第一話 こんな自分でいいですか?
「平良君っ」
放課後。
喧騒の教室の中。
自分を呼ぶ声に、陸は顔を上げた。
そこにいた彼女を見て、彼は顔が熱くなるのを感じた。
それを感じながら、その名を呼んだ。
「霧里さん」
「のんのん。薫でいいって言ったじゃない。もっと気安くしようよ。その、一応カレカノなん・・・」
「だあああああっ!!」
少し躊躇いがちの薫の言葉を遮るべく、陸は全力で叫んだ。
そりゃもう、逆に目立つくらいに。
視線が集まる事集まる事。
照れ隠しから事実を隠蔽するつもりが、逆効果になってしまった事に陸は頭を抱えた。
視線の中の一人・・・陸の隣の席に座る、幾田道雄(いくたみちお)は呆れ気味に呟いた。
「・・・平良。お前が霧里と付き合いはじめたのは皆知ってるから」
「なに?・・・そんな馬鹿な。一体何故?」
「この間から騒ぎすぎなんだよ、お前らは」
「・・・そう?」
「うーん、多分」
冷静な幾田の言葉を聞いた陸は首を傾げつつ薫に問うた。
薫はここ数日の事を思い返しながら頷く。
言われてみればそれは当然だった。
少し前まで何の接点も無く特に話している様子もない男女二人が、ある時を境に親しくなれば、普通はそう思う。
「だから、気にせず話せ」
「う、でもな」
「心配するな。我がクラスには人の恋路を邪魔する奴はいない。むしろ祝福する」
『そうだー』だの、『長くもたせろー』だの、『頑張ってー』だの、そんな声が聞こえてくる。
それに対し、薫は笑顔で言った。
「それは俗に言う冷やかしと違うの?」
『・・・・・』
その悪意のない一言で教室全体の時が止まった。
が、中にはめげない奴もいる。
「何を言うかと思えば・・・冷やかしと祝福は表裏一体よ」
陸の後ろの席の女子が、眼鏡をくいっと上げて言った。
彼女、月穂由里奈(つきほゆりな)はこのクラスの学級委員を務めている。
「それは初耳だな」
幾田のその発言に、肩まで伸びた黒髪を撫で付けながら、彼女は答えた。
「例としては、結婚式で未婚の人間が贈る祝福にそれが含まれていることが上げられるわね」
「・・・根拠あるのかそれ?」と、幾田。
「というか、失礼な気が」と、陸。
「でも、そういう人が絶無なわけじゃないでしょう?絶無じゃないならそれは現実なのよ。OK?」
「うーん、さすが月穂さん。その屁理屈を見込まれて学級委員になっただけのことはあるね」
薫の悪意のない発言で、またしても教室内の時が止まった。
今度は例外なく全員が。
その中で、陸は心の内だけで頭を抱えた。
それから時が少し流れて。
夕方時、人が溢れる時間帯の街を、二人は並んで歩いていた。
「霧里さん、あれはまずいんじゃないの?」
「何が?私何か変なこと言ったかな」
自分の発言の危険さに全く気付いていない薫。
(・・・確かに、前々からはっきりものを言う子だなと思っていたけど・・・)
まさか、ここまでとは。しかも全く自覚が無い。
・・・注意するべきかすべきではないのか。
(いや、言うんだ陸!今までなら看過してもいいかもしれない。でも今俺は!)
「霧里さんっ・・・」
「あーまた霧里さん言ったー!」
「え?」
・・・そんな陸の決意は薫の怒りに一撃で粉砕された。
「あ、いや、そのね、霧里さん・・・」
「あーまた言った!もー!薫って呼ばないと怒るよ、平良君!」
そういう自分は苗字で呼んでるじゃん、という突っ込みすら陸には思い浮かばない。
怒るという単語が陸の脳裏に叩き付けられてしまい、それで一杯になったからだ。
・・・その反面、怒る薫が可愛いと思う複雑な状態でもあったが。
「平良君?!」
「え、その、うん、分かったよ。薫さん」
「うー、さん付けが納得行かないけど、まあ、いいことにするよ。
・・・う、その、強く言っちゃってごめんね」
「へ?あ、いや別に気にしてないから!」
素直にしかも、微かに赤く染まった顔で謝られたのがとどめとなり。
陸は見事なまでに全てをうやむやにされた。
それから暫し歩いて、二人はそこに辿り着いた。
「ここ?」
「うん、ここ」
陸の問いに彼女は笑顔で答えた。
陸はその建物を、そしてその看板を呆然と見上げて、なんとなく気恥ずかしさのようなものを感じていた。
『アニメの事ならお任せ!”めでぃあに”』
多くの人のお察しどおり。
ここはアニメ、漫画、ゲームその他、”その手”のものの専門店である”めでぃあに”という名の店だ。
・・・陸には別にオタクについての偏見はない。
漫画も読むしゲームも見るし、アニメだって見ることはある。
ただ、それが歳相応のものだということで、決してディープではない。
”そういう”ものを見ることに僅かな抵抗や、気恥ずかしさを感じる、そんな時期の少年だ。
そんな彼が何故ここにいるのか。
もちろん、それは。
「ごめんねー、付き合ってもらっちゃって」
「別にいいから」
そう言う陸は笑顔だが、少し顔が引きつっていた。
二人はグッズが並ぶ中を、人の間を抜けながら歩いていく。
その中には陸が知っている漫画のキャラもあるが、殆どは知らない”未知”のものだ。
その”未知”と、そこらから湧き上がってくる猛者たちの熱気にあてられ、陸は少し後ずさり気味だった。
陸と薫が付き合い始めて、早数日。
彼らは下校を一緒にしたりして、お互いの事を話したりしていた。
それは主に、二人ともが読む少年誌についてや日常についてだった。
とりあえず今のところは大きな破綻も無く、二人は良好な関係を保っていた。
しかし、それは今のところに過ぎない。
陸はそう思っていた。
だからこそ陸は、漫画やグッズを買いに行くという薫についていく事にしたのである。
少しでも彼女の事を、彼女が好きな事を理解するために。
「・・・平良君、なんか顔怖いよ?」
「へ?そう?」
その気持ちが前面に出すぎたためか、陸の顔はかなり強張っていた。
というか、力み過ぎ。
「無理してない?」
心配そうに、薫は言った。
それが本当に陸を気遣う表情だったからこそ、陸は余計に緊張した。
「い、いや、そんなことはないから」
22世紀型人型ロボット初期型という感じのガッチガチな動きに説得力は皆無だったが、薫は少しだけ首を傾げて言った。
「そう?ならいいけど。・・・あ、ねえねえ、これどう思う?」
「え?・・・へえー、これは」
薫が棚から取ったそれは陸も知っている、少し古い漫画の主人公の可動フィギュアだった。
細部が、小さな頃読んだその漫画そのままに良く出来ていて、フィギュアの事をよく知らない陸も思わず感嘆の声を上げた。
「今はこんなのがあるのかー。昔はゴム人形くらいしかなかったのに」
「ね?ね?すごいでしょうー?」
まるで自分の事の様に誇らしく語る彼女の目はキラキラと輝いていた。
・・・今まで自分が見たこともない彼女の顔。
そう意識すると、どうにも陸は落ち着かなかった。
「お、いいもの見てるな」
そこに、渋い髭面の男がにゅっと顔を出した。
いきなり現れた男に、陸はジリ、と身を引いたが、薫は親しげに手を上げて言った。
「や、店長。元気してました?」
「うむ。そちらも元気で結構」
陸は店長と呼ばれた男をまじまじと見た。
その長身の男は、周りの店員が制服なのに対し、エプロンのようなものと、その胸に”店長”とやたらでかでかと書かれたプレートをつけているだけだった。
それがこの男が店長である事を堂々と物語っているようだ、と陸はなんとなく思った。
そんな陸の視線に気付いたのか、”店長”は陸を見て、ニヤリともにこりともつかない、曖昧な・・・それでいて友好的な笑みを浮かべた。
「あ、ども」
陸は反射的に頭を下げた。
言ってから、名前を名乗るべきなのかどうか思案したが、その必要はなかった。
「彼は平良陸君。私のクラスメートで、その」
そこで少し紹介に躊躇いを見せる薫を店長は笑った。
「ああ皆まで言うな皆まで言うな。ふ・・・若いっていいなあ」
「店長まだ二十代じゃありませんでしたっけ?」
「気にするな。それはそうと、頼んだブツ入荷したぞ」
「え?!うそ?!まじ?!!!あのレアモノを!!さすが店長!!偉いっ!!!!」
薫の凄まじい態度の豹変に、陸はかなり引いた。引きまくった。
その様子を店長は満足げに眺めていた。
「うむうむ。そうだろうそうだろう。おーい田中君。彼女を倉庫まで案内してやってくれ」
「はーい。こっちですよー」
「〜〜〜〜〜〜〜♪っ」
「え?あ・・・」
店員の一人に連れられて薫が何処か(倉庫と言っていたが)に行ってしまい、陸は一人取り残された。
いや、厳密に言うと一人ではない。
「取り残されてしまったね」
「・・・・・っ」
何の嫌味も無くそう言われて、陸の口から小さな、ごくごく小さな息が洩れた。
それは、図星を指された痛みであり、置いていかれた微かな痛みだった。
それを見て、店長は穏かに笑った。
「平良君だったかな。こんな事を言うのは失礼かもしれないが、君たちが”付き合い”をはじめてから、まだ数日と経っていないのだろう?そして、君はいわゆる”オタク”ではない。」
「ええ・・・それは、そうです」
「だから、彼女を理解しようとここに来た。
その心意気は認めよう。だが君は肝心な事に気付いていないのではないかな?」
「肝心な、事?」
「と言っても、一人ではそう簡単に気付くまい。今日は出血大サービスで教えてあげよう」
そう言って、彼はひそひそと陸の耳元で何かを囁いた・・・・・
「お待たせっ!」
自動ドアが開くと同時に、カートを押しながら現れた薫は陸の姿を見つけて元気よく言った。
だが、次の言葉は僅かにそのトーンが落ちた。
「・・・ごめんね、一人で勝手にどっかに行っちゃって」
申し訳なく思った薫はカートから手を離し、深く頭を下げた。
薫は好きなものを見付けた時の自分の暴走を家族からよく指摘されていた(それをはっきりと理解はしていないのだが)。
一人ならまだいい。
今日は連れてきた人がいたことを忘れていた。
忘れてはいけなかったのに。
その人は、こんな自分を好きだと言ってくれたのに。
・・・嫌われてしまっただろうか?
そんな事を思いながら恐る恐る顔を上げた。
そこに立つ陸は・・・笑っていた。
それはとてもとても優しい笑顔で、薫はその表情を見て、呆けた。
「気にしなくていいよ薫さん。ところで、それは何?」
カートの上に乗っかったダンボール箱を指差して、陸は言った。
「え?あ、うん、アニメのグッズ。もう販売されてないから入手できないんだけど、店長がつてで取り寄せてくれたのよ。んで、手で持っていくのは大変だろうけど、車は出してやれないからってカートを貸してもらったの。
家、近くだしね。」
「そっか。よかったね」
そう言うと、陸はカートに近付いて手押しの部分を握った。
「え?あの、平良君?」
「俺が押していく。押していきたい・・・そんな気分なんだよ。任せて欲しい」
真っ直ぐにそう言われて、薫は、うん、と首を縦に振った。
日が沈みかけた薄暗い道を二人で歩く。
行きとは違って静かな中、薫が口を開いた。
「・・・駄目だねー、私」
「・・・」
「漫画の話ぐらいしか出来ないわ、それで人に嫌な思いさせるわ。駄目駄目だなぁ・・・はは」
「そんなことないない」
自嘲気味の薫の言葉を弾き飛ばすような、陸の明るい声が響いた。
言いながら陸は、店長が言っていた事を思い出していた。
『実は薫ちゃんは僕の姪っ子なんだが・・・あのコ、あのフィギュアの漫画、どちらかと言えば苦手な部類なんだよ』
『え?』
『少年漫画全般読むけど、一部を除いてはそこまでは入れあげない。
・・・さっきのあのコの反応の差見てればわかるだろ?』
『え?でもあんなに嬉しそうに』
『まあ、あのコは自分の好みはともかくとして、モノの良し悪しを見る目は優れているからね。あの出来に感心していたのは嘘ではないよ。でも、それ以上に嬉しい事が他にもあったんじゃないかな?』
『・・・』
そこまで言われて、気付かないほど陸は馬鹿ではなかった。
・・・幸運な事に。
薫は彼女なりに陸に合わせようと努力していた。
・・・陸が彼女にそうしようと思っていたように。
そして、その事を楽しんでいた。
・・・陸が心の奥底でそう思っていたように。
そして、陸にとってしてみれば、それさえ分かればもう十分だった。
はっきりと自信を持って、告げることが出来る。
「君のおかげで、俺は今日楽しかったよ。正直戸惑った部分もあったけどね。
でも、こういう場合は経過より結果でオーケーじゃないか?
いや俺的にはむしろオーケー。だから君も・・・薫さんもそう思ってくれると俺は嬉しい」
カートをガラガラ音を立てながら押しながらの陸の言葉はやたら強引だった。
そして、それゆえに・・・すごく、説得力があった。
少なくとも、薫にそう思わせるほどに。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うんっ」
それから程なくして。
「じゃ、ここまででいいから」
ここ数日は陸の家の前で別れていたために、ここは陸にとっては始めて見る場所だった。
その曲がり角に立ち止まって,彼女は辺りに気を配っていた。
「え?ここまで来たら最後まで・・・」
「私としては別にいいんだけどね。・・・どうも親父が帰ってきてるみたいだから」
向こうの方を眺めて、薫は言った。
何から判断しているのか陸には窺えなかったが、彼女の父親は帰宅していて、それは二人にとってあまりいいことではないらしい。
「・・・・・オッケー。んじゃ、俺は帰るよ」
「うん、それじゃ平良君・・・って、ああーっ!!!」
いきなり、薫が大声を上げた。
反射的に身を震わせてから、陸は尋ねた。
「・・・どしたの、薫さん」
「ごめん!私、平良君に名前で呼ぶように言っておいて自分は苗字で呼んでたっ!」
それを今更気付いた事に、陸は、ははは、と力ない笑いを洩らした。
「なんて呼べばいいかな?りくっち?りくりく?りかおん?」
「・・・普通に呼んでくれると助かる」
「うん分かった!それじゃ・・・」
陸の右腕を両手で持ち上げ、包み込んでから彼女は告げた。
「また明日ね・・・・・陸君!」
「・・・うん。また、明日」
そうして、薫は遠ざかり消えていった。
・・・後には包まれた手を眺める陸が残った。
今度は取り残されていない。
そう、思った。
(今日は付き合ってあげたから、明日は俺の好きな事について話すかな)
そう心の中で呟いて、陸はぐっと背伸びをして歩き出した。
まだ見ぬ明日を楽しみにする事に、新鮮さを覚えながら。
・・・続く。
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