第二話 いつかどこかにある場所




「陸君っ」

やたらご機嫌な様子で薫は言った。
その手にはこの時間帯にふさわしいものが握られていた。
・・・すなわち、弁当の入った手提げ袋。

それを見た瞬間、陸は薫の思惑を察して、顔が熱くなった。

「あーえーと、薫さん?まさかその、一緒に食べようと言うつもりだったり?」
「むぅー。まさかって何?・・・あ。やっぱり、その、迷惑だったかな?」
「いやいやいやいやいや!そんなことはないって!」

一転して、落ち込む表情を見せる薫を見ていられず、陸は慌てて声を出した。
すると、薫はふわっと表情を緩めた。

「そう、なんだ・・・よかったぁ・・・」

好きになった人間のそんな表情を見せられてしまっては最早何も言えない。

まあ、そんなわけで。
二人は顔を向き合わせて、昼食を取る事となった。

「それでね・・・って、話聞いてる?」
「え、あ、うん。・・・ごめん。少しぼけっとしてた」

・・・というのは、実はやや嘘。
実際の所は、周囲が気になって仕方なかったりしていた。

陸にしてみれば女の子と昼食を取るなんて初めてのことなので、周りの目がすべてこっちを向いているような気がしてならなかったのである。

・・・たいていの場合、それは自意識過剰か被害妄想だが、このクラスの場合事実だったりするのが実に質が悪い。
さらにいえば悪気はなく、大多数は、自分達が邪魔をしているなどと微塵にも思っていない。
幸いなのは、会話が聞こえるのは一部でしかないという事くらいか。

ともかく、今二人がいる場所は、いわば視線のブラックホールと化していた。

だが。
普通なら気付きそうなそれに全く気付かず、全く動じてない人間がその中心にいた。

「もー。だからね。
こないだは私が好き勝手な場所に連れて行っちゃったから、今度は陸君の好きな場所に連れて行ってくれないかなって話」
「あ、その、うん」
「連れて行ってくれるの?」
「あー、うん」

周囲の視線が気になる陸は半ば上の空だった。
ちゃんと話は聞いていたが、それが一体どういう意味合いを持っているのかを吟味していなかった。

「じゃあ、今日の放課後、行こう?」
「うん」
「決まりね。・・・はは、なんだか、楽しみ」
「あ、そうなんだ・・・・・って」

(し、しまったああああああああああっ!?)

そこでようやっと自分が交わした会話の意味が脳内に浸透したのだが、最早後の祭りだった。





「だー・・・どうしたもんかなー」

放課後。
人通りのない裏門の前で、ブツブツ言いながら陸は本を読みつつ、薫を待っていた。
本と言っても小説や漫画、雑誌でもない。

それは台本だった。

陸は演劇部員なのである。

この学校の演劇部は一風変わっていた。
ただ演劇をするだけではなく、自分達で自主制作映画を作ったりもする。
いろいろあって映画研究会と演劇部が併合されてそうなったと言うのだが、陸が入学する前の話で陸は詳しく事情を知らなかった。

今の時期は近い時期に行われる演劇の方の大会に向けての準備中である。
その中で陸は端役と裏方を兼ねていて、どちらかと言えばアシスト的な役割を担っている。

「・・・俺の好きな場所か・・・」

陸は考え事をする時にある程度読みなれた本を読み流しながら考えるという癖があった。
そうすると割と考え事がまとまる事が多いので、今ではすっかり定着している。

どうしたものかな、と考え込んでいると。

「おーいっ」

と、元気が声が辺りに響いた。
手を振るのその姿は間違いなく、薫だった。

「ごめんね、少し遅くなっちゃった」
「そんなに待ってないから、気にしない気にしない。・・・少しは考える時間も欲しかったしね」
「何か言った?」
「あ、いや、何も」
「嘘だー。なんか言ったよね、今」
「気のせいだよ気のせい」
「・・・むー。そういうことにしておく」

不満そうな薫だったが、おそらく答えてはくれないと察してか、はたまたそう言ったやり取りが馬鹿らしいと思ってか、そう呟いて引っ込んだ。

「で、何処に連れて行ってくれるのかな」

薫はニコニコ笑っていた。
それに陸は苦笑を返した。

「いや、そんなに楽しみにされても困るけど・・・面白い場所じゃないかもしれないのに・・・」
「それを言うなら、この間付き合ってもらった場所は陸君にとっては面白い場所じゃなかったでしょ。少なくとも最初は」
「あ、いや、その、それは・・・」
「・・・私、思うんだ。
私たちって全然お互いのこと知らないじゃない」
「・・・」
「でも、だからこそ、陸君は私を知ろうと行きたくもない場所に付いてきてくれたんだよね。
今度は私の番だよ」

そう言って、薫は笑った。



知るという事は利益ばかりではない。
知ってしまった事で誰かを縛る事もこの世界には腐るほどある。

でも。

それでも、相手の事を知らなければならない。
それでも、相手の事を知りたい。

そういう関係だってある。

(・・・少なくとも、俺はそう信じたい)

そう思いながら、陸は薫に感謝した。

この女の子なら、大丈夫だと思えたから。
この子は、意味もなく相手を下に見たりはしない。



「・・・分かった。じゃあ、ついてきて」

そう呟いて陸は歩き出す。
だが、その方向は・・・

「え?校内に、あるの?」
「まあ、その。付いてきて」

困ったように笑う陸。
薫はそれに首を傾げながらも彼に付き添ってただ歩いた。





「・・・・・ここ?」

薫は呟いた。
眼前に広がるのは、紅の空と、その真下に広がるグラウンド。

『そこ』は学校の屋上だった。

陸は、ふう、と息を洩らして、いった。

「いいや。ここじゃないよ」
「え?」
「正確に言うとね、そんな場所、ないんだ」

はは、と笑って、陸はフェンスに寄りかかった。

「好きな場所とか、行きたかった場所とか、君を連れて行けるような場所とか、俺には今の今までなかった。
訊かれて、考えて、改めて気付かされたんだな、これが」

おどけるように呟く陸。
その背中を眺めて、薫はどうにか言葉を生み出した。

「私にだって、そんな大袈裟な場所ないよ。こないだ陸君と行った店だって・・・」
「まあ、そうだろうけどさ。でも、あそこにいた薫さんはすごく楽しそうだったよ。
そういう場所があるだけでも、いいんじゃないかな。
あ、でも、自分が哀れだとかそういう事を言うつもりはないんだ」
「じゃあ、どうして?」
「・・・・・あーその。なんというか。決意表明をしたくて」
「決意表明?」
「うん。さっき言ったとおり、俺には特別な場所も特別な思い出も大してなかった。
それを、そろそろ終わりにしようかなって思ったんだ」

・・・かなり恥ずかしい。
だが、やっぱり言いたかった。
だから、しっかりと言葉にした。

「せっかく、この学校で君と出会って、君と付き合うようになったんだ」
「え・・・?」
「だから、今のこの景色が、この場所がそうなるように、俺は頑張るっ」

そう言って陸は空に向かってグーを突き出した。
それが終わると薫に向き直って、照れくさそうに笑った。

「・・・と、まあ。そういうわけだから。これからもよろしく」
「・・・陸君」

呟いて、一拍空けてから薫は口を開いた。

「ば・・・っかじゃない?」

言葉とは裏腹に、そう言う彼女の顔は優しかった。
だから、陸はおかしそうに笑ったままだった。

「う。やっぱり?」
「そうよ。・・・それに、それは一人で頑張ったって意味がないじゃない」
「・・・・・え?」

思いもよらない言葉に戸惑う陸の横に並んで、薫もまた空に向かって拳を突き上げた。

「私、霧里薫もそうなるように頑張る事をここに誓いますっ・・・そういう事だから。
こちらこそよろしくお願いします」

薫はそう言うとにっこり微笑んだ。
それを見て陸は。

「・・・・・」
「あれ陸君?どうしたの?いきなり上を向いて」
「なんでもないなんでもない。いや空がきれいだなー」

(言えない。いきなり感極まったなんて言えやしない・・・)

そうやって陸は目の中に微かにたまったものが収まるまで上を向いて誤魔化した。
その視線の向こうには、いつ飛んでいったのかさえも分からない飛行機雲が残っていた。


・・・続く。










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おまけな話

「ごめんね―陸君。いきなり呼び出しちゃって」
「いや、別にいいよ」

放課後。
陸は薫に頼み事があると呼び出された。

・・・その場所が体育館裏なのは、お約束と言うべきか、チョイスミスと言うべきか。

「で、頼みたい事って?」
「実は・・・」

ポッと顔を赤らめるその様子に、陸は思わず緊張した。

(ま、まさか、そんな恥ずかしい頼み事なのかっ?!)

ある意味期待しまくりながら、陸は薫の言葉を待った・・・・



「はい、7140円になりますー」

男性店員のにこやかな声が逆に頭痛を引き起こしそうだったが、それをこらえながら陸は薫から預かったお金(ピッタリ)を出した。

「はい、こちら特典のポスターになります」
「はあ」
「どうもありがとうございましたー!」

筒状のポスターと袋に入った商品を受け取って、陸はレジから離れた。

「あ、お疲れ様」
「・・・特典も確かにもらったよ」

その陸の声は何処かげっそりしていた。

薫の頼み事。
それは、すごく面白いとされるゲームを代わりに買ってきて欲しいというものだった。

・・・その事自体は別に問題はなかった。
問題はそのゲームのジャンルだった。

「ごめんねー。女の私が”ギャルゲー”を買うのはなんとなく照れくさくて、つい。
ポスターがついてなければ普通に買ってたけど・・・結構大きいって聞いてたから」

(男の俺でも恥ずかしいわあああああっ!!)

と内心では思っていたが。
頬を赤らめた薫の頼みを陸は断りきれなかったのである。

「初めてだったから今回は怖気ついたけど、次はちゃんと買うから」
「・・・そうしてください」
「うんっ。ううーどんな感じなのかなー楽しみ〜」

そんな楽しそうな薫を見ていると、まあ、このぐらいならいいかなと陸は思った。

「あ、ちょっと待って」

もう用もないだろうと歩き出そうとした陸を薫が止めた。

「なに?」
「毎月買ってる雑誌の新しいのが出てるから買って来るね」

そこには雑誌の類が山積みされていて、薫はその中の一冊を取ってレジに駆けていった。
それを見て、陸は理不尽さを抑え切れなかった。

「・・・・・・・・・何故?」

その表紙にはギリギリな衣装の美少女キャラがでかでかと描かれていた。
さっきのギャルゲー(コンシューマ)はそういう恥ずかしいパッケージではなかった。

「・・・・・分からん」

この場合、分からないのはオタクマインドなのか、乙女心なのか。
その後ずっと、その事が陸の脳裏を回り続けたという。




・・・終わり。



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