第三話 薫る、心
「・・・ねえ、幾田君、陸君何処に行ったか知らない?」
HRが終わって変える準備を済ませた薫は、道々いろいろ話そうと陸の姿を探したのだが見つけられなかった。
そこで、陸と比較的親しい幾田道雄に声をかけたのだ。
道雄はうーんと唸った後、思い当たったらしく心当たりを告げた。
「ああ、あいつなら部活だろ」
「あ」
そう言えば、毎週木曜日は演劇部の活動日で、必ず参加するようにしていると陸自身が言っていた事を今更ながらに薫は思い出した。
「あちゃ・・・そうだった・・・・」
「んじゃ、俺は帰るわ。また明日な」
「・・・あ、うん。ありがと。また明日」
幾田は、おう、と言い返して、教室を後にした。
それを半ばまで見送ってから、薫はふと考え込んだ。
陸は部活の時、どんな表情をしているんだろうか。
どんな風に取り組んでいるのだろうか。
「・・・気になる」
「どうかしたのかしら、霧里さん?」
そんな声を洩らした薫に、眼鏡をくいっと上げながら話し掛けたのはクラス委員である月穂由里奈。
何処となく偉そうだが、それが実にはまっていた。
「・・・月穂さん、演劇部って何処でやってるか知ってる?」
「え?それは知ってるけど・・・ああ、平良君が演劇部だったわね」
「どうして知ってるの?」
「知り合いがいるのよ。その人から話を聞いてるから」
「そうなんだ」
由里奈はそう呟く薫の表情を無言で眺めた。
霧里薫。そして平良陸。
その二人を・・・正確に言えば二人の関係を、由里奈は興味深く思っていた。
それは歳相応の恋愛に対する興味であり、彼女自身の未知なモノに対する興味だった。
そんな思考が由里奈に次の言葉を口にさせていた。
「・・・そうね。せっかくだから、そこまで案内してあげてもいいわ」
放課後。
それは生徒が生徒でありながら生徒ではなくなる、そんな時間。
寄り道する者もいれば、真っ直ぐ帰宅する者もいる。
そして、部活動をする者も。
陸が所属する演劇部は木曜日がメインの活動日であるが、部長が熱心な事もあって、毎日誰かが何かの活動をしている。
「うーんと・・・?」
最近の放課後は、薫と行動する事が多かった陸だが、今日は久しぶりに部活動の方に参加していた。
とりあえずは、台本を読んで自分のやる事を確認しようとパラパラとページをめくっていたのだが・・・・・
「平良君、最近彼女が出来たってホント?」
いきなりかけられた、その言葉に陸は思わずブッと息を噴き出した。
陸は台本をチェックする目を止めて、顔を上げた。
そこに立つのは、今時珍しいポニーテールの少女。
少女と言っても、その容姿は大人びていて女性と言ったほうが通りそうなのだが。
「・・・部長、それ一体何処から?」
その陸の言葉に、少女・・・演劇部部長、影浪西華(かげなみせいか)はニヤリと笑みを浮かべた。
「この私の情報網に掴めないものはないのよ。
・・・と、言いたいところだけど、あなたのクラスに月穂由里奈っているでしょ?」
「・・・ええ、いますけど」
「あれ、私の従姉妹だから」
「・・・マジですか」
「大マジよ。そこからちょいと小耳に挟んでね。というか、あそこ」
と、いきなり西華が指を指したのでその方向に顔を向けると。
「げ」
『あ』
そこには扉の影からこちらを窺う、霧里薫と月穂由里奈がいた。
「・・・で、どうしてここに?」
せかせかと人が動く部室の隅で、少し頭を抑えながら陸は二人に尋ねた。
それに対し、薫は、ははは・・・と少し申し訳なさそうに笑い、由里奈はふふん、と違う意味で笑う。
「そ、それは・・・」
「決まっているじゃない。
霧里さんが、あなたが普段どういう部活動を行っているのかに興味を持ち、私がそれに応えたというわけよ」
「由里ちゃんにしては珍しく親切ね。何か裏があるんじゃないの?」
「西華姉様には関係のない事よ。・・・って、どうしたの?平良君、霧里さん」
「いや、その」
「姉様って、すごく珍しい呼び方じゃないかなって思って」
言いにくい事をズバッと言う、薫のこういうところはこういう状況の際にはありがたいものだ。
(・・・普段、もう少し抑えてくれるといいんだけどなぁ)
しみじみと陸は思った。
その横で、西華がほくそ笑みながら口を開いた。
「ふっふっふー。それはねー。
この子、小さい頃ね、漫画に影響されて高飛車お嬢様口調を真似てばかりいてねー。
その頃私とよく遊んでいたからその名残なのよ」
「ね、姉様!」
慌てふためく由里奈だったが、既に時遅しだった。
「三つ子の魂百までとはよく言ったものよねー。
今でも基本は高圧的高飛車口調なんですもの。ほほほのほー」
「ううー!ううー!」
お嬢様口調もどきでおちょくられ、由里奈は言葉らしい言葉も出ないようだった。
必死に突っかかるものの、頭を片手で抑えられ、いかんともしようがなかった。
不憫な・・・
薫と陸のそんな眼差しは、見事にリンクしていた。
「・・・ごほん。それはともかく。
これからいろいろやるからさ。見学するなら邪魔にならないようにして欲しいんだけど」
「あ、うん。わかった」
「・・・やっぱり見学していくんだ?」
「陸君変だよー。今自分で見学するならって言ったのに。
嫌なら嫌だって言わないと」
薫のその言葉に陸は、ぐっ、と言葉に詰まった。
「あ、駄目よー薫ちゃん。そんな事言ったら」
「え?どうしてです?」
初対面の人間に『ちゃん』呼ばわりされた事にさして気にした様子もなく、逆に薫は聞き返した。
「平良君がこの状況で女の子相手にそんなこと言える訳ないじゃないの」
「・・・確かにそうね。平良君、気弱そうだし」
「うーん、そう言えば、少し押しに弱いかも・・・」
「・・・」
「そもそも男の子にしては物静か過ぎるんじゃない?」
「そのくせ、一人称は『俺』って言うのもなんだか違和感があるわね」
「そうねー。『僕』の方が似合ってるかも・・・って、陸君?どうしたの天井なんか見上げて」」
「・・・放っておいていいよ」
陸にはそう呟いて、その嵐が過ぎ去るのを待つしか出来なかった。
「『僕は誰がなんと言おうとあそこにいたんだ。あの日、あの場所に』」
「『嘘よ。そんな事、ありえない。ありえないのよ!』」
「はい、ストップ。そこの言葉の流し方は変ね。そっちも同じ。発音の仕方に問題あり」
さっきまでのふざけ調子は何処へやら、一度練習が始まれば、西華は部長らしく指示や指摘に動き回っていた。
そこに厳しい調子はなく、穏やかなものだった。
かといって威厳がないかというとそうでもなく、穏やかな中にも鋭さがあった。
その様子を薫と由里奈は陸に言われたとおり教室の端の方から眺めていた。
「え?今のいいと思ったんだけど」
「・・・西華姉様の拘り様は恐ろしいものがあるのよ。
全てにおいてそうなんだけど、演劇は特にね。
将来演劇とか映画関連の職につきたいと常日頃言っているもの」
「へえ・・・」
「それはそうと、平良君は何処に行ったのかしら」
「あ」
演技を見るのに集中していて本末転倒になっていた事に苦笑しながら、二人は陸の姿を探した。
ところが、彼の姿は教室・・・もとい、演劇部部室の中にはいなかった。
と思ったその時、扉が開いて陸が中に入ってきた。
その手に抱えきれるかきれないか、ぐらいの小道具の入った箱を持って。
走ってきたのか、その息は乱れている。
でも、その表情には不平や不満は見られなくて、むしろ楽しそうにさえ見えた。
「倉庫の小道具出してきましたよ」
その声に気付いた西華はちらりと陸の方を見て苦笑した。
「待ってあげるから急がなくてもいいって言ったのに」
「あ。つい」
「なにはともあれご苦労様。そろそろ平良君の番だから。準備してて」
「分かりました」
小道具をその場に置いた陸は、丸めてズボンに入れていた台本をざっと読んで確認しつつ、乱れた息を整えた。
「・・・次、平良君入って」
「はいっ」
西華の言葉に答えた陸は、既に準備を終えていた他の部員の中に入っていった。
集中しているのか、薫たちの事は忘れ去っているようだった。
「じゃ、平良君の台詞から。・・・はい」
「『それじゃ!!!!また明日!!!!』」
「・・・・はあ・・・」
「・・・陸君」
陸の演技に由里奈は溜息をつき、薫は恥ずかしげに顔を赤くした。
陸は力を込め過ぎていた。
陸が主役というなら分かるのだが、陸も、陸の台詞も端役その一のものに過ぎないので、やる気の空回り以前の問題だった。
「ストップ。力み過ぎ。力を抜きなさい」
なおも続けようとする陸を即座に止めて、西華は言った。
「え?でも・・・」
「平良君。いつも言っているでしょう?
役を全力で演じるのと、全力で役を演じるのは違うって。
ある意味、不真面目さも時には必要なのよ」
「・・・わかりました」
「じゃ、はい」
「『それじゃ!』」
「ストップ。さっきよりはいいけどまだ無駄な力が多い」
「・・・はい」
その様子に、部室の所々から笑いが洩れる。
陸は顔を赤くして、調整しようとするが、中々上手くいかない。
それがまた笑いを呼んだ。
彼らの笑いは別に陸を心の底から嘲笑するものではない。
それを含んでいないというわけではないが、ある種、親しい者同士特有の笑いだった。
だが。
「・・・っ」
その場にはじめてきた薫には、冷静にそれを考慮する事が出来なかった。
いや、冷静ではいられなくなっていった。
次の瞬間、薫自身も分からない感情が、言葉となって生まれ出た。
「・・・何が」
「霧里さん?」
「何が、そんなに面白いんですか!?」
その言葉に、教室が一瞬静かになる。
「薫さん・・・」
「薫ちゃん。黙っていてくれる?」
陸が言葉を洩らすその横に立って、静かな口調で・・・だがはっきりと西華が告げた。
薫はそれに対してキッと視線を叩きつける。
「どうしてですか?陸君は真面目にやっているじゃないですか。
それを笑うのは、間違っています」
「確かに人道的に見れば間違いね。
でも、今この時だとそれは間違いじゃない。
笑われるような演技をする方が間違っているのよ」
「・・・そんな理屈・・・・!」
「なら、平良君本人はどう思っているか聞けばいいわ。
どう?平良君はこの状況ではどちらの意見が正しいと思う?」
「・・・っ」
二人の視線に射抜かれて、陸は息を飲んだ。
だが、ここで何も言わないのは、自分の意見を覆い隠すのは、ただの卑怯者だ。
しっかりと薫を見据えて、陸は言った。
「・・・薫さん、ごめん。
ここは、部長の言う事が正しいよ。ここは演劇部で、俺は演劇の練習をしてるんだから。
・・・笑われる、俺に責任があるんだ」
「・・・・・・・・・・・っ」
その言葉を受けて、薫は顔を俯かせた。
・・・そのままで、彼女は呟いた。
「・・・ごめん陸君。余計なお世話だったね。・・・・・邪魔してごめんなさい」
薫はぺこりと頭を下げると、文字通りあっという間もなく部室を後にした。
「薫さんっ!」
陸は駆け出しかけて止まると、振り向いて告げた。
「・・・部長、俺行きますよ。この状況なら、それが正解だと思いますから」
「言わなくても分かってるわ。台詞は後で練習しておきなさいな」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げると、陸は今度こそ部室を出て行った。
「青春ね」
「姉様、一学年上なだけでしょう・・・」
由里奈が呆れ気味に呟くと、西華はクスッと笑った。
「精神的な年齢は肉体的な年齢と比較できないものよ。
・・・さて、と」
ふう、と息を洩らしてから西華はパンパンと手を打った。
「じゃあ、再開するわよ。
じゃあ、まず・・・さっき、平良君を笑った人で役を振り分けられてる人は出てきなさい」
そう言った西華の表情を見た演劇部員達は、ぎっくぅ、と言わんばかりに後ずさった。
「人の演技を笑った人間の演技がどの程度のものか、見てあげるから」
その西華は、実に楽しそうに満面の笑みを浮かべていた・・・・・
「薫さん・・・何処に行ったんだ・・・・」
あれから、陸はいろんな場所を探し回った。
だが、薫の姿は何処にも見当たらなかった。
下駄箱を見ると靴があったからまだ帰っていないのは確かなのだが・・・
「くそ・・・」
薫には嘘をつきたくなかったとは言え、薫の気持ちを踏みつけてしまった事実は変わらない。
このままにしておけるはずはなかった。
「・・・っし!」
陸はパンパン!と顔面に張り手を入れることで再び気合を入れなおして、走り出した。
強い風が吹く屋上。
そこに薫はいた。
風のせいで髪がばさばさと乱れるが、薫にすれば、それに構うような気分ではなかった。
「・・・わけわからない・・・・」
薫はなんとなく、呟いた。
あの時、感情のままに声を張り上げた自分。
それは、薫自身にも分からない、何かの気持ちからの行動。
今にして思えば、それは。
「・・・っ・・・・」
いつのまにかの気持ちに、胸が、詰まった。
でも、それは。
その気持ちは間違いだったのだろうか。
そう思った瞬間。
バンッと大きな音を立ててドアが開いた。
振り返ると、そこには。
「・・・・・・・よかった・・・ここにいたんだ・・・・・」
平良陸が立っていた。
焦りからか、勢いが余りすぎてやたら派手にドアを開けてしまったが、この際それは置いておこう。
陸は薫の姿を見つけたことが嬉しく、安堵の息を洩らした。
だが、その表情は薫にしてみれば苛立たしさを生み出すものでしかなかった。
それが自分を見つけた安心感から来ているものだとは推測できても、納得できる余裕がなかった。
「・・・こんな所に来てていいの?」
責めるつもりはなく、ただ思ったままを言おうとしてもつい刺が出てしまう。
それが歯痒くて、苛立たしくて、それがまた苛々を生む。
そんな自分が自分ではないようで、薫は自分自身を持て余していた。
陸もまた、そんな薫を見るのは初めてで、戸惑いを隠せなかった。
言うべき言葉を手放してしまいそうになる。
「私は、いいから。早く練習に戻って」
それでも精一杯に苛々を隠しながら呟いて、薫は顔を逸らした。
・・・それを見て、陸の心が確かな方向に向かった。
こんな彼女を見たくないし、放っておくことなんかできない。
それが、今は一番大切なことだ、と。
だから。
(戸惑ってなんかいられるかよ・・・っ)
決意の代わりに唇を噛んでから、陸は口を開いた。
「・・・戻らない」
「え?」
「戻らないって言ったんだ。言いたいことがあって、ここに来たんだから。
それを言うまでは、戻らない」
すうっ、と息を吸って、陸は叫ぶように言って頭を下げた。
「・・・・・ごめんっ!!」
「り、陸君?」
戸惑う薫に、陸は頭を上げて、伝えた。
彼女の顔を、眼を、確かに見据えて。
「俺、馬鹿だから上手く言えないけど・・・薫さんの気持ち、踏みつけて、本当にごめんっ・・・
嬉しかったけど、俺は演劇部員だから・・・それに、嘘つきたくなくて・・・・薫さんだから・・・」
支離滅裂な言葉の並び。
それでも、薫は陸の気持ちを受け取る事が出来た。
あの時の、演技をしていた時の陸と同じ眼をしていたから。
だから信じる事が出来た。
とても真っ直ぐな、その気持ちを。
「陸君・・・」
少しずつ、心に染み渡っていく。
広がっていくそれは、薫のわだかまりを解きほぐしていった。
あの時の気持ちは、間違っていなかった・・・そう思う事ができた。
「ああ、くそ、何言ってるんだろ、俺・・・とにかく、俺は・・・・・」
「・・・もう、いいよ」
「いいわけ、な、んか」
そう言い掛けた陸の言葉がかすれて消えていく。
そして、その意識は自分の胸に頭をこつん、と押し付けた薫の方に向けられた。
「あ、か、薫さん?」
「もう、いいから。・・・私も少しむきになっちゃって、ごめんね」
「・・・・いや、俺の方が・・・」
陸がなおも言おうとすると、薫は顔を上げて笑いかけた。
「ストップ。・・・もう両成敗ってことで、これ以上何か言うの禁止。いいでしょ?」
「・・・・・うん」
そこには影はなく、いつもの薫の表情だった。
だから陸は、これでOKだと、確信できた。
「・・・んじゃ、その、少し暗くなってきたし帰ろうか」
「え、でも・・・」
「大丈夫大丈夫。家に帰ってからも練習するし、明日も頑張るからさ」
「・・・・・うん。・・・なら、明日も・・・」
「うん、見に来てよ。明日は少しぐらい、いい所見せるから」
陸はそう言うと、にかっと笑って力瘤を作って見せた。
「そう言うからには、期待させてもらうからね」
薫はその言葉に満面の笑みを浮かべると、陸の腕を取って歩き出した。
そんな二人の足取りは、風に支えられているかのように軽やかだった。
・・・続く。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
おまけ劇場
ある日の放課後。
陸と薫は近くのゲーセンに足を運んでいた。
突然の雨に降られたためにやむなくだったのだが・・・
「はあっ!!」
目の前の標的に向かって、陸は全力で拳を繰り出した。
『134キロ・・・ベスト3!』
パンチングマシンにそんな表記と声が出るのを見届けて、陸は薫に振り返った。
「どう?これって、いい記録なの?って・・・・・」
陸が振り返ると、薫はその場所にはいなかった。
とほほーと声を洩らしながら、辺りを見回す。
すると、何かのゲームの前にいる薫の姿があった。
「・・・薫さん?」
「しっ!黙ってて!」
「は、はい」
殺気すら纏う薫の言葉に陸は押し黙らざるを得なかった。
陸は頭を掻きながら、そのゲームを眺めた。
そのゲームは、アームが伸びて景品を取るという、今時ありふれたクレーンものだった。
「・・・ここ!」
まるで鬼の首を取ったかのように、ボタンを叩き押す薫。
その意志を体現するべくアームが伸びていくのだが・・・
「あ」
「あああっ!?何故?!」
アームは無情にも景品をかすめて・・・それを掴み取ることなく離れていった。
「うううううう・・・・・・」
「ま、まあ、元気出して。次があるさ」
「次?次ですって?」
まるで悪鬼羅刹のように薫の目が輝いた。
後ずさろうとした陸の首根っこを掴むとゆっさゆっさと揺さぶりをかけた。
「この機を逃がすわけにはいかないのよ・・・この景品、今はもう生産してないんだから・・・!」
その形相の前に何も言えない陸は、揺さぶられながらもゲーム内部を見た。
景品は何かのキャラクターものらしい。
陸には良く分からないが、薫が取ろうとしていた景品がただ一つしか残っていないのは確かだった。
「分かった、分かったから落ち着いて」
「・・・は。あ、その、ごめん」
そこに至って、薫は自分のやっていた事に気付いたらしく、顔を真っ赤にした。
おたおたする彼女の様子は実に可愛らしかった。
・・・そう心から思うにはさっきまでの形相を忘れる必要があるのだが。
陸は複雑な心境を振り払って言った。
「よし、俺も協力するよ」
「え?でも・・・」
「遠慮はいらないよ。それに何をするにしても、一人より二人、だろ?」
「・・・ありがと。
それじゃ、まず両替しないと。どれだけお金がかかっても取ってみせるわ!」
「その意気その意気」
そうして、二人の挑戦は始まろうとしていた・・・のだが。
「・・・・・」
「・・・・・」
両替が終わって帰ってきてみれば。
その景品は消えてなくなっていた。
「まさか、こんな所にあるとはなー。ラッキー!!」
その声の方を見ると、リュックを背負った、世間一般のオタク象を具現化したような男がその景品を持ってゲーセンを出て行くところだった。
「・・・」
「・・・」
永い沈黙。
その果てに、薫が動いた。
「か、薫さん?」
「・・・」
薫は無言でパンチングマシンに近寄ると百円を投入し、グローブを装着した。
「あ、あの〜・・・」
「なんで、よおおっ!!」
薫の拳は標的であるサンドバック型の計測器に深くめり込んだ。
『162キロ!ベストワーン!!』
次の瞬間響き渡った、やたら朗らかなその声と、荒く息を吐く薫の姿を目の当たりにした陸は。
(・・・キレた薫さんと喧嘩するのだけは絶対に避けよう)
と、深く心に刻んだのだった。
・・・終わり。
第四話へ