第弐話 既知にして未知の出会い(中編)











「んじゃ、行きますか」
「そうですね」

 昼休みに交わした約束通り、夜と大は放課後の下駄箱で合流した。
 
 そんな二人に、近付く人影が一つ。
 その人影は躊躇いがちに二人に近付くと、これまた躊躇いがちに声を掛けた。

「行くの?」

 二人に声を掛けたのは、夜にとっての依頼人、正確に言えばその内の一人である鶴素子だった。
 夜は彼女の問い掛けに「ええ」と小さく、だがハッキリと頷いてみせた。
 その隣では大もまた「おう」と答えている。
 素子は、そんな二人の顔をキョトキョトと落ち着きのない様子で見比べつつ、眉を顰めた如何にも不安げな表情で言った。

「その……私は、行かなくていいの?」
「ええ。これ以上被害者が増える危険性を増やせませんから。
 私のような小娘を簡単には信用出来ないとは思いますけど、
 出来る限りの全てを使って出来る限りの事はやりますので、とりあえずはお任せください」
「……うん」
「いや、君も小娘だろーに」

 そんな突込みを入れたのは、いつのまにやらそこに……素子の背後から現れた友二だった。
 友二は、ビクッと微かに驚く素子に苦笑しつつ、その表情を夜にも向けた。

「まーた面倒ごとに首を突っ込んでるみたいだな」
「好きでやってることですから」
「やっぱ……まだ気にしてんだな」
「……」
「さて、行きましょうか。鶴さん、友二君、じゃあ、また」
「えっ? ちょ、待てって」

 友二の言葉に対しての反応を見せないままに、別れの言葉を告げて夜は歩き出す。
 そんな彼女の後を大が慌てて追いかけていく。
 
 そうなる事で後に残された素子と友二の二人は、なんとなく顔を見合わせて、なんとも言えない表情を浮かべるしか出来なかった。










「……で、何処に向かってるんだ?」

 薄く赤く染まり出した通学路を並んで歩いていく夜と大。

 彼女達が通う公立校は、丘葦水市の北寄り中央に位置する住宅街のど真ん中にある。
 その為、生徒達の下校時刻であると同時に夕食の買い物時でもあるこの時間帯は人の通りも多い。

 そんな人の流れに時に乗り、時に逆らいながら、夜はスイスイと進んでいく。
 大はそんな夜と並んで歩いてはいるが、”行き先”を知らないので、実質的には夜の後に続いている状態だった。

 それゆえの疑問の言葉に、夜はその質問が来る事を分かっていたかのようにあっさりと答える。

「行方不明の女の子達がよく行っていた場所に行き、よく会っていた人に会います。
 今日の所はとりあえず確実に彼女達が訪れていた場所、三人分三箇所に行くつもりです。
 今はそのうちの一つである、空守町商店街の方に向かっています」
「そんなん警察もやってるんじゃないか?」
「この事件に対する現状の警察の捜査は、
 一連の流れに異常性を感じてはいるものの『家出少女』に対するものを越えていません。
 一部の刑事はより突っ込んだ捜査をしているようですが、あくまで私的なもののようです。
 そんなわけなので、私が出来る程度の調査で集められる情報でも、まだ警察が集め切れていない、有益な情報は結構あったりするんです」
「……へぇ、って。おいおい。警察の動きとか分かるのか?」
「ええ、色々方法はありますから」

 クスリ、と笑う夜。
 彼女の表情は悪戯っぽくはあったが、その眼は笑っていない。少なくとも大はそう感じ取った。
 そうして大が自身に対して、背筋が冷える、という程ではないにせよ何処か寒気に近いものを感じているのに気付いているのかいないのか、夜はその笑みを普通の表情へと戻して言った。

「まず1人目。狭山明子さん。
 彼女は放課後よくこちらのアイスクリーム店に立ち寄っていた事が確認されています」

 そんな会話を交わしつつ2人が足を止めたのは、学校から徒歩10分の位置にある商店街。
 その中にある、そこそこ有名なアイスクリームのチェーン店、その入り口前だった。

「ああ、俺も1回付き合ったよ。
 ……彼女が行方不明になった日は、いつだったんだ?」
「6日前です」
「俺が一緒に行って3日後か……その時は特に何もなさそうだったんだが」
「では、話を聞いてきますので、少し待っていてください」
「えー? 俺も話聞きたいんだけどな」
「私ひとりの方が話しやすいんです。……それに」
「分かってるよ。俺の事を信用してないんだろ? 軽いからな俺は」

 犯人、とまではいかないかもだが、容疑者候補として警戒はしているのだろう。
 夜の普段の口調がもう少し柔らかいのを知っている大としては、なんとも歯がゆいのだが仕方ないだろう。

「ご理解いただけて助かります」

 当然、あるいは案の定と言うべきか、固い口調で告げた後、夜は空いたままの自動ドアを潜って店内に入っていった。
 お嬢様らしく慎み深い、と言うべきか、歩く度に微かに揺れるスカートは若干長めである。

「ふむ」

 そのスカート及び彼女の臀部をなんとはなしに眺めていた大は、
 夜がカウンターで店員に声を掛けたのを見計らい、微妙に距離を詰める。
 あからさまには近付けないが、聞き耳を立てる位ならば出来ると考えての事だ。
 夜が背を向けている事をいい事に、大は耳に手を当てて、夜と男性店員の会話に意識を集中させた。

「……前……よ」
「……という……」

 しかし、小声な上に距離の問題もあり、博の耳に入ってくる言葉は断片的でしかなかった。
 どうにかもっと明瞭に会話が聞けないかと悪戦苦闘している内に会話が終わったらしく、夜が戻ってくる。
 大は愛想笑いを浮かべながら夜に労いの声を掛けた。

「おー、お疲れ様」
「そちらこそ聞き耳お疲れ様です」

 ジト目で呟く夜。
 その視線を受けて、大は少したじろいだ。

「バレバレ……?!」
「バレないと思っている方がおかしいですよ」
「そうか? いや、まぁ悪かったけどさ。
 でも、一度も振り向いていないのにどうやって……?」
「気配で察して、鏡で確認しました」

 言いながら何処からともなく取り出したのは、掌より少し小さな四角い鏡。

「いや、なんというか、突っ込みどころは色々あるなぁ……」 

 鑑を何処から取り出したのかとか、普通に話していた中でどうやって確認していたのかとか、そもそも気配で察したとかおかしくねとか。
 しかし、当の本人はそれらを当たり前と思っているからなのか、大の言葉を意に介した様子もなく、あっさりスルーする。

「……では次に行きましょうか」
「あ、チョイ待ち。その前に、折角来たんだし。買ってこうぜ」

 クイクイとアイスクリームの店を親指で指す大。
 その顔にはニコニコと人懐っこい笑みを浮かべていた。

「何味が良い? 奢るぜ」
「いえ、私はここに事件について調べに来ただけであって」
「分かってるよ。でも頭を働かせるには糖分も要るだろ? 
 あとリラックスするのも大事だと思うけどな」

 大の言葉に何か感じる所があったのか、夜は一瞬だけ目を瞑った後、頷いて答えた。

「……そうですね。では抹茶を」
「シングルで?」
「ええ。夕食前ですし、それに」
「太る?」
「……デリカシーがないとか言われませんか?」
「冗談だよ。こんなの会話のアクセントだろ。じゃ買って来る」

 そうして大が買ってきたアイス(二人ともシングルでコーン)を食べ歩きしつつ、二人は次の場所へと移動を開始した。
 そんな移動の最中、大が口を開く。

「確か壱野って、お嬢様だったよな?」

 その言葉には特に深い意図はなかった。
 無言な空間が若干苦手な大がただなんとなく振った世間話でしかない。
 
 そんな大の言葉に、夜は「んー」と少し考える素振りを見せてから答えた。 

「まぁ、一応、そういう立ち位置ではありますね」
「お嬢様ならあんまりああいう所利用しないんじゃないかって思ってたんだけど」

 アイスを時折舐めながら大が言った。
 それに対し、夜もまたアイスを舐めながら……大よりも幾分遅いペースで……言葉を返す。

「そんな事はありませんよ。むしろよく利用します」
「へぇ、親しみが湧くな。というか行儀悪いんじゃ……」
「わ、分かってますけど、今日は時間が惜しいんですよ」

 行儀が悪い事は気にしていたのか、突っ込まれてドモる夜。
 普段はそんな様子をあまり見せない……喜怒哀楽を見せないわけではないが、何処か抑え気味だった……夜なだけに、その姿は新鮮で、大の目には魅力的に写った。










「2人目は真山幸さん。最近本屋さんによく立ち寄っていたそうです」
「……そっか」

 2人がアイスを食べ終わる頃に到着したのは、商店街から少し離れた場所にポツンとある書店。

「彼女はいつ?」
「行方不明になったのは3日前です」
「……俺と放課後一緒に帰って2日後か。何か法則とかあったりしないのか?」
「分かりません。その辺りをもう少し詳しく聞きにいってみます」
「おう。……えーと」
「貴方は外で待っていてくださいね」
「そうですよねー。うーす、了解」

 さっき聞き耳を立てた事を警戒しているのか、ついていこうとするのを押し返され、外へと追いやられる大。
 今度は店の外で待たされた事で聞き耳を立てる余地はなく、大は黙って外で待つしか出来なかった。
 夏らしい暑さにうんざりしつつ待つ事数分、先程よりも早く夜が戻ってきた。

「どうだった?」
「期待していたほどの情報は得られませんでした。……ただ」
「ただ?」
「気になる情報として、ボサボサ頭で長身の男子生徒……私達の学校の生徒らしいんですが、そんな人が最近よくこちらに来ていたそうです」
「ボサボサの長身……? なんかどっかで……いや、まさかな」
「……先入観は、危険ですよ。
 余計な事を考えないうちに、次の情報を入手しにいきましょう」

 ご尤もな事だ、と答えながら、大は歩き出した夜の後を追った。











「壱野って、いつもこんな事してるのか?」

 次に行く場所は今まで行った場所より離れている為にバスでの移動となった。
 そうして乗ったバスの最後部座席で夜と並んで揺られながら、大が呟く。 
 バスの中は、タイミングの問題なのか、本来混む時間帯にもかかわらず、割合空いていた。

「いつも、ではありませんね。このレベルの事件は、たまに、という感じです」
「おいおいおいおい。
 たまにって、こんな事が何度かあったのかよ。物騒だなー。危なくないのか?」
「危なくないと言うと嘘になりますね。たまに怪我もしますし」
「おいおい……。今もこういう事しといてなんだが、気をつけろよ?」
「……ご心配、感謝します。
 でも、身体を鍛えている他、色々備えはしてありますので。
 そうそう危ない事ばかりにはなりませんよ? 例えば」

 言いながらスカートを少し持ち上げズラす夜。
 膝ギリギリまでの黒いニーソックスの先、白いフトモモが視界に入った事に大は少し動揺する……
 が、すぐさまその動揺は別の意味に変わった。
 
 そこに、黒光りする、テレビなどでしかお目にかかれない武器が見えた、ような気がしたからだ。
 一瞬だけだったのでハッキリ確認できなかったが。

「お、おいおい。マジかよ。あの噂はマジか」
「何の噂かは知りませんけど。
 一介の女子高生が色んな事に首を突っ込んで無事でいられるにはこれ位の備えは必要なんですよ」
「まぁ、そうかもしれんが……
 しかしまたなんでそんなにまでしてこんな事をやってるんだ?」

 疑問と心配が混ざり合ったような表情を夜に向ける大。
 そんな彼に、夜は少し……息を深く吸って吐く程度の時間分だけ目を逸らし、考え込んだ。
 そうした後、苦笑気味に、それでいて少し悲しげな顔で夜は答えた。

「自分に……自分に出来る事をしたいからです。
 昔、自分に出来る事をしなかった事で、取り返しのつかない事になって、悔やんだ、事がありますから」
「……」
「その時傷つけてしまった人達の為だけに、というわけでは決してありませんが、
 私は誰かの為に自分の出来る事があるのなら、どんな事でもやるし、手段は選びません。
 お金でも、暴力でもなんでも使って、後悔のないようにしたいんです」
「そっか。……なんか、分かる気がするよ」
「え?」
「方向性違うけどさ。
 俺も試合で出来る事が出来なくて悔いが残るの嫌だって、そう思うからな。
 だからギリギリまでやれる事をやる。
 そういうもの、だろ?」
「……そうですか。そうですね。そういうもの、だと思います」

 そう呟いて、夜は微かな笑みを零した。
 それはとても魅力的な、今までで一番印象に残る笑みだと大は思った。











 2人がバスから降りたのは、丘葦水市の中心的な場所である和歌浦町。
 高層ビルが立ち並び、全国的な有名な店舗なども集まっている場所だった。
 この場所だけで見れば、丘葦水市は如何にもな都会なのかもしれない、と大は考えてみたりする。
 そんな場所の一角にある、大型複合店の一階に陣取っているハンバーガー店に2人は足を踏み入れていった。

「3人目は、川上吉見さん。
 最後に向かったと思われる場所は、このハンバーガー店。
 行方不明になったのは2日前です」
「どんどん間隔が短くなってきてるな。犯人は調子に乗ってきてるのかね」
「分かりかねますね。では」

 そう言いつつ一歩踏み出したそこで、夜は立ち止まる。

「壱野?」
「……」

 夜は少し間を置いてから振り向き、大に言った。

「……一緒に聞きに行きますか?」
「お、おう。行く行く」
 
 そうして二人はハンバーガー店のレジへと揃って歩いていった。

「こんにちは。あの……」
「ああ、こないだの」

 レジ近くに立っていた渋い中年男性は夜の顔を覚えていたようだった。
 これだけ容姿端麗な女子高生もそういないから当たり前か、と大は考えていた。
 実際、女の子と遊ぶ機会が多い大も、夜ほどの容姿は中々お目にかかれない。

(その上、性格も良いっぽいしなぁ……)

 などと思考していた頭を慌てて立て直す。
 今は聞かなければならない事があるのだ。

「覚えていていただいて助かります。今日は、当日バイトに来ていた人は……?」
「ああ、今日は来てるよ。おーい山田さん」

 中年男性の声に答えて、店の奥から二十代前半程度の女性が顔を覗かせた。

「はいはい、なんですか店長?」
「ほら、こないだ話してたろ。あの事件の話を聞きたい子、来たから」
「……ああ。うわ、何か凄い綺麗」
「えと、ありがとうございます。その、すみませんが、お話を聞かせていただけませんか?」
「それはいいけど……」

 チラリと中年男性……店長らしい……の方を見やる。男性は苦笑しつつ答えた。

「裏で話してこい。給料差っ引いたりしないから」
「そういうことなら喜んで。ちょっとこっちに来て」

 女性店員は笑顔を浮かべつつ二人を伴い、店の外、その裏手に回る。
 隣接するビルとの関係上基本的に日陰な壁に寄りかかった彼女は、ついてきた二人を一瞥ずつしてから口を開いた。

「えーと。それで、行方不明になってるって子の話だっけ?」
「はい。この子、なんですけど」

 そう言いながら女性に写真を見せる夜。
 女性はそれを手に取らずそのまま覗き込む。

「ふーむ。警察でもないのに調べるなんてね。大事な友達なのね」
「……そう思ってる子がいます。私はその代理です」
「ふーん。まぁ、いいけど。……ああ、この子ね」
「覚えてるのか、おねーさん」
「うん。すっごい印象あったなぁ。一緒にいたのがなんかボサボサの変な奴だったから」
「え?」

 女性の言葉に、大が思わず声を零す。
 それに構う事無く、女性は何処か神妙な顔で言葉を続けた。

「なんか、真剣な表情で何か話してたみたいだったよ。
 興味あったから、少し盗み聞きしたんだけど……。
 別れた方がいいとか、いいから自分の言う事を聞けとか、そんな事言ってたなぁ」
「他に何か気に掛かる事とかありませんでしたか?」
「うーん、残念だけど、他には」
「そうですか」
「……もういいかしら?」
「はい。ありがとうございました」
「見つかると良いわね」

 そうして彼女は店へと戻っていった。
 足取り軽く帰っていった彼女とは対照的に、残された二人は少し重く考え込んでいた。

「うーん……ここまでくると、先入観じゃないんじゃないか?」
「……そうかも、しれませんね」

 確定できるほどの情報ではないが、昼の事もあり印象深い彼の存在が浮かび上がる。
 彼、そう。西木慧悟。 

「普通に考えれば西木が川上と付き合ってるとかそんな感じ? 
 んでフラレて怨恨……」
「ふむ。
 真山さんとも関わりがあった……みたいですし。
 もしかして、狭山さんとも関わりがあったのかもしれませんね」
「……」

 これらの情報を元に可能性として上がるのは。

「まさか、俺への怨恨とか、だったりして」
「その可能性は否定できませんね」
「え? だって、俺アイツになんかした覚えは……」
「貴方には覚えがない、一方的な被害妄想によるものかもしれません。
 そういう類の事件は、この街に限らず最近よく起こるようですし。
 ただ……」
「ただ?」
「――いえ、何も。
 思わせぶりですみません。少なくとも今語るべき事ではありませんでした」
「……」
「では、次の場所に行きましょう」
「あれ? 行方不明になったのってさっきので最後じゃ……?」

 行方不明になったとされる少女は三人。ソレは確かだ。
 そしてそれに関係する場所も人数分の三箇所ではなかったのか。

 なのに、これ以上何処に行こうというのか。
 そんな疑問を投げ掛けると、夜は大に対してなのか、一つ頷いて見せた。

「ええ、知っています。それとは別にやる事があるんです」











 やる事がある、そう言った夜と大が足を運んだのは、ハンバーガー店の隣に位置するファミレスだった。
 2人は店員に案内されるまま、奥の席に腰を落ち着ける。

「な、なぁ、ここに何があるんだ?」

 とりあえず真っ先に注文したドリンクバー、それ専用グラスに並々と注いだコーラに一口付けた後、大は夜に尋ねた。

「ここで人に会う約束をしているんです。
 今回の事件に、ある意味で関わりがあると私は見ています」

 そう呟き、大の疑問に答えた後、夜は左手につけていた腕時計に視線を落とした。
 時刻は、今まさに6時を指した所だった。 

「……約束の時間です」
「ええ、今確かに」
「なっ!?」

 唐突に響いた第三者の声に、あからさまに声を上げて驚いたのは大。
 大ほどではないが、夜もまた少し目を開き驚いていた。

その驚きは、文字通り何処からともなく現れた存在によるものだった。

 2人の視線の先、テーブルを挟んで向かい側の席に立つのは1人の女性。
 突然現れた彼女は、右手にカップを、左手にソーサーを持ち、優雅にコーヒーを飲んでいた。

 2人が驚いたのは無理からぬ事だった。 
 彼らがいる席は店の一番奥であり、近くに出入り口やトイレはない。
 誰かが通ったのなら否が応でも視界に入り、確実に気付くはずなのだ。
 更に言えば、2人のいる位置からは店の入り口やトイレの出入り口が見えており、新たな客、トイレに出入りする人間にも気付きやすい。
 
 にもかかわらず。
 この女性が目の前に現れるまで、2人はまるで気づく事が出来なかったのだ。

「あら。驚かせてしまってごめんなさいね」

 そう言って口の端だけ持ち上げて微かに笑う……笑っているかいないかほどの笑み……女性に、不思議な雰囲気を夜は感じていた。

 まず目に付くのは、
 本格的な夏も近いというのに肌を全く露出させていない、全身を黒一色に統一した服装。

 足首まである丈の長さのロングスカートワンピース。
 その上に大き目のケープを掛け、さらに首にマフラーを巻き、トドメとばかりに手には手袋をしている。

 そんな出で立ちだと言うのに、彼女は汗一つかいていない。
 今店内に冷房が効いているというのは理由にはならない。

 これだけ目立つ人間が店内にいればすぐに目に付くはずなのに、気付けなかった。
 視界に入っている店とトイレの出入り口を、夜はそれとなく気に掛けていたにもかかわらず。
 つまり、少なくとも彼女は数瞬前までこの店にいなかったはずの人間、という事になる。

 そんな、この季節ではかなり目立つ黒一色の、肌を見せない衣装の次に目に付くのは、同じ色をした髪と瞳。
 金色ではなく、栗色でもなく。どちらともとれるような不思議な色をしている。

 どちらとも取れるのは同色の髪と眼だけではない。
 背は決して低くもないが、高いわけでもない。
 容姿から察せられる歳も、夜と同じ位にも見えるが、もっと年上のようにも見える。

 全てが曖昧なのが印象的で、それでいて雰囲気はおぼろげで。
 その女性は、様々な人間を調べるのを日常としている夜にとって、明確に『掴み難い』と感じさせるはじめての人間だった。

 唯一明確なのは、彼女の容姿。
 夜とは違う方向性の……夜が日本人的なとすれば、彼女は西洋人的な……端整さが彼女にはあった。

 そんな不思議で可憐な女性に少し呑まれていた夜は、軽く唇を噛み締める事で気を引き締め直した。
 そうして、自身を眺めている女性に対し、何処か挑むように口を開く。

「……貴方が、コテハン”永久�瓠覆箸錙砲気鵑任垢諭�」
「そして、貴方がコテハン�狎亀舛量J��瓠帖聴輒醋襪覆里諭�

 彼女……永久と名乗る女性の言葉を聞いて、夜は先程よりも大きく眼を見開いた。
 勿論驚きによって。

「何故、私の名前を……?」

 固定ハンドルネーム……コテハン。
 匿名性が売りであり有利であるネット上の場所において、固定された名前を毎回名乗る存在、その名称である。

 壱野夜はネットで動く際のコテハンを『正義の味方』としていた。
 ちなみに深い意味はなく、ただなんとなくである。
 そのコテハンと現実の名前を一致させた事、イコールで結びつけた事、明らかにした事は一度たりとてない。
 にもかかわらず、彼女はそれを、夜の身元を知っていたのである。
 夜が驚きを隠せないのも無理はない。

 そうして驚く夜に、彼女は席に座っても?、と尋ねる。
 ただ頷くしかない夜に、もう一度薄い笑みを向けた永久(本名不明)は席についた。
 そうして優雅に座った後、永久は夜の疑問に答えるべく口を開いた。

「大雑把に言えば、私はあるものの監視者で管理人。
 だから、その事を調べようとしている存在を放ってはおかないわ」

 コーヒーを一口啜る際に、微かに頭を傾けた事で髪が団子状に一所に纏められているのが見える。
 その量からウィッグの類でなければ髪は明確に長い、と情報を頭に書き加えつつ、夜は言った。

「あるもの……RDA専用ゲームソフト、エレメント・グレート・オーブの事ですね?」
「少し違うけど、この場合は正解ね」

 エレメント・グレート・オーブ。
 微妙な言葉の並びがいかにも売れなさそうなタイトルのそれは、
 約半年前に発売された、RDAという最新鋭携帯ゲーム機の専用ソフトだ。
 売れない可能性を見越して、受注販売のみだった、という代物である。

 更に言えば、発売されたものはゲームですらない。
 質問を繰り返し、その際の反応、挙動の早い遅い、返答などで、
 いずれ発売されるゲームで使うキャラクターを作る為だけのソフトだった。
 にもかかわらず、そのソフトの値段は通常の、一般的なRDA専用ゲームの倍以上。
 これで売れるほうがどうかしている。

 結果、その会社はゲーム本編を出すまでもなく潰れてしまった。
 その潰れ方がゴタゴタしていた為か、今現在、会社の権利関係や責任問題はあやふやになっている。

 その辺り、夜としては気に掛かる点ではあるのだが……。

(今はさておいて、彼女に集中しないと)

 永久と名乗った女性は、夜にとって未知の存在だった。
 ゆえに余計な事を考えている余裕はない……そんな気がしていた。 

「な、なぁ。それが今回の事と何か関係が……」
「ええ。多分。
 それをじっくり聞きたいので、申し訳ないですけど少し静かにお願いします」

 それまでとは打って変わった少し強い口調で言われ、大は言葉途中だったと言うのに思わず口を閉じてしまった。
 そんな彼に意識を向ける事もせず、夜は永久に向き直った。
 永久は、そうして自身に挑まんとするような表情の夜にぼんやり眺めるように、何処か値踏みするような視線を送りながら言った。

「それで? そのゲームがどうかしたのかしら?」
「……私は調べに調べて、公式にソフトを入手した人間を少しだけリストアップしました。
 会社が潰れた今、それは完璧とは言えないものですが……」

 ネットやゲーム雑誌などで発表されている販売数と比較して全く数が合わない事からもそれは分かる。

「そのリストに載っている何人かが半年前から各地で……この街でも起こっている『原因・結果不明事件』に関わっています」
「へぇ」

 昼間素子にも語った化け物。
 警察でも原因や結果が解明出来ていない事件。
 そして、ゲームソフト、E・G・O。

 夜はそれらに繋がりがあると思っていた。
 自分が遭遇したそれらの事件の現場にRDAが落ちていた事、
『参考人』の何人かが、化け物、と零していたのもその推測を裏付けているような気がしていた。
 彼らが余程恐ろしいものでも見たのか、今現在も記憶を失っているものもおり、情報を集められていないのが残念かつ問題なのだが。

「その手の事件に巻き込まれた人がたまたま同じゲームを持っていた……そう言える程には、あのゲームの販売数は多くありません」
「つまり、貴女は同じゲームを持っていたから事件に巻き込まれた、そう言いたいのね?」
「ええ。
 それらを調べていた折に、貴方からメールが来ました。
 では、色々聞かせていただきましょう。その為に私を呼んだのでしょうから」
「ええ、その通り。
 でも私から話をする、その前に」

 途中でコーヒーを一口飲んで、口元をハンカチで拭いた後、永久は言った。

「これらに関する貴方の様々な推察をお聞きしたいわ」

 その推察を話さなければ話は進まない……
 永久の言葉から、なんとなくそう感じ取った夜は、異論を挟む事無く、自分の調べた事、推測を口にし始めた。

「……とあるネットの匿名掲示板において、貴方は何人かの人間にあのゲームソフトについて語っている。
 その前後の会話内容から察するに、あのゲームには何か、危険な使用方法がある。
 そして、掲示板ではなく、
 ソフトを持つと思しき本人に貴方が直接メールなどで教えているらしい危険な使い方は、
 この所起こっている異常事件数件に関わっていると私は考えています」

 E・G・O、あるいはエゴと略され、称されるゲームソフト、エレメント・グレート・オーブ。
 とある匿名掲示板において、永久と名乗る存在がそのソフト内容について語っていた過去ログを夜が発見するのはそう難しい事ではなかった。

「その根拠は?」

 そこでの会話で、永久と名乗る者は幾人かに礼を言われていた。
 前後の文からメールのやり取りをしている事、そのメールがゲームのなんらかの特殊操作についてものだという事を察する事は出来た。

 だが、そこから事件への明確な繋がりは見えない。
 その掲示板の過去ログを普通の人間が読んでも、それは『ゲームの裏技を教え合う会話』にしか読めないだろう。

 そう。
 E・G・Oというゲームに何かしらの危険性があると考えている存在以外には。

 実際、夜にしても確信はない。ないのだが……。
 
「根拠らしい根拠はありません。
 ただ、2週間前起きたとある事件現場の近くにゲーム機の……RDAの破片が落ちていました。
 そして、その事件の……連続婦女暴行容疑事件の重要参考人となった男性が、E・G・Oを持っていたらしいと後日分かりました。
 他にも、その男性は一部記憶を失っているとの事なのですが、記憶を失うような状況においてゲームを出していた事や、そのゲーム機が不自然なほどに破壊されている事など気に掛かる点は幾つかあります。
 それらは決定的な証拠には決してなりえませんが、私はそれで確信を得ました」
「……」
「最近、この近辺でも起こっている事件は、おかしいんです。
 普通の人間には実行不可能……少なくとも簡単に出来るものではない事件。
 高度なトリックや科学技術、機械などを使わなければ出来ない事件。
 にもかかわらず、
 事件の状況や推察される情報はその高度なトリックを許していない。
 時間的に足りなかったり、環境的に不可能だったり。実に不可解です。
 それでいて、犯人と思しき人間、その動機と推察されるものは至ってシンプル。
 なんというか、単純さと複雑さがチグハグなんです」

 明確な証拠や根拠がなくとも、今まで色々な事件・出来事に関わってきた夜の直感は告げていた。
 E・G・Oには何かがあると。

「ふむ」
「私の推測としては、
 ゲームソフトE・G・Oに、人に催眠か何かの暗示を気付かないうちに仕組み、
 その上で人を操ったりか、自身の肉体限界を無視するような、
 そんな仕組みがあると見ています。……今の所、証拠はありませんが」
「ふふふ。なるほど。ユニークな発想ね」
「……非現実的なのは承知していますが、その辺りが落としどころです」
「なるほど。
 想像通り、コテハン通り、貴方は探偵ではなく正義の味方ね。
 証拠ではなく、己が直感を信じる形はまさしくそう」
「……それはさておき。
 あのゲームは、いえ、あのゲームに仕組まれたものは何ですか?
 そして、ソレを仕組んだのは……」

 貴女ではないのか?
 そんな疑惑を込めた視線を受けて、永久は苦笑した。

「責任逃れをするつもりはないけれど。
 アレを仕組んだのは、私であって私ではないわ。
 そして、あのゲームに仕組まれたものは……エゴ」
「エゴ?」
「人が持つソレを、ソレが生み出す力を引き出し、力とするもの。
 ……貴方は、既に手に入れているのね?」

 確かに、夜は既に手に入れている。
 所持者の一人から買い取って手に入れている。
 そして、ゲームを進めてもいるのだが。

「言っておくわ。
 貴女がもし、この事に関する事件、事柄に関わり続けるのなら、いずれ脅威に遭遇する。
 その際に至り、もしも死にたくないのであれば……」
「……ソフトを裏返してセットしろと?」
「へぇ。推察していたのね」
「流石に形状から推理できます」

 RDAのソフトは、指先大程度の大きさで、ソフト下部は端子が剥き出しになっている。
 その表裏はタイトルが書かれたシールが張られているかどうかで判別出来るのでそうそう間違えず、
 更に言えば裏返してセット出来ないようにソフトの微妙な凹凸で調整されている……のが当たり前なのだが、
 件のソフト、エレメント・グレート・オーブはその凹凸が存在していないのである。

「でも、それだけが危険な使い方の発動条件じゃないんでしょう。
 現に私は普通にキャラメイクの最終段階まで来ています。ただ……」
「ただ?」
「最終段階最後の質問が普通に起動させたものと違うので、
 それにどう答えるか悩んでいます」

 普通に起動させた場合、
 最後の問いは『旅立ちは朝、昼、夜のいずれだ?』と尋ねられる。
 しかし危険な使い方の場合、問い掛けは『汝の願いは何だ?』となるのである。

 その違いに、根拠のない嫌な予感を感じた夜は、
 最後の問いには答えずに、ゲームをストップしていた。

 そんな夜の答えに、永久は満足げに頷いて見せた。

「エクセレント。
 そこまで自力で辿り着き、かつそこで躊躇う注意深さがあるのは評価できるわ。
 そして、貴方自身の資質……私の目に狂いはない、と思いたいわね。
 ああ、失敬。本題からずれていたわね。
 もし、死にたくないのであれば、最後の問い掛けに正しく答えなさい。
 そうすれば、貴方は�猯廊瓩鯑世觧�が出来る。
 存在しないものになれる。
 ちなみに答は教えられないわ。
 それは人それぞれであり、自分で見つけなければならないものだから」
「……」
「ただし、気をつけなさい。
 もしも何かに失敗した、その時は……この街では”デッドコード”と名乗る存在がやってくるわ」
「……っ!」

 デッドコード。
 それは、不可思議事件の陰にあった名前。
 目撃者や関係者が見たとして、一部で噂になっている『化け物』。

 その言葉を聞いて、夜は疑問を隠しきれず、思わず呟いていた。

「貴方、一体何者なんです?」

 これだけの事を知っている人間。正直、謎だらけだ。
 様々な疑念や感情を交えた視線を夜が向けると、永久は笑みを孕んでいるのか否かの表情を浮かべて見せた。

「悪魔の使者、かしら? あるいは、一番最初の道化」
「ふざけているんですか……?!」 

 曖昧な表情と言葉を形にする永久に、夜は思わずそう言ってしまっていた。
 声こそ大きくないものの、明らかに怒りと敵意を剥き出しにしているのが分かる、そんな口調で。

 その瞬間、夜は、何か、許せないものを感じていた。
 明確ではないものの、多くの人々を不幸にしているかもしれない何かに少なからず加担している彼女が笑みらしきものを浮かべたから、なのか。

 だが、それは根拠や理由のない怒りだ。少なくとも現時点では。

 感情を吐き出した事で逆に冷静になった夜は、その事に気付き、申し訳なさのようなもので微かに身を縮めつつ、頭を下げた。

「……すみません、感情的になってしまいました」
「気にしていないわ。
 あと、ふざけているわけではないんだけどね。
 不快にさせたのなら謝るわ。どうも、こういう表情が癖なものだから」
「……その、どうして私に連絡を取ろうと思ったんですか?」
「そうね……罪滅ぼしと、願い。簡単に言えばそうなるわ。
 これから起こる可能性で私を恨むのは、貴女の自由よ」

 言って、永久は立ち上がった。その手には、このテーブルの伝票が握られている。

「せめてここの支払いはしておきましょう。
 ……貴方の人生に幸多からん事を願うわ。
 例えそうなるのが、どうしようもなく低い可能性であったとしても」

 そうして、永久と名乗る女性は去っていった。
 後に残された二人は、ただ呆然とその背中を見送る事しか出来なかった。











 ……続く。





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