爆発炎上する戦車をバックにその男は壮絶な笑みを浮かべながら、呆然としている兵士に歩み寄っていく。
何故彼が呆然としているのか。それはこの男の為に、たった一人、何も武器も持たないこの男の為に繰り出された戦車の全てが破壊されたからだ。そんなあまりにも非常識な、信じられない光景を目の当たりにして呆然とならない方がおかしい。その光景は彼の精神の許容範囲を遙かに超えてしまっていたのだ。
男は呆然としている兵士のすぐ側までやってくると、相変わらず壮絶な笑みを浮かべたままその兵士の顔を覗き込んだ。それからぺろりと下で唇を舐める。
「へへっ、いい顔しているじゃねぇか。その恐怖、その絶望、俺が頂いてやるよ」
そう言うが早いか、男の腕が兵士の喉をかき切っていた。ブシュッとまるで噴水のように血が、かき切られた兵士の首から噴き出していく。
その返り血を浴びながら男が高らかな笑い声を上げる。そんな彼の周囲に広がる血の海。そしてそこに横たわるのは彼の手によってその命を奪われた兵士達。その数は一人は二人ではない。少なくても数十人単位で男の周囲に倒れていた。
「はははははははははっ!!」
狂ったように笑い声を上げ続ける血まみれの男。
離れたところから男の様子をうかがっていた基地防衛隊の指揮官が持っていた双眼鏡を降ろし、ため息をついた。
戦車隊は全滅、そして展開していた兵士達も皆殺し。相手は何の武器も持たないたった一人の男。上層部に一体どう説明すればいいのだろうか。いや、それ以前にあの男が何を目的としているのか。もしあの男の目的がこの基地の壊滅ならば自分たちだって生き残れる保証はない。それ以前にこのままあの男を見逃していいわけがなかった。
「非戦闘員は全てこの基地から退去させろ。残った者はそれぞれ考えうる最大の装備を持ってあの男を殲滅する」
「わ、わかりました」
部下は指揮官の浮かべている悲壮なまでの決意に満ちた表情を見て、そう答えるのがやっとだった。素手で何台もの戦車を破壊したような奴に挑むのだ。もはや死ぬことは覚悟の上なのだと言うことがわかる、わかってしまう。
「ただし……志願者だけでいい。無駄死にするようなものだからな。その連中には他の基地への連絡と非戦闘員の安全を確保するように伝えてやってくれ」
「了解しました」
さっと敬礼して部下がその場から離れていく。
指揮官が無言で走っていく部下を見送っていると上空からヘリのローターの回る音が聞こえてきた。木の怪物の迎撃に向かっていた部隊が戻ってきたのだ。だが、彼らが相手にしようとしているのは戦車の砲弾すら素手で弾き返すような奴だ。戦闘ヘリが数台帰ってきたところで結果はそう変わらないだろう。
血まみれになっている男も基地の方へと飛んでくる戦闘ヘリの一団を見上げていた。
「ようやくきやがったか……」
そう呟き、心底楽しそうな笑みを口元に浮かべる。だが、その目だけは違っていた。戦闘ヘリの一団の中に混じって飛んでいる輸送ヘリをじっと見つめているその目には深く、そして暗い憎しみの炎が燃えさかっている。
一方、男に睨み付けられている輸送ヘリの中では貴明が敏感にその視線を感じ取っていた。しかし、辛そうに彼はシートの背にもたれかかって荒い息をしている。
「……いる……」
ぼそりと呟く貴明。
そんな彼を前に座っていた柚原が心配そうに振り返った。
「大丈夫か、貴明君?」
「……気をつけてください……あいつがこっちを見ている……」
荒い息をしながらそう言う貴明に柚原はすぐさま地上の方を見下ろした。
地上に広がっているのは何台もの破壊された戦車の残骸とその周辺に倒れている兵士達、そして戦車の残骸から上がる炎によって照らし出されている血の海。その中央に一人の男が立ち、こちらの方をじっと見上げているのが見えた。
「あれは……」
「間違いありません。岸田ですわ」
柚原と同じように地上を見下ろしていた女性が少し声を震わせながら言う。
「柚原一佐、降ろしてください。戦闘ヘリで攻撃しても奴にダメージは与えられないでしょう。奴に対して有効な攻撃手段となるのは彼かこれだけです」
そう言って女性は白衣の下に持っていた拳銃を取り出した。この拳銃に込められている弾丸には特殊な薬品が入っている。まだ試作段階ではあるが、これはあのモグラ怪獣に対してもある程度の効果を発揮したのだ。相手がまだ人間サイズなら充分な効力を発揮する可能性もある。
柚原としても貴明がまだ回復してきっていない以上、出来るならば彼を戦わせたくはない。ならばこの薬品入りの弾丸に望みをかけるしかなかった。
「わかった」
短くそう答えると柚原はヘリのパイロットに降下するよう伝える。
無言で頷いたヘリのパイロットがヘリを降下させた。そして地上に降りるなり、女性がヘリから外へと飛び出していく。
一人先に飛び出してきた白衣の女性を見て、男が表情を変えた。訝しげな顔をして女性を少しの間見ていたが、すぐに思い出したのかニヤリと笑ってみせる。
「ほう……これはこれは、久し振りだな、折原女史」
「岸田! あなたをここで抹殺します!」
そう言って女性が持っていた拳銃を構える。勿論その銃口は彼女の前に立っている男に向けられていた。
「一度は俺を助けて今度は殺す……フフッ、面白いな」
そう言って男は両手を広げた。まるで撃つなら撃てと言わんばかりの態度だ。逆に言えば、その程度の拳銃で撃たれたところで自分を殺せるわけがないと言う自信の現れだろうか。
「やれるものならやってみるがいい。それが出来るならばな」
自信たっぷりに男が言う。その口調から女性が引き金を引けるはずがないと何処か確信しているみたいであった。
そして、事実女性は銃口を男に向けながらもその引き金を引くことが出来ないでいた。小刻みに震える腕、それを止めようともう片方の腕も拳銃に添えるがそれでも腕の震えは止まらない。それどころかその震えはいつしか自分の全身に行き渡ってしまっていた。更に彼女に額に浮かぶ脂汗。
「ふっふっふ……出来ないだろう、折原女史。あんたは俺に対して恐怖を抱いている。あの施設で俺があんたの目の前で見せた惨劇、あれがあんたの身体を、心を縛っている……」
ニヤニヤ笑いながら血まみれの男が続ける。
「あの時どうして俺があんただけを殺さなかったのか……あんたにはより一層の恐怖と絶望を味あわせたかったからさ。俺を助けておきながら、まるで実験動物のようにしか俺を扱わなかったあそこの連中、その中でもあんたの恐怖と絶望は最高に旨かったぜ」
「くっ……!」
白衣の女性がその場にガックリと膝をついた。もうこれ以上はあの男と対峙していることが出来ないと言う風に。そしてそんな彼女の顔にははっきりと恐怖の感情が浮かび上がっていた。
「さぁ、もう一度俺にあんたの恐怖を味あわせてくれ」
そう言いながら膝をついた女性の側へと歩み寄る男。
だが、それを遮るかのように一人の少年が女性の前に飛び出してきた。その少年は大きく肩を上下させながら荒い息を吐き、今にも倒れてしまいそうな程足を小刻みに震わせていたがそれでも倒れないように必死に踏ん張っている。その顔色は相当悪く、今こうして立っていられるのが不思議な程だ。
「何だ、お前は?」
男がいきなり出てきた少年を見てそう尋ねる。だが、すぐにその表情が何やら楽しそうなものへと変わった。
「邪魔をするならお前から殺してやるぞ?」
「二度も殺されてやる義理はない」
少年――貴明はそう言って血に塗れた男の顔を睨み付ける。以前の、山の中で会った時はもっと爬虫類のような顔をしていたが今はごく普通の人間の顔。だが、その目だけはあの時と変わらなかった。蛇かワニを思わせるような目。彼にとって忘れたくても決して忘れられない目だ。
「今度は俺が……」
そこまで貴明が口にした時、いきなり血まみれの男が消えたかと思うと、その次の瞬間、貴明の目の前に男は移動していた。距離はそれなりにあったはずだ。だが、その距離をこの男はものともせず、一瞬にして詰めてきたのだ。それは恐ろしい程のスピードがなせる業であった。
男はぎょっとしている貴明の顔をじっと覗き込むと、その口の端を歪めてニタリと嫌な笑みを浮かべた。
「フフフ……思い出したぞ。お前、あの時のガキだな。生きていると言うことはお前があいつと一体化した訳か。でなけりゃ生きていられる訳がないものなぁ!」
それだけ言うと男は狂ったような笑い声を上げながら後ろへと飛び退いた。
「ぎゃはははははははははっ!! こいつは傑作だ! お前のようなガキがなぁ! あいつもお前を助ける為とは言え随分な選択をしたものだ!」
心底おかしげに腹を抱えて笑い続ける男。
その姿にフラフラのはずの貴明は思わずムッとしてしまう。
「な、何がおかしい!?」
「ひゃははははは! お前もそこにいる女と同じだって事だ! お前は一度俺に殺されている! その時の恐怖はまだお前に残っているはずだ! お前はどう逆立ちしたってこの俺には勝てないんだよ!!」
「そ、そんなこと!」
「やってみなくちゃわからないってか? ならやってみるがいい!」
男はそう言うと同時に地面を蹴った。
それを見た貴明がとっさに逃げようとするが、彼の身体は思ったように反応してくれなかった。木の怪物との戦いで受けた重大なダメージもある。だが、それ以上に彼の身体は恐怖の為に萎縮していたのだ。それが彼の身体の反応を鈍らせる。
男は一瞬にして貴明の目の前へと移動すると、彼の首をガシッと片手で掴み、そのまま持ち上げてしまう。そして勝ち誇ったような目で彼を見上げた。
「どうした? 俺を倒すんじゃなかったのか? ええ?」
「ぐっ……」
苦しげに男を見下ろす貴明。手は首に食い込む男の手を何とかして引き剥がそうとしているが、男の握力があまりにも凄すぎる為にどうしても引き剥がせない。ならばと足で男の身体を蹴りつけるが、男の体の表面は既に硬い鱗のようなもので覆われており、全く効果はなかった。
と、不意に男が貴明の首を掴んでいる手を放した。
その場に膝をつき激しく咳き込む貴明。一体何故だとばかりに手を放した男の顔を見上げようとするが、その瞬間、鋭い蹴りが彼の顔を捕らえた。大きく吹っ飛ばされ、地面に倒れ込んでしまう。
「ふははははっ! 簡単に殺しちゃ面白くないからな。精々自分の力の無さに絶望しろ。恐怖しろ。そして死んでいけ!」
笑いながらそう言う男の姿が青い光を放ちながら徐々に変貌し始めた。爬虫類を思わせる鱗に覆われた肌。そのあちこちから突き出している棘。ひょろりと長い腕。その肘のところには一際長い棘が生えている。腰からは尻尾が伸び、その先端部分にも鋭い棘が数本。まさしく恐竜のような人間、恐竜人間だ。
何とか顔を上げることの出来た貴明だったが、恐竜人間の姿を見ると思わず悲鳴を上げてしまう。心の奥底にある恐怖、かつて自分を嬲り殺した恐竜人間に対する恐怖がいきなり甦ってきたのだ。
「うあああああああっ!!」
その場で頭を抱えて身体を丸めてしまう貴明。恐怖のあまり彼が取れた行動はこれがやっとであった。
そんな彼を見て恐竜人間が嬉しそうに笑う。
「フフフ……いい恐怖だ……その恐怖、もっと俺に味あわせろ!」
心底楽しげにそう言うと恐竜人間は貴明に向かって飛びかかっていった。地面の上でただ恐怖のあまりに怯えて踞っているだけの彼にはどうしようもない。そんな彼に対して恐竜人間は容赦なく掴みかかり、無理矢理彼を立ち上がらせる。
怯えた目で恐竜人間を見る貴明。
そんな貴明をニヤニヤと笑いながら見返す恐竜人間。
「フフフ……俺が怖いか? また殺されると思ってお前は恐怖している。それでは奴の力を使うことも出来んだろう?」
「う、うあああ……」
爬虫類を思わせる恐竜人間の目に見据えられ、貴明はまともな言葉を発する言葉が出来なくなっていた。その口から漏れるのは恐怖のあまり出てくる呻きのような声。
そんな貴明の様子を恐竜人間は楽しそうに、嬉しそうに目を細めて見つめている。
――怯えるな! 奴は恐怖を喰らう!
不意にそんな声が貴明の頭の中で響いたが、完全に恐慌を来している今の彼には届かなかった。
「うあああっ! 放せ!! 放せよ!!」
いきなり暴れ出す貴明。もうじっとしていられない。このままじっとしていたら確実に殺されてしまう。無駄な抵抗かも知れないがそれでもこのまま殺されるのは嫌だ。だから貴明は必死になって暴れているのだ。
しかし、恐竜人間の腕の力は貴明以上で彼が暴れても少しも揺るがなかった。それどころか急に暴れ出した貴明を今まで以上に嬉しそうに、楽しそうに見つめている。
「フハハハハ! どれだけ藻掻いても足掻いても無駄だ! お前の運命は決まっている! お前は俺の糧になる! それがお前の運命だ!」
笑いながら恐竜人間はそう言い、自らが立ち上がらせた貴明の腹を思い切り殴りつけた。
「ぐはっ!!」
身体を九の字に曲げながら吹っ飛ばされる貴明。地面に叩きつけられた彼は少しの間呼吸が出来ずにいたが、すぐに激しく咳き込み始めた。同時にその口から血が吐き出される。今の一撃で何処か内臓を傷つけたか。
「ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ」
血を吐きながらの咳を続ける貴明を見ながら恐竜人間は更に高らかに笑う。苦しみのたうち回っている貴明の姿を見て心底面白がっているようだ。
「ひゃはははははははははっ!」
腹を抱えて笑う恐竜人間。
「何だその様は。それで俺を倒すなどとよくほざいたな、ガキ!」
そんなことを言いながら恐竜人間は未だに咳き込んでいる貴明の側へと歩み寄り、その背を思い切り踏みつけた。
「いいことを教えてやる。お前が死ねばこの星で俺を止められる奴はいなくなる。後は俺の好きに出来るって訳だ。この星は俺が喰らい尽くしてやる。後に残るのは何もない。全てを喰らい尽くす」
貴明の顔を覗き込むように身体をかがめて恐竜人間が言う。その口調はこれからのことを想像して楽しくて楽しくてたまらないと言った感じだ。
「お前は何も出来ない。何たってここで死ぬからな。お前は何も出来ずに、その無力さを噛み締めて、ここで絶望し、恐怖しながら死ね」
そう言って貴明の顔に向かって唾を吐く恐竜人間。そして彼にとどめを刺そうと踏みつけていた足を持ち上げる。この足を思い切り振り下ろせば貴明の身体を潰すことは簡単に出来る。もう少しぐらい抵抗してくれるかと思っていたが、もはやこいつからの恐怖は充分に頂いた。下手をしてこいつの中にいる奴がこいつの意思とは無関係に動き出せば厄介だ。だからここで殺す。一刻も早く。
だが、恐竜人間はその足を踏み降ろすことは出来なかった。その背中に何発もの銃弾を受け、思わずよろめいてしまったからだ。ダメージはほとんどなかったが、その衝撃までは消すことが出来なかったのだ。
「た、タカ坊から離れなさい!!」
聞こえてきたのは女性の声。
恐竜人間が声の聞こえてきた方をゆっくりと振り返ると、そこにはどこから調達したのかアサルトライフルを構えた環が立っていた。そのアサルトライフルの銃口から煙が立ち上っている事から先ほど恐竜人間の背に弾丸を浴びせかけたのが彼女だと言うことがわかる。
「同じ事は何度も言わせないで! タカ坊から離れなさい、この化け物!!」
強い口調でそう言う環だが、その足はがくがくと震えており顔も少し青ざめている。今までに銃を撃ったことなど一度もないのだろう。それが初めて銃を持ち、そして撃った相手が訳のわからない怪物と来れば、彼女が震えていたとしても不思議はないだろう。それでも彼女は持っているアサルトライフルを、その照準を恐竜人間へと向ける。恐竜人間の足下に倒れている貴明を守る為に、気丈にも彼女は持っているライフルを構える。
「た、タマ姉……やめ……」
環の声が聞こえたのか、貴明は彼女の方を見てそっちに向かって手を伸ばす。
あのようなアサルトライフルでは恐竜人間に傷を付けることは不可能だ。自分を助けようとしている環の気持ちはありがたいが、はっきり言ってしまえば完全な逆効果。恐竜人間の怒りを買うだけの行為だ。
恐竜人間の方に環を殺すという行為に躊躇いはないだろう。何の躊躇いもなく、たった一撃で環の命を奪うことなど恐竜人間にとって容易いこと。それに対して環は初めての銃に初めての射撃、それに相手は化け物と言えども生物。その命を奪うことに躊躇いがあってもおかしくない。それ以前に恐竜人間の動きなら環が引き金を引くよりも早く彼女の命を奪うことだって可能だろう。何にせよ環にとって不利な条件ばかりだ。果たしてそれを本人が理解しているかどうか。
「早くどきなさ……」
再び環が口を開くが、そんな彼女の目の前に恐竜人間が移動してきた。まさに目にも止まらない程の速さでの動き。環の目では勿論その動きに追いつけるわけがなかった。
「なっ!?」
驚きの声が環の口から漏れるが、その間に恐竜人間は彼女の手にあったアサルトライフルを弾き飛ばしていた。そしてじっと彼女の顔を覗き込む。
「ほぉ……なかなかいい女じゃないか。殺すのにはちょっともったいないが」
そこまで言ってから、まるで蛇のような舌を出してその唇をぺろりと舐める。
「だが俺の邪魔をした罪は重い……」
恐竜人間の手が環の首を掴み、彼女の身体を軽々と持ち上げた。
「まずお前から殺してやる。精々恐怖し、絶望しろ」
「ぐあ……」
物凄い力で首を締め上げられ、環が絶息する。息が出来ないだけではない。あまりにも物凄い力の為に血流すら止まってしまっている。
「が……」
見る見るうちに環の顔が青ざめ、継いで紫になっていく。もはや彼女の命も風前の灯火。
その時だった。弱々しいながらも環の首を掴んでいる恐竜人間の手に横合いから別の手がかけられた。
「ん?」
恐竜人間がその手の持ち主の顔を見ようと横を向いたその瞬間、その顔面に硬く握り込まれた拳が叩き込まれる。だが、あまりにもその力は弱く恐竜人間の顔の皮膚によってあっさりと弾き返されてしまう。
「何のつもりだ、ガキ?」
自分の顔面に拳を押し当てられながらも、恐竜人間はその拳の持ち主である貴明を睨み付けた。
「タマ姉から……手を離せ」
弱々しい声でそう言いながら貴明は恐竜人間を睨み返す。声は弱々しい。恐竜人間の腕を掴む手の力もほとんどないに等しい。だが、それでもその目の輝きは違っていた。先ほどまでの恐怖に怯えていた目ではない。
「あん?」
恐竜人間が馬鹿にしたような視線を貴明に返す。
何を言っているのだ、このガキは。自分に命令など出来る立場ではないと言うことがまだわかっていないと言うのか。大人しく待っていろ、お前もすぐにこの女の後を追わせてやる。お前はそこで自分の無力さを噛み締めながらこの女が死ぬところを黙って見ていればいいのだ。そんな感情を込めて貴明を見る恐竜人間。
だが、その視線を受けてなお貴明は怯まず恐竜人間を鋭い視線を見返している。
「タマ姉から手を放せと言った!」
強くそう言いながら貴明は恐竜人間の腕を掴んでいる手に力を込めた。するとその声に呼応するかのように彼の胸に赤い光が灯り、同時に彼の手が恐竜人間の腕に食い込んだ。
「ぐおおっ!?」
まるで握りつぶさんばかりの貴明の異常な握力に恐竜人間が苦悶の声を漏らし、環の首を掴んでいる手を放してしまう。
どさりとその場に崩れ落ちる環。その場で激しく咳き込む。
「オオオオオッ!!」
それを見た貴明が雄叫びをあげながら再び恐竜人間に殴りかかった。その拳を顔面に受け、今度は思い切り吹っ飛ばされる恐竜人間。
地面に叩きつけられる恐竜人間を見ながら、貴明もその場に膝をついてしまう。
「ハァハァハァ……ガフッ!」
荒い息をし、そしてまた口から血を吐き出してしまう貴明。
「タカ坊!!」
血を吐き出した貴明を見た環が慌てて彼に駆け寄った。
「タカ坊、大丈夫なの?」
「だ、大丈夫……タマ姉こそ怪我は?」
口の端に付いた血を手で拭いながら貴明は環の方を見て弱々しいながらも笑みを浮かべる。
「私のことよりもタカ坊の方こそ……大丈夫なわけないでしょ、そんなに血を吐いて!」
環はそう言うと貴明の肩を掴んだ。
「一体何があったの? ちゃんと話して?」
「な、何でも……ないよ……」
弱々しい声でそう言いながら貴明は顔を背けた。全てを話すわけにはいかない。全てを話したところでどうなるものでもないし、彼女を巻き込みたくはなかった。しかし、真正面から目を見ていてはついつい話してしまいそうになる。だからこそ目を、顔を背けたのだ。
「何でもないって事ないでしょ! ちゃんとこっちを見て話しなさい!」
「……」
環のきつい目の口調。普段ならこれであっさり陥落してしまう貴明だが、今回は違う。どうしても、今回ばかりは話せない。話してはならない。話せば彼女を巻き込んでしまう。それだけはどうしても避けたかった。
「タカ坊!」
「……ゴメン」
やはり目は合わせられなかった。それだけ言うのが精一杯だった。環がこっちを本気で心配しているのがわかる。だからこそ、余計に。
「ふははははは!! 感動の再会は終わったのか!?」
いきなりそう言って恐竜人間が立ち上がった。その顔には先ほど貴明が殴りつけた跡がまだ残っている。だが、そのダメージはもう残っていなさそうだった。
「少しお前を甘く見ていたようだがもうお終いだ。今度こそお前を殺してやる!」
言うが早いか恐竜人間は貴明に向かって走り出していた。
それを見た貴明が環をかばうように立ち上がろうとする。が、足に力が入らない。それでも無理矢理に立とうとするがすぐにふらついてしまう。
「タカ坊!!」
ふらつく貴明を見た環が悲鳴にも似た声をあげた。
「死ね! そこにいる女諸共な!!」
恐竜人間が笑いながらそう言うのを聞いた貴明がはっとしたように顔を上げる。その胸に再び赤い光が灯った。
「タマ姉に指一本触れさせるものか!!」
叫ぶようにそう言い、貴明は真正面から突っ込んでくる恐竜人間の身体を受け止めた。それだけではない。その顔面に肘を叩き込んでいる。
「ぐはっ!」
カウンター気味に入った貴明の肘をまともに顔面に受け、よろめく恐竜人間。だが、すぐに踏みとどまり貴明の顔を思い切り睨み付ける。
「ガキが……生意気な! この俺にそこまで刃向かうか!!」
吠えるようにそう言う恐竜人間だが、その動きが急に止まった。背中に一発の弾丸を受けたからだ。ゆっくりと、伺うように後ろを振り返る。そこには拳銃を構えた柚原がいた。すぐ側には白衣の女性が居る。そして柚原が持っている拳銃は彼女が持っていたものだった。
「お終いだ、岸田とやら。確かに彼女は貴様が与えた恐怖によって縛られているかもしれん。だが私は違う」
鋭い視線で恐竜人間を見据えながら柚原はまた引き金を引いた。その指先には全く躊躇いがない。
「彼女によるとこの銃には貴様の身体の細胞を分子レベルで崩壊させる薬品が込められているそうだ。何発でその効果が十分発揮されるかわからんが」
引き金を何度も引きながら柚原が続ける。
「貴様に殺された全ての人の仇をとらせて貰う」
全ての弾丸を撃ち尽くした柚原が銃を降ろした。彼が撃った弾丸は全て恐竜人間に命中している。どちらかと言うと恐竜人間がかわさなかった、と言う感じだ。
「フフフ……そんなものでこの俺を殺せるとでも……」
不敵に笑う恐竜人間だが、不意にその表情が凍り付いた。継いで苦しそうな表情を浮かべてよろめく。
「な、何だ、これは……」
ピクピクと小刻みに震える手を見て思わず驚きの声をあげてしまう。一体何故この様なことが自分の身に起きているのかが全く理解出来ない。人間に作った兵器でこの身体が傷つくなどと言うことは有り得ないからだ。
「貴様っ! この俺に何をした!!」
柚原に向かって吠える恐竜人間。その姿には今までの余裕はない。何処か必死な感じすら受ける。
そんな恐竜人間の様子を貴明は意外そうに見つめていた。ここまで取り乱すような相手だとは思えなかったからだ。
「貴様が初めに入れられていた施設、そこに残っていたデータから開発された貴様に対する武器だ」
冷静に柚原が答える。恐竜人間の感情の伺えない目で睨まれようと、一切怯むことはない。流石は防衛軍の一佐だと言うところか。
「この星に貴様に対抗出来る者はいないと先ほど言っていたがそれは違う。人間の英知を甘く見るな」
「お、おのれ……」
歯をギリギリときつく噛み締めながら恐竜人間が柚原を睨む。視線だけで人が殺せるのならば柚原は何度も死んでいるだろう。それほど強烈に恐竜人間は彼を睨み付けている。
一方、睨み付けられている側の柚原はあくまで冷静に、恐竜人間の様子を観察するように見つめていた。撃ち込んだ弾丸に込められている薬品の効果が出ているのかどうかを見極めているのだろう。もし効果がこれ以上でないのならば別の攻撃手段を考えなければならない。もっともそうなるとこの怪物を倒すのにかなりの被害が出るだろうが。
「ぐうっ……グバッ!」
未だ柚原を睨み続けていた恐竜人間がいきなりその口から黒ずんだ血を吐き出した。どうやら例の薬品が体内でその効果を発揮し始めているようだ。フラフラとよろめいたかと思うと恐竜人間はもう立っていられないとばかりにその場に崩れ落ちた。
「グオオ……」
苦悶の声を口から血の色をした泡と共に漏らしながらピクピクと身体を痙攣させる恐竜人間。
それを見た貴明がその場に膝をついた。彼の身体ももう限界だったのだ。よくここまで持ちこたえていたものだと自分でもそう思う。もしも柚原が出てこなくて、例の弾丸を恐竜人間に撃ち込んでいなければ、自分が戦わなければならなかった。今の体調では恐竜人間を相手に何処まで戦えたかわからない。だからこそ柚原の登場は彼にとってありがたかったし、例の弾丸が恐竜人間に想像以上のダメージを与えてくれたことは彼にとって僥倖であったのだ。だが、同時に気が抜けてしまったことは否めない。だからこそ、地面に膝をついてしまったのだが。
「ハァハァハァ……終わった……のか?」
全身を襲う物凄い疲労感と戦いながら呟く貴明。そんな彼の後ろから環が抱きついてきた。
「タカ坊!」
ギュッと貴明の身体を抱きしめ、環は彼の肩に頭を乗せる。
「もう……無茶ばっかりやって……」
その声が震えていることに貴明は気付いた。もしかしたら環は心配のあまり泣いているのかも知れない。そんなことすらぼんやりと考えてしまう。
「帰ろう、タカ坊。このみだって心配してる。それに早く病院行って……」
環がそう言うのを貴明は相変わらずぼんやりと地面を見つめながら聞いている。ちょっとでも油断すれば意識が途切れてしまいそうだ。本当に事が終わっているのならばもう意識を手放してしまっても問題はない。だが、そうしないのは何かよくわからないが変な違和感のようなものが心の中にあったからだ。その違和感が一体何によるものなのかがはっきりしないのが非常に気持ち悪い。
ふと、彼の足下を一匹のトカゲが駆け抜けていった。いや、既に暗くなっているのでよく見えなかったが、一匹ではなかった。二匹三匹とその数が増えていく。
「……何だ……?」
そう呟いて貴明は何気なく自分の前を駆け抜けていったトカゲが何処へ向かったのかを目で追ってみた。何故だか自分でもわからなかったのだが、とにかくそうしなければいけないような気がしたのだ。そして彼は驚愕する。
あのトカゲが向かった先、それは倒れ、口から血の泡を吹いている恐竜人間の元だったのだ。しかも貴明の前を駆け抜けていった数匹だけではない。一体どこから集まってきたのか無数のトカゲが恐竜人間の周りに集まってきている。
それはあまりにも異様な光景だった。倒れている恐竜人間の周囲を埋め尽くすかのように集まったトカゲが恐竜人間の身体に次々と覆い被さっていく。それと同時に倒れている恐竜人間の身体が青く光り始めた。
「何だ……何が起きているんだ……?」
呆然と貴明はその光景を見ていることしか出来なかった。恐竜人間の身に今何が起きているのかわからないし、それ以上に彼の身体は動こうとはしてくれない。今彼の身体は休息を欲している。数々のダメージを回復させる為の時間を欲しているのだ。その為に今の貴明は指の一本も動かせられないでいる。今出来ることはただ見ていることだけ。
貴明が見ている前でトカゲたちは恐竜人間の身体を完全に覆い尽くしてしまった。その光景に貴明と同じように倒れた恐竜人間の様子を観察していた柚原も訝しげな表情を浮かべる。果たして一体何が始まろうとしているのか、それを測りかねている。そう言う感じだ。
環も貴明の見ている先にあるものを見て気持ち悪そうに顔をしかめた。そして彼を抱きしめている腕を放し、立ち上がる。
「タカ坊、早くここから離れましょう。何か気持ち悪いわ……」
そう言って貴明の手を引いて彼を立ち上がらせようとする環だが、貴明はじっとトカゲに覆われた恐竜人間の方を見たまま動こうとはしない。
恐竜人間の身体を覆っているトカゲの数は未だ増え続けている。いや、トカゲだけではない。イモリやヤモリ、他にも蛇なども集まってきていた。この付近にいそうな爬虫類が全てこの場に集まってきている、そんな感じだ。
それを見ている貴明の胸の奥で徐々に不安感が大きくなってくる。何とかしなければならない。早く、一刻も早く何とかしなければならない。そう思うのだが、気ばかり焦り、身体は動かない。
「タマ姉、逃げて……」
そう口にするので精一杯だった。
「何言ってるのよ! タカ坊も一緒に行くの! これは絶対よ! お姉ちゃんの言うこと聞きなさい!」
環が怒ったようにそう言って貴明の手を引く。だが、それでも貴明は動かない。じっと恐竜人間のいた方を不安そうな表情で見つめているだけだ。
「何してるの、タカ坊! 早く来なさい! お姉ちゃんの言うことが聞けないの!?」
どうして貴明がそこから動こうとしないのか、環には理解出来ない。いつもならこっちの言うことを聞いてくれる彼が今回に限っては全く聞こうとしないことが彼女を苛立たせる。
「タカ坊!!」
「早く逃げて!!」
環の声と貴明の声が重なった。どちらの声にも苛立ちの色が隠せていない。環は弟分である貴明が自分の言うことを聞いてくれないと言う苛立ち、貴明は環がこの辺りを包み込んでいる異常な空気を全く理解せず、この場から去ろうとしないことに対する苛立ち。互いに相手を思う故に、だからこそその思いがすれ違う。
そしてその間も貴明は一切環の顔を見ようとはしない。見ている先は恐竜人間が倒れている場所。今や様々な爬虫類が山となっているその場所を見つめ続けている。それが更に環を苛立たせていることに彼は気がつかない。
「タカ坊!!」
そう言って環は貴明の前に回り込み、その手を振り上げた。それと同時に爬虫類の山が青い光に包まれる。
――いかん!
不意に聞こえてくるその声に、貴明は自分の中で増大し続けていた不安が的中したことを知る。
「危ない、タマ姉!!」
そう言って自分の前に立つ環を横に押し倒す。継いでその背に焼け付くような痛みを覚え、顔をしかめる。
「ぐうっ!」
必死に歯を噛み締めてその痛みを堪える貴明。
一方、押し倒された方の環は一体何が起こったのか理解していないようで呆然と自分を押し倒した貴明の顔を見上げていた。
「ご、ゴメン、タマ姉……怪我、しなかった?」
苦しそうに、だがそれを悟られないように必死に笑みを浮かべて貴明が尋ねる。
「わ、私はだいじょう……」
そこまで言った時、環はぽたぽたと落ちてくる液体に気がついた。手でその液体を拭い、目に見える位置まで持ってくると、それが真っ赤な血であることに気付く。そしてそれが貴明の背中から流れ落ちていると言うことにも。
「た、タカ坊!?」
驚きのあまり起き上がろうとする環だが、その上に貴明が倒れ込んできたのでそれは出来なかった。
「ふはははははははははははははははははっ! 馬鹿な奴だ! 自分を犠牲にしてその女を助けるなんてな!!」
いきなり聞こえてきた不愉快極まりない笑い声。その声のした方を見た環は思わず言葉を失ってしまう。
そこにいたのは身長十メートルはあろうかという巨大な怪物だった。全体的なイメージは先ほど柚原によって倒されたはずの恐竜人間そっくりなのだが、より奇怪に、より醜悪に、より禍々しい姿になっている。もはやあれが元は人間だったと言われても誰も信じられないだろう。いや、それ以前にあれは柚原によって倒されたあの恐竜人間なのだろうか。あの恐竜人間は死んだはずではなかったのか。何故より巨大により凶悪な姿になってそこにいるのか。まるで理解出来ない。
「その傷ではもう動けないだろう! 今度こそお前を殺してやる! その次は……」
怪物はそう言ってからゆっくりと柚原達の方を振り返った。彼らもこの怪物の姿を見て言葉を無くしている。いや、彼らは環とは違いその怪物が変貌していく瞬間を目の当たりにしているだけにその驚愕具合も彼女以上だった。そんな彼らを怪物は見下ろし、ニヤリと笑う。
「お前らだ。誰一人としてここからは逃がさん……皆殺しにしてやる!!」
「くっ!」
今度は柚原の方が悔しそうに歯を噛み締める番だった。今の彼らに残された怪物に対する二つの手段のうちの一つである例の薬品の込められた弾丸。一度は効果があったように見えたものの、あの怪物はより強大に、より凶悪になって復活してしまった。どうやら例の薬品の効果が返って怪物の進化を促進させてしまったらしい。
更に状況の悪いことに、残るもう一つの対抗手段である貴明は先ほどあの怪物が起き上がる際に振り回した腕から環をかばって負傷してしまっている。柚原のいる位置からははっきりと確認することは出来ないが、かなりの重傷のようだ。それはあの怪物の手の先、まるで刃物のように鋭く伸びた爪にべっとりと付いている血の量からもわかる。
「ぎゃははははははははははっ! 残念だったなぁ、おい! どうやらお前ら人間の英知よりもこの俺の生存本能の方が上だったようだ! 感謝するぜぇっ!!」
苦渋に満ちた柚原の顔を見てひとしきり笑った後、怪物はゆっくりと環の上に倒れている貴明の方へと振り返った。そしてその手をゆっくりとした動作で振り上げていく。その爪で彼を貫こうと言うのか、それとも叩き潰そうと言うのか。そのどちらにしろ、今の貴明にはどうすることも出来ないだろう。気でも失っているのか、ぐったりと環の胸の上に倒れたまま微動だにしない。
ゆっくりと振り上げられる怪物の手を見た環はすかさず貴明の頭をギュッとその腕で抱きしめ、ぐるりと横に転がった。貴明の身体を自分の身体の下にしたのだ。まるで自分の身体を盾にするかのように。そうしたところで結果は変わらないかもしれない。だが、それでも、さっき自分をかばってくれた貴明を今度は自分が守ってやりたかったのだ。
「タカ坊、守ってあげるからね。お姉ちゃんが、絶対に……」
そう呟き、環は来るであろう衝撃に備えてギュッと固く目を閉じた。だが、その次の瞬間聞こえてきたのは何かの爆発音だった。続いて何かが倒れる地響きのような音。閉じていた目をゆっくりと開けると、例の怪物が横倒しになっている。逆の方を見ると重装備の兵隊達がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
「大丈夫か、お嬢ちゃん?」
兵士の一人が環のすぐ側に膝をつき、彼女の顔を覗き込んでそう尋ねてきた。他の兵士達は倒れた怪物の方を油断なく見張っている。
「わ、私よりも……」
そう言って環は自分がかばっていた貴明の方を見た。顔面蒼白、息もかなり荒い。未だに背中に出来た大きな傷からは出血が続いている。このまま放っておけば確実に出血多量で死んでしまうだろう。
「お願い! タカ坊を助けて!!」
ぐったりとした貴明の身体を抱き上げ、目に涙を浮かべて兵士に懇願する環。
ほんの少しの間困ったような顔をした兵士だが、すぐに環に向かって大きく頷いてみせた。どうやらこの兵士は貴明のことを知っているらしい。だから一瞬躊躇ってしまったのだが、それでもやはり彼も男だ。環のような美少女に涙ながらに懇願されたらその願いを聞いてやりたくもなるのだろう。
「後退するぞ! 奴はまだ死んでいない! 油断するな!!」
別の声が聞こえてきたので環の前に膝をついていた兵士がチラリとそちらの方を振り返った。それから環が抱きかかえている貴明の身体を彼女に代わって抱え上げる。
「行こう」
そう言って兵士が立ち上がり走り出したので環もそれに倣った。その周囲を固めるように他の兵士達が手にした銃をまだ倒れたままの怪物に向けたまま後退している。
「環君、こっちだ!」
聞き覚えのある声に顔を向けてみると、柚原がこちらに向かって手を振っているのが見えた。
「おじさま!」
そう言って駆け寄ってきた環の肩を掴み、柚原は安堵したように表情を和らげる。
「どうやら怪我はないようだな。無事で何よりだ」
「でも、タカ坊が……」
「わかっている。彼はすぐに治療施設に……」
泣きそうな顔をしている環を安心させるようにそこまで言いかけ、柚原は不意に言葉を切った。彼の視線の先で例の怪物がゆっくりとその身を起こそうとしていたからだ。
「やはりあの程度でやられるわけがなかったな」
「一佐、ここは我々が何とか足止めします。一佐は奴のデータを他の基地に……」
いつの間にか彼のすぐ側にやってきていた基地防衛隊の指揮官がそう柚原に言うが、彼は首を左右に振った。
「いや、君たちの装備では奴を足止めするのも無理だろう。ただの無駄死にになるだけだ。撤退するなら君たちも一緒に、だ」
「しかし、奴が黙って我々を見逃してくれるとは思えません。我々の犠牲で奴に対する有効な手段を考案する時間を稼げるのなら」
「ダメだ。そのようなことは認められん」
「ですが!」
「既にかなりの数の犠牲者が出ている! これ以上の犠牲者は出したくないのだ。君にだって家族はいるのだろう。その家族を悲しませるわけにはいかん!」
柚原の強い口調に指揮官は押し黙った。確かに彼の言う通り、この指揮官にも家族がいる。だが、この場を一体どうやって切り抜けるというのだ。その為の犠牲になるのなら、柚原達を逃がし、その後に彼らがあの怪物を倒す為の何らかの手だてを生み出し、そして倒してくれるのならば自分たちの犠牲は決して無駄にはならない。彼の家族だってそう思ってくれるだろう。
「……申し訳ありません、柚原一佐。その命令を聞くことは出来ません。これより我々は奴に対し一斉に攻撃を仕掛けます。その間に一佐は彼女たちを連れて避難してください」
指揮官はそう言うと柚原に向かって敬礼し、それから自分に付き合ってくれている重装備の兵士達を振り返った。彼らの誰もが指揮官と同じ気持ちでいるに違いない。それは彼らの目を見ればわかった。
「皆、覚悟はいいな!」
指揮官が部下を見回してそう言うと、兵士達が一斉に頷く。
「待て! そう言うことは」
柚原が止めようとするが、それよりも先に指揮官達は怪物に向かってそれぞれ持っている武器を構えて走り出していた。
「やめろ! そんなことをしても!!」
「そんなもので止められると思うな!!」
柚原の制止の声と怪物の嘲笑うような声が重なる。
笑いながら怪物がその身体をぐるりと一回転させた。それにあわせて怪物の棘だらけの長い尻尾が唸りを上げて振り回され、怪物に突っ込んでいこうとしていた兵士達を吹っ飛ばしていく。
怪物の身体の巨大化にあわせて尻尾もその分より長く太く強靱に変化していた。尻尾に生えていた棘もより鋭さを増し、その数も増えており、それらが恐るべき凶器となって兵士達を襲ったのだ。吹っ飛ばされた兵士達は一人として無事な者はいなかった。ある者は足が有り得ない方向に曲がり、ある者は身体を九の字に曲げたまま呻き声を上げるのみ、またある者は鋭い棘に身体を貫かれたのか身体中のあちこちから血を流している。誰もが立ち上がれない程の傷を負っている。
「後はお前らだけだ」
怪物がそう言って柚原達の方を見た。口からだらだらと涎を垂らしているのは、これから繰り広げることの出来る惨劇を思い描き、その歓喜の為か。彼らを見下ろしているその目が異常な程輝いている。
「……環君、折原君と貴明君を連れてこの場から逃げるんだ。折原君は未だパニック状態、貴明君も満足には動けないだろう。君だけが頼りだ。頼む」
じっとこちらを見下ろしている怪物を睨み返しながら柚原が環に向かって言う。この基地で戦える者はおそらくもういないだろう。一緒に戻ってきたヘリのパイロット達には別に基地へと移動するように命令してある。この怪物が現れたという報告を聞いた時点で柚原はこの基地を放棄することを決めていたのだ。その責を負わされるであろう事は覚悟の上で、だ。
「まだ何処かに動く車両もあるはずだ。それに乗って出来る限りここから離れなさい。それと……春夏とこのみにもよろしく言っておいてくれ」
「おじさま、まさか……」
柚原が何をしようとしているかを悟った環が顔色を変える。
「だ、ダメです! それは……そんなことは絶対に! 逃げるんなら一緒に!!」
「奴をここにとどめておく必要がある。そしてそれが出来るのは私だけだ。君なら……賢い君ならわかってくれるはずだろう?」
「ですが……こんな事このみに言えません! 言えるわけがありません!!」
そう言って柚原に縋り付く環だが、柚原はチラリと彼女の顔を見ただけだった。
「あの子もわかってくれる。勿論春夏もな。二人とも私がこう言う仕事をしている以上、こう言う日が来る可能性を」
再び怪物の方を見上げて柚原が言う。その言葉には彼の決意と覚悟が滲み出ていた。そして、それを覆すことなど出来ないであろうと言うことも。
柚原は悲しげな笑みを浮かべてから環の肩をポンと叩いた。
「君に辛い役を押しつけて済まない。だが、君しか頼れない。頼んだよ、環君」
それだけ言うと柚原は怪物の方を向いた。顔には今までにない険しい表情を浮かべて、じっと怪物を睨み付ける。上着の内側からホルスターに収まっている拳銃を取り出し、その銃口を怪物に向ける。
「そんなもので俺に傷を付けられるとでも思ったか?」
「やってみなければわからんぞ?」
柚原がそう言って引き金を引いた。
銃口から飛び出した弾丸が怪物に向かって一直線に飛ぶが、怪物はその弾丸をあっさりと叩き落としてしまう。
「言っただろう。そんなものでは」
余裕綽々と言った態度で柚原を見下ろしている怪物。
「この俺に傷一つつけることは出来ないとな」
柚原が今怪物に向けて構えている拳銃はあくまで護身用の小型拳銃だ。その威力は決して大きくない。今対峙している怪物には通用しないことは自分でもわかっている。おそらくあの皮膚、鱗のようなもので覆われている皮膚に弾き返されてしまうだろう。だが、その目をこちらに引きつけるには役に立つ。
「例えそうだとしてもここから退くわけにはいかないのでな」
そう言って再び引き金を引く柚原。
彼の想像通り、放たれた弾丸は怪物の体表であっさりと弾き返されてしまう。
「生憎だがこちらにはお前に付き合う理由はない。あいつに確実なとどめを刺しておく必要があるのでな」
怪物がすぅっとその腕を振り上げた。
その手が振り下ろされれば柚原の身体などあっと言う間にミンチとなるだろう。そのことを理解しながらも柚原は一歩も動かない。彼がやろうとしているのは時間稼ぎ。環が貴明ともう一人の女性を連れてこの場から逃げ出すだけの時間を稼ぐ事、それが彼の目的。
(済まない、春夏。このみのことを頼んだ)
目を閉じ口元に笑みを浮かべて、柚原はその時が来るのを待つ。だが、彼の望んだ時は訪れなかった。そのことをおかしいと思い、ゆっくりと目を開けてみて、そこで彼は驚愕する。彼の目の前に血まみれの背中があったからだ。
「た、貴明君っ!?」
怪物の攻撃を受け、意識不明の重傷のはずの貴明が柚原を守るように前に立ち、怪物が振り下ろしたであろう手を両手でしっかりと受け止めていた。
「これ以上お前の好きにはさせない!」
怪物を見上げ、その顔を睨み付けながら貴明が言う。その胸には赤い光が灯っていた。その赤い光が彼に人間を越えた力を与えているのだろう、怪物の大きな手を貴明の細身の身体がしっかりと受け止めている。
「小癪なガキだ! 大人しく寝ていればいいものを!!」
自分の手を受け止めている貴明を見た怪物が不快そうにそう言い、下ろした手を引き上げ、その代わりに身体を半回転させた。勢いよく尻尾が貴明に向かって飛んでくる。
その尻尾を貴明は両腕でガシッと受け止める。流石に勢いは殺しきれず、数メートル程地面の上を滑っていくがそれでもその腕を放すことはない。
「オオオッ!」
雄叫びをあげながら、今度はこちらの番だと言うかのように貴明は尻尾を掴む腕に力を込めた。そして、そのままその尻尾を引っ張り、尻尾ごと怪物の巨体を振り回す。
「ウオオオッ!」
二、三回回転してからその尻尾を放す貴明。
怪物の巨体が遠心力を受けて吹っ飛ばされていく。そして、そのまま怪物は放置されていたモグラ怪獣の死体にぶつかって停止した。
その様子を柚原は呆然とした面持ちで見ていることしか出来ないでいた。意識不明の重体だった貴明が怪物の攻撃を二度も受け止め、更に投げ飛ばしてしまうなど到底考えられないことだったからだ。
「……まさか……あれは」
考えられることは一つ。貴明の中にいる彼ではない何かが貴明の身体を使ってあのようなことをやったと言うこと。だが、と言うことは貴明の意識がなくてもその何かは動けると言うことなのか。それはもしかしたら非常に危険なことなのではないかという不安が急に湧き上がってくる。
「おじさま! 今のうちに!」
不意に後ろからそんな声がかけられたので振り返ってみると、そこには環がいた。彼女は柚原の手を取ると彼を向こうに連れて行こうとする。
「い、いや、ちょっと待ってくれ。一体どう言うことなんだ?」
「私にだって何が何だか。でもタカ坊がおじさまを助けるって言って飛び出したのだけは確かです」
「止めなかったのかね!?」
「こっちが何か言うよりも先に飛び出したんですよ! それに身体も何ともないみたいな感じだったし」
「あの身体の何処が……」
そこまで言いかけて柚原は言葉を切った。確かにいつの間にか自分の前にいたことと言い、怪物が振り下ろした手を両腕でしっかりと受け止めていたことと言い、更にはあの怪物の尻尾を掴んで投げ飛ばしたことと言い、どの行為も重傷の身体で出来ることではない。仮にあれだけのことを貴明ではない、彼の中にいる何かがやったとしてもその身体は貴明のもので、その身体にはかなりの傷が刻み込まれている。本当ならば立つことすらままならないはずだ。しかし、今貴明は自分が投げ飛ばした怪物の方をじっと見つめながら立ちつくしている。背中の出血はいつの間にか止まっており、その傷も塞がりかけているのが破れた服の間から見て取れた。
(やはり貴明君の身体は……)
思わず貴明の背中から目を背けてしまう柚原。
と、その時、いきなり狂気じみた笑い声がその場に響き渡った。
「ひゃ〜はっはっはっはっはっはっは!」
笑いながらぴょんと起き上がる怪物。その目が今まで以上に爛々と輝いている。この状況を楽しんでいる。自分に立ち向かってくるボロボロの貴明を見て喜んでいる。
「なかなか楽しませてくれるじゃねぇか! だが、これならどうする!!」
怪物は貴明に向かってそう言うと、くるりと彼に背を向け、モグラ怪獣の死体に手を触れさせた。その次の瞬間、青い光が怪物の全身とモグラ怪獣の死体とを包み込んだ。
青い光がその輝きを増していく中、怪物の身体とモグラ怪獣の死体とが融合していく。
「まさか……取り込んでいると言うのか?」
怪物が何をしているのかを悟った柚原が驚きの声を漏らす。
つい先ほど、この怪物がまだ恐竜人間だった時、柚原の放った特殊弾による攻撃に恐竜人間は一度は倒れた。だが、どう言う方法でかこの辺りにいるトカゲやイモリ、ヤモリ、蛇などの爬虫類を呼び寄せ、それらと融合することによって恐竜人間はその身体を巨大化させ、体内に撃ち込まれた特殊弾の薬品の効果を打ち消してしまったのだ。その光景を見ていたからこそ、今怪物がモグラ怪獣の死体で何をしようとしているかがわかったのだ。
「ひゃははははははははははははははははは!!」
モグラ怪獣の死体と融合しながら怪物が笑い声を、狂ったような笑い声を上げる。そしてその直後、青い光が弾け飛び、その中から見るもおぞましい怪物が姿を現した。
真っ二つに両断されたモグラ怪獣の頭に挟み込まれるようにして恐竜のような頭部が覗いている。腹の部分は鱗に覆われているが、脇腹の辺りはモグラ怪獣のように毛が生えている。腕も足も一回りぐらい太くなっており、その先に生えている爪もより大きく、太く、鋭くなっている。特徴的なのはやはり背中から無数に生えている水晶体だろう。更に一際大きい水晶体が両肩から天に向かうように生えている。まるで生きているかのようにのたくっている尻尾も今まで以上に太く長く、そこかしこに水晶状の棘が生えていた。そしてその大きさ。今までは十メートルぐらいだったのが今度は三十メートル程の大きさ。
「ひゃ〜はははははははははは! さぁ、潰してやる!」
完全に怪獣と化した怪物がその腕を振り上げた。
あの大きさの手をあの高さから振り下ろされれば、いくら貴明に人間を越える力があったとしても叩き潰されてしまうだろう。だが、それでも貴明はじっと怪獣を見上げて、その顔を睨み付けているだけだった。一歩も引こうともしない。
「うおおおおおおおおおおおおっ!!」
怪獣を見上げている貴明の口からまるで咆吼のような雄叫びが上がる。同時に彼の胸に浮かび上がっていた赤い光が更なる輝きを放った。その赤い光に呼応するかのように周囲に落ちていた瓦礫などが浮かび上がる。
貴明の姿が完全に赤い光の中に消えると同時に浮かび上がっていた瓦礫などがその赤い光の方へと吸い込まれるかのように集まっていった。その瓦礫などが赤い光を中心として人の形を成すのに時間はかからなかった。
「ぐうっ!!」
怪獣が瓦礫などで人の形を成しつつある赤い光を叩き潰そうと振り上げた手を一気に振り下ろすが、それより一瞬早く瓦礫などが人の姿を成し、その手を受け止める。赤い光が作り上げた瓦礫や石で出来た巨人はあいている方の手で怪獣の腹を突き飛ばした。その一撃で怪獣の身体が宙に舞う。
大きく宙を舞った怪獣が地響きを上げながら地面の上に落下した。
それを見た石の巨人がその場に片膝をついた。その胸では赤い光が激しく明滅を始めている。更に肩も大きく上下させていた。
「ど、どうしたんだ?」
木の怪物と戦った時とは明らかに様子の違う巨人に、柚原が訝しげな顔をする。その隣にいる環は呆然とした様子で巨人を見ているだけだ。
「まさか……」
様子のおかしい巨人、その理由に思い至った柚原は思わず青ざめてしまう。
「やはり無理だったのか……完全に回復してない上にあれだけの怪我をしていては……満足に戦えるはずがない!」
木の怪物を倒した時点で巨人は、貴明の身体は極度に消耗していた。一人では歩けない程にまで消耗していたのだ。更にあの怪物によって受けたダメージもかなりのもの。もう彼の身体はボロボロだったのだ。そんなところでまた巨人へと変身しても、満足に戦うことなど出来ないだろう。変身出来たことだけでも凄いと言えるかも知れない。
事実、巨人の身体からはポロポロと小さい瓦礫や石などがこぼれ落ちている。その身体を維持することもやっとなのだ。
それに比べて怪獣の方はまだぴんぴんしている。地面に叩きつけられながらも、すぐに起き上がり片膝をついて苦しそうに肩を上下させている石の巨人の方を見つめている。
「無様な姿だな。その様子だとお前はまだそいつを完全に取り込んではいないようだが……それでこの俺に勝てるとでも思ったか!!」
怪獣がそう言って身体を回転させた。それにあわせて尻尾が宙を舞い、巨人に叩きつけられる。
尻尾による一撃を受けた巨人が今度は宙を舞う番だった。大きく吹っ飛ばされ、まだ無事だったビルに背中からぶつかって、ビルを崩しながら倒れ込む。もうもうと立ち込める土煙の中、何とか巨人が身を起こした。
だが、まるでそこを狙い澄ましたかのように巨大な水晶体が起き上がったばかりの巨人の胸を直撃する。直撃すると同時に水晶体は砕け散り、起き上がったばかりの巨人は再び吹っ飛ばされてしまう。
「ぎゃはははははははははは! なかなか面白い能力じゃねぇか!!」
再び響き渡る狂ったような笑い声。勿論その声の主は例の怪獣だ。その手を巨人の方に向けて、そこから水晶体をあのモグラ怪獣と同じように放ったのか。
怪獣の手から水晶体が生え、それが倒れている巨人に向かって放たれる。右、左、右、と連続で。やはりモグラ怪獣と同じ能力をこの怪獣は持ち得ている。
「まさか……あれを取り込んだ時にその力までも取り込んだと言うのか……?」
そう呟いた柚原の顔は蒼白になっていた。先ほどから驚愕の連続、既に理解の範疇は完全に越えている。事実、側にいる環はもう言葉も出ないようだ。辛うじてあの怪物などに対する知識が多少なりと持っていたからまだ茫然自失することがない程度。
しかし、これでますます巨人の勝ち目は薄くなっただろう。爬虫類の化け物のような怪物がモグラの化け物を取り込み更にパワーアップしている。それに対して巨人は満足に戦えるかどうかわからない程疲弊している。しかも今現在怪獣の水晶体を放つ攻撃に一方的に巨人はやられているだけだ。ここから一体どう逆転すると言うのか。その望みはあまりにも薄い。
「……やはり……どうにもならんか」
嘆息するように呟く柚原。
更にパワーアップした怪獣に対して貴明の変身した巨人は一方的にやられているだけ。彼に助けが来ることはなく、仮に来たとしても柚原達の所属している防衛軍の装備ではあの怪獣にダメージを与えることすら出来ないだろう。まさしく八方塞がりだ。
「せめて貴明君の体調が完全ならば……」
もしかしたらあの怪獣とも互角以上に戦えたかも知れないが、それも今となって儚い望みだ。現実に貴明の体調は最悪だったし、今彼は為す術もなくやられているのだから。
少しの間手から水晶体を倒れている巨人に向かって放ち続けていた怪獣だったがやがてそれにも飽きたのか、それとも巨人の息の根を止めたと思ったのか突き出していた手を下ろし、柚原達の方を振り返った。
彼らの姿を映すその瞳に浮かぶのは新たな獲物を見つけた歓喜の色か。ニヤリと笑って、明らかにそれとわかる笑みを浮かべて怪獣は柚原達の方にその手を向けた。そこから放たれる水晶体、これが直撃すれば柚原達は一溜まりもないだろう。後に残るのはただの肉塊のみ。その光景を想像してか、怪獣がぺろりと舌でその口の周りを舐めた。
「くそっ!!」
こちらに武器はなく、仮にあったとしてもこの怪獣には通じないだろう。唯一この怪獣に対抗出来そうだった貴明が変身した巨人も既に倒されてしまっている。もはやどうすることも出来ない。ただ殺されるのを待つのみか。せめて環達だけでもこの場から逃がしてやりたいが、今この場をしのいだとしてもこの怪獣がいる限りいつかは殺されてしまうかも知れない。どちらにせよ、待っている運命は同じ。
もはやどうにもならないと言うことを悟ってか、柚原が悔しそうに歯を噛み締める。
怪獣の掌に水晶体の先端が生え、それが今にも飛び出そうとした瞬間、横合いから飛んできた赤い光弾が怪獣の頭部に直撃し、小さな爆発を起こした。威力はほとんどなかったようでダメージらしいダメージは与えられていなかったが、牽制の役目はそれで充分果たしたようだ。怪獣が柚原達の方から赤い光弾の飛んできた方へと顔を向ける。そこには片膝をつきながらもこちらをじっと見つめている、怪獣の方を睨み付けている巨人の姿があった。
身体を構成している瓦礫などはかなり削り取られているが、それでも巨人はゆっくりと立ち上がる。見ると特に胸の部分が大きく削り取られており、そこにハートの形ともYの字とも取れるような形状の赤い光が明滅しているのがはっきりと見て取れる。
「まだくたばってなかったか。おとなしく寝ていれば良かったものを……この死に損ないが!」
そう言って怪獣が掌から水晶体を巨人に向かって飛ばした。
飛んでくる水晶体を横っ飛びにかわす巨人。地面の上を転がり、起き上がると同時に怪獣に向かって赤い光弾を放つ。
その光弾が怪獣の突き出している手に直撃して小さな爆発を起こした。先ほどと同じく威力はほとんどない。今回もやはり牽制でしかないのだろう。怪獣の目を自分に向ける事が目的なのか。
巨人が少しずつ柚原達のいる方から遠ざかっていく。怪獣も巨人を追いかけるように少しずつではあるが移動を始めていた。だが、話はそうそう上手く行くはずもない。
「姉貴、何やってるんだよ!!」
不意に響き渡った声。その声に怪獣が振り返ってしまう。
巨人も声のした方を見てみると、環達の側に雄二と花梨の姿があった。いつまでたっても戻ってこない環の様子を見に来たのか。しかし、来るにしてもタイミングが悪すぎる。何もこのタイミングで現れ、そしてよりによって大声を出さなくても。
「な、何しに来たのよ、雄二! 先に笹森さんと一緒に逃げろって言っておいたでしょ!」
「姉貴一人おいていけるかよ!」
駆け寄ってきた弟を見て思わず声を荒げてしまう環だったが、雄二は自分の身を本当に心配していたようだ。その顔には安堵と同時に怒りの表情が浮かんでいる。
「だからって言って笹森さんまで連れてくることなかったでしょ!」
「勝手についてきたんだよ、こいつは!」
「私だって環さんのことが心配だったんよ」
まるで来てはいけなかったと言わんばかりの雄二の態度にムッとしたように頬を膨らませる花梨。
「だからそう言う言い方はないと思う」
「うるさい! お前は先に行けって言っただろっ!!」
「今はそんな場合じゃないでしょ!」
睨み合いを始めた花梨と雄二に向かって環が怒鳴りつける。
しかし、そんなことをしている間にも怪獣は完全に彼女たちの方をその視界に捕らえていた。チラリと後ろにいる巨人の方を振り返り、ニヤリと笑ってから再び環達の方を見やる。
あの巨人が環達を守ろうとしていることはわかっていた。つい先ほどまではあのほとんどダメージのない攻撃にカッとなっていたが、冷静さを取り戻すと先に何をすべきか、優先的に何をするべきかと言うことをすぐさま頭の中に思い浮かべる。
欲するものは恐怖。
欲するものは絶望。
人々の恐怖と絶望が自分の糧となる。自分のエネルギーとなる。ならばすることは一つ。
怪獣が環達の方にその手を向けた。先ほどは巨人に邪魔が入ったが今度は多少の攻撃を受けようと止めることはしない。あの人間どもに恐怖と絶望を味あわせ、同時に巨人にも絶望を与える。その絶好の機会。
「フフフ……死ぬがいい。恐怖と絶望を」
怪獣の掌から水晶体が生える。
例え巨人が助けに入ろうともう遅い。今からでは絶対に間に合わない。怪獣を逆の方向に引きつけようとしていたのが裏目に出たというわけだ。
「俺に味あわせろ!!」
はっと環達が顔を上げた。こちらに向けられている怪獣の大きな掌から水晶体が今にも放たれようとしている。今から逃げてもどうにもならない。もはや手遅れだ。
怪獣の掌から水晶体が放たれた。
思わず目を閉じる環達。だが、いつまでたっても自分たちを粉々にしてしまうであろう衝撃は襲ってこない。恐る恐る目を開けてみると巨人が環達を守るように覆い被さっていた。
「……タカ坊……」
巨人の顔を見上げた環の口からそんな呟きが漏れる。
それを聞いた雄二と花梨がはっとしたように彼女を見た。それから彼女の視線を追うように二人も巨人を見上げる。
「……まさか……?」
「あれが……貴明だって言うのかよ?」
信じられないと言う感じで花梨、雄二が呟く。
「ぎゃはははははははは! 流石だな! だがその甘さが命取りだ!」
まるで二人の呟きをかき消すかのような怪獣の笑い声が響き渡った。続けて巨人の背に水晶体が直撃する。
環達を守る為に光すらも越える程の超高速移動を巨人はしてみせた。だが、それは巨人のエネルギーを大量に消耗させ、更に怪獣に向かって無防備にその背中を晒す羽目になっている。そしてその無防備で、変身前の貴明に瀕死の重傷を負わせた傷のある背中に怪獣が容赦なく水晶体を叩き込んでくる。今の巨人にとってその一発一発は致命的なものではないにしろ、かなりのダメージになるはずだ。それでも巨人の身体は崩れない。倒れそうになる身体を腕を突っ張り、必死に踏ん張っている。
「……行くぞ、君たち」
不意にそう言ったのは柚原だった。彼はすぐ側で未だに放心したようにしゃがみ込んでいる女性に肩を貸して立ち上がらせながら環達の方を見ている。
「で、でも、このままタカ坊を放っていくことなんか」
「彼の邪魔を、彼の足手まといになっているのは我々の方だ。私たちがこの場にとどまっていればあの怪物は私たちを狙ってくるだろう。そうなれば彼はそれを防がざるを得なくなる」
「そ、それは……」
「私たちがここにいれば彼は満足に戦えないだろう。私たちが彼の為に出来ることはこの場から一刻も早く離れることであってここで彼の足手まといになることではない。そう思わないか?」
柚原にそう言われて、環は不承不承ながら頷いた。
本音を言うならばここで彼の、貴明の戦いを見守っていたい。だが、それは同時に彼の足手まといになると言うこと。彼の戦いの邪魔になると言うことだ。その為に彼が傷つき、倒れるところは見たくない。だからこそ柚原の言うことに従うことにしたのだ。
「行くわよ、雄二。笹森さんも」
「いいのかよ、それで?」
先に歩き出した柚原を追うように歩き出そうとした環に向かって雄二が問いかける。もし、今自分たちに覆い被さるようにして怪獣の攻撃から守ってくれているのが貴明ならば、その戦いをしっかりと見ておきたい。確かに柚原の言う通りではあるが、それでも雄二は親友の姿を見ておきたいと思っていた。何故かはわからないが、そうしなければならない気がしたからだ。
「ここにいたら邪魔になるって柚原のおじさまも言っていたでしょ。それとも何? あんたはここで死にたいわけ?」
弟に背を向けたまま環が答える。今ここで振り返るわけにはいかない。振り返ってしまったらきっとこの場を離れられなくなる。そう言う気がしたから。だから、つい口調も荒くなる。
「……わかったよ」
雄二も姉の心情を察したのか少しふてくされたような感じで頷いた。そしてチラリと巨人の方を見上げる。
「……本当に貴明なら……死ぬんじゃねぇぞ。お前には言いたいことが山のようにあるんだからな」
そう言った雄二の隣では花梨も彼と同じように巨人の顔を見上げている。これが何もない時なら、こんな怪獣に襲われている時でなければ彼女の目は好奇心に輝いていることだろう。だが、今は不安そうな顔をして、ただじっと巨人を見上げているだけ。
「笹森、行くぞ」
雄二に声をかけられ、花梨は小さく頷いた。そして環達と一緒に走り出す。
怪獣からは巨人の身体が邪魔になって環や柚原達がいなくなったのは見えていない。だから巨人の背中に向かって未だに水晶体による攻撃を加え続けている。しかし、巨人は環達が充分離れたと見ると横に転がって水晶体の攻撃をかわした。同時に怪獣に向かって右手を突き出し、そこから赤い光弾を飛ばして牽制する。
「ぐっ!?」
巨人の放った赤い光弾が怪獣の左肩に命中して爆発を起こした。更にその威力に怪獣は思わずよろめいてしまう。
その間に巨人は何とか立ち上がろうとするが、やはりその身に受けたダメージが大きすぎるらしくすぐにその場に片膝をついてしまった。胸で明滅する赤い光も徐々にその輝きを失いつつある。その身体を構成している瓦礫もかなり崩れ落ちてきている。もはや残り時間はほとんどないのだろう。
それを見た怪獣が両掌を前に突き出した。そこから巨大な水晶体が生えてくる。この一撃で巨人にとどめを刺そうと言うつもりなのか。
一方巨人も右手を天に向かって掲げていた。その手に赤い光が宿っていく。モグラ怪獣、木の怪物を倒したあの必殺の赤い光刃を放とうとしているのだ。だが、巨人の身体は既に満身創痍。果たしてあの怪獣を倒せるだけの威力が出せるかどうか。
「ふはははははははは! 面白い! やってみろ!!」
怪獣が巨人の右腕に宿っていく赤い光を見ながら笑う。今の巨人のエネルギーでは自分を倒せないと思っているのか、それとも自分の攻撃の方が早く巨人の身体を貫くと思っているのか。
「お前が勝つか俺が勝つか! ははははははははははは!!」
怪獣の手から今までにない程の巨大な水晶体が放たれた。その先端は今まで以上に鋭利で、これが直撃すれば確実に巨人の身体を貫くであろう。
一瞬遅れて巨人がその右腕を振り下ろした。その腕に宿っていた赤い光が赤い光刃となって自分に向かって突っ込んでくる巨大な水晶体に直撃する。次の瞬間、赤い光刃が拡散し、同時に水晶体も砕け散った。どうやらその威力はほぼ互角だったらしい。
「くうっ! 死に損ないのくせに小癪な……?」
再び水晶体を作り出そうと掌を突き出した怪獣だが、その動きが止まった。真正面にいたはずの巨人の姿がいつの間にかなくなっていたからだ。そして背後に感じる気配。慌てて振り返るとそこには両腕を左右水平に広げた巨人の姿があった。
巨人は広げた両腕を肘のところで折り返し、胸の前で構えると続いて左腕を前に真っ直ぐ伸ばし、右手を頭の横に構えた。その右手に光が宿ると同時に右手を突き出し、左腕を折り畳む。突き出された右手から赤い光が飛び出し、その光が円盤状になって怪獣に襲いかかった。
「ぬうっ!?」
一直線に突っ込んでくる円盤状の光。それを何とかかわそうと怪獣は身体をよじったが円盤状の光は予想以上の速さで迫り、怪獣の左腕を肩の辺りから切り落としてしまう。
「グオオオオオオッ!!」
左腕を切り落とされた激痛に怪獣が苦悶の声をあげる。切り落とされた腕はそのままに残る右手でその傷口から噴き出すどす黒い血を必死で押さえ込む。
「お、お、おのれ……このままで済むと思うな!!」
怪獣は憎しみの籠もった目で巨人を睨み付けると、そう言い残して走り去っていった。かなりのダメージのはずなのにそれを感じさせない動き。やはり規格外の化け物のようだ。あっと言う間に夜の闇の中へと怪獣の姿が消えていく。
巨人はそれを見ながらも追うことはしなかった。いや、追えなかったのだ。もはや完全に限界。胸の赤い光は消えかけており、その身体を構成している瓦礫にもひびが入り次々と崩れ落ちてきている。そのまま巨人の姿が完全に崩れ落ちた。後に残されたのはやはり粉々になった瓦礫の山と、その中で今まで以上にボロボロになって倒れている貴明の姿。
光が物凄い速さで流れていく世界。
前にもこの世界に貴明は来たことがある。一体ここがどう言う空間なのかはわからないが、ここで彼は確かに光の巨人と会った。そして今また、この空間に彼はいる。また光の巨人と彼は対峙している。
光の巨人は例によって何も言わず、ただじっと貴明の方を見下ろしているだけだ。
(……やっぱりあんたには礼を言わなきゃならないな。あんたがいなけりゃ柚原のおじさんもタマ姉も助けられなかった)
光の巨人の顔を見上げながら貴明はそんなことを考える。だが、それに対して光の巨人からはまた申し訳なさそうな意思を感じ取れてしまった。
(何でだ? どうしてあんたはいつも俺に謝ろうとするんだ?)
心の中で問いかけてみると、巨人の方からそれに返答するような意思が流れ込んできた。
(巻き込むべきではなかった? だからそれなら別に構わないって言ったじゃないか。何? 巻き込んだ所為で俺の身体が激しく傷ついてしまった? それは確かにそうだけど、でもそれだって……)
巨人は相変わらず何も言わず、じっとこちらを見つめているのみ。だが何を考えているのか、それが貴明にはわかる。何故だかわからないが、彼の心の中に巨人の考えていることが直接流れ込んでくる。
(謝らないでくれ! 俺はあんたのお陰でみんなを助けることが出来たんだ!)
必死に訴えかける貴明だが巨人はやはり彼に対して申し訳ないと言う気持ちを捨てきれないらしい。
(……本当ならばこの星に来ることはなかった? 自分の不始末に俺を巻き込んだ? どう言うことだ?)
その問いかけに巨人は答えなかった。感じるのは明らかな拒絶の意思。これ以上貴明を関わらせたくないと言う明確な意思。
(教えてくれ! 俺には知る権利があるはずだろう! あいつらは一体何なんだ? あんたはあいつらとどう言う関係なんだ?)
そう問いかけると同時に巨人の姿が急速に遠ざかり始める。更に貴明の意識もブラックアウトし始めた。
(待ってくれ! まだ話は終わって……)
遠ざかっていく巨人に向かって手を伸ばす貴明だが、その手は届かない。そして、そのまま彼の意識も闇の中へと吸い込まれていく。
目を覚まして一番初めに見えたのは白い天井だった。そのまま首だけを動かして周囲を見回してみると、何となくそこが病室であることがわかった。
「……気がついたみたいね」
聞こえてきた声にそっちの方を見ると、そこには少し憔悴したような感じの女性の姿があった。いつもと同じく白衣を着てはいるが、何処かいつもと様子が違うように感じられるのは何故だろうか。
「……またあんたか。何か目を覚ます度にいつも側に居るんだな」
少し皮肉るようにそう言う貴明だが、同時に彼女が無事であったと言うことに安心もしていた。
あの時、恐竜人間を前にして恐怖のあまり心神喪失状態に陥ってしまった彼女。彼女を助ける為に飛び出した貴明も恐怖のあまり我を失いかけた。もし、あの場に環が現れなかったら貴明も女性も恐竜人間に嬲り殺されていただろう。そう言う意味ではあの場における最大の功労者は環だと言える。
「君の身体について一番わかっているのはおそらくこの私だけだから。それより気分はどうかしら?」
「前と同じだよ」
「最悪?」
素っ気なく答える貴明だったが女性はそれを意にも介さず、それどころか少し笑みすら浮かべて問い返してきた。
「……少しはマシって感じかな。でもはっきり言ってだるい。何もしなくていいならしたくないって感じだ」
そう言いながら貴明は全身を包む気怠さを堪えながら身を起こした。いや、気怠いだけではない。何と言うか力が全身に上手く伝わらないと言う感じだ。酷く脱力感がする。文字通りの脱力感が。
「教えてくれ。あれからどうなったんだ?」
脱力感に顔をしかめながら貴明が尋ねる。
実際のところ彼の記憶は環をあの恐竜人間が巨大化した怪物の手からかばったところで途切れている。あれから何が起きたか、薄ぼんやりとしか覚えていない。わかるのは自分はどうにか無事で、この女性も無事で、と言うことはあの怪物は何とか追い払うことが出来たと言うことぐらい。
「その前に……君はどれくらい寝ていたかわかる?」
女性の質問に貴明は首を傾げてみせた。質問の意味が今一つわからなかったからだ。
「その様子だとまだわかってないみたいね。君はあの日から五日間ずっと寝ていたのよ。それだけ消耗していたんだろうし、同時に身体の傷もかなり回復していると思うけど、どう?」
言われてみて貴明は身体の何処も痛くないと言うことに気がついた。
木の怪物によって付けられた傷――左腕、左太股、右肩、右脇腹の傷や恐竜人間によって付けられた傷――内臓への傷や背中の傷は完全に塞がっており、その跡もほとんど確認出来ない。だが、それはあくまで表面上なだけで実際のダメージは何処まで回復しているのか貴明自身にもわからなかった。
「五日……」
「これは推測だけど、例の怪物もこの五日の間にほぼ完璧に回復しているはずよ。今のところ動きはないらしいけど、多分完全に回復するのを待っていたからでしょうね」
「つまり俺が目を覚ましたって事は奴もまた目を覚ましたかも知れないって事か」
「そうなるわね。まぁ、奴に関しては防衛軍も必死に捜索しているし、その内発見されると思うけど。さて、それじゃ君の質問に答えましょうか。もっとも私も人から聞いた話しか出来ないけどね」
そう言って女性が微笑んだ。
彼女の笑みを見て貴明が少し意外そうな顔をする。まさか彼女が自分に対してこう言う笑みを見せるとは思っていなかったからだ。
「あら? どうかした?」
「あ、いや、別に……」
慌てて女性から目を背ける貴明。その顔は少し赤くなっている。やはり女性は苦手だ。今まで何ともなかったのはこの女性が自分を殺そうと思っている、そう考えていたからでもあり、この女性に何となく女性らしさを感じなかったからでもある。
「そう言えば君にちゃんと自己紹介していなかったわね。今更だけど自己紹介しておくわ。私は折原志乃。防衛軍特殊生物対応特別研究機関所属の研究員よ」
「……俺は河野貴明……って知ってるよな、俺のことなんか」
「ええ。悪いけど調べさせて貰っているわ。ただの高校生。防衛軍の柚原一佐とは家が隣同士で一佐の娘さんであるこのみちゃんとは幼馴染み。君自身は何処にでもいる平凡な高校生、でしょ?」
「高校生だったって言うのが正解じゃないのか?」
少し皮肉っぽく言う貴明だが、女性はあえてそれについては何も言わなかった。ただ、悲しそうな顔をして小さくため息をついただけだ。
「……悪い、あんたに言っても仕方ないことなんだってのはわかってるんだけど」
「別にいいわよ。少なくても私は一度は君を殺そうとまでしたわけだし、何を言われても仕方のないことだと思うから」
「……何か随分と感じが変わったな」
「そうかしら?」
「前までのあんたはなんて言うかさ、物凄く冷たい感じがしたんだけど、今は違う。暖かい、普通の人って感じだよ」
「何それ? 私を口説こうって言うつもり?」
「な、何でそう言うことになるんだよ!」
「冗談よ」
そう言って女性は――折原志乃は微笑んだ。確かに今までの彼女とは違っている。あの怪物と対峙し、恐怖に心神を喪失した状態に陥り何かを吹っ切ったのか。
貴明が折原志乃から話を聞いていたのと同じ頃、柚原は防衛軍極東エリア総本部にいた。例の怪物――いや、もはや怪獣と言っても差し支えはないだろう――についての報告を防衛軍の上層部にしなければならないからだ。本来ならばここに折原志乃もいなければならないのだが、彼女は例の怪物と対峙した時のショックが未だ抜け切れておらず、十分な説明が出来ないと判断されており、この場にはいない。だからこそ貴明の側にいたのだが。
それはとにかく、柚原は報告書に目を通しながらこれからどうすればいいのかを思案していた。例の怪獣に対しては発見次第攻撃し、殲滅することが最優先とされるだろう。問題は例の怪物と敵対している巨人の存在だ。その巨人の正体が貴明だと言うことはこの報告書には書かれていない。あくまで謎の巨人として、その存在だけが書き記されているのみ。
おそらく防衛軍の判断としては巨人も攻撃対象として例の怪獣共々発見次第攻撃し殲滅せよとの命令が下されるだろう。確かにあの巨人の力が人類に向けられれば大きな脅威となりえるのはわかる。
だが、その正体は自らの身体をボロボロにしながら、それこそ命がけで戦っている少年だ。しかも自分の良く知っている少年。彼は決して悪い人間ではない。しかし、その身体に内包している力は明らかに脅威だ。
いつまでも彼の存在を隠し通せるわけでもない。次に例の怪獣が現れたら、やはり彼はその怪獣を倒す為に飛び出していくだろう。例の怪獣の脅威から人々を守る為に、その身を省みずに戦うだろう。その時、彼の正体を今までのように隠し通せるかどうかは疑問だ。
正体がばれたら、巨人が彼だと言うことが知られれば彼はもう今までのような生活をすることは出来ないだろう。良くて一生監禁されるか、悪ければ抹殺され、解剖される。どちらにしろ普通の高校生に戻ることはもう出来ない。
「……私には何も出来ないと言うことか……」
彼の為に柚原が出来ることと言えば何とか彼の存在を隠すことぐらいだが、既に彼のことを知っている者は何人かいる。どこから漏れるかわかったものではない。それを考えるともはやどうすることも出来ないとしか思えなかった。
「柚原一佐。参謀達がお待ちしております。お急ぎください」
会議室にやってこない柚原を若い兵士が呼びに来た。
「ああ、わかった」
そう答えると柚原は沈痛な表情のまま会議室へと向かうのであった。
会議室の中には防衛軍極東エリア担当の参謀達が勢揃いしていた。更にヨーロッパやアメリカ、オーストラリアなど他のエリア担当の参謀達もモニターを通じて参加している。勿論、その誰もが柚原よりも階級の上の人間ばかりだ。
「かけたまえ、柚原君」
極東エリア担当の参謀で柚原にこの任務を命じた竹中が会議室内に入ってきた柚原に座るよう促した。そんな彼に一礼して用意されていた椅子に腰を下ろす柚原。その隣には彼の知らない人物が座っている。
「どうも柚原一佐。折原主任がお世話になっております」
「君は?」
腰を下ろした柚原に声をかけてきたのは折原志乃とそう年齢の変わらない感じの男であった。一見飄々としているが何となく油断の出来そうにない感じをさせている。
「私は折原主任と同じく特殊生物対応特別研究機関に属する研究員で岩本と申します。まぁ、ここにいるのは折原主任の代理ですな」
「そうか。ご苦労だな」
「いやいや。一佐に比べれば私など」
「私語はその辺でやめたまえ、岩本君。柚原君、君の報告書は読ませて貰った。しかし君の口からもう一度詳細を聞きたいのだがよろしいかね?」
竹中がそう言ったので柚原は小さく頷いて立ち上がった。竹中の口調は穏やかであり、且つ依頼しているような感じではあったが柚原に対して有無を言わせない、そんな迫力のようなものが込められている。
「わかりました。それではまず、現時点で確認されている特殊生物から」
柚原がそう言うと同時に彼の後ろにあった大型モニターにモグラのような怪獣の姿が映し出された。
「これが第一に現れた特殊生物、コードネーム”ダイヤ”です。見た目は巨大なモグラですがその背中には無数の水晶状の突起が生えており、その特徴からこのコードネームがつけられました。”ダイヤ”は何かの目的を持っていたようで第十八管区基地に出現後、基地防衛隊の攻撃を受けながらもある地点に直進を続け、その後現れた巨人、コードネーム”ハーツ”によって倒されております」
大型モニターに映る画像が切り替わった。モグラ怪獣の画像から石の巨人の画像へと。
「柚原君、何故その巨人は”ハーツ”と言うコードネームを与えられたのかね?」
石の巨人の画像を見た参謀の一人がそう質問する。
「先ほどのモグラの怪物に関しては何となくわかるのだが、その巨人がどうしてそう言うコードネームを与えられたのか少し気になる」
くだらない質問だがな、と苦笑しながらその参謀が続けた。
だが柚原は眉一つ動かさない。
「その質問に関しては後ほどお答え致します。次」
あくまで淡々と報告を続ける柚原。
また大型モニターに映る画像が切り替わった。今度は木の怪物だ。
「第三の特殊生物、コードネーム”クラブ”。この”クラブ”の出現した場所は第十八管区内にある例のポイントで、やはり巨人、”ハーツ”によって倒されています」
「例のポイント……?」
「ハザードエリアに認定されたポイントです。今も調査は続けられているはずですが、例の怪現象、おそらくはこの”クラブ”が潜伏していた為に起こった現象だと思われます」
そう言ったのは柚原の隣に座っていた岩本という男だった。
「まぁ、その説明は後で致しましょう。ささ、柚原一佐、続けてください」
岩本は少しおどけた口調でそう言い、柚原を見る。口元に笑みを浮かべているが、どうにも信頼出来なさそうな笑みだ。
「次に現れたのがおそらく全ての元凶となった特殊生物、コードネーム”スペード”。この”スペード”のために第十八管区基地はほぼ壊滅、基地機能はほぼ完全に麻痺してしまっております」
次に映し出された映像を見て、誰もが息を呑んだのがわかった。映し出されたのは例の怪獣の姿。見た人間に不快感と恐怖を与えずにはいられないあの醜悪な姿。
「この映像は奴が最終的に見せた姿です。それ以前の姿もあり」
柚原の言葉にあわせるように画像が切り替わる。
「これが第二形態。そして第一形態」
モグラ怪獣と融合する前、多くの爬虫類をその身に取り込んだ時の姿とそれよりも前の恐竜人間の姿の映像が次々に映し出される。
「さて、ここから先の説明は私に任せて頂きましょう。もっとも本来ならばこの場にいるべき折原志乃主任が説明しなければならないことなのですがね」
そう言って岩本が仰々しく立ち上がった。
「全ての発端となったあの日のことからね」
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