第六話 case by case , step by step
「ふっふっふ……言ったわね。言ってくれちゃったわね陸君」
「そっちこそ、言ってくれたじゃないか……」
一週間最後のHR前の教室の中。
平良陸と霧里薫が笑みらしきものを浮かべて向かい合っていたが、そこにはいつもの空気はない。
ゴゴゴゴゴゴゴ………と、そんな漫画擬音が聞こえてきそうだった。
「なんだ?喧嘩か?」
「違うわ、幾田君」
「違うよ、幾田」
からかい口調で声を掛けた道雄は、何故か殺気じみてさえいるほぼ異口同音の答えに後ずさった。
「これは喧嘩じゃないのよ……」
「そう、これはお互いの主義主張のぶつかり合い……」
「……は、はあ。で、原因は?」
「それは私が説明するわ」
お互いを睨みあう二人に代わって、由里奈が口を開いた。
「昨日の夜、アニメ映画あってたでしょう?」
「ああ。それがどうかしたのか?」
「……それに対する批評の違いから事は始まったのよ。
まあ途中経過は省くけど、平良君はアニメ映画には限界があると言って。霧里さんは霧里さんで普通の映画にこそ限界があるとか言って……」
そこまで言って、由里奈は言い合いを続ける二人に視線を送った。
二人は自分達に注目する人間の視線を気にする事なく、言葉を交わしていた。
「確かに、声優さんの演技力はたいしたものだよ。
でも、演技っていうのは登場人物の動きあってのもの。
現実の俳優さんの存在感ある所作、演技にアニメは劣る部分があるはずだ」
「甘い。甘いわ。まさしく砂糖菓子のように甘い。
百歩譲って、現実の存在感云々の主張は認めたとして、アニメの決め細やかな動画はそれを補って余りある……まさに文化の極みなのよ!
それを理解しようともしないのは日本人失格よ!」
「……とまあ、あんな感じで」
「おいおい……」
そう呟く道雄を始め、二人を眺める大半は呆れ顔だった。
だが、そこは。
演劇部所属の陸として。
オタクな薫として。
二人ともがお互いに引けない部分だったのである。
「いいわ。陸君。ここは白黒はっきり決着をつけようじゃないの」
「望む所だ、薫さん……」
「ちょうど今の時期、私もまだ見てないけど期待作の劇場アニメがあるのよ」
「俺も、ちょうど見ようと思ってた今週封切りの最新映画があったんだ」
「好都合ね……明日の休み、それを見比べようじゃない」
「OK。受けて立とう」
背景に背負うのは、闘志の炎か、怒涛の大波か。
二人は不敵に笑って向かい合っていた。
「……あー。詰まる所、それは」
「映画を見に行く……デートね」
その由里奈の言葉に、クラス全員なんとなくの溜息をついた。
翌日。
街の一角にある映画館の看板の前に陸は立っていた。
その看板には、アニメ映画のタイトルとそのキャラが描かれていた。
「……ふむ」
腕時計を見ると、あと一分で約束の時間。
「うーん、こうしてみるとまるでデート……」
そこで陸は、ハッ、と気付いた。
まるでというか、思いっきりデートであるというその事実に。
ここに道雄がいれば「気付かなかったのかっ!?」という驚愕の突っ込みが入ったのだろうが、生憎ここに彼はいなかった。
「お待たせーっ」
「っ!」
意識してしまったがゆえか、陸はその声に身を震わせた。
振り向くと、そこには薫が立っていた。
初めて見る私服姿の薫。
いつものテールを下ろしストレートにしている髪と、少し厚めのプリントシャツとジーパンというラフな組み合わせの妙が、陸には新鮮に映った。
……その結果、ますます陸は緊張を高めた。
「ごめんごめん。親父が勘繰ってそれをかわすのに時間掛かっちゃった……って陸君?」
「あ、いや、その」
改めて自覚すると、つい照れが入ってしまう。
ややぎくしゃくした動きの陸に、薫は心配げに眉を寄せた。
「顔赤いけど、大丈夫?風邪ひいてたりするなら帰った方が……」
「全然大丈夫だって!」
「そ、そう。なら、いいんだけど……
……じゃあ、何はともあれ、早く入りましょ?いい席で見ないともったいないからね」
ニコニコ上機嫌の薫。
それを見て、陸は呟かずにはいられなかった。
「……楽しそうだね」
「そりゃそうよ。だって……」
そこで一端区切ると、薫は両手をぐっと握り締めた。
その眼はキラキラと輝いている。
「この映画、公開するのずっと楽しみにしてたんだから。
くぅっーっ!どんな展開になるのか今からワクワクするー!」
「……」
それは論争の決着の事を考えているような顔ではなかった。
ただ、純粋にこの作品を楽しみに来ている……そんな顔だった。
「どしたの?」
「あ、いや」
論議した事を忘れているわけではないのだろうが『今』は関係ないのだろう。
そんな、好きなものに一直線の、いつもの薫を見る事で。
まだ動悸は治まらないものの、陸は落ち着きを取り戻した。
「……よし、行こうか」
「うんっ!」
そうして。
二人は、映画館の中に入っていった。
そんな時間も、いつもと等しく通り過ぎていく。
いつのまにやら、日は西に傾いていた。
「ほら、言ったでしょ?アニメだからって侮るのは日本人としては失格だよ」
「うーん、確かにね。でも薫さんもあの主人公が叫ぶシーンで思わず息飲んでたじゃない」
「う。確かにそうだけど……」
一日で二つの映画を見た帰り道。
二人のそんな会話は、薫の家の近くまで続いた。
いつも別れるその場所に着いても、それは終わる気配を見せなかった。
しばしその場に立ち尽くして会話を続けた後、薫は、はは、と笑みを零した。
「……うーん。答、出ないね」
「そうだね」
「……いつか、どっちかが納得できる時は来るのかな」
「どうだろうね……難しいような気はするけど」
二人とも、それぞれにそれぞれの良さがある事はちゃんと理解している。
結論をつけられるような事じゃない、という事も。
だが、それでも簡単には譲れないし、認められない。
何故なら『そこ』は、今の自分達を形作っている部分だから。
『そこ』を曲げる事は……まだ、できない。
それが、例え形だけでも。
あるいは、無意味であったとしても。
……そういう根本の部分で、この二人は良く似ているのかもしれない。
「うん。……なら」
少し躊躇いがちに。
少しだけ、頬を赤く染めて。
薫は言った。
「これから先も、何回でも話そうよ。ちゃんとどっちかが納得できるようになるまで」
「……ああ、そうだね」
陸は、薫の言葉に深く頷いて、笑った。
「君が納得できる作品を準備しておくよ。次は論破してみせるから」
「こっちだって、負けないからね」
二人は、分かっていた。
これまでの日々の中で、分かるようになっていた。
親しい人間との違いを怖がる事はない。
そして、そんな違いにこそ、意味があるという事を。
だから、二人は笑った。
楽しかった今日とこれからの日々を思って、笑い合った。
「んじゃま、今朝はここまで。……月穂」
「……起立、礼」
担任である白耶音穏に応え、クラス委員である由里奈が号令を掛ける。
いつもの一日の始まりがそこにあった。
「陸君、今日は演劇部行かないんでしょ?」
「うん」
「なら一緒に帰ろ。寄りたい所があるんだ」
「また”めでぃあに”?」
「……何か文句でも?」
「滅相もないです」
先生が教室から出た矢先、クラスの雑音の中、薫と陸の冗談交じりの会話が流れる。
そのやり取りを見て、道雄は不思議そうに呟いた。
「……お前ら、喧嘩してたんじゃなかったのか?」
『は?』
道雄の言葉に二人は首を傾げた。
「んーん?」
「そんな事ないけど」
「……まさか、こないだのやり取り忘れたのか?」
「いや、ちゃんと覚えてるよ」
「んじゃ、ちゃんと決着がついたのか?」
「ううん。……まあ、なんていうか……それはそれ、これはこれだから」
「そう、なのか?」
思わず眉間に皺を寄せながらの道雄の言葉に、薫は当然の様に頷いた。
「そそ。あ、次は化学教室だったね。行こ、陸君」
「ああ。じゃお先に」
「あ、ああ……」
揃って、教室を出て行く二人。
そこには不協和音など欠片も見当たらない。
「……分からん。あいつらの思考回路がどうなってるのか、さっぱり分からん」
「今回ばかりは、同意するわ……」
眺めていた由里奈は呟いた。
その表情には、呆れとも感心ともつかない感情が浮かんでいた。
「……あれだけ激しく言い合ってて、別問題って考えられるか、普通?」
「分からないわ。ただ……」
「ただ、なんだ?」
「少なくとも、あの二人はそうできるようになったみたいね」
二人が微かに、だがそれなりにすれ違う所を、由里奈は目の当たりにした事があった。
その時とは状況がまったく違う。
だが、その事を考慮に入れても、あの二人の関係が以前とは違う事は疑いようがなかった。
二人は、少しずつだが前に歩いている。
一人だけではなく相手と共に進んでいる。
『それ』は単なる成長ではないような、そんな気がする。
言うなれば、成長の積み重ねではなく、成長の掛け算。
成長よりも強い、大きな一歩。
それは。
「……進化、とでも言えばいいのかしらね」
なんとなく由里奈はそんな事を呟いていた。
……それは大袈裟なのに、あの二人には相応しい表現に思えた。
「??何言ってんだ?」
「なんでもないわ」
それが可笑しくて、由里奈は微苦笑を零し。
道雄はその笑みの理由が分からず、ただ首を傾げた。
…………続く。
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おまけ劇場……バレンタインデー記念作品。
evol“O”ve valentine special
いままで。
その日は自分には何の関係も無い日だと、思っていた。
その日。
そう、2月14日。
2月14日。
その日は、少年少女にとってはちょっとしたイベントの一日となる。
女子は誰にどんなチョコを贈るか。
男子は貰えるのか、貰えないのか。
そんな事が気になって仕方がない、そんな一日となる。
それは彼も例外ではなかった。
「ふわ〜」
陸は欠伸をしながら学校への道を進んでいた。
「やっほ。陸君おはよ」
電信柱の陰から、薫が現れた。
登校途中で合流して学校に向かうようになってから随分経つが、二人は飽きる事無くその日常を繰り返していた。
「薫さん、おはよ。はふ」
「んー。なんか眠そうだね」
「昨日は深夜映画見てたから」
陸はTVである映画は出来得る限り見るようにしている。
演劇に生かすためというのもあるが、個人的に見るのも好きだからだ。
それが一度見た映画でも見方を変えて見る事ができるというのが陸の言だ。
「あのサイコな映画なら私も見てたよ」
「薫さんも?」
「まね。決着はつけないといけないしね」
「はは、そうだった」
あの日以来の『勝負』はまだ続いている。
趣旨その他多少の変化はあれど、この事についての話題と論争は尽きなかった。
「でも、その割にあんまり眠くなさそうだけど」
「深夜アニメを見慣れてるからねー。オタクはある意味深夜こそが活動時間とさえ言えるわ」
「そうだったな……まあ、それはそれとして昨日の映画どう思った?」
「んん。なかなか面白かったんだけど……オチがちょっと。
構成は悪くなかったんだけど、序盤展開が遅めだったからまとめきれてなかったっていうか」
「ん〜そこには同意するけど……」
言いながら、陸は薫の横顔を覗き込んだ。
「……」
「どうかしたの?」
「あ、いや。なんでもないんだ」
陸の挙動不審には理由があった。
それは、今日この日が、付き合うようになって初めて迎えるバレンタインデーという事。
そんな日に、チョコが貰えるか否かというのは、陸の中では大きな問題だった。
とはいえ、自分から「チョコは?」と問えない。
自分から急かすのは気が進まなかったし、僅かな自尊心もささやかな抵抗を試みていた。
「……」
そんな思考に集中していた陸は気付かなかった。
薫の表情にあった、僅かな影に。
放課後。
演劇部の部室で、陸は頭を捻っていた。
「……うーん……」
真剣に台本を読んではいるが、内容はいまいち頭に入っていない。
……結局の所。
今の今まで、陸は薫からチョコをもらえずにいた。
そして、それが少なからず集中を妨げていた。
「どしたの、浮かない顔して」
そこに声を掛ける人物がいた。
「部長」
「元、部長よ」
そう言って、彼女……影浪西華は笑った。
「そうでしたね。影浪先輩」
「ふふ。部長と言われるのも悪くないけどそう言われるのも悪くないわね。
それはそうとえらく沈んでるけど……薫ちゃんにチョコ貰えてなかったり?」
「ぐっ!」
そのものずばりを突かれて、陸は思わず呻く様な声を出した。
そんな陸を見て、西華は苦笑した。
「あらら。その様子だともらってないみたいね。
そんな平良君にはい、これ」
「え?これは……チョコ、ですか?」
「そーよ」
西華から手渡されたのは、綺麗にラッピングされた小さな箱状のもの。
「まあ、今年度はお疲れ様という事で、男女関係なく部員皆に手渡してるのよ」
「……ありがとうございます」
そのチョコを、陸はまじまじと見詰めた。
それは、正直嬉しいものだった。
貰えないよりは貰える方がいい。
義理だろうとなんだろうと。
でも。
「……」
「やっぱ、薫ちゃんのじゃないと駄目か」
「あ、いえ、そんな事は」
「いいからいいから。そうじゃないと男としてはね」
心の内を見透かされた事に動揺する陸を、西華はあっさりと肯定した。
陸は、思わず溜息をついていた。
「意外と平良君、そういうの気にするのね」
「あ、いや……そんな事はないですよ。もらえなかったとしても、俺は……別に」
何か理由があるのかもしれない。
今日が何の日か気付いていないか、忘れているのか、なのかもしれない。
いろんな可能性が考えられる。
だから、例え今日貰えなかったからと言って薫を糾弾するようなつもりは陸にはない。
だがしかし。
男心は複雑だった。
「……まあ、それでも気になるんですよね……」
「そういうものよ。青春ね」
がっくり落とす陸の肩を西華はポンポンと叩いた。
そんな感じで、いまいちだった部活が終われば下校。
西華にもらったチョコを鞄に入れて、陸は下駄箱に向かった。
「はあ……」
溜息を吐きながら下駄箱を開く。
すると、そこには。
「ん?」
そこにあるのはリボンを綺麗に結びラッピングされた箱。
さっき西華にもらったものよりも、一回り大きい。
その箱の上に挟まれたカード。
そこには、見慣れた文字の形があった。。
誰のものかは考えなくても、すぐに思い浮かんだ。
『陸君へ』
と書かれたカードを開く。
そこには、こんな文字があった。
『今日一日やきもきさせてごめんね。BY 薫』
そう書かれたものを、陸は優しく手に取った。
「今頃、家に帰ってる頃かな……」
自室で薫は呟いた。
照れ臭かったというのもある。
びっくりさせてみたかったというのも大きい。
一番の理由はうまく手作りできなくて、陸に申し訳なかったからだったりするのだが。
例え、陸はそんな事にとらわれないと分かっていても。
恥ずかしくて、悔しくて。
だから、陸の下駄箱の中に置き去りにする事しかできなかった。
ちゃんと気付いてくれているかどうか……
ちゃんと陸の手に渡ったのかどうか………
心配だった。
そう思っていた時、薫の携帯の着メロが鳴り響いた。
……誰からなのか、薫はなんとなく察していた。
『ありがとう。白い日は心を込めてお返しするから』
「陸君ってば……」
クスクス笑いながら、薫は万が一作れなかった時の為に買っておいたチョコレートを齧った。
チョコの中から口の中に広がっていくほんの少し苦い味。
「……思ってたよりおいしいかな」
そんなウィスキーボンボンで。
薫はその日を祝った。
初めて、チョコを贈った、その日を。
「……おいしいよ、薫さん」
自室で呟いて陸は表情を緩めた。
それは、口の中に広がるチョコの甘さでそうなったわけではない。
それは、陸自身が一番分かっていた事だった。
その、少し歪なハートチョコで陸は祝った。
初めて、好きな女の子からチョコをもらった、その日を。
去年までは、何の関係もなかったその日。
でも、今年は。
贈る方も。
贈られた方も。
嬉しかったりする、ちょっとした特別な日。
だから、少し恥ずかしくても、その日を祝う。
……A Happy valentine's day to all lovers.
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