから。
それで、あなたは?」
流石に少し恥ずかしく、少々顔が熱くなるのを感じながらも、薫は一気にそれを告げた。
それを受けた少女は、自分に笑いかける薫を眺めて冷ややかに告げた。
「平良芽衣と申します。陸の妹です」
「そっか、妹さんか。よろし……」
「よろしくするつもりはありませんよ。短いお付き合いになるかもしれませんし」
「く?って」
「……お、お前……」
「失礼します」
陸の言葉を最後まで聞く事無く、家の奥に消えていく芽衣。
そんな彼女を、薫は半ば呆然と眺めていた。
「陸君、妹さんいたんだね」
「うん、まあ……さっきはごめん。最近のあいつ、なんか冷淡なんだ」
「気にしないでいいよ。急に家に来た私も悪いんだし。ところで妹さん幾つ?」
「……双子だから同い年」
その言葉に、薫は思わず目を瞬かせた。
成る程、年下には見えないわけだ、と内心納得した。
だが……
「双子?にしては似てないような……」
その薫の言葉に、陸は苦笑した。
「昔からよく言われる。二卵性双生児だからね。似てないのは当たり前」
「へー……………それはそれとして……」
薫は案内された陸の部屋を見回して、ふむ、と顎に手を当てた。
「男の子の部屋ってもっと散らかってると思ってたけど……案外綺麗なんだね」
「え?実際散らかってると思うけど……」
「もっと足の踏み場の無いくらいを想像してたから」
「そうだったら薫さんをここまで連れて来たりしないって」
「それもそだね」
「ちょっと待ってて。お茶入れるから」
「あ、いいよいいよ。お構いなく」
「まあ、そう言わないでよ。せっかく招待したんだから。せめてお茶ぐらいは出したいんだ」
「……うん、分かった。ここは陸君の顔を立ててあげる」
「ありがと。……んじゃコーヒーと紅茶、どっちがいい?どっちもインスタントだけど」
「えーと、じゃあ紅茶でお願い」
「了解。少し待ってて」
そう告げて、陸は部屋を後にした。
ご丁寧に襖をぴっしりと閉めていく陸に薫は可笑しさを感じた。
残された薫はなんとなく部屋を眺める。
散らかっている、と言っていたがそれなりに整頓されているのが細やかな陸らしかった。
(……私の部屋の方がよっぽど散らかってるかも……)
そんな事を考えて薫が懊悩していると。
軽い音を立てて、閉めたばかりの襖が開いた。
「あれ、早かっ……って」
視線を向けたのだが、そこに立っていたのは陸ではなく。
彼の妹である所の、平良芽衣だった。
さっきのやり取りがあって彼女にどう接するべきか掴み切れない薫だったが、声は掛けないよりはと、普通に声を掛けてみる事にした。
「……えーと、陸君に用事かな。陸君なら……」
「兄ならコーヒーと紅茶の為のお湯を沸かしていますよ。
ポッドのお湯を抜いときましたし、コーヒーと紅茶もちょっとした場所に隠しましたから、暫くはかかるでしょう」
抜いておいた。隠した。
つまりは故意にやったという事。
何でもなさそうに、さらり、と言われたので、危うく聞き流してしまいそうだったが。
……気を取り直しつつ、薫は尋ねる事にした。
「……どうしてまたそんな事を?」
「貴女にお尋ねしたい事がありまして。そのための時間が欲しかったんですよ」
芽衣はそう言いながら襖を閉め、薫に視線を送った。
それは、陸が言う様に何処か冷めているというよりも、何かを探るような、そんな感覚を薫は覚えた。
「……聞きたい、事?答えられる事なら答えるけど」
「そうですか。それでは遠慮なく尋ねさせていただきます。
霧里さんは、あの兄の何処がいいんですか?」
「へ?」
「お付き合いしている、という事は、それなりに兄の事を認めているという事でしょう?
正直、人間として欠陥だらけの兄と付き合えるのは難しいと思うのですよ私は」
「む」
薫の表情に微かな怒りが帯びるのも構わずに、芽衣は涼やかな表情で言葉を続けた。
「兄はどちらかといえば内向的ですし、内罰的です。
人に優しいと言えば聞こえはいいですが、単なる偽善者です。
女性の扱い、気遣いも無知極まりない……貴女も随分苦労なさったんじゃないですか?」
「……そんな事はないよ」
「そうですか?
もしそうでなかったとしても、余計な事に無駄な力を入れすぎて馬鹿みたいに力を浪費する兄の馬鹿な所にはうんざりしているんじゃないですか?」
「……」
「あの人は、はっきり言って無駄あり穴あり欠点だらけです。
そんな兄の何処が……」
「あなた、お兄さんの事、全然知らないのね」
今度は芽衣の言葉を薫が遮る。
その声には、静かながら押し殺した何かが込められていた。
薫は、上がりそうになる声のボリュームを必死に堪えていた。
陸の事を悪く言われるのは、我慢できない。
もうそうなる自分に戸惑いはしない。……整理はまだ完全ではないが。
でも、陸に余計な心配をかけたくないし、自分の事で兄妹喧嘩をして欲しくは無いから、声を抑える。
……部外者である自分が恨まれるのは構わない。
ただ陸の妹である彼女が、陸のいい所を理解しようとしないのは、悲しかった。
だから。
薫は、自分の知っている限りの平良陸を語るべく、口を開いた。
「陸君はいつだって全力だから、その所為で空回りする事だってあるし、失敗するのも何度か見た事あるけど……」
「けど、なんです?」
「陸君は……」
そう、平良陸は。
「それでもめげないで、なんにでも一生懸命に向かっていける……本当にすごい男の子なんだから……っ」
そんな、薫の声が響いた直後。
芽衣の顔は無表情だった。
そうして、薫の事を見据えている。
それに対し、言える事を言ってしまった薫は手持ち無沙汰だった。
これ以上のことは言えない……それ以上の陸の事を知らないから。
それゆえの沈黙だった。
そして、その沈黙を破ったのは。
「……………ふふ」
芽衣の、そんな笑い声だった。
「ちょっと、何が……」
可笑しいの、と言い掛けた薫の口は、芽衣の顔を見て止まった。
……さっきまでの表情が嘘のように、穏やかに微笑んでいる芽衣の顔を見て。
「嬉しいですよ。兄さんの事でそんなにも真剣に怒ってくれるなんて」
「……あなた……」
薫は気付いた。
自分が試されていた事に。
そして、目の前の少女が兄に向けている本当の気持ちを。
彼女は兄の事を軽視や軽蔑したりしていない。
むしろ……
「……冗談きついよ、芽衣ちゃん」
『それ』を感じ取った薫は、相好を崩し、彼女の名前を呼んだ。
「いえ、冗談じゃないですが」
「……あ、やっぱり?」
思いっきり真顔で言われて、薫は苦笑を返した。
「ええ。
もし、ここで貴女が私の納得できる反応を見せてくださらなかったら、どんな手段を使ってでも兄との縁を切っていただくつもりでしたから」
……その言葉が事実だという事を、薫は何となく感じ取っていた。
最初から冷たい態度だったのは、いざと言う時の前準備でもあった……そういうことなのだろう。
深い深い溜息とともに、芽衣は言った。
「兄さんはあの年になっても、純粋というか抜けてるというか……真っ直ぐ過ぎるんですよ。
ご存知の通り、何に対しても全力なのはいいんですが……いつかどうしようもない壁が立ちはだかった時、委細構わず突進して砕け散ってしまいそうで……心配なんですよ。我ながら過保護ですが」
「……分かるなぁ、その心配」
「でしょう?」
平良陸をよく知る二人の少女は、うんうん、と頷き合った。
「ですから、少し前からそれとなく釘を刺してはいるんですけどね。
なまじ兄妹ですから伝わらない部分がありまして。
貴女の存在も前々から兄の様子で察知していたのですが……どうも兄が一方的に貴女に走っている兆候があるようでしたから心配で。
こんな事は言いたくありませんが、告白は兄の方からだったのでは?」
「ははは……」
見透かされてる。見透かされてるよ陸君。
「やっぱり……我が兄ながら分かり易過ぎます……」
再び溜息をつくその姿で、薫は芽衣という名の妹が、陸という兄の事を本当に心配している事を理解した。
「そんなだから一応妹のつもりなんですが、弟を持っている気分なんです。
そういうわけがあったとは言え……結果として試す形になってしまって、申し訳ありませんでした」
深く頭を下げる芽衣。
それに対し薫は、サッパリとした笑顔で応えた。
「いいよいいよ。気にしない気にしない。
芽衣ちゃんがいい子だから、むしろ安心しちゃった、私」
そう言われた芽衣は、恥ずかしいのか一瞬だけ視線をずらして頬を掻いた。
……そういう所作は兄である陸によく似ている……薫はそう思った。
芽衣は、微かに赤らめた顔で、こほん、と咳払いをしてから告げた。
「…………薫さん。会ったばかりの人に言うのもなんですけど……兄さんをお願いします。
勿論、付き合っていただいている間だけで結構ですから。
あの人は本当に…………っと」
そこまで言うと、芽衣は自分の口を塞ぐ仕草を見せた。
次の瞬間、襖が開き、お盆を抱えた陸が立っていた。
「お待たせ。って芽衣。何やってるんだ?」
「いえ別に。……それじゃ失礼しますね薫義姉さん」
その言葉に、陸は一瞬硬直し、さらにその一瞬後でその言葉の意味を理解した。
「ナ?!お、お、お、まえ……?!」
「冗談ですよ。そう焦らないで兄さん」
声を裏返らせる兄をクスクス笑いながら、芽衣は部屋から去っていった。
動揺しまくっていた陸だったが、芽衣の存在が遠ざかると落ち着きを取り戻したらしく、不思議そうに首を捻った。
「…………何か、あったの?あいつえらくご機嫌になってたみたいけど……」
「さあね〜。……ただ」
「ただ?」
「……陸君のこと、お願いされちゃったんだけど」
それを聞いた陸は複雑な表情を浮かべた。
喜んでいるような、困っているような、怒っているような、笑っているような、そんな顔だ。
「……うーあいつめ……」
陸は分かっているのだろう。
芽衣が心配している自分の事を。
でも、そこには家族だから伝わらない部分があるのかもしれない。
だが、だからこそ『他人』との繋がりが必要な事を芽衣は知っている。
家族で補えないものを、補う誰かの存在の必要性を。
そして、彼女は今日会ったばかりの薫に『それ』を託した。
それは彼女自身が試したがゆえの信用であり。
彼女は否定するかもしれないが、おそらく平良兄妹に共通する部分ゆえの信頼なのだろう。
……そういう真っ直ぐな所は本当に。
「よく似てるね、二人」
素直な感想を、薫は陸にさえ聞こえないようにささやかに呟いた。
何となく、そうしたい気分だった。
「じゃあ、お邪魔しました」
「うん」
それから、数十分程度で雨は止んだ。
紅茶を飲みながらの雑談時間……実質、それで薫の平良家初来訪は終わった。
「本当に送らなくていい?」
心配そうな陸に、薫は苦笑気味に首を振った。
……一人で、考えたい事があったから。
「陸君。今日は無理言ってごめんね。それから……ありがと」
「え?何が?」
「私、この家に来てよかったよ」
陸の佇む位置から奥に立つ芽衣。
深々と頭を下げている彼女に笑顔を送りながら、薫は心からそう思った。
「……そう?」
「うん。だから、また遊びに来てもいいかな?」
「……こんな家で良ければね」
苦笑交じりの陸の言葉。
薫は力強くそれに頷いた。
平良家を出て、赤と黒の狭間の道を歩く。
雨上がりの道は心なし綺麗だったが、薫の心を晴らすには至らなかった。
「はぁ……先が思いやられるなぁ……」
思わず零れ落ちたのは、そんな言葉。
楽しみな様な、怖い様な……複雑な思いが薫の胸中にあった。
……それは、自分の家族、家庭の事。
今日の事は『それ』を彼女に突きつけてもいた。
陸と自分の関係が続くのなら。
いつか『その時』は訪れる。
『その時』までに自分にできる事。
それは……今以上に陸の事を知って、胸を張って陸の事を話す事ができる、そんな自分になる事だ。
陸は、どんな家族であれ受け入れてくれるだろうから。
「……その時まで、私たち付き合っていられるかな?」
何処か不安げな彼女の呟きは。
夕闇の中に消えて、散っていった。
……続く。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
おまけ劇場
薫が芽衣と出会った次の日の朝。
陸と薫は今日も今日とて途中合流登校を行っていた。
「しかし、昨日は驚いたなー」
挨拶を交わしたすぐ後、薫は思い出したままの事を口にした。
「何が?」
「芽衣ちゃんの事」
「……ああ、なるほど」
薫の言わんがする事を理解して、陸は頷いた。
「同い年の妹だなんて、フィクションの中でしか見た事が……」
その瞬間。
実に薫らしい想像が彼女の脳内を駆け巡った。
『ふう……』
『兄さん。何を溜息をついてるんですか?』
『いや……薫さん、変に思わなかったかなって』
『何が、ですか?』
『…………お前の事』
『まあ、普通は色々考えますよね。
年が同じ兄妹というのは世間一般から見て珍しいでしょうし』
『……』
『心配ですか?私たちが義理の兄妹である事が発覚する事が』
『そんな、事は』
『兄さん……』
(以下薫のデータによる妄想炸裂)
「……」
「薫さん?」
「……」
「あのーもしもし?芽衣がどうかした……」
その瞬間。
『芽衣』という言葉に反応した薫の眼がキュピーン!と輝いた。
「陸君……芽衣ちゃんと本当に兄妹なの?」
「……へ……?」
「お願い、正直に答えて。私、驚かないから」
「いや、あのぉ……?」
そう迫る薫の表情が、何処か楽しそうだったり悲しそうだったりで。
陸は、朝も早くから果てしなく困惑する羽目となった。
……ちなみに。
その誤解は、その日の夕方、芽衣自身に弁明してもらうまで晴れる事はなかったとか。
………終わり。
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